魔法少女リリカルなのは―――蔵人SSS 昔語り―――

 

 

 

 

―曇りのち晴れ、時々雨 前編―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時空管理局提督ギル・グレアムがその少年を引き取ったのは、ある種の贖罪だった。

 

 あるロストロギアの現出に巻き込まれ、家族を失った少年。その原因の一つは、確かに自分にあると考えたからだ。

 

 しかし、それは一つの理由に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 少年にとっては、生まれた世界で暮らすのが一番いいと思っていたグレアムだったが、少年の家族の葬儀で、その考えは変わってしまった。

 

 その時グレアムは、自らを少年の父の友人ということにして葬儀を執り行うことになった。

 

 喪主は少年自身が勤めたが、それ以上のことは何も出来ないだろうとグレアムは思っていたし、本人が望まない限りさせる気も無かった。

 

 

 

 その葬儀の場で、彼は人間の一面である醜さを再確認する事となった。

 

 

 

 

 

 

 少年の両親が遺した財産は、少年一人が暮らす分には多すぎるくらいだった。

 

 今回の一件は、此方の世界では事故ということで処理されたので、保険金も支払われる事になり、その手続きもまたグレアムが行った。

 

彼自身、この時点では少年をこの世界で暮らさせるつもりだったので、少年が将来困らないようにと、保険会社と幾度も交渉した。

 

違う世界の人間とはいえ、一応は法の番人ともいえる職についているグレアムである。交渉はスムーズに進み、保険金の全額を少年へと支払わせる事が出来た。

 

少年の両親は仕事ばかりしていたが、子供たちへの愛は本物だった。

 

保険金の受取人をお互いではなく息子にしていたのは、その表れかもしれない。

 

少年の両親はそれなりに収入が良かったらしく、どの保険の金額も一般的な家庭よりも多かった。

 

 その結果、少年の下には全てを含めて一億円を超える遺産が遺された。

 

 

 

 

 

 

 グレアムはすでに、少年の両親が駆け落ちして結婚した事を調べていた。

 

 すでに両親の実家とは交流がないことも分かっていたが、両親の友人たちや、知り合いの誰かが少年を引き取ってくれるだろうと考えていた。

 

 最悪の場合、施設に行くことになるかも知れないが、それでも少年には家族が遺した遺産もある。自分も気に掛けるし、なんとか生きていけるだろうと思ったのだ。

 

 結果的にグレアムの予想は外れた。

 

 彼の予想とは裏腹に、親戚と名乗る者達が少年を引き取ると言ってきたのだ。

 

 しかし、彼らは親切な親戚などではなかった。

 

 ただ単に少年の持っている財産欲しさに近寄ってきただけの、知り合いとも呼べない殆ど赤の他人と言っても差し支えない者たちだった。

 

 少年の両親が実家と交流がないというのは本当だった。

 

 葬儀には少年の親戚はほとんど現われず、ようやく現われた親戚は、やはり少年の財産を狙っている者だけだった。

 

 両親の友人たちや知り合いもまた、少年を引き取ろうとはしない。

 

 その理由は、少年が葬儀の間、ずっと無表情で涙も流さずにいた事だった。

 

 家族がすべて死んだというのに涙一つ流さず、ただただ参列者の相手をしている少年は、彼らには不気味に映ったのだろう。

 

 一部の人間は少年が事故のショックでそうなってしまったのだと思い、同情的な視線を送ったりもしていたが、そのような者たちも結局少年を引き取る事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、少年は誰にも引き取られる事無く、このまま施設へと送られるはずだった。

 

 グレアム自身が財産の管理を行い、少年が大きくなったら渡せばいい。グレアムはそう考えていた。

 

 しかし、グレアムの元に事故現場の調査結果が報告された時、状況は変わった。

 

 残留魔力の計測から、少年が魔法を行使した事が分かったのだ。

 

 おそらく、ロストロギアがこの世界に現われる直前の魔力に中てられ、少年の中にあるリンカーコアが覚醒してしまったのだろうと推測された。

 

 しかも、機能が限られていたとはいえ、かのロストロギアの魔力を防ぎきるだけの力が少年にはあったという事になる。その潜在能力はグレアムですら驚嘆するものだった。

 

