ある世界のある場所に一人の少年がいました。

 

 彼は心の奥底に赤き焔を隠し、優しき心に白金の魂を隠し、その身に真白き鎧を纏い、その両の手に二振りの剣を持って戦場へと向かいます。

 

 そこにあるのは血煙と憎悪、殺意と深い悲しみでした。

 

 少年は揺れます。

 

 救うために自分のすべき事は何であるのか、護るために自分の為すべき事はどこにあるのか、ただ悩みます。

 

 少年は一人の女性と出会いました。

 

 彼女は眠る少年に子守唄を贈り、彼の未来を案じます。

 

 そして、少年は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS 昔語り 第十夜―――

 

 

 

 

―護り手の生まれた日、そして……  前編―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 

「一体、何があったの?」

 

 

 クラナガンから半時間と少し、リュウトとリンディがヘリから降りた場所は、怒号や悲鳴などの喧騒が支配する世界だった。

 

 

「重機持って来い!! そうだ! 削岩機だ削岩機!! 掘削機じゃ保たないんだよ!!」

 

 

「あの、私の娘を知りませんか!? どこにもいないんです! お願いします、探してください!」

 

 

「おいおいおい、どうなってんだよ……! 誰か説明してくれよ!」

 

 

「要救助者、確認できるだけでも一〇〇〇人を下りません。ですが……」

 

 

「いいから早くあいつを出してやってくれ! あいつは病気なんだ!」

 

 

「おかあさ〜ん! おとうさ〜ん! どこぉ〜〜!! ねぇ! どこにいるのぉ〜〜ッ!!」

 

 

 ヘリの乗員に急き立てられようにその場に降り立った二人だが、その異様な光景に立ち竦むしかなかった。

 

 二人がいる大きな道路に面した公園には、人々の悲鳴や慟哭が満ち、怒号は消えず、こびりつくような哀願の声も耳から消える事はない。

 

 

「本当に何があったんだろう……?」

 

 

「分からないわ、本局は何も言ってこないし……」

 

 

 リンディは自分の携帯端末を操作すると、リュウトの問いに頭を振った。

 

 そんな時、二人のすぐ近くにいた女性の許に一人の子供が駆け寄ってきた。

 

 

「ママ!」

 

 

「良かった……! ここにいたのね!」

 

 

「でも、パパがまだ中に……車取ってくるって言って……」

 

 

「え……」

 

 

子供の言葉に呆然とする女性。

 

 どうやら親子らしいという事は分かるが、このような事態になっている理由までは分からない。

 

 それでも二人は親子の様子に尋常ならざる事態の発生を感じて息を飲む。

 

 

「“中”……?」

 

 

「火災でもあったのかしら?」

 

 

「でも、どこにも煙なんて……」

 

 

「そうよね、人はいるけど……施設も異常はないように見えるし……」

 

 

 リンディは周囲を見回す。

 

 ここは湖とそれに面したレジャー・商業施設で成り立っている場所だ。

 

 レジャー施設も多く、ホテルや天然の温泉を使ったプールなどもあり、テレビでもその宣伝を良く聞く一大行楽地区として知られている。

 

 だが、リンディの視界の中で何か異常が起きている施設は一つたりとも存在していない。

 

 

「施設の異常じゃないのかしら? 私に連絡が来ないって事は事件って可能性も低いし……」

 

 

「地上の事だからじゃないの?」

 

 

「いくら地上の事でも、こんなに大きな騒ぎになっていれば私たちにだって非常呼集はかかるわ。こう言ってはなんだけど、機動力に関しては私たち“次元航行部隊(うみ)”も負けていないもの」

 

 

「陸戦部隊もいるしね」

 

 

「ええ」

 

 

 地上である以上、ここは時空管理局地上本部の領分だ。リンディたち本局の人間に情報が下りて来ない理由も分からなくはない。

 

 だが、万が一に備えるためにもリンディたちを呼び戻してもいいはずなのだ。

 

 

「――――まるで地上本部も本局も手を出しかねているみたい、本当におかしいわね……」

 

 

 リンディの呟きを聞きながらリュウトは周囲を見回す。

 

 どこも静寂からは程遠く、人々や機材の発する様々な音で満ちていた。

 

 そんな中で、リュウトの耳に地上部隊が正式採用している高機動車のエンジン音が聞こえてくる。

 

 そのエンジン音はやがて都市迷彩を施された高機動車の姿へと変わり、リュウトとリンディのすぐ傍で停車する。そして、その運転席から身を乗り出した若い陸士が周囲に負けないように声を張り上げた。

 

 

「あなたがミナセ二士ですか!?」

 

 

「え、ええ、そうですが……」

 

 

 突然自分の名前を呼ばれて驚くリュウト。その隣にいるリンディもまた、目を見開いていた。

 

 

「臨時指揮所に案内するようゼスト三尉から命令を受けました。同道願えますか?」

 

 

 そんな二人に構わず、三等陸士の階級章を付けた陸士がリュウトに同行を求める。

 

 リュウトは陸士の切迫した様子に、異議を唱える無意味さを悟った。

 

 

「――――分かりました。彼女も一緒でいいですか?」

 

 

 一つ頷き、そう言ってリンディを示すリュウト。

 

 陸士は少しだけ悩む様子を見せると、すぐに首肯した。

 

 

「ここまで来たのなら機密もないでしょう。どうぞ、お乗りください」

 

 

 ここに来ているということでリンディが管理局員だと察したのだろう。陸士は思ったよりもあっさりリンディの同行を許可した。

 

 

「だってさ」

 

 

「ええ……」

 

 

 リンディがリュウトの後に続いて高機動車の後部座席に腰を落ち着けると、シートベルトを着ける間も無く、獰猛な獣の唸り声のようなエンジン音を響かせて高機動車は発進した。

 

 

「いたッ!」

 

 

 リンディが腰を固いシートに打ち付けたのは、単にこのような車に乗り慣れていないからだけではないのだろう。運転手の陸士も安全運転をしているとは言い難いのだから。

 

 

「大丈夫、リンディさん」

 

 

「だ、大丈夫よ……いたた……」

 

 

 隣に座るリュウトの言葉に何とか答え、リンディは顔を顰めながらも前方を見据える。

 

 その様子に安心したのか、リュウトは運転席の陸士に声を掛けた。

 

その間にも片道二車線の道路は引っ切り無しに地上部隊の車両が往来し、その車両には多くの機材が積まれていた。

 

 

「三士、これは一体どういう事態なのですか?」

 

 

 リュウトの乏しい経験では、とても現在の状況を理解することはできない。

 

 少しでも事態を把握しようと年上の陸士に訊くが、陸士の回答はリュウトの望みを叶えることはできなかった。

 

 

「は、自分にも詳しい事情は……ですが……」

 

 

「何か?」

 

 

「――――どうもここに来ているすべての部隊が足止めされているようで、最前線はあの公園の比じゃないほどすごい事になっていますよ」

 

 

 陸士はその目に明らかな困惑を宿していた。彼自身もリュウトと同じ疑問を抱いているのかもしれない。

 

 

「足止め……」

 

 

 一体何に足止めされているというのか――――リュウトがその疑問を口にしようとした時、彼の目に道路を塞ぐ検問が見えてきた。

 

 

「――――検問まで? 下手に時間取られなければいいけど……」

 

 

「ええ、自分がここに来たときにはもうこの状態でした」

 

 

「一体何が起きてるのかしら……」

 

 

 リンディの不安そうな声がリュウトの耳に届いた時、車は検問に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトの予想ははずれ、検問では大して時間を取られることも無かった。

 

 単に陸士部隊制式採用の車両をいちいち確認するほどの余裕が無かっただけだったのかもしれないが、それでもこのような状況で無為な時間を過ごすという事がリュウトには耐え難い苦痛であったから、その意味に限ってなら幸運だったと言えるのかもしれない。

 

 だが、周囲の喧騒を思えば、その評価も夥しく場違いだ。

 

 二人は検問を抜けて、湖の西にある山を貫く隧道(トンネル)の入り口らしき場所へと来ていた。

 

 正確に言うなら、隧道(トンネル)の入り口を辛うじて視界に収められる場所にいたというべきだろうか。

 

 

「三尉はこの先の幕舎に居られると思います」

 

 

 そう言って、ここまで二人を案内してきた陸士は車で走り去った。

 

 平時なら礼節を欠いていると言っても間違いではない行動だが、この非常時に於いては誰も文句を言おうとは思わない。

 

 そして道路を埋め尽くすほどの管理局局員と車両の数を見る限り、この先は車での通行が困難だと分かる。陸士の行動もそれを見越してのことだろう。

 

 

「――――あら……?」

 

 

「何?」

 

 

「ううん、あそこ……」

 

 

 そう言ってリンディが指し示したのは、道路の横に立っていた看板だった。

 

 そこにはミッドチルダ語でこの先にある施設の名前と種類が記されていた。

 

 

「大深度地下のアミューズメントシティ?」

 

 

「そう、みたいね……」

 

 

 どうやらこの先にあるのは山などを貫通する類の隧道(トンネル)ではないらしい。

 

 看板の説明を見ると、地下数十メートルまで掘られた広大なスペースに様々な娯楽施設が集約され、地下であるが故に周囲に与える様々な問題を解決しているというものだった。

 

 確かに景観を損なう事もなければ、騒音などの問題も解決できるだろう。それに地震にも強いらしいという話を、リュウトはどこかで聞いた事があった。それがどこで得た知識なのかは思い出せなかったが、毎日のように記憶力の限界に挑戦しているこの小さな魔導師にしてみれば、それも至極当たり前の事だったのかもしれない。

 

 だがしかし、地下にそのような巨大施設を造るとなると膨大な費用と時間が掛かる。そう多く造れるような施設ではない。

 

 

「――――知らなかった」

 

 

「――――私も……」

 

 

 仕事柄一部を除いて世上に疎くなるのは仕方がないとはいえ、これだけ大きな施設ができていれば知らない人間は少ないだろう。

 

 そのような理由で半ば呆然としていた二人を、背後から怒声が襲う。

 

 

「お前らッ!! どこから入りやがった! 民間人はさっさと出て行け!!」

 

 

「!!」

 

 

 二人は同時に振り向き、その怒声の発生源である制服姿の下士官の形相に目を丸くした。

 

 周りの局員たちもようやくリュウトとリンディに気付いたらしく、私服姿の子供と女性に訝しげな表情を向けた。

 

 

「聞こえなかったのか!? さっさと出て行け!」

 

 

 下士官――陸曹長はさらに二人に詰め寄る。

 

 その異常な気迫に圧され、リンディが半歩退いた。

 

 

「ここは危険だと言ってるんだ! 家族の安否を知りたいなら向こうの公園にいる担当者に聞け!」

 

 

「あ、いえ……」

 

 

「何だ!?」

 

 

 陸曹長は事情を説明しようと口を開いたリュウトを充血した眼で睨む。

 

 陸曹長の様子にほんの一瞬だけ躊躇を見せたリュウトだが、すぐに気を取り直して敬礼し自分の身分を明かした。

 

 

「陸士二〇四部隊所属、リュウト・ミナセ二等陸士。二〇四部隊部隊長、リチャード・ミンギス二等陸佐から緊急派遣の命を受け、こちらの現場へと赴いた次第です」

 

 

「ミナセ……だと……?」

 

 

「は……そうですが……」

 

 

 身分を明かすことで状況の打開を図れると思っていたリュウトは、目の前の陸曹長が自分の名に反応を見せたのを不思議に思った。

 

 だが、次の瞬間にはその疑問も氷解した。

 

 胸を打つ衝撃と共に――――

 

 

「…………ふざけるなッ!!」

 

 

「が……ッ!」

 

 

 リュウトはその衝撃に吹き飛ばされた。リンディが慌ててリュウトに駆け寄る。

 

 

「本局の回し者が何の用だ!? ここはお前みたいな親の七光りで局員になったような奴の来るところじゃない!!」

 

 

「!?」

 

 

 陸曹長の暴言にリンディは驚く。

 

 話には聞いていたが、リュウトへの風当たりがこれ程とは思っていなかったのだろう。

 

 次元航行部隊所属であるリンディは、グレアムの被保護者が地上部隊にいるという本局での噂くらいは知っている。

 

 そして地上部隊でリュウトが浮いているという話はリーゼの愚痴やグレアムの話の中にもあったが、ここまで露骨な行為が行われる程だとはリーゼもグレアムも言っていなかった。

