魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
幕間
〈運命の狭間の物語〉
「今回の事件における情報統制に関する報告は以上です」
時空管理局本局医療センターの一室で、一人の若い男が自らの言葉を締めくくった。
彼の目の前に存在するのはただ一人、彼が上官と仰ぐ青年だけだ。
その上官は今次の騒動の最終局面で負傷し、巡航L級八番艦アースラの医務室からここに担ぎ込まれた。
それに関する騒動は、今でも記憶に新しい。
最小限の魔力消費のために小さな鳥となった使い魔がセンター中を飛び回り、珍獣捕獲騒ぎが起こった。主が心配で心配で、そのあまり我を忘れて飛び回った使い魔は、現在では自分の仕事に戻っている。先ほどまでは主のいるこの部屋の前に噛り付いていたのだが、主の一言で渋々職務に戻った。
青年の怪我は間違いなく重傷で、リンカーコアも自己回復が難しいほど衰弱していた。
その為、今に至るまで面会謝絶であった青年の言葉は、医務官によって使い魔に届けられたのだ。
この面会の終了をもって面会謝絶は解除される予定だが、その後に訪れる混乱は、部下にこの場所に来るのは遠慮したいと思わせるには十分だろう。
「――そうですか。ご苦労様です」
青年――リュウト・ミナセの声は比較的平穏を保っていたが、それでも疲労の色が濃かった。聞く者によっては珍しいと感じたかもしれない。
リュウトの部下として一年以上共に仕事をしているが、部下にとっては未だ謎が多い上官だった。
今回の騒動――対外的には騒動の中心となった惑星の名を取って『プルガトリア事件』として発表された――は、管理局内の上層部と一部の関係者には『マンティコア事件』或いは『<メイガスの鍵>事件』として膨大な教訓と共に記憶された。
事件の詳細が記録された文書は封印され、約百年後の新暦160年に公開されることとなる。
管理局やその他の組織の一部の人間が、<メイガスの鍵>によって得られる巨大な利権を求めたことが今回の事件の直接の原因とされ、その発端となった<メイガスの鍵>がマンティコアと共に消滅したこともあって、彼らは完全に失脚した。
管理局上層部においては強硬派、穏健派問わず逮捕されるものが続出し、その派閥勢力図が大きく変わることとなった。
その一連の動きのもう一つの要因とされた『闇の書』関係者に対する一部強硬派の暴挙は、その騒動に関わらなかった――とされる――その他の上層部の判断により秘匿され、一切の公式文書から姿を消した。その結果、闇の書の関係者として騒動の中心にいた一人の少女は一切の責を問われることなく、騒動そのものが存在しなかったという形ですべての決着がついた。
その過程で逮捕されたスコット・カーライル元提督は、別件でも起訴され管理局を辞した。
強硬派からはその後にも自主的に管理局を退職した高官も複数いたが、彼らは退職の理由を明かさず、管理局の内部情報の一部を掴んだ報道関係者の格好の標的となった。彼らが報道関係者に一言だけ漏らした言葉――
「我々は未来を見つけた。彼らにこそ光は相応しい」
その言葉はいくつもの憶測を呼び、管理局内でいくつかの重要職の世代交代が行われたのではないかという説が最も有力とされたが、真実が明かされることはなかった。
結論からいえば、今回の騒動によって上層部の主流派は一時的にせよ影響力を低下させ、非主流派であった若手穏健派が発言力を増した。
管理局内の殉職者12名、その他の死者3名。負傷者は管理局内外を含めて一千名を超えた今回の『プルガトリア事件』は時空管理局と聖王教会、その他の組織にロストロギアに対する教訓を植え付け、幕を閉じた。
だが、事件の真実はほとんど秘匿され、すべての真実が周知された新暦160年においては、当時の真実を知るものはすべてこの世を去った後であった。
「犠牲者の葬儀はどうなりました?」
「先日、管理局・教会合同の葬儀が行われました。提督の代理には僭越ながら私が…」
「それは……ご苦労様でした。――ありがとうございます」
