魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第二章
第八話
〈悪夢〉
『この声を聞くことが出来る範囲に居る局員は、戦線維持に必要な人員を残し集まるように…』
彼らの指揮官の声を聞くことが出来た者は、彼が予想したよりも少なかった。
急造の強装結界により、結界内部の念話は著しく阻害されていたからだ。マンティコアの転移を防ぐという一点のみを追求した為に、結界そのものの魔力消費も多く、その維持に費やされる人員は決して少なくはない。
戦技教導隊主導で展開した結界だが、彼らが予想した以上に結界の内外の通信はもちろん、内部においてもその通信環境は劣悪なものだったのだ。
それでも、指揮官であるリュウトからの念話を受けて、マンティコアの周囲で戦闘を続けていたクロノやなのはたち、アースラより出撃した主力部隊の部隊員が集まってくる。
その顔には、程度の差こそあれ例外なく疲労の色があった。彼らの能力は決して低くない、管理局全体で見ても優秀な魔導師達だといえるだろう。だが、それでも戦いは容易に進まなかった。
教導隊と武装隊による結界発動より約一時間、戦いの状況は最悪と言っていい。
この場にいる管理局の魔導師たちは未だにマンティコアには決定的な打撃を与えられず、それに対してこちらの陣営はマンティコアに取り込まれた<鍵>の力により出現する魔法生物やマンティコア自身の攻撃により、常に消耗を強いられているという状況だった。
死者やマンティコアに取り込まれるものこそ居ないが、すでに負傷により後送された者は軽く二桁を越えていた。
ここまで被害が広がっていても、彼らの士気は決して下がる事はない。おそらくその意思だけが彼らがマンティコアに勝っているものだった。
結界によって明度が落ちた世界に、リュウトの声が響く。
「現在、我々が直面している状況は決して楽なものではないだろう。結界により対象の転移を封じてはいるが、それだけではこの状況を打破することはできない」
彼はそこまで喋ると、周りに集まるメンバーを見回した。
その顔には真剣な表情こそ浮かんでいるが、彼らにとって当たり前のことを告げるリュウトに対する当惑も含まれていた。
マンティコアの能力が予想を上回っていたために、彼らは苦戦を強いられているのだ。
軌道上の艦隊を狙った攻撃があれ以降発射されていないのは、彼らにとって僥倖だった。おそらくあの攻撃に回すエネルギーが無いのだろう。あの攻撃も艦隊からの砲撃を吸収した上で、ようやく可能になった攻撃だったのかもしれない。
自らに集まる視線の先で、リュウトは更に言葉を続ける。
「外部との連絡が遮断されて既に一時間。当初の予定通りならば、今から約五時間後にアルカンシェル搭載艦が軌道上に到着する予定だ。本来はそれまで対象を足止めする予定だったが、我々の現有戦力ではそれも適わないだろう」
「それでは?」
リュウトの意図に最初に気付いたのはやはりクロノだった。リュウトの考えている事は自分も検討したことだった。もしも、上官から命令がなければ自分から打診するつもりだったのだ。彼らに出来ることはそれほど多くないのだから。
そして、クロノの考えが正解だと言うようにリュウトは頷く。
「只今より、我々は出現する魔法生物への対処をメインとし、結界の維持を最優先とする。対象への攻撃は原則禁止。アレが周りから吸収しているエネルギーにより活動している事が分かっている以上、一切のエネルギー補給が不可能な状況にすることが、現状では最善の策だろう」
マンティコアが自分に向けられた攻撃すら吸収してしまうことは、ここにいる全ての人間が事前に知っていた。
それでも攻撃が継続されたのは、ダメージが無いわけではなく、再生と吸収にもそれなりの時間を要する事が分かったからだ。
その吸収もマンティコアの判断で速度が変わるらしく、低威力の攻撃魔法の方が高威力の攻撃よりも吸収が遅いという事も確認できていた。
「以降は攻撃よりも防御に重点を置き、時間を稼ぐ事を主目標に変更する」
≪了解!≫
未だに作戦成功への自信を失わないリュウトの言葉に、集まったメンバーは揃って頷いた。そして、リュウトと部隊長たちは次々と指示を出し始める。
すでに戦線はかなりの範囲まで広がっている。すべての人員に指示を伝えるためには、直接誰かが伝えなくてはならないのだ。そうなれば、タイムラグが発生するのは当然である。それを少しでも減らさなければならないのだから、その指示は恐ろしいまでの速度で出されていく。飛行速度に自信のある者達が次々と飛び去っていく中、リュウトとクロノは彼方に浮かぶマンティコアに視線を向けた。
(勝負は五時間…。現状のままならギリギリか…?)