 無論、少年をこの世界に残すという選択肢もあった。だが、グレアムには懸念することがあった。

 

 少年の前に、かのロストロギアが姿を現した。

 

 それは、この少年があのロストロギアに選ばれたのではないかという疑念だった。

 

 少年の周りにはそれらしいものは無かったが、少年をこの世界に残すことで、この高い魔法の才をもつ少年にかのロストロギアが接触することに、どうなるかはグレアムすら分かっていなかった。

 

 少年がロストロギアに選ばれたという保証はない。

 

 だが、選ばれていないという保証も無い。

 

 グレアムは決断した。

 

 かのロストロギアの被害者である少年が、これ以上この世界にいることは自分にとって最悪の事態になるかもしれない。

 

 万が一、この少年がアレの主になることになれば、自分はこの少年を殺さなければならなくなる。

 

 それだけは避けたかった。

 

 これ以上この少年に害を与える事は、グレアムには耐えられなかったのだ。

 

少年の家族を死なせてしまった自分がこの少年を殺すなど、在ってはならないことだと思った。

 

 

 

 

少年はグレアムと共にこの世界を、自分が生まれ、家族と過ごした故郷から旅立つ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

「…父様…。あの子、今回も食べてくれなかった…」

 

 

背後から聞こえた自身の使い魔の声に、グレアムは振り返った。

 

 

「―――そうか。…これで何日目だ?」

 

 

「もう五日になるよ…。今はロッテがどうにかして食べさせようって頑張ってる」

 

 

 グレアムは嘆息した。使い魔の行動もそうだったが、自分もまた何も出来ないことに対する失望も含まれていた。

 

 少年がこの世界に移り住んで、早六日。

 

 元の世界では、少年は外国の知り合いの元に引き取られたという事になっているはずだ。

 

 

 

 

 その少年は、現在自室とされた部屋に篭り、外界との接触を一切断っている状況だった。

 

 初日こそ何とか食事を摂らせたが、その食事もすぐに戻してしまい。それ以降、少年は何も口にしていない。

 

 グレアムは少年の体調を考えて、栄養剤などを直接摂取させる形でなんとかここまでやってきたが、それも限界に近づきつつあった。

 

 これが成年に達したものならば何とかなっただろう。しかし、成長期の只中に居る少年に栄養剤のみで過ごさせるのは、健康上あまり歓迎できる事態ではなかった。

 

 確かに栄養剤はそれだけで日常生活を過ごせるように出来ている。

 

 しかし、人間はもともと食物を摂取する事で生きるように出来ている。

 

 精神的な面も考えれば、この状況は良くない。グレアムもそう考えてはいたが、彼にはどうする事も出来なかった。

 

 彼の使い魔であるリーゼ達は地球の食材を使い、彼の故郷の料理を作る事で何とかしようと考えているようだったが、それも効果を上げているとはとても言えない。

 

 そして、グレアムは、あの夜以来少年の声を聞いていないことに気が付いた。

 

 あの夜空を震わせた慟哭以降、少年は口を閉ざし、此方の世界に移ってからは食事も摂っていない。

 

 そこまで考えたグレアムは、少年をあちらの世界に戻す事を考え始めていた。

 

 

 

 

 

 

「いい加減にしろっ!! 食べなきゃ死ぬ事ぐらい分かってるんでしょ?!」

 

 

 グレアムとリーゼアリアは少年の部屋から聞こえてきた怒声に驚き、お互いの顔を見合わせた。

 

 今までこんな事は無かった。

 

 そう考えた二人が少年の部屋に入ったとき、そこではある意味予想通り、そしてある意味では予想外の出来事が起こっていた。

 

 二人の目に飛び込んできたのは、使い魔の片割れであるリーゼロッテが少年の襟を掴み上げながら、怒鳴っている光景だった。

 

 二人はそんな光景に思わず動きを止めてしまう。

 

 

「何で食べないの? それとも本気で死にたいとでも言うの?」

 

 

「………」

 

 

「何とか言ったらどう?!」

 

 

「……………」

 

 

 ロッテは二人が部屋に入ってきた事にも気付いてないようだった。

 

 少年を睨みつけ、その視線を外そうとしない。

 

 睨み付けられた少年もロッテを見ているが、ただ見ているだけで。怯えも、怒りも他の感情も、その瞳には映っていなかった。

 

