魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS―――
―本音―
その日リュウト・ミナセは翠屋でまったりとした午後を過ごしていた。
常日頃、仕事の虫になって管理局で過労死寸前まで労働している彼が何故こんなところにいるのか?
一言で言ってしまえば暇を持て余したからだ。
何の因果か珍しく仕事が早く終わってしまい。さらに何の因果かこの世界にふらりと立ち寄ってしまったのだ。
もはや、誘蛾灯に引き寄せられた虫といってもいい。それほどまでに彼の本能は休息を求めていたのだ。
喫茶翠屋に入って小一時間。仕事の資料ではなく、この店にあった新聞を読みながらリュウトは平穏の意味をかみ締めていた。
ここの店主で、なのはの母親でもある高町桃子は、リュウトのその様子を微笑みを浮かべながらカウンターの中から眺めているだけで、話しかけてくるようなことはしなかった。
(…ああ、これが平和……)
職務中は常に気を張っていなければならず、ほとんど気の休まる間がない。もはやここでは、リュウトはただの青年に戻りつつあった。
カランコロン
「いらっしゃいませ〜」
リュウトが完全に向こうの世界の住人になる前に、店内に新たな客が入ってくる。
そして、それは彼も知っている人物だった。
「あ、こんにちは。なのはもう来てますか?」
アリサ・バニングス。
なのはやフェイト、はやての友人で、リュウトも一応の面識はあった。もっとも、なのは達に紹介された後すぐ仕事が入ってしまい、ろくに話も出来なかったのだが。
「ごめんなさいね。なのは、まだ帰って来てないみたいなのよ。よかったらここで待ってて?」
「はい、ありがとうございます。……あれ?」
桃子に礼を言って店内を見たとき、アリサの方も店の奥にあるテーブルでお茶を飲んでいるリュウトに気がついたようだった。
アリサは彼のいるテーブルに近付いてくる。
「どうも、こんにちは。バニングスさん」
「ええ、こんにちは、なのはの上司さん。ご一緒してもよろしいかしら?」
「もちろんですよ」
アリサの言葉を受けて、リュウトは笑みを浮かべながら返答する。それと同時に椅子から立ち上がり、反対側にある椅子を引いた。
「どうぞ、小さなお嬢さん」
「ありがとう」
アリサは引かれた椅子に静かに腰掛ける。その仕草はどこか育ちのよさが垣間見えた。
「ふふ…、まさか上司さんに椅子を引いてもらえるとは思わなかったわ」
「女性に対する礼儀は厳しく躾けられましたからね。もっとも躾けた当人たちは女性と認められるか微妙なところですが…」
笑いを堪え切れない様子のアリサに、リュウトは自身の師でもあった双子を思い出していた。
「ふうん、てっきりいつもこうして女を口説いているのかと思ったわ」
「勘弁してください。生まれてこの方、女性を口説いたことなどありませんよ」
「…そう、まあいいわ」
苦笑を浮かべるリュウトに、アリサはどこか複雑な表情を浮かべる。
「そんなことより、どうしてこんな時間にこんなところにいるの?」
「仕事が早く終わりましてね。局にいても休めるとは思えないので、こちらに来たんです」
「そっか。じゃあ、なのはを呼びに来たわけじゃないのね」
「ええ、少なくともなのはさんに用事があったわけではありません」
リュウトの言葉を聞いて、アリサは何処か安心したような表情になった。
「なのはさんとお約束でも?」
アリサの表情を見て取ったリュウトが疑問を発する。
「…ん〜。それもあるんだけど…」
彼女の表情が僅かに曇った。目の前の人物に自らの心の内を話してもいいものか、今までリュウトとほとんど面識が無いアリサには判断がつかない。