確かに現状のまま増援が来ればこちらの勝利。しかし、マンティコアは未知の存在だ。あの攻撃以上の隠し玉を持っている可能性もあるし、何よりもアルカンシェルで対象を消滅させるにはこれ以上のマンティコアの回復を防がねばならない。
マンティコアは存在しているだけで莫大なエネルギーを消費している。それを外部からの無差別吸収で補っているというのが、無限書庫からの情報と実際に戦って確認した事だ。
ならば、結界によりエネルギーの吸収を押さえ込み、同時に攻撃を加えずにひたすら防御に徹することで相手の消耗を待つ。これ以外に五時間ももたせることは出来ない。
足の速い艦による人員の増援も最短で四時間、予備戦力こそ多少はあるが、殆どは後送された人員の穴を埋めるだけで精一杯だった。
しかし、現状ではこれが限界だ。一魔導師の攻撃では対象を無力化することは適わないのだ。
管理局の持つ武装の中でトップクラスの殲滅力を誇るアルカンシェルでさえ、封印状態から脱して、未だ本調子ではないマンティコアにしか通用しないだろう。
(…本調子になってしまえば、アルカンシェルですら…)
リュウトの最大の懸念事項はそこだった。
それ故、ここにマンティコアを釘付けにしておかなければならない。
―――キャアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!!!
マンティコアの咆哮がリュウトの耳に入ってくる。
リュウトも最初に聞いたときは過去を思い出す事もしたが、今となっては現状を形成する一要素に過ぎなくなっていた。
戦闘により一部の感覚が鈍化するのは珍しいことではない。リュウトも何度か経験していることだ。
(それでは、我慢比べといこうか…)
リュウトは暗い銀世界の中を移動するマンティコアに視線を向け、新たなる戦いの始まりを自らの心に告げた。
(……おかしい。予定通りなら、すでに増援が来てもいい頃のはずだ…)
結界発動より五時間。
後送される人数も増え、リュウト自身の疲労もかなりのものになっていた。彼のバリアジャケットも肩部の装甲が半壊し、無事な部分を探す事すら不可能なほどに損傷している。
それは彼のデバイスも同じだった。幾つもの傷がその黒と白の身に刻まれ、この戦いが終われば間違いなく修理と総点検が待っているだろう。
現在まで、なのはやフェイト、はやてとヴォルケンリッターも幾度か後方に下がって休息を取り、そしてまた前線へと戻るという事を繰り返していた。
クロノは一度アースラに戻り、増援が予定通りにこの世界に近づいているという事を報せてきた。その後は戦線に復帰し、魔法生物達を相手に激戦を繰り広げている。
教導隊にも負傷者が目立ち始め、各防衛線も最初に比べて随分と薄くなり、魔法生物たちの攻撃を支えられずに突破される場所まで出始めていた。
時空管理局支局や各管理局施設からの増援は、一旦別の場所で合流してからこの世界に向かう手はずになっていた。
しかし、増援の到着予定時間になっても、未だに姿を現さないのだ。
「提督!」
「リュウトさん!」
異状に気付いたのか、魔法生物の出現が小康状態になった為に戦線から外れる事が出来たなのは達がリュウトの周りに集まり始めた。
当初の予定通りにいかなくなり始めているため、前線指揮官たるリュウトに指示を仰ぎにきたのだ。彼女たちの周囲には守護騎士や、武装局員たちも集まり始めている。念話が阻害されているため、こうして直接会話するのが一番確実だった。
「提督! こちらはすでに戦線を保つので精一杯です。増援はどうなったのですか?!」
バリアジャケットに幾つもの傷を付けた武装局員が、リュウトに状況の説明を求める。
