眠れる森の美女
むかしむかし、あるところに、継母に虐げられる一人の小さな娘がおりました。
父の妻であり、娘と血の繋がっていない継母は、自分の連れ子を溺愛しておりました。我が子を愛するあまり、我が子でない娘を虐待したのです。
やがて継母は娘を家から追い出して――冬の寒い野へと、捨ててしまったのです。
――西暦、1700年頃。
初代のロシア皇帝であるピョートル大帝がロシアをヨーロッパ列強へと推し進めた際、ドイツよりモミの木を飾る風習が伝わったとされている。
ただ当時のロシアではモミの木は死の象徴とされており、敬遠した人々は家の中には絶対に持ち込もうとしなかった。公の場に初めて飾られたのも、100年以上経った1852年だったのだ。
サンクト・ペテルブルグのエカテリーナ駅構内に飾られた、大きな木。聖夜に祈る風習が浸透していないロシアでは、この木をクリスマスツリーとは呼ばない。
クリスマス文化の始まりを祝して、ヨールカと呼ばれる。
「そこで今年のクリスマスプレゼントは敢えて、クリスマスツリーとした」
「なるほど、異国の良き文化を親しい女性に伝えようというのか。日本人らしい粋な贈り物だな、リョウスケ」
夜の一族の長カーミラ・マンシュタインが支配するドイツを経由して、クリスマスイブの夜に辿り着いたのはこのロシア。
空路を利用して、ヨールカの原型であるクリスマスツリーをこのロシアへと輸入。ドイツではキリスト教以前からモミの木を飾る風習があるが、ロシアにはあまり見られない。
殺風景などと、外国の文化を軽視するつもりはない。そもそもの話、ロシアのクリスマスは、ヨーロッパより約2週間遅れの1月7日なのだ。
分かっていながら、俺達はクリスマスイブの夜である12月24日に入国した。
「しかし何故、日本のクリスマスイブの夜に合わせたのだ?」
「ロシアのクリスマスに合わせると、ディアーナとクリスチーナが大喜びするではないか」
「親しい女性が喜ぶのであれば申し分ないではないか」
「甘いな。今年喜ばせると、来年は期待させてしまう。俺はあいつらを驚かせたいのであって、喜ばせないのではない」
「人間関係を維持する上で、常に相手を喜ばせるだけでは駄目なのだな。君にはいつも学ばされる」
「……」
――夜天の魔道書の管制人格、マスタープログラムの女性。かつて夜天の人と呼んでいた女性が、クリスマスイブの夜に俺と共にロシアの地へ訪れている。
贈り物であるクリスマスツリーの空輸という大胆な運送手段を用いることができたのも、この人の協力あってのことだ。ドイツ(夜の一族)経路を利用したが、日時が間に合ったのはこの人のおかげだろう。
何度も言うが、この人の全面協力があってこそである。クリスマスイブ、聖夜を過ごす相手を大切な家族ではなく、俺のパートナーとして付き合ってくれている。
他に人手がなかったのではない。あろうことか、この美しき女性が進んで申し出てくれたのである。
「ロシアではサンタクロースではなく、ジェド・マロースと呼ばれているのか」
「文化の違いは軽く教わった程度だが、衣装はきちんと着つけてもらっているぞ」
「うむ、なかなか似合っている。リョウスケは時に凛々しく、時に可愛げのある人だから、そうした優しげな衣装も似合う」
「お、おう、ありがとうよ……ところで」
「言いたいことは分かる。私の衣装はジェド・マロースの孫娘、スネグーラチカらしいな。雪の精霊というのは、私のような女にはあまり似つかわしくないな」
「いやいやいや、アンタほどの容姿で卑下するのはバチが当たるぞ!?」
「そ、そうか、そうだな……これはリョウスケが用意してくれた衣装だ。君が仕立ててくれた衣装に、間違いなんてあるはずがない。私はきっと今晩、このロシアで誰より美しい娘なのだろう」
「上げ下げが激しいな、おい!?」
――あの聖地での戦乱後、この人は法術使いである俺への警戒を一切やめた。ただそれだけならば一歩前進で済むのだが、この人は良くも悪くも極端だった。
冷静沈着なのは思考面での話だっただけで、警戒を問いたこの人は素直へと変貌した。素直になったのではない、素直な性格へと文字通り変貌してしまったのである。
俺のやることなすこと全て必ず正しいのだと決めてかかり、俺の言うことは必ず聞き入れ、俺の願いはどんな事であっても叶える。服を脱げと言われれば脱ぐし、着替えろと言われれば目の前でも着替える。
