魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第三章
第三話
〈乾いた風の中で…〉
『リュウト! 六時から八時、敵誘導弾五!』
「了解!」
通信機から聞こえてくる弟弟子の声に青年はその身を加速させた。
涙滴状の防御フィールドで空気摩擦を極限まで抑え、魔力で強化された脚部で地面――より正確に言うなら地面とある程度角度を付けて形成された力場――を蹴り、更に身体の周囲に展開した擬似重力場により、青年の身体は時速にして百キロメートルを優に超える速度で地表を駆けた。
ドンという音と共に青年の視界は一気に変わる。
一歩で十数メートル。凄まじい速さで後ろに流れていく風景を見て、青年は思わず溜息を漏らした。
「――これは平気なのに、どうして絶叫マシーンはダメなんだろうか?」
『主の意思が関係ないからではないでしょうか?』
『わたしも同意します』
脳裏に響く声に、青年は思わず項垂れそうになる自分を必死で抑え付ける。
「つまり、私の意志ではどうにもならないと」
『慣れれば克服できるかもしれません』
『ルシュフェルと同意見です』
「慣れと克服って同じなんでしょうか…?」
『分かりません。――敵誘導操作弾接近、直上より二、後方五時に一、七時に二』
「ちぃッ!」
己の剣の報告に、青年は後方へと視線を向けて舌打ちをした。
自分に向かってくる光弾を確認したからだ。
『ラファエル、ルシュフェル、君たちは敵の走査を。いつまでも逃げ回っていては話にならない』
<Yes, my lord.>
剣たちの補助がなくとも魔法の行使は可能だ。
すでに魔法を使った高速移動の為に少なくない容量を使用しているが、これから使う魔法にそれほど多くの容量も魔力も必要ない。
「誘導操作弾の迎撃、懐かしいものですね…」
多くの種類がある誘導操作弾の中でも、移動速度の速い魔力弾を迎撃するのは容易い事ではない――だが、不可能な事でもない。その為に多くの訓練を重ね、経験を積んできたのだから。
(――弾速は上の下といったところでしょうか)
確かに速い、だが――――
「コーギアム・エルギア・エルギズム」
青年は魔力弾の接近を感じながら呪文を唱え、右手を前方に突き出す。
「我が前に汝らは在り、汝らの前に道は在る」
大地を疾駆する青年の周囲に魔法陣が浮かび上がる。
「勇敢なる戦士、躍動する竜騎兵」
突き出された右手を取り巻くように五つの黒い光輪が現れ――
「駆け抜けろ!」
青年の掌を覆うように魔法陣が出現し、魔法陣の周りに十の灰色の光球がその身を顕す。
「アクティブドラグーン――」
力場を踏み抜き、青年は一気に加速――すぐに後方より迫る魔力弾に向かって掌を翳す。
「チャージ!!」
突撃。
主の命を受けた十の竜騎兵はその灰色の身体を煌めかせて敵へと迫る。
「一つ、二つ」
竜騎兵は速度に勝る敵魔力弾に対し、複数を以て対抗する。
青年の脳裏には自身の放った竜騎兵の軌道が細かく描かれていた。
「三つ、四つ」
青年は己が騎兵達を手足の如く操り、一つまた一つと敵の騎兵を砕いていく。
疾走する青年の上空で爆光が輝き、その度に敵の放った騎兵はその身を散らしていった。
「ラスト!」
青年の宣告通りに最後の騎兵が討ち取られ、青年の頭上は再び蒼穹の所有物となった。
太陽の光を反射して黄金色に輝く大地。人間には想像もつかないほど長い時間を掛けて作られた自然の芸術に、観る者は溜息を漏らすだろう――――リュウトは手渡された観光パンフレットに大きな文字で書かれた宣伝文句に苦笑を浮かべた。
そこに描かれているのは、彼の故郷でグランドキャニオンと呼ばれる地によく似た風景だ。異世界にも同じような歴史を持つ場所があるのだと、リュウトの口からは別の笑みも零れた。
「まぁ、確かになかなかの光景ですねぇ…」
「――確かにな」
「――――」
この世界に派遣された第204陸士隊所属の汎用ヘリ。そのキャビンの窓から見える光景にリュウトは口に笑みを残しながらもそう感想を漏らした。しかし、その言葉に応えたのはこれ以上ないというほど不機嫌な声。
その声の主はリュウトとは通路を挟んで座っているクロノ。
少し離れた座席に座っている褐色の肌をした偉丈夫――夜天の主を守る騎士たちの一人であるザフィーラに至っては、ただひたすら無言を貫いている。
「観光名所として売り出そうというこちらの行政府の考えも分かります」
だがリュウトはクロノの声を聞き流し、向かいの席に座る現地行政府の担当者に笑いかけた。クロノの眉が瞬間的に吊り上がるが彼の義兄がそれを気にするわけがない。
そして、ザフィーラは目を閉じたまま微動だにしない。
そんな中、まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったのだろう。担当者は慌てたように居住まいを正してリュウトに愛想笑いを浮かべた。最初から乱れていなかった服装を直すあたり、彼の緊張のほどが伺える。
「あ、い、いえ! 私どももこの地域の歴史を皆さんに知って頂きたく――」
立石に水の如く宣伝文句を発する担当者に、ヘリの中にいる何名かは軽く顔を顰めた。
時空管理局の地上部隊に配備されている多くの種類のヘリの中で、今リュウト達が搭乗している機種は比較的旧式になる。しかし、その配備数の多さはいまだ主力ヘリのひとつと呼ばれるに相応しい数で、現地改修されたタイプを含めればそのバリエーションは百を超えるだろう。
現にリュウト達が乗っているこのヘリも、冷却機能強化や防塵防砂処理などの乾燥・砂漠地帯での運用を念頭に置いた改修がなされていた。
「――ですから私どもはこの地を皆様に知って頂きたく……」
「お話中失礼。ええと、確かお名前は…」
担当者の話がループし始めたのに気付き、リュウトは担当者の名前を聞くことでその言葉を遮る。
「あ、失礼致しました。ろくに名乗りもせずに……私、ミッドチルダ政府で観光を担当しております。ウィリアム・クロイツと申します」
「ミッドチルダ…?」
クロノがウィリアムの言葉に疑問の声を上げた。
ヘリに乗るときの紹介では現地政府の人間だと聞いていたのだ。
本来ならここにいるはずのないウィリアムは、ここに派遣された陸士部隊との連絡役として現地政府から送られていた人員だった。こうしてこのヘリに同乗しているのも、現地政府からのお達しでリュウト・ミナセという時空管理局の幹部を迎えに来たのだと言う。
「ええ、以前はクラナガンで役所勤めしてたんですが、異世界間交流の交換人事でこちらの行政府に単身赴任を…」
「なるほど……ご家族はクラナガンに?」
リュウトがウィリアムに問う。
「はい、妻と息子が…」
そう言って小さく笑うウィリアムは、照れたような寂しいような複雑な表情をしていた。
だが、その顔には確かな家族への愛情が感じられ、リュウトもクロノもかすかに頬を緩ませる。
しかし、その表情もすぐに掻き消えた。
「――――あと少し、もうすぐで向こうに戻れるはずだって時になって、こんな事に……」
顔を俯かせるウィリアム。
そんな時、前方の操縦席からこのヘリの機長を務める一等陸尉が声を上げた。
「ミナセ提督! 間も無く隊のベースキャンプに到着します!」
「分かりました。というか、嫌がらせですか? 一尉」
リュウトは八年前の陸士時代、この部隊に所属していた事があった。
当時はチビだの坊主だのと呼ばれていたはずなのに、今ではこうしてバカ丁寧に話しかけてくる。リュウトにとっては違和感を覚えないはずはない。
「いえいえ、我らがミナセ提督に嫌がらせなんて――っと、キャンプからの誘導ビーコン確認! これより当機は着陸態勢に入ります。お客様は座席に座りシートベルトをお締めください! つーことだ、さっさと席についてくれや」
「最初からついてます。――やっぱり嫌がらせですね?」
終始からかうような調子を崩さない一尉をリュウトは半眼で睨みつける。
「まあ、そう怒るなよ。あの時の坊主が今やその名を知らぬものがいないような提督サマだぜ? 本当なら部隊全員で歓迎したいってのに」
「そのまま怒涛の宴会に突入、三日三晩騒ぎ倒した挙句に止めきれなかった部隊長と主だった士官、先任下士官が訓戒と減俸。今度は別の処分も付けますよ?」
「それは勘弁」
そう言ってにやりと口の端を吊り上げる機長にリュウトは溜息を禁じえなかった。
本来なら部隊の輸送部門の責任者であるはずの彼が何故機長を務めているかというと、それは彼が所属する部隊の現状に理由がある。
「それに、私を出迎えるほど部隊に余裕はないでしょう?」
「――その通りだ」
先ほどまでの軽い雰囲気を一瞬で消し去り、機長は操縦席から見える黄金色の風景を見据えながら頷く。
「重傷を負った連中の搬送で輸送部隊はてんてこ舞い、俺がこうしてお前を出迎えたのも本命は後ろの貨物室に積んである医療物資だ」
「――本来ならある程度まとまった数の増援を送るべきなんでしょうが…」
機長の言葉にリュウトが表情を曇らせる。
「――――クロノ執務官」
「何か?」
床に目を落とすリュウトにちらりと視線を向けると、機長はクロノに向かって言葉を投げた。
その態度に何かを感じ取ったクロノは、リュウトから機長へと視線を移す。
「そこのバカは未だによく分かっていないらしい」
「それが彼ですよ」
「――何がですか?」
二人の言葉が自分の事を指している事に気付き、リュウトは疑問の声を上げた。
表情から察するに本当に何の事か分かっていないらしい――――二人は揃って溜息を吐いた。
「――――うちの隊の教育が間違ったのかね」
「――――元からこうです」
ぶつぶつと呟く二人に、リュウトはひたすら困惑するしかない。
しかし、リュウトの思考の埒外にあるであろう答えは別の場所からあっさりともたらされた。
「――簡単な事だ、ミナセ」
「ザフィーラ?」
腕を組んで瞑目したまま、盾の守護獣は青年に告げた。
