Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その6 通報
しまった、裏目に出た!?
ちびっ娘だと甘く見た代償が、俺の人生の破滅へと繋がる。
容赦なく切られたビジョンを呆然と見つめる俺を、
「うふふ、早く逃げないと捕まっちゃうよ? キョウスケ」
真っ白な肌のお姫様が楽しそうに笑って見ている。
アリスの宣告に、俺はようやく我に返った。
――認めよう、回避出来ない展開だ。
忌々しいが、満喫していた俺の平和はこの瞬間跡形もなく消し飛んだ。
悪戯心に満ちた少女の通報を、ホテルの従業員は何の疑いもなく聞き入れたに違いない。
今ごろ血相を変えて上司もしくは警備員に訴えて、すぐさまこの部屋へ飛んでくるだろう。
流石の俺も年齢に関係なく、自分より遥かに年下の娘を睨む。
「・・・洒落にならんことしたな、お前は!」
「こわーい顔してるよ、おにーちゃん」
「いい加減、俺も怒ってるの! 何がやりたいんだ、一体!」
何から何まで訳が分からない。
緊急事態なのは承知しているが、せめてこれだけは聞いておかないと気が狂いそうだった。
さっきのさっきまで、葵の居ない平和な一時を楽しんでいた。
事件のない静かな時間を、心底愛しく思っていた。
例えこの先まだまだ難渋する旅が続くとしても、この瞬間だけは忘れようと身も心も緩めていたのだ。
それなのに眠りから覚めた途端、意味不明な泥沼に引きずり込まれている。
しかも葵ではない、誰かも分からぬこの少女によって。
俺の怒りの視線を、アリスは平然と受け止めて、
「こんな可愛い女の子とデート出来るなんて、キョウスケったら幸せものめ!」
「うわーん、葵と同じタイプかこいつは−!」
人の話を聞かず、自分の感情や理屈のみを押し付ける。
余程強固に反対でもしない限り、ずるずると巻き込まれてしまう。
しかも、相手は幼い女の子。
葵のように罵倒や、力づくで排除も出来ない。
厄介なのは、この悪魔ッ娘はそんな自分の立場を知り尽くしている事だ。
「アオイ? 新しい恋人?
むー、フタマタはいけないよ」
「おぞましい事を言うな! 寒気が走ったわ!」
この女の子がどうとか言うより、葵との関係は全力で否定する。
「でも、安心して。わたしって夫の浮気に寛容なの。
・・・もう二度と他の女を見れないようにするだけ、うふふ」
「怖っ!? って、こんな事している場合じゃない!」
アホトークしている間に、時間はどんどん過ぎていく。
従業員がこの部屋を調べにくるのは、そう時間もかからない。
何しろ信用第一のホテルで、幼女誘拐並びに暴行騒ぎが起きているのだ。
格調高いホテルがスキャンダルを許す筈がない。
そして、えてして世の中は被害者と加害者を誤認する。
見た目だけで判断して、真実を見誤る。
俺が懸命に無実を主張しても、アリスが泣き喚いて訴えれば負けそうだ。
それにこの女の子の行動力なら、自分の服を破くくらいはする、絶対にする。
裸寸前の姿で泣く女の子に、地球産の服を着て無実を訴える男。
――敗訴、確定。
現行犯逮捕、間違いない。
後々事情説明すれば分かって貰えるだろうが、少なくとも今の平和な時間は終わる。
覚悟を、決めるしかないのか――
俺がこれからどんな行動を取るのか、もう分かっているのだろう。
ニコニコして、無防備に俺の指示を待っている。
――こうしていると、本当に可愛らしいだけなんだけどな・・・
悲しい溜め息を吐いて、俺は放り出したままの手荷物を拾う。
間もなく、従業員が来る。
金銭類も貴重だが、何より手荷物には元の世界より持ってきた工具類や開発品がある。
回収されたら困る。
服装を正し、もう一度だけ深く嘆息して――少女を振り返った。
「後で絶対に理由を聞かせてもらうからな!」
「えへへ、うん!」
誘拐劇――出演は拒否出来ないようだ。
束の間の平穏は、もう戻ってこない。
俺は少女の手を取る決意をした。
階下へ行く手段は階段のみ。
エレベータなんて文明品は、この魔法万歳な世界には無い。
当たり前だが、従業員もこの唯一の階段を上ってくるだろう。
「・・・非常階段とか無いのかな、此処」
何しろ今日宿泊したばかりだ。
このホテルの内装はおろか、全体的な間取りなんて何も知らない。
一階さえ行けば外へ出る手段は幾つかあるが、下へ降りる手段は極端に少ない。
俺の部屋での騒ぎは、他の従業員達にも知れているだろう。
このホテルはやつらの領域。
地の利は向こうにある。
こっちは非力な一般人に加えて、子供まで居る。
下手な動きを取ればあっさり看破されて、御用となってしまう。
いざとなれば従業員を人質に――って、待て俺。
だんだん犯罪者寄りの思考になっているぞ。
今回の騒ぎは明らかに俺達――正確にはアリス一人――に非がある。
従業員は至極もっともな理由で、俺を拘束しようとしているだけ。
立場は思いっきり向こう側が有利。
世論調査すれば、200%俺が悪者になるだろう。
唯一の逃走手段は従業員側が押し寄せてくる可能性、大。
他の経路は不確定。
そうなると――
「――どこか隠れる場所があれば・・・」
「むぅー、キョウスケの意気地なし」
「一時的に避難するだけだ。今のままじゃ逃げられない。
俺の部屋に誰も居ないと知れば、当然奴らは俺がお前を誘拐して逃げたと思うだろう。
当然ホテル中を捜索する事になるし、階段や通路で彷徨ってたら見つかる」
時間との戦い。
タイミングを少しでも誤れば、即ゲームオーバー。
階下へ降りるチャンスは、相手の隙をつくしかない。
難易度の高い脱出ゲームだ。
あいつ等が俺の部屋を調べている間に、逃げるしかないか。
しかし他の従業員が・・・いや、まだそこまで連絡が回っていない可能性がある、か。
今の内にむしろ行動すれば、勝機が生まれるかも――
段取りを練っている俺を、アリスはきょとんとした顔で見上げる。
「ようするに――キョウスケは下へ降りたいの?」
「俺としてはこの部屋で寝ときたいけどな!」
覚悟を決めたとはいえ、少女の思惑に乗っている形だ。
今後の事を考えるだけで、頭が痛い。
嫌味をこめて言うと、アリスはにぱっと明るく告げる。
「だったら、こっちよ。そっちから出ればいいわ」
「そっちってお前――」
無邪気な少女の示す先は――窓。
半日以上過ぎた空は、そろそろ一日の終わりの準備をしている。
俺は地平線の見える空を見上げて、
「お前・・・此処が何階か、知ってるのか?
お前背負ってベランダをつたう勇気は無いぞ」
そんなのは、芸人か体力自慢にやらせてくれ。
一介の科学者に無茶な要求をされても困る。
「おにーちゃんって、本当に意気地なし。
わたしが見本を見せてあげるね」
見本・・・?
疑問に思う俺をそのままに、アリスはテクテクと窓枠に手をかけて――
「――っ!? アリスっ!!」
――そのまま飛び降りた。
まっ逆さまに、大地へと目掛けて――
<第五章 その4に続く>
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