魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS―――
―安全運転で行こう!―
普通自動車運転免許一種を取得できる年齢は日本に於いては満18歳と規定されている。
ならば、ミッドチルダではどうなのだろうか。
彼女―――高町美由希はふとそんなことを考えていた。
そんな彼女が座っているのは知り合いの車の助手席。
隣の運転席でステアリングを握っているのは、自分と半年しか年齢の違わない青年だった。
なぜこんな状況になっているかというと、事の始まりは約30分前に遡る。
半日の学校が終わって家に戻る途中、母に頼まれた夕食の材料を抱えながら歩いていた美由希の目に珍しいものが飛び込んできた。
その物体はメタリックシルバーのボディを輝かせ、道行く人の視線を一身に浴びてその存在感を際立たせていた。
「すごぉい…」
美由希の口からも意図せずそんな感想が零れる。街中にあるには不自然のはずなのに、ひどく存在が周囲にマッチしている。それはそんな感想を彼女の胸に抱かせた。
彼女の視線の先にあるものとは――一台の車だった。
曲線を多用し優美とさえいえる外見でありながら、同時に獰猛な獣のような印象を受ける。その外見は道行く人々の視線を奪うには十分な要素だった。
だが、その車に視線を向けていた彼女の目に思わぬ人物が飛び込んでくる。
近くの本屋から出てきたのだろう、その手には本屋のロゴが入った紙袋がある。そしてその銀色の車のドアを開けると脇に抱えていた紙袋を放り込み、運転席のドアポケットから大判の紙を取り出した。
その人物は自分の車が目立っているということに気付かずに、大判の紙――海鳴近郊の観光マップを見ながら首を傾げていた。
その人物は何か視線を感じたのだろう。或いは、ようやく自分の車が目立っていると気付いたのかもしれない。不思議そうに周りを見回すと、自分をポカンとした表情で見ている美由希に視線を留めて固まった。
まさかこんな所で会うとは思っていなかったのだろう。もっともそれは美由希も同じ事だ。彼女も目の前にいる人物がこんな車に乗っているとは思いもしていなかった。
ようやくショックから回復したのか、その人物が美由希に向かって会釈してきた。その仕草を受けて彼女も軽く頭を下げる。
それで変な緊張感が薄れたのか、美由希はその人物に向かってゆっくりと歩いていく。だが、その足取りは僅かな躊躇いを感じさせた。
そんなことには気付かず、その人物は彼女に笑みを見せる。
「こんにちは。美由希さん」
「――こんにちは」
「学校の帰りですか?」
「うん、そうだけど…」
よくよく考えてみれば、美由希はこの人物―――リュウト・ミナセと二人だけで話すことが今まで無かったかもしれない。
手合わせも何度かしているし、その実力が恭也に匹敵――お互いに制限をつけた上だが――するということは分かっている。だが、この青年がここにいる理由はさっぱり分からなかった。
そんな考えが表情に出ていたのか、リュウトは自嘲気味な笑みを浮かべて、手に持っている地図を示した。
「あの車の試し乗りも兼ねて、昔行った場所までドライブでもしようかと思ったんですけどねぇ。なにせ昔の事だから記憶が曖昧で困っていたんです」
「なるほど…」
本屋に寄ったのは道を聞くついでに、観光案内の雑誌を買ってきたのだという。
そう苦笑を浮かべる青年に、美由希は僅かに悲しい風を感じた。
(それに――)
――昔とは、いつの事だろうか?
