魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS 特別篇―――
―2月14日 乙女戦線異状ナシ 〜人ならざる者の恋愛神曲〜 ―
それは、槍だった。
「――――」
彼女にとって、目の前の存在から勝利を捥ぎ取るための槍だった。
「――――」
彼女はその刃を持ち、息を整えると、“それ”に向かって槍を繰り出した。
「――――」
“それ”の身を切り裂き、突き刺す。
「――――」
一瞬の躊躇いの後。
彼女は、それを口に入れた。
「――――」
一瞬の空白。
そして――
「――ダメだああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
叫んだ。
第97管理外世界『地球』極東地区日本の海鳴市で、周囲の動物達が逃げ出すほどの叫び声が響き渡った。
2月14日といえば、日本においてはバレンタインデーと呼ばれる。
元々何の日であったのかは忘却の彼方に追いやられ、日本の恋する女性はこの日、恋愛戦線を駆ける戦士になる――らしい。
なぜか、敗残兵は男ばかりだが。
ミッドチルダにあるかどうか定かではない風習だが、地球出身の魔導師を主に持つシグレには他人事ではない。
感謝の気持ちを伝えるという大義名分を得た彼女は、既に5回、過去にチョコレートを主に贈っている。
結果は痛み分け――恋愛戦線においては敗北と同義らしい――だった。
美味しいと言ってくれる主に思わず抱きついた去年と一昨年、それ以前は微妙な表情をする主の前で腹を切ろうとした。
彼女にとって2月14日は聖戦。
主の後背にて主を守る戦いではなく、主の正面にて主と戦う戦いだった。
しかし、そもそも勝負になっていない。
主に戦うという意識が無いのだから、戦いが成立しないのだ。
それでもシグレは孤軍奮闘した――決闘に等しい一対一の戦いで、相手も居らずに孤軍奮闘というのは虚しいが、本人は気付いていない。
「どうして、上手くいかない…?」
シグレは手に持った槍――フォークを握り締める。
既に今日は2月13日。決戦は明日に迫っている。
主は面会謝絶が解けると同時にクラナガンの民間病院へと移った。医務官の目がある為に管理局内の医療施設では出来ない仕事も、民間の病院なら出来るという判断だった。
もっとも、見舞いに来たリンディやレティに書類を取り上げられるなど日常茶飯事で、同じく見舞いに来たなのはやフェイト、はやてにまで説教を受けるのが日課と化している。
エイミィは見舞いの品を物色し、クロノは主に頼まれた書類を持ってくるのを義妹に見つかって、延々と説教を受けていた。
病院の経営が<ヘンリクセン>グループでなければ、早々に追い出されていただろう。
<ヘンリクセン>といえば、ハワード代表が直々に見舞いに訪れ、主を管理局から引き抜くべく説得を繰り返していた。
かのグループには警備会社もある。その特別顧問に主を推しているのだ。
条件として示された給与を横から覗いたエイミィが暴れたためにその場は流れたが、ハワード氏がそれだけで諦めるとは思えない。主の個室に配置されたSPは、きっと主を逃がさない為だろう。
管理局の医療施設で治療を受けた教導隊の面々は、自分たちとは病院と見舞いの待遇が違うリュウトに八つ当たりを敢行し、病院の職員に出入り禁止を言い渡されていた。
『これで勝ったと思うなよおおおおぉぉぉぉぉぉ……』
最後に残された捨て台詞は、今でも主の中で意味不明として記憶されているだろう。
そんな中、シグレは数日前から休暇を取って地球は海鳴に来ていた。
主の実家の掃除も早々に終わらせ、すぐに商店街と百貨店に買い物に出る。
買う食材は殆どが菓子の材料で、迫るバレンタインを知る商店街の人々は、シグレが戦士になることを予感していた。
シグレの意識は一つの事に向けられている。
それは――
「今回を逃せば、次は……」
シグレは呟く。
既にすべての駒は揃った。
夜天の王、守護騎士、そして彼女の主。
去年のように闇の書が目覚めていないわけではない。
