魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS 昔語り―――
―出会い 前編―
「――――もーだめやぁ…一歩も動けへん…」
「――確かに…もう……」
「…………はぁ」
管理局本局内の喫茶店でぐったりとしている三人の少女。
その顔にはそろって疲労の色が濃かった。ショックを与えればそのまま砂の城のように崩れてしまうかもしれない。
「――というか、何で魔法の訓練であないに走る必要があるんやろ」
「そうだよねぇ…」
「でも…基礎は大切だと思うよ?」
「基礎っちゅうか。あれは単なるシゴキや!」
「そうだよ、フェイトちゃん。トラック二十周は多すぎるよ!」
「――は、はは…。落ち着いてなのは、はやて」
同席している二人の友人に圧倒され、フェイトは乾いた笑い声を上げるしかなかった。
自分の所為ではないと言いたいが、言ったところで何が変わるわけではない。
「鬼教官ってああいう人をいうんやね、きっと」
「怖かったよ〜」
「――――」
好き勝手に訓練教官の評価を下す親友二人に、フェイトは苦笑いを浮かべる。
だが、この訓練日程を組んだ黒髪の執務官が喫茶店に入ってくると、その笑みは一気に吹き飛び、彼女の顔は引き攣った。
「随分と楽しそうだな」
「へあっ!? あ、クロノ君、来とったん?」
突然背後から聞こえた声に驚いた声を上げるはやて。その隣ではやはりなのはが目を丸くして驚きを表現していた。
「ああ、君たちの訓練が終わったと聞いてね。――ここ、いいか?」
三人が揃って頷くのを確認して、クロノは空いている席に座る。
注文を取りに来たウェイトレスにこの店オリジナルブレンドのコーヒーを注文すると、クロノは苦笑しながら口を開いた。
「指導教官が嘆いていたぞ。なのはとはやてはランニング半分も出来なかったそうじゃないか」
「う…」
「ええと…」
僅かに顔を引き攣らせるはやてと、恥ずかしそうに顔を赤らめるなのは。
そんな二人を見て苦笑いを深めるクロノだが、彼の心には懐かしい記憶が蘇っていた。
「まあ、気持ちは分かるよ。魔法を使うことを覚えるとそれに頼ってしまう。特に魔法を使えるようになってすぐの頃だと、な」
「クロノ君も?」
「ああ、僕の場合は覚えが悪かったから、出来たときはそればかりに気を取られていたよ」
クロノははやての疑問に自分の修行時代を思い出しながら答える。
もう十年近く前になるのだが、当時の事は忘れられそうも無かった。
「――――あ、じゃあ、リュウトは?」
「リュウトは…」
フェイトが出してきた名前に一瞬だけ考え込むクロノだが、すぐに答えを告げた。
「リュウトは――――魔法に関しては素人だったな」
「え?」
三人の声が重なった。
いや、声だけではなく表情も同じだった。
「え、だって…」
フェイトが目を丸くし――
「うん。この前の事件の時も凄い魔法使ってたし…」
なのはが首を傾げ――
「クロノ君たちと三対一でも勝っとったし…」
――はやてがリュウトと戦った事がある三人に目を向けて疑問を口にする。
三人の疑問に同時に襲われたクロノは、自分の中の記憶から修行時代のリュウトの姿を引っ張り出した。
「――――いや、間違いなく素人だった。リュウトの故郷には魔法という技術はなかったからな」
「そうなの?」
なのはが思わず聞き返した。リュウト・ミナセという青年とは半年以上の付き合いがあるが、それは初耳だった。
「ああ、君たちと同じように、ある事情で魔法の存在を知ったんだ」
クロノは慎重に言葉を選んで事実を告げる。兄弟子の意図は分からないが、彼の故郷については本人から語られるべきだろう。
「そうなんや…。でも素人って、最初はみんな素人やろ?」
「まあ、それはそうなんだが。実は彼は君たちとは真逆の訓練方法をしてきたんだ」
「逆?」
「ああ。君たちは魔法を知ってから訓練を始めたが、リュウトはある程度の訓練が終わってから魔法を覚えた。魔法の存在こそ知っていたが、基礎理論すら知らなかった」
はやてとフェイトの疑問に一つずつ答えを返し、クロノは更に続ける。
「僕もリュウトから聞いたから詳しくは知らないが、彼の訓練は魔法以外のもの――つまり自分自身の身体を鍛える事から始まったらしい」
「ふんふん」
「だから素人だと言ったんだが……――そこまで興味があるのか?」
クロノからすれば、どうして自分が兄弟子の過去を後輩たちに聞かせているのか疑問だった。
だが、三人の後輩にはそんな彼の疑問など関係ないらしい。
「あるに決まっとる。何か参考になるかも知れへんし…」
「そうだね、わたしも聞きたい」
「フェイトは…?」
一縷の望みを込めて義妹を見遣るクロノだが、その義妹の目にも分かりやすい好奇心があった。
「ごめん、クロノ。わたしも気になる」
「――――そうか」
他人の過去を簡単に喋っていいものかと思ったが、後輩たちのためだと言えばリュウトも納得するだろう――クロノはそう考えて、少し重くなった口を開いた。
「――分かった。でも、僕の訓練開始はリュウトよりも一年くらい後からだから、その前の事は別の人から聞いたんだ。だから断片的なことしか分からない。それでもいいか?」
「それでええよ」
そう言って頷くはやてとその言葉に頷く二人を確認して、クロノは記憶の扉を開く。
「リュウトが訓練を始めたのは、そうだな、今から十年くらい前だった――――」
「どうしたの? ノルマはまだ終わってないよ」
頭の上から聞こえるそんな声も、彼には聞こえていなかった。
「はっ…はっ…はっ…げほっ! ごほっ!」
息を吸って吐く。
普段なら簡単なことなのに今の彼にはこれ以上無いほど困難なことだった。
「魔導師になるんでしょ? まあ、あたしはどっちでもいいけど…」
「はあ……はっ…はっ…はあ…はあ…」
出来るだけ早く息を整えよう、そう考えても体は思うように動かない。
「これが終わらなきゃ、次の訓練に進まないよ。それでもいいの?」
「はっ…はっ…ま…待って……!」
「待って? こんなに待ってるのに? そんなこと言う元気があるなら早く再開してよ」
頭上から投げ掛けられる言葉に、少年は唇を噛み締めた。
確かにそうだ。すぐにでも起き上がって訓練を再開しなくてはならない。今日のノルマはまだ終わっていないのだから。
「ぐ…うう…う…あ…ぁああああっ!」
少年はその思考――自分の中の義務感と強迫観念を原動力にして、魂からの叫びを上げつつ立ち上がる。
「お、立ったね。じゃあ、訓練再開〜」
少年はがくがくと震える膝を手で押さえ、力の入らない全身に無理矢理力を入れる。
「今は十三周目だから、あと七周だよ」
「はあ…はあ……わ、分かった…」
走り始める少年の姿を確認して、先ほどから彼に話しかけていた女性――リーゼロッテは小さく溜息を吐いた。
片割れのアリアは今頃管理局の仕事をしている頃だろう。
この訓練に関しての父親の方針で、魔法に関する訓練は一切行われない事になっている。それはこれからずっとという事ではないが、少なくとも今現在魔法の訓練は行われていない。そのため、応用・魔法訓練担当のアリアは少年――息子であるリュウトの訓練にはあまり参加していない。
(――それにしたってあたしだけが悪者じゃん。嫌われたらどーすんのさ!)