「そうだ。良かったら送っていきますよ」
リュウトはそう言って美由希の持っている食材に目を向けた。確かに見た目はそれなりの重量があるように見える。だが、剣士としての修行をしている美由希にとっては大した重さではない。
そう言って断ろうとしたが、リュウトの思い出の場所とその表情に見えた悲しみの理由を知るには絶好の機会だと考え直す。
それに、青年が乗っている車にも僅かながら興味があった。
「うーん…。ただ送ってもらうのも悪いし、その場所って海鳴の近くなんでしょ?」
「ええ、それは間違いないです」
「じゃあ、一緒に探してあげる。地元の人間が居た方が早く見つかるよ」
「でも、そこまでしてもらう訳には…」
「気にしないで、困ったときはお互い様ってね。いつもなのはがお世話になっているし」
「はあ…。そこまで言ってもらえるなら、お願いします」
「そうそう、人間素直が一番!」
そう言って胸を張る美由希を見ながらリュウトは苦笑いを浮かべた。彼女と数年来の幼馴染が仲のいい理由が分かった気がしたのだ。
それから30分。リュウトと美由希は臨海公園の駐車場に到着した。
美由希の持っていた食材は、何故かトランクに内蔵されていた冷蔵庫に収められている。
「免許、持ってたんだ」
駐車スペースのど真ん中に車を止めたリュウトに、美由希はそんなことを訊いた。
青年の年齢が取得可能年齢に達している事は知っていたが、まさかこの短期間にこの世界の運転免許を取っていたとは意外だった。
だが、リュウトはそんな質問と共に向けられた美由希の視線から逃れようと、あらぬ方向に目を向けた。
その仕草に、美由希は嫌な予感を覚えた。
まさか……
「まさか……無免許ッ!?」
「失礼な!? 免許証ならほらここに!」
そう言ってリュウトが濃灰のジャケットの内ポケットから取り出したものは、確かにこの国、日本の運転免許証だった。
だが、美由希はその免許証に違和感を覚えた。特におかしい筈はないのだが、何故だろうか、すごく違和感を覚えるのだ。
そして、美由希はその理由に思い至った。
「ねえ…」
「はい?」
「これって……偽造免許証じゃ…ないよ、ね?」
「!?」
「ね?」
「え、ええと…!?」
珍しく動揺するリュウトを見て美由希は自分の考えが正しかった事を知る。まさか、妹が懐いている上司が偽造免許証で車を運転していたとは……
「リュウト君…」
車内の温度が下がりそうな視線で、美由希はリュウトを見据える。その視線を受けたリュウトは、しどろもどろになりながらも詳しい事情を話し始めた。
「偽造といっても管理局ではきちんと訓練を受けているんですよ。向こうの車は何度も運転してますし…! でも、管理外世界の地球ではそれが通じませんから、代わりにこの世界の免許証を発行してもらったんです」
それ故、運転には全く危険はないし、警察などに照会されても問題は発生しない。リュウト自身はこの世界に存在する――もちろん、それを知っている人間はほとんど居ないが――人物なので、免許証の取得もそれほど苦労はしなかった。
ただ、リュウトが免許証の発行を頼んだ管理局の係官が変な気を回したのか、車や二輪車以外の免許証まで別に付いてきたのだ。
大型、大型特殊、牽引はまだいい、使い道があるかもしれない。だが、フォークリフトやクレーンなど何に使うというのだ。自家用飛行機など無用の長物だろう。
確かにリュウトはその気になれば大型旅客機や戦車であっても多少の時間を掛ければそれほど問題なく操縦出来る。ネコ悪魔のスパルタと管理局の訓練によりこの世界にある大抵のものは動かせるだろう。
だが、この世界で動かすものなど車とバイクぐらいしかないリュウトには、はっきり言って余計なお世話だった。
なにより、リュウトは資格マニアではない。
「ボイラー技士って、新手のイジメかと思いましたよ…」
係官はリュウトが何か任務で使うとでも思ったのだろう、リュウトが管理局で取得した資格を出来る限り日本の資格に当てはめたに違いない。