 

 

「何が陸士訓練校創設以来の快挙だ! どうせ親に頼んで適当な事でっち上げただけだろう!? 俺たちはいつも命懸けで仕事してるんだ! お前みたいな奴に用はない! とっとと失せろ!!」

 

 

「――――――――」

 

 

「ちょっと……――――!!」

 

 

 リンディは黙り込んでしまったリュウトの代わりに陸曹長に反論しようとするが、周囲の局員たちが程度の差こそあれ陸曹長と同じ嫌悪を隠さない目でリュウトを見ている事に気付き、愕然とした。

 

 グレアムが言っていた通り、リュウトの現所属部隊は例外だったのだ。

 

 そして一歩外に出てしまえば、リュウトは“本局の勇士ギル・グレアム”の子でしかない。

 

 そこにリュウト本人の資質も実績も介在する余地はなく、時空管理局創設以来の本局と地上本部の確執があるだけだ。或いは、今日この場が非常時の只中という事で局員たちの気が立っているだけかもしれないが、それでもリンディにとっては信じられない光景だった。

 

 だが、呆然として怒りすら湧かないリンディに対しても陸曹長は罵声を浴びせる。

 

 

「それにこの女は何だ!? まさかこの非常時に保護者同伴だとでも言うんじゃないだろうなぁッ!?」

 

 

「違います! 私は……」

 

 

 そこまで言って、リンディは自分が本局の人間であるという事に思い至る。

 

 別に自分だけならどうという事もないが、リュウトに関してろくでもない噂を立てられる事は避けなければならない。

 

 ただでさえも地上部隊内部で異端視されているリュウトが本局の人間をこの現場に招き入れたと思われては、まず間違いなく問題になる。

 

 たとえ公的な処罰はなくても、地上部隊内でのリュウトの立場は悪くなるだろう。

 

 そう考えたリンディの口は、中途半端な反論を発しただけで沈黙せざるを得なかった。

 

 陸曹長はリンディの様子に鼻を鳴らし、憎々しげにリュウトを睨むと口を開いた。

 

 

「もう一度だけ言う、この場から消えろ……!」

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトはただ無言だった。

 

 その目には一切の感情はなく、一切の思考を放棄しているようでもあり、陸曹長の真意を見透かそうとしているようでもあった。

 

 そして数秒の時が過ぎ、陸曹長は再びその目に怒りを燈らせた。

 

 

「貴様……! いい加減に――――」

 

 

「――――待て!!」

 

 

 陸曹長の言葉を遮るさらに大きな怒声。

 

 その声に、陸曹長は驚いたように振り向く。リュウトとリンディも、陸曹長や周囲の局員たちの視線の先へとその目を向けた。

 

 彼らの視線を受け止める事となったその人物は大柄な体躯を地上部隊でよく見られるバリアジャケットに包み、静かに佇んでいた。その威儀は見るものに“騎士”という言葉を思い起こさせる。

 

 もちろんそれは、英国という騎士の国出身の養父を持つリュウトも例外ではない。だが、今の彼はただその“騎士”の姿を見ているだけの少年だった。

 

 

「グランガイツ三尉……! なぜここに……」

 

 

「――――そこの二士をここに招いたのは俺だ。彼は現状打破の術を持っている可能性がある……」

 

 

「ッ!!」

 

 

 陸曹長はリュウトに視線を向け、次の瞬間には士官――ゼスト・グランガイツ三等陸尉を睨み付けた。

 

 

「時間さえあれば他の部隊の連中もここに来ます! どうしてこんな奴の力を頼りにする必要があるのですか!?」

 

 

「時間がないからだ」

 

 

「!!」

 

 

 陸曹長の言葉は、ゼストの一言で霧散した。

 

 それだけ、ゼストの言葉には力が宿っていたのだ。

 

 

「今この瞬間にも命を落としている者がいるのかもしれない。その事実から目を逸らし、愚にもつかない(いさか)いを起こす事が管理局員である俺たちの役目なのか?」

 

 

「まさか、そんな事は……」

 

 

「その二士に関しては俺が保証する。身分も、実力もだ」

 

 

「――――――――」

 

 

 憮然として黙り込む陸曹長。

 

 周囲の局員たちも、ゼストの静かながらも気迫の篭った声に反論の道を閉ざされた。

 

 やがて幾許かの時が彼らの下を通り過ぎ、新たな時が彼らの前に現れた時、陸曹長がゆっくりとリュウトに背を向けた。

 

 

「――――――――見苦しい真似をした……謝罪する」

 

 

「――――――――いえ……」

 

 

 リュウトの返答を聞きその場から立ち去る陸曹長。

 

 その背中に言いようのない哀惜を感じ、リュウトは少しだけ目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトを助け起こしたゼストは、その場で自己紹介をした。

 

 曰く、地上本部に所属する陸士部隊の一小隊長であるという。

 

 そして隧道(トンネル)へと向かう道すがら、同僚たちの行動に対する遺憾の意を示してきた。

 

 

「――――彼らも二士に対して何か個人的な感情があるわけではない。だが、遅々として動かぬ現状に焦ってしまったのだ。そして招いておきながらのあの醜態、俺にも責任はある」

 

 

 決して多弁ではなかったが、ゼストの言葉には真実の重みがある。

 

 その為、リュウトもリンディもゼストに対して一切悪意を持つことは無かった。

 

 

「いえ、自分の保護者が本局の提督なのは事実です。そして自分が地上部隊にいることも……」

 

 

「――――こう言っては何だが、どうして二士は地上部隊に? 本局に行く事もできたのだろう」

 

 

 ゼストはその眼に純粋な好奇心だけをかすかに宿し、隣を歩くリュウトを見遣る。

 

 そしてリュウトの後に続いて歩くリンディも、同じ疑問を抱いた事があった。

 

 

「――――ええ、まあ……」

 

 

 リュウトは悲喜を混ぜた曖昧な表情を浮かべると、少しだけ考える様子を見せた。

 

 

「同じ質問を義母にもされました。航空魔導師なら本局でも、嘱託でも十分な待遇を受けられる、どうしてわざわざ地上部隊に行くのか、と」

 

 

「――――」

 

 

「正直に言うと、自分でも明確な答えがあるわけじゃないんです。親の庇護下を離れて自立したいのか、自分を自分として見てくれる場所が欲しかったのか、それとも単に自分を痛めつけて赦しを乞いたいだけなのか……」

 

 

「――――そうか……」

 

 

 ゼストはリュウトの心の内を僅かながら察し、答えの存在しない質問を捨てた。

 

 そして心中を吐露するように呟いた。

 

 

「――――二士の気持ちはともかく、俺は二士のような魔導師が地上に来てくれてよかったと思っている」

 

 

「――?」

 

 

 リュウトはゼストの言葉に首を傾げ、その答えを求めた。

 

 

「質の本局、量の地上部隊。我らと本局の関係はその言葉に集約される。より正確に言うなら、我らは量に頼らざるを得ない」

 

 

 ゼストは続ける。

 

 有能な魔導師のほとんどは本局に持っていかれ、地上部隊所属のAランク以上の高ランク魔導師は本局の数割程度。それを補うために数を揃えてはいるが、やはり本局には及ばない、と。

 

 

「彼らは次元空間という広大な海を守る部隊だ。保有できる戦力に限りがある以上、数よりも質、より機動力を求めるのは不思議ではない。だが……」

 

 

「地上本部の対応の遅さは、やはりその本質にあると?」

 

 

「ああ、軍事力統制(アームズコントロール)の限界とも言えるが、地上本部は本局とは違って組織的な贅肉が多すぎる。そのせいで一つの動きが一々遅い」

 

 

「さりとて贅肉を落とすには組織の抜本的な改革がいる。しかし、やはり本局との戦力バランスがそれを邪魔する訳ですか」

 

 

「――――その通りだ。身を軽くするためにはこの質と量の関係を改善するしかない。だが、その為には人手が足りない」

 

 

「そしてそれを補うために量の法則で人員を補充し、組織は無駄に肥大化する」

 

 

「――――――――典型的な悪循環だ。そして、それを理由のひとつに本局と地上の関係は冷め切り、我らが望むような未来は遠ざかる」

 

 

 ゼストは口を噤み、リュウトの瞳を見据える。

 

 

「だからこそ、俺は二士のような若く優秀な魔導師が地上部隊にいることを嬉しく思う。地上部隊は本局の部隊ほど大らかではないが、仲間の結束では負けていない。縄張り意識の強さも、言い換えれば身内に対する愛情が深いとも言える。――――無論、本局の部隊がそうではないと言っているわけではないが……」

 

 

 そう言って、ゼストはリンディにちらりと視線を向けた。

 

 リンディはゼストの視線に動揺したが、何か言葉を発する事はなかった。

 

 ゼストがすぐに視線を戻したからだ。

 

 

「――――そこの女性に関しては何も言わない。局員である以上、秘密厳守の意味は知っているだろうからな」

 

 

 それは、すでにリンディの正体を知っており、その上で問題にする気はないと言っているのだ。

 

 リュウトが心配で付いてきてしまったリンディだが、ここまで来てようやく自分の存在が場違いであると認識し始めていた。そこでゼストの言葉である、リンディは心の底からホッとしていた。

 

 

「さて、そろそろか……」

 

 

 ゼストはそう言って隧道(トンネル)の中へと足を踏み入れる。

 

 そこからしばらく歩いた先に、臨時指揮所として使用されている天幕があった。

 

 隧道(トンネル)の照明に照らされた濃緑色のそれはリュウトが思っていたよりも大きく、慌しく人が出入りしていた。

 

 リュウトとリンディはゼストに先導されてその中へと入る。

 

 二人が通された場所は、丁度部屋の中央に大きな机が置かれた会議室のような所だった。

 

 

「どうやらここの責任者は席を外しているようだ。すまないな」

 

 

 ざっと一回り天幕内を見回すとゼストは一言謝罪した。そして、机の周囲に乱雑に置かれた椅子に座ると二人に椅子を勧める。

 

 

「いえ、皆さんお忙しいようですし……」

 

 

「ふ……今の俺たちには最高の皮肉だな……」

 

 

 椅子に座りながらのリュウトの言葉に口の端を上げて苦笑するゼスト。

 

 

「あ、いえ、申し訳ありません」

 

 

「なに、事実は事実、それを認めないほどくだらない矜持は持っていないつもりだ」

 

 

 ゼストは慌てて頭を下げるリュウトに苦笑を深め、本当に何でもないというように頭を振る。

 

 そんなゼストの態度にリュウトが恐縮し始めた頃、天幕の入り口の幕を上げて一人の男が現れる。身長こそそれ程高くないが、そのがっしりとした体と太い四肢にリュウトは猛牛という印象を受けた。

 

 肩を怒らせたその男は、驚くリュウトたちに気付かずに上座にある椅子に座る。

 

 明らかに怒りを滲ませているその男の登場に、リュウトとリンディは完全に硬直してしまった。本来なら敬礼をしなくてはならない立場だが、相手に気付かれていない状況ではどうしようもない。

 

 

「――――クソッ! 本部の石頭どもめ!!」

 

 

 男はそう毒づくと、テーブルの天板を思い切り叩いた。

 

 ばんっ、という音が天幕内に響き、ゆっくりと消えていく。

 

 

「レジアス、やはり駄目だったか?」

 

 

 ゼストが男の姿に軽く嘆息し、その名を呼んだ。

 

 レジアスと呼ばれた男は、そこでようやく自分以外の人間に意識を向けたらしい。

 

 少し驚いた様子で三人を見詰めた。

 

 

「ゼスト……戻っていたのか」

 

 

「ああ、リチャードが言っていた魔導師が到着したからな」

 

 

「リチャードか……奴の目が節穴だとは思わんが……」

 

 

 レジアスはそう言い、その能力を推し量ろうとするかのようにじっとリュウトを見詰めた。

 

 どうやらリュウトの姿に不安を感じているらしい。まあ、少なくとも見た目はまだ小さな子供であるから、無理はないのかもしれないが。

 

 

「――――俺の知る限り、これほど“若い”一線級の魔導師はいなかったはずだが……」

 

 

「陸戦AA、空戦AA、どれもこの二士が自分で手に入れた実力の証明だ。問題はお前の頭が本部のお偉方のように固くないか、だけだな」

 