リュウト個人の知人も犠牲になったことは部下もすでに知っている。上官が快癒した暁には一日か二日、休暇を申請することになるだろう。部下はその根回しの準備を始めようと決意する。
今回の一件で上官の発言力も僅かながら増した。それに伴って上官には知らせなければならないことがまだいくつもあった。
「退職した幹部の方々からお見舞いの手紙が本局の方に届いておりました。特に問題の無かったものはお持ちしましたので、あとでご覧になってください」
「――彼らか……。極地の海に投げ落とされて目が覚めたといったところかな。いや、ようやく気付いたということか」
「おそらくは……。八神はやてに対しても謝罪の手紙が届けられたようです。守護騎士の方々が確認したようですから、問題はないかと」
部下の言葉に頷くリュウト。
リュウトにとって見れば、彼らも偉大な先輩だった。尊敬の念は未だに消えてはいない。
「それとは別に、いくつかの企業から提督に面会を求める連絡が来ております。退職した方々と関係が深かった企業であると思われます」
「厚顔無恥といえばそれまでだが、仕事熱心だと思うべきだろうな」
「<ヘンリクセン>との間に間接的なパイプを求めているという面もあるでしょうが。<クーガー>の一件で、彼らも明日はわが身だと認識したんでしょうね」
「分かった。仕事に復帰したら会うだけはしてみよう。調査は続行してくれ」
「はい」
企業からすれば、『管理局のお飾りリュウト・ミナセ』を若造と侮ってはいられなくなったのだろう。管理局は多くの企業にとって上得意だ。権力闘争に勝った――と彼らには見えている――リュウトに繋ぎを作りたいのは企業にとっては自然の成り行きだった。
だが、部下は思う。
上官は不正を甘い蜜ではなく、身を滅ぼす猛毒と認識している。企業が求めるような働きは出来ないだろう。
不純な見返りを求めない関係であるのなら、上官は企業にとって有益な存在になるだろう。だが、一度見返りを求めれば、彼らは上官の持つ猛毒で滅ぼされる。
日頃から、不正などわざわざ攻撃材料を作るだけで全く益が無いと豪語する上官を部下は慕っていた。
士官学校で上官の講義を受けて以来、彼は上官の生き方に憧れに近い感情を覚えていた。
もっとも与えられる仕事は激務で、前に自宅に帰ったのはいつの事だろうと呆然とした事もあるが。
「それともう一つ。『彼女』が意識を取り戻しました」
「!?――そうか……」
部下の言葉に一瞬だけ表情を崩したリュウトだが、すぐに元の表情に戻った。
部下は報告を続ける。
「ですが、大部分の記憶が失われているようです」
「どういうことだ?」
部下は報告書を捲りながら、上官の言葉に答える。
「調査に当たった医務官の話では、マンティコアと同化していた際に記憶をマンティコア内に保存していたのではないかと」
「――――つまり、彼女の体は単なる部品だった」
「そういう見解だそうです。精神と肉体を完全に分離し、両者の保全を図っていた可能性があるとも」
「マンティコアにとっては肉体だけがあれば事足りた。だが、肉体と精神には何らかの繋がりがあると考え、別々に保存することにした、か」
「私も同意見です」
リュウトが目を伏せる。自分が少女の精神を消し去ったという可能性を考えているのだろう。
彼らが少女の過去を知るはずも無い。
知っていたのなら、少女の記憶、或いは魂は家族と――最愛の人と共に旅立ったのかもしれないと思っただろうか。
「検査終了に伴って、彼女を引き取りたいという研究施設がいくつか出てきています」
「早いな…」
「ええ、どこから漏れたのか……全く」
憤然とする部下に苦笑を浮かべながら、リュウトは問い掛ける。
「上層部の見解は?」
「――提督に一任するそうです」
「――責任丸投げ…か?」
「ええ、責任丸投げです」
今回の騒動で体力を失った上層部に、少女をどうにかする余力は無かったのだろう。記憶を失った肉体、それも自分たちと全く変わらない肉体に用はないということかもしれない。
少女に古代の記憶が残っていれば、彼らは多少の無理をしても自分たちの手元に少女を置いておこうとしただろう。だが、その価値はないと判断された。
部下の顔に隠しきれない怒りが滲み出てくる。しかし、リュウトはこの決定を利用させてもらう事にした。
