ゆりかごから墓場まで
剣士の朝は、早い。不規則な生活は、剣の刃を鈍らせるだけ。規則正しく生きていく事こそが義務であり、必要不可欠だった。睡眠不足で負けるようでは、話にならない。
早寝早起きは生活習慣となり、健康で強靭な身体を作る栄養となる。斬り合いをしておいて健康も何もあったものではないが、身体が資本である。大切にしてやらねば、バチが当たるというものだ。
朝から水を浴びて身体を清め、冷たい空気に心を引き締めて、今日という一日の始まりを迎える。剣士ほど命知らずで、命を大切にする職業はない。
とはいえ、子供の早起きには時折負けてしまう。
「隙あり、どーんー!」
「ぶわっ!?」
剣士は、夢を見ない。夢とは浅い眠りの中で見る微睡みであり、深く睡眠を取って心を休めるのが本分。熟睡はせず、仮眠もせず、最低限の意識を残して脳を休めている。
入浴と睡眠は剣にとって誘惑であり、危険でもある。入浴中は剣を振る身体を休め、睡眠中は戦術を考える脳を休めている。剣士を殺すのであれば、この二つを狙うべきである。
剣士のこうした弱点は、剣士の子であれば教育で学ぶ。よって子を持つ剣士は襲撃に備えて、常に定戦の構えでいる。枕元に剣を置き、眠りの中で戦いに備える。
とはいえ、子が親より強ければ何の意味もない。布団の上から飛び込まれて、潰されるのみだ。
「朝だよ。おはよー、パパ!」
「うぐ……強くなったな、我が娘よ」
「えっへん。パパとママの子だもん、ボク!」
朝から父の上に乗っかったまま、得意満面な顔。朝の青空のような髪を快活に跳ねて、可愛いパジャマ姿のまま腕を組んでいる。可愛い盛りの、生意気娘である。
気持ちの良い朝を襲撃する雷刃、レヴィ・ザ・スラッシャー。ワインレッドの瞳を輝かせ、ゴキゲンな眼差しで俺を覗きこんでいる。襲撃成功が、よほど嬉しいらしい。
枕元に置いている時計を見る。常日頃目覚める五分前、起きるか起きないかの境目をついた見事な襲撃だった。鬼でも悲鳴を上げてしまう。
毎日ではない分、なかなかの性悪である。俺が油断しそうな朝を狙っているとしか思えない。一体、誰に似たのやら。
「もしかして、ママと話したのか?」
「電話がかかってきたよ。ボクがいい子にしてたからだよね、いっぱい褒めてくれた。私の宝物だって、えへへへへ」
「また甘やかしやがって、あいつめ……今や大陸の半分を制圧した大ボスのくせに、自分の子供にはだらしないからな。
あっ、ということは今日のこの襲撃も――」
「うん、おねーちゃんがやっていいと言ってくれたの。今日が狙い目だって、さすがおねーちゃんだよね!」
「おのれ、マフィアの妹。タチの悪いイタズラを教えやがって」
愛する人の子供を望んでいたマフィアと、自分より下の妹を欲しがっていたマフィアの妹。その全てを満たしてくれるレヴィを、彼女達は心の底から愛していた。
出会いからここまで紆余曲折あったのだが、今ではこうして毎日のように連絡を取り合っている。レヴィも気軽に会いに行ってしまうので、関係は深まるばかりだった。
家族がこうして揃った場合、気が休まらないのが父親である。母親は我が子優先、姉は妹優先、娘は父親にべったり。かまってちゃんの集団攻撃に、俺は日常を脅かされている。
ニシシと悪戯が成功して笑っていたが、やがて生欠伸。
「ふぁ……むぅ、パパの寝ぼけ顔を見てたら眠くなってきちゃった」
「俺は今、猛烈に起こされたばかりなんだが」
「寝る。うんしょ」
「こら、俺の寝床に潜り込んでくるな!?」