「こうして窮地に立ったときは、会った事もない百や千の援軍よりも同じ時を過ごした一人の戦友の方が遥かに頼もしい。そういうものだ」
「そうでしょうか?」
ザフィーラはほんの少しだけ目を開くと、その瞳でリュウトを見詰める。
「お前は物事をひとりで進めすぎるがそれを可能とするだけの能力がある。それは俺もよく分かっている。だが、背中を守る者がなければいつかは――」
死ぬ――ザフィーラは言葉を発さず、眼差しでそれを告げる。
だが、リュウトは苦笑を浮かべながらもそれに頷くことはしなかった。
「シグレがいますよ」
「アイツはまだ若い。主の背を守っているつもりなんだろうが、実際には自分が守られている。そして、その事に気付いていない」
「厳しいですね…」
「同じ守り手としての意見だ。――同じように守られていた事に気付かなかった守り手としてのな」
ザフィーラは再び目を閉じた。まるで話す事はもうないと言わんばかりの態度に、リュウトは軽く頭を振った。
「――ご忠告痛み入ります。盾の守護獣」
「礼はいらん。それに――――」
ザフィーラの唇が動き、静かな声が響く。
「それに?」
「主よりお前の守護を仰せ付かった。自分は行けないからと」
リュウトは苦笑いを浮かべた。
「よく気が付く子ですねぇ。いい奥さんやお母さんになる」
「――――お前には主を護ってもらった。その借りは生涯全てをかけても返す」
「ええ、分かりました」
ここでザフィーラの言葉を否定するような事はしない。それは、主である少女の命がザフィーラの生涯に値しないという事になるからだ。少なくとも、盾の守護獣はそう考えているだろう。
「主命だが、俺の意思でもある。――――今日の俺は、お前の盾だ」
珍しく饒舌に言葉を発するザフィーラ。その態度に、リュウトは彼の主に対する想いの深さを感じた。
そして――――
「――心よりの感謝を、蒼き狼殿」
「――――」
ザフィーラからの返答はなかった。
「――おーおー、動けねぇはずの連中までいるぜ」
黄金色の大地にポツポツと存在する灰色の車両や建物の群れ――時空管理局陸士隊のベースキャンプが視界に入って十数秒の後、機長は口笛を吹きながら感嘆の声を発した。
その声と共に機外カメラが捉えた映像がキャビンの中に浮かび上がる。そこにはヘリに向かって様々な動きを見せる局員たちの姿が映し出されていた。その中の何人かは明らかに負傷者と分かる姿――包帯などで身体の各部を覆われた姿だった。
「まったく、皆さん無茶をする…」
「それだけ待ち望んでいたということだろう、僕には理解できる」
モニターを見詰めながら溜息を漏らすリュウトに、クロノは笑いかけた。
「彼らにとって『リュウト・ミナセ』という存在は特別なんだ。自分たちと同じ場所からものを見る事が出来る存在が自分たちの上にいる。それはとても心強い事だろう?」
「――――」
「僕は君が弱かった頃を知っている。だからこそ、君が誰かに背中を預ける事を願っているんだ。さっきもザフィーラが言っていたが、君の悪い癖は何もかも一人でやろうとすることだ」
「それは――――」
言えるはずもない。
自分の心を知るものはこの世に居てはならないのだから。
「こうして昔の仲間の為に苦労することを厭わない君だからこそ、彼らはああして君を出迎えている。君は誰かの為に生きているのかもしれないが――」
「――――」
「――君の為に生きたいと思う者も多いということだ」
それが事実ならどれ程素晴らしく、同時に馬鹿馬鹿しいことだろう。
ただの復讐者に未来を望むほど明るい世界を愛するべきか、それとも憎むべきか。
「主も同じことを考えていた。お前があの事件で言った『自分のすべき事』を探し続け、いつかお前の背を護れるくらい強く、あらゆる意味で強くなってお前に認められたい、とな」
「――そう、ですか」
八神はやてが強くなる事は分かっている。
すでに精神的な強さは同年齢時のリュウトを凌いでいるだろう。
悠久の時の中で積み重ねられた『闇の書』の過去を己の内に納める――それが十に満たない少女の決めた未来だ。リュウトは同じ歳の時、ひたすら自分の為に強くなろうとしていただけだった。
「私も彼女の成長を楽しみにしています。いえ、彼女だけではない。なのはさんやフェイトさんも、きっと強くなる」
そうでなくてはならない。
彼女たちがどのような未来に進むとしても、きっと強さは必要になるだろう。
「その為にも――」
――――あらゆる手段を使って未来を作らねばならない。
「――――地上まで十を切った。九――七――五――」
地上の誘導員の指示に従い、少しずつ高度を落としていくヘリ。その操縦席では機長である一尉と副操縦士が慌しく、しかし静かに機体を操っていた。その後方に位置する座席で航法士を兼任する機上整備員が目の前のモニターに目を凝らしながら二人をサポートしていた。
地平面上に遮るもののないこの地域では、突如強い風が吹くことがよくある。その突風にかかればこのようなヘリなどそこらの塵と大きな差はない。ただ、吹き飛ばすだけだ。
「風力風向問題なし」
副操縦士が地上からのデータリンクで送られてきた情報を逐一機長に報告する。その彼の手も不測の事態に備えて操縦桿を握ったままだ。
「――さん――に――いち――――タッチダウン!」
ドスンという衝撃がキャビンのリュウトたちにも感じられた。
「あっはっは!! どうだ見たか、俺をロートル呼ばわりしたバカ共出て来い!!」
「機長、お客さんの前でバカやらないで下さい。それとすぐに負傷者輸送です」
機上整備員の陸曹が苦笑いを浮かべ、そう告げる。その言葉に機長は一瞬動きを止めた後、すぐに文句を言い始めた。
「な!? しっぽ坊主の案内は俺のはずだろう?」
「親父殿からの命令です。文句があるなら親父殿へどうぞ」
「あんの頑固親父がぁぁ――――ッ!!」
頭を掻き毟る機長に笑いの篭った視線を送り、リュウトは席から立ち上がって手荷物を座席の下から取り出した。
「さて、行きますか」
「ああ、それにしても――」
「『親父殿』とは誰だ?」
リュウトと同じように荷物を取り出しながらクロノとザフィーラは疑問を口にする。ウィリアムはその答えを知っているので笑みを浮かべただけだ。
リュウトはその問いに答えず、機外へと通じる扉を開け放った。
「その答えは歩きながらお教えいたしましょう。今は次のお客の為に席を空けませんとね」
扉が開いた瞬間、ローターの回転する音――空気がローターによって切り裂かれる音――とアイドリング状態のエンジンの唸り声がクロノとザフィーラの耳を打つ。
ギラギラと輝く太陽の下、時空管理局のベースキャンプは騒々しい様々な音に包まれていた。
「一尉! それじゃあ、また!」
「――ああ! 今度はもっと気楽に話せる場所でな!」
喧騒に負けないように操縦席に向かって声を張り上げるリュウト。その声に答えた機長の声は、僅かな苛立ちを含んではいても、やはり明るいものだった。
「奥様によろしく!」
「今度花束でもくれてやってくれ! ついでに嫁さんの顔も見せてやってくれるとありがたい!!」
「見つかったら是非に、と!」
「おう!」
リュウトはヘリに向かってくる医務官に気付くとその場から離れる。
彼に敬礼をしながら通り過ぎた医務官や武装局員は、すぐにヘリへと負傷者を乗せていく。その手つきは明らかに慣れた者特有のもので、彼らにとっての戦いは今も続いているのだとリュウトに認識させた。
「ミナセ提督! 部隊長は司令部にいらっしゃるそうです」
傍らに若い局員を伴ったウィリアムがリュウトに目的地を示す。その言葉に頷くと、リュウトは敬礼したままの局員に笑いかけた。
「分かりました。――ご苦労、仕事に戻ってくれ」
「は! 失礼致します! ――――あ、ミ、ミナセ提督ッ!!」
リュウトの答礼に敬礼を解いて走り去ろうとした局員は、数歩進んだところでその歩を止めた。
「何か?」
「こ、こうして同じ現場に立てる事、とても光栄に思います!」
「――私もだ。そして、私がそう思ったことを後悔しないような働きをこれからも頼む」
「了解いたしました!」
再び敬礼すると、局員は土煙が巻き上がるほどの勢いでその場から走り去った。
「――――そういえば、単なるヘタレじゃなかったんだな」
「――――否定はしませんよ」
局員を見送ったクロノの一言に、リュウトはガックリと肩を落とした。
「さ、さあ、部隊長がお待ちです。行きましょう」
ウィリアムの言葉にようやくその場から動き始めた四人。
ヘリの発着場から仮設司令部へと歩く道すがら、リュウトは隊員たちに様々な歓迎を受けた。
「――ようチビ! 給料上がったよな! よし奢れ!! さあ奢れ!!」
「おや、ミナセ二士じゃないですか。――――いや失礼、今は提督でしたね。歳をとると物忘れが激しくて」
「おいリュウト! 第二分隊のあの子、結婚して子供生まれたってよ!」
「あれ? 少し見ない間に縮んだなぁ――あ、人違い? すまんね執務官殿」
「お、いいところで戻ってきた! うちの娘もいい歳になったから嫁に要らんか?」
「おいリュウ! 俺らの代わりにあのヤロウぶちのめしてくれ! 他の奴ならお断りだが、お前なら任せてもいい!」
「――――戻ってきたのか? キサマの進む道、まだ終わりであるまい」
老若男女様々な隊員たちに話しかけられる兄弟子の姿に、クロノは自分の知らない兄弟子の姿を見た。
「大したものだな。若くして提督にまで上り詰めたのは伊達ではないということか」
「――運だけで生き残れるほど、僕らの世界は優しくない」
「――だろうな」
クロノの言葉に頷くザフィーラ。彼も永きに渡る戦いの歴史を持つ存在だ、クロノの言葉が真実の一面である事はよく分かっている。
「しかし、あの男が運だけの存在だと思っている者も多いぞ」
「分かっている、リュウトは急ぎすぎた。最低限の足場で上に登ってきたから、一つの事で致命傷を負いかねないんだ。それなのに傷を負う事に躊躇いがない」
(そして――先の事件での傷は…?)
