魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS 昔語り―――

 

 

 

 

―出会い 後編―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、こんにちは」

 

 

「はい、こんにちは。三人とも訓練ご苦労様でした」

 

 

 後輩魔導師である三人の少女に引き攣った顔で挨拶されたリュウトだが、その返答は怖いほどいつも通りだった。

 

 いや、いつも通りのはずだった。

 

 だが――――

 

 

「ど、どどどど、どどうしたんだッ? しし、し仕事じゃなかったのか?」

 

 

「――――いやぁ、折角なので三人に訓練の感想でも聞こうと思いましてね」

 

 

 少なくとも、付き合いの長いクロノにとっては別の表情に見えたらしい。彼の言葉はいつもの冷静沈着な執務官の姿を欠片も感じることはできなかった。

 

 

「そ、そうなのか」

 

 

「――――ええ、そうですとも」

 

 

「――――」

 

 

「――――」

 

 

 後に三人の少女はこう語った。

 

 

――――笑顔は一番恐ろしい表情でもある、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もちろん私の昔話が後輩の今後に役に立つというのなら、私は喜んでお話しますよ。ですが、人の事ばかり話して自分の事を話さないというのはどうでしょう」

 

 

「――――」

 

 

「クロノ。姉さん二人の買い物の荷物持ちに君が連れて行かれそうになった時、私は任務明けの疲れた身体をおして代わってあげたというのに、君はそういう風に私をダシにして後輩たちを指導するんですね」

 

 

「――――」

 

 

「――――」

 

 

「あの〜…」

 

 

「どうかしましたか?」

 

 

「――だ、大丈夫ですか?」

 

 

「――――」

 

 

 三人の代表ということなのだろう。クロノに向かって珍しく愚痴を言い続けるリュウトに、なのはが体を緊張させながらも声を掛ける。しかし、なのはの言葉は真直ぐすぎた。少なくともリュウトの笑顔が凍りつく程度には……

 

 

「――――なのはちゃん……」

 

 

「――――なのは……」

 

 

「え? ああ!? 違うんです!」

 

 

 ああ、やっちまった――そんな言葉が似合いそうな表情で、二人の魔法使いの少女は親友を見詰める。

 

 その視線の先で慌てるなのはだが、言ってしまった言葉が消えてなくなる事はないだろう。

 

 愚痴から解放されたクロノが溜息を吐き、動きを止めたままの兄弟子に視線を送る。

 

 

「――はぁ…」

 

 

 クロノの口から二度目の溜息が漏れる。

 

 

――――リュウトは硬直したまま瞬きすらしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「徹夜六日目…」

 

 

「ええ、内二日は仮眠すら取れませんでした」

 

 

 フェイトの呆然とした言葉に乾いた笑いを浮かべるリュウト。

 

 その労働時間ぶっちぎりの働きぶりも、自らのデバイスによる思考支援がなければ不可能なことだった。融合状態に移行せずに戦闘能力を底上げできるこの能力は、本来デスクワークなど非戦闘行為のためのものではない。

 

まあ、結果を見ればこちらのほうが役に立っているとも言えなくはないが。

 

 

「皆さん仕事熱心で私は嬉しいですよ。昼夜を問わず執務室に押しかけてきては、艦やらヘリやら車両やらの手配が遅れているだの人員が足りないだの多すぎるだの奴らとは組みたくないだの、内容としては運用部に聞いて欲しいものですがね。まあ、レティ姉さんまでドア蹴破って怒鳴り込んできましたから、無駄なのかもしれませんが……」

 

 

「――――」

 

 

「というか、どうして対物理衝撃対魔法衝撃の複合扉を蹴破れるんだろう……はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは」

 

 

 それぞれ別の表情を浮かべてリュウトを見遣る三人。

 

 これが管理職の悲哀だと理解するには、彼女たちは少し若すぎた。

 

 唯一理解できるクロノだけは、自分は決してこうなるまいと心に誓うが、それが叶うかどうかは誰にも分からない。

 

 

「――それで、皆さんは私の昔話を聞いていたんですよね」

 

 

 しばらく笑ったあと、リュウトは三人の後輩にそう訊ねる。その顔には先ほどまでの疲れたような影はなかった。

 

 

「は、はい、すみません…」

 

 

 はやての言葉に合わせるように頭を下げる三人。本人の居ないところで過去を聞くというのは、改めて考えると罪悪感が込み上げてくるものだ。

 

 

「気にしないでいいですよ。私の経験が皆さんの役に立つなら」

 

 

 笑いながらそう言うリュウトに、はやて達は幾分表情を柔らかく変化させた。

 

 

「――ついでですから、クロノと出会った頃の話でもしましょうかね」

 

 

「何ッ!?」

 

 

 紅茶の入ったカップを口に運ぶリュウトがポツリと呟いた言葉に、クロノが突然立ち上がる。その反応に驚いたのはなのは達だった。

 

 冷静沈着を絵に描いたような執務官がこれほど慌てるとは、彼女たちの考えの外であったに違いない。

 

 

「ちょっと待てリュウト!」

 

 

「おや? ここは身近な人間の方がいいかと思ったんですがね」

 

 

「だからと言って…」

 

 

「いいじゃないですか。これも後進の育成のためですよ」

 

 

「くっ…」

 

 

 歯軋りしながら兄弟子を睨みつけるクロノだが、自分の主張が聞き入れられる可能性が低い事は理解していた。

 

こうなった兄弟子を止められる存在はこの世にいない。本気で止めるつもりならリンディとレティ、さらにはエイミィを連れてくるしかないだろう。だが、そんな事をすれば彼女たちの口から自分の過去が語られてしまうに違いないのだ。それでは意味がない。

 

 

「――――分かった。だが、訂正すべきところがあれば即座に話を中断させるぞ」

 

 

「心配性ですねぇ」

 

 

「慎重だと言ってくれ」

 

 

「まあ、どちらでもいいですがね。面倒ですし」

 

 

「――――」

 

 

