魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS―――
―妹―
彼女―月村すずか―がその公園に向かったのは、ただの思いつきだった。
図書館に寄って本を借り、せっかくだから海浜公園を散歩しようと思ったのだ。
つまり、あそこであんなものを見る事になるとは、神ならぬ彼女には予想する事すら出来なかったのである。
(なんだろう……? あれ…)
公園に入ってすぐ、彼女の目は不思議なものを見つけた。
それは、彼女が良く知っているものであり、同時に初めて見るものだった。
(猫……だよね、なんであんなに集まってるんだろう…?)
確かに、彼女の目の前にあるものは猫だった。正確にいうならば…。
(……山になってる……)
そう、彼女の前にあるのは猫で出来た山だった。
数十匹に達するであろう猫により形成された、高さ一メートル程度の小山。
自宅で多数の猫を飼っている彼女でさえ、これほどまでに密集した猫は見た事が無い。
にゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃー。
特盛りである。
(どうして、こんなにたくさんの猫さんがいるんだろう…)
彼女の疑問に答えるかのように、ネコ山に変化が訪れる。
「……ぁぁぁぁぁ、おもいぃぃぃ……」
「ええ?!」
突如、彼女の目の前の山から人の声が聞こえてきたのだ。
この声に聞き覚えのあるような気がした彼女だが、そんな事を考えている場合ではない事に気が付く。
今現在、このネコ山の下で苦しんでいる人がいるのだ。とりあえずはこのネコ山を何とかしなければ、彼女は決意すると同時にネコ山の撤去を始めた。
ネコ山の撤去は思ったよりも手間の掛かるものだった。どかしてもどかしても次々に新しい猫が加わってしまうのである。
結局のところは、ネコ好きの彼女らしくたまたま持っていた猫用お菓子で、猫を誘導していくという手段で少しずつ取り除いていった。
どうやら、一定以上離れれば猫たちが新たに山に加わる事は無いようで、15分も経つ頃には猫たちはあらかた撤去された。
そして、そこから出てきたのも、ある意味では彼女の想像を超える人物だった。
「いや、助かりました」
「いいえ、大したことじゃありませんから…」
「そんな事はないですよ。下手をしたら、猫を抱いて溺死していましたから…」
「まさか…、そんなことは……」
すずかの目の前にいる人物、それは友人の知り合いであるリュウト・ミナセだった。
そんなリュウトの言葉を否定しようとしたすずかだが、先ほどの山を見ている以上それを否定しきる事が出来なかった。
「それにしても、どうしてあんな状態になったんですか?」
「何故と聞かれましても…。公園で休んでいたら猫が寄ってきまして、その猫の相手をしているうちにいつの間にやら猫たちに囲まれてしまって…」
すずかの疑問に答えるべく口を開いたリュウトだが、その彼自身にも原因は良く分からないようで、その説明は自分自身で状況を整理しているようでもあった。
「囲まれてしまった後、突然猫たちが飛び掛かって来て、ああなってしまったんです」
「そうなんですか…。でもなんで猫たちが…」
「私にもさっぱりです」
リュウトの言葉を聞いたすずかだが、その説明では原因はさっぱり分からなかった。
そんなすずかを見ていたリュウトだが、何かを思い出したように手を叩く。
「そういえば、以前猫の双子に《リュウトは天然ねこじゃらしだぁねぇ》と言われた事が…」
「はい…? ねこじゃらしですか?」
「ええ。《わたし達はいいけど、他の猫には気をつけてね》とか」
なにやら、猫専用の変なフェロモンでも出てるんじゃないかという事らしかった。
確かに、世の中には猫に好かれる人間がそれなりにいるが、ここまで猫に集られる人間はいないだろう。
「今となっては謎のままです。私としてはその双子も原因の一つではないかとにらんでいますが」
かつては猫姉妹に鍛えられた――もしくはいじられた――リュウトである、彼女たちが何かやったのではないかと疑ってしまうのはすでに本能だった。
