『瞳に光が映らない君の笑顔が眩しくて 後編』
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「祐一君は、サンタクロースみたいな架空の存在を、いくつくらいまで信じていた?」
祐一があの事件で失ったものは、例えるなら『貝合わせ』という遊びに使われるハマグリのかいがら貝殻の片割れのようなものだった。
ハマグリなどの二枚貝は、左右の貝殻がぴたりと合わさるのは本来の組み合わせだけしかない。
そこから、いくつもの貝を左右ばらばらにして、ぴたりと合わさる組み合わせを何組つくれるかを競う『貝あわせ』と言う遊びが生まれ、
やがて時代を経ると、百人一首の上の句と下の句を、左右の貝殻それぞれに書いた工芸品なども造られるようになった。
祐一が『せをはやみ 岩にせかるる 滝川の』と書かれた貝殻だとしたら、あの事件で彼が失った存在とは、
『われてもすゑに あはむとぞおもふ』と書かれた貝の片割れなのである。
もう探しても見つからないし、けっして代用がきくものではない。だからこそ祐一は縛られた。
祐一くん、例え今は離ればなれになっても、いつかまた逢おうね。
――それは来世でこそ添い遂げましょうという錯覚になって、祐一を誘惑した。
だが、祐一は九月夜と出会った。彼女と一緒にいたいと思った。彼にはそれで十分だった。
「サンタクロースか。えっと、最初サンタクロースの話を聞いた時って、俺すごく興奮してさ」
向かい合い、息がかかるくらいの距離で言葉を交す祐一と九月夜の二人は、あるいはむつみ合う恋人同士にも見えるだろう。
そのことについて祐一は、そこに恋愛感情はないなどと虚勢をはることをやめた。
ただ、他人からどう見えるのかなどは問題ではなく、自分が九月夜と一緒にいたいのだと、そう思う気持ちにいつわ偽りがない以上、
相手をした慕う気持ちがある以上、それは恋愛感情と呼べるのかもしれないと、そう思うことにした。
ただ、ことさらにそのことを意識しないだけで。そう、祐一は九月夜に恋している。
「興奮って?」
「ああ、うちは母子家庭だったせいで、あまりおもちゃとか買ってもらえなかったからさ、
そりゃ今でこそ、自分の境遇を他人の境遇と比べても何も始まらないとか思えるけど、
小さい時は、近所の子が新品のロボットのおもちゃとか持っているのを見たりすると、正直うらやましいって思ってたんだ。
でもさ、そんな時に保育園でさ、サンタクロースの話を聞いて、クリスマスってのはプレゼントがもらえる日なんだって、
すごくはしゃいだのを今でも覚えてる」
「そうだね、子供にとっては赦しの日じゃなくて、プレゼントがもらえる日なんだよね」
「ああ。でも、いよいよ十二月の二十五日になって、プレゼントはもらえたんだけど、
サンタクロースは変装した保育士のおじさんだったんだなこれが。
だからさ、サンタクロースの話を知ったのとほぼ同時に、サンタクロースのメルヘンは打ち砕かれたみたいなもんだな」
九月夜が笑う。祐一も笑う。
「でもな、不思議なもんで、サンタの話を聞いた時って、トナカイが空を飛ぶとか、
そもそもサンタのプレゼントはどこでどうやって用意されるのか、そのお金はどっから出るのかとか、全然疑問に思わないんだ。
ただ、プレゼントがもらえるんだって、それだけが頭の中にあったんだと思う。九月夜は、いくつくらいまで信じていたんだ?」
「私も祐一君とそう変わらないかも。でもね……」
そこで小さく含み笑いをして、九月夜は祐一の手を取った。
「サンタはすぐに信じなくなったけど、でも私、ドラえもんはずっといるって思ってた」
「……ドラえもん? あのアニメの?」
「そう、ドラえもん」
そう言って柔らかく微笑む九月夜を見て、祐一は何か嬉しくなる。
「これって、祐一君の小さい時の思い込みに似てるんだけど、そう思う、ドラえもんは現実にいるって思う根拠が、ちゃんとあったんだよ」
「ほう、それじゃあ、ご説明願おうかな?」
「うん。サンタは信じなくても、ドラえもんは実在しているって思った根拠。
それはね、ドラえもんには、私にとってその存在を証明する証拠があったの」