 そこに至って、ようやくグレアム達は状況を把握した。

 

 簡単に言ってしまえば、ロッテがキレたのだろう。自分たちの作った食事に手をつけず、話しかけても一切反応しない少年に対して。

 

 しかし、その行動が正しいとはとても思えなかった。

 

 所詮自分たちは赤の他人で、少年の家族はあの夜に全員他界しているのだ。

 

 しかも原因の一端を担った自分が少年に何を言えるというのか。

 

 グレアムには、どうしようも無かった。病院に連れて行っても、精神的なものだということしか分からなかったし、この世界で少年を慰められるような知り合いなど存在していない。

 

 グレアムは先の事件で父を失った子どもを知っていたが、その子には母親が付いている。母親と共にいれば、その子もきっと大丈夫だろう。

 

 しかし、この少年にはそんな事が出来る存在など既に無い。

 

 その上、この少年は家族の最期をその目で見ていたのだ。

 

 人の死に様など見たことも無い少年に、あの光景は何を残したのだろうか。

 

 少なくとも、今の少年は生きているとは言い難い、ただ心臓が動いているだけ、そんな状態だった。

 

 そんな事を考えていた最中、自分の横でアリアが動きだしたのをグレアムは感じた。彼女は早足で自分の姉妹に近づくと、その手を押さえつける。

 

 

「ロッテ!! いま自分が何してるか分かってるの?!」

 

 

「何って…、この子にご飯食べさせようと思って…」

 

 

「他にもやり方はあるでしょ?! こんな脅すような真似して、本当にどうにかなると思ってる?」

 

 

「だって、だってどうしようも無いじゃん! アリアだって色んなことやってるけど、全然食べてくれないし、返事もしてくれないんでしょ?!」

 

 

 少年は目の前で繰り広げられる応酬にも、全く反応を示さなかった。

 

 ただ、二人の様子を眺めているだけ、それだけだった。

 

グレアムはゆっくりと少年に近づいた。少年の眼が自分の方を向いた事を確認して、彼は少年に話しかけた。

 

 

「すまない、驚いたろう。彼女たちも知り合いが亡くなってしまってね。それで気が立っているんだ。本当にすまない」

 

 

「死…んだ?」

 

 

「!!」

 

 

 少年が返事をするとは思っていなかったグレアムは、その声に驚いた。

 

 言い合いをしていた二人も目を大きく開いて少年を見ている。

 

 

「死…ん…だ。―――死ぬって何……?」

 

 

 グレアムは少年が言葉を返したことに、少なからぬ安堵を抱いたが、それと同時にその言葉に戦慄した。

 

 この幼い少年を動かしたのは“死”という言葉だった。

 

それは全ての生物に与えられた普遍にして不変の未来だが、このような少年が唯一のものとして良いようなものではない。

 

 

「……死とは、終わりの事だよ……」

 

 

 グレアムはやっとの思いでそれだけを口にした。

 

 彼自身にとっても、死の意味など答えられる範疇を超えていた。死とは生きる人間にとって概念的にも、生物学的にも、宗教的にも答えといえるものが多すぎ、そして正解もまた多すぎる。

 

 グレアムは少年の知りたい答えを持っている自身が無かった。

 

 彼の使い魔もまた、困惑の表情を浮かべている。

 

 

「終わり…? 何もないの?」

 

 

「………」

 

 

 グレアムはその言葉に懊悩した。

 

 そうだ、終わりとは何も無い事だ。そこまで築き上げてきたものが一瞬で崩壊する。それが終わりだ。だが…。

 

 グレアムが言葉を発しようとしたとき、少年が口を開く。

 

 そして、そこから出た言葉は、確かに死の答えの一つだった。

 

 

「父さんと、母さんと、明日香も終わったの?」

 

 

 それが、少年の得た答え。

 

 少年は、自分の家族が終わりを迎えたと理解してしまった。それ故、少年は死に囚われ、死を恐れなくなった。それが、生物として壊れるということだと、少年は理解しているのだろうか。

 

それでも、グレアムは、リーゼ達は、そこから少年を助け出す術を持たなかった。

 

 

 

 

 

 

 グレアムはこの少年を元の世界に戻す事を断念せざるを得なかった。

 