「それはともかく、本当にありがとうございました」
「い、いえ。どういたしまして」
すずかにしてみればほとんど初対面の人物に、ここまで丁寧に礼を言われては逆に畏まってしまう。
アリサは翠屋で会ったと言っていたが、まさかこんな所で猫に埋まっているとは思わなかった。
「ふむ、何かお礼をした方がいいでしょうかね」
「いいえ! そこまでして頂くわけには…」
「いえいえ、命を救って頂いたのですから、それなりのお礼をしなくては、ね?」
リュウトはすずかに笑いかける。
「本当に、そこまでしていただくわけには…」
そんなリュウトを見たすずかだが、やはりほとんど面識の無い人物にそこまでいわれても困ってしまう。その様子を見たリュウトが、彼女にある提案をする。
「じゃあ、そこの自販機でジュースでも買ってきますよ。それくらいならいいでしょう?」
リュウトの提案は確かに名案に聞こえた。それに、リュウトと直接の面識はなくとも、友人たちからいつも話で伝え聞いている範囲では、特に危険のある人ではない。
そう考えて、すずかは小さく頷いた。
ベンチに座った二人は色々な事を話し始めた。
すずかにしてみれば、少しでも打ち解けたいという気持ちがあったのかもしれないが、それでも共通の話題には事欠かないので、雰囲気は穏やかなものだった。
「今日はどうしてここに?」
「図書館に行ってきたんです。それで散歩でもしようかと思って」
「なるほど、それで私を見つけた、と」
「ええ、猫が集まってるからどうしたのかと思いました」
「邪魔してしまいましたね」
「いいえ、何か目的があったわけではないですから…」
「まあ、そのおかげで助かりましたけどね」
「ふふふ、そうですね。ミナセさんはどうしてこちらに?」
先ほどのことを思い出し二人で笑いあう。そこですずかは、ふと思ったことを口に出した。
「こっちに用事があったんです。フェイトさんが住んでいるマンションがあるでしょう?」
「ええ、わたしも何度か遊びに行きました」
「あそこって元々は管理局で用意した部屋だったんですけど、リンディ提督がこっちに本格的に引っ越すそうで、その確認に来たんです」
「そうなんですか…。じゃあ、フェイトちゃんはずっとこっちに居られるんですね」
「ええ、そうですね」
「よかった。いいお母さんですよね…」
「そうですねぇ。昔から娘が欲しかったようですから。クロノが女装させられたこともありますよ」
見る度に厳しい表情をしている少年の思わぬ真実に、すずかは目をまん丸にして驚いた。
「ええ?! そうなんですか?」
「ええ、もう随分前ですけどね」
「そうなんだ…。想像できないなぁ」
「今度遊びに行ったとき、内緒で写真を見せてもらったらどうですか?」
「え、いいんですか?」
「多分、リンディ姉さんなら喜んで見せてくれますよ」
「姉さん?」
「ああ…、そう呼ぶように言われましてね。おばさんっていうとえらい事になります」
「でも、私たちが言ったときは平気でしたよ」
「友達の母親は、普通おばさんと呼ばれますからね。それに年齢差の所為もあるかもしれません」
「なるほど…、リュウトさんはクロノさんよりも年上ですものね」
「そういうことです。おそらく微妙なラインで姉さんと呼ぶ事になったのでしょう」
「大人って大変ですね」
「そうですねぇ。でも、いつかは月村さんもそうなるんですよ」
「それは、そうですけど…。あ、わたしの事は名前で呼んでください」
そう反論されてむくれてしまうすずかだが、リュウトの自分への呼び方に気が付く。
「は? いいんですか?」
「ええ、月村だとお姉ちゃんと一緒になっちゃいますから」
「ああなるほど。そういうことでしたら」
「ええ、すみません。こんなお願いしちゃって」
「いえ、構いませんよ。名前は大事ですからね」
リュウトの言葉にすずかは笑みを浮かべる。
「そうですよ。月村さんなんて呼ばれたら学校みたいです」
「それもそうですねぇ」
そんなすずかを見て、リュウトもまた微笑む。
「そういうことなら、私も名前で呼んでくださって結構ですよ」
「ええと、本当にいいんですか?」