 

「俺をあの石頭連中と一緒にするな……!」

 

 

「だったら認めればいい。リチャードが推し、ダグラスも文句を言いながら実力の保証だけはしてくれた」

 

 

「――――ふん、だったら俺の言葉で覆る事じゃないだろう」

 

 

 リュウトとリンディは、二人の士官の言葉に疑問を抱きながらも黙っていた。

 

 自分たちが喋っても、現状以上の状況を作れるとは思えなかったからだ。

 

 

「ここの指揮官はお前だろう。ミナセ二士を使うか否か、お前が決めることだ」

 

 

「――――――――実力は、保証されているんだな?」

 

 

「詳しい事は本人に聞けと言っていた。だが、パーソナルデータ上では問題ない」

 

 

 ゼストの言葉に、レジアスはリュウトに視線を移した。

 

 

「ミナセ……二士だったか」

 

 

「は、陸士二〇四部隊航空隊デルタ分隊所属、リュウト・ミナセ二等陸士です」

 

 

 リュウトはレジアスの言葉に立ち上がり、敬礼とともに己の名と所属を告げた。

 

 レジアスは答礼をすると、リュウトに視線だけで座るよう促した。

 

 

「確認したいことがある」

 

 

 リュウトが椅子に座ると同時に、レジアスはそう切り出した。

 

 

「何でしょう?」

 

 

「データでは確認が取れたが、氷結系の魔法を使えるというのは事実か?」

 

 

「は……? いえ、確かに使えますが……」

 

 

「――――種類は?」

 

 

「実戦で使えるレベルのものは三つ、それぞれ威力と効果が変わります」

 

 

「物質を凍結粉砕できるものは?」

 

 

 レジアスのその質問で、リュウトは自分がここに呼ばれた理由をおおよそ察する事ができた。

 

 冷却系の魔法を物質の破壊に使うことなど滅多にない。それなら単純な魔力で破壊した方が早いからだ。それに炎熱系や雷撃系に比べると、やはり汎用性は劣る。

 

 それでもリュウトが冷却系の魔法を習得したのは、戦術の幅を広げるという目的と共に別の利用法があったからだ。そして今、この現場ではそんな魔法が必要になった。

 

 

「――――あります。ですが、一体何が? それ以前に他部隊の人間である自分を呼ぶ理由が分かりません」

 

 

 リュウトはレジアスに問う。

 

 その質問に答えたのは、レジアスではなくゼストだった。

 

 

「エルシア地方の山火事の件は知っているな?」

 

 

「ええ、管理局が部隊の増派を行ったと」

 

 

「その部隊の主力は、氷結系魔法の使い手たちだ」

 

 

「あ……」

 

 

 リンディがリュウトの後ろで呆然とした声を上げた。

 

 おそらく、リュウトがここに召喚された理由が理解できたのだろう。

 

 

「元々数が少ない氷結系魔法、そこに山火事だ。今この現場に一番近い氷結系魔法の使い手がお前だった」

 

 

「――――本部のバカどもは、己の面子のためだけに各部隊から氷結魔法の使い手を引き抜いて増援部隊を派遣した。そのツケがこれだ」

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトは憎々しげに顔を歪めるレジアスの拳が震えている事に気付いた。

 

 だがリュウトが何か言葉を発する前に、レジアスは机の上にこの現場の立体モデルを投影し、その言葉を遮る。

 

 

「――――よし、いいだろう。簡単で悪いが状況を説明する」

 

 

「――――はい」

 

 

 リュウトは結局何も言わなかった。

 

 いや、言えなかった。

 

 リュウトも同じく、自分の所属する組織がどうしようもなく人間の作ったものだと認識してしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事故の発生は約二時間前。この先にある地下施設群の第五層目、地下駐車場で爆発が起きた。原因はトラックに積まれていた液化可燃性ガス、どうやら管理に手抜かりがあったらしい」

 

 

 駐車場の立体図が映し出され、その一点が赤くマーキングされる。

 

 どうやらそこが爆発のあった場所らしい。

 

 

「それはともかく、もしも爆発事故だけだったらここまで大事にはならなかっただろう。だが、その爆発の衝撃で予想もしない事が起きた」

 

 

「――――」

 

 

「――――」

 

 

 リュウトとリンディは、黙ってレジアスの言葉を聞き続ける。

 

 

「だがその前に、ここの本当の姿を知ってもらわなくてはならんだろうな……」

 

 

「本当の姿?」

 

 

 リュウトは首を傾げる。

 

 レジアスはその言葉に頷き、立体モニターにこの周辺の映像を映し出した。

 

 

「――――俺も知らなかった事だが、どうもこの地下施設は今の所有者が造ったものではないらしい」

 

 

「は……?」

 

 

「最初からここにあったそうだ。地下深くに続く大空洞がな」

 

 

 ゼストが半ば呆れたように告げた。

 

 だが、ゼストの言葉が真実なら呆れる程度では済まないだろう。しかし、驚きも過ぎれば呆れに変わる。

 

 

「ミッドチルダ政府のお偉方は、ここを有事の際のシェルターとして利用しようと考えていたようだ。どうにも最初からそれが目的で作られた施設のようだからな」

 

 

「大規模な大気循環システムに広大な居住空間と生産施設。その気になれば一〇〇年は生きていけるそうだ」

 

 

 レジアスがゼストの言葉を補足する。

 

 

「だが、ものがものだけに政府や管理局が表立って動くわけにはいかない。そこで企業と手を組んでここを開発した。それなら大規模な工事も十分に誤魔化せる」

 

 

 レジアスは心底そのような政治家が嫌いな様子だった。

 

 だが、それと同時に自分たちの所属する組織の醜悪な部分を見せ付けられ、嫌悪と怒りがお互いの発露を抑制しているのだろう。今にも爆発しそうな感情が、あと一歩のところで爆発せずにいる。

 

 ゼストはレジアスの様子を見て、自分が説明の続きをする事に決めた。

 

 

「――――話を戻そう。予想もしなかった事態というのは、完全に廃棄されていると思った施設元来のシステムが生き残っており、そのシステムが爆発の衝撃を別の何かと誤認。この地下施設を閉鎖してしまった事だ」

 

 

 閉鎖。

 

 その不穏当な言葉に、リュウトは厭な予感がした。

 

 いや、確信と言うべきだろう。

 

 ここに来るまでに、この施設の周辺で起きている騒ぎを見てきたのだから。

 

 

「――――民間人が、中に取り残されたのですね?」

 

 

 リュウトの言葉に、レジアスとゼストはゆっくり頷いた。

 

 

「施設の改修工事に伴い、内部の隔壁はシステムから切り離されていた。だが、最外郭の隔壁だけは切り離されていなかった」

 

 

 ゼストの言葉を引き継ぎ、レジアスが続ける。

 

 

「――――この施設でもっとも堅牢な隔壁が、今我らの道を塞いでいるのだ……」

 

 

 そのせいで管理局の部隊は施設内に突入する事ができない。幕舎の外で屯する者たちは要救助者の待つ内部に突入する事ができず、ただ憤っているしかできないでいた。

 

 

「ここに来てすぐ、俺たちは本部と政府にここの隔壁を開くパスコードの提示を求めた。だが、あの連中は……“防衛上の重要機密”と言ってだんまりを決め込んだままだ」

 

 

「ですが、それでは僕がいたところでお役に立てるかどうか……」

 

 

 リュウトの言葉に、レジアスは少しだけ笑みを見せた。

 

 

「いや、そうでもない」

 

 

「というと……?」

 

 

「先ほどの通信で現有戦力での隔壁破壊だけは認めさせた。もっとも、あの連中はそんな事ができるはずもないと高を括っているようだがな」

 

 

 レジアスは低く笑い、ゼストもまた口の端を上げる不器用な笑みを浮かべた。

 

 そして、レジアスは立ち上がるとリュウトを幕舎の外へと誘った。

 

 

「――――お前が破壊するべきもの、実際に見てみるといい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、リュウトたちがあっさり通過して検問にて、ちょっとした騒動が起こっていた。

 

 

「むおぉおおおおおおおおおおおお〜〜〜〜ッ!!」

 

 

「は〜〜な〜〜せ〜〜っ!!」

 

 

「ダメだって言ってるだろうが!! ていうか、何だよお前らは!?」

 

 

「どうしてこんな所にこんな奴らが!?」

 

 

 着ぐるみ二匹が検問破りを図り、対応に出た局員と揉み合いになっていたのだ。

 

 力尽くで突破しようとする着ぐるみに対し、局員は次々と増援を呼ぶ事で対応していた。

 

 

「息子が待ってんだ! しまいにゃ投げるぞこん畜生!!」

 

 

「もう投げてるだろうが! ――――ってうおおおおおおおおおおおっ!?」

 

 

 一体の着ぐるみは局員を千切っては投げ千切っては投げ。

 

 

「うりゃりゃりゃりゃっ!!」

 

 

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 もう一体の着ぐるみは怒涛のネコパンチで局員を吹き飛ばす。

 

 公務執行妨害真っ最中の着ぐるみの中身は、勿論というかやっぱりというかリーゼ姉妹だ。

 

 リュウトが乗り込んだヘリを追いかけここまで来たはいいが、やはり怪しさ大爆発の着ぐるみでは検問を越える事はできなかった。

 

 何度も何度も検問突破を試みる二体の着ぐるみに、局員も苦慮していた。

 

 そして――――

 

 

「――――――――知らないぞ、ぼくは何も知らないぞ……」

 

 

 検問所の前に止められた一台の乗用車、ヘリを追いかけるためにリーゼが調達した――もちろん強制的に――車だが、その中では一人の子供が頭を抱えていた。

 

 言わずもがな、クロノである。

 

 

「うう……。グレアム提督に連絡を取るしかないのか……?」

 

 

 できるならそれは避けたい。

 

 だが、この暴走ネコを止められる存在はグレアムとリュウトだけだ。

 

 クロノでは鎧袖一触、一撃必殺で粉砕されて終わりだ。

 

 

「もういやだ、こんな師匠……」

 

 

 クロノの呟きに答えたのは――――

 

 

「黒猫さんじょ〜〜〜〜ッ!!」

 

 

「この着ぐるみを恐れぬなら、掛かって来い!!」

 

 

 局員たちを相手に大立ち回りを演じる双子台風の気合の篭りすぎた叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトが案内されたのは、天幕から少し歩いた場所だった。

 

 そこには照明に照らされた白亜の城壁がその存在意義を忘れ、生きるものを殺すために聳え立っていた。

 

 

「数十枚の特殊鋼とコンクリートを重ね合わせ、魔法、生物、化学、そして反応兵器にまで耐える強固な隔壁だ。我々も何とか破壊しようと躍起になっているが、表面のコンクリートはともかく、その奥の単分子炭素鋼には小さな傷を付けるだけで精一杯だった」

 

 

「――――もしかして、許可が出る前から……」

 

 

「ああ、時間がないからな。事後承諾でも押し切れる自信があった」

 

 

 レジアスはにやりと笑い、その背後でゼストが苦笑していた。

 

 そんな四人の前では、巨大な重機がその能力を最大限発揮して巨大な隔壁を破壊せんと轟音を奏でている。

 

 自然と四人の声は大きくなった。

 

 

「――――どうだ、実際に見て」

 

 

「――――厚さ、材質を含めた詳しい構造を教えてください」

 

 

「ああ、これだ」

 

 

 ゼストがリュウトに端末を手渡す。

 

 リンディがそれを覗き込むが、誰もそれを止めなかった。

 

 

「――――単分子炭素鋼……珪素素材……対魔力特殊鋼……」

 

 

「すごいわね、もし次元航行艦の装甲にしたら……」

 

 

「現在の技術では解析はできても開発はできないと思う」

 

 

「やっぱり……」

 

 

 あっさりと否定されるリンディの言葉。

 

 だがリンディも分かっていて口にしたのだろう、大して落胆した様子もなかった。

 

 

「それで、どうだ?」

 

 

 レジアスの問い掛けに、リュウトはしっかりと頷いた。

 

 

「――――できます。ただし、辛うじて凍結までは可能でも、粉砕するだけの衝撃を与えることはできません」

 

 

「分かった、その後は我々が引き受けよう」

 

 

 ゼストが頷く。

 

 その眼には確固たる意思の輝きがあった。

 

 