上に乗っかっていたレヴィは目を擦って、俺の胸元に飛び込んでくる。もぞもぞと布団の中に入って、抱きまくらのように俺に抱きついてくる。
にへへ、と口元をだらしなく緩ませて、レヴィが擦り寄る。子供の体温は基本的に熱いが、娘となると暖かく感じてしまうのは何故なのだろうか。
血の繋がりなんぞ欠片もないのだが、自分が産んで名付けたとなると想いも違ってくる。抵抗する気力も失せてきた。
「パパー」
「はいはい」
「だーいすき、くふふ」
「へいへい、俺も好きだよ」
「ママとどっちが好き?」
「お前」
「やったー、ママに言っとくね!」
「日本を潰しに来るからやめて!?」
ヨーロッパを震撼させたマフィアと殺人姫を屈服させた子だ、一介の剣士に勝てるはずがなかった。
「お父さん、寝坊です!」
「レヴィの奴がベットから離してくれなくて」
「お父さんがそうやってレヴィを甘やかせるから、私が甘えられないんですよ!」
「謎の説教が始まった!?」
可愛らしい花柄のエプロンを付けた金髪娘さんが、ぷんぷんと叱り付けてくる。我が家は母親はいないが、一家の母親役はこうして健在である。
ユーリ・エーベルヴァイン――普段は繊細で気弱な女の子なのだが、仮にも父親である俺の前では気丈かつ堅牢に立ちはだかる。魔力がどうとかではなく、意思ゆえの固さ。
美人の多い海鳴でも指折りの美少女で、むっとした顔も実に可愛らしい。と、父親ならではの馬鹿さ加減を見せてみる。何の解決にもならんが。
「お父さん、朝の挨拶をしましょう」
「うむ、新聞を頼む」
「はい――って、違います!? 挨拶です」
「はいはい、おはよう」
「あっ、また忘れています。もう一度」
「えー、言わなくてもいいだろう」
「そこが大切なんです。おはようなんて、どうでもいいです」
「挨拶とは一体!?」
「お父さん!」
「むぅ……おはよう、ユーリ」
「はい、おはようございます」
こいつもそうだけど、うちの娘達は名前を呼ばれるのがよほど嬉しいらしい。名付け親なのは事実なのだが、まさかここまで名前を大事にしてくれるとは思わなかった。
自分の名前を大切にするのは当たり前だが、彼女達の場合物心ある時に血の繋がりもない男からつけられたのだ。別段名乗る義務もないのだが、こうして気に入ってくれている。
ユーリなんて義務付けるほどで、こうして呼んでやらないと拗ねるのだ。正確に言うと、拗ねるフリなのだが。
説教癖といい、甘え方といい、一体誰に習ったのか想像に難くない。たく、あの生意気メイドめ。
「お父さんがお寝坊さんだったので、朝食は私と二人きりですよ」
「レヴィはぐーすか寝ているしな……後の二人は先に食べたのか」
「お父さんが遅いので二人共怒って、お父さんの家庭菜園にナハトを放し飼いにしましたよ」
「うぎゃー、また全部食われる!?」
おのれ、俺が丹精込めた家庭菜園を襲うとは卑劣な奴らめ。収穫の時期がどれほど大切で感無量なのか知らんのか、馬鹿娘共め。
帰ってきたら、お尻ペンペンしてやる。ふふふ、体罰だの、家庭内暴力だの、昨今のゆとり教育なんぞ我が家には無縁よ。世間が騒ごうが、我が家は素知らぬ顔で突き進むのさ。
……ナハトには罪はないので、ナデナデで勘弁してやろう。叱ってばかりではいかん、うむ。
「あれ? じゃあこの飯は誰が作ったんだ」
「私です」
「ごちそうさまでした」
「まだ食べてないですよ!?」
防衛プログラム以上の防御力で、俺の逃げ道を固くガードする。次元世界最強の多層障壁を、父の人生の前に無駄に作るんじゃない。
ユーリは確かに我が家の母親役だが、今はもう母親が家事万能な時代ではないのだ。くそ、なんて時代だ!