「私個人で引き取ると」
「――よろしいのですか?」
「下手に組織で引き取るわけにもいかないだろう。個人なら養子と変わらない」
「表向きは、ですが」
「ああ、それで十分だ」
「分かりました。その旨、伝えておきます」
部下は上官の決定に従う事にした。
間違っているとも言い切れない判断だったからだ。
少女を民間の施設に入れれば、様々な組織や個人が砂糖に群がる蟻の如く押し寄せるだろう。さりとて管理局の施設に入れれば、上層部が少女にとって有益になるとは思えない状況を作り出す可能性がある。
それを考えれば、リュウトが引き取るというのは上策。
マンティコアに対する作戦はリュウトも深く関わっていた。そのリュウトが引き取るのに、大きな理由を求められる事はないだろう。
「グレアム氏には、私から連絡を取っておく」
「では、グレアム元提督の所へ?」
「地球なら管理局も無茶は出来ないだろう。それに、リーゼは子育ての経験もあるからな」
そう言って、顔を青くさせるリュウト。
自分が育てられた状況を思い出したのだ。
だが、リーゼ達の愛情は本物だ。
少女の事を知れば、積極的に協力を申し出てくるだろう。
「最後に一つ。副官の配属は2週間遅れという形になりそうです」
「――向こうには迷惑をかけるな……」
「そうですね。連絡したときの冷たさは思い出したくありません」
「…………」
「学校の教え子たちが送別会を開いてくれたそうですよ。なのに、いつまで経っても転属しないから……」
「…………」
「『氷の才媛』を怒らせると、どうなるんでしょうね」
「ええと…」
「お断りします」
部下のバッサリと斬り捨てる言葉に、リュウトは項垂れる。
副官着任時に同席してもらおうという考えは、部下によって完全に断たれた。
(仕方が無い、紹介するって形でクロノでも呼ぼう)
可愛い弟弟子を巻き込む決意を固めたリュウト。
その頃、管理局の一室で一人の執務官が途轍もない寒気に襲われていた。
「『ルシュフェル』『ラファエル』の方も、大方の修理は終わったそうです」
「そうか、良かった」
「ですが…」
「修理は出来ても――か?」
「ええ。ですが、その事で進展があったそうです」
「ほう」
「修理のために両機の設計図を個人データバンクから引き出したとき、別のプログラムが作動したようです」
「というと…?」
「パスワードが分からないので何ともいえませんが、両機からの特定のシグナルと、設計図その他のデータを取り出そうとする事で作動するようにセットされていたようです」
部下の言葉に首を傾げる。
確かにリュウトのデバイス関係の師は変人に近かったが……
(いや、むしろ納得か…)
リュウトはパスワードを越えた先にある第一声は『こんな事もあろうかと』だと確信する。
「とりあえず、修理だけお願いします、と」
「分かりました」
「そっちのプログラムに関しては、私が直接出向くので、それまで放って置くようにしてもらってくれ。下手にいじると管理局のメインシステムに喧嘩を売りかねん」
「――了解」
部下の返事は何処か疲れたようなものだった。
この上官の部下になってから、自分の胃は鍛えられ続けている。
いつか鋼鉄の胃袋を手に入れる事になるだろう。
「報告は以上です。何かございますか?」
「いや、手間を取らせたな」
「いいえ。ご無事の帰還、何よりでした」
「無事でもないが…」
「むしろ、これからが大変ですね」
「ああ。――そうだ、一つだけ頼む」
「はい」
「重要書類だけでも、こっちに持ってきてくれ」
「――――」
「仕事復帰と同時に溺死はしたくない」
「――了解」
部下が退出した個室の中で、リュウトは近頃見るようになった夢を思い出す。
夜天の王と無制限戦闘形態というピースが揃った事で、彼の中で何らかの変化が起こり始めていた。
11年前の記憶。
家族を喪った時。
闇の書をこの目に焼き付けた時。
泣き叫び、この世のすべてを拒絶した時。
その記憶が、彼の中で悪夢を呼び覚ましている。
何度も見ながら、全く慣れる事ない夢。
妹と助けようと手を伸ばし、絶望を掴み続ける。
内なる声。
(お前が成したいのは復讐だろう?)
