失くしたものと
新しく得たものと
永遠のアセリア
〜幻想世界組曲〜
02:家族
聖ヨト歴307年 ルカモの月 黒二つの日 早朝
イースペリア国 首都イースペリア
妖精騎士団 第一詰め所
「じゃあ、これは読めるかしら?」
「えーと、赤、青、緑、黒」
「こっちは?」
「水、光、火、月、大地」
「うん、大丈夫みたいね。それじゃあ、今日はこれくらいにしておきましょうか」
この世界に生まれおちてから、一週間がたった。
それなりにここの生活にも慣れてきたのだが、それでも戸惑うことも多々ある。
何よりも性別が変わっていることが大きい。
スピリットである俺に用意される服は基本的に女性の物、つまりスカートなわけだ。
今まで男として生活してきたわけだから、これを着るのにはかなり抵抗がある。
しかし、俺の周りにいる人たちからすれば俺は生まれたての少女。
拒否すれば訝しまれるし、俺のことをいろいろ話さなければならなくなる。
――第五位という高位の神剣をもって生まれた、記録にない白きスピリット。
前例がなかっただけに結構な騒ぎになったと噂に聞いている。
しかし、生まれたばかりのスピリットに聞いても仕方がないだろうということで、色々と質疑なども無しにされているというのに。
それが、実はエトランジェでしたなんて言ったらどうなるかわかったもんじゃない。
というのが、今は俺を呼ぶために失ったマナを回復させるため眠りについている【伽藍】との話し合いで出た結論だ。
スピリットとして認識されているならそのままでいい。
実際、俺の名前はホワイトスピリット――安易なネーミングである――となった。
むしろエトランジェであるとわかったら危険なことが増えるんじゃないか、と言っていた。
その辺りの詳しいことは未だ俺には理解しきれないが、【伽藍】がそう言うのならそうなのだろうと納得している。
それに、今の生活にもそれなりに満足している。
俺の知っているスピリットの扱い、人間に奉仕し虐げられるという『俺の世界のゲーム』としての常識。
それがこの国、大陸北方に位置するイースペリア国にはほとんど無かった。
そりゃあ、完全にとはいかないが、それでも人とスピリットの触れ合いというものがあることがわかった。
それを知ったとき、俺はどこか嬉しかった。
この世界に生まれて間もない俺がそう感じたのは、俺がスピリットだからだろうか?
もしそうなら、少しずつ体に思考が引っ張られているということなのかもしれない。
閑話休題
つまり、想像していたよりもしっかりとした生活を送れているというわけだ。
まあ、現代に慣れ親しんできた俺にとっては不便なことも多いが、それはそれで新鮮味があっていい。
だが、それでも一つだけかなり苦労しているものだある。
文字だ。
【伽藍】の加護もあって、言葉は何とかなっているのだが、文字ばかりはどうにもならなかったようだ。
そういう訳で、俺は連日文字の勉強にいそしんでいる。
「明日は今日やったところを書けるようにしておいてね」
そう言って、先ほどまで使っていた子供向けの教材を片づけているのはリアナ・グリーンスピリット。
現在、俺を含めて三人しかいないこの館の住人の一人。
年齢は俺と少しくらいしか変わらない――つまりほんの数年前に生まれたばかり――のだが、とてもしっかりとしている。
何といっても、この館の家事をほとんど一人でこなしていることは、驚きを通り越して尊敬に値するほどだ。
まあ、真面目すぎて口うるさいのが玉に瑕だが。
「それじゃあ、私は昼食を作ってくるから本をなおしておいてくれる?」
「あいよー。下の本棚でいいの?」
「ええ、よろしくね」
そう言って部屋を出ていくリア姉を見送ってから、本を纏めて俺も席を立った。
リア姉がキッチンの方へ向かって行くのを視界の端に収めながら、俺は廊下の突き当りにある本棚に向かう。
本棚自体はそんなに大きくないが、本は結構いろいろな種類が揃っているらしい。
まあ、俺にはまだ読めないからあまり関係だないのだが。
本を棚に収めて俺も台所の方へと向かう。
料理自体はほとんど手伝うことができないが、他にもやることぐらいはある。
とりあえずテーブルを拭いておけばいいかな、などと考えながら進んでいるとキッチンの入口の所に人影が…。
あの真っ赤な髪は、
「シリカ姉、何やってんだ?」
声をかけると、隠れるようにキッチンの中を覗いていた少女はびくりと体を震わせた。
この館のもう一人の住人、シリカ・レッドスピリット。
リア姉とは違い、結構おおざっぱな性格をしているが、天真爛漫な所はうらやましくもある。
「って、なんだリクか。びっくりした〜」
「びっくりしたー、じゃなくて何してんの?」
