その笑顔が見たくて

In the white world

 episode 11

トンネルを抜ける。白の無い空に、それに負けない紺碧の海。規則正しく揺れる電車。

ゆっくりと速度が落ちていくのが景色から、また電車の揺れから分かる。

車内アナウンスが駅の名を告げる。次の駅で降りなければならない。

俺は、隣にいる女の子を揺する。

「瑠璃ちゃん、次で降りるから、起きろ。」

瑠璃ちゃんは、重たい瞼と格闘しつつ頷き、自分の荷物を持つ。

そして電車はさらに速度を落とし、やがて止まる。

俺たちは、ホームに下りた。車内とは打って変わって、熱気が一気に俺の体温を上昇させる。

「暑っ…」

率直な感想。この一言に尽きる。

「確かに…暑いですよね…」

すでに体中汗をかきつつ、俺たちは改札を出る。

「とにかく、一旦旅館に入って、着替えてからすぐに海に行こう。この暑さは耐え切れん。」

「それは賛成ですね。」

手を挙げて、タクシーを捕まえる。

「旅館の海夕(かいゆう)までお願いします。」

タクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げる。

「はいよ。…隣の子はあんたの彼女かい?」

運転手が車を走らせ、バックミラーを見て訊く。

『彼女』という言葉に、二人とも赤くなる。

「ええ…まあ。」

言葉を濁しつつ、答える。

「そんな照れなくてもいいだろう?恥ずかしいことじゃない。堂々としてれば良いんだ。でも…海夕ね…海に温泉に…今日は花火もか。お嬢ちゃん、気い付けなよ。男はいつ発情するか分からないんだから。」

かぁっと、まるで音でも立てているかのように、ただでさえ赤かった瑠璃ちゃんの顔が深紅といえるくらいまで染まる。そのまま俯いて、もじもじしている。

「運転手さん、余計なこと言わなくていいから。」

「ははは…。さては兄ちゃん、やる気だったのかい?」

………いや、別にそんな気は…無いといえば嘘にはなるが。

どうやら、人生の先輩は一枚上手のようである。これ以上の会話はあること無いこと掘り出されそうである。

隣に座っている瑠璃ちゃんは、まだ顔を火照らせて俯いている。

俺は、それらから目をそらして、窓の外を見る。

雲一つ無い空。日差しが容赦なく照り付け、アスファルトが鉄板に見える。何の変哲も無い風景。駅前周辺はビルも立ってはいたが、ここまでくるとその影は微塵も無い。

「でも、ナンパする連中もいるから気い付けなよ。…ほれ、あれが海夕だ。」

運転手が指差した向こうに、予想していたよりも小さい、わりとこぢんまりとした旅館があった。ここから見ると、その旅館が浜辺に建っているように見える。

「浜辺に建っているように見えるだろ?」

俺たちはそれに頷く。

「言ってみればわかるが、それはほぼ当たりだ。浜辺に建っていると言ってもおかしくない。水着を着たまま外に出られるんだからな。あそこは。」

「ヘ〜…そんなに近いんだ。」

どんどんと旅館に近づいていく。路肩に立っている看板にあと500mと書いてあった。後1、2分で着く。運賃を見ると、今は2090円。まあそんなところだろう。

「はい、えっと…2370円だね。……はい、2370円丁度、毎度あり。…お2人さん、仲良くね。」

タクシーの運転手はそう笑顔で言って旅館の玄関前から去って行った。

旅館の中から女将らしき人と2人の仲居さんらしき人が出てきた。女将さんだろうか…隣の2人とは着物が断然違う。しかも意外と若い。仲居さんは2人とも女将とそう変わらない…30代か40代だろう。

「ご予約いただいた片桐様ですか?」

真ん中にいる女将らしき人が訊いてきた。

「…ええ。でもよく分かりましたね。」

「今日チェックインされて、お2人で、電話の声が若かったことを考えますと…ね。」

女将さんは笑みを浮かべながら言った。

「あ、申し遅れました。わたくし、海辺の宿、海夕の女将を努めさせて頂いております、若桜と申します。御用の際は、何なりとお申し付け下さい。では、こちらへ…」

と、女将はフロントへ案内する。2人の仲居が俺たちの荷物をそれぞれ持つ。

「えっと、片桐様、302号室になります。ここにお名前とご住所、あと電話番号とサインをお願いします。」

言われた通りに名前、住所、電番、サインをする。

「今、仲居がご案内しますので。」

そう言って女将は深々と礼をして、裏へ引っ込んでいった。

「では、お客様、こちらになります。」

先ほど荷物を持ってもらった仲居が案内する後をついて行く。

部屋の鍵を開け、中に入る。冷房が効いていて、快適だった。

「お風呂のほうは、大浴場、露天風呂、あと貸切風呂や混浴風呂などがあり、朝の5時から深夜の2時までとなっております。夕食、朝食共に、このお部屋で召し上がって頂く事になります。…夕食は何時頃に致しましょうか?」