 少年は他の子供と比べて異質すぎたのだ。

 

 死を恐れない。

 

 そんな少年を、もとの世界が受け入れるとはとても思えなかった。生き物としての本能を捨て去った少年が、一人であの世界で生きていくのは難しいだろう。

 

 死を恐れないという事は、自身を守ることをしないということだ。人を人と見ないことだ。

 

 あまりにも異質。

 

 グレアムは、少年を施設に入れることまで考えた。しかし、管理外世界の出身者、あの事件の数少ない生き残り、高い魔法資質、そんな評価まで少年には付いて回る。

 

 管理局には、管理外世界の人間など取るに足らない存在と見ている者もいる。そんな人間が少年をどう遇するかなど、想像に難くない。

 

 施設に入れても結局は孤独なのだ。それならば、僅かでも少年の事を知っている自分たちと暮らした方がまだ良いだろう。

 

 それに、何かきっかけがあれば、少年を普通の子供に戻せるかもしれない。

 

 グレアムはそう思い、少年との生活を続けることにした。

 

 そのきっかけは、思わぬ所から現われることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ロッテ、本当にやるの?」

 

 

 グレアムの自宅に、彼の使い魔の声が響く。

 

 現在、この家にグレアムは居ない。

 

管理局での仕事に忙殺され、なかなか自宅に戻る事が出来ないでいた。

 

 

「じゃあ、他に何か方法があるの? あの子、あれから何も変わっていないじゃん」

 

 

「それは…」

 

 

 リーゼ達の座る席の真ん中にあるテーブルには、一枚の写真と、何かの映像が入っている端末があった。

 

 その写真には、少年と彼の家族が写っている。そこから考えれば、端末には彼らの映像が入っているのかもしれない。

 

 

「…でも、こんなことして取り返しのつかないことになったらどうするの?」

 

 

「今のままじゃどっちにしろダメだよ。それだったら少しでも可能性のある方に賭けたほうがいいに決まってる」

 

 

「でも…」

 

 

 ロッテの言葉にアリアは困惑した表情を浮かべる。

 

 確かに彼女の言うことは一理ある。でも、この方法は危険が大きすぎるのではないか?

 

 アリアは同居している少年の心を慮って、ロッテの案に賛成する事が出来ないでいた。

 

 少年がここに来て一ヶ月、すでに少年は筋肉が衰えてやせ細り、その肌は病的なほど青白い。

 

リーゼ達が管理局から帰ってきたとき、朝とまったく同じ姿勢、同じ姿で居たことに驚いたこともあった。

 

少年はすでに衰弱しきっている。

 

グレアムも少年のことを気にかけ、リーゼ達だけは毎日自宅に戻るようにしていた。

 

そんな中、ロッテが起死回生の案があるといって、アリアに話を持ちかけてきたのだ。

 

しかし、その案は危険が大きすぎる。少年が何らかの反応を示す可能性は高いが、その反応が少年にとって良いものなのかは甚だ疑問だった。

 

 

「せめて、父様に話してからにしない? こんなこと勝手にやるのは…」

 

 

 アリアはロッテに翻意を促す。やはり、この案はマイナス要因が多すぎるのだ。

 

 そんなアリアの声にも、ロッテは心を変える事はしなかった。

 

 

「父様に話したところで何にもならないよ。今一番あの子に接してるのは、あたしたちなんだよ?」

 

 

 ロッテの表情には苛立ちが見え隠れしていた。彼女も、少年の変わらない態度に憤っているのかもしれない。

 

 

「確かにそうだけど、念話で訊くぐらいのことはしても良いんじゃない?」

 

 

 アリアのその言葉に、ロッテは急に表情を変えた。

 

 

「父様だって、何も出来てないじゃない! このままだったらあの子、死んじゃうかもしれないんだよ?!」

 

 

「それは…」

 

 

 ロッテの言葉は確かに正論だった。

 

 少年は死を既に受け入れている。今までは何もなかったが、少年が何かのきっかけで心変わりし、自ら死を選ぶ可能性もあった。

 

 

「そんな事になったら、あたしは…」

 

 

「ロッテ…」

 

 

 すでに自分たちの知り合いも、かのロストロギアによって命を落としている。そしてまた少年が死ぬような事になれば、自分たちは一体何人の人間を失えばいいのか。

 