「証拠?」
「ええ、証拠。それは声よ。私の知ってるドラえもんは、アニメのドラえもんだけ。マンガの方は、見たくても見れないから。
でも、アニメだと音声で楽しむことができるし、一緒に見てくれた母さんや下の二人と一緒に、
どんなことが画面で起こっているのかを実況してくれたから。
今思えば、けっこうひどい内容だって思える部分とかあるけど、ジャイアンとか。
でもね、祐一君がサンタの存在を、プレゼントをくれるというだけで、他の現実的な部分に疑問を覚えなかったように、
私もドラえもんの万能的な、ピンチの時になんとかしてくれる、
道具を出して助けてくれるところに、なんか一種の憧れみたいなものを持ってた」
「そっか……、目が見えるようになる道具を出してくれるとかってか」
「うん、そう。いつか机の引出しから飛び出してきて、ポケットを探って道具を出してくれるんじゃないかって、
ドラえもんの存在を信じてた時は、本当に何度もそう思った」
うなずき、祐一は九月夜の手を握り返す。
「ちょっと話が逸れちゃったね。
そう、声が証拠ってどういうことかというと、つまり私は、ドラえもんの声がするからには、ドラえもんはいるんだって、そう思ってたの。
子供には子供の理屈が、子供なりの論理があるんだね。本気でそう思ってた。
ようするに、ドラえもんの声は、ドラえもんが出しているんだってそう信じてたのよ」
「……そっか、ドラえもんの声はドラえもん本人が出しているっていう思い込みか。
そうだな、小さい時には声優さんなんて知らないからな。
だから、ドラえもんの声は大山のぶ代さんが出してるんじゃなくて、ドラえもん本人がスタジオにやってきて収録していたと」
ドラえもん本人がアニメの制作スタジオにやってきて、アフレコをする様子を思い浮かべて、二人は吹き出した。
「多分ね。そんな細かいディティールまで想像してたかは分からないけど。
でもね、その理屈で言うと、のび太君をはじめ、しずかちゃんも、みんな実在していることになるじゃない?
でも、そのことを不自然に思ったりしなかったの。
まったくのび太君は毎回毎回0点取って、ジャイアンに追いかけまわされてしょうがないよなぁ〜とか、
しずかちゃんはよくお風呂を覗かれるなぁ〜とか、思ってたの」
「多分、今の子供よりは、ずっと空想できる余裕があったんだと俺は思うんだ。
ううん、今でも、何とか戦隊とか、何とかレンジャーになりたいって思う子供は、絶対にいると思うんだ」
九月夜は力を得たように何度もうなずく。自分の伝えたいことが、今確かに祐一の中に浸透していくのを実感しているように。
「なんで、架空の存在の実在をどうのとかいう話をしたかって言うとね、
なんていうか、私は物語の力と、それを伝達する声の力を信じているの」
「物語の力と、声の力?」
「うん。小さい時に、枕元でお母さんが話してくれた童話とか、昔話。それからお母さんが創ったお話ね。
何も見えない私にお母さん自身のイメージを伝えるのには、目の見える人には一行で済むことを、何行にも何十行にもする必要があった。
でも、耳元でやさしく響くお母さんの声が私の中で膨らんで、色んな気持ちを引き出した」
祐一の場合、母親は女手一つで自分と妹を育てるために毎日働き詰めで、お話を聞かせてくれる余裕などなかった。
だが、九月夜の言葉の一つ一つが、祐一には明確なイメージを伴って映像化されるようで、
まるで自分自身が九月夜と同様の経験をしたかのような錯覚を覚えた。これが声の力かと。
「見えなくても世界は広がる。それが嬉しかった。
ドラえもんの存在を信じることは、一種の逃避なのかもしれないとか思ったこともあるけど、
母さんや満月たちを通して私に入ってきた色んなイメージは私を豊かにしてくれたわ。だから、私は物語と声の力を信じている」
「物語に声の力……か」
「物語と声の力は、見えない人にも世界を見せてくれる。
じゃあ、耳が聞こえない人には声の力は通じないのかってことになるけど、でも、絵が見せてくれる世界がある。
絵が心の中で音になって響く。そういう風に考えるのは、子供っぽいかな? それに……目も見えず、耳も聞こえなければ……
