もし貴方が私を愛してくれて
フランスに、ホワイトデーは存在しない。バレンタインの返礼として、マシュマロやホワイトチョコレート等のプレゼントを女性へ贈る日はそもそもありはしない。
だが、日本のホワイトデーを知るフランス人は確実に存在する。
「Je crois que les sentiments que je te porte sont plus profonds qu'une simple amitie」
「……何だって?」
「あはは、分からないならいいよ。リョウスケ、ボクから君にホワイトデーのプレゼント!」
貴公子然とした凛々しい笑みではなく、照れ臭そうな柔和な微笑みを浮かべて俺にプレゼントを手渡す男性。フランスの貴公子、カミーユ・オードラン。
フランスにホワイトデーの習慣がもしあれば、卒倒者が続出しそうな凛々しき美男子。中性の美貌は今日ばかりはとても明るく、眩い感情に満たされている。
反面、渡された俺の表情は自分でも分かるほど引き攣っている。喜びよりもまず戸惑いと、何より呆れが大きい。当たり前だが。
その当然を理解しない貴公子は、手渡した男の顔を見て不満そうに唇を尖らせる。
「別に変じゃないでしょう。日本のホワイトデーは一般的に、男性が親しい異性にプレゼントを贈る日だよ。
ふふふ、君の住む国の習慣を前もって調べておいたんだから!」
意味不明なゴキゲンぶりだった。確かにホワイトデーは男の方からプレゼントする習慣なのには、違いない。そういう意味で、こいつからプレゼントする事自体は間違っていない。
根本的に破綻しているのは、渡された俺も男だという何より肝心な点である。
冗談じゃなければ、こいつは本当にノロケた馬鹿である。
「バレンタインデーのお返しがメインなんだぞ、この日は。俺はお前に、チョコレートなんぞやっていないだろう」
「ボクは、君から大切なモノを沢山もらったよ。君との出会いは、今でもボクの宝物なんだから」
……この台詞をブサイクな野郎に言われたら鳥肌立てて蹴飛ばすが、こいつが言うと何だか妙な気分にさせられる。俺は決してホモでも、ゲイでも何でもないのに。
フェンシングの達人の分際でとても細身であり、凛々しくも中性的な美貌。俺と同じ性別なのが、間近で見ても信じられない。
そして何より、こいつの度を超えた友情が俺を勘違いさせるのである。同性の友達がよほど少ないのか、距離感が非常に近くてビビるのだ。
今でもプレゼントを渡すのと同時に、しっかりと手を握られている。くそっ、スベスベした手をしやがって。
「ハッキリ言うぞ」
「わっ、告白!?」
「婚約者がいる男に何を期待してやがる!」
「あいたっ!? うう、元はボクの婚約者なんだけど……」
世間的には婚約者を寝取られた形なのに、こうして冗談に出来るこいつはある意味男らしいのかもしれない。未練があまりにも無さ過ぎて、ちょっと怖いけど。
ヴァイオラもヴァイオラで少しも申し訳無さそうな顔をせず、粛々と俺の正妻顔をしているんだよな。こいつらの関係は、本気で分からん。
ともかく、このノロケ貴公子の頭を冷やしてやろう。
「あのな、ホワイトデーは男が女にプレゼントする日なんだよ。日本の習慣を尊んでくれるなら、お前の好きな子にプレゼントしてやれよ」
「だからこうしてプレゼントしているんだよ」
「当然のような顔をするな!?」
開き直っているのか、真面目に勘違いしているのか、本気で分からん。普段は良き相談相手なのだが、色恋沙汰になると微妙なベクトルに傾くのは何故なんだ。
本気で俺が好きなのは分かるんだけど、同性と異性の区別が付いているのか判断しづらい。欧州ならではの友情行為だと言われたら、検証できないからな。
無邪気ではあると、思う。とても純粋な好意なのだと、理解もしている。同性同士である筈なのに、ドロドロした感じは全くないのだ。
びっくりするほど可愛らしい、女の子の顔を見せてくるからやり辛い。
「マシュマロや日本のお菓子にしようか悩んだんだけど、美味しい物を食べて欲しいから馴染みのあるフランスの地方菓子にしたの」
「その言い方だと、手作り……?」
「うん、そうだよ――あっ、気持ち悪いという顔をしている。ひどいな、もう。
偏見だよ、リョウスケ。お菓子を作るコックさんは、男性が多いんだよ」
「うーむ、確かに」
「えへへ、だからボクが君に心をこめてお菓子を作るのも不自然でも何でもないんだよ」
「何でそんな嬉しそうに、得意顔してるんだお前!」
ホワイトデーを自分の愛情表現の理由にして、カミーユはご満悦で俺に贈り物をする。うーむ、気持ちは確かに篭っているんだろうけど、何かが絶対におかしい。
でも純真無垢な好意を向けられると、俺の常識が邪推であるかのように感じられてしまう。美男子というのは、何でも受け入れられて得だな。
渋々、あくまで渋々作ってもらったお菓子を頬張る。
「どう、リョウスケ。美味しい?」
「ま、不味くはないな」