「……ふむ。桃子さん! 紅茶おかわりお願いします。それと、このお嬢さんにケーキセットを」
アリサの懊悩を知ってか知らずか、リュウトはマイペースにカウンターに向かって注文する。
そんなリュウトにアリサは驚きの声を上げた。
「ちょっと! あたしがあなたにご馳走してもらう理由はないはずよ!」
「理由ですか…? そうですねぇ。まあ、可愛い部下たちの友人にご挨拶ってことで…」
「そんなの理由にならないわよっ! あんた、あたしを馬鹿にしてるの?!」
すでに驚きから怒りに変わり始めているアリサ。それでもリュウトは全く気にしていない様子だ。
「他の理由…。じゃあ、大切な妹分たちの友人にご…」
「さっきと変わってない!!」
「…じゃあ、たまたま会った知り合いの可愛い子にごあ…」
「それじゃ、ナンパでしょ!!」
「…なのはさんたちが日頃お世話になっている人にお礼…」
「あんたはあの子らの親かっ!」
「………?」
「………!!」
「………」
「………!!!」
喧々諤々。もはや、最初の静かな雰囲気は消え去り、そこにはボケとツッコミがいるだけだった。
「お待たせしました。ケーキセットです」
「えっ?!」
「ありがとうございます、桃子さん。すみません、お騒がせして」
「いいのよ。平日のこの時間はお客さんもいないし、何より楽しいし、ね」
アリサが自分のおかれている状況に気がつき、真っ赤になって俯いている間。リュウトは桃子と和やかな雰囲気で会話していた。
「アリサちゃん。折角だからご馳走になったら? この人ちょっと変だけど悪い人じゃないわよ?」
リュウトとひとしきり話し、アリサの様子に気がついた桃子が彼女にケーキを勧める。
「…でも…」
あそこまで騒いでしまった以上、これを口にするのはどうしても彼女の矜持が邪魔をしてしまう。しかし、そんな彼女の目は、目の前のケーキに釘付けになってしまっていた。
「そうねぇ。じゃあ、知り合いのお兄さんと偶然会って、ケーキをご馳走になったって事で良いんじゃないかしら?」
「でもそれじゃあ…」
「そんなに拘らなくてもいいと思いますよ。女性にご馳走するのは男の義務だそうですから」
「「ええっ!?」」
「以前エイミィに聞きました。女性に何かを差し上げるのは挨拶と一緒だと…」
「いや、それ絶対騙されてるから…」
「そうよねぇ…」
「……え?」
リュウトの驚愕の表情という、彼の使い魔すら滅多に見ることのできないレアものを見た二人だが、当人はそれどころでなかった。
「…騙された……また騙された……。…仕方が無い…そっちがその気ならば此方にも考えがあります……」
二人は「次のボーナスで驚倒しなさい…」と、そこはかとなく黒い空気を漂わせているリュウトに声をかけようかかけまいか迷っていた。
「…申し訳ありませんでした。もう落ち着いたので大丈夫です」
「そう…? 貴方がそういうならいいけど…」
意を決した二人が話しかけようとした丁度そのときに、リュウトは正気を取り戻した。桃子に心配そうな視線を向けられながらも、リュウトは平気だと示すように顔の横で軽く手を振る。
アリサはそんな様子を見ながら、心の内に浮かんでいた疑念が少しづつ薄らいでいくのを感じる。
それと同時に湧き上がってきたのは小さな、しかし確かな笑みだった。
「……ふふ、ふふふ、あははは…!!」
「…? どうしました?」
「あはは…。ごめん、突然笑ったりして」
「いえ、そこまで私の行動が滑稽だったのかとちょっぴり凹みましたが、特にバニングスさんが謝ることはないですよ」
「違う違う。今笑ったのは貴方に対してじゃなくて、自分に対して」