「はい、私もミナセさんなんて呼ばれたら、仕事を思い出してしまいます」
「あはは…、仕事サボっちゃダメですよ」
すずかは思わず笑ってしまう。友人たちが言っていた通り、優しい人だ。
「大丈夫ですよ。私は仕事一筋です」
「でも、恋人さんとかはいらっしゃらないんですか?」
すずかは自分の姉とその恋人の姿を思い浮かべる。目の前にいる人物も、彼らとほとんど歳は違わないはずだ。なによりも自分の姉が恋人と付き合いだしたのは、彼と同じ歳ぐらいではなかっただろうか。
そんな事を思いながら、すずかはリュウトの顔を見上げる。二人の身長差では、隣に座るとすずかがリュウトを見上げる形になってしまうのだ。
「エイミィにも言われるんですけどね。青春を無駄遣いするなって」
「じゃあ…」
「ええ。恋人はおろか、女友達もほとんどいません。なにより私の周りには私より年下の人間なんてほとんどいませんし」
「でも、なのはちゃんとか居ますよね?」
「彼女たちを恋人にするには、まだまだ時間が必要ですし。普段はあまり会いませんからね」
「そうなんですか? てっきり同じところで働いてるんだと思ってました」
すずかには、なのはたちから知らされる情報しかない、管理局の形態が分かるはずも無いだろう。
「同じ組織で働いてはいますけど、彼女たちとは別の部署ですからね」
「はあ、そうだったんですか」
「まあ、あまり管理局のことは詳しく言わないように言ってありますから」
管理外世界の人間に、管理局のことを教えるのは基本的に禁止されてる。
すずかとアリサは以前の事件に巻き込まれたことで、その存在を知らされた。つまり例外ということだ。
それに場合によっては、その情報が彼女たちを危険に晒すかもしれない、そう考えての判断だった。
「もっとも、なのはさん達も、私が日頃どこで何をしているか知らないのかもしれませんね」
リュウトの言葉はある意味では真実だった。彼の仕事は機密部分が多い、その為に、なのはたちはリュウトの仕事の大部分を知らない。せいぜい自分たちの上の方に居るという事ぐらいしか分からないだろう。
それでも最近は、リュウトはなのは達と訓練したりしているし、一緒の仕事をしたりもする。
おそらく、すずかの聞いたのはこのあたりの事だろう。だから、リュウトとなのはは一緒の職場だと思っていたのだ。
「そう、だったんですか…」
「ええ、ですから、恋人なんてとてもとても…」
「勿体ないですね。リュウトさんかっこいいから、職場でももてるんじゃないかと思ってたんですけど」
「あいにくとそんな事は無いですよ。何よりも仕事が忙しくて、それどころじゃないので」
リュウトが疲れた表情で答える。仕事がそんなに大変なのだろうか? すずかはこの青年がどのような仕事をしているのか、どうしてその仕事に就いたのか疑問に思った。
「大変なんですね。でも、アリサちゃんはダメ男って言ってたのに、全然違うんですもん」
「……だ…ダメ男……。やっぱりそう思われていたんですね…」
それを聞いたリュウトはガックリと肩を落とした。ひょっとしたら面と向かって呼ばれるより辛いかもしれない。
リュウトの様子を見たすずかが慌てたようにフォローする。
「で、でも、アリサちゃんも本気でそう思ってるんじゃないですよ」
「そうでしょうかねぇ…」
すでにリュウトの背後にはどんよりとした空気が漂っている。娘に相手にされなくなった父親のようだ。
「そうですよ! ダメ男だけど、信じる事は出来るって言ってましたから」
「ダメ男は確定なんですね…、はあ…」
「きゃあ! ごめんなさい! 違うんです。そうじゃなくて!」
「いいですよ…。ある意味正しいでしょうから…」
「ですから! アリサちゃんがダメ男っていうのは照れ隠しみたいなものです」
すずかの必死の説明にリュウトは少しだけ顔を上げる。
「照れ隠し…、ですか」
「そうです!! きっとアリサちゃんなりに親しみを込めた呼び方なんです!」
「それは嬉しいですけど…、他にも呼び方があるんじゃないですか?」
「うっ…。確かにそうですけど…」
リュウトの反論に思わず言葉に詰まるすずか。その時、彼女はなんで自分がこんなことしてるんだろうと不思議に思った。