それ以前のように、主の準備が整っていないわけではない。
今年を逃せば、来年はないかもしれない。
主の決断次第で、自分たちが来年も存在しているかどうか変化する。
「悔いを残さぬためにも、今年こそ……」
シグレはキッチンから出ると、リビングの片隅に伏せられた写真立てを手に取る。
伏せられた写真立てを裏返し、彼女はそこに在るすべてを目に焼き付けた。
「御母上殿、私は未熟者です。主殿が食べたいのは、おそらく御母上の作ったケーキでしょう。ですが、私には――」
写真に写っているのは笑みを浮かべた四人の人間。
それは、シグレが生まれる以前の主の記憶だった。
写真の日付は11年前。あの事件の直前に撮られたものだと、シグレはリーゼ達から聞いている。
クラナガンの自宅には一枚も無い主の家族の写真。
主は、この世界の記憶をあちらの世界に持ち込もうとはしない。
『この写真とさ、あたし達がリュウトと一緒に撮った写真が並んで飾られれば、きっとあの子は過去を乗り越えたってことだよね』
『でも、私たちには何も出来ない。八神はやてを封印しようとした私たちじゃ、あの子は救えない』
『だから、さ。あの子を少しでも支えてあげて』
『あの子の使い魔として、あの子を想う者として、それが私たちの貴女に対する最後のお願い』
主の育ての母たちは、一月前にこの家を訪れてシグレにそう告げた。
八神はやての様子を見に来たと言っていたが、真実は分からなかった。
「御母上。あなた様が主殿に贈ったケーキとは、如何なるものだったのでしょう」
主の母親はバレンタインデーに良人と息子にケーキを贈っていた。
シグレは主の母親の代わりに、主にケーキを贈ろうと考えたのだ。それから五年。未だシグレが納得するような出来のケーキは出来上がっていない。
主は美味しいと食べてくれるが、母親のものと比べれば劣るだろうと思っている。
主は嘘を言っていないだろう。それは分かる。
だが、主に写真と同じ笑みを浮かべてもらいたい。
その為には、このケーキを完成させなければならないのだ。
二年前まではクラナガンで作っていたのだが、どうしても納得のいくものが出来ないシグレは、ついに海鳴でケーキ作りをするに至った。
主の母親が使っていたキッチンで、同じ調理器具を使って作るという手段まで使うようになったシグレだが、結局こうして写真に話しかけることしか出来ないでいた。
「――――」
シグレは写真立てを元に戻すと、無言でキッチンに戻る。
目の前にあるのは彼女が作ったケーキ。
シグレはそのケーキを睨みつけると――
「いただきます」
食べた。
主の教育により食べ物を捨てる事が出来ない以上、自分で食べて処理するしかない。
使い魔である以上は太ることはないはずだが、心なしか体重が増えてきた気がする。
「――――」
頬を摘む。
ぷにぷにとした感触が返ってくるが、自分ではよく分からない。
だが――心なしか弾力が増した気がする。
「――――」
明後日になったら誰かに訓練に付き合ってもらおう――そう心に決め、シグレはケーキを食べ続けた。
「はあ…」
海鳴の街の片隅で、一つのため息が生まれた。
「――すでに手は尽くした。これ以上の策など、私には……」
すでに時刻は昼。
あれから幾つものケーキを作ったが、結局はこうして海鳴の街を徘徊する結果となっている。
シグレは昼食代わりのケーキをバスケットに入れて左手に持ち、微妙な色気の漂うため息を吐きながら、海鳴の街をうろうろしていた。
途中、しつこく声を掛けてくる若者を無力化した気がするが、シグレはそんな事は分子の一欠片も覚えていない。
シグレは追い詰められていた。
最後のチャンスだと思うと緊張し、余計な力ばかり入ってしまう。
「はあ……」
ため息がもう一つ。
そんな時、シグレの鼻をくすぐるチョコレートの匂い。
「ふむ――これは、なかなかの腕と見た」
チョコレートケーキに関しては主以上の腕前を見せるシグレの本能が、この匂いは最上のケーキのものであると告げる。
戦場に立つ時の緊張感が、彼女の体を包み込む。
こうなれば――
「行くしかあるまい」
シグレが角を曲がり、匂いの元を見つける。
