魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS―――
―れっつ、ふぇいすてぃばる! 前夜祭編―
時空管理局本局。中央センター内の一室に男の声が木霊する。
「――お集まりの皆様。今年もこの季節がやって参りました」
その声は、これから始まる宴の熱に浮かされていた。
「皆様はこの日を心待ちにしていた事でしょう…」
「ああ…!」
「――この日の為に、我らは日々を耐え忍んできたのだ…」
「散っていった戦友に、私はようやく花を手向ける事が出来る」
男の声に幾つもの同意の声が響く。そのどの声にも、抑えきれない歓喜があった。
「――皆様の心は私に届きました…。それならば、下手な前口上はやめにしましょう!」
男の声と共に、立体スクリーンに大きく文字が浮かび上がった。
「では『時空管理局祭』の準備委員会の開会を宣言いたします!!」
「――――」
「いや、呆れるのは分かるんですけどね…?」
隣に座る副官のポカンとした表情に、リュウトは苦笑を浮かべた。
幹部が集まる会議があるということで同席していたアンジェリーナだが、まさかこんな『学校祭準備委員会』みたいなノリだとは思っていなかったようだ。
だが、長大な机に座って居るのは殆どが将官と佐官で、ちらほらと尉官が居る程度だ。確かに幹部が集まる会議ではある。
だが、アンジェリーナにとっては予想の遥か外にある光景だった。
「――――帰ってもいいですか?」
ポツリと呟く声も、いつもの様な凛としたものでは無い。
「いいですけど、これもお仕事ですよ?」
「――くぅ…!」
憎々しげに顔を歪めるアンジェリーナの様子に、リュウトは笑いを堪えるのに苦労した。
「まあ、これも管理局のお仕事ですからねぇ」
「この文化祭がですか?」
日頃、キッチリとした仕事振りで他の部署からの信頼も篤いアンジェリーナにとっては、この部屋の光景とノリは異様に映っていた。
「そうですよ。管理局主催の市民との交流祭、『陸』も『海』も『空』もここで目立って新入局員を出来るだけ集めたいんです。青田買いと言われても仕方がないですが、どこも人手不足ですからね。忙しいから直前にならないと準備もできません」
「はぁ…?」
リュウトの説明に納得したようなしたくないような微妙な相槌を打つアンジェリーナの目には、会議室の各所で行われている遣り取りがどこか遠くの世界の出来事に見えた。
「頼む! 同期の誼で、演習の時間をずらしてはくれんか?」
「そうは言ってもなぁ。お前には世話になったから聞いてやりたいが、これはうちの死活問題だしのう…」
「そこをなんとか! お前があの娘と結婚できたのはわしが紹介したからだぞ?」
「それは感謝しておるが、先天的に空戦魔導師になれるものは少ないのだ」
『海』の老提督と『空』の老将の過去を感じさせる遣り取り。
「貴様ぁッ!! それは我々に対する挑戦かぁっ!?」
「違いますよ先輩!! この予定を変えると、体験航海に間に合わないんですって!!」
「だから体験航海の予定を別の日に移せと言っているんだ!」
「それじゃあ僕たちが目立てないんですよ!」
『陸』の一等陸佐を必死に宥める『海』の二等海佐。
「――今年こそ、可愛い嫁さんをゲットだ…!!」
「ほう、お前はまだそんな事を言っているのか? 私で良ければ嫁に行ってやるぞ?」
「無茶言わんで下さい隊長! オレは家庭で癒されたいんです!!」
「――――それはあれか、私と一緒では癒されないと…? それにお前も今では将官だろうが、私よりも偉くなっておいて今更文句を言うな!」
会議とは別のベクトルで盛り上がる『陸』の若い将官と『空』の一等空佐。
「ふふふふ…。今年こそあんた達には負けないわよ…!」
「何を言う…。去年の屈辱、我らが忘れたと思っているのか?」
「何よ。私たちのミスコンにあんた達の男臭い降下演習が勝てるはずないでしょう? それなのに腹いせにミスコンの舞台に演習用魔法ぶち込むなんて…!」
「ふん…! あんな色仕掛けで入局する奴など役に立たんわ!」
つばを飛ばし合いながら口論をする『海』の女性士官と『陸』の部隊長。