彼らにしてみれば、来るはずの増援が姿を見せないことに怒りさえも持っていたのだ。
「すでに損耗は2割を越え、3割に届こうとしています。このままでは。一気に戦線が崩壊する可能性も…」
クロノもまた、リュウトに自らの意見を言う。彼のバリアジャケットもすでに多数の傷を負っており、AAA+の魔導師とはいえ、すでに魔力も底が見え始めている。
ここで何か対策を打たなければ、全滅さえもあり得る。
「リュウトさん。一度アースラに戻って、状況を確認してきた方が…」
フェイトの言葉ももっともだった。戦技教導隊に匹敵する魔導師であるリュウトが外れるのは痛いが、現状では一刻も早い状況の確認が第一だといえる。いつまでも戦い続けられるわけではないのだ。
「ミナセが外れている間くらい、我々で押さえてみせる。だから、お前はアースラに戻り、艦隊司令やリンディ提督と相談し、現状を打破する策を持ってきてくれ」
「そうだぞ。カートリッジも少ねぇし、いつまでもこのままって訳にはいかねぇ」
シグナムやヴィータもまた、リュウトに一旦アースラに戻る事を勧めてくる。
誰かをアースラに送るという手もあるが、それでは手間が掛かりすぎる。時間が限られている現状では、リュウト自身が艦隊に戻る方がいいと判断したのだろう。
艦隊に戻れば状況も分かる。そうすれば、今の苦境を打開する策もあるかもしれない。
「……分かった。私はこれから一旦アースラに戻り、今後の策について首脳部と検討してくる。その間の指揮はクロノ執務官に……っ!?」
その瞬間にリュウトの脳裏に巻き起こる違和感。それは彼だけが感じたものだった。
「提督?」
突然黙り込んだリュウトに、クロノは訝しげに声を掛けた。周りにいる武装隊員も近くにいる者と顔を見合わせ、指揮官の奇行を不思議そうに見ている。
しかし、リュウトは周囲の怪訝な視線など気にならないかのように、虚空に視線を向けていた。ここではない何かに意識を集中しているかのように。
『リュウト!!』
アースラへ戻るべく指示を出していたリュウトの脳裏によく知る声が響いたのは、彼にとってはまさに晴天の霹靂だった。
通信が出来ないはずの特殊強装結界内に、まさかその人物から連絡があるとは思わなかったのだ。
『エイミィ?! どうやってここに?』
『良かったぁ! やっと通じた…』
リュウトの疑問に答えず、アースラに居るはずのエイミィは安心したような声を出した。その声には隠し切れない疲労がある。リュウトはそれに気付くとエイミィに声を掛けた。
『エイミィ…』
『あ、ゴメンゴメン。えっとね…、結界が張られてから、艦長がリュウトとの通信だけでも確保できないかって言ってね』
『なるほど…』
前線指揮官であるリュウトとの通信を確保することは、確かに理に適っている。
全員との通信は無理でも、相手を一人に絞り、アースラの通信設備を使えば結界内との通信も可能と考えたのだろう。
だが、現実にそれを可能にしたのは彼女の力があったからだ。リュウトは心の中で幼馴染に礼を言った。今は別にすべき事があるのだから。
『それで、現状はどうなってますか?』
『それが…』
エイミィはリュウトの問いに言葉を濁らせた。その態度にリュウトは嫌な予感を覚えた。この状況で考えられる事態など、それほど多くはない。そして、その殆どが彼らにとって最悪に近い事だった。
『エイミィ』
リュウトは再び問いかける。その声は先ほどよりも強いものだった。
その声に押されるようにエイミィは言葉を発する。
そして、その言葉を聞いたリュウトの表情が凍りついた。
「提督!」
クロノは突然表情を強張らせたリュウトの肩を掴み、尚も声を掛ける。
「!! クロノ…」
