男たちはいつもつまみ食いしたがる
日本の正月は、一月一日。一日の始まりは午前零時。夜更けに差し掛かる時刻であるが、日本人であれば年が明けるまで起きている。この日この時だけは、子供も夜更かしを許される。
我が宮本家は家族全員良い子ばかりなので、家庭内規則は基本的に緩い。夜更かしも普通に許しているのだが、良い子ばかりなので早寝である。早寝早起き元気な子ばかりなのだ。
ゆえに、大晦日の神聖なる夜でも眠りについている。床に就いているのではない。年が明けるまで起きられず、こたつの中で寝てしまうのだ。
「――寝静まったな」
「おー」
「静かに。声を出さず頷くのだ、愛娘ナハトよ」
コクコクと頷く良い子ちゃんを撫でてやると、目を細めて擦り寄ってくる。うむうむ、今年も実に良い子であった。年が明けたら、お年玉を上げよう。
我が家は清貧がモットーな愛情家族なので、金を与えてもあまり喜ばない。ナハトヴァールにはいつも日本古来の良い子伝統である、白餅を入れたお年玉袋を上げている。
大きい餅を入れてあげると大はしゃぎして抱き着いてくる、可愛い子なのである。若干教育に問題があるとすれば、袋ごと平らげてしまうことだろうか。
ナハトはいつも通り、俺の背中によじ登ってくる。親子合体、無敵の取り合わせである。
「……zzz……あははー、パパがママに囓られてるー……zzz……」
「意外と肉食系だからな、あのマフィア――モゴっ」
「しー」
よだれを垂らしてこたつの上に突っ伏す、カミナリ娘。紅白歌合戦よりパパとのババ抜きデスマッチに興じたレヴィが、勝利の余韻に浸って眠り込んでいる――負けましたよ、ええ。
レヴィの幸福な夢に思わずツッコミを入れてしまったが、ナハトのカバーにより難を逃れる。さすが我が娘、サポートもバッチリだ。
カミナリ娘も今、夢の中で幸福を追い求めている。父である俺も、負けてはいられない!
「行くぞ、ナハト。大鍋に詰まったお雑煮が俺達を待っている」
「――!」
父の言い付け通り声は出さず拳を振り上げている、背中に居るのでよく見えないけど。ともあれ憩いの居間をこっそり抜けだして、台所へと向かう。
大晦日の夜は家族全員こたつに入って、紅白歌合戦。歌を聞いているのではない、歌をBGMに賑やかに会話をして、最後は子守唄代わりとなるのだ。
大御所の演歌は日本国民を感動させる素晴らしき歌謡なのだが、我が家にとっては眠りを誘う童謡に過ぎない。日本の良き演歌を知るには、我が娘達はまだ幼い。
だが、今はその幼さに助けられているといえよう。お正月に食べるご馳走が、無防備に置かれているのだ。
「これはつまみ食いではない。大切な娘の手料理を味わう、父の愛なのだ」
「――!」
――ナハトを連れて行きながら何を言っている、とアリサあたりが怒りそうだが、奴は今この家には居ない。大晦日は家族水入らずと変な遠慮をする、律儀なメイドなのだ。
食への貪欲さにおいて、ナハトの右に出るものはいない。何でも食べる元気な我が子は実に可愛らしいのだが、台所の敵にもなっている。
キッチンの冷蔵庫にはナハトの手配書(家族写真)が貼られており、許可無く開けることを固く禁じられている。我が家は基本自由なのだが、食には実に厳しい。
その門番も、今夜ばかりは寝静まっている。これはチャンスなのだ。
「昨今のゆとり教育、甘やかし世代の批判は我が家には当たらない。何しろ、俺という鬼の父親がいるからな」
「……?」
「疑問に思うか、我が娘よ。忘れたのか、食べ物とは常に奪い合いなのだ」
「――!?」
「ふふ、納得したようだな。そうとも、この世は弱肉強食。油断していると食われてしまうのだと、知るがいい。
これは新年早々我が娘達に送る、俺の教育なのだ!」
熱く拳を握ると、娘も呼応して拳を振り上げる。俺の教育に共感するとは、なんていい子なんだ。お年玉袋に、餅を二ついれてあげよう。
我が家は広いので、抜き足差し足忍び足では年が明けてしまう。良い子睡眠の娘達も、年が明ければ流石に起き出すだろう。食事は時間をかけて、ゆっくり味わなければならない。
ナハトを背負ってテコテコと仲良く歩いて行って、キッチンへと辿り着いた――が。
「お待ちしておりました、父上」
「シュテル、貴様……!?」
「がるるるー!」
キッチンの出入口で、ちゃんちゃんこを着たシュテルが待ち構えていた。しかもよく見ると俺が冬場着ている愛用ちゃんちゃんこである、男物を着るなと言いたい。
シュテルは見目麗しい女の子なのだがジジ臭いというのか、俺のシャツやズボンを勝手に拝借する悪い子なのである。洗い場担当だから、衣服は好き放題管理できる。
折角可愛い容貌をしているのだから、もうちょっと着飾ればいいのに。父の普段着をこの上なく愛用するダメな点がある。
俺達親子の前に、クールな我が右腕が立ちふさがる。
「何故、起きている。わざわざ俺の膝元に潜り込んで眠っていたはずだ」
「ですので、父が居なくなって目が覚めました」
「ぐっ、しまった!?」
「あうー」