「ここには鬱憤の溜まった魔導師が多くいる。隔壁破壊の大任を任されたとなれば、奮起するのは間違いないだろう」

 

 

「――――それでは、重機を下げて突入部隊の編成を行っていただけますか? 一応換気設備は生きていると思われますが、やはり万事が無事とは行かないでしょう。中の要救助者を少しでも早く外に出すべきです」

 

 

「分かっている、四〇分程度で手筈を整えよう」

 

 

「お願いします」

 

 

 ゼストはリュウトの肩を叩くと、「総員、聞け!」と声を張り上げながら局員たちの元へと向かっていった。

 

 レジアスはその様子に満足気な表情を見せると、リュウトに向き直る。

 

 

「お前はどうする? 必要な機材があるなら用意させるが……」

 

 

「現状に合わせてバリアジャケットの構造を変更しなくてはなりません。少し整備機材をお借りしたいのですが……」

 

 

「分かった。どれ位かかる?」

 

 

「元々想定していた状況ではありますので、三〇分ほど頂ければ」

 

 

「よし、こちらも各部隊を整理する。準備ができたら俺の部下を呼びにやらせよう」

 

 

「了解しました」

 

 

 レジアスはリュウトの返答を聞くと、乱れに乱れた部隊を整えるためにその場から立ち去った。

 

 残ったのは、リュウトとリンディ。

 

 二人は揃って白亜の城壁を見上げる。

 

 

「――――護るための城壁が棺に化けた、か……。世の中は上手くいかないものだね……」

 

 

「リュウト君……?」

 

 

 リュウトの呟きにリンディが不思議そうな顔を向けた。

 

 

「ううん、ただこれを造った人たちは、僕たちの行動をどんな顔で見るんだろうって……」

 

 

「――――さあ、私には分からないわ……でも……」

 

 

 リンディはその城壁の向こうに、どんな地獄があるのか想像してみた。

 

 きっと、生きるべき者たちがその命を落としているのだろう。

 

 誰かの大切な人が、永遠の別れを強いられているのだろう。

 

 この先では、多くの涙が生まれているのだろう。

 

 

「でも?」

 

 

「――――命を救いたいというあなたの気持ち、彼らなら痛いほど分かるはずよ」

 

 

 すべてを見通すような清廉な瞳。

 

 それに見詰められ、リュウトは大きく動揺した。

 

 

「――――――――リンディさん、僕は……」

 

 

 人を救いたい訳じゃない――――リュウトの言葉は、その口に触れたリンディの指によって遮られる。

 

 

「例えあなたの理由が自己満足であっても、救える命を救う事に違いはないわ。そんな自己満足、私は好きよ?」

 

 

「リンディさん……」

 

 

「だってあなたは子供だもの、自己満足だけ考えてもいい歳なの」

 

 

「――――――――」

 

 

「面倒な事は大人に任せて、自分のしたい事をしなさい。それを支えるのは私たち大人の仕事。人間が生まれた時からずっと続いてきた当たり前の事だから」

 

 

 そして子供は大人になり、次の世代の子を支える。

 

 人間が人間として生きるために作り上げた、心の連鎖。

 

 

「あなたはあなたのできる事をする。私も、私のできる事をするわ」

 

 

「――――うん……」

 

 

「ほら、時間はいくらあっても多すぎる事はないのよ。しっかり万全に準備しなさい」

 

 

 リンディはリュウトの背中を押した。

 

 

「私はここで皆の手伝いをしてるから、一人でもきちんとやるのよ?」

 

 

「分かってる、僕も一応は管理局の魔導師だ」

 

 

「じゃあ、頑張って」

 

 

「うん」

 

 

 リュウトは微かな笑みを浮かべ、リンディに背を向けて走り出す。

 

 その背に向かって、リンディは自分でも意図しない言葉を呟いた。

 

 

「――――命を救う。それは、命の意味を知る人にしかできない事なのよ……」

 

 

 リュウトは果たして命の意味を知っているのか――――リンディの心に生まれた疑問に答えが出るまで、あと三時間となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトがバリアジャケットの調整を終えようとしていた頃、隔壁の前ではレジアスの指揮の下で部隊の再編成が行われていた。

 

 内部に突入する車両が整然と並び、救護班は臨時救護所として使用するために天幕を移設し始める。

 

 突入部隊の面々は最後の確認という事で内部構造を映し出した立体モニターを前に部隊単位でミーティングを行い、消火作業を主任務としている部隊もまた、その機材の最終点検に余念が無かった。

 

 突入部隊の中には、この施設の制御を完全に押さえるために編成された部隊も存在する。

 

 彼らは隔壁破壊の後、リュウトによって一部だけ破壊される予定の最外郭隔壁を完全に開く作業を行い、部隊や車両の通過を容易にするという役割が与えられていた。救出作業の効率を一気に引き上げる彼らは、ひょっとしたらここにいる者たちの中で、もっとも緊張しているのかもしれない。

 

 そして今、彼らは総じて自分たちがようやく戦いの場に立てたことを実感していた。

 

 

「多少壊しても構わん、本部で踏ん反り返っている達磨連中に修理させるからな」

 

 

「――――ワザと壊すのはありですか、小隊長どの」

 

 

「――――――――バレないようにやるなら、俺は何も聞いてないという事だ」

 

 

「――――――――いえっさー」

 

 

 ある部隊は上層部に対する憤懣を力に変え――――

 

 

「一応内部にある機密情報の確保も命令されているが、“現場の判断”により人命最優先という事でいこう。これ以上馬鹿には付き合えんさ」

 

 

「もちろんです、隊長。かわいい子がいたらもっと最優先で助けます!」

 

 

「うむ、くれぐれも連絡先を聞くのを忘れるな――――って、声がでかい……!」

 

 

 ある部隊はロクでもない野望に燃え――――

 

 

「間違っても火事場泥棒なんてするんじゃないぞ? そんな奴がいたらアタシが炎の中に叩き込むからな!?」

 

 

<ういっす姉御!>

 

 

「姉御じゃねえ! 小隊長って呼べ!」

 

 

<ういっす姉御!>

 

 

「人の話し聞けよ!!」

 

 

<ういっす姉御ぉっ!!>

 

 

「て、テメエら……――――全員炎に灼かれて死んじまえ!!」

 

 

 ある部隊はいつものように結束を固め――――

 

 

「――――分かっていると思うが、私たちの仕事は彼らの仕事を引き継ぐ大切なものだ。彼らが命を懸けるなら、私たちも命を懸けて怪我人の治療に当たる。それをしっかりと心に留めておけ」

 

 

<はい!>

 

 

「他の部隊の連中が怪我人になったら、多少無茶な治療をしても構わん。さっさと復帰させてやるのが奴らのためだ」

 

 

<分かりました!>

 

 

「――――言っておくが、落ち込む事も喜ぶ事もすべてが終わった後だ。分かったか!」

 

 

<はい!!>

 

 

 医療部隊は天幕の中で患者収容の準備を整えた。

 

 かくしてこの場に集った部隊は、たった一つの目的に向かって足並みを揃え始めていた。

 

 縄張り意識が強いとされる地上部隊。だが、彼らの目的は寸分たりとも違わないのだ。

 

 そう、彼らの目的は“人を救う”事。

 

 彼らはその誇りと信念を胸に、戦場へと集った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着々と準備が進む中、リンディは指揮所内で施設の情報を整理する手伝いをしていた。

 

 事故の影響で内部がどうなっているか分からない以上、ここでできるだけ確実な情報を集めておく必要がある。修正するにしても大本の情報がなければそれも不可能なのだから。

 

 

「終わりました」

 

 

「お、あんがとさん。さすがゼスト三尉が連れてきた人だ、仕事が早いね」

 

 

「いえ……これくらいしかできませんから……」

 

 

 リンディが本局の人間だという事を明かせば、リュウトが責を負わなくてはならない。

 

 本局と地上本部の間でどのような取り決めがあったのかは分からないが、ここに自分がいる事はおそらく問題なのだろうとリンディは思っていた。

 

 それでもここから出る事を選ばないのは、やはりリュウトを一人で置いていく事ができないからだ。別に残っていて欲しいと言われたわけではないが、それでもここにいる事がリュウトにとってもっとも良い事なのではないかと思う。

 

 リンディは少しだけ空いた時間を天幕の骨組みをぼんやりと見上げる事で費やそうとしていた。

 

 

「――――リンディ、だったか?」

 

 

「――?」

 

 

 椅子の背凭れに体を預けていたリンディに声を掛けてきたのは、バリアジャケットに身を包んだゼストだった。

 

 

「ゼストさん……準備はよろしいのですか?」

 

 

「レジアスが張り切っているからな、俺は自分の部隊の準備に集中できた」

 

 

「そうですか……」

 

 

「――――浮かない顔だな」

 

 

「――――――――」

 

 

 ゼストは黙り込んだリンディを天幕の外に連れ出し、用意されていたコーヒーをカップに入れるとそれを手渡した。

 

 周囲の喧騒は、二人の会話を打ち消している。

 

 そんな中、先に言葉を発したのはゼストだった。

 

 

「二士の事が心配か? だが、あれも子供であるより前に時空管理局の局員だ。自分のすべき事がある以上、子供である事を棄てねばならん」

 

 

 ゼストは周囲を見回す。

 

 

「ここにいる者たちも、父であり母であり、夫であり妻であり、息子であり娘であり、兄であり姉であり、弟であり妹であり、誰かの恋人であり友人だ。だが、彼らはもうここに来たときから管理局の局員になる」

 

 

「――――――――」

 

 

「――――まあ、俺も正直初見の時は驚いた。こんな子供が戦うのか、とな」

 

 

 それでも頼らざるを得ない状況だった。

 

 もっと時間を掛けて探せば、隔壁を越える手段もあっただろう。しかし、一刻を争うこの状況では、最も早く、そして確実に隔壁を突破する手段が必要だったのだ。

 

 

「――――レジアスにもな、娘がいる。奴に似ず母親似の可愛らしい娘だ」

 

 

 ゼストは突然話の内容を変えた。

 

 その変化に、リンディは内心驚く。

 

 

「――――?」

 

 

「それでも強情なところは奴に良く似ていて、あいつはよく娘に困らされているよ」

 

 

 そう話すゼストの顔は、この場所に似合わないくらい穏やかだった。

 

 だが、その表情はすぐに曇る。

 

 

「――――レジアスがさっきぼやいていた。『俺は娘と同じくらいの歳の子供に他人の命を預けてしまった。家に帰った時、俺はオーリスにどんな顔で会えばいいのだろうな……』と」

 

 

「――――――――でも……」

 

 

「ん……?」

 

 

 リンディはコーヒーに移る自分の顔に語りかけているようだった。

 

 

「皆さん――――いえ、きっとあの子も自分のしたい事、しなくてはいけない事をしようとしているんだと思います」

 

 

 きっとあの人も、自分のしたい事をしたんだと思う――――グレアムが最後に見た最愛の夫は、その顔に誇らしげな笑顔を浮かべていた。きっとそれは、クライドが後悔せずに逝った事の証明なのだろう。

 

 

「最近思うようになりました。親にとって本当に良い子供というのは、親に我が侭を言う子供なんじゃないかって……」

 

 

 クロノも最近は我が侭を言わなくなった。

 

 唯一リュウトには言っているようだが、それは兄弟間での遣り取りに過ぎない。

 

 

「親を必要としない子供は、親にとっていい子ではないと思うんです。でも、それはきっと親の我が侭なんでしょうね……」

 

 

 我が子に必要とされたいと意識して願う親は少ない。

 

 それは無意識の内に叶えられている願いだからだ。

 

 だが、リンディとリーゼの息子たちは――――

 

 

「多分、あの子たちは私たちを必要としてくれているのでしょう。ですが、それは一本の線を引いた上でのこと……あの子たちがその線を越えてしまえば、そこに私たちが越えられない壁ができてしまう」

 

 

 リンディはそう言って人工の光に照らされ、隧道(トンネル)に浮かび上がる白き城壁に目を向ける。

 

 自分と息子の間にある壁は、果たしてこの城壁よりも薄いのだろうか。それとも……

 

 

「そんなに気になるなら、言ってみるといい」

 

 

 隣からそんな言葉が聞こえてきた時、リンディはその言葉の意味を理解する事ができなかった。

 

 それと同時に、ゼストが何故そんな事を言ったのかも。

 