「――は?」
その時の彼女の顔は恐ろしく間抜けだった。
彼女の目の前にある店の名は――
「――翠屋?」
喫茶『翠屋』
高町なのはの両親である高町夫妻が経営する喫茶店だった。
――カランコロン
「いらっしゃいませ〜」
「あ、どうも」
「あら、ええと、シグレさんだったかしら…?」
「はい」
「珍しい…わよね。一人でいらっしゃるなんて」
店に入ったシグレを迎えたのは、この店の店主である高町桃子だった。
主の方なら一人で訪れる事もあるが、シグレが一人で翠屋を訪れることなど今までになかった。
「お昼ご飯?」
「あ、え、お…」
「え?」
「け…」
「け…?」
「ケーキ、下さい」
シグレの言葉に呆然となる桃子だったが、よくよく考えてみれば、喫茶店でケーキを頼むなど珍しくも何とも無い。
強いて言えば注文する客そのものが珍しいが、それは心の中に仕舞い込む。
桃子が気を取り直して、注文を受ける。
「ええと、お昼ご飯はいいの?」
「いえ、いいです…」
昼食のデザートかとも思ったが、どうやら違うらしい。
シグレの態度に首を傾げる桃子だが、シグレの持つランチバスケットが眼に留まった。
「それって、お昼ご飯?」
「ええと、そうですが――」
「ちょっと見せてもらってもいい?」
桃子は興味の赴くままにシグレに問い掛ける。
リンディの料理は知っているが、シグレの料理など話に聞いたことも無い。
彼女の主が作った可能性も、その主が入院中の今では無いに等しいだろう。
「ですが…」
「見るだけ、ね?」
「はあ、分かりました」
渋々といった様子でランチバスケットを手渡すシグレ。
桃子はそれを受け取ると、カウンターの上でバスケットを開いた。
「――――」
無言。
桃子はバケットを開いた表情のまま、完全に硬直していた。
ケーキ。
最早その一言ですべては事足りる。
「――――」
バスケットを埋め尽くさんばかりのケーキ。これがケーキの詰め合わせならまだ納得いくのかもしれないが、バスケットに入っているのはチョコレートケーキばかりだった。細かい種類に分ければ、確かにそれは詰め合わせだろう。結局はチョコレートケーキの詰め合わせだが。
「すみません…」
「――――」
何に対して謝罪しているのか疑問だが、シグレの言葉に桃子はこの世界への帰還を果たした。
「――これ、全部食べるの?」
「捨てる訳にもいかないので…」
「それはそうでしょうけど――――太らない?」
「う…」
先ほど頬を摘んで以来、どうも体重が気になるのだが、結局体重計に乗る事は出来なかった。
乗れなかったというべきだろうか。
「どうしてこんなにたくさん――――ああ!」
桃子は目の前にいる女性が何を思ってこれを作ったのかを察した。
ただ一人の者のために作られたケーキ。
唯一無二の創造主に対する感謝の気持ちと、隠した思慕の念を込めたケーキ。
「渡さないの?」
「渡したいのですが……完成しなくて」
「でも…」
桃子はバスケットの中を覗き込む。
これだけあるのなら、完成しているのではないか。
だが、シグレは頭を振る。
「それでは駄目なのです。私が渡したいのは――」
「――特別なケーキ?」
「はい…実は――」
シグレはこれまでの経緯を話した。
もちろん、主がこの世界の出身者であることは伏せたが、それ以外で話せる事はすべて話した。
「うむむ…」
シグレの話を聞いた桃子は、唸りながら考え込む。
パティシエとしては見た限り問題があるとは思えない。
そして、何か特定の種類を作りたい訳でもない。
個人の作るケーキを特定するなど不可能だが、それでも食べたことのある人間がいれば似た味のものを作り出す事はできるだろう。
「う〜ん…」
同じ女性としてはシグレの応援をしたいが、自分には彼女が最終的に何を作りたいのか分からない。
ならば出来る事は――
「――シグレちゃん。これ、食べてもいい?」
「ええ…構いませんが……って、シグレちゃん?」
「うちの娘――特に美由希なんてまったく料理しないから……ダメ?」
こうしてお菓子作りで悩むシグレに、桃子は親にも似た感情を抱いた。