「その通りだ」
(ならば、何故動かん)
「今は時ではない」
(時ね…。来ない事を願っているのではないか?)
「――――」
(貴様は今を生きたいのだろう?)
「――――」
(父を、母を、明日香を忘れ、今の安寧を甘受したいのだろう)
「――違う」
(忘れてなどいない…か?)
「そうだ」
(忘れる事はないだろうさ。だが、見ないようにしている)
「違う」
(前に進んでいる、か。自分はどうなんだ?)
「――――」
(あれは、自分に言いたいのではないか?)
「――――」
(貴様が誓った復讐。だが、捨てきれない復讐もある)
「――――」
(時は過ぎる。貴様の牙はあの時とは比べ物にならないほど鋭くなった)
「ああ」
(だが、貴様はその牙をたてる相手を見つけられずに居る)
「――そうだ」
(牙をたてる相手を間違えるなよ)
「――当然だ」
(時は過ぎる。時は、近い)
第三章につづく
〜あとがき〜
皆様こんにちは、悠乃丞です。
第二章完結。やっと終わりました第二章。
二ヶ月超の時間がかかりましたが、何とかここまで書けました。
感想を下さる皆様。読んで下さる皆様。いつも、ありがとうございます。
作者は感無量です。
初めての長編である第二章では、はやての管理局との確執やリュウトと同じように力を求めた存在が出てきます。
はやては言うまでも無いですが、古の少女もリュウトにとっては大事な存在です。
11年前に求めた力で救った最初の一人ですから、リュウト君の中では特別なのです。
その所為もあって、彼女はリュウトが引き取る事になりましたが、彼女が今後この作品の本編に出る予定はありません。(言い切った
短編の展開次第では出るかもしれませんが…
閑話休題
マンティコア、これは私のイメージ的に巨○兵でしょうかね。というか、巨○兵くらいだったら、なのはさん達はそれほど苦労せずに倒せるんじゃないかと思ったりします。
見た目は巨○兵、大きさはデイ○ラ○ッチ。能力は最終兵器っぽい。最悪じゃないか。
更に閑話休題
さて、次回は第三章第一話となりますが、第三章は短編連作になります。
短編と変わらないじゃないかと言われると困るんですが、第三章は時系列がはっきりしているので、いろいろ違うのです。
なのはさん達がリュウト君の過去を知る為の章でもありますので、最終章への布石がてんこ盛りです。
短編の方もいくつか出しますが、総合的に軽めの話が多くなるでしょう。
シリアスだけでは生きていけないので、作者はコメディを書きます。
コメディ欠乏症になると、モチベーションは急降下です。
そんなこんなで第二章も終わり、物語は後半戦へと入ります。
第三期の機動六課に、公○九課や○車二課を思い出しながら、あとがきを終わりたいと思います。
それでは皆様、次のお話で会いましょう。
来るは『氷の才媛』
彼女は青年に一つの矛盾を叩きつける存在になる。
魔法の才に恵まれ栄達を重ねてきた青年は、彼女にとって最大の敵。
だが、彼女もまた、矛盾を抱える存在だった。
執務官が嘆き、使い魔が怒り、青年が逃げ腰になる。
次回、魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第三章
第一話 〈氷の才媛、来る〉
さあ、出演者が揃った。