ぐったりと体をステアリングに委ねるリュウトに、美由希は乾いた笑いを浮かべた。
(でも、こうして見てる限りでは普通の学生に見えるんだけどなぁ)
美由希が心の中でポツリと呟いた言葉は、彼女の内にあるリュウト像そのものだった。
この世界では魔法を使うことはないため尚更その印象が強かったのだろう。だが、妹から聞くこの青年の姿は今の状態では想像し難い。
(ま、いいけど)
人間という生き物は一面だけを見ても全体像を想像する事は難しい。
表と裏であまり変わらない人間も居れば、違いすぎて別人ではないかと思うほどの人間も居る。
その事を考えれば、リュウトという人間の姿も一つではないのだろう。
美由希はそう考え、自分の中に湧き出してきた好奇心を抑え付けた。
「――それにしても、珍しい車乗ってるね」
「――――ええ、貰い物なんですけどね」
「へえ…。良さそうな車だねぇ…」
隣に座っている青年に対する自分自身の興味を逸らす意味も込めて、美由希はリュウトの車の内部を見回す。
車高が低い事もあって全体的な広さは大きくないが、それでも機能性の高いデザインをしているのが車に関しては素人同然の美由希でも分かる。
だが、リュウトはその美由希の言葉にあまりいい顔をしなかった。
青年の珍しい顔に違和感を覚えつつ、美由希は首を傾げた。
「誰に貰ったの?」
「――養父と、その娘二人です」
「それだけ?」
美由希の疑問はもっともだった。
リュウトの過去は知らない。だが、それに首を突っ込む神経は持ち合わせていないし、彼女が気になったのはその部分ではない。
それは――
「なら、どうしてそんなに嫌そうな顔してるの?」
「――――」
美由希が気になった事。それは車の話になるとリュウトの表情が曇る事だった。
美由希にそれを指摘されたリュウトは動きを止めるが、一瞬の後、再び動き出した。
「――――いえ、18歳の誕生日プレゼントという事で届いたんですが、これが何とも変な車でしてね…」
「…は?」
疑問符を浮かべる美由希に、リュウトは言葉を続ける。
「よく分からないのですが、妙な改造を施されているんです。冷蔵庫とか…」
「――結構便利だと思うけど……」
「――そうですね」
確かに冷蔵庫は便利だ。
だが――
「――――でも、爆発するかも…」
時空管理局技術局謹製の新技術満載――この世界にとっては、もちろん、ほとんどがオーバーテクノロジー――の車である。
小型魔導炉が積まれていないことを祈るばかりだ。
そんな事を考えながら隣に視線を移すリュウト。しかし、彼の目に映ったのは今まさにドアを開けて車から降りようとしている同乗者の姿だった。
「――――」
「――――」
「――――じゃあね〜」
「いつの間に!?」
リュウトは自分があっさりと見捨てられた事に気付いた。
「わたしちょっと急用が出来たからここで失礼します!」
「ちょ、み、美由希さん!?」
「うん、ごめん。でも、急ぎの用だから!」
「嘘ですよね!? 間違いなく嘘ですよね!?」
「う、嘘じゃないよ! ほら、父危篤ってやつで!!」
「嘘でしょうが! さっき翠屋に寄りましたけど元気に桃子さんとイチャついてましたよ!?」
「じゃあ、恭ちゃんが修行するって…!」
「『じゃあ』って何ですか!? 明らかに嘘でしょう!」
必死で逃げようとする美由希。
それを必死で止めようとするリュウト。
すでに彼らの思考から冷静な判断は失われていた。
おかげで恋人の痴話喧嘩に見えないことも無い二人の言動は、公園の駐車場に居たすべての人々の格好の暇つぶしと化していたのだった。
「――私の所為じゃないですよ」
「――――」
「私は間違った事は言ってませんからね」
「――――」
「本当ですよ?」
「――――」
「――――」
「――――」
「――――ごめんなさい」
「――――許す」
弱い、弱すぎる。
だが、それがリュウトという青年だ。
少なくとも女性にまともに勝ったためしがない。