「あ!! でも、アリサちゃん、リュウトさんの事名前で呼んでるじゃないですか!」
「そういえばそうですねぇ。一度しか呼ばれていませんが…」
「それでも、アリサちゃんが名前で呼んだって事は、リュウトさんのこと悪く思ってるはずはありません!」
「だといいですけど…」
「大丈夫です! わたしだって今日初めてお話したけど、リュウトさんのこといい人だって分かりますから!」
「あ、ありがとうございます」
思わぬ気迫のすずかに押されるリュウト、実際の体勢も押されているが。
そこで、すずかは自分がリュウトを押し倒さんばかりに近づいている事に気がついた。
「ひゃあああッ!! ごめんなさい! わたしったら…」
「いえ、そこまで言ってもらえて嬉しいですよ」
真っ赤になって俯いてしまうすずかの頭を、リュウトは優しく撫でる。その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「え、え、あ…」
すずかは自分の頭を撫でる手の感触に、思わず声を漏らす。姉である月村忍には幾度も撫でられたが、リュウトの手の感触はそれとは随分違うもののように感じられた。
そんなすずかの様子を見て何かを思ったのか、リュウトはすずかの頭を撫でていた手を離した。
「…?」
「すみません、つい…」
リュウトはすずかに申し訳なさそうに謝る。最初は何故謝るのか分からなかったすずかだが、それが自分の頭を撫でたことだと察すると慌ててリュウトに言う。
「いいんです。気にしないで下さい!」
「でも、許可もなしに女性の体に触るのは、あまり褒められたものじゃないでしょう?」
すずかはそんなリュウトの言葉を否定した。
「別に悪い事しようと思って触ったわけじゃないんですから。気にしなくていいんですよ。それに…」
「それに…?」
「頭撫でてもらって、わたし嬉しかったですから」
すずかの顔に浮かんだ笑顔に、リュウトは僅かに驚きの色を見せた。
「そう、ですか。それは良かった…」
「ええ、ですからリュウトさんが謝る必要はないです」
すずかの笑みをみて、リュウトは思わず彼女の頭を撫でてしまったその理由に思い至る。
「なるほど…、そういうことだったのか…」
「え? どうかしましたか?」
リュウトの思考は、彼が気付かないうちに外に出てしまっていた。その言葉を聞いたすずかが彼の方に顔を向けてくる。
「いいえ…。随分と懐かしいことを思い出しまして、ね」
「懐かしい…ですか?」
「ええ、先ほど貴女の頭を撫でてしまった理由です」
「ええと…、聞いてもいいんですか?」
すずかは自分が彼の過去に触れていることに気がついた。そしてそれは、彼にとってもいい思い出とは言い切れないもののようだ。
「そうですね。すずかさんには聞く権利があるかもしれません」
「いえ、そんな…」
「まあ、そこまで気にすることはないです。単なる思い出話ですから」
「…そうですか…」
そして、リュウトは己の内に浮かんだ事を語り始めた。
「私には、妹がいたんですよ」
リュウトが語り出した事、それはすずかが知る由も無いことだった。
なのは達から聞いた話では、彼に妹が居たなんてことは聞いていない。なのは達も知らないのか、それとも話す事を躊躇ったのか。
その理由は、すぐに気がついた。
妹がいた。
それではまるで…。
「貴女が考えた通りです。私の妹はすでにいません」
「それって…」
「死にました。もう随分昔になります」
「っ!!」
思わずすずかはリュウトの顔を見る。しかし、そこにはあの笑みはなかった。そして、表情もまた無かった。
「私の両親は、忙しい人でしてね。家にいてもばたばたしちゃって、私はいつも妹と一緒に遊んでいました」
「…………」
「妹が私の事をどう思っていたのかは分かりません。ですが、私は妹を自分の宝物のように思っていました」
「たからもの…」
すずかの口から無意識に言葉が出る。
「そうです。両親は私たちを愛してくれてましたし、その両親の代わりに妹を守るのは自分だって子供心に思ってました」