 

「二士に直接訊くといい、自分たち母親はどうすればいいのか、どうして欲しいのか」

 

 

「そんな、まさか……」

 

 

 それ以前に、訊いて素直に答えてくれるものなのだろうか。

 

 気を遣ってしまうだけではないのだろうか。

 

 

「分からない事は分かる人間に訊く。そんな事、あの二士たちですら毎日やっている事だろう。我々大人だって知らない事の方が多いのだから、何ら恥ずかしい事ではない。レジアスもよくオーリスに訊いている」

 

 

「――――――――」

 

 

「我が侭を言わないなら、言わせればいい。簡単な事だろう」

 

 

 ああ、確かにそうだ――――自分は一体何をしていたのだろう。子供たちが自分たちに背中を向けていると嘆き、その場で立ち竦んでいただけではないか。

 

 

「――――あの子は……()()()()は何処にいますか……?」

 

 

「あそこの天幕でジャケットの確認をしている。二士には俺も後で話があるんだが……」

 

 

 リンディたちのいる天幕から少し離れた場所にある別の天幕を示し、ゼストはリュウトの所在を明かした。

 

 だが、そこまで言ってゼストの言葉は止まる。

 

 再びその口が開いた時、若き騎士はその口に小さな笑みを宿していた。

 

 

「――――その準備に少し時間がかかる。話す時間は取れるだろう」

 

 

「ありがとうございます! それでは……!」

 

 

 リンディは結局一度も口を付けなかった合成樹脂のカップを手近なコンテナの上に置くと、ゼストが示した天幕に向かって走っていった。

 

 その姿にゼストが苦笑した時、彼の元に情報分析担当の局員が現れた。

 

 先ほどまでリンディと共に仕事をしていた男だ。

 

 

「――――あれ? リンディさんいないんですか?」

 

 

「仕事か?」

 

 

「ええ、隔壁の位置について別の資料があったので……」

 

 

「――――それだけか?」

 

 

「う……」

 

 

 男の様子から察するに、どうもリンディに仕事以外の理由で会いたかったらしい。

 

 だが、それはどう考えても無駄だろう。

 

 

「彼女なら、多分自分の息子の次か、それと同じくらいに大切な男の処に行ったぞ」

 

 

「――――う、うそ〜〜……ん……」

 

 

 男はその場で崩れ落ちる。

 

 その口が何かぶつぶつと動いていたが、ゼストはそんな事に欠片も興味を持てなかった。

 

 あまり正確ではないことを言ってしまったが――――

 

 

「――――まあ、嘘ではないからな」

 

 

「――――――――子持ちかよ……マジかよ……世の中不公平だぜぇ……ううぅ……」

 

 

「――――――――」

 

 

 興味は持てないが、鬱陶しい事この上ない。

 

 ゼストは落ち込んで動かず、世間の既婚者全員を呪ってもお釣りがどっさりの男をどうやって仕事場に放り込むか、そしてリュウトに届け物をするタイミングはいつがいいか、同時に考えなくてはならないようだ。

 

 しかし――――

 

 

「――――まったく、遣り甲斐のある仕事だ……」

 

 

 そう言ったゼストは、やはり笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてリュウトの元にリンディが走っていた頃、検問前の公園ではぐったりと燃え尽きた二匹のネコが倒れていた。

 

 双方ともうつ伏せで、ピクリとも動かない。

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

 クロノはそんな二匹の母猫をどう扱うべきか、割と真剣に悩んでいた。

 

 だが、その答えは一向に出ない。

 

 万が一完全復活してしまえば、再び検問に突入して大乱闘となってしまうだろう。

 

 諸々の安全を考えるなら、適度に復活させてこの場に留めておく必要がある。

 

 

「――――諦めたか?」

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

 反応がない。

 

 どうやら着ぐるみの中身は完全に燃え尽きているようだ。

 

 

「彼らも仕事だからな、簡単には通してもらえないさ。本当に通りたいなら本局に連絡する事だ」

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

 たとえ本局に連絡したとしてもそう簡単に許可が下りるとは思えないが、それでも可能性はある。

 

 

「帰ってリュウトの帰りを待ったほうがいいんじゃないか? 予定ではあと何日かで部隊に帰らなくてはならないんだし……」

 

 

 様々な事を含めて考えれば、そちらの方が大分建設的だろう。

 

 クロノはそう言って猫を促す。

 

 

「――――――――そうだね……」

 

 

「――――――――これ以上は洒落にならないし……」

 

 

 着ぐるみから漏れた呟き、その言葉にクロノは溜息を吐く。

 

 ここまで来て、ようやく説得成功らしい。

 

 

「そういう事だ。さっさと帰ろう」

 

 

「よっし! 今日はあたしがリュウトをお風呂に入れる番だしね!」

 

 

「わたしは一緒に寝る」

 

 

「そうと決まったら――――これ脱がないと……」

 

 

「――――ぬ、脱げない……」

 

 

「こんな格好じゃリュウト会えないよ……」

 

 

「間違いなく呆れられるね……」

 

 

「ぬおぉぉ〜〜っ! ぬーけーろー!」

 

 

「もう二度と着ぐるみなんて着ない……!」

 

 

 じたばたと地面を転がる着ぐるみ。

 

 その光景に、クロノは大きく溜息を吐いた。

 

 彼らが帰るのは、果たしていつになるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔します……リュウト君、いる?」

 

 

 リンディが天幕の入り口から顔を覗かせた時、リュウトは作業台の上に座って膝を立てて脚に取り付けた追加防護装甲(アタッチメントプロテクター)を調整している最中だった。

 

 作業台の上に置かれた端末とデバイス状態に復元されたデバイス。リュウトが端末の入力盤を叩き、その端末に繋がっているデバイスが端末からの操作に従いバリアジャケットを調整しているようだ。

 

 リュウトのバリアジャケットはデバイスを介する事で調整ができる。これはその状況にあわせて現場でジャケットの構成を変更できるよう、リュウトとジョシュアが作ったシステムだ。

 

 

「あれ、リンディさんどうしたの……? 何かあった?」

 

 

「あ、違うの、ちょっとお話できないかと思って……」

 

 

「う〜〜ん……調整しながらでもいい? 時間がないから……」

 

 

「ええ、もちろん」

 

 

 リンディはその時になってようやく、リュウトのバリアジャケットが今までの白いジャケットとは随分(おもむき)が変わっている事に気付く。

 

 ベースになっているのは、間違いなくリンディがよく知る純白のバリアジャケットだが、今は身体の各所に薄灰色の追加の防護装甲が取り付けられていた。

 

 天幕の照明に煌めくそれは、リンディには白銀色の鎧に見えた。

 

 

「そのジャケットは?」

 

 

「対魔力から耐熱・耐衝撃重視の構成に変えたんだ。災害救助仕様ってところかな」

 

 

 戦うための構成から、より災害救助に適した形に変更したという事なのだろう。

 

 このような現場では、魔力に対抗する性能よりも熱や衝撃などに耐える性能の方がより重視される。強い魔力に抗する事ができても、熱や衝撃に弱ければ何の意味もない。

 

 

「形まで変えたの?」

 

 

「こっちの方がキャパシティ大きいんだ。防御フィールドがなくてもそれ自体に防御力あるし」

 

 

 こんこんと追加装甲を叩くリュウト。

 

 様々な訓練を乗り越え、魔法の恩恵を受けたリュウトならこれだけの装備を身に纏っても問題なく動ける。

 

 

「前から考えてたのね……」

 

 

「一応……。後になって後悔するより、先にできるだけの事をやっておきたかったんだ」

 

 

「そう……」

 

 

 リュウトはリンディと話している間も手を休めなかった。

 

 入力盤(キーボード)に指を走らせ、バリアジャケットの調子をみて再び端末に向かう。

 

 

「そうだ」

 

 

 リュウトが端末のモニターから顔を上げる。

 

 

「今度はクロノを連れてきてあげて、基礎訓練、頑張ってるみたいだから」

 

 

「え、ええ、分かったわ」

 

 

 リュウトの我が侭を聞きに来たのに、何故かクロノの事を頼まれてしまった。

 

 だからと言って、すぐに諦めるわけにはいかない。

 

 

「ねえリュウト君、何か私にできる事はある?」

 

 

「何か? ――――じゃあ、そこのデータメモリ取って」

 

 

 あっさり返ってきたリュウトの言葉に、リンディは少し慌てる。

 

 

「え? ええと、これ?」

 

 

「うん」

 

 

 リンディは別の机の上に置いてあったデータメモリを、リュウトに手渡す。

 

 だが――――

 

 

「そうじゃなくって!」

 

 

「え?」

 

 

「もっと何かない? お弁当作って欲しいとか!」

 

 

「部隊でって事? でも、宿舎でご飯出るよ」

 

 

「う……! じゃあ、どこかに連れて行って欲しいとか!」

 

 

「別に」

 

 

「はう! じゃあ何か欲しいとか!」

 

 

「自分で買うよ。今日だって服買ってもらったし」

 

 

「あう……。じゃ、じゃあ……!」

 

 

 リンディは自分の知っている限りの子供の我が侭を並べたが、結局リュウトは何も望まないという事が分かっただけだった。

 

 リュウトは八歳の子供だが管理局から俸給を貰っている局員でもある。必要なら自分で買うし、それ以前に部隊内で生活しているだけならそれほど何か買う必要もない。

 

 その上、リュウトはジョシュアの得るロイヤリティの一部を、研究協力に対する報酬として貰っている。もちろんリュウトはいらないと言っているが、これはリュウトの心身を維持するための必要経費だとして、ジョシュアが無理やり与えているものだった。

 

 

「――――リンディさん、一体何がしたいの?」

 

 

「はうあ!?」

 

 

 リュウトの言葉がぐっさりと胸に突き刺さるリンディ。

 

 その表情は困惑したようなものだけだが、これが蔑むようなものだったらリンディは二重のショックを受けていたことだろう。まあ、リュウトがそんな表情をする可能性は正直あまりないが。

 

 

「――――ううん、違うの、ちょっとだけお姉さんぶりたかっただけなの……だからその冷たい目をやめてぇ〜〜〜〜……」

 

 

「冷たい目? ――――そんな顔してるかな……?」

 

 

 リュウトは半ば現実から逃亡したリンディの言葉を真に受け、腕の追加装甲に映る自分の顔を眺める。

 

 だが、別に冷たい目などしていない。

 

 さらに言うなら、リンディに対して悪い感情も抱いていない。

 

 

「あうぅ〜〜〜〜……」

 

 

「リンディさん?」

 

 

「りゅうとくぅ〜〜ん……本当に何もないのぉ〜〜……?」

 

 

「いや、何がなんだか分からないし」

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトの眼前まで涙目で迫るリンディ。

 

 その動きに若干ビビリながらも何とか答えるリュウト。

 

 そして間が空く。

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

「すまない」

 

 

 そんな珍妙な空間をぶっ千切って現れたのは、リュウトに話があると言っていたゼストだった。

 

 

「そろそろ時間なんだが……話は終わったか――――ん? 何かあったのか?」

 

 

 作業台の上で密着状態の二人に、ゼストは不思議そうな顔を向ける。

 

 これがある程度年齢のいった男女なら別の発想もできようが、この二人では完全に意味不明であった。

 

 

「――――何もなかったからこうなったらしいです」

 

 

「何? どういう事だ?」

 

 

「さ、さあ、僕にはさっぱり……」

 

 

 本心からの言葉だった。

 

 だが、リンディは納得しない。

 

 

「だって! お姉さんに何か言って欲しかったんだもん!」

 

 

「いや、“もん”って……」

 

 

「クロノの事はクロノに訊くとして、リュウト君だって私に何でも言っていいのよ?」

 

 

「――――いえ、あの……」

 

 

「さっきも言ったじゃない。私の事お姉さんだと思っていいって……――――あ! だったらまず私の事“お姉ちゃん”って呼んでみない!?」

 

 

「リンディさん……落ち着いて……」

 

 

 リュウトは必死でリンディを宥める。

 

 ゼストが心底不思議そうな顔で二人の寸劇を見ているが、リュウトにはどうする事もできない。

 

 

「落ち着けるわけないでしょう!?」

 

 

「いや、そんな馬鹿な……」

 

 

「ああもう……! ――――馬鹿なのはリュウト君の方!」

 

 

「え」

 

 