クロノの疑念に気付かず、ザフィーラは自分たちの前方を歩く青年に目を向けた。
「――いつかその代償を払わされる時が来るということか」
「ああ、途方も無い代償を、な」
クロノの言葉は荒野に風に消えていった。
「つまり『親父殿』というのはここの部隊長の愛称というわけか」
「そうですよ。彼はこの部隊の最古参、その上三士時代に始めて配属された部隊もここだったということです。何度か他の部隊に移ったりもしているようですが…。まあ、この部隊自体が部隊長の半身みたいなものなんですよ」
司令部の置かれた施設に向かう道すがら、リュウトはヘリの中でクロノとザフィーラに訊かれた質問の答えを二人に教えていた。
「彼は魔導師としては大したことはありません、これは本人が言っていたことです。しかし、こと部隊運用に関しては管理局でも有数の人材であると確信しています」
陸戦Aランク。それがこの部隊を率いる部隊長の魔導師ランクだった。
「指揮官としては、私などは彼の足元にも及ばないでしょうね」
「――――そうだったのか……」
世の中は広いものだ。自分よりも指揮官としての技量が高い兄弟子が足元にも及ばないという事は、自分など存在すら気付いてもらえないかもしれない。
「まあ、あの人は人格的にも尊敬できる人ですよ。厳しいところは多々ありますが…」
「将たるもの、己にも周囲にも厳しく在らねばならん。それこそが真の将に必要なものだろう」
厳しさの中に優しさを内包した人物だからこそ、これだけの人間に慕われている。ザフィーラにはそれが分かった。
「――詳しい事は実際に会ってみるとよく分かるでしょう。口ではどう頑張っても彼の凄さを伝えることは出来ません」
リュウトはそう締め括り、司令部に向かって歩を進める。
それから数分後、彼らの前に幾つかの車両と建物からなる司令部が姿を現した。
リュウトは司令部の入り口に立つ二人の局員に自分の名前と目的を告げた。
「本局主席執務官リュウト・ミナセです。第204陸士隊部隊長リチャード・ミンギス二等陸佐に取次ぎを」
「りょ、了解…!」
リュウトが姿を現したときは自分たちとは違う制服――前線任務時に多用する航空戦技教導隊の制服――を見て訝しげな表情をしていた二人だが、その正体が来訪予定に急遽組み込まれた人物であると分かると、その態度を一変させた。
四人から差し出された身分証を照会すると、その態度はより明確なものとなる。
「確認しました。遠路はるばるお疲れ様です」
そう言って敬礼する一等陸士。もう一人の局員は通信機にリュウトたちの来訪を知らせる。
「――――はい、了解しました」
通信を切った局員がリュウトに向き直る。
「提督、部隊長がお会いになるそうです。こちらへ」
「手間を掛ける」
「いえ、これも我々の不手際が原因。むしろその言葉は私たちが提督に言わなければならない言葉です」
リュウトの言葉に、もう一人の局員――壮年の陸曹長が顔を歪めた。
「気にするな、私はこういうときの為に本局にいる」
「――お心遣い、感謝いたします」
「案内を頼む」
「は…!」
陸曹長は代わりの警備人員を手配すると、すぐにリュウトたち四人の先頭に立って歩き始める。
リュウトたちが足を踏み入れた司令部内は、人の声と足音で騒然としていた。
「――お恥ずかしい限りです。先の戦闘から丸一日経っているというのにこの有様で…」
リュウトは陸曹長の言葉に頭を振った。
「気にするな。私がここに来たのは君たちを咎めるためではない」
「はい」
顔を隠すように頷く陸曹長。
それ以降、陸曹長は一切言葉を発しなかった。
それが彼の矜持ゆえの行動だったのか、それとも別の理由があってのことなのか。二人の後方を歩くクロノとザフィーラには分からなかった。
「部隊長、ミナセ提督をお連れしました」
「――入れ」
臨時の部隊長室となっていたのは一台の大型車両だった。
この型の車両は本来なら複数名の人間が生活できる居住性能を持っているが、情報管理の観点から見ても優秀な存在だった。その為、こうして部隊長クラスの前線執務室となることが多々ある。
「失礼致します」
車両側面に取り付けられた階段を上り、五人は部隊長室の扉を開けた。
そこに立っていたのは鈍色に光る髪を短く刈り上げた男。
男は左手で敬礼し、四人を出迎える。
「――第204陸士隊部隊長ミンギスです」
「本局主席執務官ミナセです。そして、執務官クロノ・ハラオウンと守護騎士ザフィーラ」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ない。――――お前は職務に戻れ」
「は!」
ここまで四人を案内してきた陸曹長は、ミンギスの言葉に敬礼を返すとすぐに走り去った。
「クロイツさん、貴方も自室に戻ってはもらえんだろうか…?」
「――分かりました」
ウィリアムは自分がこの場に相応しくないと感じ取り、ミンギスの言葉に頷いた。これから先は時空管理局の領分だ。
「自室に奥方からの手紙が届いていたはずだ。ここでは通信環境も良くないからな、手紙という形にしたんだろう」
「はい、ありがとうございます…!」
「気になさるな。ここにいる以上、貴方も我らの戦友だ」
「感謝します」
ウィリアムが部屋から出て行くのを見届けると、ミンギスは三人と共に応接スペースにあるソファに腰を下ろした。
彼の存在感を増幅させるほど隆々とした筋肉に身を包んだミンギスだが、今彼の右手は肩から吊り下げられたベルトによって固定され、それ以外にも頭部には包帯を巻き、顔にはガーゼなども貼り付けられている。
だからこそ、彼は残った左手で敬礼をしていたのだ。
「右手がこうなので、敬礼は左手で失礼させていただきます、提督」
「気にしないで下さい。あなたにはお世話になりました、お元気そうで何よりですミンギス隊長」
生真面目を絵に描いたようなミンギスの言葉にリュウトは苦笑を浮かべた。
「本官などを隊長と呼ぶのはおやめ下さい。貴方はすでに提督、本官の上官ですぞ」
「相変わらずですね、本当に」
自分にも他人にも厳しいと評判のミンギスが変わっていない事に、リュウトは安堵を覚えた。
「それに、元気とも言えますまい。――――本官も焼きが回ったものです」
そう言って自分の右手を掲げるミンギス。その顔には悔しさが滲み出ていた。
「それは違う。二佐が指揮を執っていなければ、部隊は全滅していたかもしれない」
「クロノ執務官。君はまだ若いから分からんが、こうして自分の身体が衰えていくのを感じると、とてもそうは思えんのだ」
「二佐…」
クロノは自分の三倍以上の時間を生きているミンギスの言葉に、明確な答えを返す事が出来なかった。
「本官も管理局に入って四十年以上経ちます。そろそろ若い者に道を譲るべきなのかもしれませんな……」
ミンギスは軽く目を閉じ、独り言のように呟いた。
「――二佐。そろそろ本題に入りましょう」
「――――は」
ミンギスは自分の言葉を遮ったリュウトにちらりと視線を向けると、テーブルの中央に設置してある装置に手を伸ばした。
装置はすぐに起動し、テーブルの上に立体モニターを創り上げる。
そのモニターの中央にリュウトたちがヘリの中から見た光景と同じもの――黄金色に輝く大地が映し出された。
「これは前回の戦闘時に記録された情報を分析したものだ。時間が限られていたのですべてとはいかなかったが、半分は解析が完了しておる」
ミンギスの声と共に、映像の中で土煙が巻き起こった。
「最初の接触は0904。偵察に出ていた空戦魔導師の一人が谷の中で対象を発見」
撮影している存在が移動したのだろう、モニターに映る土煙はみるみるうちに近付いてきた。
そして――――
「0921、本隊が接触。これはその時の映像だ」
土煙の中から巨大な顎門が姿を見せ、近付いてきた空戦魔導師にその鋭い牙で襲い掛かる。
その光景にリュウトたちは言葉を無くしながらも表情で驚きを表していた。
「空戦魔導師の報告では、上空にて対象の情報を集めていた際に突如対象の周囲に魔法陣が出現。その魔法陣より多数の誘導操作弾が発射されたようだ。空戦魔導師は安全圏まで退避し、本隊と合流。その後、別の空戦魔導師が対象に接近、結果は見ての通りだ」
空戦魔導師に向かって幾度も繰り出される顎門の攻撃、その攻撃に晒された魔導師は少しずつ距離をとっていく。
その魔導師を追いかける顎門の主。それによって土煙が晴れ、ついに対象の姿が明らかになった。
「本官も実際に見るのは初めてでしてな。『双頭竜』など、伝承の類だと思っておりましたので」
モニターに映し出されたのは、確かに二つの頭部を持った竜だった。
茶褐色のごつごつとした表皮を持つ双頭竜は後ろ足で立ち上がり、魔導師たちに向かって吼えた。
「なんとまあ…」
「――近頃、巨大なものに縁があるな」
「――――」
空気を震わせ衝撃すら感じるであろう咆哮は、映像の中で魔導師たちの動きを確かに止めていた。