俺は、瑠璃ちゃんのほうを向いて、「7時?」と小さく訊いた。すると瑠璃ちゃんは、「ん〜…6時半ぐらいでいいんじゃない?」と小さく返した。

「それじゃあ、6時半でお願いします。」

仲居さんに向き直って言った。

「はい、それでは、6時半にこのお部屋に運ばせていただきます。これがお部屋の鍵になります。浜へ行かれる時には、鍵と貴重品はフロントでお預かりいたします。このツマミで空調を調節できますので。あと、夕方には、そこのベランダから夕日が海に沈む様子が良くご覧いただけます。今ですと、日没は7時から7時半ですね。…では、ごゆっくり。何かありましたらフロントまでそこの電話でお気軽にお申し付けください。それでは、失礼致します。」

長々と事務的な口調で説明を終えると、部屋を出て行った。

改めて辺りを見る。和室2部屋、洋室1部屋、トイレに洗面所、お風呂。和室の1つは寝室らしい。押入れが付いている。テレビももちろん付いているし、どの部屋も10畳より少し大きいぐらいの広さがある。トイレはもちろん洋式だ。

「さっそく海に行きますか。」

荷物を整理して、俺はまだ整理している瑠璃ちゃんに言った。

「俺は向こうで着替えるから、瑠璃ちゃんはここで。終わったら言って。個々通らないと俺、外に出られないから。」

そう言ってもう1つの和室につながる襖を開ける。

「覗かないで下さいね。」

にらみを利かせた目でそう呟いた。その仕草が覗いた場合の俺の運命を想像させることを容易にした。背筋に寒気が走ったのを感じた。

「覗かないよ。自分の身がまだ可愛いものでね…」

襖を閉めながら言った。後半を瑠璃ちゃんには聞こえないように。

女の子の着替えは長いらしい。それがすべての女性に当てはまるとはいえないだろうが。

瑠璃ちゃんから入室許可が下りたのは、俺が10人ほど連続して着替えられるくらい経ってからだった。

俺は青のトランクスの水着に白のTシャツを着て裾を結んでいる。瑠璃ちゃんは、何を着ているかはよくわからないが、赤のウエストポーチに、白いTシャツを着て、同じように余った裾を結んでいる。違いと言えば、俺のTシャツは無地なのに対し、瑠璃ちゃんのは胸に犬がプリントされている。

しかし、今の格好だとはっきりわかるのだが、瑠璃ちゃんは、歳のわりに出てるところは出てるし、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。身体だけなら20代の全盛期でも通じそうである。…おそらくだが。

瑠璃ちゃんのウエストポーチに小銭入れようの財布を入れさせてもらって、フロントで鍵とカードなどの貴重品を預け、専用出入り口とやらから浜へ出る。旅館の中とは打って変わった熱気。先ほどまで慣れたつもりでいたが、涼しいところから出るとやはり耐えがたい。しかし、先ほどとは違って幾分楽ではある。格好のためだろう。

