その笑顔が見たくて
〜
In the white world〜episode 10
翌日。
外は梅雨らしく雨だった。ここからでは酷いのかどうかは分からない。静かな雨音だけが絶えることなく聞こえるだけだ。空は、昨日の青空が嘘のような黒をしていた。
俺は起き上がって、虚空の一点を見ながら考えていた。おそらく瑠璃ちゃんはもう少し経てば来るだろう。それまでに。決めなくてはいけないことがあった。
足のことをどうするべきか。話すべきだろうか、話さないべきだろうか・・・
話せば瑠璃ちゃんは今以上に責任を感じる。今でもそれは拭いきれてないはずだ。もし言えば、俺はそれに更なる苦しみを与えることになりかねなかった。
話さなかったら?確かに今はいいかもしれない。・・・しかし、退院した後。いつそれを言うのか。隠し通せる・・・かもしれない。しかし、自信は無かった。
でも・・・昨日のあの顔に、今はさせたくなかった。悪いときには悪いことが重なる。昔から言われていたことだが、まさに本当だった。
何か物音がした。扉のほうだ。目をやると、扉が開く静かな音。ベッドと扉とを仕切るカーテンから姿をあらわしたのは瑠璃ちゃんだった。いつも出かけるときに持っている手提げと、少し小さめのバッグを持って。
「おはようございます。楓さん」
今日の瑠璃ちゃんは笑顔だった。昨日の曇りがまったく、というほどではないものの、無かった。
そのとき、すでに俺は言えなくなっていることに気づく。この笑みを壊したくない。そう思ったからだ。
「ああ。おはよう。」
同じくらいの笑顔で返す。先ほどまでの考えを見透かされないように・・・
瑠璃ちゃんは椅子に座ると、持っていたバッグを開く。
そこには下着等の着替えと、生活必需品と一般に言われているものが少々。あと、楽譜。
無論楽譜は白紙。・・・ピアノも無いこの部屋で何を書けというんだろうか?
瑠璃ちゃんがなにやら説明しているが、まあ何とかなるので上の空で外を見る。外は大雨で、時間は時計を見ないと分かりそうも無かった。
「ちょっと、楓さん、聞いてます?」
瑠璃ちゃんの声に、ぼーっと外を見ていた俺は我に帰った。
「ああ、聞いてる、聞いてる。」
何を話しているのかまったく分からないが、とりあえず答えておく。
「じゃあ、さっき何を話していたか言ってみてください。」
思いっきり疑われていた。瑠璃ちゃんの手元には、日常雑貨がいくつかあった。これのうちどれかだろうがまったく分からない。
「え・・・瑠璃ちゃんが今日からここで寝泊りして、夜は添い寝をしてくれる、って話だ。」
とりあえず、分からなかったのでボケてみた。
「・・・・・・・・・」
自分のバッグから取り出した古語辞典を構える。この間、自衛用にとバッグに入れていたのを見たことがある。いまだそれに血を吸われたものはいない。俺が最初の犠牲者になりそうだった。
「俺・・・怪我人だし・・・」
「足に当てなきゃ大丈夫ですよ・・・」
悪魔の笑みとはこれをさすのだろう。後ろ手にナースコールを押そうとスイッチを握る。
瑠璃ちゃんがゆっくりと辞典を振り上げる。
「ま、冗談はこのくらいにして・・・」
と、いつもの声に戻って古語辞典をバッグに戻す。
溜息とともに全身の力が抜ける。そのまま体がベッドに沈み込む。
「・・・って、どうしたんですか!?」
「死ぬかと思ったぞ・・・」
今になって全身に汗をかいていることが分かった。
「・・・ちょっと汗かいたから着替える。廊下で待っててくれ。」
満身創痍といわんばかりに力が抜けていたこともあって、ぶっきらぼうに言い放ってしまう。
瑠璃ちゃんは何も言わずに、着替えを出して廊下に出て行った。
その後ろ姿を見て、俺は自己嫌悪を覚えた。
急いで着替え、おそるおそる彼女の名前を呼ぶ。
ドアの開く音。その音を聞いて安心してしまった俺にさらに自己嫌悪を感じる。