そして次の瞬間には、双頭竜より無数の光弾が飛来する。
「魔法を使える生物自体はこの仕事をしていればさほど珍しくない。我々人間もその一つと考えれば、この双頭竜が魔法を使ったところで驚くには値しないのかもしれん。だが、厄介な能力ではある」
「――そういえば、第六管理世界の何処かに竜を使役する少数部族がいましたね。確か――そう『ル・ルシエ』でしたか」
リュウトは先の『プルガトリア事件』の際、無限書庫で多くの情報を得ていた。その時、『竜使役』という稀少技能を持つ一族のことを知ったのだ。
「我々もその情報は掴んでいる。『ル・ルシエ』側にも今回の一件に関して意見を求めたが、現在彼らの中にあれほどの竜を使役できる召喚士はいないとのことだった」
「つまり、誰かが呼び出したものではないと?」
クロノがミンギスに確認する。
「――分からん。竜使役以外にも竜を召喚し、戦わせる術がないとは言い切れぬ故な」
「――――」
確かにその通りだろう。
竜と呼ばれる存在がこの次元世界に在る以上、その可能性は否定できない。
「だが『ル・ルシエ』からはもう一つ有力な情報が得られた」
「ほう」
リュウトはミンギスの言葉に小さく眉を動かした。
「あの竜は自然発生したものかどうか疑わしいそうだ。そもそもこの場所にあのような生物がいるなど、ここの行政府も知らなかった」
「――――誰かが創り出したものだと?」
「だからこそ貴官らに来てもらったのだ。『闇の書』『鍵』と二つの難事件を解決に導いた貴官らに」
ミンギスは多くの感情が篭った眼差しで三人を見詰め、そう告げた。
時空管理局では部隊内で保有できる魔力ランクに上限が存在する。
理由としては『戦力の集中を防ぎ、複数部隊間のバランスをとることで連携がより容易になるように』などが挙げられるだろうが、それを前線部隊が歓迎しているとは限らない。
現にここではそれが問題になっていた。
「――しっかり掛けられたんだな制限…!」
「急いでたんですもん。許可取ってたら本局で何日も足止めされますし」
「だからといって、AAまで落とされてどうする!?」
目を逸らして言い訳を口にする兄弟子に、クロノは吼えた。
「仕方がないじゃないですか。空いた穴を塞ぐって名目でしか緊急派遣の許可が下りなかったんですよ〜」
「黙れ! 三ランクも落とされてへらへら笑ってるんじゃない!」
「へらへら笑ってるわけじゃないですよ。ええ、決して」
「そんな事はどうでもいい! すぐに許可を取れ!」
クロノはザフィーラやミンギスが見ているのも気にせず、修行時代のように兄弟子の頭を楽器の如く振る。
無論、そこから出てくる音など人間の声だけだ。時折骨が軋むような音も漏れているが。
「一応、方法はあるんですけどねぇ…」
その制限を解除する方法としては、第一に直接の上司の許可を得るという方法がある。
しかし、それがリュウトに当て嵌まると聞かれれば首を傾げるしかない。
主席執務官という役職は、本局直属と言う事になっている。
つまり――――
「――誰の許可だ。本局の幹部か? まさか、本局そのものの許可を取れとか言うんじゃないだろうな!?」
「――――あっはっは」
「笑うなこのヘタレオブヘタレ! アースラの修理に手を貸して貰ったから借りを返すつもりで任務を受けたと言うのに、いきなり足手まといが増えているとは聞いていないぞ!」
クロノは本来人をランク付けするような真似はしない。そして、それを貶めるような発言もしない。だが何事にも例外はあるということだ。
十年にも届く付き合いともなれば、二人の間には友情というよりも兄弟愛に近いものがある。だからこそ、こうして何の妨げもなく本音をぶつける事が出来るのだろう。まあ、これが本音かどうかは定かではないが。
「失礼な。制限こそ掛かっていますが、並のAAAランクには負けませんよ」
「ああ分かってる! 今のお前なら僕やなのは、フェイトともそれなりにいい勝負するだろうさ!!」
たとえ出力に制限が掛かっていても、今までの経験や記憶までもが制限されるわけではない。ときに経験は才能を上回るものだ。
リュウトと三人の少女のもっとも大きな差はなにかと問われれば、クロノは経験と答えるだろう。
「――――本当のところはどうなんだ?」
頭に血が上ったクロノに任せていては埒が明かないと判断したのだろう、ザフィーラがリュウトに問う。
「私以上の階級を持つ者、七名以上の承認が必要です」
「それは現実に可能なのか?」
「私がここで命を落とすような事態なら許可も下りるでしょうねぇ…」
それはつまり、許可が下りることはないという事だ。
「――――戦略級魔導師め……」
弟弟子の地の底から響くような低い声に、青年提督はにやりと唇を歪ませた。
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めるかぁ――――ッ!!」
管理局内で使われる兄弟子への軽い蔑称――同時に非公式の称号でもあるが――を口にするクロノ、そして、兄弟子の反応はやはり彼の神経を逆撫でするものだ。
ぎゃんぎゃんと兄弟喧嘩を繰り広げる二人の子供に、ミンギスは口元が綻ぶのを感じた。
「――――心配しておったのだが、これなら大丈夫だな……」
「大丈夫とは何だ、ご老体」
「貴殿に老体呼ばわりされる理由はないが、事実は事実、認めようではないか」
「――そうではない」
ザフィーラはミンギスに再び同じ問いをする。
その言葉に答えとして差し出されたそれは、ザフィーラの心に大きな波紋を作り上げる。
「貴殿は『闇の書』というものをご存知か?」
「!?」
知らぬはずもない。
それは自分たちの罪の象徴なのだから。
「無論、本官自身も貴殿のことは知っておる。だが、『闇の書』のことをどれだけ知っているかと問われれば、どうだね? 守護騎士の一柱よ」
「――――」
よくよく考えてみれば、自分たち守護騎士は己が『夜天の書』の騎士であることを忘れ、『闇の書』の騎士へとその身を変じていたではないか。
つまり、自分たちは『闇の書』の一部でありながら『闇の書』のすべてを知らないという事になる。仮に知っているとすれば、それは管制人格だけだろう。
「――――やはり、知っているわけではないのだな」
「…………」
ザフィーラは目の前にいる武人が並々ならぬ人物であると認識する。そして、それは彼の中で敬意へと変わった。
「――先ほどは失礼した。ミンギス殿は今でも聡き武人であられる」
「――――本官はそうあろうと望むわけではない。本官はただ――」
ミンギスは頬を引っ張り合うリュウトとクロノに優しげな眼差しを向け、小さく呟いた。
「彼らの踏み台になりたいのだ。彼らが本官を踏み台にしてより高みへと昇ることが出来たのなら、それこそが本官の生きた意味になる」
「――――」
「自分の意味を知る事が出来る人間は少ない。早い者は十に満たないうちに意味を見出すが、死してもなお理解できない者も多い」
「――――確かに」
ザフィーラの主は己の意味を見出しかけている。あと十年もすれば、己の意味を理解できるかもしれない。
「盾の守護獣殿」
「は…」
「あの若者は心に深い闇を抱えておる。それがどのような形で現に顕れるのか、本官には分からん」
「――――」
若者とはリュウトのことだろう。
そして、自分は青年の闇を知っている気がする。これであると明確に答えを返す事は出来ないが、確かに心のどこかが知っていると告げている。
「だからこそ、貴殿に頼みたい。あの子を信じてやってはくれまいか?」
「主は――――主は信じておられる」
八神はやてはリュウト・ミナセを信じている。命を救われたからではない、それ以前から人を信じる事、想う事が出来る少女だからだ。そして、その想いに守護騎士と祝福の風、『夜天の書』は救われた。
「――――あの子は人を裏切らぬ、いや、裏切らぬよう最大限の努力をする。だが、それはあの子の敵以外に限られる」
「敵……」
ザフィーラは青年が『敵』と戦っているところを見た事がない。
「あの子は『敵』と断じたものに容赦はしない。『敵』と断じる事は滅多にないが、一度『敵』と判断すれば――――あの子は神とも運命とも、時間とさえも戦う」
「――――」
「あの子ほど弱い存在を本官は知らん。だからこそ、あの子を指揮官として育てたのだ」
「――――」
「指揮官ならば己を殺さねばならなくなる。そうなれば、一時的にせよ『弱さ』も殺せると思ったからだ」
「――――」
「それが正しかったのか本官には分からん。おそらく、あの子が死ぬときに分かることだろう。ただ――――」
「ただ――?」
ミンギスは小さく息を吐き、再び口を開いた。
「あの子が本官よりも先に死ぬ事だけは許容できんのだ。だから、本官は自分の判断が正しかったのか、間違っていたのか知りたくはない」
心の底を吐露するかの如き言葉に、ザフィーラは言葉を発する事が出来なかった。
「無責任だと責められようと、本官は知るつもりはない」