「どうしたというんです。突然黙り込んで…」
アースラからの通信を受けたリュウトだが、その通信を結界内で受けるためにかなり精神を集中していた。そうでもしなければ、通信を聞き取る事が出来なかったのだ。
「…アースラからの通信を受け取った」
その言葉を聞いた周囲の反応は様々なものだった。喜色を浮かべるもの、訝しげな表情を浮かべるもの、驚いた表情を浮かべるもの。だが、リュウトの表情は決して明るいものではない。
「それで、何と言ってきたのです?」
シグナムがリュウトに問いかけた。彼女としても結界内で通信を受けた事は驚くべき事だったが、それよりも青年の表情が気になったのだ。この青年は指揮官たるべくどのような状況でも自信を持った表情を崩さない。それはシグナムにとってもよく分かる事で、彼に指揮官の教育を施した者に僅かながらの感嘆の情を持っていたのだ。
「リュウトさん?」
なのはもまた、珍しい表情を浮かべるリュウトが気に掛かった。少なくとも、今までに彼のこのような表情を見たことは無い
通信内容がそこまで悪い事だったのだろうか?
そんな不安が彼女の心を覆いつくそうとしていた。
「…直接聞いてもらった方がいいだろう。そちらに念話を繋ぐ」
「は、はい」
しかし、全く表情を変えずに告げるリュウトに、はやては当惑した表情を見せた。
もっとも、ほかのメンバーの顔も似たようなものだ。実にリュウトらしくない態度で、彼を知る者は困惑を覚えていた。
そんな周囲を無視するように、リュウトはアースラとの通信を繋いだ。リュウトを媒介とすれば、ここに居るメンバー位にはアースラからの通信を聞かせることが出来る。
リュウトが精神を集中しなおすと、すぐにエイミィの声がクロノ達の脳裏に聞こえてきた。
『エイミィ。先ほどの情報をもう一度』
『りょ、了解』
エイミィはそこで一度言葉を切り、再び言葉を続けた。
『…今から十数分前に確認された事です。各地で小規模次元震が発生し、これによりこの世界への次元間航路が寸断されました』
≪!!≫
―――驚愕。
その場にいた者たちの表情はそれに尽きた。
そんな中でもエイミィの声は続いていく。
『その為、増援として向かっていた艦隊が足止めを受け、現在は別の航路で此方に向かっているようです』
『増援到着までの予想時間は?』
リュウトの声も、すでに平静を取り戻し、先ほどまでの硬さはなくなっていた。
エイミィの言葉を自分で伝えなかったのは、自分自身を落ち着かせ、指揮官である自分に戻る時間を欲したのかもしれない。
しかし、周囲の部隊員たちは動揺を抑えることが出来なかった。
先ほど聞いたことが事実なら、自分たちの作戦は既に破綻しているという事になる。
それは自分たちの未来が消えていくという事だった。
「て、提督…!」
普段冷静なクロノですら、その声には動揺がある。なのは達も事態の急変にその表情を凍りつかせていた。守護騎士たちは何とか動揺を抑えているようだが、武装隊員たちは各々表情を変えている。
だが、リュウトとて動揺していない訳ではない。今も必死で現状を打開する策を考えているのだ。だが、彼の持つ情報の中にそれを可能とするようなものは無い。
そう、彼の持つ情報の中には無い。
彼らの表情が暗くなっていく中、エイミィの声が殊更大きく響いた。
『それと…。ユーノ君から新しい情報が届いたんだけど……これって……』
『何だ?』
エイミィに問い掛けるリュウトの声は、少しでも情報が欲しいという切実な願いに満ちていた。彼もまた、自らに這い寄る絶望に抗う術を欲していたのだ。
そして、その情報は確かにそこにいる全ての人の希望となった。
『もしかしたら、マンティコアを無力化できる可能性があるって…』