これが次元世界の平和と秩序を守る時空管理局の高官たちだと外部に知られれば、来年の予算はすごく減るかもしれない。
「――コーヒー淹れましょうかね」
「――私がやります」
やる事がないと精神的に辛いのだろう、アンジェリーナはふらふらと立ち上がり、ふらふらと会議室の片隅にある給湯スペースに近付いていく。その足取りに、リュウトは不安を覚えた。
「あ、壁にぶつかった」
ふらふらと壁から離れるアンジェリーナ。その姿はもはや生ける屍だ。
そんな時――――
「――――ミナセ君!」
「は?」
「一日…いや、半日でいい! 演習艦隊の司令長官をやってもらえないか!?」
自分を呼ぶ声に視線を会議室に戻したリュウトの目の前に、黒い制服と紺色の制服を着た集団が集まっていた。
本局次元航行部隊の面々だ。
「演習艦隊には一般人を乗せた体験航海の艦船も同行する。そこに君がいれば――ふはははははははッ! 我らの未来は安泰だぁ――――ッ!!」
≪わっははははははッ!!≫
本当に大丈夫かこいつら――この光景を一般人が見たらこう思っただろう。
リュウトは一応同部隊なので、あまり妙なことは言えないが。
「君も提督としては半人前もいいところだ! 演習艦隊の指揮を執ることで経験も積める! いい話だとは思わんか!?」
「あ、いえ、ええと――」
「――――先の事件で艦隊壊したの誰かね?」
「――――私じゃないですよ?」
壊したのはマンティコアだ。
「それはともかく――――さあ!」
≪さあッ!!≫
子供が見たら絶対に泣くだろう表情で『海』の面々は鼻息も荒くリュウトに迫る。
その勢いに圧されて頷きそうになったリュウトだが、その彼の耳に別の集団の声が飛び込んできた。
「――まてぇえええええいッ!! ミナセ君は一陸士から管理局生活を始めたのだ! 我ら『陸』の総合演習の司令を勤めるに決まっているだろう!!」
≪そうだ! そうだ!≫
黒と紺の壁を切り崩し、茶の制服を着た集団が突入する。
まるで暴徒と警察官の激突のようだ。
「――というか、決まってない」
そして、至極もっともなリュウトの言葉は、誰の耳にも届かなかった。
「貴様らのようなもやし野郎どもにぃ! 我らのぉ! 心の友を差し出すわけにはいかぁん!!」
≪おおおお!!≫
「――――いや、心の友って」
いつから自分は彼らの友人になったのだろうか――リュウトは壁際に追い詰められながらも心の中で突っ込みを入れる。口に出したら殺されるかもしれない。
「ミナセ提督! 君は十年前に我ら『陸』の門を叩き管理局の局員となった! 士官学校に入るまでの数年間、君は確かに『陸』の精鋭だった!!」
≪そのとーり!!≫
「君が『陸』を離れ、戦技教導隊に所属した事も我々は大変名誉に思っている!!」
≪君は我らの誇りだ!!≫
うるさいことこの上ないが、本人たちは至って真剣だ。
その証拠に、彼らの目には光るものが浮かんでいる。
「その後提督となり、『海』の一員となった事も我らは気にしていない!!」
≪――き、気にしていない!!≫
「――――嘘くさ」
人垣の向こうから副官の呟きが聞こえる。
出来れば助けて欲しいなぁ――などと思いながら、リュウトは冷や汗を垂らしていた。
「そして今! 君の役目は『陸』の演習司令官だ!!」
≪おおおおっ!!≫
「――普段は小僧呼ばわりなんだけどなぁ」
「気にするな!!」
≪するな!!≫
自分たちと同じ部隊なら面子も気にならないらしい。
先ほどの『海』とは違う意味でリュウトは頷きそうになる。ここで拒否したら無人の未開世界に一人で放り込まれかねない。ジャングルや砂漠、荒野で彷徨うのは人生で五回以内にしたいとリュウトは思っているのだ。
だが――――
「――――甘いわ! リュウトは我々『空』の最精鋭、航空戦技教導隊の元エースよ!? 今でも籍は残してあるし、エースオブエースの称号を持つ一人なのよ!? 私たちのステージに立つに決まってるじゃない!!」
「ステージ!?」
周囲を埋め尽くしていた暴徒――っぽい幹部たちを蹴散らし現れた白と青の集団、その中で先頭に立つ元同僚の言葉に、リュウトはこの日最大の驚きを味わった。