それが、自分で決めたことだから。
「盾の守護獣殿。頷かなくてもよい、だが、心に留めておいてくれぬか…?」
「――――」
ザフィーラは己が内に主の笑顔を浮かべ、小さく、だが確かに頷いた。
「――――承知」
「――――眠れんのか?」
「ミンギス隊長…」
「隊長はやめろと言ったぞ。お前も一端の指揮官ならば、それぐらいは弁えよ」
「――――分かりました、先生」
夜の荒野に二つの影があった。
一つはつい先日十八を越えたばかりの青年。
もう一つは数年前に六十に届いた老人だった。
「休める時に休めと教えたはずだ。ここでなにをしている?」
「考え事を――していました」
「――――」
人とは思考する生き物だ。それこそが人間の証ともいえる。
だが――――
「『戦闘中の思考は最低限に、最低限の思考の内で最大限の思考をせよ』」
「――先生に教わった最後の言葉ですね」
「戦いとは止まらぬ河の流れのようなものだ。止められぬ以上、我らがより早く思考する必要がある」
そして、指揮官の思考は決して外に洩らしてはならない――――それもまた、リュウトがミンギスに教授されたことだ。
「だが、今のお前は思考しているのではない、怯えているのだ」
「――――」
「本官が現役を退く事か?」
「はい…」
リュウトは空を見上げた。
暗闇に沈んだ世界で、星たちは競うように輝いている。
「――養父も義母も管理局を辞しました」
「聞いている。『闇の書』事件のことも他の者よりは詳しかろう」
「――――私は彼らを見捨てました」
星天を見上げる青年の肩は震えていた。
ミンギスはリュウトを一瞥すると、星たちの庭に視線を向けた。
「『夜天』か…」
「――?」
「お前は『星天』を以て『闇』を消し去ろうとした。それは間違ってはおらんだろう」
『星天』――――それはリュウトが対『闇の書』の切り札として創り上げた魔法の別称。
だが、その魔法が消滅させたのは『闇の書』ではない。
「『プルガトリア事件』の最終局面で使ったそうだな」
「はい」
「結果はどうだった?」
「――――六割」
「悪くない。対巨大生物戦は想定していなかったが」
本来なら『闇の書』に取り込まれた持ち主を撃ち抜くための魔法だった。
持ち主の内部に存在するであろう『闇の書』の管制人格、若しくは無限再生機能を破壊し、『闇の書』の輪廻を断ち切る。それがリュウトの考えた策だった。
実際にそれが可能だったのかどうかは分からない。しかし、自分が『闇の書』を消滅させる事が出来る方法はそれしかないと考えたのだ。
「しかし、『闇の書』はお前の後輩によって滅ぼされ、『夜天の書』がこの世に蘇った」
「――――私は『闇の書』の敵として相応しくなかった、そういうことでしょう」
「本心からそう思っているのなら、お前は復讐など考えなかったであろうな」
「――――」
「お前は誰も見捨ててはおらん。現に『星天』も一人の人間を救ったではないか」
リュウトが引き取った少女は現在英国で療養中だった。リュウトの元に届いたリーゼからの手紙によると、すでに言葉を覚え始めたという。記憶は消滅していても、言語そのものを使用していたという経験は身体に残っていたのかもしれない。
手紙にはあと数年もすれば他の子供と変わらぬ生活を送れるだろうとも記されていた。
「私は、救えたのでしょうか?」
「『星天』はお前の心の結晶だ。それが人を救えたというのなら、お前も人を救える」
ミンギスは制服の裾を翻し、ベースキャンプへと戻るべく足を踏み出す。
「――訓練校の校長の話が来ている。いつか、お前の許に本官の教え子が現れるやも知れぬな」
「――――お疲れ様でした」
「ふん、お前も早く休む事だ」
ミンギスの言葉が早く寝るようにという意味だったのか、それとも別の意味を持ったものだったのか、リュウトには分からなかった。
ただ、こうして世代は移りゆくのだと、小さくなっていくミンギスの背中に思った。
「よお! 意外と早く再会できたな!」
ヘリに乗り込むべく司令部から出た三人を待っていたのは、昨日別れたばかりの一尉だった。
隣にはウィリアムが苦笑を浮かべて立っている。
「――一尉、昨日あれから無理やり任務終わらせたそうですよ。休まないと二佐から飛行許可下りないもんだからばっちり十時間寝てましたし」
リュウトの耳元で囁くウィリアムはその瞳にも笑みを湛えていた。
「ほれ、さっさと爬虫類の王様ぶっ飛ばしに行くぞ!」
「竜種は爬虫類じゃなかったと思いますが…」
「似たようなもんだ、気にすんなよ」
一尉は呵々大笑と言わんばかりに大口を開けて笑うと、副操縦士がアイドリング状態に保っているヘリへと四人を先導する。
「クロイツさんはどうして?」
「行政府が『戦いを見届けよ』と」
「見て面白いものではないと思うんですが……行政府の意向なら仕方がないですね」
時空管理局は複数世界合同で運営されている。その中に名を連ねているこの世界の行政府の意思なら、リュウトに拒否する事は出来ない。
「もちろん私はヘリの中で待たせてもらいます。提督たちの仕事の邪魔は致しません」
「助かります」
そうしてヘリ発着場へと五人が歩き始めたとき、彼らは思いもよらなかった光景を目の当たりにした。
それは――――
「――おい! リュウト…!」
「――――」
それは、ヘリの発着場へと向かう五人に――より正確に言うならリュウトたち三人に向けて敬礼する陸士隊の面々だった。
建物や車両の脇に立って敬礼してくる者もいれば、それらの上で敬礼をする者たちもいる。別の作業をしていた局員たちも手の休める事が出来る者は皆、三人を敬礼で送り出す。
負傷した体の露わな姿の者もいる。バリアジャケットを着た者もいる。
「うちの隊規さ、『我らの心は共に在る』ってな」
すべての隊員が前線に立つわけではない。しかし、心は常に共にある。
「俺たちは孤独にならない。たとえ一人取り残されても、これだけの仲間と共にいる」
一尉は誇るように胸を張った。
「そうだろう? 坊主」
自分に向けられるその視線に、リュウトは懐かしさと高揚感が湧き上がる気がした。
だからこそ――――
「――――ええ、その通りです」
リュウトはヘリの目前で反転、その動きは流れの如き――
「リュウト・ミナセ! 行ってまいります!!」
リュウトは一欠片の停滞もなく敬礼を返した。
クロノもまた隣で敬礼し、ザフィーラは隊員達を見据える。
「――――これが、君の育った部隊か」
「ええ、私の家だった場所です」
リュウトの目に、無理矢理右手を動かして敬礼するミンギスの小さな姿が見えた。
「第一目標地点まであと一八〇」
ベースキャンプを飛び立ったヘリは、一路南へと進んでいた。
目標が現れる可能性がある場所の中でもっとも可能性があるのが第一目標地点だった。
「作戦の確認をしましょう」
リュウトはキャビン内のモニターに対象のイメージ図を投影した。
そこには二足歩行も可能な巨大双頭竜の姿がある。
「対象は竜種、ここにいる理由はこの際脇に置いておきましょう。先の戦闘で得た身体構造から飛行能力はないと判断できます」
魔法を使用可能であるということは確認されており、最低でも人間に準じる程度の知性もあるとリュウトたちは考えた。
そして、双頭竜の特徴として挙げられたのが――
「魔法が効かないそうです。正確に言うなら、とんでもない防御力だそうですよ」
どちらにしろ魔導師が対処するには厳しい相手だということだ。
「不完全ながら対象の表皮情報があります。それによると対魔法防御・対物理防御、共に高い数値を示している。まあ、魔法を使うくらいですから対魔法用の手段を持っていても不思議ではないですがね」
リュウトは肩を竦めて嘆息した。
この世界の生態系は神秘だらけだ――もちろん、自然発生したとしたらの話だが。
「先の戦闘でも、この高い防御力の所為で陸士隊はボコボコにされたそうです。攻撃を仕掛けても弾かれ、防御するには質量が違いすぎる。ジリ貧ですね」
そして、ミンギスの部隊が持ち帰った情報を元に本局とリュウトが考えた手段が――
「ならば、一気に冷やして一気に燃やし尽くします」
エターナルコフィン――クロノが師グレアムより託された氷結の杖『デュランダル』と共に行使する広範囲氷結魔法だ。
それにより対象の表皮を完全凍結させ、その後リュウトの中範囲殲滅魔法で仕留める。それが今回の作戦だった。作戦としては実にシンプル、無駄な要素を一切省いた簡潔なものだ。無論、細かい部分も存在するが、ほかの作戦に比べればシンプルである事に違いはない。
「ザフィーラ君はクロノの援護をお願いします。対象を弱らせる予定ではいますが、最悪の場合は無理矢理凍結させる事になるかもしれませんので、その時は――」
「俺の『鋼の軛』でやつの動きを止める、か」
「はい、すべて嵌れば管理局有数の攻撃力を誇る連鎖攻撃となるでしょうね」