魔導師や管理局の提督として戦う事が出来るなら負けはしないだろうが、一個人としては勝つなど想像もつかないのが彼の現実だった。本当に弱い。
これがリュウト・ミナセの本当の姿だと知ったら、幻滅する人間がそれなりにいるのは間違いないだろう。本人が気にする事はないだろうが。
「――――それで、何処に向うの?」
「あ、はい…」
『むっす〜』という擬音が浮かぶような美由希の言葉に、リュウトは自分の目的地の説明を始める。
それは11年前にとある家族が行くはずだった場所。
海鳴市の市街地から車で40分ほど走った所にある公園だった。
「――う〜〜ん…」
「分かりますか?」
美由希の頭の中に幾つかの候補地が挙がる。
そこにリュウトからの情報を加えて判断していくと、それは一つに絞られた。
「多分、ここだと思う」
「――――」
車を停めて地図を取り出すと、美由希は一つの場所を指し示した。
海鳴を囲む幾つかの山の一つ、美由希の指はそこを示している。
――蛇行する山道。窓から見えた街の光。そして、父が話していた地名。
それは確かにリュウトの記憶と一致する場所だった。
「――どう?」
「――――ええ、間違いないと思います…」
美由希の言葉に答えるリュウトの声には、美由希の知らないリュウトの姿が垣間見えた。
一切の表情を消し去り自分の指先を暗い瞳で見詰めるリュウトに、美由希は悲しいような寂しいような痛みを感じる。
自分と変わらぬ年齢のはずの青年が浮かべるその表情は、あまりにも日常からかけ離れていた。
「――――」
「――リュウト君?」
「――行きましょう」
リュウトはそれだけを口にすると静かに車を発進させる。
美由希は居心地の悪さを感じながらも、自分の隣に居る青年の真実を少しだけ見た気がした。
「ねえ…」
「――何ですか?」
一拍の間を置いて返ってきた声に僅かに身を竦ませ、美由希はそれでも言葉を続けた。
ここで聞かなければ二度と聞く機会は訪れない――そんな気がしたのだ。
今のリュウトは仮面を被っていない。美由希はそう確信し、口を開く。
「――これから行く場所って、リュウト君の思い出の場所?」
「――――ええ」
それならば――
「もしかして、海鳴に来たことがあるの?」
「――――」
無言。
「――違う、んだね」
「――――」
その通りだった。
リュウトは海鳴に来たことがあるわけではない。
(ここに帰って来るといつもはバレない事があっさり見破られるな…)
それは故郷にいる事で気が緩んでいるのか、それともこの街の人々が聡いのか。
リュウトにはどちらも正解のような気がした。
「――――じゃあ、ひょっとしてここの出身?」
「――――」
リュウトは美由希の鋭さに驚きながらも、いつかこうして誰かに知られる事を確信していた自分が居る事に気付く。
殊更隠していたわけではないのだから当然の事だが、まさか彼女に気付かれるとは思っていなかった。
後輩たちではなく、守護騎士の誰かでもなく、ただの一般人のはずの美由希に初めて真実を知られる。それは運命の皮肉なのかもしれない。
「――――そうです」
「――やっぱり…」
美由希は納得したといった様子でリュウトに向けていた視線を伏せる。
「よく分かりましたね」
前方に向けていた瞳を一瞬だけ美由希に向け、リュウトは小さく笑みを浮かべた。
「うん。前から何となくそんな気はしてたから…」
「そうですか?」
「そうだよ。リュウト君、フェイトちゃんたちとは違う目で街を見てた」
「――――」
「そう、まるで懐かしいって言ってるみたいに…」
「――かも、しれませんね」
「まあ、それに気付いたのは今になってからだけど」
「ふ…」
美由希のその言葉に、リュウトは微苦笑を浮かべる。
リュウトの真実を知ったからこそ、美由希は彼の視線の意味に気付いたのだ。知らなければ小さな違和感を覚える程度だろう。
「なのは達は知ってるの?」
「いいえ、話してはいません」