自分の得意分野で助けられるというのなら、恋する乙女を応援するというのもいいだろう。
「ダメではないですが…」
「じゃあ、シグレちゃん。一つ頂くわね?」
「あ、はい」
「それじゃあ、いただきま〜す」
バスケットを占領するケーキの中から一つを選び出し、桃子は真剣そのものの顔でケーキを噛み締める。
「――――」
緊張の表情で桃子を見つめるシグレ。
去年は知り合っていなかった為にこうして試食してもらう事も出来なかったが、今年はお菓子のプロフェッショナルである桃子の意見を聞くことが出来る。シグレは最初からこうすれば良かったと思った。
シグレが軽い後悔に苛まれている間に、桃子はケーキを食べ終えていた。
小振りなケーキだったこともあって、それほど時間をかけずに食べ終わったようだ。
「――――」
「――――」
両者共に無言。
桃子は目を瞑ってケーキの出来具合を確認し、シグレはカウンターに身を乗り出しながら答えを待つ。
「…………」
ごくり――シグレの喉が小さな音を立てる。
そして、桃子が口を開いた。
「――美味しいわよ。すごく」
「はああああああああ……」
シグレがカウンターに崩れ落ちる。
心臓が止まる思いだった。
「でもね…」
「!!」
本当に心臓が止まる思いだった。
桃子の言葉に耳を傾けるシグレの表情は、緊張に支配されている。
「無理してるって、感じかな」
「無理――ですか?」
「そう、無理」
「…………」
していないとは言い切れない。
むしろ、しているだろう。
ここ数日ケーキしか食べていないし、睡眠時間も激減している。
使い魔である事を考慮しても、健康的な生活とは言い難い。
「それでね…、その無理が味に出てきちゃってる気がするの」
「そう、ですか…」
「お菓子作りって繊細でしょう? だから、心の動きが味に出やすいのよ」
「――――」
ぐうの音も出ないという経験を、シグレは初めて味わった。
口げんかで言い負かされるなど珍しくないが、ここまで反論できないというのは初めてのことだ。
「なら…私はどうすれば……」
すでに万策は尽きた。
桃子のアドバイスは非常にためになるものだったが、シグレにとっては止めを刺されたようなものだ。
これでは、主に思い出のケーキを届けるなど不可能だ。
「――――」
――そもそも自分のような欠陥使い魔がやる事など、はじめから成功する可能性は無かったのだ。
主の母親が愛情を込めて作ったケーキに、自分のような人ならざる者が挑戦した事自体が間違いだった。
所詮戦うしか能の無い自分に、主の思い出を語る資格があるはずもない――
シグレは眼に浮かぶ涙を抑える事が出来なかった。
「う…うう……」
「だから、ね」
桃子の言葉にも、シグレは顔を上げられなかった。
きっと、自分はすごくみっともない顔をしている。
主以外の人間に、それを見せるわけにはいかない。
「だから、貴女のケーキを食べさせてあげなさい」
「――え?」
「誰かの真似じゃない。貴女のケーキを食べさせてあげなさい」
「私の…?」
「貴女の想いを届けたいのなら、貴女のケーキを作りなさい。不味くてもいい、貴女だけが作れる、貴女だけの想いが詰まったケーキを作りなさい」
「…………」
「お菓子は心を映す鏡よ。何かの真似だけをした心は、贋物の味にしかならないわ」
「私の…想いだけ…」
「ええ、本当の想いだけを込めて、ね?」
笑いかける桃子の言葉に、シグレは小さく笑みを浮かべた。
「分かりました。私だけが作れるケーキ、作ります」
「ええ、頑張ってね」
桃子に送り出され、シグレは店の外へと飛び出した。
彼女が去った後には籐のバスケットだけが残されたが、それがシグレの手に戻る事はなかった。
時刻は日本時間の18時。
この世界、それもこの国の風習である以上、残された時間は長くない。
だが、主が眠るのは日付が変わってからだから、急いで作れば何とか間に合うだろう。
「――御母上。貴女も貴女だけのケーキを作ったのですね」
今なら分かる。
主の母親が作ったケーキは、主の母親にしか作れない。
良人と息子にだけ向けられる愛情。
他の誰にも向けられることの無い愛情。