「自分…ですか?」
「うんそう。こんな事で悩むなんて、あたしらしくなかったなぁ〜、ってね」
「はあ」
二人の様子に安心したのか、桃子は静かにカウンターへと戻っていく。その顔には自分の子供たちを見るような優しい微笑が浮かんでいた。
「それは、まあいいのですが。ひょっとして、その悩みは私に関係のあることですか?」
笑った所為で気が晴れたのか、フォークを握ってケーキを食べ始めるアリサに、リュウトは問いかける。
「んん〜、半分くらいはあたりかな。上司さん自身のことでもあるし、そうでないともいえる。なぞなぞみたい」
「つまりは、私に付随する何かに対しての悩みということでしょうか」
「そうね。きっとそんなところ」
ケーキを口に運びながらアリサはリュウトの問いに答える。良家の令嬢としてはあまり褒められたものではないが、すでに先ほどの大笑いでそんな見栄も吹き飛んでしまった。
「先ほどから、私になにか言いたげな視線をしていましたからね。最初は慣れていないだけかと思いましたが、それにしては様子が妙でしたから」
「さすがね。なのは達が言ってた通り」
「と、いうと?」
首を傾げるリュウトに、アリサはにやっと得意げな表情で答える。
「優しくて、強くて、厳しくて、そして鋭いって」
「なるほど、そう思われてたんですねぇ。私は」
「もっとも、あたしはそう思ってなかったけどね」
「ほう?」
アリサはリュウトの目を見つめながら真剣な声で告げた。
そんなアリサの瞳に強い光を見つけると、リュウトは僅かに驚きながら目を細める。
「さっきの悩みっていうのは、そのことなの」
「………」
「あたしは、なのは達は大事な友達だって思ってる」
「それは彼女たちも同じでしょう。だからこそ魔法のことを話した」
「わかってる。でも、リンディさんの事は知っていても、あなたのことは知らなかったから…」
「………」
リュウトはアリサの疑問がなにか気付いた。それでもリュウトはこの少女の言葉を待つ。
「あの子達が命を預けているのがどんな人なのか、あたしはそれが知りたかった。この前会った時にはほとんど話せなかったし…」
「あの時はすみませんでした。どうしても戻らなくてはならない事態だったもので」
「いいの。なのは達も仕方ないって言ってたし、あたしもそう思ってるから」
「そうですか」
「ええ。それで、あなたがここにいたとき驚いたの。まさかいるとは思わなかったから」
「まあ、私もここでバニングスさんに会うとは、思いもしませんでしたから」
なのはさんならともかく、と続けるリュウトにアリサは、そうね、と返す。
「本当は心配してたの。あの子たちは素直だから、騙されて戦わされてるんじゃないかって…。リンディさんは確かにいい人だけど、あの人だけの命令で戦っているわけじゃないでしょう?」
リュウトはアリサの言葉に頷く。
「あたしも両親が会社をやってるから少しは知ってる。人って偉くなると他の人を利用したり平気でするようになるから。もしかして、なのは達も偉い人に利用されているんじゃないかって…」
「それで私に真相を聞こうと思ったんですね」
アリサは小さく頷く。
「…リンディさんに聞いたの、あなたのこと。自分たちはあなたの命令で動くって」
アリサの言葉は確かに真実だった。合議で方針を決める管理局だが、その実行部隊への命令は管理局の総意を受けたリュウトをはじめ幾人かの人間が出している。
もちろんリュウトの上にも何人もの人間が居るが、彼らが命令を出すことは滅多に無い。越権行為とも取られかねないし、何よりも命令には責任が伴う。それを果たせないような人間は命令を出さないし、果たせる人間は自分から命令を出したりしない。現場と本局上層部をつなぐ人間が管理局の方針に従い命令を下すのだ。
