エッフェル塔の花嫁花婿
資本主義社会とは、力の世界である。能力があって仕事が出来る人間だけが出世して、人の上に立つべき地位を身につけていく。実力だけが物を言う、世界。甘えは許されない。
幅広い分野や多種多様な人間がいる分、弱肉強食が原点の剣の世界よりもシビアかもしれない。剣士において弱者は斬られるのみだが、労働者において弱者は死ぬまでしゃぶり尽くされる。
特に、女性は偏見を抜きにしても男性よりも厳しいであろう。強さこそ最上である剣士はある種男女平等だが、経済社会では女性は男性よりも冷遇されがちだ。
『ごめんなさい、どうしても抜けられない仕事が入ってしまったの』
「そうか、仕方ないな」
この程度の認識、俺如きが解釈せずとも優れた女性なら頭の中にしっかりと根付いている。キャリヤウーマンと呼ばれる女性達は、ひ弱な男よりも生物学的にも優れている。
ビジネス社会での成功者に、男も女もない。高い地位に相応しいファッションセンスも身に着けており、堂々とした物腰は多くの男性を惹きつけていく。
彼女達の人生に、妥協はない。けれど、完全に一致した場合には時間の両立は出来ない。
『本当にごめんなさい。去年も、貴方との約束を破ってしまったのに』
「気にしていないよ。忙しいのは、よく理解している」
高学歴で頭がよく、世界を代表する大手優良企業に採用されるだけの育ちの良さと教養。身なりも洗練されている才色兼備の女性、美人キャリアウーマン。
大勢の人間が、大手企業が、世界の権力者達が必要としている存在。望まれる以上の成果を出せる人間は、常日頃から結果を求められてしまう。
たとえ、今日がクリスマスであっても。
『昨日のクリスマス・イブも断って、埋め合わせすると言ったばかりなのに……貴方が怒るのも当然だわ』
「いや、怒ってはいないから。落ち込んではいるけどな」
そして経済社会に唾を吐く落ちこぼれ男は、クリスマスの夜に街中で一人待ちぼうけ。買ったばかりの、二つの缶コーヒーだけがポケットの中を温めてくれる。
携帯電話を片手に、人差し指で缶コーヒーを開けて飲む。ブラックコーヒーは苦味が強いが、舌に馴染むと缶コーヒーでも味わい深い。
真っ黒なコーヒーを飲んでいると、空から白い雪が降ってきた。ホワイトクリスマス、恋の神様は意外と残酷らしい。
『通常業務ならば後回しにも出来るのだけれど、来月行われる長老会議で深刻な問題が発生しているの。私が調整しないと、大勢の人間に迷惑をかけてしまう』
「会議なんて聞くと、初めて海外に行った時の事を思い出すな」
『実質あの時が貴方と私との馴れ初めでもあったわね、良介』
「あの時の功労が認められて世界会議列席者の一員になったんだよな、さくら」
綺堂さくら、彼女ほどの人間でも恋と仕事は両立出来ないものらしい。各国を代表する権力者達相手にも毅然とした態度で挑む彼女が、申し訳なさそうに俺に謝っている。
クリスマスの夜。急な仕事で忙しい彼女と、街中で一人缶コーヒーを飲んでいる男。どちらが幸せなのか、分からない。どちらが立派なのかは、言うまでもないが。
さくらはいつも、仕事が忙しい。それこそ、恋愛する時間もない。また才色兼備であるがゆえに、普通の男性は気後れして近付けない。
加えて夜の一族の女ともなれば、結婚相手も相当限られてくる。結婚適齢期を過ぎつつある彼女には、悩みの種でもあったようだ。
「俺と話している時間はあるのか? メールでも良かったのに」
『貴方と約束したのも、貴方との約束を破ったのも私なのよ。メールで一言なんて真似は出来ないわ』
歳の差に加えて、才覚の差もある彼女。恋人同士になったのは、何時の日だったか。きっかけは明白なのだが、記念日なるものはない気はする。
彼女とは当初、というか今でも仕事を通じて知り合った。仕事といっても経済活動ではなく、最初は大人が子供に頼む手間賃程度のバイトでしかない。
仕事の難易度、密度が濃くなるに連れて、人間関係も深まっていった。ビジネスライクな結び付きだったのに、気が付けば身体まで繋がっていた。