 苦虫を噛み潰した上にさらに口の中に追加されたといった表情を浮かべるクロノに、なのは達はどれほど恥ずかしい過去がリュウトの口から語られるのかと内心ワクワクしていた。もちろん、そんなことは口にも顔にも出せないが。

 

 

「さて、本人も納得したところでお話ししましょうか。そうですねぇ…」

 

 

 リュウトは少しの間考えるような仕草をすると、再び口を開いた。

 

 

「私が初めてデバイスを握った頃、クロノはリンディ姉さんに連れられてきました。それは今から九年前、なのはさんとはやてさんが生まれた頃のことです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョシュアとの出会いの後、リュウトの訓練内容は大きく変わった。

 

 その最大の要因は、間違いなく魔法の存在だろう。

 

 訓練を担当するリーゼ姉妹も以前のように意図的に魔法を隠すこともなく、飛行魔法や念話、戦闘補助系から始まり直接戦闘系や幻術系、防御系に至るまで多種多様な魔法が訓練の中に組み込まれていった。

 

 その魔法を活かすためにリュウト自身も器としての性能を求められたが、十ヵ月に及ぶ基礎訓練によりすでにその土台は完成していた。あとは魔法との融合を図り、より効率的な魔法運用を可能とするだけの経験と知識がリュウトに求められるが、それはこれからの訓練と実戦次第という事になるだろう。

 

 そして、今――――

 

 

「ふっ!」

 

 

「遅い!」

 

 

 ――――あの訓練場では、二振りの剣を小さな身体でコントロールするリュウトと、その仮想敵を務めるアリアの姿があった。

 

 

「くっ! うああああああっ!!」

 

 

「そう! そうだよ。小さい君の身体で『メタトロン』と『サンダルフォン』をコントロールするには、すべての動きを流れに乗せるしかない。一時も停滞せず、常に流れをコントロール下に置くんだ」

 

 

 目の前を豪速で通過する黒い刃に視線を向けつつ、アリアはリュウトに言葉を投げた。

 

 その間にも白い刃がアリアの首筋に迫る。しかし、彼女はその刃を最低限の動作で避けると同時に、掌の先に作り出したスフィアから青い魔法弾をリュウトに向かって放った。

 

 

「ああああっ!」

 

 

 一瞬にも満たない時間の中で自らに突っ込んでくる青い光弾に対して、リュウトは白い刃――『メタトロン』を振りぬいたままの勢いで回転し、黒い刃――『サンダルフォン』でそれを叩き落す。

 

 その動きはアリアが言ったとおり、一切の停滞なく一つの流れで行われていた。

 

 

「飛行中も地上にいるときも基礎はそれほど違わない。足場の違いと下方にも気を配る必要があるけど、君のすべき事は変わらない」

 

 

「しッ!」

 

 

 回転する勢いを止めることなく、リュウトはアリアに向かって加速する。その動きは彼の格闘戦の師であるロッテによく似ていた。

 

 

「『戦闘の流れを掴み続ける』それが君のすべき事だ」

 

 

「っああ!!」

 

 

 加速する勢いをそのままに、リュウトは弧を描く軌道で鋭い蹴りを繰り出す。

 

 

「君の名は『闘いの流れ』――ならば自分のすべてを理解し、『流れ』も掴む!」

 

 

 蹴りから始まり、肘、膝、拳、踵、ありとあらゆるものがアリアに向けて流れを作り出していた。

 

 一切の停滞なく、一つの流れを以て敵に迫る。

 

 

「ぁぁぁぁああああああああああっ!!」

 

 

「速く、もっと速く!」

 

 

 風が唸りを上げる速度で攻撃を繰り返すリュウト。だが、その攻撃は一切アリアに触れない。

 

そして、アリアがリュウトの流れに飛び込んできた。

 

 

「君は確かに強くなる。だけど――――」

 

 

「!?」

 

 

 自分の流れに入ってきた異物に、リュウトの動きが一瞬だけ乱れる。

 

 その瞬間を見逃すほど、彼の師は甘くなかった。

 

一瞬だけ開いた間隙、その間にアリアはリュウトの懐深くに入り込む。

 

 

「まだまだわたしにもロッテにも及ばない!」

 

 

「くううううっ!!」

 

 

――――そして繰り出される怒涛の如き攻撃。

 

自らに迫る攻撃に対し、距離をとって回避しようとすれば誘導操作された魔力弾がリュウトの退路を塞ぎ、それでもその包囲網を突破しようとすれば、目の前にいるアリアがそれを許すはずもない。

 

そうなればリュウトには防御するしか手段は残されていない。一発一発高い魔力を込められた攻撃がリュウトにとって途方もなく重く感じられた。そして、その攻撃を受ける度に防御そのものが削られていく。

 

やがて――――

 

 

「確かに、動きは良くなってきた。でも、攻撃だけ」

 

 

「なっ!?」

 

 

 防御を抜かれまいと必死に攻撃を捌くリュウト。しかし、アリアの声は彼の背後から響いた。

 

 

「一つの事に夢中になり過ぎだよ。これで――」

 

 

「ラウンド……!」

 

 

「――――オシマイ」

 

 

 青い閃光に塗りつぶされるリュウトの視界。防御魔法も間に合わず、彼の身体は衝撃と共に蒼い空に投げ出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいつがお前のデバイスだ。今更だが、大切に扱え」

 

 

 そう言ってジョシュアが差し出したのは二つの小さな球形の宝石だった。

 

 無色透明でガラス細工のような繊細さを感じさせるそれに、リュウトはゆっくりと手を伸ばす。

 

 

「――――」

 

 

「飾り気がないだろう」

 

 

 ジョシュアが口の端を歪めながら発した言葉に、リュウトは小さく頷く事で答える。

 

 彼の目は肉刺だらけの自分の掌で輝くデバイスに向けられていた。

 

 

「――五四式試験型ストレージデバイス。名前はお前の好きに付けるといい。長い付き合いになるだろうからな」

 

 

「うん…」

 

 