私の言っていることは、やっぱり限られた人だけに通用する思い込みなのかな」
「人には人の境遇がある。そのこと自体を呪っても仕方ないと俺は思うんだ。
九月夜は、九月夜にできることをすればそれでいいんじゃないか……ちょっと格好つけすぎだな」
わずかにためらいを見せた九月夜は、だが、大きくうなずいて笑顔を作った。
「ううんそんなこと無いよ。そうだよね。私は私にできることを……
どんな境遇の人にも広く伝わる何かを作るなんて、そんなことを考えてるわけじゃないもんね。
そう、ただ私は何か形を作ってそれを伝えたいだけ。
伝わらない人もいるかもしれないけど、だからってそこで停滞していたら何も作れない」
「九月夜は何を作りたいんだ?」
そう訊いて、祐一は愚問かと思い直す。だが、九月夜はその言葉を待っていたかのように、
「うん、私は絵本を作りたい」
あまり大きな声ではなかったが、透き通る声ではっきりと言った。
「絵本……か。それ、俺にも手伝えることあるかな?」
「祐一君がいなかったら、私、ここまではっきりと絵本を作りたいって思わなかったよ。
だから、できるなら祐一君に絵を描いてもらいたい。そ
の絵を私は見ることはできないけど、きっとすてき素敵な絵を描いてくれるって、そのことも信じてる」
「そこまで言われると、責任重大で少しプレッシャーになっちまうな。でも、そうやって人に信頼されるのは気分がいいぜ」
二人で創造する何か。それが二人が出会ったことの記念碑となることを、祐一は信じて疑わなかった。
『それは、遠いとおい昔の、遠いとおい国のお話。立派なお城が、あちこちで建てられていたような昔のお話。
お城から遠く離れたある村の、ある家族のお話。
ミントバレーという谷は、谷から吹き上げる風が、時に人の呼び声のように聞こえて、時に神様の囁きのようにも聞こえるといいます。
ミントバレーから吹く風と共に暮らすミントバレー村の人たちは、風とお話をして、毎日を過ごしていました。
ミントバレー村の村長さんは、谷から聞こえる囁き声を神様からのお告げだと信じて疑いません。
村長さんは、子供のころからずっとミントバレー村で暮らしてきたのですが、
村長さんがまだほんの小さな子供のころにちょっとした事件がありました。
村長さんのお爺さん、村長さんが子供の頃の村長さんが、口をすっぱくして子供たちに注意していたことがありました。
――あまり谷の方に近付きすぎると、『ガルール』というこわーいこわーいお化けが出てきて、食べられてしまうかもしれん。
『ガルール』は、神様からのお告げをじゃま邪魔するために、谷に吹く風を飲み込むためにやってくるお化けで、
とても大きな鳥の姿をしていると、村長さんのお爺さんは言いました。さらに驚くことに、
――『ガルール』は、時に鳥に、時に狼に、時に霧になっていつでも谷を狙っておる。
谷からのお告げを聞きに行くわしらを狙っておる。だからけっして子供だけで谷の方に行ってはならん。
村長さんのお爺さんは何度もなんども注意しました。
子供のころの村長さんは、お爺さんのお話を聞いてとても怖くなりました。
お爺さんがした、『ガルール』に手を食べられてしまった人や、耳をかじられた人の話が本当に怖かったので、
夜一人で眠ることができませんでした。
ある日のことです。子供のころの村長さんが、子供たちばかりで遊んでいたところ、冒険好きな男の子がみんなを集めて、
ミントバレーに探検をしにいこうと呼びかけました。
子供のころの村長さんは、お爺さんの注意があったので、子供だけでミントバレーに行くことを反対しました。
でも、探検に行こうと言い出した男の子が、『弱虫!』とはやしたてるので、悔しくなってつい、ついていくと言ってしまいました。
畑を耕すお父さんや、洗濯をするお母さんたちの目を盗んで、子供たちはミントバレーへと向かいました。
谷へと続く道を行くと、少しずつ木が増えて、木が林になり、林が森になり、突然木がなくなったかと思ったら、
目の前にぽっかりと口を開けたミントバレーが待ち構えていました。 子供たちは耳をすましました。