「歌って踊れる提督――じゃなかった、戦技教導官目指して特訓よ!!」
≪若いっていいね!!≫
いや、よくねーよ!?――――『空』の局員たちの下で潰された『海』と『陸』の幹部たちが声にならない叫び声を上げる。
一部では嬉しそうな悲鳴が聞こえるが、それを気にするものはいない。
「トークショーに握手会、舞台に主演映画、どこに躊躇う理由があるの!?」
(いや、全部です)
心の中で思っても口には出せない。ヘタレオブヘタレに相応しいへたれっぷりだった。
「非公式ファンクラブも動いているわ! ここであなたに認められ、公式ファンクラブとしてあなたを見守ると!!」
「それってストーカー……ぐべ」
ぐりぐりと『海』の提督の頭を潰す『空』の幹部。
その顔には恍惚とした表情が浮かんでいる。
「そ・れ・に…」
「!?」
リュウトは目の前に立つ女性の変化に凄まじい危機感を覚える。
このままでは色んなものを失う――と。
「あの時のちびっ子がこんなに立派になって…………収穫時ね」
「失礼しましたぁ!!」
唇を艶かしく舐める教導官の姿に、リュウトは全力で逃げ出した。
すぐに捕まるだろうが……
「ていとくー? コーヒー冷めちゃいますよー?」
「――――みぎゃああああああああああっ!!」
「――――」
会議室の一角を占拠する三部隊入り混じった集団から、アンジェリーナのよく知る声が響いた。
どうやら捕まったらしい。
普段は飄々としているが、こうして攻められると弱い――――アンジェリーナは自分の心のメモにしっかりとそれを記す。
「――――コーヒー……」
「いらないなら貰うわよ?」
背後からのその言葉と同時にアンジェリーナの持つ盆から重さが消えた。
アンジェリーナがそれに驚いて振り向くと、そこには彼女もよく知る管理局の幹部の姿。
「――レティ提督?」
運用部のレティ・ロウランだった。
仕事の関係で幾度も顔を合わせている人物だ。
「こんにちはアンジェリーナ。あなたの上司は――――」
「髪! 髪抜ける!!」
「――――しっぽ、引っ張られてるみたいね」
「――――ええ」
実は一度引っ張った事があるアンジェリーナ。
前科持ち故、その表情は少し固い。
(――――目の前で揺れてたら誰だって気になるじゃない…!)
「下手に伸ばすからよ。あれがいいって娘もいるみたいだけど…」
「――――アホ鳥ですね」
レティはひんやりとした空気が隣から漂ってくるのを感じる。だが、そちらに目を向けることはできない。
「いや、あの娘も尽くすタイプだし…ね?」
「――――別にかまいませんとも、私には関係のない話です。提督の仕事さえ遅れなければ私は満足なんですから」
自分の言葉に頷くアンジェリーナ。
レティはその様子に苦笑する。
「それにしてもすごいわねぇ…… まあ、八方美人だからこうなるのよ。三部隊渡り歩いている幹部なんてそうそういないし」
「管理局員としてのキャリアとして素晴らしいものだと思いますが…」
レティはアンジェリーナのその言葉に表情を消した。
「――――管理局員も人間よ? 人間らしくない人間に、他人を救えると思う?」
「それは……」
「逆に人として大きな人物はそれだけで人を救える事もあるわ。――はやてさんみたいにね」
「…………」
レティのその言葉にアンジェリーナは何も言い返す事が出来ない。
「『プルガトリア事件』の結末は知ってるわね?」
「――はい」
「一部の連中はリュウトが管理局内の政争で勝ったと思っているわ。でも、実際はいいように使われただけ」
自分の顔が黒い湖面に揺れるのを、レティは静かに見詰める。
「元々リュウトに後ろ盾はないの。グレアム提督がそれに近かったけど、今はいない」
「『ヘンリクセン』は…」
「違うわね、彼らはリュウトに利用価値を見出しているだけ。ハワード代表は個人的にリュウトを気に入っているけど、それは『ヘンリクセン』の総意じゃない。利用価値がなくなれば切られるのよ」
「そんな…!」
アンジェリーナはレティの口から告げられる真実に口を覆う。
「あの子の後ろ盾は名が知られているという事だけ。管理局にリュウト・ミナセという魔導師が存在していると世間が認識しているからこそ、リュウトはこの管理局で生きていけるの」