 一切の装飾がない二つの球は、何の知識もない者が見れば単なるガラス球にしか見えないかもしれない。しかし、その宝玉は大きな可能性を秘めているはずだ。

 

 リュウトはデバイスを見詰めながら、その姿に相応しい名前を与えるべく思考を巡らせる。

 

 デバイスを抱えたまま唸り始めるリュウトに、ジョシュアは苦笑を浮かべた。もっとも、その顔に浮かんでいるのが苦笑だと分かる人間は両手の指で足りるほどしかいないだろう。

 

 

「本当に長い付き合いになるぞ。そいつの中にはわしの娘たちが眠っているんだからな」

 

 

「え?」

 

 

「そいつは情報収集が目的のデバイスだ。分かりやすく言うなら卵の殻、或いは母親の子宮といったところだろう」

 

 

「たまご…」

 

 

 確かに卵に見える。

 

 だが――――

 

 

「――――見た目じゃないぞ」

 

 

「あれ? そうなんだ」

 

 

「…………」

 

 

 この子供に預けて本当に大丈夫だろうか。

 

 ジョシュアは目の前で透明な卵を見詰めるリュウトの姿に自分の娘の将来を案じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一から説明する。一言も聞き逃すな」

 

 

「はーい!」

 

 

「…………」

 

 

 ここはいつからプライマリースクールになったのだろーか。

 

 ジョシュアは別室に作った即席の教壇の上でそんな事を思った。

 

 リュウトにデバイス工学を教えると約束したため、ジョシュアは研究室内の一室をリュウトの部屋とした。そこにはジョシュアとグレアムが調達してきた機材が立ち並び、七歳の子供の部屋とは思えない状態となっているが、ジョシュアもグレアムもリーゼも気にする事はなかった。

 

 そして現在、デバイスを作業机の上に乗せたリュウトは、目の前のモニターとその横に立つジョシュアに真剣な眼差しを向けていた。

 

 向けていたのだが――――

 

 

「――二度は言わん」

 

 

「分かりましたー!」

 

 

「…………」

 

 

 本気で友人を殺したくなったのはこれで何回目だろうか。

 

彼の頭の中では自分に会心の笑みを向ける友人の姿がまるで見た事があるように(・・・・・・・・・・・・)映し出されていた。

 

 おそらくグレアムに言い聞かせられたのだろう。礼儀正しく元気良く、はきはきと返事をするようにと。だが、しかし――――

 

 

「――――いつか殺す」

 

 

「へ?」

 

 

「気にするな。それでは説明を開始する」

 

 

 そう言ってジョシュアはモニターの前に立つ。その動きに反応し、モニターにデバイスのコアが立体モデルとなって映し出された。

 

 

「こいつの特徴はやはり内蔵されている特殊な装置にある」

 

 

「はい!」

 

 

「――返事は程々でいいぞ」

 

 

「はい」

 

 

「さっき教えた通り、こいつはわしの娘たちにとって、卵の殻であり母親の子宮でありゆりかごでもある」

 

 

 ジョシュアがモニターに映るコアをポインターで指し示す。

 

 

「このデバイスは実戦での情報収集が目的の代物で、こいつの中で娘たちは成長していくことになる。お前の得た実験経験という糧を得てな」

 

 

「――――」

 

 

「お前のするべき事は経験を積むことだ。それがお前の力になり、この子らを成長させる」

 

 

 ジョシュアは作業机に載せられた二つの宝玉に目を向けた。

 

 

「そいつはまだコア部分だけだ。これからフレームと各パーツを取り付け、ストレージデバイスとして完成する。今は無色透明なガラス玉だが、お前のイメージを取り込めば多少は変化するだろう」

 

 

「――イメージ?」

 

 

「そうだ。お前にとっての戦いの象徴、戦う理由、戦う意味、それらがこいつに姿と力を与える」

 

 

「――――」

 

 

 リュウトにとっての意味。

 

 それは――――

 

 

「難しい事は後回しだ。早速、データ取りを行うとしよう。時間は有限だからな」

 

 

 かくして少年は力と対面する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔力の制御方法は習ったな?」

 

 

 技術局内にある試験場に二人の姿はあった。

 

 リュウトは自分の周囲に設置されている機材に視線を向けながらジョシュアの言葉に答えた。

 

 

「はい。アリアとロッテに」

 

 

「ならば話は早い。そのコアに魔力を流し込み、名を与え、姿を与えろ」

 

 

「――――ええと」

 

 

「難しい事はない。お前が戦いに求めるものをその子らに伝えるんだ。そうすれば此方で各パーツの調整を行い、お前のバリアジャケットの生成をフォローする」

 

 

 ジョシュアはそこで一度言葉を止めた。

 

 

「――――良いんだな?」

 

 

 ミッドチルダ魔導師の戦闘衣であるバリアジャケット。それを身に纏うということがどういうことか、リュウトに分からないわけではない。

 

 今ならまだただの子供として生きられる。

 

 魔法を捨て、新しい家族の温もりに包まれて成長する事が出来る。

 

 

「――今なら戻れるぞ。普通の子供に」

 

 

 復讐を捨て、ただ穏やかに。

 

 

「わしが言うのもなんだが、ここで戻ってもわしは何も言わん」

 

 

 ごく普通の子供として、ごく普通の幸せを望む事が出来る。

 

 

「こういう仕事をしているが、わしも一人の大人だ。子供を巻き込む事になんの痛痒を感じぬほど小さなプライドの持ち主ではない」

 

 

 だが、しかし――――

 

 

「――――もう一度聞く。どうする?」

 

 

 自分はすでに進み始めている。

 

 その先に何があるのかはわからない。それでも、進む。

 

 

「――――はじめます」

 

 

 ジョシュアの目には、そこにいる少年が別の存在に見えた。

 

 

(義理でも奴の息子ということか……)

 

 

 数十年前、友人も同じ目をしていた。

 

 そして、その友人はこの子供を自分に預けた。

 

 

「――――分かった。始めろ」

 

 

 ならば、自分は大人の義務を果たそうではないか。

 