冗談で用意したスネグーラチカの衣装にも、素直に受け取って着替えた。衣装を用意させたアリサは、「クーデレはツンデレの敵」だと意味不明に憤慨していた。
「そういえばローゼ――イレインが、トナカイの役を志望したぞ。置いてきてよかったのか」
「今日の俺はサンタクロースではなく、ジェド・マロースだ。トナカイ役は必要ない」
「私を選んでくれたのは嬉しいが、少し心苦しい。あの子も君を大いに慕っている」
「あいつはかまうと図に乗るので、適度に接しなければならん。クリスマスは、俺の笑顔で十分だ」
「私も君の笑顔一つで充分幸せだ」
「そ、そうか、何だか照れくさいな」
ロシア名物の雪明かりに照らされた銀髪の女性の微笑みは想いに溢れており、見つめられるだけで居た堪れなくなる。素直な人には、ツッコむ余地が全く無い。
俺の周りの女性は一癖も二癖もある連中ばかりなので、逆に会話が成り立っていると言える。そもそも本来、俺は他人と和気あいあいと会話する男ではないのだ。
忍を蹴ったり、ローゼを殴ったりする会話が日常茶飯事なので、素直に好意を向けられてしまうと恐縮してしまう。
恥ずかしいので、とっとと行動に出ることにした――
親に捨てられてしまった小娘は絶望し、泣き崩れました。冷たい風に吹き付けられる娘、絶望に濡れる彼女の前に現れたのがジェド・マロースだったのです。
ジェド・マロースは、小娘に問い掛けました――お前は今、暖かいのか?
問われた娘は、答えました――"暖かい"です。
何度同じ問答を行っても、何も変わりません。娘の返答を聞いたジェド・マロースは毛布や食料を与えて、この小さな娘を生かしたのです。
まずはロシアンマフィアのボス、ディアーナ。ロシア正教ではユリウス暦という古い暦を使っているため、12月24日は普通に仕事をしていた。
カレンとは違い、俺の言葉は常に疑わない彼女は、クリスマスイブの夜は忙しいと言う俺の嘘を真に受けて、黙々とビジネスを行っている。暇だと言っていたら、朝まで付き合わされただろう。
ただし、今日の俺はジェド・マロース。起きているロシアンマフィアの美女には、用はない。
「クリスマスプレゼントを贈る。ターゲットを寝かせてくれ」
「任せてくれ」
深夜自室で過ごすロシアの女性を魔法で眠らせて、護衛や部下達の警戒網を潜り抜けてマフィアの家を襲撃。この一連の襲撃を、何の疑問も挟まず行ってくれた。
彼女にとって、汚れ仕事という自覚もないのだろうか。唯々諾々と従ってくれるのは嬉しいのだが、思い通り過ぎると自分の行動に自分で疑問を感じてしまう。
我が娘シュテルも大概俺のイエスマンに成り下がっているが、あいつだって一言くらい指示確認をするぞ。いいのだろうか、こんな素直な女性を悪事に加担させて。
あまり警戒されるのも息苦しいが、何でも聞いてくれるというのも何だかちょっと怖い。絶世の美女だけに、余計に男として心配になってしまう。
「――ヨーロッパ大陸を震撼させる恐怖のマフィアと聞いているが、可愛らしい一面もあるのだな」
「どういう事だ?」
「彼女のオフィスディスクの上に、君の写真が置かれている」
静かに眠りについている女性、椅子に座ったまま寝息を立てる彼女の前には俺の写真が立てられていた。
ドイツで同居していた頃、懇願されて撮影した三人の写真である。ディアーナとクリスチーナ、ロシアの姉妹に挟まれて立っている強面な俺。
思い出は少しも色褪せず、今も濃密な人間関係を続けられている。裏社会を恐怖と暴力で支配しながらも、女性の心は常に暖かく保ち続けている。
寝顔は、とても無垢だった。まるで俺を歓迎するように、安らかに緩んでいる。
「それでも容赦なく、クリスマスツリーを立てるけどな!」
――突然寝落ちして、起きた瞬間部屋の真ん中においてあるクリスマスツリー。異文化の象徴を目の当たりにして女が真っ先に感じるのは歓喜ではなく、恐怖だろう。
真冬の怪談に等しいが、彼女は仮にもロシアンマフィアのボス。恐怖より先に、真相究明に移りそうではあるが。
クリスマスカードを置くのはやめておく。俺に惚れている分際で、ミステリーが起きれば真っ先に俺を疑うからだ。真犯人だけど。
「君の真心だ。部屋の真ん中においておけば、彼女もきっと喜ぶだろう」
「……本気で、そう思っている?」
「無論だ。私ならきっと、君の真心に歓喜する」
――どうしよう。疑心暗鬼な人間であればカウセリング出来るけど、その真逆だった場合どうやって治療できるのだろうか?