「・・・あの・・・さっきは―――」
「言わなくていい。俺にだって非はあるんだから・・・」
瑠璃ちゃんの言葉をさえぎって言う。しかし、瑠璃ちゃんは聞かなかった。
「でも・・・私は楓さんに迷惑をかけてばかりいる・・・」
軽く首を振って俯き加減で答える。
「・・・・・・・・・」
瑠璃ちゃんだけの責任じゃない。俺にだって非はあるし、原因は俺なんだから・・・その言葉が、のどに張り付いて出なかった。
「・・・ところでさ。今日はいつまでいるつもり?」
沈黙に耐えられなくなり、俺が気にしていたことを口にする。今日は平日だ。瑠璃ちゃんならばここに来ることも仕事の一環だといえなくも無いが、東や、茜さん、姉さんは学校がある。つまり、1人でいるのが嫌なのだ。恐い、のかもしれない。
「お昼くらいには・・・帰ろうと思っていますけど・・・」
時計を見ると、すでに
11時を過ぎていた。「すぐに行っちゃうのか・・・」
「仕方ないですよ。私だってお昼食べなければいけませんし、まだ掃除も洗濯も終わってませんから。本業をおろそかには出来ませんしね。」
聞こえないくらいの小さくいったつもりが、聞こえていたようだ。
そして、そう言う瑠璃ちゃんの顔は、子供を諭しているかのようだった。
「・・・ごめん、でも暇が出来たらまた来てくれよ、こっちは暇で暇で。」
「ええ。分かってますよ。じゃあ私、そろそろ行きますね。」
瑠璃ちゃんは、手をひらひらさせて部屋を出て行った。
急に静寂に包まれる病室。テレビをつけると、お昼時恒例のバライティ番組をやっていた。何もすることが無いので、ベッドの上にある食事を置いたりするための板に頬杖をついて見る。
すぐにその番組も終わり、いつもの見慣れたおばちゃんが昼食を運んでくる。軽く礼を言って受け取り、寂しく1人で食べようとしたとき、ドアが開いた。
ひょっこりと瑠璃ちゃんが顔を覗かせる。
「あれ・・・?帰ったんじゃなかったの?」
「ここで食べることにしました。私も1人で食べるのは嫌ですから。」
手に持ったマックの袋を軽く上げて見せてからイスに座る。
「そうか・・・」
箸を持つ。昼の献立はご飯に納豆、味噌汁に酢の物と卵焼きとから揚げが2つ。すべて薄味だ。
・・・はっきり言ってこれは朝の献立じゃないだろうか。特に納豆が。
まあ、とにかく納豆を混ぜてご飯にかける。
その刹那。何かが俺の視界の端を横切った。少し視点をずらすと、白い手に誘拐された卵焼きだった。
「あぁぁ〜〜!俺の卵焼き!」
その暴挙には、抗議の声はあまりにも無力だった。身代金要求も無いまま凶悪犯の歯牙にかかる。
「ちょっと家の卵焼きよりも薄味ですね・・・」
ぼそりと感想を言ってその手はさらに味噌汁という獲物に手を伸ばす。
俺は、納豆という伏兵につかまって手が出せない。
瑠璃ちゃんは1口2口味噌汁をすすって、「やっぱりこれもちょっと薄い・・・」だの「でもおいしい・・・」だの「何の味噌使っているんだろう・・・」だのと感想を独り言のようにぶつぶつと言っている。
そこでやっと凶悪犯七瀬瑠璃はそこでやっと俺の視線に気づいた。少したじろぐ。
「ははは・・・」
乾いた笑い声を上げる瑠璃ちゃん。
「俺の1日の楽しみ3つのうちの1つを奪うとは許せん!」
そっと味噌汁をお盆の上に返し、マックの紙袋を開ける。
「楓さん・・・おじいさんみたい・・・」
「そりゃな、何もすることが無いから自然と・・・じゃない!問答無用!隙あり!」
一瞬の隙を逃さなかった。手に持ったハンバーガーが無防備になった瞬間、それを引っ張ろうと手を伸ばす。
しかし、瑠璃ちゃんのほうが1枚上手だった。ひょいとハンバーガーを持った手を上げて俺の射程から出す。
当然、俺はベッドにいるわけだし、足をある程度固定されているので届こうはずも無く。その手は空振りに終わる。