ユーノがもたらした情報、それはマンティコアが創られた当時に生きた、ある魔導師の手記だった。
その魔導師はマンティコアの創造主の一人だった。いや、彼らはマンティコアを創り出そうとしていた訳ではない。ある目的のために生体実験を重ねていたのだ。
その目的は、“永遠の命”
人間が人間である限り、永遠に求め続けられるであろう最果て。
古代魔法全盛の頃、それは確かに行われていた実験だった。
闇の書に無限転生機能と無限再生機能が存在したように、部分的にはそれを達成するだけの技術が、当時の彼らにはあった。
だが、人を永遠に生き永らえさせる為には、未だに研究が必要だった。
彼らは最新鋭の魔導技術と高い魔法資質を持った人間を使い、ある実験を行った。それこそが、彼らの終焉の始まりだった。
彼らは人間を、人間であり別の生き物でもあるモノへと変化させる事で、その寿命を延ばそうと考えた。だが、その実験は失敗に終わる事になる。
人間は人間であるからこそ、その身を保っていられたのだ。異物でしかない魔導技術に人間の体は拒絶反応を起こした。しかし、彼らは実験をやめようとはしなかった。それどころか予想よりも拒絶反応が少ないと喜び、その行動はエスカレートしていった。
実験体となった人物が人ではないモノに変化していくのを、彼らは狂気に満ちた瞳で見つめていた。それが、栄光と永遠への道であるように彼らには思えていたから。
しかし、その道は破滅と終焉への道だった。
実験が進む中、実験体に変化が起こる。それはどんどん大きく広がり、一つの結果を生み出した。実験体と人ならざるものが分離したのだ。“それ”はすぐ傍にいた実験体を取り込み、すぐに成長を開始した。
健全な生き物ではない、“それ”は最初に取り込んだ実験体なくしては生きる事が出来なかった。“それ”にとっては実験体は身を分けた分身であり、自分をこの世界に産み落とした母でもあった。そして、同時に自らが生きるために不可欠な部品でもあったのだ。
実験体を完全に取り込んだ時、“それ”はマンティコアになった。全てを食らい尽くし、永遠を生きる存在になったのだった。彼らの実験は失敗し、目的を達成した。彼らは確かに永遠の命の一つを生み出したのだ。それが、彼らの滅びと共に誕生したとしても。
産み落とされた永遠の命――マンティコアは、世界を食らい始めた。
「じゃあ、その元になったものを消滅させれば、マンティコアを消滅させられるんですね?」
「可能性は高い。実験体か素体か、どちらかを活動停止に出来ればマンティコアを止められると考えていいだろう」
リュウトはそこで言葉を区切ると、頭を振って自らの言葉を補足した。
「いいや、違うな。我々に出来る事は、それしか残っていない」
その言葉には、彼の決意が滲み出ていた。だが、それは彼の言葉を聞く者たちも変わらない。自らが進むべき道は、確かに伸びているのだ。途切れてはいない。
「マンティコアに対する精密探査を行い、実験体もしくは素体の反応を探し出す。そのどちらかを、無力化する」
リュウトの言葉は確かに間違ってはいない。だが、闇の書に関わりのある者たちの表情は納得しているとは言えないものだった。彼女たちは別のことに意識を向けている様子で、その目には武装隊員とは違う光が宿っている。
なのは達は意を決すると、彼らの指揮官に自分たちが感じている疑問について問い掛けた。その言葉を発したのは、自らも将たるシグナムだった。彼女はリュウトが下そうとしている決断を否定する事は出来ない。だが……
「ミナセ、実験体になった者はまだ生きているのではないか?」
シグナムの言葉にリュウトは一部の躊躇いもなく頷いた。その顔は指揮官たるを選んだ者の顔だった。