そして、リュウトはその立場にいる。上層部と呼ばれる集団の末席に座り、現場の人間を指揮する。執務官長と比べればその権限はいくらか小さいが、それでも預かっている命は数多い。
だからこそ、リュウトはアリサの気持ちが分かった。
「心配でしょうね。大事な親友たちの命が、赤の他人に握られている」
顔を俯かせていたアリサは驚いたように顔をあげる。
「私も、同じ気持ちを味わったことがあります。そして、今は別の気持ちも抱いています」
「………?」
「かつては何人もの人と同じ現場に立って、共に戦いました。そして別れを経験したこともあります」
「別れ…」
「ええ。別れを経験したとき、自分の無力さを嘆きました。そして、少しでも強くなろうと思ったものです」
「………」
「そして今は……。家族と呼べるかもしれない人たちの命を預かっています」
「!!」
「家族のいなかった私にとって、彼らはかけがえの無い人たちです。それでもいつか、『死ね』と命じねばならないかもしれません。私の師のように…」
「そんな…」
「ですから、貴女の心配はもっともです。私は、貴女の親友の命を握っています」
「でも、あなたはなのは達を守ってくれたんでしょう?」
「利用できるから、助けたのかもしれませんよ?」
「…違う。よく分からないけど、あなたは違う!」
アリサは再び顔を俯かせながら叫ぶように言った。
「……どう違うというのです。私は貴女が懸念している人間かもしれないんですよ」
「…違うって言ってんでしょ!!」
「!!」
急にテーブルに身を乗り出したアリサに、リュウトは僅かに身を引く。
カウンターではアリサの声に驚いた桃子がこちらを窺っていた。しかし、アリサは周りの状況など目に入らないのか、そのまま声を荒げる。
「確かにあたしはあんたが信用できなかった! でも、なのは達は信じてる!」
「だから私の事も信じるんですか?」
「最初はそうだった。でも、あんたに会ってからは良く分からなくなった…」
「………」
「あたしの事を最初に変に子供扱いしたと思ったら、それ以外では子供扱いしなかった」
おそらく、小さなお嬢さんと言った事と、ケーキの事だろう。確かにあのとき、リュウトはアリサを普通の女性として扱った。
「あたしが今まで見てきたような、上っ面だけ優しい嫌な奴かと思ったけど、あたしの質問をはぐらかしたり、誤魔化したりしなかった」
「それは…」
アリサはリュウトの言葉を遮る。
「それに…、あんたは泣きながら話してくれた!! 家族が居なくなるのは嫌だって、怖いって!!」
「私はそんなこと…」
「言ってた! 口ではそうは言ってなかったし、涙も流してなかった。でも、あたしでも分かるくらいに心は泣いてた!!」
「………」
すでにそう言っているアリサの方が、泣きそうだった。
「だから、あたしはあんたを信じる。なのは達が信じてるからじゃない。あたしがあんたを信じることが出来るって思えたから」
「………」
「………」
「………」
「…気にしないでいいわ。あんたは今までと変わらないでいてくれれば、それだけであの子達は安心して自分のすべきことが出来るから」
「そう、ですか」
「ええ、そうよ」
さっきまでの表情はどこかへ消え、アリサは自信ありげに胸を張る。
そんなアリサを前に、リュウトは顔にこそ出ていないが、心の内は驚きが充満していた。
(…ここまで見透かされたのは久しぶりかもしれない。さすがというべきか、彼女たちの親友だけのことはある。それにしても…、何故…?)