神様の声が聞けるのかと、みんなどきどきしながら静かに風が吹くのを待ちました。
ごうごう、ひゅるるる、ごうごう、しゅううう。
すると、静かに髪の毛を揺らしていた風が少しずつ強くなって、風の音が谷を滑って、耳に入ってきました。
ごぉううう、るぅおおう、しゅああうう、ひゅるうう、るううう。
少しづつ、少しづつ、ゆっくりと谷から吹く風の音が何かの言葉のように聞こえてきて、子供たちははしゃぎ出しました。
子供のころの村長さんも、この時ばかりはお爺さんの言いつけも忘れてはしゃぎ、またじっと耳をすませました。
最初に「何か変だな」と思ったのは、冒険好きの男の子でした。
『なんだかみんながぼやけてみえる』そう言って辺りをきょろきょろと見まわし始めたのです。
子供のころの村長さんも気付きました。霧が出てきたのです。
――『ガルール』は、時に鳥に、時に狼に、時に霧になっていつでも谷を狙っておる。
子供たちはお爺さんのお話を思い出して急に怖くなりました。
すると、冒険好きの男の子が叫びました。『ころされる!』と。
子供たちは、谷から吹く風の声を、『そのまま谷にいるところされてしまう』というお告げだと思って、
みんな一目散に逃げていきました。 はぁはぁ言いながら村に帰ってきた子供たちは、自分たちの姿を見て驚きました。
みんな手や脚に切り傷がたくさんついているのです。子供たちは思いました。霧になった『ガルール』に食べられかけたんだと。
子供のころの村長さんは、谷に吹く風が神様からのお告げであると信じるようになりました。
それは大人になって、村長になっても変わりませんでした。
働き者のお父さんと、働き者のお母さん、それから五人の子供たち。
ミントバレー村のあるおうちに、いつも笑顔と笑い声の絶えない、とても評判の七人家族が住んでいました。
お父さんは、ミントバレーに生えているとても珍しい草や花を探すのが仕事です。
ミントバレーに咲く草や花は、とてもよくきくお薬になるので、
お城の方からミントバレー村まで家来の人たちが買いにやってくるくらいです。
お母さんは、布を織るのが上手です。
ミントバレーにはキレイなちょうちょう蝶々がす棲んでいるのですが、
その蝶々の幼虫が吐き出すマユから作った糸は、とても丈夫で、またとてもキレイなのです。
ただでさえキレイな糸が、お母さんの手にかかると、もっとキレイになって、
これまたお城の方から家来の人たちが買いにくるくらいの素敵な布です。
五人の子供たちは、みんなお父さんお母さんの言うことをよく聞いて、毎日お手伝いをしました。
お父さんお母さんにとって、自慢の子供たちです。 そうして七人家族は幸せに暮らしていました。
ところが、お母さんがお腹の中に六人目の子供を授かったころから、ミントバレー村の様子が少しずつ暗くなっていきました。
空はいつも曇り、お日様の顔が見えない日が続きました。畑のお野菜も元気がありません。何より、谷に風が吹かなくなったのでした。
それまでとても豊かだったミントバレー村に、なんだか急に元気がなくなったようで、村長さんは困り果てました。
頼りにしていた風の声も聞けないようでは、もうどうしていいのか分かりません。
そんな時に、あの七人家族に新しい家族が生まれました。
村の中に元気がなかった時に、とても喜ばしい話だったので、村長さんは急いで七人家族の家へ行きました。
そして村長さんは見ました。六人目に生まれた子供の、とてもこの世のものとは思えない姿を。
六人目の子供には、目がありませんでした。鼻は潰れて穴だけが目立っていました。
耳もなく、口は歯がむき出していて、何より男の子なのか女の子なのかもわからないくらい、体に肉がついていませんでした。
村長さんは、驚いて逃げ出してしまいました。
六人目の子供が生まれてから、ミントバレー村の中に良くないうわさ噂がひろがりました。
――あの家族に生まれた子供を見たか? あれは悪魔の子供だ。
――お日様が差さないのはあの悪魔のせいだ。
――もしかしたら、あれは『ガルール』の生まれ変わりなんじゃないか?