基礎・格闘訓練担当のロッテだが、息子に厳しくしなくてはならない今の状況はあまり歓迎できるものではなかった。
成長しきっていないリュウトの身体にあわせて、筋力などの『力』よりも速さやしなやかさを求められる『技』を重視した訓練メニューを組み上げているが、それでも元から一般人以下の体力しかないリュウトは常に綱渡りの状態で訓練を続けていた。
現に訓練開始以来幾度も体調を崩している。だが、本人の意思で訓練が止められた事は無かった。そんな時は格闘訓練中にロッテが一撃の下リュウトを気絶させ、無理矢理休息を取らせていたからだ。
(ああもう…! ここまで喰らい付いてくるとは思わなかった!)
二人きりで訓練できるのは嬉しいが、これでは嫌ってくれと言っているようなものだ。
さりとて手加減すればリュウトに気付かれ、悲しそうな目でちゃんと訓練してくれるように言われてしまう。
(どうしろってのよこの状況…)
自宅に設置した転送ポートを使って人の居ない辺境地域まで来て、やっている事と言ったら言いたくもない言葉を息子に投げつけること。ロッテは溜息が漏れるのを止める事が出来ないでいた。
(でも……『闇の書』のことをリュウトが知っていたのは、やっぱり予想外だったなぁ…)
数週間前に息子から告げられた言葉。それはロッテやアリア、グレアムにとってある意味で最悪のものだった。
リュウトはあの夜に自分の見たことを話し、自分は『黒い本』を追いかけると告げたのだ。
その為に魔導師になりたいというリュウトを、アリアとロッテは必死で説得した。
魔導師を目指す事は止めない、むしろ積極的に応援しようとも思うが、『闇の書』に関してはそうではない。本音を言えば、今後一切関わって欲しくない。
二人は何度も説得を重ねたが、結局、リュウトの心が変わる事はなかった。
(あたしたちが『闇の書』の封印を考えてるって知ったら、あの子どうするんだろう…?)
すでに『闇の書』のマスターを見つけるべく調査は始まっている。その調査も今のところある程度まで範囲を絞り込めた。一応リュウトもマスターである可能性を残しているが、それなら封印解除前に持ち主を道連れに出来ないような別の方法で転生させる。一から調査をやり直さなくてはならないし、方法が見つかるかも分からないが、愛息子を『闇の書』にくれてやる気はなかった。
(新しい『闇の書』のマスターには悪いけど、あたしはあの子のためなら何でもやる)
――それこそ、生きたまま封印するくらいなんでもない。
ロッテは自分の中にどす黒い感情が渦を巻くのを感じるが、それを消そうとは思わなかった。
(それにしても、父様は何考えてるんだろ?)
リュウトの言葉を聞き、グレアムは初めこそリーゼと共に説得を続けたが、リュウトの意思が変わらないことを悟ると娘たちにリュウトを鍛えるよう命じた。
だが、魔法に関する訓練は無期限禁止。事実上、リュウト自身の身体と精神を鍛える訓練しか行われない事になった。
その事について、グレアムはただ時を待つようにと告げて現在に至っている。
リーゼはその方針に従ってリュウトの訓練を行っているが、疑問が解ける事は無かった。
「――――ん?」
考え事に耽っていたロッテは、つい先ほどまで自分の前のコース――幾つかの障害物を設置したロッテ特製――を走り続けていた息子の姿が消えた事に気付いた。
だが――
「また、かぁ…」
自分のすぐ目の前で倒れているリュウトに気付き、ロッテはそう呟いた。
「――――すぅ…すぅ…」
「はあ…」
もともと体力の無かったリュウトは、こうして訓練が終わる度に気絶するように眠りにつく。ロッテも最初の頃は慌てたものだが、今では慣れたものだった。
リュウトが倒れたという事はノルマを達成したという事だ。
訓練が終盤に差し掛かる頃には精神力で幼い身体を動かしているため、ノルマを終えた途端に精神の集中が途切れて倒れるのだ。
「――――ご苦労様。家に帰ってお風呂だね。夕食は何がいい? 何も言わないなら猫飯だよ」
「――――む〜……ピラフ……く〜…」
「おっけー。さて、帰るとしましょうかねー」
ロッテはリュウトを抱きかかえると転送ポートを設置してある小屋に向かう。
その足取りは軽く、二十キロを超えるリュウトを抱えているとは思えないものだった。
「君は頑張り屋だなぁ…あたしならきっと諦めてるよ…」
「…も……むむ……く〜」
「でも、あたしはもっと他の事で頑張って欲しかったな…」
「く〜」
「君なら強い魔導師になって、管理局で頑張って、恋人でも作って、綺麗な奥さんと結婚して、可愛い子供とかと一緒に暮らして、それが一番幸せなんだと思うよ?」
ロッテはそれがリュウトの幸せに繋がると信じていた。復讐などという暗い世界に足を踏み入れてほしくはない。
「む〜…」
「クライド君みたいに死んじゃうのは嫌だけど、孫の顔ぐらいは見せて欲しいなぁ」
「すか〜…」
「――ねえ、もう一度考え直さない? 今ならまだ間に合うからさ」
ロッテの心からの願いは、決してリュウトに届かない。
「〜…」
「――――ダメなんだろうね。君は間違いなく『闇の書』と関わる」
「く〜…」
「きっと傷つくんだろうね……苦しむんだろうね……」
「〜〜」
「もしかしたら、死んじゃうのかもしれない…」
「す〜…」
リュウトの未来を考えると目の前がぼやける。
「――――ぐす…。ダメだなぁあたし、泣き虫になっちゃった」
「すぅ」
「リュウトが泣かないからだ。きっとそうだ」
「むにゃ…」
「ねえ、リュウト? 早くこの涙引き取ってよ。アリアも近頃泣き虫になったんだよ?」
「……あり…あ……」
「そう、アリア。だからさ、早く泣けるようになるといいね」
「…ろ…て…」
「うん、あたしはロッテ。――君のお母さんだよ」