 

「はい!」

 

 

「パスワードは設定していない。お前の魔力が計測レベルAに達したところでそれが鍵になり、メインシステムを起動するようになっている」

 

 

「分かりました」

 

 

 リュウトはジョシュアの言葉に頷き瞳を閉じると、自分の身体の中で魔力を高める。

 

 

「――計測開始。各魔力計測器、正常に作動中」

 

 

ジョシュアは端末の上に指を走らせ、リュウトの周囲に円状に設置された計測器の情報を集めていく。少しでも多くの情報を集め、より完成度の高いデバイスを創り上げるためだ。

 

 

「レベルBの魔力を感知。いいぞ、そのまま流し込め」

 

 

「はい」

 

 

 リュウトは自分の中の魔力が両の腕に流れていくのを感じた。

 

 無意識と意識が魔力の流れを制御し、己が剣となる『たまご』へと力を注いでいく。

 

 

「レベルB2」

 

 

 少しずつ、少しずつ。

 

 自分の決意と心を注ぎ、『彼女たち』へとこの力を届ける。

 

 

「レベルB3」

 

 

 これから共に戦う仲間として、命を預けあう友として。

 

 

――――これから我らは共に在る。

 

 

――――これから我らは共に生きる。

 

 

「レベルAに到達! そいつらに名を与えろ!」

 

 

 モニターや端末に囲まれたジョシュアが叫ぶ。

 

 

「我はここに誓う。汝らの主たることを、汝らの友である事を」

 

 

――――我と共に歩め、双子の天使の名を持つ剣よ。

 

 

「『メタトロン』!! 『サンダルフォン』!!」

 

 

 試験場に、あの日の少年の叫びが響き渡る。

 

 泣き叫び、ひたすらに涙を流した少年の声は、この日新たな力を呼んだ。

 

 

「セェェット! アァ――――ップ!!」

 

 

 そして、力もまた、少年の叫びに応える。

 

 

Yes,My master

 

 

 蒼い光が生まれ、少年を包み込み。

 

朱い光が膨らみ、少年に絡みつく。

 

黒い光が弾け、『それ』はこの世界に生まれ出でる。

 

 

――――基本構造異常なし。

 

――――計測魔力。登録されているマスターのものと確認。

 

――――各魔導回路異常なし。

 

――――各機能問題なし。

 

――――暫定マスターを正式なマスターと承認。

 

――――これより、本機は稼動状態へと移行する。

 

 

「よし! 起動確認。これで始まる!」

 

 

 そう、新しいデバイスの可能性が目覚めた。

 

 これまでのように適性のある魔導師や騎士を使うのではなく、適性のある使い手にデバイスを合わせ、使い手もまたデバイスに適した存在へと変わっていく。

 

 

「――――それにしても、天使の名とは…な。神にでも縋るか?」

 

 

 違う。

 

 

「僕は神様を信じないし頼らない。だから――――」

 

 

 だからこそ、天使の名を付ける。

 

 我は神の眷属を振るう者。

 

 故に、我は神を崇めない。

 

 真白き戦装束を纏った少年は、ゆっくりと目を開く。

 

 

「――――確かに、そういう考え方もあるな。純白のバリアジャケットも同じ理由か」

 

 

「これは…制服かな…」

 

 

「何?」

 

 

「小学校の制服」

 

 

 通う事がなかった学校の制服。

 

 あの事件がなければ、自分はあの制服に身を包んで普通の生活を送ったに違いない。

 

 

「それに――――」

 

 

 棺に納められた家族の亡骸は、白い衣を纏っていた。

 

 これがこの世で纏う最後の色なら、自分も同じ色を纏おうと思う。

 

 焼けた顔を隠されて、焼けた手を隠されて、家族はただ白かったから。

 

 

「これが最後の色なんだと思う。きっと僕はこの姿で死ぬだろうから」

 

 

 『闇の書』との戦いに勝つ事は難しい。リュウトもそれは分かっていた。

 

 このバリアジャケットは決意の証。

 

 逃げないと誓う証。

 

 家族の復讐を果たすという誓い。

 

 

「――わしは何も言わん。お前の道だ」

 

 

「はい」

 

 

 ジョシュアはそれだけを告げた。

 

 決意に答えるためには、自分もまた決意しなくてはならない。

 

 そして、自分の決意はこのデバイスを完成させること。

 

 それしか、ジョシュアがリュウトに応える術はない。

 

 

「基礎テストを始める。準備はいいな?」

 

 

「はい!」

 

 

 

 

 彼の装束が死に装束であると知るものは、この後九年間数人しか現れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたたたたっ!」

 

 

「そりゃそうだ。痛くしてるし」

 

 

「ひどいよアリア。ロッテはもうちょっと優しかったよ…?」

 

 

 転送ポートが設置された小屋の中で、リュウトは負傷の際の応急処置の練習を兼ねて治癒魔法を使わない方法での治療を受けていた。いつでも魔法が使えるとは限らない以上、こうして魔法に頼らない治療の方法も覚えなくてはならない。

 

 それに怪我のレベルによっては治癒魔法よりもこうした治療法の方が高い効果を得る事もある。

 

 

「――――へえ」

 

 

「いたぁあああああああッ!!」

 

 

 リュウトの口から出た言葉に、アリアは冷たい声と、それと共に繰り出した消毒液付きガーゼを以て答えた。

 

 ぐりぐりとねじり込むように患部に押し付けられるガーゼ。

 

 顔から始まり、足や背中まで傷だらけのリュウトはその攻撃に叫び声を上げるしかない。

 

 

「――身も心も捧げたのに、ひどいのはどっちだい」

 

 

「いたたっ! 頼んでないよ、そんな事!!」

 

 

「――――」

 

 

「ちょっ!? いたっ! 痛いって! 抉ってる刺さってる傷広げてるぅっ!!」

 

 

 半眼になってガーゼを押し付けてくるアリアから逃げようともがくリュウト。

 

 しかし、痛みで動きが鈍くなった彼の身体はすぐにアリアに捕獲された。

 