 リンディの言葉に硬直するリュウト。全く意味が分からない。

 

 

「いい!? リュウト君は私やリーゼに甘えて初めて大人になれるの! 子供は甘えてこそ成長するのよ!?」

 

 

「え、ええと……」

 

 

「大人になっても親に甘える男は最低だけど、子供は親や兄姉に甘えるのが仕事なの! いい!?」

 

 

「――――えー……」

 

 

「だからとりあえず、“お姉ちゃん”と呼びなさい!」

 

 

 そこに戻るのか――――男二人は同じ事を思った。

 

 そして思うだけではない男がここに一人。

 

 

「――――姉と呼べというのは、いささか年齢的に苦しいのではないか? せめておば――――」

 

 

「ゼストさん! それ以上言ったら怒りますよ!?」

 

 

「むぅ、あ、いや、うむ……分かった……」

 

 

 二回りは小さい女性に圧倒される騎士がここに一人生まれた。

 

 その目はこの状況の打破を求め、リュウトに向けられる。

 

 リュウトはそんな視線に困惑しながらも、どうにかリンディの名前を呼んだ。

 

 

「あのですね……リンディさん……」

 

 

「“お姉ちゃん”!!」

 

 

「あ、いえ、そうではなくてですね……そろそろ時間だと言いたいわけでして……」

 

 

「え!?」

 

 

 慌てて時計を見るリンディ。

 

 そして、すでに時間がない事を確かめる。

 

 

「――――――――」

 

 

「だから、続きは後で……」

 

 

 呆然としていたリンディだが、何故かリュウトのその言葉で復活した。

 

 

「後……って、いつ?」

 

 

「それは……」

 

 

 ゼストにちらりと眼を向けるリュウト。

 

 

「――――この任務が済んでから……じゃないかと……思ったり……」

 

 

「――――――――本当?」

 

 

「え?」

 

 

 リュウトの目に映るリンディの顔は、隠しきれない不安に彩られていた。

 

 そんな表情に、リュウトは目を見開いて驚く。

 

 

「――――私が見送っても、大丈夫……?」

 

 

「あ……」

 

 

 リュウトは気付く、リンディは亡き夫であるクライドを見送って以来、任務に赴く家族と呼べる人間を見送った事がない。

 

 それは、リンディにとって大きな不安だったのだろう。

 

 自分が見送る背中が、その人を見る最後の姿になるのではないか――――と。

 

 だからリュウトに執着したのだ。

 

 

「――――あのね、大丈夫だとは思ってるの。他の人もいるし、いざとなれば私だって助けにいける。でもね……見送るのってすごい不安なのよ?」

 

 

「それは……――――」

 

 

 リュウトにも、辛うじて理解できる。

 

 一度でも己の無力を思い知った人間なら、多かれ少なかれその感情を理解することができるはずだ。

 

 そしてリュウトは生涯一度の、存在の根底を成す何かの敗北でそれを思い知った。

 

 

「だから消えてもいいような顔をしないで、明日の事を諦めないで、私たちの事を忘れないで」

 

 

 真摯に語りかけてくるリンディの背後でゼストが微笑んでいる。

 

 その目には父性の宿った慈愛の光があり、見るものに大海を思い起こさせた。

 

 自分に視線を戻したリュウトに、リンディは優しく諭す。

 

 

「大丈夫、リュウト君が困ったら私が助けるから、だから無茶はしないでね?」

 

 

「リンディさん……」

 

 

「もちろん我らもいる。我々は仲間の誰一人として見捨てはしない」

 

 

「ゼスト三尉……」

 

 

 二人の言葉に、リュウトはダグラスが言っていた『仲間』という言葉を想起していた。

 

 ダグラスの口調から察するに、それは自分の命と同じ重さを持つもののように思えたが、それはどうやら正解のようだ。

 

 

「ねえリュウト君、帰ってきたらちゃんとお話しよう? 今度どこに行こうかとか、お弁当は何にしようかとか、クロノをどうやって連れ出すかとか……」

 

 

「――――――――」

 

 

「ね?」

 

 

 リンディはただ優しかった。

 

 だが、それは無条件の優しさではなく、厳しさも内包した優しさだ。

 

 そんな優しさに少しだけ故郷の家を思い出し、リュウトは――――小さく頷いた。

 

 

「――――うん、頑張って我が侭も考えてくるから……」

 

 

 リュウトはそこで少しだけ躊躇ったが、リンディとゼストの笑みに後押しされて最後まで言葉を紡いだ。

 

 

「考えてくるから――――待っててくれる……?」

 

 

 照れたようなその言葉に、リンディは目を見開く。

 

 そして、ゆっくりと微笑んだ。

 

 

「ええもちろん、ここでちゃんと待ってる。リュウト君の事、待ってるから……」

 

 

「――――うん」

 

 

 リンディは、その時のリュウトの笑顔を生涯忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンディがゼストに仕事を頼まれて天幕を後にすると、二人は作業台の前で向かい合った。

 

そして、リュウトは目の前の騎士がその手に何かを持っている事に気付く。

 

 

「ん? ああ、これか……」

 

 

 リュウトの視線の先に自分の持っているものがあると気付いたゼストが、それをリュウトに手渡す。

 

 それは、リュウトが良く知っているものだった。

 

 

「これは、多目的戦術ゴーグル……それも制式採用型ではないですね」

 

 

 両目をすっぽりと覆うバイザー部――これは透明度や色を自由に変えられる――で、これは眼鏡のように耳に引っ掛けるものではなく、後頭部を着脱式のベルトで固定するタイプだ。そして耳を覆うように機械部分があり、これが様々なユニットを内蔵している心臓部と言っていいパーツだ。

 

 リュウトの見た限り、その機能は一つや二つではないようだ。

 

 

「ああ、良く分かったな」

 

 

「こんなに色々機能が付いてたら、一式のコストがすごい事になりそうですから」

 

 

 だからそれくらい何でもない――――リュウトの眼はそう言っていた。

 

 だが、実際にこれが制式採用された装備品ではないと見ただけで分かる人間がそうそう多くいるとは、ゼストにはとても思えなかった。

 

 少なくとも、見た目だけは陸士部隊ではそれ程珍しくないものだからだ。

 

 

「これがどうしました?」

 

 

 リュウトがゴーグル片手にゼストに問う。

 

 

「ああ、お前にやろうと思ってな。もちろん、任務が終わったら返せとも言わん」

 

 

「え……でも……」

 

 

 リュウトは驚いたようにその手のゴーグルを見詰める。

 

 これは決して安いものではないのだ。厳格に予算が管理されている地上部隊にあって、他所の陸士においそれと渡していいものじゃない。

 

 

「何、うちと別の部隊で独自に作ったものでな。制式採用型よりずいぶん良いものだと技術班が胸を張っていたぞ」

 

 

「それは、何となく分かりますが……」

 

 

 リュウトには頑固一徹、一路邁進の師がいる。

 

 これがどれだけの失敗を積み重ねて生み出されたものか、おぼろげながら理解できた。

 

 だからこそ受け取れないというリュウトだが、ゼストの考えは全く違う。

 

 

「それだ」

 

 

「え?」

 

 

「正直、俺もレジアスもこういう装備には疎くてな。二士のように満足に理解することもできん。まあ、実戦で使う分にはそれで問題ないのだが、やはり持っている機能を十二分に発揮できないというのは技術者にはもどかしいらしい」

 

 

「ああ、それで……」

 

 

 リュウトはようやく理解できた。

 

 

「二士がこいつの機能を不足なく使えるなら、これは二士に渡して使ってもらった方がいいだろうという話だ。そして、それには俺も同意見だ」

 

 

「――――でも、本当にいいのですか?」

 

 

「ああ、もちろんだ。これから二士には色々頑張ってもらうからな。内部にも入るつもりなんだろう?」

 

 

 確かにリュウトはこのまま内部に入って救助活動を手伝うつもりでいた。一人でも人手が多いほうが、救出できる人間の数も増える。

 

 だが、それはレジアスからもゼストからも要請されていない事だ。

 

 リュウトはバリアジャケットの調整が終わったら、ゼストかレジアスに自分から申し出るつもりでいた。

 

 

「はい。――――駄目でしょうか?」

 

 

「いや、二士が手伝ってくれるなら我々としても心強い。実際人手はいくらあっても多すぎる事はないからな」

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 ホッとして胸を撫で下ろすリュウト。

 

 断られる可能性も捨て切れなかっただけに、ゼストの言葉はリュウトにとって福音となった。

 

 

「それも含めて、これは前払いの礼のようなものだ。どうせ俺たちの部隊には、もう行き渡っている。お前に渡すと言っても反対する奴はいないだろう」

 

 

「それなら……ありがたく頂戴します」

 

 

「そうしてくれ。短い間ではあるが、俺たちは命を預け合う仲なんだ。気にする必要はない」

 

 

「――――ありがとう、ございます」

 

 

 リュウトはゴーグルのしっかりとした重さが、ゼストからの信頼の証のように思えた。

 

 その手に感じられるほどの重さを持つそれに、心の底から応えたいと思う。

 

 

「それはジャケットにも接続するようになっている。今のうちにやっておくといい」

 

 

「あ、はい」

 

 

 ゴーグルの重さに意識を奪われていたリュウトは、ゼストの言葉にほんの少しだけ驚いた。

 

 だが、すぐに気を取り直すと、ゴーグルのベルトを外す。その瞬間、残像を残してベルトが消え去った。

 

 

「!!」

 

 

「それは転送収納式のベルトになっている。俺も良くこんな細かいところまで拘るなと思ったものだ」

 

 

「――――そ、そうですか……」

 

 

 よくよく考えてみれば珍しいものではない、バリアジャケットも同じ理屈だ。そして、こちらの方が利便性は高い。

 

 リュウトは職人の拘りを感じつつ、グラス部分をゆっくりと装着する。

 

 すると、自動的にベルトがゴーグルを固定した。さらにサイズの調整はある程度まで自働で行うようだ。グラス部分も形状可変素材で形成されているらしく、子供のリュウトでも大きく感じることはない。

 

 

「――――便利ですね……」

 

 

「まあ確かに、正直どこまで拘ったのか俺には分からんが……」

 

 

 ゼストが苦笑する姿が、グラスを通してリュウトにも見えた。

 

 先ほどまでと変わらないように見えるが、天幕の隅の暗がりまでしっかりと見えている点は確かに違う。

 

 リュウトはそのまま天井の照明を見上げる。すると、今度は自動的に明度が落とされ、特に眩しく感じることもない。

 

 

「本当に便利ですね。うちの航空隊にもこういう装備があればいいのに」

 

 

「航空隊は身の軽さが命だと聞く、無理もないだろう。それに、その気になればジャケットだけでも同じことができるはずだ」

 

 

「まあ、確かにそうですが……」

 

 

 リュウトはバリアジャケットとの無線通信ラインをゴーグルに接続する。

 

 すると、リュウトの目の前に様々な情報が表示された。

 

 

「――――脈拍、体温、血圧、各部の負傷状況……」

 

 

「これも意識内に投影しようと思えばできるが、こういう災害救助の現場では装備品に頼った方が面倒が少ない。その分、別の事に意識を向けられるからな」

 

 

 ゼストの言葉はある意味では魔導師たちの常識だった。

 

 装備でカバーできる部分はカバーし、その分だけ別の部分を高める。

 

 だが、ある程度の機能を持つバリアジャケットなら、その装備をこうして取り付ける必要もない。それはその魔導師個人が独自の判断で決めていた。

 

 ある者は望みうる防御性能と最低限の補助機能のみを与え、別の装備で足りない部分を補い。またある者は、考え得る機能をすべてバリアジャケットのみに集中させている。

 

 どれが良いというわけではない。各々にもっとも合った機能を与える事が、魔導師にとっての常識だった。

 

 

「さて、調整の方はどうだ?」

 

 

「はい――――」

 

 

 リュウトは端末を操作し、様々な機能をチェックしていく。

 

 観測機能と探査魔法の情報を視覚化し、天幕の向こうの光景をフレーム状に表す機能。

 

 それに熱探知機能や魔力探知機能を組み合わせると、天幕の向こうで走り回る人々の姿が見えた。

 

 その中にリンディの姿も見つけたが、彼女が仕事中であると分かるとリュウトは少しだけ笑みを浮かべ、すぐにその機能を切った。

 