「…お…かあ……さん……」
腕の中で眠る愛息のその言葉に、ロッテは立ち止まる。
彼女の目の前の風景が歪んでいく。
だが、彼女の心には確かに青空が見えた。
「〜〜〜〜〜〜ッ!! ああ、もう! 前が見えない!!」
「むにゃ…」
「何? 父様」
アリアの声にソファで資料を読んでいたグレアムは顔を上げた。
そして、これからの話で中心になるだろう少年の事を訊ねる。
「リュウトはどうした?」
「今はもう寝てるよ。今日も頑張ってたから…」
「そうか…」
ロッテの答えに僅かに顔を曇らせながら、グレアムは自分の考えが間違っていない事を確信した。
「――それで、訓練の進み具合は?」
「一応予定通りのペースで進んでるけど、やっぱり無茶だと思う」
グレアムの向かいに座ったアリアの双眸にはグレアムを非難する眼差しがある。
その隣に足を組んで座っているロッテの顔には、愛する息子に厳しい訓練を課さなければならない悲しみがあった。
「元々リュウトは戦いに向いてないんだ。これは精神的なものだろうけど、ロッテ相手に格闘訓練するときもすごく嫌がってた」
「――――あの子は優しすぎるんだよ。魔導師でも医療系、もしくは支援タイプの方が合ってるよ、きっと」
「――――」
それはグレアムも薄々気付いていたことだった。
訓練開始からすでに十ヶ月という時間が経っている。その間にグレアムもリーゼもリュウトという少年について様々なことを知る事になった。後方支援型の魔導師の方が向いているというのもその十ヶ月の間に分かったことだ。
仮にリュウトが医療・支援系の魔導師となれば、その資質や性格もあって大成するかもしれない。だが、直接戦闘系となれば性格的なものがリュウトの資質の邪魔をする。
戦う事を忌避しているわけではない。しかし、相手を傷付ける事に対しては過剰なまでの拒絶反応を示す。その反応も訓練を繰り返すうちに薄くなってきたが、いくら慣れても本質的には変わらないだろう。
それはリュウトの両親の教育の賜物か。グレアムはリュウトの両親が素晴らしい人物であったのだと今更ながらに知る事になった。
「どうにかして魔導師になるの諦めさせられない? それが無理なら後方型になるように仕向けるとか…」
「無理だと思うよ。リュウトが頑固だって事はロッテもよく知ってるでしょ? もう半年以上もギリギリの訓練してるのに一度も諦めてないんだから」
「それは分かってるけど――――あたしはもう嫌だよ!?」
ロッテは立ち上がってアリアを睨みつけた。
「父様もそう! なんで魔法教えないの!? 強化系か医療系の魔法を使えるようになれば訓練も…」
「それでは意味がない」
「え?」
グレアムの言葉に、二人の娘は驚いたような声を上げた。
「仮にリュウトが『闇の書』と相対する事になったとしよう。いつの事になるかは分からないが、あのリュウトが他人を巻き込むと思うか?」
「それは…」
「確かに考え難いけど…」
リュウトの目的はあくまで『闇の書』だ。
それに、他人を傷付ける事を異常なまでに嫌うリュウトの事だ。無関係の他人を巻き込むような事はしないだろう。普段は年齢に不釣合いな広い視野を持っているリュウトだが、『闇の書』に関わる事になると一気に視野が狭くなる。
グレアムはここ二年ほどリュウトを見てきたことで、自分の考えに確信を持っていた。
「――おそらくリュウトは単独で『闇の書』に挑むつもりだ」
「なっ!?」
「――嘘でしょ…」
ロッテは思わず立ち上がり、アリアは口を手で覆って驚きの表情を浮かべる。
あり得ない、あってはならない事態だ。
伝説級のロストロギア――それも厄介な機能を多く持ち、その中には守護騎士と呼ばれる防衛機構まで存在している。魔導師が単独で立ち向かって勝てる相手ではなかった。
たとえリュウトがSランクを超えるような魔導師に成長したとしても、勝てる可能性は限りなく無に等しい。『闇の書』は人間一人が相手にするには巨大すぎる敵なのだ。
「――――訓練をやめよう」
「そうだね。魔導師になれなければ『闇の書』と戦う事は出来ないだろうし…」
ロッテの呟きに同意するアリア。しかし、グレアムはその二人の様子を見て更に言葉を続けた。
「リーゼ、あの子の母親であるお前たちなら分かっていると思うが、たとえお前たちが魔法を教えなくても、あの子はいずれ自分だけの力で『闇の書』の前に立つだろう」
「――――っ!」
二人の顔が歪むのを、グレアムは無表情に受け止めた。
本当なら自分も同じ顔をしているのかもしれない。だが、それでは駄目なのだ。
「じゃあ、あたし達と一緒に…」
「あの子を犯罪者にするつもりか?」
「くっ!」
自分たちのやっている事はすでに非合法に近い。自分たちの考え通りに事が進めば、いずれ犯罪行為に手を染める事になるだろう。それにリュウトを巻き込むことなど出来るはずもない。たとえ罪に問われる事はなくても、リュウトの手を罪という一生消えないもので汚す訳にはいかない。
「じゃあ一体どうすれば…」
「――――」
二人の娘の苦悩はグレアムにもよく分かった。
自分も本来なら反対したい。だが、それは結果的にリュウトの命を危険に晒す事になりかねない。
だからこそ――――
「――リュウトが『闇の書』と相対することは間違いない。なら、あの子に『闇の書』に対抗できるだけの力を持たせる」
「なっ!?」
「本気なの、父様!?」
「――――無論本気だ。私が持つすべての手段を使い、リュウトを対『闇の書』の魔導師に育て上げる。勝てる可能性が一割もあれば御の字だろう」
無茶だ――アリアとロッテの心は完全に一致していた。
伝説級のロストロギア相手に単独で勝てる魔導師が存在するはずがない。