 

「………。分かった…。でも、これっきりにしようね」

 

 

「…分かってる。でも、こんな事でもしないと、あの子は変われないと思うから」

 

 

「うん…」

 

 

 二人は頷きあい、それぞれ準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレアムがひどく慌てた様子の使い魔たちからの念話を受けたとき、彼は自宅へと戻る途中だった。

 

 丁度、少年のことで頭を悩ませていたそのときだった。自らの使い魔たる双子からの緊急の連絡を受けたのだ。

 

 グレアムはその内容に驚愕した。

 

 

『どういうことだ? あの子が居なくなったというのは』

 

 

『それが…。私たちが目を離した隙に、部屋から居なくなったの』

 

 

『何故そんな事に? あの子が一人で外に出るなど…』

 

 

『………』

 

 

 リーゼアリアの声が、途切れる。その沈黙に、彼女たちが何か少年に家から出て行くような事をしたのだと察した。

 

 

『リーゼ!』

 

 

『…ごめんなさい…』

 

 

『父様、アリアを責めないで、あたしが言い出したことなの…』

 

 

『どういうことだ?』

 

 

『あの子があのままで良いとは思えなかったから、なんとかきっかけを与えようと思ったの…』

 

 

『きっかけ?』

 

 

『…うん…』

 

 

『一体、あの子に、何をした…?』

 

 

『――――――――』

 

 

「っ!?」

 

 

 それは考えうる事態の中でも最悪に近いことだった。少なくともあの少年には耐えられなかったのだろう。

 

 

(あの子は理解していた。ならば…その行為は傷を抉るだけだ……)

 

 

 グレアムは自宅への道を急ぎながら、少年の無事を祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう…。こんな事になるなんて…!」

 

 

 少年が姿を消してから、ロッテはずっと自分のしたことを後悔し続けていた。

 

 少年の自分を見る目、ここに来てから初めて見た少年の別の表情は、ロッテにとって自分の行動がどれほど少年を傷つけたのかを知るには、十分すぎるものだった。

 

 

「ロッテ…。私も同じだよ。結局あの子を傷つけてしまった…」

 

 

「違う! アリアは最後まで反対してたじゃん!」

 

 

「ううん。結局止められなかったんだから私も一緒。私、あの子にどんな顔して謝ればいいんだろう…」

 

 

「分かんないよ。あんな事になるなら最初から何もしなければ良かった…」

 

 

 ロッテの声は震えていた。

 

 

「そうだね…。あんな事になるなら…」

 

 

 それを聞いたアリアの声もまた、深く沈んでいる。

 

 二人の脳裏には、自分たちが少年にしてしまった行動が、嫌になるくらい鮮明に思い出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年は暗闇の中に居た。

 

 この世界に移り住んで以来、一度も自分から動くことはなかった。

 

 自分の存在がひどく希薄で、ここに存在しているのが自分なのか、それとも別の何かなのか、そんな事をぼんやりとした頭で考える。

 

 違和感しかない世界で、少年は自分の存在を確かめられずにいた。

 

 あの夜以来、少年の心にあったのは疑問だった。

 

 自分の家族が死んだ理由、自分の傍から消えた理由。

 

 自分が見た“何か”。

 

 暗い空に浮かんだ“何か”。

 

 少年には分からなかった。

 

自分だけが残され、家族が消えた理由。

 

 少年は考え続けていた。

 

 考え続けなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――コンコン

 

 

ノックの音が暗い部屋に響く、その部屋の住人はその音にも一切反応を示さない。

 

 音が聞こえてからしばらくは、部屋に変化は無かった。

 

 部屋の外に居るであろう訪問者も、部屋の中にいる住人も、何も動くものはない。

 

 しばらく経った頃、扉の外からかすかに話し声が聞こえてきた。

 

 しかし、その話し声すぐに聞こえなくなり、再び静寂が部屋の中に満ちる。

 

 だが、その静寂はすぐに消え去った。

 

 扉の開く音が聞こえ、暗闇だった部屋の中に光が差し込む。

 

 光に照らされた住人はそんなことに興味は無いとでもいうように、一切の反応を示さなかった。

 

 

「―――」

 

 

「!?」

 

 