そういえばこたつから出る時、ゴチンと変な音が鳴った気がする。俺の膝枕で熟睡する娘があまりにも可愛らしくて、ついこたつと間違えてぬくもりを感じてしまっていたらしい。
よく見ると、擦っている額がやや赤い。痛みもあって、不評を買ってしまったのかもしれない。厄介な奴を敵に回してしまった。
「つまみ食いは禁止ですよ、二人共」
「これはつまみ食いではない、味見だ」
「なるほど、分かりません」
「間接キス」
「商談成立ですね」
親指を立てて道を譲るシュテル、親離れしない駄目な娘である。卑猥な表現だが、ようするに一緒のお椀でお雑煮をつつこうと誘っただけである。
なのは達にはすごく意外に思われるのだが、シュテルはナハトより親にべったりな子なのである。世に言うツンデレなのではなく、スキンシップのやり方に距離感があるだけだ。
悪巧みそのものには興味はなく、父のやることは何でも全面賛成というだけである。それもそれでどうかと思うのだが。
愛娘シュテルを仲間にして、いよいよキッチンへ入る。お鍋は、キッチンのガスコンロの上に置かれている。
「父上」
「どうした、シュテルよ」
「愛娘が抜けております」
「何故、その点にこだわる」
「ナハトには先程そう呼んでおられました」
「聞いていたのか」
「この耳で、ばっちりと」
「自立心を促すものと、心せよ」
「ご冗談を。このシュテル、将来の夢を『父との事実婚』とするファザコンなのですよ」
「なんと微笑ましい。よかろう、言い直そうではないか」
「ありがとうございます、父上」
「して、どうした愛娘シュテルよ」
「鍋の上に、ユーリの置き手紙です。『つまみ食い禁止、お父さんとのイチャイチャ死刑』」
「注意されているではないか!?」
ユーリはぽやぽやした愛らしい我が子なのだが、〆るべき点は心得ているしっかり娘さんである。寝てしまった場合を想定して、こうして家族への戒めを告げるほどに。
シュテルは素直に愛情を求めてくるが、ユーリは遠慮がちに甘えてくる子。愛情にはそれぞれ形はあるもので、ユーリの愛情はお雑煮のように暖かくて甘い。
もうちょっと積極的になればいいと思うのだが、妹さんのようにトコトコついてくる可愛げはありだとも思う。うーむ、匙加減が難しい。
「いかがなさいますか、父上。手紙をどけなければ蓋が開けられません」
「娘の愛情をどけるなど、以ての外」
「さすがです、父上。また一つ、好きになってしまいました」
「おー!」
「ははは、可愛い事を言うではないか、娘達よ。とはいえ、諦めるつもりはない」
「と、申しますと?」
「手紙をお椀に入れるがよい」
「なるほど、愛情たっぷり召し上がるのですね」
「はっはっは」
――なんなのよこのヤギ親子、とアリサが呆れ返りそうだが、今この家に奴は居ない。ツッコむメイドが居なければ、親子揃ってやりたい放題なのである。
一緒のお椀で食べるのだから思いっきり巻き込まれるのだが、父の勧めであれば紙でもたいらげる良い子なのである。良い子に含めていいのか、疑問を持ってはいけない。
ユーリの手紙を空のお椀に入れて、いよいよ鍋を開ける!
「よし、食べるぞ!」
「いただきますを忘れておるぞ、父よ」
「ディアーチェの言う通り――だ……?」
恐る恐る振り返ると、鼻ちょうちんぶら下げたユーリを抱えたディアーチェが仁王立ちしている。我が娘に相応しき闘志が、実の父に向かって牙を向いている。
右を見る、シュテルが冷蔵庫の影に避難している。親子の愛より我が身を守る、自分本位な父の教えが育まれていた。
片手にユーリ、片手にお玉を持って、ディアーチェが鬼のような可愛い笑顔を見せてくる。人間怒り心頭になると、むしろ笑ってしまう。
「つまみ食いは禁止だと再三注意したはずだぞ、父よ」
「な、何故だ……何故お前まで目が覚めている!?」
「我を侮るでないぞ、父よ。名歌手の演歌よりも、父の美声に我が耳を傾ける!」
「くぅぅ、親への愛が日本の演歌に勝るというのか……!」
「父への愛を貫く事こそが我が覇道なり、覚悟してもらうぞ!」
お玉を竹刀のように構えるその姿勢、その情熱、それでこそ我が娘よ。一家の中で最も直情的で最も愛の深き娘、ディアーチェ。最後に立ちはだかるのは、我が娘であったか。
年の終わりの敗北、無念ではある。しかし、頬を流れるこの熱き涙は何なのだろう。娘に敗れるというのに、感動が止まらない。
「成長したな、我が子よ……!」
「父よ……!」
「抱き合っているところ、申し訳ありませんが」
「シュテル、お前も来い! その可愛い笑顔を、見せておくれ」
「貴方の大事な娘が、お雑煮をがっついておりますよ」
――ナハトヴァールは鍋に口を突っ込んで、ズズズーと啜っている。抱き合う親子を尻目に、実に美味しそうに平らげていた。
除夜の鐘が鳴り、新年。茫然自失する空間の中で、ユーリの寝息が幸せそうに立てていた。
<終>
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