 

「ほれほれ、世の中の男が理想とするチチだよ〜」

 

 

「む〜〜〜〜!」

 

 

 いや、アリアの胸に捕獲された。

 

 過剰なスキンシップの鬼と化したアリアと、その胸の谷間から必死で息をするリュウト。

 

 他に見るものがいない事が、おそらく彼らにとって最大の幸福だろう。

 

 

「教導隊のバカなんて毎度毎度懲りもせずにこの胸目掛けて飛んで来るんだ。わたしもロッテも触られたことはないけど、ほかの女子局員とかはいろいろ触られて大変らしいよ」

 

 

「もが〜〜〜!」

 

 

 そんなことはどうでもいい!――――リュウトの目はそう言ってアリアを見詰めるが、アリアはそんな息子の視線を、その頭を押さえることで無視する。

 

 

「もうちょっと大人になったらこの良さも分かるんだけど、今の君にはよく分からないか。ほ〜れほれ」

 

 

「むが〜〜〜〜!!」

 

 

「え!? ちょっ! ん! ダメだって、暴れたら…あふぅ…」

 

 

「〜〜〜〜〜!!」

 

 

 息が出来ないことで暴れ始めたリュウトを、アリアは逃がすまいと必死で押さえる。

 

 リュウトの手がアリアの胸や腹部を押したり撫でたりする度にアリアが声を上げるが、死に向かってまっしぐらのリュウトが気にするはずもない。

 

 

「あん…まっ……んん! ダメだって…んう…言ってるじゃないか…はあ…」

 

 

「む〜〜〜〜っ!!」

 

 

 じゃあ離せ!――リュウトの心からの叫びはアリアの顔に朱を落とすだけで、大した意味を成さなかった。

 

 普段から一緒に入浴しては押し付けられたり、洗わされたりとはっきり言って見慣れた物体にリュウトが何らかの異性的興味を見出すはずもない。

 

 朝起きたら素っ裸のロッテやらアリアやらが自分を抱き締めたまま寝ているという事が一週間に一度は発生する状況に、リュウトの感性はとことんまで鈍化していた。ちなみに素っ裸だった理由はそっちの方がリュウトを暖かく感じるかららしい。ネコか。いや、ネコだった。

 

 つまり、理想的だろうがなんだろうが、リュウトにとっては大した意味があるものではないのだ。リュウトはその点、世の中の男性諸君を敵に回すかもしれない。

 

 

「むぐ〜〜〜〜! もが〜〜〜〜っ!!」

 

 

「……ん…はあ……は…うん…」

 

 

 結局、リュウトが酸欠で気を失うまでその状態は続いた。

 

 その出来事が軽いトラウマになったのは、本人すら知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――何やってるの?」

 

 

「――――訓練?」

 

 

 仕事を終わらせて訓練場に足を運んだロッテが見たものは、小屋の中で動かなくなった息子と顔と身体を紅潮させた姉妹の姿だった。

 

 この状況なら誰でも同じことを聞くだろう。

 

 

「訓練って何の?」

 

 

 言えない。

 

 

「――――ふふふのふ」

 

 

「誤魔化すな! あたしのリュウトに何したぁあああああ!?」

 

 

「親子のスキンシップ」

 

 

 あれが親子のスキンシップなのがグレアム家だった。

 

 リュウトが甘えて二人に抱きつくのではない、二人がリュウトを抱き締めていないと禁断症状を起こすのだ。

 

 以前、アリアが長期任務でひと月ほどリュウトから離れていたことがある。

 

 最初の数日間、アリアはリュウトに会えない事を寂しがってはいても、任務はしっかりとこなしていた。だが、五日が過ぎた頃、アリアは切れた。

 

 突然夜中に叫び声を上げて暴走し始めたのだ。

 

 暴走したアリアを止めるために武装隊の陸士二個分隊が壊滅し、航空隊を含む二個小隊が事実上小隊行動不可能となった。

 

 その際に最終兵器として現場に送り込まれたのは、やはりロッテに連れられたリュウト。

 

 夜中に突然呼び出されたせいで半分寝たままのリュウトを確認した途端、アリアはロッテの手からリュウトを奪い取り何処かへ消えていった。その数分後、戻ってきたアリアはぐったりとした息子を背負っていたが、彼らの間に何があったのか知る者は本人たち以外にいない。

 

 ちなみにその後、リーゼ姉妹が長期任務に就くときは、リュウトの写真と専用の通信端末が常備されるようになったという。

 

 

「――そう、なの?」

 

 

「うんそう」

 

 

 間違ってはないが間違っている――そんな矛盾した感想を持つべき第三者はここにはいなかった。

 

 

「それでどうしたの? ここに来るなんて」

 

 

「ああ! 忘れてた!」

 

 

「忘れないで」

 

 

「だって、リュウトが出迎えてくれなかったんだもーん」

 

 

 華麗に責任転嫁するロッテにジトッとした眼差しを向けるアリア。

 

 その視線には息子を悪者にするなという意思が込められていた。親馬鹿である。

 

 

「まあまあ、怒らないで」

 

 

「――――で、どうしたの」

 

 

 アリアの視線を満面の笑みで弾き飛ばし、ロッテは自分がここに来た理由を話し始める。

 

 

「リンディがね、クロスケ連れてうちに来るってさ」

 

 

「――父様は?」

 

 

「一緒に来るって」

 

 

「そう…」

 

 

 先の『闇の書』事件の被害者であるクライド・ハラオウン。その妻と子供が訪ねてくる。アリアはついにこの時が来たのだと思った。

 

 

「――――わたしたちの母親ぶりはどうなのかな」

 

 

「気にしない方がいいよ。リンディみたいに子育てするなんてあたしたちには無理だもん」

 

 

 それで納得できるなら、一年前リュウトの両親の姿を真似ることなどしなかっただろう。

 

 あの時の自分たちは間違いなく母親失格だった。いや、人として失格だったのだ。

 