「――――」
少しだけ冷静になったとき、アンジェリーナにはリュウト・ミナセという青年のもう一つの姿が見えた。
「情けない話だけど、今のリュウトに手を差し伸べる事が出来る存在は管理局にいないわ。私もリンディも場合によってはリュウトより下になるから…」
運用部の責任者という立場でも、出来ることは少ない。レティは自分の中で渦巻く二つの感情に翻弄されるリュウトを見守る事しかできなかった。
「ここに居る幹部はリュウトに対して協力的なメンバーよ。でも――」
「――――上層部主流派はミナセ提督を認めていない」
それが真実だった。
若い力を恐れる上層部はリュウトに主席執務官という役職を与え、飼い殺しにすることを目論んだ。だが、それはリュウトが功績を挙げることで不可能となった。
「主席執務官という役職は本来名誉職だった。実力のないバカでも適度な箔を付けられるっていうね」
主席執務官には多くの権限が与えられる。だが、それを使うことは許されない――それが今までの不文律だった。
それを、リュウトは破壊した。
「あの子は主席執務官という棺桶に押し込められる前に、その棺桶そのものを鎧に変えていた。その手腕は確かに素晴らしいものよ、私たち大人が青くなるなるくらい」
そして、事実青くなった者たちがいた。
「上層部は急速に力を増すリュウトに危機感を抱いた。その一端が『プルガトリア事件』」
上層部は自分たちの一員となった若者に対し、スコット・カーライルという人物を使い攻撃を仕掛けた。そして――――スコット・カーライルはリュウト・ミナセに敗れた。
「強硬派の一部は完全に押さえた。でも、多くの功績と引き換えに多くの敵を作ったわ」
強硬派に企業、犯罪被害者団体。十八歳の青年は多くの恨みをその身に向けられている。
「今でもあの子は多くの人々から恨まれている。きっとはやてさん以上にね」
誰かを傷付けたいと思ったことはない。だが、現実はそうはいかなかった。
「――――管理局に届くリュウト宛の脅迫状、一日何通あるか知ってる?」
「――――いいえ」
「知らない方がいいわ、見るだけで気分が悪くなるから」
その存在すら知らなかった――いや、目を背けていた。
誰かに感謝されるということは、同時に誰かに恨まれるという可能性を持っている。
アンジェリーナはそれを知っていながら意図的に無視していたのだ。
「十代の子供――ほとんど大人だけど、私たちからすれば確かに子供なのよ。そして、その子供によくもあれだけの感情をぶつけられると思ったわ。吐き気がするくらいね」
管理局に対する恨みをリュウト個人に向ける者、その名声を妬む者、ただの逆恨み。レティはその脅迫状を手に立ち尽くすリュウトを見た事がある。
「――――『分かっていたんです。ひとりを救うことはできてもふたりを救う事が出来るとは限らないって。でも、私はこうするしか未来を求められない』」
「――?」
「あの子が泣きそうな顔をしながら言った言葉。私もリンディも慰める事さえできなかった…」
自分の為した事に対して向けられる怨嗟の言葉、リュウトはその事実に打ちのめされた。
だが――――
「あなたもあの子が命に対して何を思っているか知っておいた方がいいわね…」
「え…?」
「前に管理局の施設に捨て子が届けられたの。赤ん坊と一緒に手紙が入っていてね、『この子をお願いします』って書いてあった」
もちろん、管理局はその子供の親を探した。
そして、見つけ出した。
「その子供の親は犯罪に巻き込まれて生活の術を失っていたわ。せめて子供だけでもって思って管理局に子供を置き去りにした」
時空管理局には保護施設もある。その子供の両親はそれを頼りにしたのだろう。
「結論から言えば、子供は両親の許に帰ったわ。なんとか生活保護を受けられるようになったみたい」
「それは、良かったです…」
両親と不仲であるアンジェリーナにとっては、自分をそこまで想ってくれる存在そのものが羨ましかった。
「その時にね、ひとりの幹部が言ったのよ『その両親は見通しが甘かった。己の子を捨てるなど、人として恥ずべき行為だ』って」
