The past binds me in the nightmare
第五話「退魔衝動」
ある日の夕方。
この日は、高町家の方々に誘われた花見の前日だ。
緋色の空に、少しだけ肌寒く感じる風。
別段変わったところは無い、ごく普通の夕方だというのに・・・。
「何だろう・・・嫌な、予感がする・・・」
得体の知れない何かが、纏わり付いて離れない。
これは・・・何だ?
ゆっくりと、体の奥底から這い上がるようにして、俺を侵食していく黒い感情。
恐怖や不安と言った感情と共に、ほんの微かに憎悪まで混じっている。
これは・・・一体・・・。
「臨・・・兵・・・闘・・・者・・・皆・・・陣・・・裂・・・在・・・前・・・!」
心を静め、そして燻っている黒い感情を祓う意味を込め、九字と呼ばれるものを唱える。
それと同時に深呼吸を繰り返し、体内で練った氣を丹田に下ろす。
そして体内で練り上げた氣を右手に集め、それを木刀に通していく。
眼を閉じて、体の力を抜き、そのままゆっくりと右手を振り上げ、そして―――。
「―――っ、喝!!」
眼を見開き、気合と共に右手に持った木刀を振り下ろす。
その際に、木刀に集めていた氣も放出させ、簡易的なものだが、退魔の刃として前方に打ち出した。
最も、霊力をあまり持っていない俺の場合、実際の退魔では全く役に立たないだろうが。
「・・・・・・ふぅ・・・・・・・・・」
息を吐き、もう一度深呼吸をすれば、先程まであった黒い感情が消えていた。
俺が今さっきやっていたのは、『静心』と呼ばれる、赤夜に伝わる技法の1つだ。
自身の内にある負の感情を魔と見立て、それを練り上げた氣によって祓い、心を静めるというもの。
爺さん曰く、練り上げた氣に霊力を付加すれば、威力は低いが退魔の技としても使えるらしい。
余談だが、爺さんは若い頃はこの静心を使い、簡単な退魔も請け負っていたらしい。
最も、爺さんの場合、俺や他の退魔師の様に放出するのではなく、拳を使ったガチンコ勝負な退魔をしていたらしいが。
・・・爺さん、あんた何者だ?
それから鍛錬を終えた俺は、ぶらぶらと国守山方面へと足を進めていた。
目的は特にない、それこそ、ただの散歩だ。
実の所、俺はこうして意味もなく散歩をするのが結構好きだったりするのだ。
4年ほど前、つまり爺さんに拾われてから、暇を見つけてはこうして気の向くままに散歩に出かけていた。
「散歩に盆栽・・・。俺って、ホント枯れた趣味しか持ってないなぁ・・・」
自分の趣味を思い浮かべつつ、その枯れっぷりに思わず苦笑いする。
そういえば、高町家の庭にも盆栽が幾つかあったな。
誰かの趣味なんだろうが、一体誰の・・・。
「って、高町ぐらいしか思い浮かばんぞ」
1人呟きながら、あいつが作務衣姿で黙々と盆栽をいじる姿を想像する。
・・・・・・やばい、違和感がない。
そんな事を思いながら歩みを進め、いつしか八束神社に到着していた。
そのまま階段を上り、境内に入ると、
「あれ、赤夜先輩?」
境内の奥、つまり社の方から、そんな声を掛けられた。
声のした方に目を向けると、そこには巫女さん姿の神咲さんがいた。
そして、彼女の腕の中には、1匹の子狐が抱きかかえられている。
「(ペットかな?狐を飼うってのも、随分と珍しいが・・・)」
まあ、何を飼うかなんてのは個人の自由だしな。
そんな事を思いながら神咲さんの方に近づいた時、その子狐と不意に目が合った。
無垢な色を宿した、愛らしい2つの瞳。
それを見た瞬間、俺の視界は、血のように紅い色で埋め尽くされた。
紅、赤、朱
視界に映るのは、純粋な殺意と憎悪を宿した、その1色だけ。
遠くで誰かが名前を呼んでいる気がするが、それが誰の声なのか分からない。
次第にその声は小さくなり、いつしか音というものが完全に消え去った。
紅い、赤い、朱い、音の無い緋色の世界。
その世界に、俺は、ゆっくりと飲み込まれていった。
―コロセ―
苦しい
―コロセコロセ―
体がアツイ
―コロセコロセコロセ―
うまく呼吸が出来ない
―コロセコロセコロセコロセ―
頭痛で頭が割れそうだ
―コロセコロセコロセコロセコロセ―
何が俺を苦しめている?