 しかし、そんな自分たちをこれほどまでに成長させてくれたのは血の繋がらない息子。その事実にアリアはようやく気付いた気がした。

 

 

「クロスケも大きくなったかな」

 

 

「多分、もう一年以上も会ってないんだから」

 

 

「リュウトと仲良くなれるといいな」

 

 

「そればっかりは本人次第。わたしたちがどうこう言っても意味ないよ」

 

 

 二人はそう言って笑い合い、息子の寝顔を覗き込む。

 

 

「――――どっちが背負う?」

 

 

「――――リュウトが起きて先に呼んだ方」

 

 

 皮膚を刺すような緊張感が小屋の中に満ちる。

 

 

「――――乗った」

 

 

「――――じゃあ、起こすよ」

 

 

 その言葉と共にアリアの手がリュウトの肩に伸びる。

 

 

「リュウト、帰るよ」

 

 

「あたしもいるよ〜」

 

 

「――――ううん……」

 

 

 アリアか、ロッテか。

 

 二人は緊張した面持ちで息子の言葉を待つ。

 

 そして――――

 

 

「……ん〜……おはよう……――――」

 

 

 その目が小さく開かれ、その口から一人の名前が呼ばれた。

 

 

 

 

 

 とりあえず、勝者と敗者は一緒に帰宅した。その勝者の背には再び眠りについたリュウトの姿があったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練場から帰ってきたリュウトは、珍しく早く帰宅するというグレアムの為に料理を作る事にした。

 

 五歳の頃から包丁を握っているリュウトはこうして自分で料理をする事が趣味になっていた。八歳の少年が作る料理などたかが知れているが、それでもグレアム家では評判が良かった。

 

 

「ロッテ、火強すぎ。面倒なのは分かるけど、弱火にして」

 

 

「は、はーい」

 

 

「アリア、サラダは手で千切ってもいいけど、芯は取ってね」

 

 

「わかりましたー」

 

 

 グレアム家料理長の指示の下、客人を出迎える料理は次々と出来上がっていった。

 

 

「――あれ? ロッテ、オーブンの温度高くない?」

 

 

「だって時間がないって…」

 

 

「冷ます手間を考えたらこっちの方が面倒だよ。次は気をつけてね」

 

 

「ういーす」

 

 

「アリア、スープはこっちのお皿。そっちはオードブル」

 

 

「変わんないじゃないか」

 

 

「厚さが違うでしょ」

 

 

「――ういーす」

 

 

 後に名指揮官として知られるリュウトの始まりは、意外とこんなところにあったのかもしれない。

 

 右往左往という言葉が似合うリーゼと比較して、リュウトは小さいながらもてきぱきとした動きでキッチンを駆け回る。

 

 やがて、彼らは国籍が判然としない夕食のメニューを完成させた。

 

 

 

 

 

 

 

「――リュウト、リーゼ。帰ったぞ」

 

 

 玄関から聞こえるグレアムの声に真っ先に反応したのはアリアだった。

 

 

「リュウト。父様帰ってきたよ」

 

 

「――これで最後だから、アリアとロッテで行ってきて」

 

 

 リュウトは鍋から煮魚を取り出し、皿に盛り付ける。日本の伝統料理であるサバの味噌煮だった。

 

 

「あいあいさー」

 

 

 二人が玄関に駆けていくのを耳で確認し、リュウトはテーブルに料理を並べる。

 

 和洋折衷、ついでにミッドチルダなどの異世界料理も並んだ次元世界の縮図だった。

 

 

「――よし」

 

 

「さすがだな」

 

 

「あ、おかえり」

 

 

 並んだ料理を見てひとつ頷いたリュウト。

 

 グレアムはダイニングに足を踏み入れながら、その光景に顔が綻ぶのを感じた。

 

 

「ああ、ただいま」

 

 

 玄関ではリーゼが二人の訪問者と雑談をしているはずだ。

 

 

「話はリーゼから聞いているか?」

 

 

「うん、リンディさんとクロノ君って人が来るって」

 

 

「そうだ。まあ、緊張する必要もないぞ」

 

 

「分かった」

 

 

 グレアムはリュウトが頷くのを確認すると、玄関にいる四人に声を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃だった。

 

 心が握り潰されそうになった。

 

 

「あなたがリュウト君ね。始めまして、リンディ・ハラオウンです」

 

 

 手を差し出され、それを握り締め、再び衝撃を受けた。

 

 暖かく、柔らかいその手に、リュウトは幻の涙を感じた。

 

 

「グレアム提督のお子さんって聞いてたからしっかりしている子だとは思ってたけど、まさか料理まで出来るとは思ってなかったわ」

 

 

 手を繋いでダイニングに入ってきたハラオウン親子に、リュウトは自分と母親の幻を重ねた。

 

 でも、最後に握った母の手は、ごつごつとした岩のようでとても冷たかった。

 

 焼けた手は、かつての温もりを持ってはいなかった。

 

 

「――どうしたの? 大丈夫?」

 

 

 あの暖かい手は、もう二度と自分の手に触れられない。

 

 それが、今になって分かった。

 

 今になって痛感した。

 

 

「リュウト君?」

 

 

 あの暖かい手は、この世にないんだとリュウトは気付く、そして、自分が手首を――手首に着けられた腕輪を触っている事も気付いた。

 

 

「すみません、大丈夫です。リュウト・ミナセ、です」

 

 

「え、あ、ありがとう…」

 

 

 この腕輪が、自分と母親を繋ぐ最後の糸だった。それが血塗られた糸であったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで――」

 

 

「あ、ごめんなさいね。クロノ、挨拶しなさい」

 

 

「…………」

 

 

 睨まれる。

 

 ひたすらに睨まれる。

 

 リンディの隣で、黒髪の少年はリュウトを睨みつけていた。

 

 

「――ええっと」

 

 

「――――クロノ。クロノ・ハラオウン」

 

 

 少年――クロノが口を開く、そこから出てきたのは彼の名前だった。

 

 

「あ、うん。僕は…」

 

 