それはある意味正しい。だが、リュウトにとってはとても許容できる言葉ではなかった。
『見通しが甘かった? そんな後出しの言葉で他人を貶めるのはやめていただきたい! 真の意味で先を見通せる人間などいるはずはない。そのような事が出来るなら、人間は滅びるか永遠の平和を手に入れている!!』
一瞬で世界が壊れる感触、リュウトはそれを味わった。
普通に続くと思っていた未来があっさりと消える瞬間。
自分の世界など脆いものだと痛感した瞬間。
「未来が分からないからこそ、信念を変えることは出来ないの。誰も彼もが自分の心で戦ってるわ、なのはさんもそう。そして、その心がフェイトさんやはやてさんを救った。でも――――」
リュウトに返ってきたのは、悪意だった。
「あの子に、なのはさんにとってのフェイトさんやはやてさん、ユーノ君たちのような対等な仲間はいないわ。クロノ君は弟みたいなものだし、エイミィはリュウトよりもクロノ君の隣に立っている」
共に並び立つ人間がいないこと、それは人によって受け止め方が違う。
「リュウトはまるでその事実を恐れるように上を目指した。それが孤独を深める事になったのは皮肉だけどね…」
立ち止まれば自分を見つめてしまう、それをリュウトは恐れた。
自分の周りに自分のすべてを吐露できる友人がいない事に気付いたから…
「正直な話、近頃のリュウトは楽しそうよ。なのはさんたちを見て、『自分にもあんな友人がいたら世界が違って見えたのかもしれない』って言ってた。クロノ君とエイミィは怒ってたけどね、自分たちは友達じゃないのかって」
幼馴染たちと離れて一人で戦っていたリュウトに、後輩と仲間ができた。
自分に眩しい笑顔を向ける後輩たちに、リュウトは救われていた。
「ようやくなのよ、人をひたすら救ってきたリュウトが救われるのは。なのはさんみたいに家族に支えられることはできない。フェイトさんみたいに唯一無二の親友と歩む事も出来ない。はやてさんみたいに新たな家族と歩む事も出来ない。今のリュウトには、どれも存在しないから」
幼い頃からリュウトは聡かった。
だからこそ、家族を喪ったとき心が堕ちた。偽りの両親の姿を見て逃げ出した。
理性で死を、理解していたから。
グレアムに対する問いかけは、リュウトの見た真理を確認するための行為だった。
「話を聞く限りだと、リュウトとなのはさんは良く似ているわ。すごく小さい頃から自分の中で信念を持っていた。年齢不相応の心かもしれないけど、それでも彼らは自分の行く道を進んだ。結果は――――」
恐怖を感じるほど正反対だった。
幼いリュウトに信念を与えてくれた家族は消え去り、残ったのは魔法の力。
望む、望まないに関わらず、リュウトは力を得た。
ユーノとの出会いと共に魔法の力を得たなのはとはまるで逆に、別れと共に力を得た。
それが不幸だとはリュウトも思わない。思ってはならない、自分に向けられたリーゼたちの心を知っているからこそ。
「過去はどうにもならないわ。戻れるはずもないし、ましてや死んだ人を生き返らせる事はできない」
PT事件の際、リュウトはもう一つの可能性を見た。
家族を追い求めたプレシア・テスタロッサの姿に自分の望みを見たのだ。
「――――PT事件後にリュウトが海鳴に行くようになったのは、もしかしたら家族に謝りたかったのかもしれない」
家族を諦めたことを――過去として忘れようとした事を。
「過去に酔う事は楽な事。『自分は不幸だ』そう思っていれば心は安らかでいられる」
「――それは、悪ではありません」
「ええそうね。心に安寧があればいつか前に進めるかもしれない。自分だけの価値観でそれを否定する事はしないわ」
否定できればそれも楽な事だった。だが、この世界は一つの価値観で動いているわけではない。
「でもね――自分の価値観こそが相手の価値観よりも優れていると思っている輩もいるのよ。リュウトを否定する上層部のようにね」
自分の価値観こそが組織のためになると信じている者はまだいい、それは組織やそれに付随する人々に対する責任の表れでもある。
だが、己の価値観が己のためだけにある者は――――