「んー?いやなに、リアナがご飯の準備してるみたいだから、あたしが味見でもしてあげようかな、と」
「勝手に食べるのは味見じゃなくてつまみ食いって言うんじゃねーか?」
「……まあ、そうとも言うかな」
そうとしか言わねえっての。
「まあ、細かいことは気にしない気にしない」
「細かくないと思うけど?」
「いざ!」
「聞けよ」
というか、なんで俺の服をつかんでんだよ。
「ほら、行くよ」
「俺も!?」
「当ったり前じゃない!こういうことは共犯者がいてこそ楽しみが増すんじゃない」
なんとなく、というか絶対に違うと思うんだが。
まあ、怒られそうになったらシリア姉に無理やり付き合わされたということにしたらいいか。
「そいじゃ、リクの納得も得られたところで……」
「何してるの?二人とも」
「うひゃー!?」
……いつの間にそこにいたんだ、リア姉。
シリカ姉とともに振り返ると、そこには先ほどまで料理に集中していたはずのリア姉がたっていた。
額に浮かぶ青筋と手に持っている包丁がとても怖い。
「シーリーカー?一体何をしようとしていたのかしら?」
「い、いやー。別に何も……」
「本当かしら?」
「ほ、本当だって!だからさ、その包丁を置いてくれないかな?」
かなり必死にリア姉を説得しているシリカ姉の姿を見ていると笑いそうになるが、笑えない。
おそらく、この次は我が身だろうから……。
とりあえず、今日の昼食は遅くなりそうだ。
* * * * *
同日 昼過ぎ
スピリット訓練場
あの後、やっぱり俺も怒られた。
まあ、キッチンの真ん前で会話していたらそりゃ聞こえるよな。
叩かれた頭がまだちょっと痛い。
それはともかく、今は訓練の時間である。
俺も三日前から参加しているのだが、俺がやっているのはただ【伽藍】を振るだけだ。
まずは剣の感覚に慣れろとのことだが、正直こんなことをしていて強くなれるのか疑問だ。
だが、指示を出した相手は訓練士。
俺のような素人ではなく、こういう仕事をしている人が言うのだから間違いないのだろう。
そう言う訳で、俺はひたすら剣を振り続ける。
俺の身長からすれば少々大きすぎる感じがするが、それでも苦も無く振り回せるのは【伽藍】との契約のおかげなのだろうか。
「はあっ!」
「えええぇぇい!」
横の方ではリア姉とシリカ姉が剣を交えている。
正直、二人の訓練を見ていると改めて俺はとんでもない所にいることを実感させられる。
素早く動き回り、そして繰り出される閃光のごとき剣戟。
剣がぶつかりあうたびに響く鋼の音が、これは現実なのだと思い知らせてくれる。
いつか俺も、あんな風にできるようになるのだろうか?
それは、どこか恐怖を含んだ思い。
そして、生物としての本能からくる強さへの憧れ。
「ほらリク、手が止まってるぞ!」
っと、どうやら見とれてしまっていたらしい。
訓練場の端の方からこちらを見ている女性の叱責に、再び意識を剣に向ける。
上段から振り下ろし、素早く横薙ぎへと変化させる。
未だ流れるようにとはいかないが、それでも初めよりはましになっているような気がする。
こうして剣を振ることで剣に慣れ、そして剣を振るう動きの流れを知る。
というのが、俺たちの訓練を見ている訓練士ルシア・アルヴィアさんからの俺への課題。
厳しい人ではあるが、正しいことを言う人だ。
実際、どれほどできるようになればいいのかは皆目見当もつかないが、今は黙々と剣を振り続ける。
「よーし、今日はここまでだ!」
日もそれなりに傾いてところでルシアさんの声が響いた。
それと同時に俺は剣を振る腕を止め、姉さん達の繰り返していた模擬戦闘を終了させた。
いつもならここで終わるのだが、今日は続きがあった。
「障壁……?」
「そうだ。だが私は人間である以上そんなもの使えないからな、二人が教えてやってくれ」
そう言って、さっさと訓練場を出て行くルシアさん。
後に残されたのは幼い三姉妹。
ということで、今は障壁を張る訓練をしています。
「いい、リク?まずはマナの流れを感じるの」
「そんで、マナの流れがわかったらその流れを自分で意識して動かして壁を作る」
といわれても、マナの流れというものがどんなものなのかがわからない。
そのことについて聞いてみると、
「んー、こういうのって感覚だからね〜」
「私も、普段はそんなことに気を使ってないから……」
「一回慣れたら、後は意識せずにできるようになるもんだしね」
あまり役に立たなかった。
仕方がないので頭の中で壁をイメージしつつ気張ってみるが、
「ん〜〜〜〜!!」
「全然だめだねー」
うっさいわ!
しかし、シリカ姉の言うとおり欠片もうまくいかない。
もしかすると才能がないのだろうか?