「どうしたの?」
「いえ、どうして私が泣いているなんて思ったんですか?」
リュウトの質問にアリサは首を傾げながら答える。
「そういえばなんでだろう? こうなんていうかそう思ったっていうか…」
アリサの答えはどんどん小さくなっていく。最後の方などすでに聞こえないくらい小さくなってしまっていた。
「そんな目で見ないでよっ! 私だって良くわかんないんだから」
「…う〜む、ん? もしかしたら…」
「え?」
アリサはリュウトの顔を覗き込む。
「二人とも、本音だったからじゃないでしょうか」
「本音?」
「そうです。二人とも本音で話したからこそ、お互いの真意が見えた」
「ま、まあ、納得できる説明よね。でもあたしは…」
「本音だったでしょう? これでもそれなりの修羅場は潜っています。相手が嘘を吐いているかどうかくらいは分かります」
リュウトの声にアリサは真っ赤になった。
「…そうよ。悪かったわね…」
「は?」
「悪かったわねって言ったのよ!! ああもう! 初対面同然の人間に説教するなんて、なんでこんなことしちゃったんだろう…」
「あの…」
「なんでよ…。最初は普通だったじゃない。それなのに…、それなのに……」
突然頭を抱えだしたアリサに、リュウトはどうしていいか全く分からない。
「ううう〜。このアリサ・バニングスともあろうものが…」
「バニングスさん?」
「しかもよりにもよって、ここでやらかすなんて…」
「もしもし…?」
「ああ〜、一生の不覚だわ…。しかもこんな冴えない奴に…」
「さ、冴えない…」
「いい歳して泣くような男に、あんな姿を…」
「ですから、泣いていた訳では…」
「……どうしよう……」
「……どうしましょうね……」
噛み合っているようで、全く噛み合っていない二人だった。
ようやく落ち着いた二人――正確にはアリサ――は、今までの雰囲気が掻き消え至極和やかな空気だった。
アリサの方はどうやら今までの会話を忘れることにしたらしい。
「それにしても、上層部の幹部って聞いてたからもっと年上だと思ってたんだけど、意外と若いのね」
「まあ確かに、この歳でこの立場にいる人間はそうはいないでしょうね」
「やっぱり大変だった?」
「ええ、そりゃあもう大変でしたよ。味方に殺されるかと思いました」
「やっぱりそういうもんなのね。ドラマとかでもよくあるしね」
「…いえ、そういう意味では無いんですけど…」
「へ?」
「いや、いいです。気にしないで下さい」
「…? まあいいけどさ。あたしは偉い人っていうと大抵ロクでもないことやってそうなイメージだったから、あんた見てると価値観変わるわ」
アリサはテーブルにひじを乗せ、リュウトの顔を眺める。
「あんたってそういうの似合わないもん」
「そうですか? 私もそれなりに色々やってるんですけどねぇ…」
「え!? ほんとに?」
「ええ。そうでなければあっという間に潰されますよ」
「うわ…。人は見かけによらないって本当ね」
「…聞くのが少し怖いんですけど。後学のために、私がどう見えるのか教えていただけますか?」
後輩の友人は事も無げに言った。
「冴えない中間管理職」
「………」
「もしくは、ひ弱なお荷物」
「………………」
「あとは、なよっちいダメ男」
「………………泣いてもいいですか?」
「ダメ」
「……謝るからやめてください……」
「ヤダ」
「お嬢さん…」
「…さっきの仕返しよ…」
「はい?」
「なんでもないわ。さっきのは冗談だから気にすること無いわよ」
「……私、そこまで嫌われる事しました?」
「どうかしらね。自分の胸に聞いてみなさい」
「…………。分かりません…」
「やっぱりね。だからダメ男なのよ」
「………」
「冗談よ」
「…もう良いです…」
「ふん」
「それにしても、なのはさん遅いですね」
「そうね…。携帯に連絡無いから、何か用事が出来たってわけじゃないと思うけど」
「念話で聞いてみましょうか?」
「そういえば、あんたも魔法使いだったっけ」
「……………」
「…冗談よ。そこまでしてもらう必要はないわ」
「そうですか」