そして当然のごとく反撃が来た。伸ばした手を本来曲げられぬ方向に無理やり曲げようとする。当然即座にギブアップしました。
俺にとって手は大事なのである。手を怪我しては、もう2度とピアノを弾くことは無いかもしれない。
「・・・ったくもう・・・」
瑠璃ちゃんは買ってきたハンバーガーを食べ始める。他にも、ポテトとオレンジジュースがあった。
俺も反論はやめて食べてしまうことにする。
「明日からリハビリだとよ・・・んで、来週辺りには退院できるってさ。」
「そうですか。じゃあ、すぐに退院できますね。」
それは、この部屋で見た笑顔の中でも一番に輝いているものだった。
「あと・・・これ・・・」
財布から昨日茜さんから買ったチケットを見せる。瑠璃ちゃんはそれを手にとってじっくりと見る。
「楓さんの学校の・・・演劇部の公演?」
頷いてみせる。
「あれ・・・でも3枚ありますよ・・・これ・・・ああ、明日香さんの分ですか。」
「そういうこと。確かそれ来週の日曜日だったよね。」
瑠璃ちゃんがチケットに書いてある公演日時を見て頷く。
「でも・・・誰から買ったんですか?これ。東さんからですか?」
「いや、東のこれから。あいつに買わされたよ。」
小指を立てて言う。
「で、どんな人でした?」
瑠璃ちゃんが興味深げに訊いてくる。
「まあ、瑠璃ちゃんも顔は知っていると思うよ。後は会ったときにとっておいたほうがいいかな。」
瑠璃ちゃんは頭にクエスチョンマークを浮かべながらも、一応の納得はしたようだった。
「でも・・・私、行ってもいいんですか?明日香さんがいるとはいえ・・・男女で入って、しかも同じ高校だから、すぐにばれると思うんですけど・・・」
「ああ、その心配なら無用だ。」
瑠璃ちゃんの懸念を振り払うように否定する。
「すでに東がいいふらしたらしい。昨日1回携帯の電源を入れて、センターに問い合わせてみたらメールが来ててな。思いっきりばれてた。探ってみたら首謀者は東だった。今日ここに来たら問いただしてやらないと・・・」
瑠璃ちゃんは、くすくすと笑って立ち上がる。
「じゃあ、本当に今度こそ行きますね。明日香さんが夜にでも来るようなら私も一緒に来ますけど。そうじゃなかったら明日の朝ですね。じゃあ、リハビリ何時から始まるか知らないですけど、頑張ってください。」
そう言って口付けを交わす。唇に軽く触れるだけ。でも、それだけで十分だった。
瑠璃ちゃんは少し顔を赤らめ、辺りにシャンプーの残り香を残して、病室から出て行った。
そのあと、夕方に来た東にメールのことを問いただすと、東は最初弁解したものの最後には謝った。
夕方になっても夜になっても姉さんも瑠璃ちゃんも来なかった。
そして翌日からリハビリが始まり、次の週の水曜日にめでたく退院となった。後は実生活がリハビリとなるらしい。
・・・それでも、足のことは姉さんと東、学校の先生にしか言っていない。瑠璃ちゃんに言うにはあまりにもタイミングを逃しすぎた。
何の行いが悪かったのか、いまだ走り回ることはご法度らしい。何か違和感があったらすぐに病院に来るように、と先生は言っていた。
先生曰く、この先どうなるかは分からないらしい。切断ということにはまず成り得ないと言う事らしいが、自然に治癒されるかもしれないし、悪化するかもしれない。また、もしこのままの状態で老いていくと、歩くという行為自体も危なくなるかもしれない、とも。
とにかく、自らの身体を信じて自然治癒を祈るだけだ。瑠璃ちゃんに心配をかけないためにも・・・
To be continued
この話はフィクションです。
実在の組織、グループ等とは何ら関係ございません。
尚、KST内とのプロフィール等とは少々相違点がありますがご了承ください。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらお気軽にこちらまでどうぞ