そう語るリュウトの表情は穏やかなものだった。遠くに見える雲を見ながら、言葉を続けていく。
「私達は両親が苦笑してしまうくらいに仲が良かったようです。父がそう愚痴っていたのを覚えています」
「………」
すずかは自分がこの話を聞いていいのか、未だに分からないでいた。でも、聞かなければ後悔してしまう、そんな気がして彼の話に耳を傾け続けた。
「その後、妹は事故でこの世を去りました。私は妹を守れなかった…」
「でもそれは…」
「ええ、仕方の無いことだとは思っています。ですが…、それでも思ってしまうんです」
「何を…ですか?」
すずかは彼がなにを思ったのか、おぼろげながら理解できた。しかし…。
「私が代わりに死ぬことは出来なかったのかと…」
「………す」
すずかは心の底から、何かかがこみ上げて来ているのを感じる。
「…すずかさん?」
「……め…す」
そして、それと同時に口からも言葉が漏れる。
「…どうしました?」
「だめです…、えぐ…そんなの、だめです…ぐす…」
「すずかさん!?」
すずかの目から零れ落ちる涙に、リュウトは驚愕した。
目の前で泣かれれば誰でも動揺するが、彼の場合は今までの人生の中でこのような場面に遭遇した事は全くといっていいほど無い、それ故にリュウトは目の前で泣いているすずかに軽くパニックを起こしていた。
まごうことなきヘタレである。
「す、すずかさん?! どうしました? わ、私、何か気に障ることでも?」
すずかの涙をポケットから取り出したハンカチで拭きながら、リュウトは問いかける。ヘタレではあるが、紳士たれと躾けられた――洗脳された?――体はしっかりと仕事をこなしている。いきなり涙を拭ったのが紳士かどうかは微妙だが、やはり体も動揺していたのかもしれない。やはりヘタレである。
「…ぐす…そんな事言わないでください…」
すずかは涙を拭われるまま、決して大きくは無い声で懇願する。
「…わたし知ってます。フェイトちゃんやはやてちゃんを助けてくれた事…。二人ともクロノさんやリンディさんと同じくらいリュウトさんに感謝してます」
彼女の言葉に、リュウトは動きを止めた。
「リュウトさんがいなかったら、二人とも今と同じようにはいられなかったと思うんです」
リュウトのハンカチを握る手がわずかに震える。しかし、すぐに震えは消えて無くなった。
「それに、わたしも妹だから分かります。もしも、妹さんの立場だったら…、わたしもそう思っていたかもしれません。わたしが死ねばよかったと…」
リュウトは驚いたようにすずかの顔を見る。
「でも…、リュウトさんはそんなこと望まないでしょう?」
「…ええ」
「だから、もうそんなこと言わないで下さい。もしも出来るなら、考えないで下さい」
リュウトは目の前の少女がひどく大人に思えた。時として少女は大人になると聞いた事があったが、まさか自分が体験する事になるとは思わなかった。
「……そう、かもしれませんね…。私が間違っていたのかもしれません…」
「すみません…。こんな風に知ったような口を利いて……」
リュウトは、申し訳なさそうに視線を落とすすずかに、いまどうすればいいのか、なんとなく分かった。
そして、かつて妹にしたように彼女の頭を撫でた。
「え?」
自分が撫でられている理由が分からないすずかは目を白黒させる。
「…ありがとうございました。本当に……」
リュウトの顔に浮かんでいる笑顔、それは今までのどの笑みとも違う笑みだった。
「………」
その笑みを見たすずかは、それが彼の妹に向けられていただろう笑みだという事に気がつかなかった。
ただ、普通の青年の顔だと、そう思った。
「ハンカチ、汚してしまいましたね…」
「気にしないで下さい。役に立ってハンカチも本望でしょう」
「ふふ…」
先ほどの空気とは打って変わって、二人はのんびりと言葉を交わす。
「そうだ…。ハンカチ洗って返しますね」
「無理する事ないです。そのまま返して頂ければこちらでやりますから」
すずかの手には先ほど彼女の涙を拭ったハンカチが握られていた。自分で拭いたほうがいいだろうとリュウトがすずかに貸したのだ。
「いえ! そこまでしていただかなくても結構です!」