「――どうして? 同じ世界の出身だって知ったらすごく喜ぶよ、きっと」
「――――」
そうかもしれない。
だが、それを語るにはまだ早いのだ。
「…そう、まだ早い…」
「?」
小さく呟いた声が聞こえたのか、訝しげな表情の美由希にリュウトはとっさに考え付いた良い訳を告げる。
「――いえ、いつ気付くのか楽しみにしているんですよ」
「そう、なんだ」
「あ、美由希さんが話したいなら言っても構わないですよ。きっと驚くでしょうね」
「あ、うん…」
悪戯を思い付いた子供のように笑うリュウト。だが、美由希はその表情に暗い影がある気がしてならなかった。
車で走ること20分。リュウトと美由希を乗せた車がそこに辿り着いた時には、リュウトもいつもと変わらぬ雰囲気に戻っていた。
それにつられる様に美由希も普段の彼女に戻り、二人は共通の話題である美由希の妹とその友人たちの話で盛り上がったのだった。
「――着きましたね」
「あ、ほんとだ」
山の中腹に作られた公園が彼らの目的地だった。
平日の為だろうか、ほとんどが空白の駐車場に車を停めると、二人は車から降りて公園の中に入っていく。
冬の気配を多分に残している木々の間を抜けるこの遊歩道の先に、リュウトが11年前に見るはずだった光景が広がっているはずだった。
「…………」
「――ん? どうしたの?」
遊歩道を進むにつれ、リュウトの足取りは少しずつ重くなる。
それに気付いた美由希が声を掛けるが、今のリュウトにはその声もほとんど届いていなかった。
(こんな…場所だったんだ…)
生まれて初めて訪れるこの場所にそれほど執着していたとは思っていなかったが、こうして実際に足を踏み入れるとそれが間違いだったのだと実感する。
心の奥底から湧き出す言いようのない『何か』
それに身体は支配され、自分の意思で足を踏み出すことが少しずつ困難になっていくのだ。
まるで初めて実戦を体験したときのように身体の自由が利かなくなり、この身は別の意思を持っているかのようにゆっくりと歩を進める。
今のリュウトがその原因に気付いたとしても、それに抗う術があるはずもないだろう。これもまた、リュウトの意思なのだから……
「――来た事も無い場所なのに、すごく懐かしい気がしましてね…」
「そう…」
それでも同行者に対しての気遣いが出来る自分に、リュウトは内心苦笑を浮かべた。
それは、自分の表情と思考を取り繕うことが習い性になっている自分に対してのものかも知れない。
「来た事も無いのに、ここに来たかったの?」
「ええ…。ここは私にとって『終わりの地』なんです」
「…終わり?」
「ええ…。命の終わりであり、思い出の終わり…」
「…………」
美由希はそれ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
ただ、隣を歩く青年の言葉を心に仕舞い込み、鍵を掛けた。
誰にでも過去はある。
忘れたくない幸せな過去もあれば、忘れたくても忘れられない辛い過去もある。
青年の中に存在する過去が例えどんなものであっても、それは青年だけが背負う事が出来るものだ。
他の誰でもない、リュウト・ミナセだからこそ背負う事が出来る。
「私は――」
「え?」
突然口を開いたリュウトに、美由希は驚いた顔で聞き返す。
丸太で出来た階段を上りながら、リュウトは独り言のように言葉を続けた。
「――私は……ここに来る事で自分の道を決めたかったのかもしれない。すべてが始まった場所だからこそ、終わらせる事ができるかもしれないと思った」
「――――」
「他の誰でもない自分の為に、ね」
「――――」
何を言えというのだろう――美由希はそんな事を思った。
己がエゴイストであると自覚し、それを誇るでもなく嫌悪するでもなく、ただそれを認めている青年に何を言えというのだろう。
慰める?
怒る?
それとも――
「――リュウト君が決めたのなら、それでいいと思うよ」
「――――え?」
――認める?