「ねえリク、ちょっとこっちに来て」
「え?何で……?」
「ほら、いいから!」
そう言って俺を抱き寄せるようにして抱え込むリア姉。
正直、少し恥ずかしいというかなんというか。
しかし、リア姉はそんな俺の心の中の微妙な葛藤を気にせず、剣と剣を軽く重ねた。
「え?えーと、リア姉?」
「リク。今から神剣魔法を使うから、そこから感じ取りなさい」
言い聞かせるようにそう言うと、目を閉じて言葉を紡ぐ。
「【静穏】のリアナが命じる。マナ纏う風よ、守りの力となり包みこめ」
リア姉の紡ぐ力ある言葉とともに、何かが風を動かし俺の周りを渦巻く。
これが、マナ?
「ウィンドウィスパー!」
大気が俺を包みこむ。
その大気を俺を中心にして固めているもの、これがマナなのだろう。
何となくだけど、感じ取れている気がする。
「リク、わかる?あなたの周りを渦巻くマナを感じ取れる?」
「うん。何となくだけど、わかる。これが、マナ」
「そうよ。そして、次はあなたが動かすの。壁をイメージしてマナに働きかけて」
耳元で囁く姉の声に従い、マナへと働きかける。
先ほどまで感じられなかったものを、神剣を通して動かしていく。
イメージする、強固な壁を。
イメージする、不破なる盾を。
「ん……!」
目の前におぼろげながらも、白い光を放つ壁が展開された。
* * * * *
同日 夜
第一詰め所 ダイニング
「いやー、それにしてもすごいねリクは!」
「本当よね。私たちなんて障壁を張るのに何日もかかったのに」
自分のことのようにニコニコとしているシリカ姉に、リア姉も微笑みを浮かべて頷いている。
そこまで褒めてくれれるのは悪い気分ではない。
自然と頬が赤くなるのを感じた。
「でも、リア姉がわかりやすく教えてくれたからだよ」
「あれ?リク、あたしは?」
「横で失敗してんの見て笑ってただけじゃねーか」
憮然とした顔で言ってやるが、シリカ姉はそりゃそーかと笑うだけだった。
むう、なんかむかつく。
「いやはや、それにしてもさすがあたしたちの妹ってところかね?」
そう言ってこちらを見るシリカ姉の目には慈愛の光が宿っている。
妹……、いまだに慣れないがこれは事実、俺は二人の妹なのだ。
イースペリアでは年上の者が年下の者を導いていく、と意味を込めてスピリット同士の姉妹制度のようなものが敷かれている。
といっても、ほとんどスピリット同士で勝手に姉妹関係を結んでいるだけなのが実態だが。
元々はどこかの一部隊で仲間同士の絆を結ぶためにあった物だったらしいが、いつの間にか妖精騎士団全体に広がっていたらしい。
普通は一姉一妹らしいのだが、二人に妹がおらず、二人で見つけたのだからと二人の妹ということになっている。
慣れないことではあるが、それでもこれは俺にとって中々にありがたいものだった。
元々いた世界でも俺には二人の姉がいた。
このことから、二人が姉でいてくれることがどこか俺にとっての精神安定剤のようになっていた。
俺にとっての本当の姉二人にはもう会えない、それにきっと二人も泣いていることだろう。
俺も、家族にもう会えないと思い当たったときには声は出さなかったが、それでも静かに枕を濡らした。
次の日に二人が自分を妹として――そこは少し不満であるが――家族に向かいいれてくれたことが何と嬉しかったことか。
だからこそ、遠慮のない言葉を出せる。
「リア姉の、の間違いじゃねーの?」
「ほぉ。そんなことを言うのはこの口か〜!」
「いた!いひゃいよ、ヒリキャねえ!」
「ふっふ〜ん。姉に向かって生意気な口をきくからだ!ほれほれー……っいた!」
「二人とも!食事中に暴れない!!」
「「ごめんなさい」」
叩かれた頭を押さえ、目の端に微妙に涙を浮かべているシリカ姉。
いつものように俺達を叱っているリア姉。
それでも、二人の顔に浮かんでいるのは笑顔で……。
それがとてもうれしく思え、自然と微笑みが浮かんでくる。
これが今の俺にとって大切な、とても大切な家族なのだ。
* * * * *
同日 深夜
イースペリア王城 女王の塔 女王の私室
「しかしそれでは……!」
「妾にも分かっていおる。しかし、あの者たちは未だ古い風習に囚われたまま。スピリットを替えのきく駒程度にしか思っておらんのじゃ」
すでに人々が寝静まり、月が天頂へと昇っている頃、イースペリア女王の私室に一人の女性が訪れていた。
そして彼女は、女王からある話を聞くと驚愕の表情を浮かべて抗議の声を上げた。
対する女王も、どこけ物憂げな表情で話を続ける。
「だがあの者たちの言うことも事実。やり切れぬの……」