「…そうですか? じゃあ、なのはさん達に預けてくだされば多分大丈夫ですから」
「分かりました。…あの……、ご迷惑でなければ、ご連絡先教えてもらってもいいですか?」
この質問をするとき、すずかはここ最近で一番勇気を使った。自分がこの青年に何かをしてあげられた、そう思う気持ちが彼女にこの質問をすることの後押しをした。
「…………」
リュウトからの返答が無いことに気がつき、自分がなにかとんでもない事を言い出したんじゃないかと思い始めたすずかだったが、リュウトはそんな彼女の気持ちなど知らずにあっさりと答えを返す。
「そうですね…。なのはさん達の事もありますし、こちらの人に連絡手段を持って貰うのは理に適っているでしょうし」
「いいんですか?!」
リュウトの返答はすずかにとって良い事のはずなのに、彼女は思わず驚きの声を上げてしまった。もっとも、リュウトの存在の特殊性を鑑みれば当然の反応かもしれないが。
「ええ、構いません」
そして、驚くすずかにリュウトは自身の携帯通信端末に通じる番号を教えた。これはハラオウン家にある中継器を介することで、リュウトが管理局やその他の場所にいても通信ができるものだった。見た目は携帯電話とさほど変わらないが、その性能はすでに次元が違うものだといえるだろう。
「普通の電話やメールと同じようにして下されば、問題はないはずです」
「はえ〜、すごいんですね」
「なのはさん達の携帯電話にも、同じような機能を使っていますけどね」
「そういえば、なのはちゃん達がクロノさんとかと電話してるの見た事あります」
「多分、それでしょう」
本来なら一民間人であるすずかにこの番号を教えるのは、いささかどころかかなり不味い。もしも管理局内の対抗勢力に知られれば、管理外世界への情報漏洩の責を問われるかもしれない。無論、リュウトはそんなことは織込み済みだったが。
「でも、本当にいいんですか? 管理局の人に怒られませんか?」
「まあ大丈夫でしょう」
「ならいいんですけど…」
心配げなすずかにリュウトは問題ないと笑いかける。それを見てすずかもようやく納得したようだ。
「リュウトさんて不思議な人ですよね」
「不思議、ですか…?」
「ええ、ここにいるのが不思議…、というか、本来なら出会うはずも無かったんですよね」
「……そうかもしれませんね」
(あるいは、別の場所で出会っていたかもしれませんけどね…)
リュウトの心の声は、もちろんすずかには聞こえない。
それでも、彼女はリュウトに笑顔で言う。
「でも、こうして会えたんですから。これからも会えたらいいですね」
(それでも…、私はここにいる)
「ええ、そうなったらいいですね」
リュウトもまたすずかに笑顔を向ける。
二人の間を、穏やかな時間が流れていた。
しばらく雑談をしていた二人だが、すずかがそろそろ帰らなくては、ということで公園の出口まで送ることになった。
月村家の人間が車で迎えに来るということだったので、二人は公園の出口でしばし時間を潰す。
「今日は楽しかったです」
「こちらこそ、助けていただいて感謝していますよ」
「ふふふ…。でもうちに招待するのはやめた方がよさそうですね」
「そういえば、すずかさんのお宅は猫を飼っていらしてるんでしたね」
「ええ、結構な数がいるのでリュウトさんが来たら…」
「猫の、猫による、猫のための革命が起こりそうですね…」
「…ええ、残念です」
すずかは心底残念そうに、声を沈ませる。
そんなすずかを見たリュウトが殊更明るい声で答える。
「そうですね…。とりあえず猫よけの魔法でも探してみます」
すずかが驚いたように顔を上げる。
「ですから、そのうち招待していただけますか?」
「はい!!」
驚きの表情からうって変わって、満面の笑みを浮かべるすずか。
それと同時に、彼女の向こうに黒い高級車が入って来るのがリュウトには見えた。
ハラオウン家のマンションまで送って行くというすずかの申し出を、リュウトは丁重に断った。
ここで帰ったらリンディになにをやらされるか分かったものじゃないからだ。すでに、実の息子であるはずのクロノは仕事に逃げている。
