キャンディード
今では世界各地に友人知人がいて交流を結んでいるが、あいつら達と知り合うまでは祖国である日本でもバレンタインデーには関わって来なかった。
関わりたくなかったと言い換えてもいいかもしれない。孤児院時代、母親代わりの女には確かにチョコレートを貰ったが、そのチョコを買いに行かされたのも俺である。
信じられるか? 貰う側がバレンタインチョコレートをわざわざ買いに行ったんだぞ、有り難みもクソもありはしねえ。
猛抗議してやったのだが、ひと睨みで黙らされた。
「アタシはあんたのお母さんであって、恋人じゃない」
「ははおやでもねえよ、ぼけ」
「口が悪いわね、本当に。躾がなっていない」
「まったくそのとおりだ。こころのそこからさんせーしてやろう」
「母親の責任として、厳しく教育するべきね。チョコレートも自分で買いに行かせよう」
「おれがかうのかよ!?」
「シガーレットチョコと、自分の食いたいチョコ。どっちがいい?」
「……おかねをください」
当時――多分今もだろうけど、孤児院の経営状態は悪かった。裕福な孤児院なんぞお目にかかったことがないが、俺が居れられていた孤児院も生活環境まで貧しかった。
親に捨てられる子供なんぞ大抵ロクでもねえし、捨てられたガキを育てようなんぞ思う大人も大馬鹿だ。生ゴミとして捨てられた俺は、掃き溜めの中で育った。
それでも大人になれたのは、単に運が良かったの一言だろう。幸福ではなかったが、不幸だと思った事も一度もない。孤独が好きな人間に、家族なんぞいらなかった。
海鳴町では相当変わり者な俺だが、孤児院の中では珍しくはなかった。よりにもよって親に捨てられたのだ、赤の他人を好きになれる物好きは居ない。
他人の価値が分からない環境だと、自分勝手な人間ばかりが増える。穀潰し揃いの中で運の良い奴が親切な大人に拾われて、孤児院を出て行った。
孤児院もまた弱肉強食、残った人間が強者か弱者か、定かではない。
「"こんぺいとう"も、でていったわね」
「あいつ、おまえのことがすきだったんだぜ」
「しってた。だから、きらいだったの」
「ちょこれーとくらいやればよかったのに」
「はい、これ」
「おれに?」
「みればわかるでしょう」
「かじったあとがくっきりとな!」
他人を名前で覚えず、食べ物で適当に呼ぶ――デブという女は多分、強者の部類に属するのだろう。
男勝りな性格に加えて、男を凌駕する図体。食事の量が多いのではない。美味しいものを食べているのではない。こいつはずっと、デカかった。
だから、強い。何の技術もない子供時代、身体さえデカければ最強だった。男を押しのける強さは性格まで尖らせて、野心に肥えさせた。
俺は他人が不要で近づけなかったが、アイツは他人が嫌いで近付けなかった。孤児の中で最強だった女は、親に捨てられたという事実一つで人間を捨てた。
そんな女が俺にチョコを渡したのは食べ残しで、たまたまバレンタインだっただけだった。
「これ、あげる」
「……なんですか、このちょこれーとをたべているまんがは」
「しゅじんこう、ゆー。ひろいん、みー」
「……ちょこれーとたべたおれ、しんでるんですけど?」
「あんしんしていい。みーもこのあとたべる」
「めでたしめでたしにしろよ!」
自分の世界を彩って、食べ物でさえ絵で表現する――ガリという女は多分、弱者の部類に属するのだろう。
地道で暗い性格に加えて、丸々とした赤ん坊よりやせ細った図体。食事の量が少ないのではない。不味いものを食べているのではない。こいつはずっと、ガリガリだった。
だから、弱い。年上どころか、年下にも負けていた。誰にも勝てない弱さは性格まで脆弱にして、心まで痩せ細っていた。
俺は他人が不要で近づけなかったが、アイツは他人が怖くて近付けなかった。孤児の中で最弱だった女は、親にさえ捨てられたという事実一つで人間を怖がった。
そんな女が俺にチョコレート漫画を渡したのは、バレンタインでも何も持っていなかったからだ。
『いまにみてなさいよ、チョコをもらえてうれしいオンナになってやるわ』
『おれよりおもいおんなはおことわり』
『わたしのまんががうれたら、いっぱいちょこをたべさせてあげる』
『おれよりかるいおんなはおことわり』
『すりむになってやる』
『ぐらまーになる』
あの頃の俺達は不幸ではなかった、幸福でもなかった――だから、人間ではなかった。
幾つかの理由で俺は孤児院を脱走して、あいつらは孤児院に最後まで残っていた。世界は愛に溢れていたというのに、俺達は愛を知らずに生きていた。
親の愛を知らない人間は大抵、長生き出来ない。集団に生きられなくなり、孤独を選んでしまう。今の世の中一人でも生きていけるが、生き続けるのは無理なのだ。
俺は他人と繋がることを選んだが、あいつらはどうしているだろうか。確証は何もないが、恐らく生きている。最強と最弱は世の中から取り残されても、生きていける。だから、人ではない。
希望は、持っていない。海鳴は例外中の例外で、他人なんて大抵は自分一人で精一杯。デブもガリもきっと今も他人を無視して、一人で勝手に生きている。
いずれ孤独に、くたばるまで――誰かに、手を差し伸べられるまで。
会いたいとは別に思わないが――次に会ったら、本物のチョコレートを渡してくれることを願っている。
<終>
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