「他の誰でもない、自分で決めて自分で進む。それはすごく大変な事だけど、やらなきゃいけない事なんだってわたしは思う」
「――そう、なんでしょうね」
リュウトが小さく頷く。
美由希はそれを見届けると微笑みを浮かべる。
「もちろん、わたしも自分で出来てるとは思ってないし、一生掛かっても出来ないかもしれない。でもね…」
「――――」
「――誰もがそれを成し遂げる可能性があると思う。辛い事でも大変な事でも、きっと、ね」
「――――ええ、確かに…」
リュウトは自分より年下であるはずの美由希が、なぜか年上のように見えた。それは美由希の顔に浮かぶ優しい笑みに何かを感じ取ったからかもしれない。
どこかで見たことのあるその笑みは、確かにリュウトの中の何かを優しく包んだ。
「――あ…」
リュウトの口から彼の意思とは関係なく言葉が漏れようとしたとき、美由希が前方に何かを見つけて声を上げた。
目的地に着いたのだ。
その声にリュウトの口は閉ざされたが、美由希がそれに気付く事はなかった。
「海鳴の…街…」
「――――ほう…」
静かな遊歩道を抜けた先にあったのは、二人が良く知る街並とそれを眺めるために作られた展望台だった。
海鳴駅から広がる市街地。遠く離れたここからもその姿を見ることが出来る風ヶ丘学園。海の近くには臨海公園も見て取れ、街に居るだろう多くの人々の活気が目に見えるような風景だとリュウトは思った。
それと同時に思い至る、あの日、あの時父はこの風景を見せたかったのだ。
今のような昼間の光景とは違う、夜景の光とその中にある人々の光を見せたかったのだろう。
「自分の住む街だけど、こうして見てみると新鮮かもしれないなぁ…」
「ええ」
自分たちの住む街の光は、当時の自分と妹の目にどう映ったのだろうか。
きっと両親と出掛けられることに喜んで、ろくに夜景など見なかったに違いない。でも、間違いなくそれが幸せだったのだ。
幸せだと気付かないことがもっとも幸せだったのだ。
「いつか、リュウト君の昔の話を聞きたいな…」
「――?」
目の前に広がる海鳴の街並を眺めながら考え込んでいたリュウトの耳に、美由希の囁くような声が届いた。リュウトは隣に立つ美由希に視線を向け、その目に小さな疑問を宿す。
リュウトの視線に気付いた美由希が、恥ずかしげに笑いながらそれでも言葉を紡いだ。
「ううん、もしかしたら同じ学校に通ってたかもしれないんだって思って…」
「――そう、かもしれませんね」
「リュウト君はいっこ上だから、先輩って呼んでたのかな?」
「今は『君』ですけどね…」
自分に向けられた問い掛けの言葉に口の端を持ち上げ、リュウトは後輩だったかもしれない少女の顔に朱が差すのを面白そうに見詰めた。
「だって…!」
「だって?」
「〜〜〜〜ッ! だって、初めて会った時にリンディさんが同じ歳だって言ってたから…!!」
「確かにそうですけどね。私は早生まれですから」
リンディの紹介もあってリュウトを自分の同学年だと思い込んだ美由希は、あっさりとリュウトの呼び名を決めたのだった。そしてそれは高町家でのリュウトの呼び方となり、今では恭也や士郎、桃子までもが『リュウト君』と呼ぶ。
そのこともあり、美由希は一つ上の学年だと気付いた今でも、すっかり慣れてしまった呼び方を変える事が出来ないでいるのだ。
だが、リュウトはその呼び名を気に入っているようだった。
懐古だといえばそれまでだが、この呼び名は遠い日常がその姿を見せるような幻影を纏っていた。
「むむむ…」
「――――そうして膨らんでるとエイミィにそっくりですね…」
「――――」
「――――」
「――――とおッ!」
「甘いです」
「てあッ!」
「むぉ」
「うりゃ!」
「ほぁ」
「――――」
「――――」
「うりゃたたたたたたたッ!!」
「わわわわわわわわわ…っ!」
一瞬の間を置いて繰り出される美由希の鋭い突きの嵐を、リュウトは最低限の動きで避ける。ひたすら避ける。
一般人では不可能な――だが、同時に凄まじく低レベルな――技の応酬は続き、いつしか二人は笑みを浮かべながら戯れた。