「そこまで、そこまで前線は危うい状況なのですか?」
「うむ、すでにランサ近郊まで押し込まれているそうじゃ。このままでは長く持つまい」
「ダーツィも、この一戦にかけてきているのですね」
「じゃろうな。昨年の『呪いの大飢饉』のこともあってマナも大きく減衰しておるじゃろうし」
「ここで決めなければ後がない、ということですか」
二人とも揃って疲れたようにため息をついた。
理解できるからこそ、理解しているからこそやり切れない。
前線への新たな戦力の投入。それはつまり、
「我等は無力ですね。戦争はすべてスピリットに任せるしかないとは……」
「真にな。そして、いまだにそれを当然と思うておる頭の固い貴族連中もどうにかせねばならん」
女王は自嘲にも似た笑みを顔に浮かべ、手元のグラスの水を喉へと通す。
彼女の祖母の時代から、スピリットに対する態度はだんだんと変わってきている。
それでも、人を従わせることに慣れたプライドの高い貴族連中は“なぜあんな下賤な者たちを”と未だに高圧的な態度を取っている。
彼女も女王になり数年、自分の代でこれを何とかしなければと思っている。
しかし、まだ実行には移れていない。
だからこそ、このようなことを命じなければいけない。
「すまんの、ルシア。お主の可愛がっている子達もおるじゃろうに」
「いえ、王命とあらば…。しかし」
何か言おうとして、しかし言葉にできずに詰まる女性、ルシア。
貴族でありながら訓練士のような職につく彼女は、女王にとって幼いころからの友人。
だからこそ彼女の様子を察して、先を促す、
「よい、妾とお主の仲なのだ。申してみよ」
「はい。その、リク・ホワイトスピリットも前線へ送るのですか……?」
そのことかと、女王は再びため息をついた。
一週間前に見つかった、今までの記録には見られない白いスピリット。
ホワイトスピリットと名付けることにしたのは女王自身であり、きっと自分の娘の代を支える素晴らしいスピリットになるだろうと一目見た時に感じていた。
しかし、今はまだ生まれたばかりで訓練もまともに行っていないスピリット。
もしそんな者を戦場へ送れば、どうなるかなど想像するに難くない。
それでも、
「そうじゃ、あの者も前線へと出てもらう」
「そんな!?私は他の子たちを送るのにも反対ですが、あの子は……!あの子はまだハイロゥも使えないんですよ!?」
「わかっておる。だが貴族の阿呆共は第五位という神剣の位しか見ておらん。あやつらにとっては戦場は自分とは関係のない縁遠きもの、スピリットのことなど考えておらん!」
憤り、声を荒げる女王を目にし、ルシアも少し冷静になることができた。
彼女も、あの子達を戦場に送りたいわけではないのだと理解できる。
彼女は優しいから、それでも女王である以上個人よりも国のことを考えなければいけないから。
だからこその、苦渋の選択だったのだろう。
「この度の無礼、申し訳ありませんでした」
「よい。妾の力が及ばぬせいで、いまだ未熟なスピリット達を戦場へ送らねばならなくなったのだ」
悲しげにそう言う女王に、ルシアは何と声をかけていいのかわからなかった。
だが、少しでも多くの命を連れて帰って来よう。自分のためにも、何よりも彼女のためにも。
そう心の中で固く決意し、頭を下げた。
「ルシア・アルヴィア。残りのスピリットを率いてランサへと赴く命、しかと承りました」
静かに眠る少女たちの知らぬところで、一つの歯車が回った。
それは彼女たちに何をもたらすことになるのか。
あとがき
非常に遅くなりましたが、第二話:家族をお送りしました。
今年中に一章は終わらせようと思ってたのに、このままじゃ全然終わりそうにないです。
もっと気合い入れていかないと!
さて、いまだに本編キャラはだれ一人として登場していませんが、今しばらくお待ちください。
おそらく七話辺りには一人二人登場するのではないかと話の構成を組んでいるのですが……。
ええ、とにかく頑張って執筆したいと思います。
それではここまで読んでくださった皆さんと、掲載の場を貸してくださったリョウさんに最大の感謝を。
補足
今回から記している月や日にちについてですが
この世界では一ヵ月は四週間で成り立ち、一週間は五日間から成りたっています
一〜五日は青の週、六〜一〇日は赤の週、一一〜一五日は緑の週、一六〜二〇日は黒の週として、それぞれ青一つの日や緑四つの日という風に表現します
それと、ルカモの月というのは一月を意味します
つまり今回の話、ルカモの月 黒二つの日というのは、私達風に言うと一月一七日ということになります
補足終わり