 その後もいくつかの機能を確認し、リュウトは端末の視覚関係機能の部分にチェックマークを入れた。

 

 

「視覚関係はよし、と」

 

 

 次に聴覚機能を確認する。

 

 先ほどから聞こえているゼストの声も、実はゴーグルが調節した声だ。

 

 耳を覆うように取り付けられたイヤーカバー部には様々なユニットが搭載されているが、その他にも音響手榴弾を受けても問題なく行動を継続する事ができるような機能がある。

 

 それは外部からの音を一旦調節し、それをイヤーカバー内のスピーカーから発するというもので、当然ある程度距離の離れた場所の音声を拾う事もできる。

 

 リュウトは、テストも兼ねて外部の音を拾ってみた。

 

 局員たちの騒々しい声をフィルタリングし、ある一定範囲のみの音を抽出する。

 

 

『くおらぁッ!! 何やってんだこのバカ野郎!! ドリルの先端に括りつけてぶん回すぞコラァッ!?』

 

 

『す、すんません!! すぐにやり直します!!』

 

 

『急げよ!! もうすぐ時間だ!!』

 

 

『はい!!』

 

 

 騒々しい遣り取りを聞き、リュウトは聴覚機能の確認を進めていく。

 

 その確認が終わり、聴覚機能の項目にチェックマークを入れると、次の確認に移る。

 

 それを繰り返し、リュウトはすべての機能の確認を終えた。

 

 同時に調整も行ったので、時間はすでにギリギリだ。

 

 

「三尉、終わりました」

 

 

 リュウトはグラス部分を持ち上げ、ゼストにすべての準備が終わった事を告げる。

 

 

「そうか、思ったよりも早かったな。もう少し時間がかかるものと思っていたが……」

 

 

「当面必要な機能だけですし、あまり時間もないですから」

 

 

「そうだな」

 

 

 ゼストはリュウトの言葉に少しだけ口の端を上げた。

 

 そしてリュウトに背を向けると、天幕の出口へと向かう。

 

 

「さて、それでは行くか」

 

 

 リュウトは作業台から降りると、ゼストの背中に向けてしっかりと頷く。

 

 

「はい……!!」

 

 

 リュウトの足が、己の戦いの場へと向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 整然と並ぶ装軌式装甲車や装輪式装甲車、指揮通信車、軽装甲機動車、高機動車。

 

 さらに、その中には消火装備を搭載した車両もあれば、医療装備を満載した車両もある。

 

 彼らは待っていた、自分たちの進む道が開かれる事を。

 

 その視線の先には、白亜の城壁と魔導師、騎士たちの姿がある。

 

 

「――――レジアス三佐、始めても?」

 

 

「うむ、やってくれ」

 

 

 その集団の中心、もっとも隔壁に近い場所にリュウトはいた。

 

 彼の背後には各々の得物を持った騎士や魔導師が控え、リュウトの合図を以って怒涛の攻撃を隔壁に叩きつける予定になっている。それによって隔壁を破壊するのだ。

 

 そういう意味では、この作戦のもっとも重要な役割とも言えなくはない。

 

 だが、彼らの関心は、やはり目の前の少年魔導師に集まっていた。

 

 

「――――では、始めます」

 

 

 リュウトはそう宣言すると、その手に持っていた二振りのデバイスを隔壁に向けて放つ。

 

 それはがつん、という音を立てて隔壁に突き刺さった。

 

 デバイス間の距離は約六m、地上からの高さは約四mだ。

 

 

「領域指定」

 

 

 リュウトがゴーグルの下の目を閉じ、ゆっくり両手を広げる。

 

 それと同時に、各デバイス間と地上の間に青白い線が浮かび上がった。

 

 

「結界発動」

 

 

 リュウトの立っている場所の目前を横切って浮かび上がった線を含めた青白い線は、その言葉と同時に光の箱を作り上げる。

 

 それによって、これから発生する現象をその箱の中に止めようと言うのだろう。

 

 つまり、これから起こる現象はそれだけ危険という事だ。

 

 それ以前に、この魔法は実戦で使うには弱点が多すぎた。まず効果範囲が限定されており、広範囲に効果を与える事ができないという点。それと同時に、効果範囲設定後はそれを移動する事ができないという点。次に儀式魔法と同程度の詠唱を必要とする点。魔力の消費が決して少なくないという点。

 

 以上の理由を主にして、リュウトはこの魔法を実戦で使おうとは思っていなかった。精々研究用に使う程度だろうと考えていたのだが、結果はリュウトの予想を大きく外れてしまった。それでも、リュウトは何とかここまで順調に進めてきた。

 

 しかし、この魔法は大きな危険を伴う。

 

そのため、隔壁の反対側に要救助者がいないことは確認してあった。隔壁を越えてしまえば僅かな距離しか届かない探査魔法でも、最低限の安全を確保する役割を果たす事はできたのだ。

 

 

「隔絶結界発動確認。――――術式展開」

 

 

 リンディはリュウトが発動させようという魔法の詳細を知らなかった。

 

 忙しくて聞く暇が無かっただけだが、ここまで物々しい事を準備として行うとなると、やはり心配になる。

 

 

「リュウト……」

 

 

 リンディ本人は気付いていなかったが、彼女は本人がいないと、リュウトの事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。

 

 無論、それがどのような変化によるものなのかは分からない。

 

 

「――――コーギアム・エルギア・エルギズム。果ての地、果ての領域、果ての城――――」

 

 

 朗々と歌い上げるその歌は、結界内に少しずつ変化をもたらす。

 

 うっすらと霧のようなものが漂い始めたのだ。

 

 それは少しずつ濃度を増し、ゆらゆらと漂う。

 

 

「歌え、悲しき歌を。詠え、別れの詩を。謳え、魂の栄華を――――」

 

 

 リュウトの吐く息が、白く染まる。

 

 それはリュウトだけではなく、周囲すべての人間がそうだった。

 

 隧道(トンネル)内の気温は、確実に下がっている。

 

 

「彼は、孤独に歌う。彼女は、孤独に詠う。彼らは、孤独に謳う――――」

 

 

 それでも、結界内の隔壁に変化はない。

 

 だが、確実に儀式は進んでいる。

 

 

「嗚呼、かの者は孤独の眷属。永の孤独を伴侶とする者――――」

 

 

 リュウトの身体に走る魔力が、主に訴える。

 

 ――――我を解き放て、と。

 

 

「其は、彼女の慟哭。其は、彼女の涙――――」

 

 

 己が内を暴れる魔力に一定の流れを与え、発現を促す。

 

 それは魔法の顕現。

 

 精緻なる術式を以て成される魔の法。

 

 

「コーギアム・エルギア・エルギズム――――」

 

 

 放て――――すべてが訴える。

 

 成せ――――すべてが求める。

 

 故に――――それは顕れる。

 

 

「――――静聴あれ、『雪の女王の子守唄(Snow Queen's Berceuse)』……!!」

 

 

 リュウトの宣告と共に、封じられた領域内に高い高い音が響く。

 

 それは聴く者に、悲しい何かを思い起こさせる音だった。

 

 

「――――歌……?」

 

 

 リンディは思わず呟いた。

 

 その音が、つい最近自分が歌った子守唄の旋律に良く似ていたからだ。

 

 だが、リンディがその答えを得る前に状況は一気に動き出す。

 

 

「見ろ! 隔壁が……!」

 

 

 誰かの声に、その場にいた全員の目が一箇所に集中する。

 

 それはリンディや、その隣にいるゼストも同じだった。

 

 

「――――雪の、花が咲くようだ……」

 

 

 ゼストの呟きは、白い城壁の状況を的確に表していた。

 

 城壁に白い蔦が張り巡らされ、そこに花が咲いていくように見える。

 

 だが、現実には全く違うものだった。

 

 

「これは……?」

 

 

 ゼストは何が起こっているのか理解できなかったが、ごく一部の人間はその現象を理解できていた。

 

『原子振動の抑制による冷却』――――今起こっている現象を言葉にするなら、そのようになる。

 

 原子は常に振動しており、その振動を抑制する事により物質を冷却する事が可能だ。

 

 リュウトはその現象を指定領域内で起こし、隔壁を問答無用で凍り付かせていた。

 

 隔壁を形成する物質が物質である以上、それは原子を持っている。

 

 その振動を抑えられればどうなるか――――その答えがここにあった。

 

 

「最低到達点、絶対温度〇.一五(ケルビン)。セルシウス度マイナス二七三℃……」

 

 

 そう、絶対零度。

 

 正確に言うなら、限りなく絶対零度に近い温度だ。

 

 原子の振動は限りなく小さくなり、零点振動と化す。

 

 その状況において、物質の結合は――――

 

 

「――――限りなく脆くなる……!」

 

 

 メタトロンとサンダルフォンを転移魔法で引き寄せ、リュウトはその場から飛び退ると同時に声を張り上げた。

 

 

「――今です!!」

 

 

 その声に反応し、今まで呆然としていた魔導師と騎士が動き出す。

 

 レジアスの声が隧道(トンネル)内に轟いた。

 

 

「――――撃ち抜けッ!!」

 

 

≪ォオオオオォォオオオオオオオオオオオッ……!!≫

 

 

 地面を揺るがすような叫びと共に、いくつもの光軸が隔壁へと殺到する。

 

 それはリュウトの結界を易々と貫き、真っ白に凍結した隔壁に突き刺さった。

 

 その瞬間――――

 

 

「――――!!」

 

 

 リンディは確かにパキッ、という音を聞いた。

 

 そしてその音を皮切りに、より白く染まった城壁に無数の亀裂が走っていく。

 

 

「――――崩れる……!!」

 

 

 ゼストがそう低く叫んだ刹那――――無敵を誇った白亜の城塞が陥落した。

 

 

「よし……!」

 

 

 誰かの声が聞こえ、砂の城の崩れるような音を立てて隔壁が崩れ去っていく。

 

 その崩壊はすべての層に及び、彼らを苦しめていた高硬度の特殊鋼や、対魔力鋼をも崩壊させていく。いかな対魔力鋼とはいえ、原子振動の抑制による冷却という二次効果までは防ぐ事はできない。たとえ防ぐ事ができても、周囲の物質が冷却されていけば触れているそれ自体も冷却されてしまう。そうなった時、対魔力鋼は設計通りの性能を発揮する事はできないだろう。

 

 そして局員たちが見守る中、冷却された低圧側に流れ込む風によって白い霧が渦を巻いていた。

 

 その光景を見ていたレジアスは、今がその時であると確信した。

 

 

「突入準備……!!」

 

 

≪おおおおッ!!≫

 

 

 レジアスの声に、局員たちは了解の意を込めた雄叫びで答える。

 

 まずは装軌式の装甲車が無限軌道の重奏を奏でて冷気を漂わせる隔壁の残骸を乗り越えていく、装輪式のタイヤでは、未だ恐ろしいほど低温である隔壁の残骸に耐えられないからだ。

 

 次々と残骸を越えていく装甲車。

 

 その装甲車の上に乗った局員たちが、リュウトに声を掛けてきた。

 

 

「坊主! お前最高だぜ! 世界で二番目に愛してる!!」

 

 

「一番は誰だよ」

 

 

「もち、嫁さんだぁッ!!」

 

 

 拳を振り上げて突入する者もいれば、無言で敬礼をしてくるものもいる。

 

 様々な仕草でリュウトに感謝の意を伝えようとしてくる局員たちに、リュウトは自然と笑みを浮かべていた。

 

 そして、ダグラスの言っていた“仲間”というものが少しだけ理解できたような気がしたのだ。

 

 

「――――――――」

 

 

 心に浮かんだ小さな喜びを隠し、リュウトはバイザーを下ろしてこの施設の見取り図を呼び出す。

 

 今はまだスタートラインに立ったに過ぎない。ミンギスから与えられた任務は、まだ終わっていないのだから。

 

 

「――――出火元は地下五階……防火扉を閉めていれば多少は保つはず……」

 

 

 グラスの内側に映し出された略図に先行した隊からの情報が矢継ぎ早に追加されていく。

 

 通信では、早速要救助者確保の声が上がり始めていた。

 

 そんな中、いつも間にかリュウトの背後にゼストが立っていた。

 

 

「二士、行くのだろう?」

 

 

「はい」

 

 

 振り返ったリュウトの言葉に、ゼストはひどく好ましいものを見たという様子で眼を細めた。

 