わずか一割とはいえ、そこまで可能性を引き上げるのにどれ程の訓練と素養、運が必要になることか。
「今のままでは確実にリュウトは死ぬ。なら、私たちで生きる可能性を作るまでだ」
「――――」
二人はグレアムの言葉にただ沈黙するしかなかった。
自分たちだってリュウトに生きていてもらいたい。だからこそ、『闇の書』のことなど忘れて欲しかった。
「これを見てくれ」
グレアムが二人に差し出したのは、一枚の書類だった。
「これは――」
「――デバイス?」
そこに描かれていたのは一機のデバイスだった。コア部分の詳細な資料だが、それが何であるのかアリアにもロッテにも理解できない。
「私の古い友人が研究しているものだ」
「これは…?」
アリアの言葉に、グレアムは小さく息を吐いて一瞬の間を空けた。
「――融合型デバイス」
「!?」
『闇の書』と同じ融合型デバイス。
二人はその事実に自分の心が大きく動揺するのを感じる。
「厳密に言えば違うが、機能的にはそう言ってもいいだろう」
「――本気…なの?」
アリアは自分の声が震えているのに気付かなかった。
ロッテは資料を睨みつけている。その表情には深い苦悩と嫌悪があった。
「本気だとも」
「――父様なら融合型デバイスの危険性は良く知っているはず! それをあの子に持たせようというの!?」
「私とてこんな危険な賭けはしたくない」
「じゃあ!」
「――ならば他に方法があるのか?」
「それは…」
アリアは自らの父に対して抗う言葉を持たなかった。
自分たちも『闇の書』を封印するための手段を探している段階だ。転生を防ぐには封印するしか手段がない。しかし、その手段も見つかっていないのだ。
「――――無い、ね」
「ロッテ…?」
資料を食い入るように見ていたロッテが、そう小さく呟いた。
その声に訝しげな視線を送るアリア。
自分の半身からの視線の先で、ロッテは口を開いた。
「父様の事だから安全策は考えてあるんでしょ?」
「ロッテ!?」
「落ち着いて。いつものアリアらしくない」
ロッテは隣に座るアリアを必死で宥める。
しかし、ロッテはアリアの気持ちが痛いほど理解できた。
「な……この状況で落ち着けだって!?」
「お願いだから落ち着いて!」
「ロッテだって、あの子がどれだけ辛い思いするか分からないわけじゃないでしょ!?」
「それは分かってる! でも、あたしはあの子が死に向かうのを黙って見ている事は出来ない!」
「それはわたしだって…」
「だったらこれに賭けよう! ううん、あたしたちの力であの子に生きる術をあげようよ」
「わたしたちの力で…?」
ロッテの言葉を聞き、アリアはようやく落ち着きを見せた。
「あたしたちに教えられる事は全部教えて、あたしたちが与えられる術は全部与えよう」
「――それで、あの子が生き残れると思う?」
「分からない。でも、可能性は少しぐらい高くなると思う」
「…………」
「ね…?」
「――――うん」
グレアムは自分の目の前にいる娘たちが本気でリュウトを愛している事を感じた。
本来なら居るはずがない彼女たちの息子は、間違いなくこの世界でもっとも娘たちに愛される存在だった。
それが少し寂しくも思うが、グレアムにとってもリュウトは掛け替えのない子供なのだ。
(――私も年をとったということか。本気で『闇の書』を封印するつもりなら、リュウトを利用する事も考えるべきだろうに…)
リュウトを引き取ってすでに一年と半年以上の時が流れている。
その間に、グレアムもまた変わっていた。
『闇の書』に対する恨みは確かにある。だが、リュウトの未来に自分たちの罪を重ね合わせることは、今のグレアムには出来なかった。
(まったく……大した偽善者だ)
しかし、リュウトが力を手に入れるまではこの偽善者の仮面を脱ぐ事はしないだろう。
(それに…)
自分たちはリュウトと袂を分かつことになる。
グレアム達にはリュウトを巻き込む意思が無いし、リュウトもまた、無関係の人間を巻き込むことはないだろう。
(だが、それでいい)
リュウトは自分たちとは違う道で進めばいい。
たとえ敵となる事があっても、決して後悔することはないはずだ。
(リュウト、我が息子よ。お前の未来に私たちはないかもしれん。だが、私たちはお前の未来を望むぞ)
――涙を失った少年に暖かな涙を……
グレアムの心はそれだけを願っていた。
「――確認させて父様」
「何だ?」
「このデバイスは、融合型デバイスじゃないんだよね?」
「ああ、それはベルカのユニゾンデバイスとは違うものだ」
アリアの問い掛けにグレアムは言葉を続けた。
「私の友人は確かユニゾンデバイスを目指していたが、融合事故に対する防衛策としてインテリジェントデバイスに融合機能を組み込むという手段を選んだ」
二人はグレアムの言葉を一つも聞き逃すまいと、ひたすら黙って耳を傾ける。
「そのデバイスは一つではなく二つでようやくユニゾンデバイスとしての能力を持つ、そのおかげで完全な状態であれば融合事故の可能性は無視できる程度だ」
「じゃあ、リュウトは二機のデバイスを使うってこと?」
ロッテの疑問はアリアも同じだった。
デバイスが二つに増えるということは、術者は戦い方に大きな変化を求められることだ。
ストレージデバイスなら習熟にある程度の時間を掛ければ可能な事かもしれない。だが、インテリジェントデバイスともなれば状況は変わってくる。
その上ユニゾンデバイスとしての機能を求めるというのなら、術者――リュウトに掛かる負担は通常のインテリジェントデバイスのそれとは比較にならないはずだ。
「確かに負担は大きくなるだろう。だが、このデバイスのみを扱えればそれでいい」
「他のデバイス、例えばストレージとかの訓練はしないって事?」