巨大な闇の書の闇すら束縛する『鋼の軛』、海さえも凍らせる『エターナルコフィン』、この二つだけでも凄まじい力があるというのに、ここにもうひとつの魔法も加わるのだ。
「制限付きの状態で行使は可能なのか?」
「大丈夫ですよ。詠唱に少し時間が掛かりますが、行使は可能です」
エターナルコフィンほどの広範囲を攻撃する事は出来ないが、リュウトの魔法もAAAランクとされているものだ。使える状況が限られるということも共通しているが、こと攻撃力に関しては決して引けをとるものではない。
「本当なら儀式魔法でも使いたいところなんですが――」
「却下だ! 半径数キロの地形を変えるような魔法を使ってみろ、結界を張っても外の世界に影響が出る!」
そして色んなところから文句を言われる。主にリュウトとクロノが。
「――まあ、どちらにしろ制限付きじゃ使えないですけど」
実を言えばリュウトのデバイスにも別口で制限が掛かっている。これは技術局の判断に因るもので、デバイスが術者に対応し切れていないという現状に対する応急処置だった。
人間とデバイスでは成長の上限の存在そのものが根本から違うのだ。
「その内彼女たちの新しい『戦装束』も完成しますし、それまでは制限付きで何とかするしかありません」
リュウトのその言葉で、作戦会議は幕を閉じた。
「――あの…」
作戦会議が終わった頃、遮音結界――作戦会議中、周囲に張られていた――を解除したリュウトに話し掛けて来る存在があった。
「どうしました? クロイツさん」
「あ、はい…。実は提督にお願いがありまして…」
「はぁ…」
リュウトはウィリアムの願いに心当たりがない。会って一日しか経っていなのだからそれも当然だが。
「なんですか? 出来るだけ早くしてもらえるとありがたいのですが…」
急かすような言葉を口にするリュウトだが、それには理由があった。
すでに作戦地点まで五分程度しかないのだ。
それが分かっているのだろう、ウィリアムは深呼吸すると目と口を大きく開いた。
「あ、あの――――サインもらえますかッ!?」
「は?」
「なに?」
「――――」
固まる三人。
「おい、今なんつった?」
「さあ? サインって聞こえましたけど」
「でもそろそろ――」
操縦席と機上整備員席の三人はキャビンから聞こえてきたウィリアムの声に首を傾げる。
「ええと…」
「お願いします!」
困ったように笑みを浮かべるリュウトに、ウィリアムは懇願するような眼差しで迫る。
「――実は息子があなたのファンなんです。ずっと入院ばかりしている子ですから、外の世界で活躍しているあなたに憧れているようで…」
「は、はあ…」
そういわれても困る。
「こういうことを頼むのはあまり褒められたことではないんでしょうが、どうにかお願いできませんか?」
「息子さんはひょっとして管理局に?」
「はい、大きくなったらあなたのようになりたいと。提督の事、ヒーローだって思ってるみたいです」
「――――ヒーロー……ってそこ!」
リュウトが声を荒げる先には背を向けたまま震えるクロノの姿。
どうやら笑っているらしい。
「――――あいつがヒーロー? 黒幕の間違いじゃないのか…? くッくく…」
バリアジャケットを身に纏った魔導師が腹を抱えて蹲り、笑っている光景というのは、なかなかに奇怪だった。
「――――あの小さい魔導師は放っておくとして、あまりお奨めできない仕事ですよ?」
「いいんです。あの子が何処に飛び立っても、私の息子である事に変わりはありませんから…」
「クロイツさん…」
目の前の存在が親という大きな存在だと、リュウトは改めて認識した。
自分には想像もつかないような大きな存在、青年は言葉を失う。
しかし――――時は止まらない。
「――――提督! 十二時に対象を確認しました!」
「!? 会敵予想時刻は?」
「あと二分です!」
もはや時間は残されていない。
リュウトは半瞬の思考の後、自分の着ている制服のボタンに手を伸ばした。
「提督――?」
「クロイツさん」
ボタンの留め具をはずし、リュウトは時空管理局の紋章が刻印されたそれを手に乗せた。
提督就任時に航空戦技教導隊から贈られた制服。本来なら返却すべきものだろうが、教導隊に名目上籍を残しているリュウトはこうして教導隊の制服に身を包んで任務に当たる。
「――――あなたの息子さんは、いつまでもあなたの子供です」
「え?」
「いつでも、迎えてあげてください」
リュウトはウィリアムに取り外したボタンを差し出しながら、キャビンの中に目を向けた。その先にいるのは二人の同行者。
「僕は準備に忙しいんだ。君の話など聞いている暇はないぞ」
「――――」
わざとらしくリュウトから視線を遠ざけるクロノと、瞑目して出撃を待つザフィーラ。
つまり――――リュウトの行動など知らないということだ。
部外者に管理局の支給品を譲渡することはあまり歓迎できる事ではない――むしろ大きな問題だろう。だが、誰も知らないのなら問題になりようもないということだ。
リュウトは二人の行動に口の端を持ち上げると、ウィリアムに向き直る。
「これを――――」
「あ、あ…ありがとうございます!」
ウィリアムの手がボタンに触れた時、リュウトは再び口を開いた。
「そして、メッセージをお伝え願えますか?」
「――? はい、もちろんです」
「では――――」
リュウトは半ば呆然とするウィリアムに、未来へのメッセージを告げた。
リュウトは機体側面のハッチを開いた。
その瞬間、キャビンには暴風が吹き荒れる。
「――――話は済んだのか?」
「ええ」
背後に立ったザフィーラの問い掛けに、リュウトはただ一言答えた。
「偶像のヒーローよりも、実際に存在するヒーローか…」
リュウトの傍らに立つクロノは風に掻き消されてしまうほど小さな声で呟いた。
そんな事考えもしなかった――クロノにとってリュウトという存在は身近なものだったのだからそれも当然だろう。しかし外に目を向けてみれば、こうして兄弟子に憧れる子供がいる。
「まったく、大したエースオブエースだ」
「――さて、行きましょうか」
弟弟子の呟きを聞き流し、青年は眼下に広がる荒野に視線を向ける。
「――ザフィーラ」
「なんだ?」
「これが済んだら、クロイツさんにここのパンフレット貰ったらどうでしょう?」
「――?」
「はやて君を連れてきたら、きっと喜びますよ」
家族旅行というものに縁の薄かった少女の事だ、満面の笑みでザフィーラの言葉に頷くだろう。
「――――そう、だな。それがいいかもしれん」
「少し時間をもらえれば、なのは君やフェイト君、クロノたちも一緒に行けるように出来るかもしれません」
その代償は山積した仕事だろうが。
「――――主にしかと伝えよう…」
「ええ、そうしてください」
リュウトはザフィーラに小さな笑みを向けた。しかし、その笑顔はすぐに消え去り、リュウトは操縦席に向かって声を張り上げた。
「一尉! そろそろ行きます!」
「――分かった! しっかりやって来い!!」
「はい! 一尉もバックアップよろしく!」
リュウトの言葉に返ってきたのは、親指を立てた拳と彼がよく知る機長の言葉だった。
「任せろ! 俺たちは馬車の馬じゃねえ、騎兵の馬だ! 命懸けでお前らの足になってやるぞ!!」
「――――はい!」
この部隊でリュウトが学んだ事は多くある。
それらはリュウト・ミナセという存在を形作る一つのピースとなっていた。
「クロノ」
過去は人を形作る。
過去は未来を形作る。
「ザフィーラ」
悠久の流れの中では一瞬でも、確かに現在はここに在る。
「――――行きます」
だからこそ、自分は過去を追い求める――――他の音が聞こえないほどの風の唸りの中、リュウトは彼方より飛来する光に目を向けつつ心の奥底で呟いた。
すぐ近くに仲間の気配を感じながら、三人の戦士は大空に舞う。
『――主! 下方より脅威接近!』
ヘリから飛び立ったリュウトたちを出迎えたのは双頭竜の放った誘導操作弾だった。
風を切り裂く甲高い音――轟く爆音――煌めく爆光。
それらは戦いに慣れた魔導師や魔導騎士ですらも瞠目する速度で三人に突き刺さった。
――――否。
「――――セットアップ」
静かなる求め――輝く黒――現れる真白き戦装束。
炸裂した魔力弾の残滓ともいえる煙の中から、三つの影が躍り出た。
≪おおおおおおおおおおおおッ!!≫
三つの影は揃って雄叫びを上げ、各々の魔力光の尾を引いて双頭竜へと迫る。
「クロノ!」
「ああ!」
初撃で仕留めたと思ったのだろうか、三人の出現に驚いたかのような鳴き声を上げる双頭竜。
その左右へと大きく弧を描いて回り込んだ白と黒の魔導師が、それぞれの黒き魔法杖に赤熱する力を纏わせた。
それは長い月日をかけて作り上げられた一つの呼吸の下、双頭竜へと牙を剥く。
「ブレイズ――――!!」
「――――キャノン!!」
赤き光が、赤き大地に影を生み出す。
それは巨大な竜の頭部を包み込み、魔導師たちに僅かな希望を与えた。
しかし――――
「――なんて硬さだ…」
