子供のためのアルバム
                              
                                
	
  
 
 ――ドイツのバレンタインでは、男性から女性に花束をプレゼントするのが常識である。 
 
 
 
 
 
「来たか、下僕。待ちわびたぞ!」 
 
「前々日から催促しすぎだろう、お前」 
 
 
 カーミラ・マンシュタイン。次世代の若き夜の一族の長である彼女が、プライベートでよく過ごす高級別荘へ訪れる。愛しきご主人様は、玄関前で仁王立ちしていた。 
 
傲岸不遜の、吸血鬼。暴力的な美貌を持つドイツの女王は派手に着飾っており、不遜な物言いながらもご機嫌な顔で俺を待ち構えている。 
 
両手いっぱいに抱えた花束を見て、黒い翼を広げてご満悦な笑みを遠慮無く零した。 
 
 
「Alles Gute zum Valentinstag」 
 
「はいはい、精一杯の気持ちを込めてまいりました」 
 
 
 早くよこせと言わんばかりにバレンタインデーの挨拶を送る主様に、俺は苦笑交じりの溜息を吐いてかねてより準備した花束を贈る。 
 
気の利いた言葉の一つでも言うべきか当日まで悩んだのだが、待ち構えられた際の満面の笑顔を見て祝辞の全てが頭から吹き飛んでしまった。 
 
血で繋がる主従に、浮ついた世辞なんぞ必要はない。真心のこもった贈り物と、めでたき日に会える喜び。祝う気持ちと、祝う人がいれば、他には何も必要はない。 
 
 
俺から受け取った時の彼女の笑顔に、当時胸に暗く秘められていた人間への憎しみは欠片もなかった。 
 
 
「今日というこの日によくぞ我が元へ戻ったな、下僕よ」 
 
「下僕への信頼が少しでもあるのなら、来年はバレンタインアピールするのを控えてくれよ」 
 
  
 今の世の中便利なもので、海を隔てても連絡を取る手段は沢山ある。カーミラとは毎日のように連絡を取り合っているが、ここ最近バレンタインデーに関する話題ばかりだった。 
 
てっきり彼女からチョコレートでもプレゼントしてくれるのか若干期待してしまったが、相手側から同じ期待をされて文化の違いに気付いたのである。 
 
違和感に気づいてアリサから聞かなければ、今日は惨劇となっていたであろう。 
 
 
「日本ではこの日、女性から男性へチョコレートを贈るのだそうだな。義理だの何だのと全く、浮ついたものよ」 
 
「ははは、ドイツでは義理チョコの風習はないらしいな」 
 
「当然だ、馬鹿者。二心のある贈り物など、紙屑にも劣るわ」 
 
 
 相変わらず大袈裟な言い方だが、気持ちとしては一般的な常識の部類なのだろう。日本のバレンタインの方が、軽く雑多な習慣に成り下がっている。 
 
バレンタインそのものを否定する気は全然ないのだが、この我侭な吸血鬼でもこれほどまでに大切にしている日なのだ。日本に比べて、とても神聖なのだろう。 
 
まあ難しく考えずとも、喜んでくれたのなら素直に満足しておこう。 
 
 
「お前の気持ち、しかと受け取ったぞ。私から褒美として、美味しいお菓子を用意してある。ありがたく、食べていくが良い」 
 
「……そのお菓子、まさかチョコレートとか?」 
 
「ふ、ふん、私も食べたかっただけだ」 
 
 
 そっぽを向きながらも否定しないのが、何とも可愛らしい。自分で用意したのか、召使に用意させたのか。どちらにしても、こめられた気持ちに違いはあるまい。 
 
ありがたく、ご馳走になることにした。 
 
 
Alles Gute zum Valentinstag―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――ロシアにおけるバレンタインデーは、恋人達の祝日とされている。 
 
 
 
 
 
「行かない」 
 
『えええっ!? どうして、どうして!』 
 
「何故寒い日本を離れて、極寒の地に行かねばならんのだ」 
 
 
 バレンタインデー、日本は気候に恵まれず大雪だった。海鳴は比較的温暖な地方なのだが、今日に限って寒波が吹き荒んでいる。外出好きな俺も、今日は部屋に引き篭もっていた。 
 