 しかし、部屋の中に入ってきた存在に声を掛けられると、住人に大きな変化が現われた。

 

 その顔に浮かんだ感情は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の前で、ロッテとアリアは最後の仕上げに入った。

 

 ロッテは自分たちに出来る事はこれだけだと思い。

 

 アリアは自分たちに出来る事はこれしかないと、必死で自分に言い聞かせた。

 

 そして、扉に手を近付け、ロッテがアリアに視線で問いかける。

 

 その視線に、アリアは一瞬だけ迷いを見せたが、結局頷いた。

 

 その仕草にロッテも頷き、僅かに震える手で扉をノックする。その震えに、アリアはロッテも大きな不安を感じている事を見せられた気がした。

 

 

―――コンコン

 

 

 ノックをしてしばらく経っても、反応は無かった。

 

 もっとも、二人ともその事は予想済みだった。

 

 だからこそ、自分たちはこのようなことをしているのだ。

 

 

「アリア、行くよ」

 

 

「………」

 

 

 アリアはここに来ても尚、自分のしようとしていることに迷いを感じていた。

 

 そのことを感じ取ったロッテは、アリアに向かってもう一度声を掛ける。

 

 

「アリア!」

 

 

 その声で、アリアはようやく部屋の中に入る決意をした。ロッテだけではどうなるか分からない。もしもの時は自分が何とかしようと、無理矢理自分を納得させた。

 

 

「…分かった。行こう」

 

 

 アリアが返事したのを見て、ロッテは扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 二人の目に入ってきたのは、やはりいつもと変わらない場所で、いつもと変わらない姿勢で座っている少年だった。

 

 自分たちが入ってきたのに気付いてはいるだろう。

 

 しかし、少年は何の反応も示さない。

 

 その様子に、ロッテは少年に近付きながら声を掛けた。

 

 ゆっくりと、先ほど見た“映像”のように、少年の名前を。

 

 

「―――」

 

 

 少年の反応は凄まじいものだった。驚いた様子で自分たちを見る。

 

 その反応に、ロッテはもちろん、最後まで行動に疑問を持っていたアリアも安堵を覚えた。

 

 後は、少年に現状から脱するように、語りかければいいはずだった。

 

 しかし、少年の顔に次に浮かんだのは、二人の考えが甘かった事を実感させるものだった。

 

 

「なんで?!」

 

 

―――恐怖

 

 

 少年の顔に浮かんでいたのはその感情だった。

 

 

「どうしてここに居るの?! どうして?!!」

 

 

「え…?」

 

 

「な…!?」

 

 

 二人はその反応に困惑した。自分たちを見て、何故そんなに怯えるのか?

 

 いや、怯えるかもしれないが、ここまで大きく反応する理由が分からない。

 

 だって、自分たちの今の姿は………。

 

 

「どうしてここにいるの?! とうさん! かあさん!」

 

 

 二人は今、少年の両親の姿をしていた。

 

 姿を変える魔法を使い、少年の自宅から持って来た映像記録媒体から、口調や仕草も頭に叩き込んだ。

 

 自分たちの姿は少年に見分けが付かないはずだった。

 

 そう、確かに二人の姿は完璧に両親の姿を真似ていた。しかし、それこそが少年が二人に対して見せる怯えの原因だったのだ。

 

 

「どうしたの? そんなに怖がらなくても大丈夫よ」

 

 

 アリアはどうにかして少年を落ち着かせようと、少年の母親の声と仕草で話しかける。

 

 しかし、少年の動揺は酷くなるばかりだった。

 

 

「なんで?! どうして?! とうさんとかあさんは…」

 

 

「大丈夫。怖くない。な、いい子だから泣かないで」

 

 

 ロッテもまた、父親の姿で少年に声を掛ける。声を掛けながら少しずつ少年に近付くが、その度に少年は部屋の隅へと逃げていく。

 

 アリアは少年がここまで怯えている理由に心当たりが無かった。死んだ人間が自分の前に現われれば誰でも怯えるだろうが、その相手が両親だとすれば、ここまで怯える事は無いはずだ。

 

 しかも、自分たちの姿は完璧に両親の容姿を再現している。虚像や幻ではない、本物の存在感があるはずだ。

 

 それなのにここまで怯えるのは何故?