「――――リュウトだろ、さっき聞いた」

 

 

「そう…なんだ」

 

 

 自分の名を名乗ろうとするリュウト。しかし、その言葉はクロノによって遮られた。

 

 リュウトは表情が引き攣りそうになるのを必死で抑える。

 

 クロノ・ハラオウンとの邂逅は、リュウトの心に深く刻まれた。

 

 

「ごめんなさいね。愛想のない子で」

 

 

「――――いいえ」

 

 

 こっちはこっちで大変刺激的でした――――リュウトはそれだけを心の中で返し、テーブルに向かう。

 

 背後でリーゼが肩を震わせている気がしたが、あえて無視した。

 

 

「さあ、夕食にしよう」

 

 

 苦笑を浮かべたグレアムの言葉が、晩餐の始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

「――? 不味かったですか?」

 

 

 リュウトと双子猫作の夕食は、リンディとクロノの口にも合ったようだった。

 

 リンディは次から次へとフォークを伸ばし、その味付けに驚いたりしていた。

 

 クロノは黙々と目の前にあるものを食べ続け、リンディやリーゼが次々と皿を入れ替える事で多くの料理が彼の口へと消えていく。

 

 そんな中で、リンディが大きな溜息を吐いたのだ。

 

 

「――――八歳でこれ?」

 

 

「気にしなさんな。あたしらなんて毎日こき使われているんだから」

 

 

「ロッテは料理が下手だから」

 

 

「アリアも大差ないでしょーが!!」

 

 

「二人とも、静かに」

 

 

「さーいえっさー」

 

 

 あっさりと終わる姉妹喧嘩。

 

 それがこの家の日常だと、リンディにも分かった。

 

 

「うふふ……いっそ料理店でも開いたらどうかしら?」

 

 

「お、いいね。子供料理長の店って」

 

 

「珍しい料理もあるし、意外といけるかも」

 

 

「だったら本局内に開くのはどうかしら。いくつかテナントが空いていたと思うわ」

 

 

「ダメダメ。本局なんかに店作ったら教導隊の連中まで来ちゃうよ」

 

 

「そうそう。それはいいとして、やっぱり店には可愛いウェイトレスでしょ」

 

 

 あーでもないこーでもないと店のレイアウトやらを議論する女性陣。

 

 その光景を見詰めるリュウトは、どうやらドーナツ化した蚊帳の真ん中にいるらしかった。要するに蚊帳の外でありながら蚊帳の外ではないということだ。

 

 リュウトはその状態に苦笑しつつも、こうした夕食も楽しいかもしれないと思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンディ、クロノの事はいいのか?」

 

 

 グレアムのその言葉に、三人の会話が止まった。

 

 

「――どういうこと?」

 

 

「クロスケの事って何?」

 

 

 父の言葉に、ロッテとアリアはリンディへと疑問の眼差しを向ける。

 

 その視線の先で、僅かの間リンディは俯いていた。

 

 

「――――」

 

 

 リュウトはクロノへと目を向ける。

 

 

「――どうしたの?」

 

 

「――おまえには関係ないだろ」

 

 

 クロノの声は冷たかった。

 

 それでも、リュウトはクロノに話しかける。

 

 

「ここに僕がいるってことは、きっと関係なくはないよ」

 

 

「――――」

 

 

 おそらくその通りだろう。

 

 今日ハラオウン親子が訪ねてきたのは、この事を話すためだった。

 

 

「――クロノに……」

 

 

 リンディが顔を上げる。

 

 そこには、息子の未来を案じる母親の姿があった。

 

 

「戦い方を教えてくれませんか?」

 

 

「え?」

 

 

「リンディ…?」

 

 

 呆然とした姉妹の声。

 

 しかし、リンディは言葉を止めなかった。

 

 

「グレアム提督、アリア、ロッテ。この子に、戦い方を教えて下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かってると思うけど、あたしらは二人の弟子を育てる方法なんて知らないよ。一人で手一杯だから、成果はあまり期待できないかもしれないよ」

 

 

「――それでもいい」

 

 

「クロノ…」

 

 

 ロッテの言葉に答えたのはクロノだった。

 

 リュウトとよく似た髪と瞳をもつ少年は、かつてのリュウトとよく似た瞳でリーゼとグレアムを見詰める。

 

 

「ぼくは強くなりたいんだ。父さんみたいに」

 

 

「――――」

 

 

 ああ、なんて綺麗な瞳なんだろう――リュウトはそれだけを思った。

 

 自分の暗く淀んだ目ではない。ただ未来を望む輝かしい目だ。

 

 

「母さんを守れるくらいに強くなりたいんだ」

 

 

 ただ守るために強さを求めるクロノと、ただ消すために力を求めるリュウト。

 

 

「こんなはずじゃない事は、もう嫌だから」

 

 

 どちらが勝るという事はない。ただ、方向性が違うだけだ。

 

 

「ぼくに魔法と戦い方を教えてほしい」

 

 

 それでも、リュウトはクロノの瞳に惹かれた。

 

 だからこそ――――

 

 

「――僕はいいと思うよ」

 

 

「リュウト…君…?」

 

 

 呆然とした声でリュウトの名を呼んだのは、リンディだった。

 

 まさかリュウトがそんな言葉を発するとは思っていなかったのだろう。

 

 しかし、リュウトは別の思惑の下でその言葉を告げたのだ。

 

 

「僕は近いうちに陸士訓練校に行くから」

 

 

「な」

 

 

 グレアムが目を見開き。

 

 

「な!?」

 

 

 アリアが腰を浮かせ。

 

 

「なにぃぃぃ――――ッ!!」

 

 

「うわっ!?」

 

 

 ロッテが叫ぶ。

 

 ついでにクロノが驚いて椅子から落ちる。

 

 

「ちょっとリュウト! あたしたちは何も聞いてないよ!? まさか父様!」

 

 

 違う違うと言わんばかりに首を振るグレアム。彼に向けられた視線を考えればそれも仕方がないだろう。使い魔に殺される主など、不名誉の極みだ。

 