親の愛情は一種類だけではない。
主――リュウト・ミナセに向けられた愛情は、彼の妹に向けられた愛情とは別のもの。
唯一つ、同じものの無い愛情だからこそ、幼い主は笑みを浮かべて母のケーキを食べたのだろう。
ならば――
「ならば、私もあの方だけに向ける想いで――」
リーゼにも負けない想いで――
「私は、最後まであの方と共に在ります。だから、あの笑顔を私にも見せてください…!」
シグレの言葉は、誰にも聞かれること無く、海鳴の空に消えていった。
日本時間の23時48分。
「転送ポートが故障するなんて…!」
シグレは走っていた。
クラナガンを走っていた。
「このままでは…」
シグレがケーキを完成させたのは、今から一時間ほど前のことだった。
すぐにミナセ邸に設置されている転送ポートでミッドチルダに向かおうとしたシグレだが、設置されていた転送ポートが故障していた。
それに焦ったシグレは、たまたま全員揃って家族の団欒を楽しんでいたハラオウン家に飛び込んで、リンディにアースラまでの転送ポート使わせてもらい、アースラで当直をしていたランディを半ば脅してここまで来たのだ。
「間に合わなければ、意味が無い…」
もしも間に合わなければ、自分が込めた想いも消えてしまう気がして、シグレはひたすら走る。
疲労している所為で飛行魔法が使えないのが辛い。
スピードではフェイトに匹敵するとはいえ、空を飛べなければその長所も半減だった。
「こんな事なら、もっとちゃんと食事を摂るんだった」
後悔しても遅い。
だが、そこに至ってようやく、彼女の眼に主の入院している病院が見えてきた。
日本時間23時56分。
その病室の主は仕事をしていた。
昼間のうちに部下に頼んで持ってきてもらい、見舞いの魔の手から生き残った書類たちだ。
彼はひたすら書類の決裁を進める。
怪我はそれほど時間も掛からずに治ったが、彼の一番の問題はリンカーコアだった。
完治までは一月ほど掛かるらしく、その間は書類仕事がメインになるだろう。
「というか、これって時間外就業じゃ…」
独り言が漏れる程度には、彼も疲れているようだ。
だが、彼の感覚によく知る気配が入り込んでくる。
「――――」
だが、こんな時間に来る理由が分からない。
緊急事態なら情報端末に連絡が来るはずだ。
「はて――?」
首を傾げながら、その部屋の主は書類を隠していく。
もしも見つかったら、その書類たちは管理局の彼の部屋へと強制送還されてしまうだろう。
そうなれば、自分が溺死する可能性が高くなる。
「データで送ればいいのに……もしかして、嫌がらせか?」
そんな言葉を口に出した瞬間――
「主殿ぉッ!!」
「うわっちゃっちゃ!」
彼は最後の書類を慌てて枕の下に隠し、扉をすごい勢いで開けた使い魔を見る。
そこには全身から鬼気を滾らせた彼の使い魔がいた。
「シ、シグレ…!? ――書類仕事なんてして無いですよ? ええ」
「主殿っ!!」
「はいぃ!! してましたぁ! すみません!!」
すごい剣幕で迫るシグレに、リュウトは抵抗する事の無意味さを知った。
だが、シグレの次の言葉に彼は眼を丸くした。
「これ! すぐに食べてください!!」
「はあ……?」
突然紙袋を突きつけられて、驚き、呆然とするリュウトに、シグレは切れた。
「口開けて! あ〜ん!! ほら、早く!!」
「へ…?」
「いいから口開けるッ!!」
「了解しましたぁ!!」
そう言って口を開けるリュウト。
その口に、小さめに作られた“それ”が叩き込まれる。
「!? ――ごほっごほっ!」
「主殿! お味はどうですか!?」
「――よく分かりません…」
突然口にものを放り込まれれば、誰でもそうなるだろう。
だが、シグレはそれでは納得できない。
「それでは、次ですっ!!」
「待ちなさい! 食べますから! その手を下ろしなさい!!」
次弾の装填を完了したシグレが構えると、リュウトは慌ててそれを止める。
このままではシグレと心中する羽目になるかもしれない。
「食べますから、それを貸して下さい」
そう言って紙袋に手を伸ばすリュウト。
だが、シグレは半ば切れたままだった。