ぎゅっと俺の寝間着を握りしめて、ユーリは涙ながらに見上げる。
「お父さんのことだけを考えて、一生懸命作ったんです」
「肝心の料理のことを第一に考えろと、あれほど」
「自分で言うのもなんですが、メシマズじゃありません! 愛情を込めています!」
「愛情あればよしと、調味料も入れなかったお前の天然ぶりに、今から将来が心配だよ」
「心配いりません、お父さんのお嫁さんになりますから」
「お母さんは無視か!?」
「そのお母さん直伝です、えっへん」
こいつも、母親に連絡を取ったのか。今頃どこぞの先進国でコンサートを開いている英国妻、マスメディアの取材は断固拒否なくせに娘との連絡は常にオープンなのだ。
どういう時間軸で生きているのか、俺やユーリが電話すると絶対に繋がるのである。秒単位で世界を回る超人気の歌姫なのに、家族との交流を欠かしたことがない。
口数少ない奥さんと物静かな娘、交流なんて成立するのか当初は不明だったが、通じ合えるものがあったのかすぐに母と娘になった。
母の歌を、ユーリは毎日のように明るく歌っている。
「分かったよ、食べてやるからお前も座れ」
「はい、お父さん」
「――そう言って俺の膝の上に座るお前のジョークに、朝から笑える」
「お父さんに似たんです」
そう言って微笑む娘を結局甘やかしてしまうから、こいつは父離れしないんだろうな。やれやれ。
『シュテル。父との初対面で、貴女は交渉相手の父に向けて威嚇射撃を行ったそうですね』
「当時、我々には持ち札がありませんでした。ならばこそ、優位に立つ上で必要な手段として選択した結果です」
『他ならぬ父の命を、取引の道具としても?』
「はい」
『よろしい、今後もその心構えでいなさい。たとえわたくしの大事な王子様であれど、容赦してはいけませんよ』
「分かりました、母上」
「待てや、そこの母娘」
居間で新聞を読んでいる俺の隣で、ゆとりなんぞ無縁な義務教育を行っている母と子に待ったをかける。子供は褒めて伸ばすものですよ、と先程の自分の発言を無かった事にする。
無視してもよかったのだが、教育材料が俺であれば話は別だ。というか何故、俺を引き合いに出すのか。俺から縁を切るぞ、この野郎。
アメリカ史上類を見ない経済王と、その後継者候補が不思議そうな顔で俺を見やる。この似たもの同士め。
「今の離婚率の高さは、家庭を守る父親を蔑ろにしているのが原因なんだぞ」
「何を仰りますか、父上」
『王子様の価値は、お金には変えられないのですわよ』
「お世辞も交渉の第一歩か」
愛は金で買える生き方をしている二人の睦み言なぞ、俺にとっては戯言に等しい。美人母娘であろうと、その相手が俺であれば無意味である。
新聞を広げたまま喋る俺の態度さえ愛しいと言わんばかりに、二人は井にも介せずに経済論を語っている。もうちょっと親子っぽく会話してもらいたい。
「それにしても、まさかお前に娘が出来るとは夢にも思わなかった」
『そうですわね。わたくしも正直予想外ではありましたが、意外ではありませんでしたわ』
「と、いうと?」
『王子様と出逢ってからというもの、わたくしの想定は常に狂わされっぱなしですもの。
自分の人生を誰かに継がせるつもりはありませんでしたが、王子様と覇道を歩めば後継に足る人間に出逢えるかもしれませんもの。
まさかこれほど早く、しかも自分の娘になるとは思いませんでしたけれど』
アメリカの経済を担う大富豪の女性にこれほどの評価を受けて、俺の娘は得意顔であった。評価された事そのものより、評価を受けて俺に褒められるのを心待ちにしている顔だった。
この子はシュテル・ザ・デストラクター、我が家の次女役。豊富な知識と聡明な頭脳を持つ、インテリ娘。今もこうして、母より高度な教育を受けている。
天才には天才が分かるというべきか、類は友を呼ぶというべきか、アメリカの女性代表は知のマテリアルと呼ばれるこの子を高く評価。母と子の契りを、交わした。
情ではなく契約するあたり、この二人らしい関係と言える。額面上でしか、自分達の関係を上手く形にできないのだ。
「アメリカと日本の距離差でよく、毎日時間を作れるもんだな」
「父上。時間とは自分で作るものですよ」
『そして、他者に与えるものですわね』
「支配者の観点から、思いっきり見下された!?」
嫌なコンビである、実に。可愛げがないと言えないのは、この時間に俺が入っているからだろう。何だかんだでいつも、二人の間に俺がいる。
居間でわざわざ教育しているこの時間そのものが、その証だ。愛情がないのではない。二人にとって愛とは自然で、自分で育むものなのだ。
才能を、在るが儘に使う。誰にも邪魔をされず、また誰の影響も受けない。ゆえに強く、それでいて気高い。
その愛は疑う余地もないほどに絶対、ゆえに支配者なのである。
『では、経済学のテストに移りましょう。満点ならば、褒美を与えます』
「ありがとうございます、父上」
「何で俺にお礼!?」
『少し手間はかかりましたが、用意はいたしました。ふふ、十分堪能しなさいな』
「今から楽しみです、父上」
「俺の何を用意したんだ!? 怖いから早く言え!」
知こそ世界を制し、そして家族を丸ごと支配する。亭主関白は時代遅れになりつつあった。
「どうした、我が父よ。疲れた顔をしているぞ、何かあったのか。娘である我に、何でも打ち明けるといい」
『我が下僕を苦しめるとは、万死に値する。即刻首を落としてくれるわ』
「お前ら、絶対親子だろう」
この母娘は、無敵だった。
<終>
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