〜その笑顔が見たくて〜

In the white world

episode 9

水上 茜さんは頷いて部屋を出た。

「茜、ねえ・・・ふぅ〜ん・・・」

ジト目で東を見る。

「おまえだって一緒だろうが。瑠璃ちゃん、って・・・」

「それはおまえらも呼んでるだろ?それよりさ・・・」

どうした?と言っているような顔でこちらを見る。

「水上さん、制服じゃ分からなかったけど・・・スタイルいいよな。」

「それは俺もびっくりした。かなりスタイルいいんだよ、あいつ。で、瑠璃ちゃんはどうなんだ?」

「どうって・・・ってちょっと待て、その話はもうやめてくれって言ったろう?」

質問の真意が見えた俺は解答を拒否した。

少し沈黙が続いた後、東が切り出した。

「・・・・・・本題に入るぞ。茜に訊いたんだが・・・あの日、瑠璃ちゃんに言った事なんだが・・・まず訊こう。この話・・・聞くか?聞かないのなら言わん。」

「先を・・・続けてくれ。」

声が震えそうになるのを必死に押さえて言う。

「・・・分かった。言うぞ。――――。」

長く、東の個人見解もあったので省略させていただいたが、要約すると、こうである。

瑠璃ちゃんはあの日、駅前のスーパーで買い物をした後、スーパーの前で待っていた水上さんに話しかけられた。当人か確認された時はかなり戸惑っていたらしい。

それもそうだ。女性だったからよかったものの、これが男だったらはっきり言って誰だろうと逃げ出す。

「あなたは・・・片桐・・・片桐 楓さんの何なの?」そう言ったそうだ。瑠璃ちゃんは「ただの家事手伝いです。」と答えた。「ただの家事手伝いなら、あの人には干渉しないで。片桐さんが・・・楓さんが不幸になるだけよ。彼に雇われているなら好意をもってはいけない、彼に尽くすの。求めるのではない、彼に与えつづけるの。それがあなたの、仕事の意義のはずよ。それをしっかり心に留めておくことね。」そう一方的にまくし立てて去って行ったらしい。

「なるほどな・・・」

腕を組んで話を聞いていた俺は、重い頭を上下に動かして答えた。

「どうするんだ?おまえは。」

「どうするって、どういうことだ?」

質問の意図が理解できずにオウム返しに訊く。

「このことを瑠璃ちゃんに言うかどうか、ってことさ。」

東が意図を説明する。

「・・・あれはもういい。俺たちなりに解決させた。もう何も必要ない。訊いたのはただ好奇心からだけだ。そのことは関係ない。」

少し黙考した後に俺は東にそう答えた。

「そうか。・・・・・・茜。盗み聞きするくらいなら入って来い。」

廊下はおろか、隣の、いや、その隣まで微かに聞こえるかもしれないほどの声で言った。病室の扉が重々しい音をたって開き、誰かが入ってくる。

「恥ずかしいじゃない。あんな大きな声でしかも人聞きの悪いことを。」

確かに東の言う通り、入ってきたのは水上さんだった。

東が、「盗み聞きなんてするからだ。」というと、水上さんは東の頭を小突く。本当に仲がよい。

「何笑ってんだよ。」

東が笑いながら言った。俺はその光景が羨ましいのだと思った。

「いや、仲がいいなって。」

急に黙り込んだ。2人とも俺の心情を察したのかもしれない。なんだか申し訳なかった。

「あ、そうそう。」

水上さんが持っていた自分のカバンをごそごそと探る。そして、2枚のチケットを取り出して、俺に差し出す。それには、700円と書かれているが、ただだと思ったので、受け取ろうとすると、