二人の間には、最初のようなどこか他人行儀な雰囲気は無くなっていた。
二人の髪色の違いを差し引けば、パッと見には年の離れた兄妹に見えたかもしれない。
年の離れた兄に構ってほしくて、わざと兄の悪口をいう妹。少なくとも二人を見守る桃子にはそう見えていた。自分の子供である恭也となのはとは違う雰囲気だが、リュウトとアリサの雰囲気も桃子は好きだった。もっとも、当人たちに自覚はないのかもしれないが。
(兄妹…か。いえ、もしかしたら……)
カランコロン
「いらっしゃい…ああ、なのは。おかえりなさい」
二人を眺めていた桃子の耳に、入り口のベルが鳴る音が聞こえてきた。
そして、そこから入ってきたのは自分の娘だということに気が付き、笑顔を浮かべる。
「ただいま〜。お母さん、アリサちゃん来てない?」
「来てるわよ。ずっと待ってたんだから」
そう言って桃子は店の奥を示す。
「にゃー…、アリサちゃん怒ってるかな…?」
「そうね。さっきまでは怒ってたわね」
「はうっ! …でもさっきまでって?」
「行けば分かるわよ」
母親のその言葉に押され、なのはは首を傾げながらも店の奥へと進んでいく。
そして、そこで見たのは、思いもしなかった2ショットだった。
「アリサちゃんに…、リュウトさん?!」
アリサは後ろから聞こえてきた声に、思わず振り返った。
「な、なのは…? いつの間に来てたの?」
「や、こんにちは。なのはさん」
口をパクパクしながら驚いているアリサと、いつもと変わらないリュウトの組み合わせは、少なくともなのはにとっては違和感が拭えないものだった。
「え、ええと、さっき来たばかりなんだけど…。アリサちゃんはどうしてリュウトさんと一緒なの?」
アリサはなのはの至極もっともな質問になぜか慌てる。
「え、あ、え、そ、そうよ! このダメ男がどうしてもっていうから相手してあげてたの!」
「ダメ男って、リュウトさんの事…?」
「どうやらそのようですねぇ」
「他に誰が居るってのよ!」
「ア、 アリサちゃん…」
「え?! あ、そうよ! なのはが遅いからこんな奴に捕まったんじゃない!!」
「うん。ごめんね、アリサちゃん。先生に用事頼まれちゃって…」
「そんなことはいいの! ああもう、なのは!」
「ひゃ、ひゃい!!」
「今日は、フェイトの家に行くんでしょう? だったら早く行きましょう!」
「う、うん、分かった…」
にこやかに二人のやりとりを眺めていたリュウトを、アリサは睨み付ける。
「ダメ男。なに笑ってんのよ…」
「いいえ、仲がよろしいようで、大変結構な事だと」
にっこりと笑うリュウトのその言葉に、アリサは自分の台詞を思い出す。今思い出してみれば、とんでもない事を口にしていたように感じる。
「なのはさん、いいお友達を持って幸せですね」
「え、あ、はい」
「こらーー!! 何勝手な事言ってんのよ!」
「いえいえ、先ほどのバニングスさんの言葉を思い出しましてね」
「忘れろぉっ!! 今すぐ忘れろ!! 速やかに忘れろ!!!」
アリサはテーブルに身を乗り出し、リュウトの首を絞め揺さぶる。
そんな友人の行動に驚いたなのはだが、どうすることもできずにあわあわと手を彷徨わせる。
「無、茶を、言、わな、い、でく、だ、さい。一言、一句忘れ、ていませ、んよ」
「うがああああぁぁぁぁ!!!」
「ア、アリサちゃ〜〜ん…」
結局、アリサが落ち着くまで十分を要した。
その後、落ち着いたアリサと、アリサを落ち着ける事に成功したなのはは、当初の予定通り、フェイトのマンションへと向かう事になった。
「折角ですから。リュウトさんも一緒にいきませんか?」
なのはのそんな言葉にリュウトは首を振る。
「君達だけで楽しんでくるといいですよ。何よりもリンディ姉さんに会ったら愚痴を聞かされてしまいますから」
リュウトのリンディへの呼び名は、かつてリンディとレティが自分をお姉さんと呼ぶように言ったことが原因だった。最初は面白がっていた二人だったが、歳を重ねるにつれてリュウトに姉さんと呼ばれることが楽しみになりつつあるようだった。
女性はいつまでも若いままで居たいらしい。