――あいつが風を食べてしまったから、谷からお告げが聞こえなくなったんじゃないか?
村の人たちは辛くあたりましたが、お父さんもお母さんも、他の子供たちも、みんな六人目の子供を大切にしました。
ですが、いくら月日が経っても、六人目の子供は見ることも、話すことも、聞くことも、味わうことも、
触れてもらったことを感じることも、何もできませんでした。
ただ、六人目の子供には、他の誰にもできないことができました。それは、言葉も体も使わずに、家族とお話をすることです。
家族が呼びかけると、六人目の子供は耳がなくてもそれがわかります。
触ってもらって感じることができなくても、触ってもらっていることは分かります。六人目の子供は心でお話ができるのです。
六人目の子供は、自分を大切にしてくれるお父さんやお母さん、兄弟たちに、毎日まいにち『ありがとう』を言い続けました。
六人目の子供は言います。
――お父さんは言いましたね、どんな形でも命は命だと。お母さんは言いましたね、私たちがそうすることが当たり前なんだと。
兄さんたちは言いましたね、おまえはまちがいなく兄弟だと。僕には何もできないけど、ありがとうしか言えないけど――』
そこまで言うと九月夜は口をつぐみ、深く溜息をついた。そのまま、腰掛けたベッドに両手をつく。
物語の内容もさることながら、淡々と語られた前半部に対して、七人家族が登場する辺りから描写が大雑把になったことや、
何より九月夜が話を切った部分が祐一には引っ掛かっていた。
話の要素を分解してみると、例えば劇中に登場する怪物『ガルール』は、自然科学の発達していなかった昔話の世界において、
その当時を生きる人には人知を超えているとしか思えない現象を説明するための一種の説明装置であると考えられる。
または、恐怖を持って子供をコントロールしようという、これも一つのシステムであるか。
神の囁きとも言われるミントバレーに吹く風は、日常の中に神が生きていた昔話ならではの設定と思われる。
そして本題である、六人目の子供が生まれた時と同じくして、村から活気が消えたという展開。異形の子供の誕生。
村人の間に蔓延するまことしやかな噂。
村人たちの噂は、村から活気が消えたことや谷の風がやんだことといった不可解な出来事を、
村人たちが自分たちの理解の及ぶ範囲で説明し納得するための方法の一つであり、現実にも行われてきたことである。
あとは、物語の核であると思われる六人目の子供――
このあらゆる感覚を持ち得なかった異形の子供に、はたして九月夜はどういった想いをこめているのか。
それを読み取ることが自分には出来ているのか。祐一は戸惑っている。
祐一は考え違いをしていた。九月夜が作りたいと言った物語は、もっと明るく心楽しい内容だと心のどこかで決めつけていた。
しかし、彼女が語った話には、明らかに彼女自身の姿のメタファーとも言える存在が登場した。
「この話、ラストに向けての大きな展開は、もう決まってるんだ」
隣に座り、クロッキー帳を持って黙り込んでいた祐一に向けて、九月夜はぽつりと言った。どこか、自嘲気味にも響く声だった。
「村長をはじめ村人みんなが、六人目の子供を殺して神様への生贄にするんだって騒ぎだすの。
そうすればまた風が吹いて村は元通りになるって」
祐一は妙に納得した。
「確かに、生贄とか人柱とかって発想は、前近代まで実際にあったって話だ。
でも、他人を犠牲にして、それで自分自身の幸せを呼ぼうってのは、俺には理解が出来ない。なぜ自分だけ助かろうとするんだ!?