「いや、ストレージならこのデバイスを扱えるようになれば十分対応できるようになるはずだ。もっとも、他のインテリジェントデバイスとの相性は最悪になるかもしれんが」
ロッテの言葉に答えるグレアムの顔には確信があった。
リュウトならばこのデバイスを使いこなす事が出来るはずだ。
その為に今まで一切の魔法訓練を行わなかったのだから。
「今まで魔法訓練を行わなかった理由もそこにある。このデバイスの製作者の言葉をそのまま使うなら、『魔法の才溢れる無知』が最も使い手として適しているそうだ」
「無知…?」
「どういうこと?」
アリアもロッテもグレアムの言っている意味が全く分からなかった。
「このデバイスはこれまでのデバイスとは違いすぎる。このデバイスそのものが武具になるという特性上、術者本人が武術に長けている必要があることもそうだが、何よりもすべての魔法体系にとってこのデバイスは異端だろう」
グレアムは二人の視線の先でさらに続ける。
「ベルカの融合型デバイスを目標に、武器型のアームドデバイスの姿を持ち、ミッドチルダのインテリジェントデバイスとして完成する」
確かに異端そのものだった。
二つの魔法体系がその枠を飛び越えて一つになるといえば聞こえはいいが、こんなデバイスをどんな魔導師や騎士が扱えるというのだ。
アリアはそこまで考え、彼女の父が望んでいる存在に気付いた。
「――なるほどね」
「アリア?」
「ロッテ、確かにこれは今現在リュウトにしか扱えないデバイスだよ」
「え?」
「あの子は魔法を知らないから先入観なくこのデバイスに馴染む事が出来る。子供だから適応性の高さも期待できるし、二機のインテリジェントデバイスを扱うだけの技術も今からなら習得しやすい」
「――! そうか、他のデバイスとは多少相性が悪くなるけど、このデバイス専門の魔導師としてなら、まず間違いなく最高の存在になれるってことだね」
アリアとロッテの顔には先ほどとは違う明るいものが宿っていた。
それは息子の未来に僅かながらも光が差したからかもしれない。
「――そのことで、近いうちに製作者に会いに行こうと思う」
グレアムはその為にもリュウトの訓練を続けるように自らの使い魔に命じた。
結局のところ、そのデバイスがリュウトの力となるかどうかはその技術者次第だ。
グレアムは友人としての立場からその技術者が何を求めているのかは分かっている、だが、実際にリュウトがそのデバイスの持ち主として認められるかどうかは分からない。
最近行った魔力検査の結果と照合し、リュウトに適性がある事は分かっていた。かのデバイスに適性のある人間の数は本来の融合型デバイスのそれとは比較にならないほど多い。分類上はインテリジェントデバイスであり、術者に合わせてデバイスを作る事が可能なのだからそれは当然だった。
しかし、術者としての適性があっても使いこなせるとは限らない。
それを確かめるためにも、リュウトを製作者本人に会わせる必要があった。
「予定では一週間後。それまでに基礎訓練を終わらせたい。出来るか?」
「――――まあ、予定通りに進めばあと五日くらいで基礎訓練は終わるけど…」
父の言葉に少し考え込み、ロッテが答える。
グレアムも訓練終了が近付いてきた事によりこの決断を下したのだろう。
「ならば、予定通りに事を進める。リュウトにはお前たちから話しておいてくれ」
「――分かった」
アリアはその顔に真剣な表情を張り付けて首肯した。それはロッテもまた同じで、ここで話された事が自分たちの息子の未来に大きな影響を与えるという事を嫌になるほど理解していた。
「――結局のところ、私たちはあの子を止められない」
二人が頷くのを確認し、グレアムは自分の心を言葉にする。
「これからどんな未来になるかは分からない。イレギュラーの発生はどの時点で起きても不思議ではないし、最悪我々の計画も失敗するかもしれん」
「でも――」
「ああ、私たちは止まるわけにはいかん」
自分たちはすでにクライド・ハラオウンという掛け替えのない人間を失っている。
クライドの最期の顔をグレアムは忘れた事はない。そして、夫を、父を失った家族の悲しみもこの目で見てきた。
たとえどのような事態になろうとも、自分たちは止まる事はないだろう。
そして、リュウト・ミナセという少年もまた、止まる事はない。
「緊張する必要はないぞ」
「――分かってるけど…」
「まあ、無理だけはするな」
「うん」
優しくかけられるグレアムの言葉にもリュウトの緊張がほぐれる事はなかった。
時空管理局本局。リュウトは今、グレアムに伴われてここに来ていた。
リュウトも何度か足を踏み入れたことはあったが、それも一般人が入る事が出来るフロアとグレアムの執務室だけだ。
しかし、二人が今歩いているのはそのどちらでもない。
「技術局といっても、この辺りは個人の研究室が多いからな。滅多に人は通らん」
「――そうみたいだね」
特別に発行された身分証によってこのフロアに入ってから、リュウトは一人の局員も見ていない。
何度か通り過ぎた扉の向こうに人の気配を感じる事はあっても、決して姿は見えない。リーゼの訓練によって感覚が鋭敏化したリュウトにとって、この場所はあまり居心地のいい場所ではなかった。
気配はするのに姿はない。リュウトはまるでホラーハウスにでも来ている気分だった。
「――ねえギル…」
「どうした?」
自分の斜め下から聞こえてくるリュウトの声に、グレアムは小さく笑みを浮かべながら答えた。リュウトには悪いが、グレアムは歳相応のリュウトの姿に笑みを誘われたのだ。
だが、その笑みはリュウトの次の言葉で凍りついた。
「――こういう場所を本で読んだんだけど…」
「――?」
「マッドサイエンティストってこういう所にいるのかな…」