旅館で運良く借りれたビーチパラソルを適当なところに差して陣取り、その下にビニールシートを引いておく。それを風で飛ばないように近くにあった石で抑えておく。

「楓さん、これ、お願いします。」

瑠璃ちゃんが差し出してきたのは、空気入れ藍色のビニールの塊。

「はいはい。…これだけ?」

ビニールに空気を入れながら訊くと、瑠璃ちゃんは頷いた。

膨らませると、それはイルカを象った。

すばやく空気栓をして瑠璃ちゃんに手渡す。

「こんなもんでいいかな?」

「ええ。ばっちりです。」

弾力を見ながら瑠璃ちゃんが答える。

「潮風が気持ちいいですね…」

日なたにいるとそうは感じないのだが、日陰にいると確かに潮風が気持ちいい。

瑠璃ちゃんはイルカを隣において、ビニールシートの上に座る。足を地面と三角になるように曲げて、その足を抱え込むようにしている。学校などで言う体育座りというやつだ。

瑠璃ちゃんは、頭を膝の上に乗せ、隣に座っている俺を見る。

「何?人のことじろじろ見て。何か付いてる?」

瑠璃ちゃんは、微笑んで言った。その笑顔はいつもの快活なものとは違い、それに俺は少し気恥ずかしくなった。

「いや…別に、何か付いてるとかじゃないんだけど…」

視線を瑠璃ちゃんから海へと移動させる。きっと今瑠璃ちゃんは心の中で笑っているだろう。

「それとも、私に見惚れてたとか?」

「いや…あの…その…ちょっと…な。」

右手の親指と人差し指を近づける。なんだか恥ずかしくなってこめかみを人差し指で掻いた。

「ふふふ…かぁわいい。」

瑠璃ちゃんが俺の前に顔を覗かせて悪戯のように微笑む。

「かわいいって男に使う形容詞じゃないだろう?」

「そうかな?」

今、俺の額には青筋が立ってるかもしれない。

「何か飲み物買ってくる…財布出して。」

立ち上がって瑠璃ちゃんに手を差し出す。もう喉が渇ききっている感じがする。

「私、ウーロン茶お願いします。」

ポーチから出した財布を受け取る。

「ちゃっかりしてますね…」

瑠璃ちゃんは、にっこり笑って「いってらっしゃ〜い」と手を振った。

海の家までは目と鼻の先だった。それはそうだ。だからあの場所を陣取ったんだから。アクエリアスと、ウーロン茶を買い、ついでにたこ焼きも買う。

「ほれ、たこ焼きあがったよ。あとアクエリアスとウーロン茶。兄ちゃん、彼女とデートかい?」

海の家の主人のおじいちゃんが白い歯を見せて訊く。日焼けした黒い肌に白髪と白いシャツが映える。見たところ入れ歯もしていないし、腰も曲がっていない。至極健康なおじいちゃんだ。

「ええ。まあ。おじいちゃんも元気ですよね。」

俺の言葉におじいちゃんは豪快に笑う。

「まだまだ若いもんには負けんさ。ばあさんもおっ死んじまってからこれだけが生きがいだからねぇ…まあ、彼女を大切にして幸せになんなよ!」

また白い歯を見せて笑う。見た目は80歳といわれても違和感がないのに、中からにじみ出るオーラみたいなものが、それを完全に拭い去り、20歳は若く見える。まだまだ現役なおじいちゃんである。

たこ焼きの入ったビニール袋を指に提げて、紙コップ2つを両手に持つ。たこ焼きが焼き上がるのを待っていたおかげで少し遅くなった。

戻ろうと、後ろを見ると瑠璃ちゃんの傍に馴れ馴れしい男が2人。2人とも肌は黒で、いかにもスポーツできますよといっているような顔つきをしている。1人は身の丈ほどのサーフボードを抱えている。

ナンパか…。俺は飲み物をこぼさないようにゆっくりとした足取りで近づいていった。人目の多い場所で掻っ攫うなんて真似は出来ないだろうし…

ゆっくりこぼさないように歩いていたので、ようやく声を聴き取れる範囲まで来る。

「あんな男なんかより俺たちのほうが断然いいぜ。」

あんな男とはおそらく…絶対に俺のことだろう。瑠璃ちゃんの近くにいる男と言えば俺と、強いて言えば雄貴ぐらいだ。

「退屈な思いはさせねぇ。あんな童貞野郎となんていないで俺たちといないか?どうだ?」

…なんで童貞だってわかったんだろう?瑠璃ちゃんが何かを言ったようだが、それは聞き取れなかった。

「おい、いいから俺たちのところに来いよ、いい思いさせてやるって言ってんだろうが!」

男が瑠璃ちゃんの腕を乱暴に取る。そこに俺が割って入った。

「ほれ。ウーロン茶。それとたこ焼き。」

ウーロン茶の入った紙コップとたこ焼きを瑠璃ちゃんに差し出す。

瑠璃ちゃんはさりげなく掴んでいた手を振り解いて、それを受け取る。

「さんきゅ。喉が渇いてたんだ。」

後ろにいる男たちを無視してウーロン茶を飲む瑠璃ちゃん。肝っ玉が据わっているというか…何と言うか…

「…で、後ろにいる人は誰?知り合いか何か?」

たこ焼きを食べようと爪楊枝を取った瑠璃ちゃんに訊く。

「知らない人ですよ。ナンパじゃないんですか?」

いたって落ち着いた声で答える。こういうことに慣れているだけか、俺を信頼しているのかは定かではないが。

「あんた誰?」

押し殺した声で男が訊く。小心者なら震え上がりそうなほど低く聴き取りにくい声だった。しかし、彼氏が登場しても引き下がらないナンパは珍しいんじゃないだろうか。いや、そもそも相手がいるのを知ってる上でナンパしているのも珍しい。