クロノの呟きは双頭竜の上空を旋回する三人の共通認識。
ブレイズキャノンの二点同時発射一点集中砲撃により生み出された煙が晴れたそこには、先ほどとなんら変わらぬ巨大な頭部があった。
「あのミンギス隊長が逃げ戦を強いられる訳だ」
リュウトが思わず心の中を漏らす。
自分に将としての知識を与えた師の一人は、間違いなく優秀な指揮官だったはずだ。
それがああも一方的に敗走させられた理由が、リュウトにはよく分かった。
「――――どうする? 策を変える必要はないだろうが……」
ザフィーラの言葉にリュウトとクロノは脳裏に幾つかのパターンを思い浮かべ、それらを比較する。
どれもが有効であると考えられ、結果を導くに相応しい――――少なくとも二人の中で生み出された結論はそうだった。
違うのは、三人の役目。
「――――ラファエルとルシュフェルで分析と計算を行います。二人はその間、奴を牽制してください」
「――それしかないか」
「――うむ」
情報分析・処理能力は間違いなくラファエルとルシュフェルが最優秀だろう。インテリジェントデバイスとしては破格の処理能力を持っている二機だ、この役目にはうってつけといえる。本来は融合時の情報処理のための機能だが、ある程度能力を落とした限定状態ならば通常時でも使用は可能だ。
「その間、私は地上から二人のサポートをします。流石にAAランク状態で三次元戦闘機動を行いながらの情報処理は無理ですから」
最適な条件で連鎖攻撃を発動させるためには、それぞれの魔法を最適な出力で発動させなければならない。一つでも力が歪めば、魔法が連鎖崩壊を起こす可能性もある。
「――正直なところ、地上戦は久しぶりです。満足にサポートできないかもしれませんが…」
「気にするな。お前の仕事は情報分析だ」
「ハラオウンの言葉通りだ。ミナセはミナセの役目を果たせ、自分の言葉通りに、な」
二人の言葉に、リュウトは苦笑いを浮かべた。
「分かりました。それでは――」
「ああ、任せろ」
「――――」
二人は頷くと、リュウトから離れ、それぞれの軌道を描いて双頭竜へと向かって行った。
「我々も始めましょうか――これも古巣に対する恩返しです」
<Yes, my Lord.>
剣たちの返答に応えるように、リュウトは地上に向けて降下を始めた。
「まったく、地上戦は久し振りと言いつつとんでもない機動だな」
後背から迫る魔力弾に対し、急速反転の後、同じ魔力弾を誘導しての迎撃。同じ事が出来る魔導師がAAランクに何人いるというのだろう。
(AAランクといえば、リュウトが管理局に入った頃のランクだったな…)
自身も双頭竜より放たれる魔力弾を回避しつつ、クロノは頭の片隅でそんな事を思っていた。
(先天的な素質はあの三人と比べて戦闘向きじゃなかったはずなんだが――――ようは心掛け次第ということか)
資質という点では三人に引けをとらない兄弟子だが、三人それぞれが得意とする分野では遠からず追い抜かれるだろう。
「――確かに、あと数年も保たないな」
現在ならば一対一で三人の少女に負ける可能性は低い。しかし、数年の後にはそれも変わっているだろう。
「それまで、頑張るとするか」
少なくとも、彼女らが自分たちの許から旅立つまで――自分たちの道を自分たちの力で歩めるようになるまで。
「――往くぞ、S2U、デュランダル」
<Ok,Boss>
クロノは黒き魔法杖を構えると、それを双頭竜へと向ける。
「スティンガーブレイド!」
<fire>
S2Uの宣言が、青き刃の先駆けとなった。
「むんッ!」
双頭竜の巨躯が弾き飛ばした岩を、ザフィーラは裂帛の気合と共に繰り出した拳の一撃で打ち砕く。
彼自身の身体と比べても十分に大岩といえる岩塊は、大地と同じ色の雨を一時だけ降らせた。
「――俺を、力だけだと思うなよ」
ザフィーラの呟きと共に浮かび上がる剣十字。それは魔力を帯びた体を輝かせ、この世界に理を現す。
「――――かつての敵と共に戦う、か。数百年前の俺が聞いたら、どのような顔をするだろうか…」
魔法陣より飛び立つ光に目を向けてザフィーラは独りごちた。
(ミナセの闇――――我らと同じように、闇に囚われた者)
それは如何なる理由か?――――考えれば考えるほど答えは出ない。
(――――そもそも、俺に答えなど出せるのか?)
仮に答えを出せたとしても、自分に青年を闇から救う術などない。
主ですら救えなかった守護獣が、他人を救えるのだろうか。
そう考えたとき、ザフィーラは主である少女の笑顔が不意に脳裏に浮かんだ。
「――愚問だったな…」
独りで救う必要など何処にもない、自分は多くの仲間を得たのだから。
「もはや迷う事はない――――俺は、八神はやての守護騎士だ」
その主が望むなら、自分は如何なる困難にも立ち向かう――――仲間と共に。
「盾の守護獣ザフィーラ! 我は仲間たちの盾だ!!」
青き狼は雄叫びと共に巨大な影へと喰らい付いた。
「分析は!?」
『対象の表皮構造の解析が八九パーセント。内部構造が六九パーセント』
ラファエルの簡潔な返答にリュウトは僅かに顔を歪めた。
遅すぎる――デバイスに掛けられた制限がここまで処理能力にまで影響を与えているとはリュウトも考えていなかった。製作者がこの世に存在していないという特殊な状況が、二つのデバイスのコンディションにも大きな影響を与えているのだろう。
(どちらにせよ、この娘らの助けは受けられない、か)
意識内で詠唱を行いつつ、リュウトは状況の把握に努める。
双頭竜は頭上の二人に気をとられているが、リュウトに気付いていないわけではない。その証拠に、空中に浮かぶ魔法陣からリュウトに向かって無尽蔵に魔力弾が放たれ、その巨大な脚や尾がリュウトの周囲の地形を変えている。
本来なら距離を空けて戦うべきだろうが、リュウトを取巻く状況がそれを許さない。
(……く……身体が思うように動かない……)
直接攻撃を受けずとも、その衝撃によるダメージはリュウトの身体に蓄積されていく。
それ以外にも、砕けた砂礫がリュウトの防御フィールドを貫いて直接ダメージを与えていた。
『主、バリアジャケットの出力を上げてください。ここままでは、傷に影響が――』
『――すでに出ています。頭部、腹部、腕部、大腿部、レベル3の損傷です』
ルシュフェルの言葉をラファエルが即座に訂正する。
『表面上の傷は塞がっても、内部はそう簡単にいきませんか……』
魔法による治療は身体の内部に進むほど難しくなるのが一般的だ。表面上の裂傷や擦過傷、火傷などはすぐに治療できても、内部の筋肉や内臓、重要な骨格に対する治療は時間が掛かる。それは魔法を使わない治療でも変わらない。
それを防ぐためにもバリアジャケットの出力を上げるべきなのだろうが、制限により減った使用可能魔力総量はそれほど多くない。リンカーコアも完全に治癒したわけではなく、そのリハビリも兼ねての任務だ。
「――魔力に頼っていた私の責任ですかね。はぁ……」
リュウトは垂直な崖を足元に擬似重力場を作ることで駆け上がりながら、前方より飛来する光弾を接触するぎりぎりで回避していく。
魔力弾の持つ魔力とバリアジャケットの防御フィールドが反発し、風鳴りのような音をたてた。
それが幾度も続き、ようやく崖の終わりがリュウトの目に入る。
しかし――――彼は崖を登った先にある『それ』に気付かなかった。
「スティンガーブレイ――――がッあぁッ!!」
崖を登りきり、上空の二人を援護するべく魔法の剣を放とうとしたリュウトに、四角から高速で迫ってきた『それら』が激突した。
リュウトは『それ』を目にした瞬間、驚愕に目を見開き、口から声にならない声を漏らした。
(岩…だって? まさか――物質投射か!)
魔力で岩石などを操り、それを弾頭として相手に叩きつけるという攻撃方法はすでに珍しくない。対魔法防御に優れた敵でも、純粋な質量攻撃ならば有効であったりするからだ。
(油断した…! くそ! ここに来て油断ばかりじゃないか!?)
久しぶりに昔の仲間と会って気が緩んだのか――――リュウトはゆっくりとした世界の中で歯噛みした。だが、双頭竜が地を疾駆する虫けらにとどめを刺さんと繰り出した攻撃は、これだけではなかった。
背後より迫る圧迫感と風の悲鳴――そして、衝撃。
「ぐッ!」
『主様ぁッ!!』
取り乱したルシュフェルの悲鳴が聞こえたとき、リュウトの身体は凄まじい速度で岩壁に衝突していた。
リュウトに魔力操作された岩塊が激突する瞬間をクロノは視線の端に捉えていた。
それと同時に、双頭竜がその茶褐色の尾を兄弟子に向けて繰り出す場面もまた、彼の目は確かに捉えていた。
「リュ……!」
口より零れた警告は届かず、巨木と見紛うばかりの尾がリュウトに接触してその身を黄色い壁に叩き付ける光景を、クロノは口から漏れる悲鳴の残滓と共に見詰めた。
「――リュウト!」
クロノは自分の疑念が正しかった事を悟る。
(やはり傷が癒えてなかった…!)