「――――」
グレアムの知識の中に、その言葉を否定するものは存在しなかった。
個人研究室の並ぶフロアに入って数分後、グレアムとリュウトは一つの扉の前で立っていた。
フロアの中でも奥に位置するこの部屋が、二人の目的地だった。
「――さて、今日は素直に出るといいのだが…」
そう言ってグレアムが扉の横に付いた端末のボタンを押す。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
しかし、一分が経ち、二分が経過しても反応はなかった。
「やっぱりか…」
グレアムは嘆息しつつ、インターフォンの付いた端末に手を伸ばす。
「――――いつもこうなの?」
「ああ、いつもこうだな」
呆れたようなリュウトの声に答えつつ、グレアムの指は端末に鍵となる文字列を打ち込んでいく。
すべての文字を打ち込み最後に認証を行うと、ピーという音と共に扉のロックは解除された。
「さあ、いくぞ」
「――う〜ん、どこかで読んだ事のある展開……」
グレアムに先導されて部屋に足を踏み入れるリュウトだが、次の瞬間目の前に広がった光景に目を見開いた。
「――うわ…」
そこに広がっていたのはリュウトが今まで見た事のない光景だった。
整然と並んだ演算機が複雑な計算を繰り返し、空中に浮かんだモニターには刻一刻と変化する数値や画像が映し出されている。
それとは対照的に部屋の中は生活感が全く無く、床にも塵一つ落ちていない。
「何もないだろう?」
「うん…」
リュウトは殺風景というものを初めて見たような気がした。
これだけ物があるのに何もないという感想を覚えるほど、この部屋には人の気配を感じるものがなかった。まるで演算機とモニターがこの部屋の主のようだ――リュウトはそんな事を思った。
「奴の方針でな、部屋に余計なものがあると思考にも余計なものが混じるとか言って――――」
「――よく分かってるじゃないか。なら、さっさと出て行け」
突然横合いから聞こえてきたその声に、リュウトは飛び上がらんばかりに驚いた。
部屋に気をとられて自分たちに接近する気配に気付かなかったのだ。
だが、グレアムはその声に驚いた様子はなかった。
「それは無理だ」
リュウトのすぐ横にあった扉から出てきた眼鏡を掛けた長身の男――白衣を着ている事から、リュウトはその人物こそがこの部屋の主だと悟った――はグレアムのその言葉に目を細める。
「――何?」
白衣の男はグレアムを睨みつけるが、その視線の先にいるグレアムは全く気にしている様子はなかった。
「――ここに連れてきたのは、お前にとって余計な存在ではないのだからな」
「何だと…?」
その言葉に、白衣の男はリュウトへと視線を向ける。
その時はじめて、リュウトは男の姿をはっきりとその目に映した。
(マッドサイエンティストだ…)
くたびれた管理局の制服の上にもっとくたびれた白衣を着込んだ赤錆色とでも言うべき髪色をしたその男に、リュウトはいつか本で読んだ狂科学者の姿を重ねた。
だが、そんなリュウトの内心など分かるはずもない男は、リュウトに視線を向けたままグレアムに説明を求める。
「どういうことだ?」
「――例のデバイス、どうなった?」
グレアムはその質問には答えず、男にここに来た目的について問い掛ける。
自らの疑問を無視された男が一瞬だけグレアムに鋭い視線を向けるが、その視線はすぐにリュウトに戻される。
「――未だ完成せず、だ」
「ふむ、それは良かった」
「何だと…!?」
まるで喧嘩を売るようなグレアムの言葉に、男は声を荒げた。
しかし、グレアムはその男の視線と声を無視して言葉を続ける。
「――この子が、完成させてくれる」
「な、に…」
その瞬間、男の視線はリュウトに固定された。
「魔法資質に優れ、魔法を知らず、単体で高い戦闘能力を有する、もしくは有する可能性を持った人間。それがその子だ」
「――――本当か?」
男は射抜かんばかりの視線をリュウトに向け、グレアムに言葉の続きを促す。
その視線の先で、リュウトはひたすら恐縮していた。
「ああ、本当だ」
「こんな子供がか?」
「――子供だからとは考えないのか?」
「――――なるほど」
目の前で行われる大人達の会話に、リュウトはこの場から逃げたい衝動に駆られた。
だが、この場から逃げるという選択肢をリュウトは持っていない。
「ふむ……待っていろ」
男はそれだけを告げると、すぐに出てきた扉とは別の扉に入っていく。
リュウトは男の視線から解放された瞬間、身体から力が抜けていくのを感じた。
「なかなか個性的な奴だろう?」
「――うん」
「あれでもデバイスマイスターとしては超が付くほどの人間なんだ」
「へえ…」
リュウトは養父が手放しで褒める男に純粋な興味を覚えた。
その興味をグレアムにぶつけるべくリュウトが口を開いたその時、扉を開けて男が戻ってきた。
「検査施設を押さえた。すぐにその子供の検査をするぞ」
「――分かった。だが……」
「今度は何だ?」
男はグレアムに訝しげな視線を向ける。その表情からは早くリュウトの検査を行いたいという無言の言葉がにじみ出ていた。
そんな男を無視して、グレアムは小さく笑う。
「その子に名前を教えてやってくれないか?」
「――教えて無かったのか?」
「自己紹介も出来ないほど子供ではないだろう?」
「ふん、相変わらずだな。まあいい――」
男は口の端を持ち上げると、リュウトに向かって名を告げた。
「ジョシュア・ヴァーセルだ。好きに呼べ」
「あ、みな……いえ――リュウト・ミナセです」
リュウトが名乗った刹那、男――ジョシュアの目に小さな驚きが宿った。
「――そうか。お前があの時の子供か…」
「――?」
「ふん」
――いったい何の事だろうか?