すれ違いは、非常に多い。価値観の違いでも、よく喧嘩もする。人間関係でも些細な衝突が多く、やきもち焼きの彼女にはよく怒られている。
仕事上での関係なんて、意外と簡単に途切れてしまう。会わなくなれば、それまでだ。学生同士でイチャついている方が、まだ仲がいいだろう。
気持ちのいい関係では、決してないと思う。打算だってある。子供のような清々しい恋愛ではなく、結構ドロドロしている。嫌な感じにネバついていて、他人から見れば醜悪だろう。
「そういう生真面目なところは好きだぞ、俺は」
『そ、そう……? 当たり前のことなのに――でも、ありがとう』
さくらは、恋愛結婚を夢見ている。俺は、望んでいない。自分と彼女の差を顧みると、どうしても逡巡してしまう。分かっている、これもまた焼きもちだ。
本当に許しているならさっさと電話を切ればいいのに、未練たらしく彼女と話している。仕事に開放してやればいいものを、今もこうして煮え切らない態度を取る。
難しい――白馬の王子様とのロマンティックな結婚を望むさくらと、プロポーズのタイミングにウジウジ悩んでいる俺。どちらが子供で、大人なのか。
「年末は会えそうかな、正月でもいいけれど」
『年の暮れは二人で過ごしましょう。世界中の誰にも、文句は言わせないから』
「ひゅー、恐ろしい女だ。ブルっちまう」
『今さら離れようとしても無駄よ。貴方の匂いは、覚えているもの』
時間は決して途切れないが、永遠ではない。俺達にはこの先長い時間が用意されているが、不意に切れてしまう事だってある。
この関係は、いつまで続くのだろう。友達から始まって恋人、夫婦になってもまだ続く。形がどんどん変化していくのに、心まで変わらないと言えるのか。
踏み出すのを怖がっているのは、変わるのを恐れているからなのか。さくらはきっと、俺に手を引いて欲しいのだろう。
彼女はずっと、健気に待っていてくれている。忙しい時間の間に、その才覚で俺との時間を可能な限り作って。
「ごめん」
『どうして、貴方が謝るの?』
「クリスマスプレゼント、実は用意していなかった」
『……いいのよ。私も、用意できなかったから』
嘘つき、心の中で吐き捨てる。絶対に、用意していた。どんなに遅れても、彼女はとびきりの贈り物を俺にくれたのだから。
俺のポケットにも、ラッピングされたプレゼントがある。冷えきってしまった、彼女への贈り物。実際に会っても、渡せるかどうか分からなかった俺の気持ち。
斬るのは簡単なのに――繋がるのは、どうしてこんなにも難しいのか。意気地なしと、恋の神様も笑っている。
「埋め合わせはするよ」
『だから、それは私の――』
「今度会う時、手をつないでデートしよう。人目を気にせずに」
『……、――!?』
缶コーヒーを飲む。人を斬るよりも難しい事があるなんて、知らなかった。照れ臭くて、仕方がない。緊張で、胸が弾けてしまいそうだった。
ちくしょう、どうしてこんな女を選んでしまったのか。鈍感で、ウスノロな奴ならば絶対に気付かない。見え見えであっても、表面上で受け取るだろう。
綺堂さくらには、簡単に見破られてしまう。
『っ……え、ええ、そうね……しっかりと、指を絡めて歩きましょう』
「ああ、そうしよう」
左手の薬指のサイズくらい、事前に調べておけばよかったな。全く、俺という男は気が利かない。
『絶対に離さないでね、私の手を』
「当たり前だよ。どんなに長く生きていても、お前の手だけは離さない」
空を、見上げる。過ごす時間も、場所も違うけれど、同じ世界で生きている。今この時だけは、二人っきりの時間を過ごしている。
いずれ満足できなくなるだろうけど、今はせめて充実した時を過ごそう。ホワイトクリスマスの夜も、仕事で忙しい彼女を愛しく思いながら。
「メリークリスマス、さくら」
『メリークリスマス、良介』
白い息を温かく吐いて、束の間のおしゃべりを楽しんだ。聖なる夜に許された、二人だけの時間を。
こんな関係でも――俺達は、それなりに幸せだった。
<終>
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