「私も衝突する事は悪い事ではないと思うわ。それがよりよい方向へと何かを導くこともあるから。でも、衝突する事を恐れ、衝突する前に相手を殺そうとする者もいるの」
リュウトを慕う者たちがいる。それは同時にリュウトを疎ましく思う者もいるという事になる。
この世の物事は複数の面を持っている。
一つの面だけで存在するものを、アンジェリーナは知らなかった。
「――どちらにしろ、リュウトの周りの流れが止まることはないわ。本人の意思とは関係なくすべてを押し流す」
「――――」
「でも、リュウトにはあなたがいるわ」
「え?」
アンジェリーナの驚いたような表情にレティは言葉を続ける。
「あなただけじゃない、クロノ君、エイミィ、なのはさんたち。十年かかってようやくこれだけの仲間ができた」
仲間と共に成長する事はできなかった。
部隊を転々としてきたリュウトには多くの命を預けられる友がいる。だが、その彼らは上層部にいるリュウトを支える事はできない。彼らには彼らのすべき事がある。
「大人としてのプライドなんてくだらないものよ。子供に負けるのが気に食わない、あんな若造に自分の職分を侵されたくない、運だけの小僧に自分と同じ場に立って欲しくない――――上の連中が考えてることなんてだいたいこれと同じようなもの」
上層部には純粋にリュウトを認めているものもいる。
しかし、それはそれほど多くない。
「否定される事を恐れては進むことはできない、否定する事を恐れては認める事が出来ない」
「――はい」
「あなたは――あの子に否定されても信じられる?」
「――――」
分からない。
自分の事を否定する人間を信じられるかどうか。
だが――――
「――信じます。否定されてもそれが出来るかどうかは分からないですけど、今の提督は信じてもいい気がします」
「――――ありがとう。それで十分よ」
「いえ…」
珍しく照れたような表情を隠さないアンジェリーナに、レティは笑みを浮かべる。
だが、その笑顔は一抹の不安を内包していた。
「――――こんな人ができたのに、あの子は…………」
運命は止まらない。
この平穏が泡沫の夢であるとレティは感じていた。
「――――死んだと思った」
すでに死んでるのか――――アンジェリーナは上司の呟きにそんな感想を抱いた。
「心拍正常、しっかり生きてますよ提督」
「……できたら助けて欲しかったなぁと思ったりするわけですが――」
「生憎と自殺願望はありませんので」
「こんな冷たさでも心が休まる…」
「――――」
身も心もぼろ雑巾のようになったリュウトは会議室の床で今の平穏を噛み締めていた。
とゆーか、アンジェリーナの言葉が安らぎになっている時点で人生間違っている気がする。
「それで、どうなりましたか?」
「――――参加しますとも、全部」
「八方美人ですね」
「そう言わないでください。――――少しでも憶えていてもらいたいですから」
「――? 何か?」
自嘲気味に呟いたリュウトの言葉は、アンジェリーナには届かなかった。
それを寂しいと思いながらも、リュウトはにこやかに口を開いた。
「いえ、アニーさんも一緒ですからね」
「――――今何と?」
もの凄く不吉な言葉を聞いた気がする。
なんというか、世界が崩れ去るような。
「ですから、アニーさんも一緒にお祭回る――――って、それはダメです。机は不味いです。潰れます」
「――――」
ああ、どうして自分はこんな人の事を考えられないようなアホの事を信じるなどと言ってしまったのだろう――――
「――――ここで潰すのに」
「なんですとぉッ!?」
会議室の一角に置かれていたそれなりに大きな机は、細い女性の腕によって天高くへと持ち上げられている。
「――とゆーか、どうして持ち上がるんですか?」
「私の僅少な魔力ではこうして身体強化にすべてをつぎ込むほうが効率的です。攻撃なんて、殴れば十分ですから」
「――なんて漢らしい……」
「――――何か?」
自分の喉元に永久凍土の刃が突きつけられる幻影をリュウトは確かに見た。
内心冷や汗ダラダラ、でも表面上は冷静に、リュウトは自分の言葉を誤魔化す。
「いえ、ひょっとしてエイミィが格闘術を習ったていう先輩って…」