どうしてみんなで助かる方法を考えたりしないんだって思ってさ」
「うん、そうやって本当に事態が良くなっても、素直に喜べるのかなって。ううん、実際喜べるのかもしれないけど」
そこでまた九月夜は黙り込む。九月夜の言いたいことはそんなことではない。祐一は察する。
「七人の家族は、どうしてそこまで六人目の子供を大切にするのかってことだよな?」
「うん。例えばペローの『赤ずきん』では動物である狼が擬人化されて登場するけど、
これは森に潜む悪漢や人さらいを寓意した存在であるの」
「ああ、少し前に、ヨーロッパなんかの童話や寓話は実はとても残酷だ、みたいなことを紹介した本があったけど、
その本にあるように、本来『赤ずきん』では、お使いに行った赤いずきんをかぶった女の子は、狼に食べられてしまって、
そこでお話は終わりなんだ」
「ええ、それってどういうことかというと、つまり、この『赤ずきん』という話自体が、一つの教訓だってことよね。
子供が一人で出歩いていると、いつどんな危険が待っているかもしれないっていう。
それと同時に、この話って、もとはヨーロッパの昔話で、『赤ずきん』はペローがそれを翻案したものらしいけど、
それくらい治安が悪かったってことも表しているよね」
「その通りだ。その辺は、山を越えようとすると、必ず山賊が追いはぎに現れる日本の昔話に共通する要素だと俺は思ってるんだ」
「うん。他にも、こっちの方が私の言いたいことのニュアンスに近いかな……、
グリムの『ヘンゼルとグレーテル』ってあるじゃない、兄妹がお菓子の家に迷いこむ話。
あれって最初ヘンゼルとグレーテルは森に捨てられるわけよね。その理由は何かっていうと、ありていに言えば口減らし。
養えないから親が子供を捨てる。
これも単なる作り話じゃなくて、実際に子供や老人が捨てられることは日常的に行われてたってことをほのめかしているのよね」
九月夜の話の進め方に、祐一は何か懐かしいものを感じていた。
「日本にも姥捨て山なんて話があるし、これは珍しいことじゃない。
でも、そう考えると、子供やお年寄り以上に、働き手として何の期待もできないような存在がいたとしたら――
目も見えず、口も聞けず、自分で動くこともできないような存在はどういう扱いを受けるかしら。
いいや、魔女裁判なんてバカバカしいことを本気でやっていたような時代でなら、間違いなく生まれた時にすぐ……」
九月夜は『殺される』と続けようとしたが、その言葉を発することが恐ろしい禁忌を破るようで、彼女は口をつぐんだ。
そのことを祐一は察し、口を開いた。
「でもさ、七人家族は六人目の子供を大切にするんだよな? 望まれない子供だなんて思わない。
どんな形でも命は命、同じ地球に存在する一つのものだって」
「でも、それってキレイごとだって言われたら、それまでのような気がする。
社会の効率に照らしてみると、何も生み出せない人間は物の数に入らないから、そういう人間は最初から黙殺するべきだ、
みたいなことを言う人もいるし。そういうことを言う人は、能力のある人間が、ない人間を導くのが当然みたいなことを、本気で言うの。
でも七人家族は、異形だと言われても自分たちの家族を守ろうとする。それって可笑しい事かな?」
九月夜の問いに、祐一は自身を振り返る。答えはすぐに見つかった。
「今まで生きてきてさ、長くも短くもない時間の中で色んな人と出会って、中には障害を持っている人も何人かいた。
その中に、生まれた時から脳性麻痺と筋ジストロフィーで、知能障害と重度の身体障害を持った女の子がいたんだ。
その子は目は見えてるし、耳も聞こえてる。噛む力はないから固形物は無理だけど、ご飯は食べられる。
でも、痙攣的に身体を動かせても、立ち上がったりすることはできなかった。
何かの信号みたいな奇声は出せても、喋ることはできなかった。何より、自分からは何もできないんだ。
そうして、家族の人は、その子の世話をするだけで一日を追われてる感じだった。
でもね、辛いとか苦しいとか、そんなこと絶対言わないんだ。キレイごとでもないんだ。
ただ、その人達にとって、そうすることが当たり前だったんだ」
祐一は九月夜の手を両手で包んだ。
「矛盾なんて、いつでもどこでもあるさ、……
『差別反対、人権尊重』って声高に謳う共同体の中にだって、隠しようもなくいじめや差別は存在してる。