「…あんたらの推理通りだ。わかってるんだろ?」

いたって普通に答える。相手に威圧感を与えられるような言い方は俺には出来ない。

「なら話は早えぇ。この女を俺たちに貸せ。まあ、返って来た時はどこか壊れてるかもい知れないがね。くれるんならもっと都合がいいが。」

「断る。」

即答。早くどこかへ行ってほしかった。もし、周りに誰も見ていないと確信できる状況ならば、迷わず殴りかかっている。瑠璃ちゃんをモノ扱いした。それが一番許せなかった。

機嫌が悪い、いや怒っていると言う点では、彼らも同じだったらしい。俺のあまりにも早い答えにか、またまた内容にが、彼らは激昂した。おれのTシャツを掴む。アクエリアスが半分ほどこぼれる。もう状況判断も出来ていないらしい。最初から出来ていないのかもしれないが。

「テメェ…なめやがって…シメてやろうか!?えぇ!?2度とその女に見せられない顔にしてやる!」

血走った目で俺を睨む。もちろん、サーフボードを抱えた男は反対するわけがなかった。さすがに危険を察知したのか瑠璃ちゃんが視界の端で動いたが、男に睨まれて動かなかった。正確に言えば動けなかった、だろうが。

「別に彼女に手を出さないのならかまわんが…その代わり…少年院に叩き込まれるだけで済むと思うなよ。俺は理不尽なことに対しては執念深いんだ。」

男2人が止まった。しかし、それも一瞬のことで、Tシャツを掴んでいる男が腕を振り上げた。

俺は無意識に目を閉じて、後ろから瑠璃ちゃんの小さな悲鳴が聞こえた。

しかし、いっこうに拳は振り下ろされなかった。目を開けると、振り上げた腕が皺くちゃの手にとって止められていた。

言わずもがな、海の家のおじいちゃんであった。

男は、そのおじいちゃんを睨み、何かを言おうとするが、おじいちゃんの剣幕に何も言えなくなり、さらにはどこかヘ去って行った。

「兄ちゃん、忘れもんだ。」

そう言って渡されたのは財布だった。買ったときに忘れて来たようだ。

「どうも…ありがとうございました。」

「いや…礼を言われるようなことじゃあないさ。ここはああいう奴が多いからな。気ぃ付けなよ。……それより、兄ちゃんあそこで逃げ腰にならないのは大したもんだね。見直したよ。彼女もべっぴんさんじゃないか。」

『いや…そんな…』

2人して顔を赤く染める。

「…っと、店を人に任せてるんでね。これからも仲良くな。」

そう言って、老人にしては驚異的な速さで海の家に走っていった。怪我をして走れないのもあるが、今の俺の最高速度より早い。かなり悔しいが。

「凄いおじいちゃんですね…」

「…だな…。」

2人同時に座る。会話はなく、ただたこ焼きを食べて飲み物を飲んでいるだけ。

俺もアクエリアスを飲もうとすると、量がかなり少なかった。ふと、こぼされたことを思い出し―――忘れた。

「あの…ありがと。」

「いや…別に…大したことはしてない。」

肩と肩が軽く触れるくらいにぶつかった。すぐに離れる。瑠璃ちゃんは俺の手の上に自分の手を乗せる。

「海に入ろっか。」

そう言って俺の手を引いて立ち上がる。瑠璃ちゃんはTシャツの結びを解いて、脱ぐ。俺も、結びを解いて、…脱ごうとした手が止まった。

白のレース付きの水着。艶やかな肌。大きさ、形のよい胸。引き締まった腰。細い、かといって棒のような細さではなく、ほどよく肉の付いた四肢。

それら全てに目が止まった。瑠璃ちゃんは、俺の視線に気付いて恥ずかしそうにした。

「ほら、さっさと脱いで。行きましょ。」

瑠璃ちゃんは、照れたまま俺に脱ぐのを促して海に駈けて行った。俺もTシャツをビニールシートの上に投げて、その後を追う。

その後は、何のトラブルも無く楽しい時は過ぎ、気が付けば4時になっていた。

 

 

 

 

To be continued

 

 

 

 

この話はフィクションです。

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