「私です。痴漢撃退方法を教えて欲しいと頼まれましたので」
「――――痴漢を叩きのめすのはいいとして、被害者と加害者が逆転した傷害事件になりそうですけど…」
「痴漢に人権はありません」
その言葉に、一切の躊躇いはなかった。
そりゃーもー清々しいほどはっきりとした言葉だった。
「――いえ、半分くらいはあるんじゃないかと」
「――――」
「――四分の一で」
「――――」
「――――とりあえず命だけは」
「――――分かりました」
交渉成立。この世の痴漢たちの命は救われた。
「ええと、ついでに机も下ろしていただけると大変嬉しいのですが…」
恐ろしいまでの腰の低さだった。
これが管理局の若き勇士の姿だと知られると、きっと誰かが泣く。
「――――」
「アニーさーん」
「――――」
「クルス二尉ー」
「――――」
「――――アンジェリーナさーん」
「――――」
無言。
ただひたすらに無言。
その沈黙に、リュウトは死刑執行を待つ罪人の気持ちを知った。
「仕方がないですね。ええと――」
自分の使い魔はなんと言ってこの副官を呼んでいたか、リュウトは記憶を漁る。
そして、最近聞いた呼び方を思い出す。
「――――フラットミニマム…?」
「!?」
反応があった。だが、それは嫌な震えとなってアンジェリーナの体を巡る。
そう、さながら噴火直前の活火山が震えるように。
「――――提督」
「はい?」
そして、断罪の剣は――否、机は振り下ろされた。
「――――失ね」
「い――――!?」
最後の瞬間リュウトの目に映ったのは、双眸を炯炯と輝かせる副官の姿だった。
後にリュウトは語る。
「ああ、あの振動ですか? いいじゃないですか、本局壊れなかったんですし」
リュウト・ミナセが怪我をして管理局祭に出席していたのは、たしかに記録に残っている。
新・オマケ
「リュウト…お前バカだろう」
「――――否定はしませんがね」
「そんな事言えば怒るに決まってる。ふ、ふら……などと」
「クロノに女心を教授されるとは……大きくなりましたねぇ」
「ふざけている場合じゃない。リンディ提督、レティ提督両名とアニー二尉、シグレ准尉、なのは、フェイト、はやて、シグナム、シャマルのG9緊急会談が行われているぞ」
「――――」
「武力行使が決定されれば、君は――――」
「――――に、逃げ……!」
「待ておい! 君が逃げたら僕が殺される!!」
「離してくださいクロノ! 私はまだやらなくてはならない事があるんです!」
「僕だってある! 普通は若い者を守るもんじゃないのか!?」
「二つ三つ違うだけで若さを主張しないでください。――――確かに身長は小さいですけど」
「なっ――――ここで叩きのめしてやる!!」
「掛かってきなさい!! ここで君を倒して未来を掴みます!」
自分の置かれている状況を忘れたアホ二人の対決は訓練施設を破壊した事で終了した。
今回の始末書。リュウト六五枚。クロノ六五枚。
ついでにその数日後、顔中に引っかき傷を作ったリュウトが目撃されたが、真相が知られることはなかった。
後夜祭編につづく
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
お祭編の前半というよりレティ提督によるリュウト講評といった感じになってしまいましたが、基本的にいい人なリリカルメンバーはリュウトの事をああいう風に評価しております。大人か子供か、男か女か、他にも個人差がありますが、だいたいあんな感じの評価を受けております。
アニーさんが机を持ち上げたときは私もビビリました、潰しちゃったし。
フラットミニマム――小さい平坦娘とでも訳してくださいな。
他にもいろいろありますが、アニーさんはシグレのことをポンコツチキンとか呼んでおります。あの二人は仲がいいですねぇ…
さて次回は管理局祭後編でございます。いや、中夜祭はどうしたとか言われると困るんですが…
後半では第三期のあの人たちが登場予定です。
あの人はきっと一尉くらいかなぁとか、あの子らはまだ七歳と五歳かぁとか、あの人って何歳だろうとか、色々やっております。ご期待ください。
それでは皆様、次回のお話でお会しましょう。