そう考えて首を傾げるリュウトに、ジョシュアが答えを返すことはなかった。
「――あの子供があの事件の唯一の生き残りか」
本局内の医療施設の一角にある休憩スペースのベンチに座り、ジョシュアは隣に座るグレアムに問い掛けた。
その声は、質問というよりも確認の意味合いが強かった。
「――ああ」
「ふん、お前が子供を拾ったと聞いてはいたが、あんな子供だったとはな」
「可愛いだろう?」
「――わしはお前の孫自慢に興味はない」
「だろうな」
休憩スペースに置いてある飲み物からコーヒーを選び、二人は視線を交わすことなく言葉だけを交わしていた。
「――お前が連れてきたということは、ほぼ間違いなくわしのデバイスに適応できるだろう」
「おそらくな」
「――貴様の求める対価はなんだ?」
もはや余計な言葉は必要なかった。グレアムとジョシュアの関係はすでに数十年の長きに渡っているのだから。
端的ともいえるジョシュアの言葉に、グレアムはカップの中のコーヒーに視線を向けながら答えた。
「私の求めるものは一つ。そしてあの子の求めるものが一つ」
「――言え」
「まず一つ目、お前のデバイス技術をあの子に教えて欲しい」
ジョシュアはその言葉に驚いた。まさかそんな事を要求されるとは思っていなかったのだ。
「どういうことだ。あの子供をデバイスマイスターにでもするつもりか?」
「――そうなればいいとは思っている」
グレアムの言葉に大きな悲しみを感じたジョシュアは、自分の言葉を無かった事にした。
他にするべき事を彼は知らなかったのだ。
「――――もう一つは?」
「あの子に力を」
「――――」
その言葉はジョシュアが予想していたものだった。
わざわざ自分の研究室にまで足を運んだのだ。それ相応の理由があるに決まっている。
「どうする?」
グレアムの問いに返す答えなど、ジョシュアは一つしか持ち合わせていない。
だが、確認しなくてはならない事があった。
「相手は――『闇の書』か?」
他に考えられる可能性はほとんど無い。
だが、確認せずにはいられなかった。
そして、帰ってきた答えはジョシュアの考えていた通りのものだった。
「――そうだ」
「――そうか」
これで疑問はすべて消えた。
残るのはジョシュアにとって疑問とも呼べない些末な事だけ。
「いいだろう――」
自分にとっては友人の子供の未来など大したことではない。
自分の目指すものが完成すれば、それで十分なのだから。
「――あの子供にわしのすべての知識を叩き込んでやる。そうでもしなければ、わしのデバイスを扱うなど無理だからな」
「――すまない」
グレアムの礼とも謝罪ともいえない言葉に、ジョシュアは歪な笑みを浮かべた。
「ふん、誰がお前の為に貴重な時間を使うか。わしは自分の子供がこの世で生きられるようにするまで」
自分の子供――これから生まれ出る新たなデバイス、その未来があの子供と共にあるというのなら、自分がすべき事は決まっている。
「――――わしの娘たちを預けるんだ。あの子供には死ぬ気で技術を覚えてもらうぞ」
「ああ、分かっている」
もはや二人の間に言葉は要らなかった。
ただコーヒーを飲み、並んで座っているだけ。それは、二人が出会った頃から積み重ねてきた時間の上にある沈黙の会話だった。
「――よし、死ね」
「うええっ!?」
「間違えた。――死ぬ気で覚えろ」
「――――間違い、か?」
検査施設からジョシュアの研究室に戻ってきていきなり死刑宣告を下されて動揺するリュウトに、ジョシュアはあっさりと言葉を訂正、改めて告げた。
「検査結果は上々だ。潜在魔力A以上、身体能力も同年代の子供を遥かに凌駕している。魔力変換資質の方は微妙だがこれはどうでもいい、あとでいくらでも覚えられる」
「ええと……?」
「――――おい」
「なんだ?」
検査結果の映るモニターに目を向けながら、ジョシュアはリュウトとグレアムにその結果を伝える。だが、リュウトの反応は誰の目から見ても薄かった。
その事に気付いたジョシュアが訝しげな視線をリュウトに向け、その保護者であるグレアムに説明を求める。
「どういうことだ?」
「どういうことも何も、その子は魔法を知らん」
「――いきなりAランク相当の魔力を示しておいてか?」
「その通りだ。念話も使えん」
「――――ちっ。バカ魔力だけか」
舌打ちするジョシュアに睨まれ、リュウトは居心地悪げに視線を彷徨わせる。リュウトにしてみればどうしてジョシュアが怒っているのかさっぱり分からなかった。
「全く、その気になれば飛行魔法も覚えられる資質の持ち主のくせに念話すら使えないだと? 今までお前とお前の娘たちは何をこいつに教えていたんだ」
「何も教えていない。魔法に関してはそこらの子供のほうが詳しいだろうさ」
「くそっ! 厄介な話を受けた!」
歯軋りせんばかりに顔を歪ませるジョシュアの言葉を、グレアムは涼しい顔で受け流す。一人状況から取り残されたリュウトは先ほどよりも余計に居心地が悪くなり、椅子の上で身を竦ませていた。
「――まあいい、ここで待っていろ」
しばらくグレアムに文句を言っていたジョシュアだが、ようやく気を取り直したのか二人を残して奥の部屋に入っていく。リュウトはその扉が閉まる瞬間、隙間から人影が見えたような気がした。
「――――」
「どうした?」
「――ううん。なんでもない」
自分の様子に何かを感じ取ったグレアムに声を掛けられるが、リュウトはそれだけを返すのがやっとだった。
(ジョシュアさんって、実はとんでもない人なんじゃないだろうか…)
養父の友人だという事を考慮しても、リュウトが出会った中で一、二を争う奇人だった。
「変人だろう」
「――うん」
「気にするな。すぐに慣れる」
「――うん」
あんまり慣れたくないなぁ――そんな幼い願いも空しく、数ヵ月後にはリュウトもジョシュアのことを奇人とも変人とも思わなくなっていた。
「待たせた」
リュウトが自分の将来に僅かながらの不安を覚えて苦悩していると、ジョシュアが奥の部屋から何かを持って戻ってきた。
その何か――大人ひとりがやっと抱えられるサイズの金属製の箱を部屋の片隅にある作業台に置くと、ジョシュアは二人を呼び寄せた。
「――何だ?」
「…………」
グレアムの問い掛けに、ジョシュアはその箱を開く事で答えた。
「――これは…!」
空気が漏れる音を立てて開いた箱の中には、子供用と思われる防具が整然と納められていた。
リュウトは思わず自分の口から漏れた感嘆の声に気付かない。彼の目は箱の中で鈍く輝く防具に釘付けになっていた。
「こんな事もあろうかと訓練用防護装甲を作っておいた。さっきの検査結果で得た身体データの通りにサイズを調整してある」
「いつの間に…」