でもな、九月夜、自分にとっての当たり前を、そうすることを誇るわけでもなく、本当に自然にできる人も、またいるんだ。
……だってそれは人間だから。それは偽善じゃない。善意でもない。そういう次元の問題じゃないんだ。
ただ、そうすることが当たり前だっていう……ただそれだけなんだ」
……あゆ、お前はいつだってそういうふうに生きていたよな。
うつむいた九月夜の頬を伝って、涙の滴が彼女の手を包む祐一の両手にこぼれ落ちた。
「ほんと、キレイごとじゃないんだ。ね、祐一君、私を抱きしめて」
「ああ」
九月夜の腕を取り、体を引き寄せ、祐一は仰向けに倒れ込んだ。ベッドの上で二人の影が一つに重なる。
祐一の胸に頬をすり寄せるようにして、九月夜は息をついた。
「はぁ……ほんと、キレイごとじゃないんだ。私、なんであんな話考えたんだろ。
最後ね、六人目の子供を生贄にしようと、村人たちが七人家族の家になだれこんでくるの。
でも家族はけっして六人目の子供を差し出したりはしないで、一人、また一人と傷つけられる。
すると声が響くの、その場にいた誰もの頭に、六人目の子供の声が。その子は試す存在だったの、人間を。
で、ね、なんかノアの方舟みたいだけど、七人家族だけを連れて、六人目の子供は空へ羽ばたくっていう……なんなんだ、私」
「九月夜……」
祐一は目を閉じた。まぶたの裏にもう一つまぶたがあると思い、それをも強く閉じるような気持ちで。
すると、わき腹の辺りに感じていた九月夜の鼓動が形を持っているかのように明瞭に響いてきた。
目を閉じたまま、祐一はでたらめに首を振る。そして、ふと動きを止める。
次第に、自分の顔が今どこを向いているのか分からなくなってくる。自分が今この世界のどこかに浮いているような気持ちになってくる。
その中で、ただ九月夜の心音だけが、変わらず時間を刻んでいることを感じる。
全身が耳になったようで、脈動が、血流が、生を証明する全てが祐一を高めていった。
「九月夜……」
体を傾けて、祐一は九月夜の口元に顔を寄せた。
息が当たるたび、唇が喜びに震える。ゆっくりと揃う呼吸音が、タイミングを計っている。握った手と絡んだ指が――
「祐一君……」
二人の影は太陽が沈み影が無くなるまで一つであり続けた。
祐一は誰にともなく呟く。
「ほんと、キレイごとじゃないんだ」
後書きと言う名の座談会
b「ふう、疲れました」
ゆ「何が疲れたのよ」
b「いやーいろいろと追加してみたい話がいろいろあって、この話だけ全面的に改訂してみたんだよ」
ゆ「そうなんだ」
b「じゃあそろそろ本題に入ろうか?」
ゆ「そうね。じゃあどういう理由でこの作品を書いたの?」
b「理由ね……やっぱり自分の伯母さんの言葉と従姉妹の存在かな。伯母さんと従姉妹は盲目なんだ。
世間では視覚障害者って呼ばれてるな」
ゆ「それだけじゃないでしょ」
b「ああ、それは視覚障害者って言っても本当に普通の人と変わらないってことを、少しでも分かって欲しかったからなんだ。
まあ、前はネット友達とかだけに回してただけなんだけどな」
ゆ「baniraって障害者って言葉が嫌いよね」
b「普通の人と何かが違うからって障害者って呼ぶのもおかしいんだ。そもそも【普通】ってものが何なのか分からないんだからな」
ゆ「大多数の人間がそうだとそれが普通になって、それ以外が普通じゃない。常識と非常識に似てるわね。
b「確かにな。それに普通と普通じゃないの境目がどこまでなのかも分からないしな。
夜盲症みたいな結構聞くような物も障害と言うなら俺も障害者になるしな」
ゆ「そうだね。でも、何かが凄いくて、他の人とはかけ離れた何かを持っていても、普通じゃないって言わないよね」
b「そうなんだよな。普通じゃない人を障害者と呼ぶのなら、こういうのも障害になるはずなんだけどな」
ゆ「不思議な物だよね。」
b「そうだな」
ゆ「……そろそろお開きにしよっか?」
b「そうすっか」
ゆ「じゃあ閉めをよろしく」
b「おっけー。えっと、最後までこの作品を読んでくれている人がいたら嬉しいなと思っています。
そして、ほんの少しでも障害と言うものに対する考え方が変わってくれると嬉しいです。
それから、投稿したこの作品を掲載してくださったリョウさん、本当にありがとうございました」
ゆ「それでは皆様、また会える日まで」
b「さよならです」
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