それは、もしかしたら一つの可能性だったのかもしれない。
11年前に消え去った、在り得たかもしれない未来という……
「――あ、そろそろ戻らないと…」
展望台に設置されたベンチに座って雑談に興じていた二人だが、美由希のその言葉で穏やかな時は終わりを迎えた。
夕食の材料が車に積まれている以上、美由希はその準備が始まる前に帰宅しなくてはならない。その為には、そろそろこの場所を去らなければならなかった。
「そうですね。夕食の準備に間に合わないなんて事になったら申し訳ないですし」
「そーだね。そうだ、良かったら夕食うちで食べてく?」
美由希の突然の夕食の誘いに、リュウトは頭を振ってその申し出を断った。
「いえ、これから仕事ですので」
「え!? これから?」
海鳴はこれから夕方に、夜になろうという時間だ。
いつからこちらの世界に来ているかは分からないが、まともに休んでいないのではないか。
「――二十四時間戦っています」
「あはは…」
どんよりと影を背負ったリュウトに、美由希は掛ける言葉が見つからない。
「これから士官学校に行って講義をしなくてはならないんですよ…」
「た、大変だね」
「座学だけならまだしも実技までやるんですよ…」
「が、がんばって…」
「皆さん勉強熱心で先輩としては大変嬉しいのですが、私も魔法の集中砲火受ければ死ぬんですよ…」
「…………」
「はあ…」
事件でも起こらないかなぁ――リュウトのその危険な願望はやはり叶わないだろう。もちろん本心から願っているわけではないし、後輩たちの成長は純粋に楽しみだ。だが、すでに徹夜決定のリュウトとしてはもう少し穏やかな仕事をしたい。
まあ、管理局本局に戻れば、待っているのは氷の視線と山積した仕事だろうが。
「――――はあ」
「重っ!」
すでにリュウトの周囲に漂う暗澹としたオーラは擬似的な質量を持ち始めていた。
「ありがとね。楽しかったよ」
「いえ、お世話になったのはこちらですから」
高町家の門前で車を降りてトランクの車載冷蔵庫に入っていた食材を取り出した美由希は、助手席の窓を開けてリュウトに礼を言った。
「それに、少し気が晴れました。私一人であの場所に行ってもただ悩んで、それで終わりだったかもしれないですし」
「そう…」
詳しい事は何も聞けなかったが、目の前の青年の悩みが少しでも軽くなったのならそれでもよかったと思う。
一人で悩むのは辛いことだ。
相談したくても出来ない内容なのかもしれないが、話すだけでも多少は楽になる事もある。
「本当に、ありがとうございました」
「あ、うん。どういたしまして」
「それでは、これで失礼致します」
「え…? ちょ、ちょっと待って!」
別れの挨拶を済ませて窓を閉めようとしたリュウトを、美由希は思わず制止した。
美由希の声に訝しげな表情をしたものの、リュウトはすぐに窓を開けた。
「どうかしましたか?」
「ええと…」
思わず止めてしまったが、何を話せばいいのか分からない。
しかし、自分の中の何かがリュウトを引き止めたのだ。
「えっと…その…」
「??」
多分、自分たちは友人といっても差し支えの無い関係だろう。
それなら、自分が友人を――リュウトの事を心配しても問題はないはずだ。
「なにか?」
「――――」
「――?」
でも、何と言えばいいのだろうか。
事情も知らない自分が何かを言っても無駄なのではないだろうか。
だが、友人として何も言わずにいる事は出来ない。
なら――
「今度っ!」
「はい…?」
「今度、また一緒に何処かに行こう! なのはやフェイトちゃんたちも一緒に、リュウト君の車で!!」
「――――」
「だめ…かな?」
驚いたように自分を見るリュウトに、美由希は自分の顔が熱をもつのを感じる。
それでも、こうして次の約束をする事はきっとプラスになるだろう。
「…………」
「…………」
数秒の時が流れ、次に口を開いたのはリュウトだった。
「――それは…運転手ってことですか?」