ファンヒーターで素敵に温もっている部屋で、コンピューターを使用した国際通信会話。ネットという技術を使用して、アリサがロシアへの極秘回線を繋いでくれていた。 
 
何しろ通常回線では危険過ぎる相手と、今会話をしているからだ。外部に漏れると、色々な意味で社会が荒れてしまう。 
 
 
ロシアの裏社会を支配する、女マフィアがお怒りでおられるのだ。 
 
 
『うふふ。今度はどの女と浮気する予定なのですか、貴方様』 
 
「人聞きの悪い事を言うな! 理由は今、言った通りだろう」 
 
『それほど寒いのでしたら、心ゆくまで私が温めて差し上げますわ』 
 
「お前ほどのいいオンナでも、ロシアの寒さには勝てないと思う」 
 
 
 ディアーナ・ボルドィレフ、クリスチーナ・ボルドィレフ。無邪気にして最悪のロシア姉妹が、パソコン画面の向こう側で不機嫌な顔を並べている。 
 
ロシアどころかヨーロッパ大陸全土で幅を利かせている彼女達だが、プライベートでは意外と慎ましい。我侭は決して言わず、常に俺を立ててくれる。 
 
バレンタインデーの今日も事前に約束はしておらず、彼女達からもゴリ押しはされなかった。ただ純粋に、好意で誘われただけである。 
 
なので断ったのだが、怒られてしまった。こういうところが、女心が分かっていない最たる原因なのだろう。 
 
 
分かってはいるのだが、それにしても無茶が過ぎる。 
 
 
「気持ちだけ、ありがたく受け取っていこう。二人にこれほど大事に想われて、俺は幸せだよ」 
 
『ファンヒーターから離れて言って下さいね、そういう大事な言葉は』 
 
 
 うむむ、一時期は真冬で野宿していた頃もあったというのに。海鳴町で人並み以上の温かな生活を過ごして、心も体も弱くなってしまったようだ。 
 
極寒の夜に外で眠って風邪も引かない丈夫な身体は萎えてしまったが、代わりに何者にも代えがたい温かな存在を手に入れられた。 
 
明るく無邪気で、天使のように愛らしい少女はふくれ面をする。 
 
 
『ウサギ、今からでもいいからこっちにおいでよ。ウサギのためにね、あまーいお菓子をいっぱい用意したんだよ。 
二人でぬくぬくゴロゴロしながら、一緒に食べよう』 
 
『そうですよ。私も手作りに挑戦してみたんです。よろしければ、食べてみて下さいな』 
 
 
 ロシアンマフィアという背景さえ無ければ、異性が放っておかないであろう麗しき姉妹。心まで蕩けそうな甘い微笑みを向けられて、陥落しない男などいないだろう。 
 
俺も寒さで震えてはいるが、人並みの男だ。仏様じゃあるまいし、煩悩だって滾らせている。これほど熱烈に誘われて、心がぐらつかないはずがない。 
 
 
――事情が、無ければ。 
 
 
「鉛玉まで食うつもりはねえ。お前らはまず俺より、敵組織のチンピラ共を相手しろよ」 
 
『大丈夫だよ、ウサギ。銃撃戦なんて慣れたもんだよ』 
 
『家まで無事に辿り着ければ、秘蔵のワインも開けますから』 
 
『ね?』 
 
「ウザッ!? そっちの抗争が終わりそうな春頃に、遊びに行ってやるよ」 
 
 
 愛より命が大切である。 
 
 
С днём Святого Валентина―― 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――アメリカのバレンタインでは、お返しを期待してはいけない。 
 
 
 
 
 
「うわっ! どうしたんだ、そのバラの花束!?」 
 
「お得意様からの戴き物ですの。行く先々で贈られて、正直参っていますわ」 
 
「うぐぐ……あ、兄上、助けてくれ……」 
 
 
 カレン・ウィリアムズと、カイザー・ウィリアムズ。アメリカ大富豪の姉弟と最初に出逢った時も、姉の荷物を弟が盛大に持たされて歩いていた。その当時の光景が、頭に浮かんでしまう。 
 
アメリカのバレンタインデーはドイツと同じく、男性が女性にプレゼントを送る日である。女性が尊重され、男性が恋に励む時間。この日は男が頑張らなければならない。 
 
 
そして何より特筆すべきなのは、ホワイトデーがないのである。アメリカでは、女性の一人勝ち。カレンの住む国は、相応しいと言えるかもしれない。 
 
 
男性はバレンタインデーにプレゼントを贈り、ディナーに連れて行くのがお決まりとされている。だからこそ日頃の支援の感謝を込めて、スケジュールを立てていた。 
 
そんな俺の不器用な準備も、カレンお嬢様のマイペースぶりには叶わなかった。さすが世界会議で唯一完全には勝てなかった女、只者ではない。 
 
 
何と、突然日本へ乗り込んできたのである。 
 
 
「本当にわざわざ来てくれたんだな。メールでいきなり待ち合わせの日時を送ってきて、仰天したよ」 
 
「うふふ、お気遣いなく。商売も兼ねておりますから」 
 
「その大量の贈り物を見れば、誰でも分かる。弟は毎度荷物持ちなんだな、気の毒に」 
 
「一応、重宝はしているのですわよ。秘書役も兼ねて、連れてまいりましたので」 
 
 
 姉の自慢気な物言いとは裏腹に、弟は目の前も見えない山のような贈り物に四苦八苦させられている。気の毒としか言いようがなかった。 
 
思い出してみれば爆破テロ事件のあの時、爆弾が仕込まれていたサッカーボールを持っていたのは弟だった。当時から、姉のことで苦労させられていたようだ。 
 
愛を囁き合うこの日でも、金儲けを忘れない女。色気も何もあったものではないが、ビジネススーツではなく、外出用にコーディネートした服装でこうして訪れたのは流石といえる。 
 
 
隙のない洗練されたファッションは、仕事帰りとは思えないほど彼女を華やかに飾り立てていた。 
 
 
「今日は、王子様の貴重な時間を下さって感謝いたしますわ。絶対に、後悔はさせませんから」 
 
「おいおい、日本に合わせる必要はないぞ。今日くらい、俺がエスコートするよ」 
 
「とても魅力的なお誘いですけれど、王子様に気苦労をかけるつもりはございませんわ。今日は突然の来訪ですもの、せめて私が王子様を楽しませなければ顔が立ちません」 
 
 
 ――敵わない、心底そう思う。自分の我儘で押しかけたのだから、せめて自分がエスコートしなければ申し訳が立たない。 
 
その理由を作るために、今日の段取りを仕立てあげたのだ。多分事前にアリサから俺の今日の予定を聞いた上で、突然の来訪劇を仕掛けたのだろう。 
 
ここまでされると強引さに怒るよりも、そのワガママぶりに魅了さえされてしまう。ここまでやってのけてこその、いい女なのだろう。 
 
 
勝てそうに、なかった。 
 
 
「カイザー、貴方はもう帰っていいわよ。その荷物は、好きにしていいわ」 
 
「……あまりにも酷すぎて、俺が泣けてきた。カイザー、アリサに連絡入れとくから俺の家に寄っていけ。美味いココアを飲ませてやるよ」 
 
「うう……ありがとう、兄上」 
 
 
 ――HAPPY VALENTINE。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<終> 
 
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