「ふふ、嬉しいな。また、作ってあげるね!」
「まず先にちゃんとした恋人作れよ、お前」
恋愛問題は俺より、むしろこいつのほうが心配だと思う。
イギリスに、ホワイトデーは存在しない。バレンタインの返礼として、マシュマロやホワイトチョコレート等のプレゼントを女性へ贈る日はそもそもありはしない。
ただし、「カップルの日」としてお互いにカードとプレゼントを送りあう日は存在する。
「一ヶ月前に、プレゼント交換しなかったか?」
「そうよ。アナタからプレゼントを頂いたから、今日はそのお返しがしたいの」
……意味が分かるようで全然分からない事を言う、うちの奥さん。婚約の契りを交わしたのみで結婚式も挙げていないが、本人は正妻のように付き添ってくれている。
イギリスの妖精、ヴァイオラ・ルーズベルト。英国が誇る歌姫であり、世界中が憧れる美の象徴。見目麗しき容姿は異性を誘惑し、その歌声が世界を魅了する。
交際の申し込みは数知れず、結婚を切望する数は世界一。社交界のみならず、政財界に君臨する偉人達でさえも、高嶺の花とされている女性。
旦那持ちを公言しかねない、困った俺のお嫁さんである。
「バレンタインデーに貰った手作りチョコで、十分お前の気持ちは受け取っているぞ」
「あのチョコは、一ヶ月前の私の気持ちよ。今とはまた違うわ」
「日々変化しているのか、お前の愛!?」
ちなみにイギリスのバレンタインは、純粋に男と女の愛の日である。お互いにカードやプレゼントを交換するので、当然ホワイトデーなんてものは必要とされない。
俺としては、イギリスのこうした風習は見習うべき点はあると思う。もったいぶって一ヶ月毎にやらなくても、愛の交換は一日で済ませればいいのだ。
その辺の趣旨を、この正妻さんは全く分かってくれない。
「アナタから頂いた"私の花"は、今も部屋に飾ってあるのよ」
「……何であんな恥ずかしいことをしたのか、今更悔やんでいる」
「あの花を見る度に、私を思い出すと言ってくれたもの。すごく嬉しかったわ」
「うおおおお、リピートするな〜〜〜!」
婚約者と言っても、長年連れ添った夫婦ではない。バレンタインデーであっても、プレゼントを贈るにはそれなりの気恥ずかしさがあるのだ。
そもそもの話、剣を志す人間として今までこうした恋愛関連は疎んでいた。女性なんて必要としなかったと、言い切ってもいい。
剣よりもよほど扱いが難しい存在にプレゼントを贈るのは、強敵相手に斬り込むよりも厄介な難業である。どうしていいのか、分からない。
となればその時の雰囲気に身を任せて、突進するくらいしか渡しようがなかったのである。
結果として、クサいセリフの一つや二つ吐いても仕方がないではないか。
「美味しいお菓子を最初作ろうと思ったのだけれど、アナタへの気持ちを全て篭めるのは無理だったの」
「なんか、すぐに虫歯になりそうな甘さが伝わってきたぞ」
かぐや姫の伝説になぞらえた婚約者試験を行う程結婚を嫌がっていた割に、花嫁修業は完璧だったヴァイオラさん。料理もお手のものだった。
夫が日本人と決まった後は和食も勉強して、プロ並みの献立を揃えられている。お菓子にも精通しており、お団子や饅頭を食べさせてくれたこともあった。
そんな嫁さんが全力で作るお菓子、想像しただけで舌が溶けそうだった。
「だから、お菓子はやめにして」
「うむ」
「手編みのマフラーにしたわ」
「もう春なのに!?」
いや確かに日本の三月は寒いけど、マフラーをつけるほどではない。袋から取り出したマフラーは、これまた全力で作り上げた見事なマフラーだった。
男が嫌がる可愛い刺繍は入れておらず、和服を好む俺でも似合いそうな裁縫が施されている。手間隙かけて編んでくれたのだと、一目見ただけで分かる。
俺の第一印象は感謝感激ではなく、暑そうの一言だった。
「少し長めに編んだから、こうして二人で並んで巻けるのよ」
「……お前がやりたかっただけだろ、これ」
抵抗する暇もなく、ヴァイオラは俺と並んで首にマフラーを巻いてくれた。温かいのは認めるが、今日の気候は見事に温暖である。
寄り添い、手と手を結び、マフラーを巻いて歩く夫婦――と言えば仲睦まじく聞こえるだろうが、天気の良い春空の下でこんな格好で歩いていたら好奇の的でしかない。
実にありがた迷惑な、愛溢れるプレゼントだった。
「とても良い天気ね、アナタ」
「そう思ってるなら、マフラーを持ってくるな!?」
何とも季節外れな、ホワイトデー。それでも幸せであれば、それで良いのかもしれない。
「……馬鹿ばっかりだ、あいつら」
「お、お疲れ様です、おにーちゃん」
「ほれ、なのは。お前に、ホワイトデーのプレゼント」
「皆さんから頂いたプレゼントを全部、渡さないで下さい!?」
日本――普通に、ホワイトデーはある。
<終>
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