「そうですか…。じゃあ、仕方ないですね」
「また誘ってくださいね」
「はい!」
「…なのは、そろそろ行こう」
アリサは不機嫌そうな声でなのはを促す。その視線はリュウトから意識的に外されていた。
「そうだね。じゃあ、失礼します。リュウトさん」
「ええ、お気をつけて」
「はーい!」
「バニングスさんも」
「わかったわ、ダメ男」
「………それ、やめて頂けませんかね…」
アリサは逸らしていた視線をリュウトに向け、彼の顔を見る。
「アリサ。そう呼んでくれたらやめてあげる」
リュウトは思わぬアリサの言葉に軽く目を見開く。
「どうするの? 嫌だって言うなら、あんたのことはずっとダメ男って呼ぶわよ」
アリサはリュウトの言葉を待つ、しかし、その言葉は僅かに震えていた。
「…わかりました。アリサさん」
「アリサ」
「アリサさん」
「ア・リ・サ。さんは要らない」
「ふう…、了解しました。アリサ」
アリサはそんなリュウトの言葉に一瞬だけ顔を輝かせが、すぐに振り返って出口へと向かっていく。しかし、そんな彼女の耳は真っ赤になっていた。
「あ、じゃあ、リュウトさん。いってきます」
「はい。いってらっしゃい」
そんなアリサをなのはが慌てて追いかける。
そして、なのはがアリサに追いついたとき。
「じゃあね! リュウト!」
一瞬だけ振り返ったアリサが、リュウトに向かって声を上げる。
そして、すぐに店から出て行ってしまった。店の中に呆然とした一人の青年を残して…。
店から出てきたアリサは、自分の言ったことを思い出して頬を赤らめていた。
そんなアリサに、横を歩くなのはが声を掛ける。
「ねえ、アリサちゃん」
「なによ…?」
「ちょっと耳貸して」
友人の言葉に、アリサはなのはに顔を近づける。
「…………」
「!!」
赤熱。
「それじゃ! 早く行こう。フェイトちゃんも待ってるよ!!」
「ちょっと待ちなさい!! なのは!」
「駄目だよ。早く行かないと遅れちゃうもん」
「だから、そうじゃなくって!」
「さあ、はやく行こう!」
「ちょっと、待ちなさいって!」
なのはがアリサに言ったこと。それはアリサにとっては晴天の霹靂だった。
でも、もしそうだったのなら……。
《アリサちゃんとリュウトさんて、すっごく仲良いね。まるで兄妹や、お兄ちゃんと忍さんみたい》
アリサはそれ以上考えるのをやめた。考えてもしょうがない、どうせ答えなんて出ないのだから…。
とりあえず、今度会ったらまたケーキをご馳走になろう。
そう思って、アリサはなのはを追いかけ始めた。
おまけ
「それにしても、いきなり名前を呼ばれるとは思いませんでした」
「そうかしら? 自分のことを名前で呼んでほしいって言うくらいだから、驚くほどの事じゃないでしょう」
「それにしたってダメ男から、いきなり名前ですよ。少しは驚きますよ」
「ふふふ…。それもそうね」
「そうですよ」
「あ、そうだ」
「なんですか?」
「人生の先輩から一つ教えてあげるわね」
「?」
「男は女の涙に弱いっていうけどね」
「はあ」
「女も男の涙に弱いのよ。誰でもいいってわけじゃないけどね」
「は?」
「いいから、覚えておきなさい」
「? わかりました」
「うん、よろしい。それにしても…」
「はい?」
「いえ、面白くなりそうだなぁってね」
「??」
そのころ翠屋では、こんな会話が交わされていたらしい。
END
〜あとがき〜
どうもこんにちは、悠乃丞です。
今回のお話は短編第一弾ということで、アリサ・バニングス嬢の登場と相成りました。
この短編集は、リュウトの過去や心境を少しだけ垣間見る事が出来るようになっています。
基本的に短編では戦闘もなく、コメディタッチの物語となる予定です。
今回アリサ嬢に気に入られたリュウト君ですが、これで彼はアリサと会う度に何かを奢らされる事でしょう。
さて、次のお話は、仲良しチームの一人にして、今まで出番の無かったあのお嬢さんにご出演願いたいと思います。
そして、リュウトの知られざる一面が見えることでしょう。
あと、特殊能力とかも出てくるかもしれません。
それでは、次の話でお会いしましょう。