 

 アリアはその疑問に答えを出す事が出来なかった。

 

 しかし、その答えはすぐに少年から示された。

 

 自分たちに怯えた目を向けながら、少年は自分の体を引き摺るように逃げようとする。

 

 そして、少年の口から、全ての答えが発される。

 

 

「どうして…? とうさんもかあさんも、僕が埋めたのに!!」

 

 

「「!!」」

 

 

 そう、少年の両親と妹を墓石の下に埋葬したのは、少年自身だった。

 

 自分の役目だからと、誰の手も借りずに黙々と埋葬したのだ。

 

 家族の死を理解できずとも、自分のすべき事は少年には分かっていた。

 

 そして、これが自分が家族に触れられる最後の機会である事も。

 

 

「僕が! 僕が埋めたんだ!」

 

 

 二人は何も言う事が出来なかった。ただ、呆然としている事しか出来なかった。

 

 

「もう一度、もう一度お別れしなきゃいけないの?!」

 

 

 父を納める時、少年の体が震えていたのを、誰が知っているだろう。

 

 母を納める時、少年の目に涙が浮かんでいたのを、誰が知っているだろう。

 

 妹を納める時、少年の心がどれ程痛んでいたか、誰が知っているだろう。

 

 家族を納めた時、少年の内にどれ程の感情が渦巻いていたか、誰が知っているだろう。

 

 

「もういやだよ…」

 

 

 少年は家族を納める時、自分の中にある家族との思い出もまた、一緒に納めたのだ。

 

 だからこそ、いままで泣かずに居る事が出来た。

 

 

 

 妹が生まれたときの両親の笑顔も。

 

 自分の運動会で自分たちにいい所を見せようと、父兄参加の競技で必死に走る父の姿と、それを見て微笑む母、そして、大きな声を上げて応援している妹も。運動会の次の日、体を襲う激痛に耐える父に自分と妹が飛び乗り、父が絶叫を上げた事も。

 

 妹がくれた誕生日プレゼントの“かたたたきけん”を握り締め、泣きながら娘は一生嫁にやらんと叫ぶ父を母が張り倒した事も。

 

 自分が作った母の日のプレゼントを、涙を浮かべながら抱きしめている母も。その後、父さんの気持ちも分かるわ、といって自分を抱き締め、いいお嫁さんもらうのよと言って、涙が流れた跡が残る顔で微笑んだ母の顔も。

 

 両親が羨むほど、それこそ一日中一緒に遊んだ妹の顔も。

 

 いつも一緒の布団で眠り、両親の笑みを誘った事も。

 

 二人だけで遊びに出て迷子になったとき、自分の手を握り締めて泣き言一つ言わずに歩き続けた妹の表情も。近所を探し回り、それでも見つからなくて涙を流していた母を慰めていた父の表情も。自力で二人が帰ってきたとき、少年の頬を叩き、そして、ごめんね、ごめんねと謝りながら抱き締めてくれた母の表情も。

 

 少年の描いた絵がコンクールで表彰され、その事を知り合いに会う度に自慢していた父も。

 

 母が大切にしていたアクセサリーを壊してしまい、土下座をして平謝りする父と、それを見て可笑しそうに笑い、しょうがないなぁ、と許している母も。それを見て、首を傾げている自分と妹も。

 

 妹の誕生日に、満面の笑みを浮かべて特大のぬいぐるみを買ってきて、妹がそのぬいぐるみに少年の名をつけた瞬間、表情を凍らせ崩れ落ちた父の姿も。それを慰めながら、父親は二番目にしかなれないのよ、と告げて父に止めを刺した母の姿も。これじゃあ自分は三番目じゃないかと嘆いていた父も。じゃあ、頑張りなさいと言って励ましていた母も。二人そっちのけで、自分にぬいぐるみで遊ぼうと話しかけてくる妹も。

 

 そして、最後の日に見せた、あの笑顔も。

 

 最後の旅行で、家族で撮った写真を。そこにあるはずの笑顔を。

 

 少年は忘れる事で、必死で無かったことにする事で耐えていたのだ。

 

 

 

 

「もういやだよ…。もう、お別れはいやだ…」

 

 

 少年が涙を流さずに嗚咽する様を、二人は自分たちがしてしまった事を後悔しながら見つめている事しか出来なかった。自分たちがこの少年に出来る事は既に無い。

 