管理局に戻れば嫌でも仕事の山が待っているのだ。ここでこれ以上体力を使うのは出来れば避けたい所だった。
「それじゃあ…、失礼しますね」
「はい。さようなら、すずかさん」
「また今度、うちに招待しますね」
「ええ、楽しみにしています」
「じゃあ、また…」
車の後部ガラスを開けて話していた二人だが、次回の再会を約束して別れを告げた。
しばらくの間、車に向かって手を振っていたリュウトだが、車が見えなくなったあたりで手を振るのをやめ、公園の中へと戻っていった。
(しばらく時間を潰して帰りましょうかね…。晩御飯は姉さんが作るっていってたから、それなりに期待しておきましょうか)
公園に入っていくリュウトは、自身がいくつもの双眸に見つめられていることに気が付かなかった。
おまけ
「〜〜〜♪ 〜〜♪」
「…どうしたのすずか? いやにご機嫌じゃない」
「え!? べ、別になんでもないよ」
「嘘ね。正直に吐きなさい」
「う、嘘じゃないもん…」
「へええ……。そういうこというんだ」
「本当になんでもないもん!」
「そう……なんだぁ」
「………っ!!」
「それじゃあこのハンカチは誰のかしら?」
「ええ!? どうしてお姉ちゃんが持ってるの?!」
「ファリンがね、部屋に落ちてたって」
「そ、それは…」
「それはぁ…?」
「わ、わたしのだもん!」
「そうなの…?」
「そう!」
「ふうん……、R・Mね…」
「!?!?」
「しかも男物だし…」
「あうあうあう…」
「ノエルもファリンも見た事ないそうよ。このハンカチ…。だからこそ私が預かったんだけどね」
「ううぅぅ〜〜…」
「さあ、正直に言わないと、このハンカチは返さないわよ」
「………」
「さあさあさあ」
「………」
「ほらほらほら」
「……借りたの……」
「ほうほう、このR・Mって人に?」
「そう…。正直に言ったんだからもう返してよ…」
「もちろん返してあげるわよ。でも…」
「………?」
「それってどんな人? それだけ聞いたら返してあげる」
「…本当?」
「本当よ」
「……猫…」
「は? 猫??」
「うん、すごく猫に好かれる人…。それで、本当に優しい人」
「ふ〜ん、なるほどねぇ」
「ほら、返して…」
「はいはい」
「はあ、お姉ちゃんに見つかるなんて……」
「んふふふ、いや〜良かった」
「? なにが?」
「いえ、これで何の心残りも無くお嫁にいけるわぁ…」
「およ…!? なんで?!」
「いやぁ、そうかそうか、うんうん」
「お姉ちゃん?! ねえ、どういうこと??!」
「気にしないで〜」
「お姉ちゃん!!」
「ふふっふふふ」
「お姉ちゃんってば!!」
「ふふふのふ」
「ねえってば!!」
今日も月村邸は平和だった。
おまけその2
にゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃーにゃー。
「……ぅぅぅぅ、おもいぃぃぃぃ……。……だれかぁぁぁぁぁ……」
超特盛りである。
END
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
さて、今回のお話は前回の予告通りに月村すずか嬢のお話でした。
リュウトの変な能力も明らかになったりしましたね。
あれが、リーゼ達によるものなのか、それとも天然なのか、いつか分かるかもしれませんが、とりあえずは謎と言う事で。
閑話休題。
さて、すずか嬢との邂逅を果たし、月村邸への切符を手に入れたリュウト君ですが、そこで待ち受けるは猫です。リュウト君の天敵ともいえる猫、月村邸は猫に守られた城砦と言えるでしょう。リュウト君にとっては、ですが。
アリサ嬢にもすずか嬢にも気に入られたリュウト君ですが、彼女たちが恋愛感情を持っているわけではありません。
年頃の男子女子が年上の異性に憧れるようなものです。
まあ、未来のことは分かりませんけどね。
さて次回は、リュウト君月村邸攻略の巻です。
猫にやられてしまうのか、それとも別の人間にやられてしまうのか、はてまたメイドにやられてしまうのか。
もしくは普通に終わるのか。
それでは次回をお楽しみに。