「負荷テスト用に作ったものを再調整しただけだ」
グレアムの呆れたような言葉ににべも無く答えるジョシュア。その間にも彼の手は防具に繋がる端末の上を滑っている。
「――着けてみろ」
「あ、はい」
端末のモニターから目を放さないジョシュアに手渡された手甲を、リュウトは何とか一人で着ける。
だが――――
「あれ…? なんか変な感じが…」
「ふむ、外部刺激に対する反応はいいようだな」
戸惑ったように両腕に装着された防具を見つめるリュウト。その反応にジョシュアは小さく口を歪めた。
「心配ない。こいつは物理的な負荷を加えられるのはもちろん、魔力の流れを乱して魔力的な負荷も加えられる代物だ。今は最低レベルだから、Fランク魔導師でも違和感を覚えるくらいだがな」
「ほう…」
感心するように防具に視線を向けるグレアムだが、その顔に突然焦ったような表情が表れた。
「――!! おい! すぐにその機械を止めろ!!」
「何?」
「不味いって言ってるんだ! リュウトは魔力制御の訓練を受けていない!」
「何ぃ!? バカみたいな魔力を持っている人間に制御方法を教えてなかったのか!?」
「だから魔法を知らないって言ってるだろう! いいから早く――――リュウト!?」
「お、おい!? くそっ! 一度狂わせた流れを安定させるにはしばらく時間がかかるんだ!」
焦ったグレアムとジョシュアがリュウトに目を向けたとき、すでに彼は半分この世界から飛び立っていた。
「あれぇ…ここってそらみえたっけぇ…? いいてんきぃ〜〜」
身体を揺らし、まるで酔っ払いのように動作が安定しないリュウトにグレアムは血の気が引いていくのを感じた。
「う〜ん……せかいがぐるぐるって、ぐるぐるまわってぐるぐるとんでぐるぐるぅ〜〜〜〜…………」
「リュウト!」
グレアムの言葉も空しく、訳の分からない言葉を残し、リュウトは見事にぶっ倒れた。
「リュウト! 大丈夫か!? 目を覚ませ!」
「あと二分!? ふざけるな! 大事な被験者なんだぞ!?」
目を回したままのリュウトに必死で声を掛けるグレアムと端末を操作して負荷を消そうと躍起になるジョシュアの声が、その後しばらく研究室に響いていた。
結局、リュウトはそのまま医療施設に運ばれ一晩そこでお世話になった。
その後、リュウトが倒れたと聞いて飛んできたリーゼが、その身に滾る怒りのまま担当の医務官とグレアム、ジョシュアに怒涛の攻撃を仕掛けたが、冷静になった二人が医務官に頭を下げる頃には、リュウトは夢の住人になっていたらしい。
「――とまあ、こうしてリュウトは魔法というものを身を以て知ったわけだな」
「へえ…」
クロノの話にぼけっとした声を返す三人の後輩たち。
クロノの判断で何箇所か取り除かれたり書き換えられたりした昔話だが、なのはとはやてにとっては自分たちが生まれた頃の先輩魔導師の姿を知るいい機会になったようだ。
「大変だったんだねぇ…」
「今の姿からは想像もでけへんな」
「二人よりも年下だったんだよね」
三者三様の感想を口にする後輩たちにクロノは苦笑を浮かべた。
「そういうわけだから、君たちも頑張って訓練を――――」
「――自分の話はしないんですか?」
「うおッ!?」
「ひゃっ!」
「わっ!?」
「!?」
「ふふふ…」
四者四様の反応に、突然の訪問者は楽しそうに肩を震わせた。
「随分と懐かしい話をしていましたね」
いきなり現れた昔話の登場人物に驚いて目を白黒させる四人の後輩に、リュウト・ミナセは笑みを宿した視線を向けた。その視線を受け一人の魔導師が身体を硬直させたが、他の三人は全く気がつかなかった。
後編につづく
〜あとがき〜
皆様こんにちは、悠乃丞です。
無事完成の過去篇第四弾、いかがだったでしょうか?
長いのは私も驚いていますので、出来ればそっとしておいて下さい…。
今回は出会い第一弾ということで、リュウトの師の一人であるジョシュアじーさんが登場いたしました。小さいクロノ君の出番は次回に持ち越しです。
いきなり魔法の洗礼を受けてぶっ倒れたリュウト君ですが、本人はお花畑に旅立っただけです。倒れた時に頭ぶつけて瘤は出来ましたがね。
さてここで読者様から頂いた感想メッセージにお返事をしたいと思います。今までやっていなかった事が不思議ですが、今回からは気をつけますので馬鹿者のミスだと思ってどうかご容赦のほどを……。今まで送られたメッセージもしっかり読んでいますので、本当に許して下さい。
ごほんっ! では、気を取り直していきましょう!
まずは感想掲示板の方からです。最新の二件のみの返信となった事申し訳ありません。以後、気をつけます。
※第三章、読みました。
"氷の才媛"、リリカルにいなかった人材に期待大です。
>気に入って頂けて幸いです。アニーさんは神様です。いや、マジで。キャラの濃さでは既存のキャラをいきなりぶち抜く勢いですが、優秀なお嬢さんです。
※暗き瞳に映る世界の最新作、笑いました。
特にリンディが燃え尽きたシーンが、そしてなのは達の恥じ入ったシーンが。
これなら主人公がもてても嫉妬団来るまい。これからも頑張ってください
>責任者は責任を取るためにいるのです、きっと。ちなみにあの部屋では一日最低一枚の始末書が製作されていますよ。あの部屋で書いていく人もいるのです。
続いて拍手返信です。
※みゆきちがいい感じですね〜リュウト君はどういった決着をつけるのか楽しみです。
>美由希嬢はリュウト君と歳の近い原作キャラですので、これからも何気に出てくるでしょう。リュウト君も美由希嬢の暖かさに救われております。もし仮に敵として相対する事があれば、お互いに傷つく関係かもしれません。お互いを特別視はしていませんが、友人ではありますので。
決着の方は彼も納得できる形になると思います。少なくとも笑顔で終わるでしょう。
※1000万もする車を改造して18歳の誕生日プレゼントとは・・・さすが歴戦の勇士
>正確にはリーゼがカタログでプレゼントを決め、三人でお金を出して買いました。改造はグレアムの管理局時代のコネです。潜水機能やら飛行機能もついております、無駄に。いつ爆発するか分かりませんが、宇宙空間もいけるかも。
※やっぱり上級管理職は労組に入れないのかな…。あ、目から汗が出てきた…。リュウト…
>管理局の福利厚生がどうなっているかは分かりませんが、リュウトの待遇改善は副官次第です。アニーさんに生殺与奪の権利が与えられております。
以上で返信を終わります。メッセージ本当にありがとうございました。
さて、次回は後編。リュウト君とクロノ君。十年近い付き合いの始まりはどのようなものだったのか、描きたいと思います。
それでは皆様、次のお話で会いましょう。