「手が汚れますから、口を開けて下さい」
「――――」
「――主殿」
「――――」
「――あ・る・じ・ど・の」
「――――」
「――抉じ開けますよ…?」
「あ〜…」
「はい、あ〜ん」
「むぐむぐ…」
普段の二人なら考えられない光景が繰り広げられたが、頭の螺子が飛んでいるシグレにとっては些細な事だ。
リュウトの感想を待つ彼女の顔には、判決を待つ被告人の表情がある。
「――――」
「――――」
リュウトの表情に変化が訪れる。
「ふむ……美味しいですよ」
「――!!」
そこにあったのは、確かに笑顔だった。
写真とは違う。だが、本物の笑顔。
「シグレ?」
「――――」
自分だけの想い。それに対する答えもまた、自分だけの笑顔。
「――シグレ? シグレさん? シグシグ? ええと、シーちゃん?」
「はい!」
「おをッ!?」
まさかそんな名前で返事をするとは思わなかったリュウトは、心の底から驚いた。
まさか、リーゼが使っていた呼び名に反応するとは……
そんな事に驚いているリュウトだが、もちろん、そんな事はない。
「シグレ」
「はい」
「これの為にこんな時間に来たんですか?」
「はい」
「無茶だと思いませんでした?」
「思いました」
「だったら――」
――明日でもいいのではないか。そんなリュウトの言葉を遮って、シグレは笑った。
「無茶なのは主殿に似たのです。それに――」
「それに?」
「私も一度くらい、こうして自分の意思を通したかったのです」
「――――」
「でも、お叱りはキチンと受けます」
「――そうですか」
「はい」
清々しいまでの笑顔を見せるシグレに、リュウトは溜息を吐いた。
反省している者に反省を促しても意味が無い。
それに、一度くらいは大目に見るべきだろう。
「――分かりました。以後、気をつけなさい」
「はい!」
自分に似たというのなら、シグレの行動は自分の責任でもある。
――私もこんな風に見えているのだろうか?
リュウトは満面の笑みを浮かべるシグレを見ながら、ふと、そんなことを考えた。
無いはずはないおまけ
「今日って、お菓子の日なんですかね?」
「は?」
「いや、なのはさん達もお菓子をくださいまして」
「はあ…」
「アリサやすずかさんからも貰ったんですが、アリサのチョコに義理と書いてありました」
「義理…なんでしょうね」
「義理…ですか」
「はい」
「シグレのケーキはどうなんですか?」
「はあ!?」
「いえ、だから…」
「――ま、真心ですッ!!」
「真心…ですか?」
「はい! 真心です!!」
「そうですか…」
「そうですッ!!」
END
〜あとがき〜
皆様こんにちは、悠乃丞です。
場合によっては本日三度目のこんにちは。
バレンタイン特別篇と題しまして、シグレの最後のバレンタインを描きました。
いや、最後になるかは謎ですが。
今回はオリジナルキャラメインで、それ以外のリリカルキャラは桃子さんのみッ!!
だって、パティシエなんていうバレンタイン向けの仕事なさってるんですもん。
ちなみに作中で桃子さんが言っていた事は、昔私が聞いたことです。
幼いながらも感動したのを覚えていて、殆ど忘れてしまった内容を出来るだけ再現した結果、ああなりました。
手作りチョコの話だったと思うんですが…
ちなみに私の周りには、手作りのチョコより美味しい市販のチョコなど存在しないと豪語する知人もおりました。ちなみに彼は敗残兵です。
さて、バレンタインの話はいいとして、この話は本編と完全同期しておりますので、こうして私もバレンタイン特別篇を書かせていただきました。
リクエストも頂きましたし、私も書きたかった話が書けて満足です。
シグレが次のバレンタインを迎えられる可能性はあまり高くないですが、それでも来年の構想を練っている事でしょう。
彼女は強いです。リュウトより強いです。
でも、リュウトの好みは淑やかな女性ですッ!!
そんなどうでもいい裏設定はともかく、第三章へとつづく特別篇、いかがだったでしょうか。
私もこれで第三章へと意識を向ける事が出来ます。
それでは皆様、第三章でお会いしましょう。