ひどい裏切りをかましてやれば良いかもしれないが、心苦しい上に程度次第では涙を呑んで受け入れそうな雰囲気が今の彼女にはある。
不審な女は今まで数多く相手にしてきたが、これほど素直な女を相手にするのは初めてだ。可愛らしさに、身悶えしてしまう。
次だ、次――
小娘は無事に生還して、その後幸運に恵まれた幸せな人生を過ごしました。
幸ある人生を送る娘を見て、継母は自分の連れ子にも同じ祝福を与えるべく、連れ子を敢えて外に解き放ってしまったのです。
冷たい野で連れ子もまたジェド・マロースと出逢い、問答を行います。
ジェド・マロースは、小娘に問い掛けました――お前は今、暖かいのか?
問われた連れ子は、答えました――"寒い"です。
何度問われても、性格の悪い連れ子は「寒い」と一点張りで要求。執拗に、執拗に、自分の幸せを求めました。
連れ子は、凍死しました。
クリスチーナの部屋に、警備はいない。助ける人間を、破滅させてしまう。
クリスチーナに、護衛はいない。守る人間を、壊してしまう。
クリスチーナに、睡眠はいらない。幸せな夢を、悪夢にしてしまう。
「zzz……」
「くそ、鋭い奴だな」
「眠っているのなら、好都合じゃないか。何を問題としている?」
「眠っているから問題なんだ。無意識だろうけど俺の訪問に気付き、安心して眠ったんだよ」
ジェット・マロースは元々冬の神様、孫娘であるスネグーラチカは冬の精のような存在。扮装する俺達とは違い、本物の冬の精霊は愛らしい寝顔を見せている。
彼女のベットには俺を模したぬいぐるみ、彼女のおもちゃ箱には俺が作った玩具の数々、甘いお菓子や可愛い服が散乱。実に可愛らしい子供の部屋だった。
初めて訪れた時は無造作に銃器が散らばっていたが、見る影もない。もっとも何もないのではなく、表面上には見せていないだけ。牙は常に、尖らせている。
今まで剥き出しだった殺意は、ふんだんに溢れる愛に隠されてしまっていた。
「今まで多くの人間を破壊してきた殺人姫とは思えない、可愛らしい子供だな。人をここまで変えてしまう君の魅力こそ、本当の魔法なのかもしれないな」
「勝手に改心した感があるんだけどな、俺の中では」
俺は彼女と出逢い、殺し殺されて、最後は血を奪っただけだ。本当の悪鬼であれば、俺如きが関わった程度で改心なんてしないだろう。
もともと優しい少女だったクリスチーナが、マフィアのボスである父によって血に染められたのだ。殺人の素養があるから、殺人姫になるとは限らない。
今も優しい子供は戻っていない。我儘で気まぐれで、残虐なのは何も変わらない。ただ――
他に、楽しいことを見つけたからだ。
「どれほどの悪党であろうと、自分より大切なものができれば変わるさ――俺やアンタのように」
「――そうだな。自分より大切なモノを見つけることが、生まれた意味なのかもしれない」
自分の幸せだけを追って生きるのは、決して悪くない。誰もが皆、最初はそう思って頑張っている。誰だって、自分が大切だ。
ただ自分本位で生きていれば、自己完結して終わってしまう。必死で生きて、世界を見渡して、そして出会うのだ――自分以外の、他人に。
そして自分と同じく、あるいは自分以上に大切なモノが見つかれば――それは何よりの、記念となるだろう。
「私にとって大切なのは、君だぞ」
「そこはせめて、はやてと言って欲しかった」
ただ何でも素直に言えばいいというものではない。
<終>
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