 

「――――また、ここで会おう」

 

 

「――――ええ、また……」

 

 

 リュウトの言葉に頷くと、ゼストは自分の部隊の装甲車に乗り込み、隔壁の向こうへ消えていった。

 

 ゼストの部隊は攻守のバランスに優れた部隊だ、やるべき事は山のようにある。

 

 

「さて……僕はどこの車に乗せてもらおうかな……」

 

 

 そう言って周囲を見回すリュウトの隣に、一台の装甲車が耳障りなブレーキの音を立てて滑り込んで来た。

 

 その装甲車には、大きく炎のシンボルが描かれている。

 

 

「――?」

 

 

 一体何だろうと首を傾げるリュウト。

 

 リュウトの様子を見ていたのかそうでないのか、タイミングを図ったかのように車体上部のハッチが開かれた。

 

 そこから体を乗り出したのは、深紅のバリアジャケットを身に纏い、絢爛と輝く金髪を頭頂部近くで一本にまとめた女性士官だった。

 

 

「おいコゾー!!」

 

 

「え……」

 

 

 何故自分が女性士官に呼ばれるのか理解できないリュウトは、いないと分かっていても自分の周囲に“コゾー”と呼ばれそうな人物がいないか探してしまった。

 

 リュウトのそんな様子に、女性士官は再び声を張り上げた。

 

 

「お前だ! そこの白いジャケット着たガキ!!」

 

 

「――――ぼ、僕ですか……?」

 

 

「お前以外に誰がいる!」

 

 

「いません!」

 

 

 女性の額に青筋が浮かんだような気がして、リュウトはその場で直立不動の体勢となる。

 

 

「どこまで行けるかわかんねえが、それでもいいなら乗っけてってやる!! どうする!?」

 

 

「え――――」

 

 

 まさかこんな申し出があるとは思っていなかった。

 

 だが、女性はリュウトに悩む時間を与えない。

 

 

「どうするんだ!? アタシらはこの先で大仕事が待ってんだ! 早く決めろ!!」

 

 

「――――」

 

 

 ああそうだ、悩む必要などない。

 

 ただ、前に進むだけ――――リュウトは自分の心に頷き返した。

 

 

「――――よろしくお願いします!!」

 

 

「よっしゃ!! そら、手ぇ伸ばせ……!!」

 

 

 装甲車の上から手を伸ばす女性。

 

 

「はい……!」

 

 

 リュウトはその場から飛び上がり――――伸ばされた女性の手をしっかりと掴んだ。

 

 その瞬間、装甲車はタイヤの悲鳴を残して急発進する。

 

 

「おいコゾー! 見送りがいるぞ!」

 

 

「え!?」

 

 

 車体上部に張り巡らされたパイプを掴んで前方からの風を受け止めていたリュウトは、隣にいる女性の言葉に慌てて振り向いた。

 

 その視線の先には、自分をしっかりと見つめるリンディの姿があった。

 

 

「――――…………ッ!!」

 

 

 その口が何かを叫んでいる。

 

 リュウトの名を呼んでいるのか、何も言わずに行こうとしている自分を怒っているのか、それともまったく違う事を言っているのか、

 

 しかし、風の音でその言葉は聞き取れなかった。

 

 

「リンディさん……」

 

 

 それでも、リュウトは頷く。

 

 たとえ見えていなくてもいい。

 

 それでもこうしたかった。

 

 

「行ってきます……!」

 

 

 その言葉が聞こえていたかどうかは分からない。

 

 だが、リンディは確かにリュウトの目を見て頷いた。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 待っていて欲しいと願った。

 

 それがあの事件以来始めての願いであった事にリュウトは気付いていない。しかし、リンディが自分に頷き返してくれた事に、心が熱くなるような錯覚を感じていた。

 

 これは何だろう――――そう考えるリュウトの耳に、すぐ近くの人間の声が飛び込んできた。

 

 

「コゾー!」

 

 

「――! はい!」

 

 

 隣で同じように向かい風に耐える女性が、リュウトの方に顔を向けてにやりと笑っていた。

 

 その手がわしゃわしゃとリュウトの頭を撫でた。

 

 

「お前気に入った! あと一〇年したら付き合ってやってもいいぜ!!」

 

 

「え……!?」

 

 

 女性の言葉に驚くリュウト。

 

 そんなリュウトを救うように、車内から声が聞こえてきた。

 

 

「姉御ぉ〜〜っ!! 一〇年経ったら姉御は何歳ですかぁ〜〜!?」

 

 

「う、うるせえ!! 女は二〇歳越えたら自由に歳決められんだよ!!」

 

 

「坊主! 一〇年経ったら姉御はさんじゅ――――」

 

 

「だぁあああああああああああああっ!! 殺すぞてめえっ!?」

 

 

「姉御! 災害救助災害救助!」

 

 

「――!? うるせぇええええええええええええええええええっ!!」

 

 

 ハッチに飛び込んで大暴れする女性士官に、リュウトは呆気に取られてしまった。

 

 それと同時に、先ほどまで心に浮かんでいた“何か”が消えている事に気付いた。

 

 それは大切な“何か”だと思えたが、今となっては影すら掴めない。

 

 

「――――――――」

 

 

 しかし、リュウトはそれでもいいような気がした。

 

 この道を進めば、きっとすぐに答えが見えてくる――――そんな確信があったから。

 

 

「――――行ってきます」

 

 

 再び呟いた言葉に、リュウトは少しだけ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラナガンへ向かう機内で、彼はひたすら苛立っていた。

 

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 

 客室乗務員が恐々とこちら窺っている事は知っている。だが、それでも苛立ちを抑える事は出来なかった。

 

 何故自分がこんな仕事を押し付けられなければならないのか。そう言って部隊長に抗弁できればどれだけ良かった事だろう。

 

 だが悲しいかな、彼は部隊長には頭が上がらない。

 

 同僚には無鉄砲と呼ばれ、熱血一本気とあだ名される彼だが、父のような部隊長だけは苦手だった。

 

 

「――……クソッ!」

 

 

 ガンッと前の座席を蹴る。そこに誰も座っていない事はすでに知っているが、今の彼なら誰かが座っていても蹴り飛ばしたに違いない。

 

 

「なんでこの俺が……!!」

 

 

 そもそも今日の昼に届いた通信が問題だったのだ。

 

 部隊長の知り合いらしい佐官が、その部隊長に『高レベルの氷結系魔法の使える魔導師はいないか』と訊ねた。

 

 そして彼の知る限り、その佐官の求めるレベルの氷結系魔法を使える魔導師は一人しかいなかった。

 

 

「――――何で、氷結系は使えるやつ少ないんだよ! クソッ! 俺も覚えてやる!!」

 

 

 佐官の求めに、部隊長は一人の魔導師を推挙した。

 

 つい二週間前に休暇扱いの謹慎となった彼の部下だ。

 

 もちろん、彼はそれでも良かった。部隊長の命令なら特に反論も無かった。

 

 だがしかし――――

 

 

「なんで俺があいつの迎えに行かにゃならんのだ!? つーかなんだよ! 『二士が使える魔導師になっているか、お前の目で見て来い』ってのは! あのオヤジ、ついにボケたか!?」

 

 

 それでも、部隊長の命令は絶対だ。

 

 彼は部下や同僚に当り散らしながら、機上の人となった。

 

 

「――――くそ……」

 

 

 そして、彼が一番苛立っている理由は、彼自身が考えないようにしている事だった。

 

 

「――――――――あいつが俺と同じだって言うつもりかよ……」

 

 

 局員になりたての頃、周囲と諍いばかり起こしていた彼が今の部隊長に引き取られた理由。

 

 それこそが、彼のここにいる理由なのだ。

 

 

「――――――――ミナセよぉ……あっちに転ぶんじゃねぇぞ……」

 

 

 思わず漏れた本音。

 

 彼はそれに気付かず、窓の外の雲海を見詰める。

 

 

「――――――――俺たち魔導師は……諦めちゃいけねえんだよ……」

 

 

 必死に伸ばした手が届いた瞬間、彼は魔導師として生きていく事を誓った。

 

 

「――――…………」

 

 

 そして何年かの時が過ぎ、今、新たな魔導師が生まれようとしているのかもしれないと思う。

 

 彼と同じように――――

 

 

「――――…………救ってみせろよ……」

 

 

 呟いたその言葉を聞いた者は、窓に映るもう一人の自分だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後編につづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜あとがき〜

 

 皆さんこんにちは、悠乃丞です。

 

 とりあえず第一声。

 

 ――――陸上自衛隊の装備にドリルがあって良かった(ぉ

 

 いや、正確に言うなら掘削機ですが、気になる方は陸自のHPを見てくだされ。ちょっとロマンを感じる形です、なんていうか……特撮って感じで(ぇー

 

 兎にも角にも、無事にこの話をお届けできてホッとしています。

 

 まあ、実際は予定以上に伸びてしまい、こうして話を二つに分けた次第です。

 

 レジアスさんやらゼストさんやらは何気に動かしやすいので、つい調子に乗って書き過ぎました。

 

 StS時代から考えると、レジアスさんもゼストさんもまだ普通の局員だった頃だと思われ、これが紆余曲折を経てああなってしまうのだと思うと少し悲しい気がします。

 

 

 

 さて、ここで拍手返信と行きましょう。

 

 

悠乃丞さんへ。くらひと面白かったです。気になるのは、リュウトの目的が何なのかということです。彼は管理局と敵対してはやてと戦うのでしょうか?

彼の復讐目標である『闇の書』が無くなったのであるのなら、彼が得た『力』の矛先は何処へ行くのでしょう?

目標を失った力ほど、怖いものは無いとリュウトの力を見るとつくづく思います。

くらひとがどのような結末を迎えるのか全く予想がつきませんが、楽しみにしてます。これからも執筆頑張ってください。

 

PS. To a you sideとのクロス作品も楽しみにしてます。

 

>感想ありがとうございます。リュウトの今後に関しては本編でしっかりと明らかにしていくつもりですが、復讐対象が無くなった以上その力の矛先は自ずと限られてきます。それが何であるかはまだ明かせませんが、少なくともリュウトは人を害する事を望む人間ではありません。その時点で、リュウトの復讐は破綻しているとさえ言えます。実を言えば、くらひとの最後はいくつものプロットがあって、どれでもそれなりの納得を得られると思っていますが、やはりすべての人の納得は得られないだろうな、と思っています。それでも、リュウト自身は納得して自分の道を進み、この物語はちゃんと終わりますので、お楽しみに。

 

 

 以上で拍手返信を終わります。質問等ございましたらこちらにどうぞ、もちろんメールでもお答えしています。

 

 

 

 

 さて、本編を書かずに過去篇を書いておいて何を言うかと思われるでしょうが、私も本編進めたいんですよ!? 高度だけど偏った知識。ハイレベルだけど使えない魔力。限りなくアホの子であるシグレさんの話を書きたいんですよ!? というか、すでに書いているんですが、これがなかなか終わらない。

 

 何にしても、次の話で過去篇第一部も終わります。本編がある以上、リュウトは魔導師として生きていく事がすでに決まっていますが、全く魔法の存在しない世界から来た少年が、少しずつ自分の道を定めていく過程を描けたと思っています。

 

 詳しい総括は次回でやりますが、ただ現実を恨むだけだった少年が新しい家族によって立ち上がり、その心に宿った復讐心で力を求め、多く出会いによってその力の形を定められ、その力の重さと理由を知った時、彼は本編の“リュウト・ミナセ”に少しだけ近付きます。

 

『真の意味での“復讐”とは如何なるものか?』――――この物語の柱の一つはここにあります。それを解き明かす鍵がこの過去篇であり、過去篇は間違いなくリュウトの歩んできた道。それがどこに続いているか、読者様方にはしっかり見ていただきたいと思っています。

 

 その答えはもちろんリュウトだけのものであって、決して絶対の価値観ではないでしょう。それを踏まえて彼がどのような結末を迎えるのか、本編の方もぜひお楽しみに。

 

 

 

 次回は、リュウトの得た力の真価が試されます。そして、この結果こそが後のリュウトの礎となる事でしょう。

 

 護れるか、否か。今度こそ、リュウトは命を護れるのでしょうか?

 

 

 

 それでは皆さん、次回のお話で会いましょう。

 

 

 







作者悠乃丞さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
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