同じ事件で負傷した局員は未だに治療を続けていると聞いた。それなのに、リュウトはこうして前線に出てきている。
(いくら治癒魔法が得意でも、魔法での治療が常時可能でも、たかだか二週間で完治するなんてあり得なかったんだ!)
十年前から変わらない兄弟子の行動に、クロノは怒りで拳が震えるのを感じる。
(まったく、演技ばかり上手くなる!)
クロノは拳を握り締めたまま、リュウトの激突した岩壁に向けて加速した。
一言文句を言わなくては気が治まらない――――クロノは心にそう決め、更に加速した。
「――――ッがぁ…!!」
背中から突き抜ける衝撃に、リュウトは背骨が――体中の骨格が悲鳴を上げている気がした。
肺から搾り出される空気、体中を暴走する血液、早鐘の如き心臓――――リュウトは自分が意識を保っていることに感謝する。
「――――リュウト!」
「――――ミナセ!」
自分に向かってくる二人の仲間。
そして、その背後を埋め尽くす岩石群。
リュウトは痛む身体を無理矢理動かすと、握り締めたままのラファエルを岩石群に向けた。補助は行わないが、照準装置としての役目は果たせる。
「我が盾は思考する盾、意思を持つ盾。其は自在なる城壁――フレキシブルフィールド」
リュウトの展開した薄灰色の防壁が、岩石群と二人を隔絶する。
すぐ傍に降り立つ二つの気配。そして、岩石が防壁に衝突した。
「ッく!」
半径数メートルのフィールドは、質量の槍を完全に防ぎきる。
だが、衝突の衝撃は術者の意識にも痛みを生じさせた。
「大丈夫か!?」
「――あと数分なら保ちます。それほど複雑な攻撃ではないので」
クロノ言葉に答えるリュウトだが、その顔には汗が輝いていた。
純粋な質量弾であることと、フレキシブルフィールドが攻撃を受ける部分に防御力を集中する能動型防御魔法であることが、魔力の少ないリュウトにも数分という時間を作る術を与えた。
たとえ双頭竜が攻撃を魔力弾に切り替えたとしても、単発の威力が低い魔力弾なら防ぐ事は可能だった。
「それより…あと一分足らずで解析が終わります。このまま一気に――――」
「終わらせる、か」
「ええ、この魔法で私の魔力は底が見えました。もはや、余裕はありません」
ザフィーラの言葉に頷くリュウト。
クロノもまた、小さく頷いた。
「僕の方もギリギリだ。だが、奴も無傷じゃない」
度重なる三人の攻撃で、双頭竜の体には多くのダメージが蓄積されているはずだ。それに、陸士隊の魔導師たちが与えたダメージも癒えてはいないだろう。
「限界は近いが、これで終わりだ」
クロノはデュランダルを握り締め、そう宣言した。
『フィールド解除します』
リュウトの言葉と共に、彼らを防護していた壁が消え去る。
双頭竜が三人に攻撃を仕掛けようと身を震わせたその時、その巨大な体に光の楔が打ち込まれた。
「鋼の軛ぃッ!!」
ザフィーラの気合が空気を震わせ、更に多くの楔が双頭竜の巨躯に突き刺さる。
双頭竜は束縛から逃れようと身をよじるが、光の柱が現れる度その動きを弱めていく。
「――貴様ごとき木偶に、俺の技は破れん!」
その上空、双頭竜の頭部付近に黒い影があった。
影は白く輝く杖を掲げると、その身に魔力を練り上げる。
「リュウトのタイミングに合わせるしかない、か」
一番詠唱に時間が掛かるのは間違いなく最後の一撃だ。
だが、制限の掛かった状態で行使可能な魔法の中では、間違いなく最高の攻撃力を誇る。
(エターナルコフィンと対を成す魔法か……)
クロノはデュランダルに集束していく魔力を確認し、空を見上げた。
「リュウト…!」
そこにあるのは太陽。
地上を照らす、灼熱の光球だった。
『彼』は恐怖していた。
己の体を拘束する光の楔に、目の前で輝きを増す魔力の輝きに。
――――何故。
目の前の小さな影は、先ほどまで自分が追い回していたはずだ。
それが、自分に恐怖を与えている。
――――何故。
これほどまでに恐怖を感じたことはない、自分は喰らうものだったのだから。
断じて、他者に滅ぼされるような存在ではなかったはずだ。
――――何故。
ひたすら浮かぶ疑問。
その彼の感覚に、小さな音が割り込んできた。
それは――――
「――――エルギア・エルギズム、紅蓮の時、灼熱の今、焦土の未来。コーギアム・エルギア・エルギズム、燃え上がる焔、吹き上がる炎――――」
小さく弱いはずの存在。
何処からか聞こえるその音に、『彼』は己の内から溢れる何かを感じる。
それは、本能的な恐怖。
自分を滅ぼす存在に、『彼』は恐怖していた。
空に輝く太陽に、『彼』は恐怖していた。
『始めましょう』
それが滅びの始まり。
それを切っ掛けとして、一つの命が終焉へと向かう。
「悠久なる凍土――」
クロノが静かに詠い始める。
その声に重なるように、天空に詩が響く。
「果て無き焦土――」
クロノは空から聞こえる詩に、自らの声を乗せた。
「凍てつく棺のうちにて――」
「猛き炎の腕にて――」
リュウトもまた大いなる凍土の存在を肌で感じ取り、言葉に力を込める。
そして――――
「永遠の眠りを与えよ」
世界に永遠の氷棺が顕現し――
「永久の安らぎを与えよ」
世界に無限の劫火が顕れる。
「凍り付け! 永遠の棺の内に!!」
クロノが叫び、双頭竜はその身を凍てつかせる。
僅かな時間で白く凍り付いていく巨体。
そこに――真っ赤に染まった空が反射した。
「灰と化せ! 無限の劫火の内で!!」
リュウトは叫び、空に掲げた掌を地上の双頭竜に向ける。
凍りついた巨体を、天より降りた太陽が包み込む。
それは、棺を灼熱の世界に変えた。
空に悲鳴が響く。
太陽に包まれた巨躯は光の中で蠢き、棺から――灼熱の地獄から逃げようとする。
だが、もはや時は止まらない。
「リュウト! タイミングを合わせろ!!」
「分かっています! 空間制御!!」
二人の魔導師は地上の太陽に右腕を向け、光り輝くそれを掌に納める。
棺と太陽は、二人の手に委ねられた。
「爆――!!」
クロノが指に力を籠め――
「――縮!!」
リュウトの手が握り締められた。
そして、終演を飾るのは――剣たち。
≪Implosion!!≫
四つのデバイスの唱和。
その言葉に背を押され、太陽は集束する。
大地に、光が生まれた。
『黄金色の大地に輝く赤き太陽――それを聞いて、君たちはなにを想像するだろう?
大地に生まれ出でた黎明だろうか。
それとも、明日に旅立つ黄昏だろうか。
私は違う。
私は――――人を見る。
必ず消える太陽のように、人もまた消える。
それを悲しみもするだろう、悔やみもするだろう。
しかし、忘れないで欲しい。
あの夜天に輝く星は――――確かに太陽なのだ。
星天は――人と同じように輝く、太陽たちの世界だ。
私は、新しく陸士として旅立つ君たち未来が青空の太陽であり、星空の星たちであることを願う』
新暦71年 三月 第三陸士訓練校校長 一等陸佐 リチャード・ミンギス
第四話につづく
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
――――終わらない、終わらないよ。
文字数多ッ!? スクロールバー小っさ!?
書けば書くほど長くなる不思議な物語です。
今回は本編第三話ということで、魔法少女なのに生身の女性が出てこないという話となりました。
男だらけだと楽ですな――――そんなこと言っていると投石器の標的にされるので、この辺でこの話はやめにしましょう。
リュウトとクロノが同じ魔法を使っている件について。
これはまあ、同門ということで納得いただけるかと思います。
折角同門という設定なんですから、この辺でダブルブレイズキャノンとかぶちかまして貰いたかったのです。
それでは、今回は感想版のお返事をさせていただきます。
※「―くらひとSSS― 昔語り ―出会い 後編―」を見させてもらいました。
最も作家悠乃丞さんの作品は、全て拝見させてもらっています。
それで、今後どのような展開になっていくかをいつも考えながら読んでいます。
これからも、素晴らしい作品を期待して待っていますので、体に気を付けて頑張って下さい。
>暖かいお言葉、ありがとうございます。
新生活が始まり、体調管理にも気を使うようになりました。
今後の全体的な展開としては、第三章でコメディ分を補充しつつ最終章である第四章に向かいます。
伏線はりまくりでどれだけ回収できるか不安ですが、最後まで突き進もうと思いますので、応援よろしくお願いいたします。
リクエスト等ございましたら、拍手、メール、掲示板等で一言いただければと思います。
さて、次回は海鳴でコメディです。
笑顔と真心。それは、接客の基本。
海鳴でその名を知られる喫茶兼洋菓子店『翠屋』そこで、一人の青年が就労しているという。
訪れた客は言う、彼は何者だと。
答えを知るものは、今、店の扉を開けた。
次回、魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第三章
第四話 〈リュウトの休日〉
扉の先に、少女は何を見るのか。