 出来たはずの事を、自分たちは捨ててしまったのだ。少年の心を傷つける事しか、自分たちは出来なかった。

 

 自分たちがしたのは、ただ単に少年の心を傷つけただけ、必死に別れに耐えてきた少年を、再び暗闇に放り込んでしまっただけだった。

 

 

「いやだよ…」

 

 

 少年の声が、二人にはひどく遠くに、しかし、鋭い刃のように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、あの子がどこに行ったのか見当は付くか?」

 

 

「分からない…。あの子はこの辺の事知らないし」

 

 

 帰宅したグレアムは、早速リーゼ達に事情の説明を求めた。

 

 しかし、その内容を聞くにつれて、彼の表情はますます硬くなっていった。

 

 そのままの表情でアリアに少年の行きそうな場所を聞くが、答えはあまり芳しくなかった。

 

 少年がこの世界の事を知らないのは分かっていた。知らないという事はその行動の予想も付かない。しかし、自分よりも少年に接する時間が多い二人なら、とグレアムは儚い期待を持って問いかけたのだ。しかし、結果は無残なものだった。

 

 

「こうなったら探査魔法で…」

 

 

「でもロッテ。あの子の魔力知ってるの?」

 

 

「それは…」

 

 

 少年の精神状態を考えて、彼のリンカーコアを調べる事をしなかったのが今となっては悔やまれた。

 

 他の条件でも探査は出来るが、精度は著しく落ちる。自分たちが覚えている少年の魔力で調べてもいいが、少年は今弱っている状態だ。どれ程の効果があるか甚だ疑問だった。

 

 

「でも、近くに居れば分かるはず。あの様子ならそんなに遠くには行ってないよ」

 

 

「そうかもしれないけど…」

 

 

 二人の視線は自然とグレアムに注がれる。

 

 その視線を受けて、グレアムは頷いた。

 

 

「―――分かった。二人はあの子を探してくれ。私は知り合いに話を聞いてみる」

 

 

「うん!」

 

 

「はい!」

 

 

 二人は返事をするや否や、扉を破らんばかりのもの凄い勢いで飛び出していった。

 

 自分たちがしてしまった事を、必死で償おうとしているのだろう。なにより、それ以上に少年の身が心配なのだ。

 

 少年が居なければ償いすら出来ない。二人は自分のした事をまだ謝っていない。

 

 ならば、少年を見つけ出して、許してくれるまで謝るしかない。

 

 彼女たち自身がどう思っているか分からないが、少なくともこの世界で少年に一番感情を傾けているのはあの二人なのだ。

 

 だからこそ、今回の騒動が起きた。

 

 あの二人はするべきことを間違えたのだ。しかし、間違えたのならやり直せばいい。少年が無事に戻ってくれば、それも叶うだろうか。

 

 だが、万が一少年の身に何かが起これば、自分も娘たちも一生後悔して過ごす事になる。

 

 

「……無事で居てくれ……」

 

 

 グレアムが無意識に呟いたその言葉は、彼の娘たちの言葉でもあった。

 

 そして、彼は知人に連絡を取るべく、ゆっくりと、しかし、確固たる意思を持って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後編に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜あとがき〜

 

 皆様こんにちは、悠乃丞です。

 

 今回は昔語りと題しまして、リュウトの過去を描く事と相成りました。

 

 本編へと繋がるまで、彼に何があったのか。彼が何を思って力を求めたのか。

 

 そして、彼が求めている終わりは何なのか。その答えに通じる道をこの昔語りで綴りたいと思います。

 

 今回の短編はリュウトが家族を失った直後から始まります。保険金がいくらになるのかとか、意外と新しい発見もあったりしました。

 

 ちなみに、リュウトのヘタレっぷりは遺伝のようです。

 

 男は母親に似た女性を好きになると言いますが、リュウトの場合はどうなんでしょうね。

 

 

 

 それでは、この辺であとがきを終わりたいと思います。

 

 感想等、いつもありがとうございます。皆様の声で、私のやる気も上がっております。

 

 次回は後編。リュウトがリーゼ姉妹を母と感じ、新たな絆を得た瞬間を描きます。

 

 では、次回でお会いしましょう。