「私、演劇部なんですけど、券を買ってもらえませんか?」

期待は大きく外れた。しかも満面の笑顔で。

俺は水上さんと券2枚を交互に見る。2枚なのは彼女なりの気遣いだろう。

彼女はまったく表情を変えなかった。しかもその笑顔には裏が無いように見えた。

沈黙に負けたのは俺だった。俺はこう言った手段には弱い。泣かれたりしようものなら一発で撃沈する。おそらく東からのアドバイスだろう。

しぶしぶ財布を取り出して2100円渡す。

「もう1枚追加だ。・・・拗ねる人がいるものでね。」

水上さんはあっけからんとした表情をしたあと、また先ほどの笑顔になって、

「毎度。あと、私のことは水上じゃなくて下の名前、茜で呼んでもらえると嬉しいんだけど・・・」

この笑顔が彼女の素顔なのかもしれない。東の顔を見てそう思った。

「分かった。俺のことは好きなように呼んでくれていいから。」

茜さんはにっこりと笑って答える。

「楓ちゃん!!」

東が気色悪い声で俺の名を呼び、俺の顔に急接近する。思わずその顔に拳を叩き込んでしまう。

「その呼び方は止めぃ!!・・・ってそういえば、おまえ最近俺のこと片桐って呼ぶよな。」

東は、鉄拳を食らった箇所を押さえつつ、

「1度勘違いされてな。おまえを女だと思ったらしくて。それっきりだ。」

東は、答えて東は立ち上がった。

「もう行くのか?」

東は俺に背を向けて、

「家業を手伝わないといけないんでな。この辺で失礼させてもらうよ。明日、また来るから。」

そう言って振り返り、

「片桐。またな。」

「ああ。茜さん、東に襲われないようにな。」

雄貴は、顔を真っ赤にして、

「阿呆。そんなことするか!茜、行こう。」

「ええ。じゃあ、楓君。また明日ね。」

2人は病室を出て行った。入れ替わるように看護婦さんが車椅子を持って入ってくる。

まだ若い。でも、新人ではない、と主張しているような、職人意識に近い雰囲気を持った人だ。

とはいえ、むっつりした表情ではなく、万人受けしそうな明るい顔をしている。

「あの2人、仲がいいわね。私、ちょっと羨ましい。」

そう言うからには今はいないのだろう。そうは見えないくらいなのだが。

「え?いないんですか?」

そう言葉が出てしまった。俺が、弁明を考えていると、

「そう。いない、じゃなくて、いた、だけどね。仕事が忙しくって、フラれちゃった。・・・今から、先生のところへ行くから、これに乗ってください。」

「あ、はい・・・」

俺は看護婦さんの助けを借りて、車椅子に乗り、病室を出た。話によると外科の診察室に行くらしい。たった今外来が終わったそうだ。

「片桐くんって彼女とかいるの?」

エレベーターを待っているとき、看護婦さんが、周りに人がいなくなったころあいを見計らって訊いてきた。

「ええ、まあ。」

2つ返事でそう答える。

エレベーターの扉が開き、乗る。ここはどうやら3階のようだ。1階に行くらしい、看護婦さんが1と書いてあるボタンを押す。ボタンがオレンジ色に光る。

「やっぱりあの長い金髪の子?」

「・・・ええ。」

一瞬の間を置いて答える。

「あの子可愛いもんね。やっぱり金髪だからとか?」

ほかに誰も聞く人がいないのをいいことになんかすごいことを訊いてくる。

「金髪だから、とかそういうのじゃないです。まあ、何なんでしょうね。どこが好きか?って訊かれても正直言って困りますし。」

「・・・大切にしなさいよ、彼女のこと。」

車椅子に座っているため、表情を見ることはできなかったが、どことなく儚げな声だった。

「はい。」

俺は努めて明るく答えた。

そして車椅子がある扉の前で止まる。

「先生、入ります。」

看護婦さんがいつも通りの声で言い、扉を開ける。

その先には、カーテンがあり、それで仕切られた向こうに、レントゲン写真―――おそらく俺の足の―――を見る恰幅のいいおじさんがいた。彼が先生だろう。俺が入ってくるのを見ると、俺の顔を見て、軽い悲壮の表情を浮かべた。

嫌な予感がした。

俺をここまで連れてきてくれた看護婦さんは入ってきた扉から出て行った。

「片桐・・・楓君だね?」

「はい・・・」

身を乗り出すように俺の顔を見て訊く先生に、歯切れの悪い返事をする。

「君は、明後日からリハビリテーションを始める。でもそう難しいことじゃない。あ、僕は長岡っていうから。」

長岡先生は、先ほどの悲壮な表情とは打って変わって笑顔で話し始めた。

「退院は1週間後かな。順調にいけば、だけどね。・・・・・・・・・・・・。」

そう言ったきり、しばらく何も話さなかった。手元にある俺に関するものらしきカルテを何度も読み返しているようにも見えた。

「とても言いにくいんだけどね・・・」

俺の顔は見ずに、そう切り出したのは1分経つか経たないか、というほどだった。

「無論、これからとか、リハビリの経過を見ないとはっきりとはいえないことなんだけど・・・」

そこで語尾を濁らす。なんとなくではあったが嫌な予感が再びした。さっきと同じ。

体のどこかが聞くことを拒否しているようにも感じた。聞きたくない、でも聞かなければいけない。自分の体なのだから。

「分かっていると思うけど、運び込まれて、手術をしたんだ。そのときの執刀医は僕だったんだけど・・・ちょっと厄介なことになってね・・・いや、失敗したわけじゃないんだ。成功だった。でもね・・・リハビリを少しすれば、歩けるようになる。しかし、大きく足に負担がかかる運動・・・たとえば、サッカーやバスケットボールのような走り回るスポーツとか、長距離走だとか・・・そういうものが、できなくなるかもしれない。」

最初、言われた意味がわからなかった。理解するのにしばしの時間を要し・・・

「このことを・・・お姉さんに言うかい?それとも僕が言っておこうか?」

「・・・・・・自分で言います。」

「そうか。でも、落ち込まないで。経過を見ないとはっきりとは言えないんだから。」

そう言われても、簡単に立ち直れるほど俺は単純な構造はしていない。

今度は違う看護婦さんが俺を病室まで連れて行ってくれた。

ベテランの風格を持ったおばちゃんだったが、終始黙っていた俺にかける言葉はさすがに見つからなかったらしい。

部屋から出るときに、「そう落ち込まないで。」といってくれたが、俺にその言葉は届かなかった。

ベッドに入り、窓から空を見る。空は赤から黒へとその色を変えつつあった・・・。

 

 

 

 

To be continued

 

 

 

 

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