「え!? ち、ちが…」
その言葉に慌てる美由希。
だが、リュウトは次の瞬間に笑い出した。
「くくっ…! いいですよ、分かりました。今度は、大きな車用意しておきますから」
「へ?」
「出掛ける予定が決まったら出来るだけ早く教えてください。こちらも予定がありますので…」
「あ、う、うん、分かった」
「連絡先はなのはさんに聞いてください。出来ればひと月くらい前に教えていただけるとありがたいです」
「分かった、気をつける」
「ええと、私からはこれくらいですね」
リュウトはそう言うと美由希に笑いかけた。
「楽しみにしてます」
その言葉に、美由希の顔にも笑みが宿る。
「わたしも、楽しみにしてる」
「はい。それでは…」
美由希はリュウトの運転する車が遠ざかっていくのを見詰め続ける。
海鳴は、もうすぐ黄昏の時間だった。
やってきましたオマケ
「学校帰りにデートか?」
「っ!? 恭ちゃん!?」
「学校が早く終わると聞いて待ってたんだが、珍しいものを見させてもらった」
「ど、どどどどどどど…っ!」
「何処って、ずっと門の影にいたぞ。――――気配を絶って」
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
「照れなくてもいいじゃないか。今度のときは俺と忍も一緒に――」
「――はい! これ台所に持ってって!!」
「お、おい…!」
「全く、これだから男って!!」
「お〜い」
「何っ!?」
「おを!?」
自分は何かしただろうか――恭也は怒れる妹を見てそんな事を思った。
帰ってきたオマケ
「――おかえりなさいませ」
「――――」
「一時間後に士官学校に向かいますので、それまでにこの仕事終わらせてください」
「――――」
「それから向こうの教官が今日の模擬戦の予定を送ってきました。目を通しておいて下さい」
「――――」
「無限書庫に申請していた資料はまとめてそちらに置いておきました」
「――――」
「あと、査察部の方が愚痴を言いに来ました。提督が休暇を取ってくれない、と担当者に泣きつかれたそうです。仕事が済んだら休暇取ってください」
「――――」
「あ、あと、鳥はどっかいきました」
「――――」
「さあ、これから一時間、提督には仕事の鬼になっていただきます」
「――――」
「私は休憩してきます。一時間後には戻ってきますので、しっかり終わらせておいて下さい」
「――――」
「では、いってきます」
「――――いってらっしゃい」
心が寒かった。
END
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
リュウト君が過労死するまであと何日ってなノリですが、生かさず殺さずがアニーさんの特技なので多分大丈夫です。いや、ある意味大丈夫じゃないですが。
さて、今回の主人公は砲撃魔法少女の姉君で高町美由希嬢でございました。
第三期では出てくるか定かではない彼女ですが、一期二期の頃は結構出てたんですよねぇ。なのでわりと書きやすいです。士郎さんはよく分からんですし。
ちなみにリュウト君が作中で乗っていたのは、光岡自動車の某大蛇の名前のついた車をモデルにした改造車でございます。イギリスといえばSIS、SISといえばMI6、MI6といえばということでボン○カーです。分からない人はSISかMI6で調べると分かるかも。
ちなみにリュウト君の実家にある車は彼の父親のもので、父親の趣味もあって何台か車があります。全部古くなっていますが動きます。
しかし、十一年前の一件で一台減っており、リュウト君は次に出かけるときはファミリーワゴンを用意せねばならないでしょう。炎上してしまいましたし。
ちなみにリュウト君がこっちの世界で普段使っている車はヨタハチです。改造済みです。あ、車のセレクトは作者の趣味ですので。
さて、次回は管理局に視点を移し、自衛隊に警察、海保に消防までがやるイベントを管理局でやりたいと思います。さあ、祭だ祭だ〜。
では皆さん、次のお話で会いましょう。