―コロセコロセコロセコロセコロセコロセ―
あの、子狐か?
―コロセコロセコロセコロセコロセコロセ・・・・・・・・・殺せ!―
そうだ、アレが原因だ
―殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ―
なら・・・・・・・・・・・・アレを消せばいいじゃないか
(黙れ・・・)
―殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ―
そうだ、迷う事はない。アレは狐じゃない、魔だ
(アレに害はない)
―魔を殺せ 魔を殺せ 魔を殺せ 魔を殺せ 魔を殺せ 魔を殺せ 魔を殺せ―
いいや、アレは殺してもいいモノだ。そうだろう?
(違う、殺していいモノなんかじゃない!)
―殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!―
違わないさ。お前も感じるだろう、あの穢れた魔の気配を・・・
(そんな事、無・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、かもしれない)
―殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ―
なに、我慢することは無い。俺は、お前は、その為に存在するんだろう?
(・・・俺は・・・抑止力・・・魔を殺すのが、俺の・・・存在意義・・・)
―殺せ、壊せ、滅ぼせ、殺し尽くせ、肉の一片も、魂の一欠けらも残さず、アレを消し去れ!!―
そう、そうさ!さあ、眼を開け!そしてあのバケモノを・・・
(アレを・・・あの狐を・・・彼女が抱いている、彼女が大事そうにしている狐を・・・)
―――殺・・・!!
「赤夜先輩!」
「っ!!?」
不意に聞こえた叫びに、一気に意識は戻り、緋色の世界から現実へと引き戻される。
同時に焦点が定まり、ぼやけていた視界が鮮明になる。
そこには、俺の手を掴んだ神咲さんがいた。
そして、俺の手は、彼女の胸元に、正確には、そこに抱きかかえられている狐へと伸びていた。
無意識の内に伸ばされていた手に沿って視線を動かし、掌へと辿り着く。
「・・・これ、は?」
その先にあったのは、紛れもない、俺の手だった。
鉤爪のように折り曲げられた五指が、狐の頭部を覆っている。
それはまるで、死神が持つ巨大な鎌に見えて―――。
―このまま力を込めれば、こいつの頭は簡単に潰れるぞ?―
囁くように脳裏に浮かんだ、自分のものではないような冷たい声に、思わず怖気立つ。
「ぁ・・・あ、あぁぁ・・・・・・」
声が震える。
いや、声だけじゃない、全身が恐怖で震える。
ガチガチと歯を鳴らしながら手をどけると、頭を覆われていた狐と目が合った。
その目に浮かんでいたのは、明らかな恐怖の色。
浄眼を開けば、その思念は氷のように冷たい蒼で埋め尽くされているだろう。
俺は、何をしようとした?
―この狐を殺そうとした―
何で?
―この狐が、魔だから―
だからって、そんな簡単に殺そうとするんて・・・
―何を今更・・・だってお前は・・・―
「あ・・・あああああ・・・・・・・・・」
―数え切れない位、何の罪もない人達を殺してきただろう?―
「あぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!」
紅く、赤く、朱く、緋色に染まった神社に、俺の悲鳴が響き渡った。
あとがき
こんにちは、トシです。
今回はちょっと短め、そして微かにホラー風味。
花見イベントの前なのに、何でこんな暗い話になってるんでしょうか?
それでは、今後もよろしくお願いします。