 

「ジョシュア先生と話したんだ」

 

 

「あいつ…! 私に黙って…」

 

 

 グレアムは友人の勝手な行動に、拳を握り締めた。

 

 

「入校申請も試験も、もう済んでる。ジョシュア先生が知り合いに頼んでくれたんだ」

 

 

 すでにリーゼたちによるリュウトの訓練は大きく進んでいる。管理局としては即戦力として期待できるリュウトの入局を拒む理由はなかった。

 

 リュウトはジョシュアの元に行くといって管理局に出向き、そこで各試験を受けていた。グレアムの耳に入らなかったのはジョシュアが手を回したからだった。

 

 

「――――いつか殺す」

 

 

 そう呟くグレアムも、ジョシュアが全く同じことを言っていたとは思わないだろう。

 

 

「だから、アリアたちはクロノ君の訓練を」

 

 

「――――すごいんだな」

 

 

 クロノは呆れたような感心したような口調で、兄弟子となるかもしれない少年を評した。

 

 リュウトはその言葉に、小さく笑みを浮かべる。

 

 

「すごいかどうかは分からないけど、君に負けるつもりはないよ」

 

 

「――!! そう、だな。ぼくも負けない…!」

 

 

 その挑戦とも言える言葉に、クロノも笑みを浮かべた。

 

二人のよく似た少年は、お互いの未来を案じながら進み続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供同士の友情の成立は兎も角、大人たちはパニックに陥っていた。

 

 

「どうしようどうしようどうしよう…」

 

 

「お、落ち着いてロッテ。アリアも壁に向かって話しかけない!」

 

 

「――――リュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトがリュウトが…………」

 

 

 手を左右に彷徨わせるロッテ。パニックに陥った姉妹に翻弄されるリンディ。壁に向かって息子が巣立っていく現実から逃避するアリア。

 

 

「おい、どういうことだ!? なに? 本人の意思だと!? ふざけるな! お前があの子に何か吹き込んだんだろう!!」

 

 

 通信端末に向かって声を張り上げるグレアム。

 

 相手はおそらく研究室に篭ったままのジョシュアだろう。

 

 

「お前に頼んだのはデバイス技術だけだ! デバイスマイスターの試験も受けさせるだと!? 確かに経験を積むには試験を受けさせるのが一番だが…って違う! 他に何か隠してないだろうな!?」

 

 

 そんな大人たちを他所に、子供たちはそれなりに仲良くなっていた。

 

 

「へえ、これがおまえのデバイスか。面白い形してるんだな」

 

 

「僕の場合、手首にあるのは各種情報を血管から受け取りやすくするためなんだって、魔力の流れも分かるらしいよ」

 

 

「そうなのか。ぼくの『S2U』も同じ形になるのか?」

 

 

「違うと思うよ。僕の知ってる限りでもデバイスの待機状態の形は何千とあるから。あ、あとリュウトって呼んでほしいな」

 

 

「分かった、ぼくの事もクロノって呼んでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昔はあんなに可愛かったのに…」

 

 

「分かりやすい嘘泣きはやめろぉッ!!」

 

 

 泣き真似を始めたリュウトに、クロノが吼える。

 

 

「バレましたか」

 

 

「――――丁度いい。訓練に付き合ってもらおうか」

 

 

 懐から黒いカードと白いカードを取り出し、クロノがリュウトを睨みつける。

 

 

「いいですよ。私も机仕事で身体が固まりそうだったんです」

 

 

 リュウトは両手首の腕輪を輝かせ、それに応えた。

 

 しかし、クロノは兄弟子の弱点を知っていた。

 

 

「ふん! この前の怪我も治ってないくせに」

 

 

「クロノ!? な、なのは君たちの前でその事は言わないようにと……!!」

 

 

 焦っても遅い、彼の後輩は心優しい少女たちなのだから。

 

 

「本当なんですか!? やっぱりあの時わたしが…」

 

 

「違いますよ! なのは君に責任はないです!」

 

 

「じゃあわたしがなのはを守りきれなかったから…」

 

 

「違うって言ってるでしょう! フェイト君にも責任は…」

 

 

「それやったら、役に立たなかったわたしの所為ですね…」

 

 

「さっきから違うと言ってるでしょーが! 私何かしました!? 実は恨まれるようなことしましたか!?」

 

 

 確かにクロノに恨まれるような事はした。

 

 

「ふふふ、リュウト敗れたり…!」

 

 

 女性に弱すぎるというリュウトの弱点を的確に突いたクロノの勝利。

 

 時空管理局は今日も平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

 

皆様こんにちは、悠乃丞です。

 

 クロノ君の出番が少ない後編、いかがだったでしょうか?

 

 でも大丈夫です。クロノ君との話はこのあともうひとつございますので、クロスケファンはお待ちあれ。

 

 それでは、拍手返信に移りたいと思います。

 

 

※あれ、みゆきちはリュウトを特別視していないのか……。

 

>現在のところ特別視しておりません。ごく普通の友人関係ですね。まあ、ごく普通という事自体が彼らにとって特別だといえるかもしれませんが……運命が変わっていたら、普通に友人以上の関係になっていたかもしれません。

 

 

※特別視を希望したいのですが!

 

>ええと…リュウト君が第三期くらいまで無事生き残れて、美由希さんと上手くいってたら結構いいところまで進んでいるかもしれません。クロノ君ばりに。……ダメですかね? 翠屋二代目候補とか……短編でも書きましょうかねぇ……外典ですが、希望に添えますでしょうか?

 

 

 さて、次回はクロノ君との友情話です。陸士訓練校へと入校する事が決まったリュウト君とリーゼたちによる訓練が始まったクロノ君ですが、彼らの間には未だ大きな差があります。それは魔導師としての差だけではありません。それが二人の間にどんな出来事を引き起こすのか、お楽しみに。

 

 リクエスト等ございましたら、拍手やメールでも受け付けております。

 

 それでは次回のお話で会いましょう。




作者悠乃丞さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。