「生きていると考えていい。だが、それを救出する術は…」
「あるんですね」
「ッ!?」
リュウトの言葉を遮ったのは雲の騎士達の参謀たる湖の騎士だった。その表情は彼女の役目に相応しいもので、リュウトは僅かに彼女の、彼女たちの気迫に気圧された。
「………」
リュウトは沈黙するしかなかった。気付かれないとは思っていなかった。だが、その策には危険が伴う上に、その成功率は論ずるだけ無駄ともいえる程しかないのだ。
しかし、彼の沈黙は肯定と受け止められた。
「リュウトさん! 方法があるなら…」
「――マンティコアの探査を行い。その後、方針を決定する」
なのはの声には答えず、リュウトはマンティコアに対する探査を再び命じる。彼にはそれしか返答する術がなかったのだ。この探査の結果次第では確かに実験体救出の目処が立つかもしれない。
それでも、リュウトはその決断を下す事が出来ない。
それでも、シャマルは彼に決断を促した。
「実験体の事は分かってるんですね。そうでなければ精密探査など不可能ですから」
シャマルの声はリュウトを追い詰めるものだった。彼女は自分が意図的に実験体のことを隠していると思っているのだ。
エイミィからの通信はリュウトを介して行われていた。ならば、リュウトの意思である程度なら内容を制限することもできるだろう。そして、リュウトはそれを現実に行っていた。なのは達がその情報を掴めば、間違いなく救出に作戦は傾くだろう。
それは、彼を指揮官と仰ぐ者たちを大きな危険に晒す事になるのだ。
「どうしてそこまで隠すんですか?」
「……」
リュウトは沈黙を返すしかない。
だが、彼自身の意思は、指揮官としての意思とは別だった。
彼個人なら悩む必要すらない。だが、彼は指揮官だ。指揮官とは、命を天秤にかけることが役目だ。成功しても助かる命は一つ、しかし、それを成功させるために犠牲になる者が出るかもしれない。
彼は指揮官だ。だが、それと同時に過去に護れなかったものがある人間でもある。
「リュウトさん」
「リュウト」
「リュウトさん…」
「ミナセ」
「リュウトさん。いえ、ミナセ提督」
「ミナセ!」
「……ミナセ」
「リュウト」
「―――」
なのは、フェイト、はやて、シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラ、アルフ、それぞれが別々の感情を瞳に宿し、リュウトを見つめていた。クロノも無言で自らの兄弟子を見つめ、その言葉を待っているようだった。
なのは達の様子に、他の武装隊員たちもリュウトに視線を向ける。
彼らの中で唯一違う感情を宿らせた瞳を、彼の使い魔は自らの主へと向けていた。その顔には主を気遣う色が濃い。精神リンクから流れてくる感情に、彼女はリュウトの苦悩を知った。
だが、それを知ったところで彼女には何も出来ない。使い魔であっても、否、使い魔であるからこそ彼女には何も出来ないのだ。
様々な感情が込められた視線の先で、リュウトはただ一言呟いた。
「実験体になった人間は、その目的から魔法資質の高い子供が選ばれたとの事だ」
―――驚愕。
今を生きる魔導師たちの耳には、確かにリュウトの言葉が届いた。それ故の驚愕。
実験体となったのが子供であるという事実は、ユーノ自身も何度も確認した事らしい。身体、精神共に未熟な子供の方が実験に適しているという判断を当時の魔導師たちは下した。その結果何千何万という候補の中から、魔法資質に優れ、母体としての機能も期待できる少女が選ばれたということだった。
ユーノが見つけた手記には女性を選んだ理由として明確な根拠があったとは思えないともあった。つまり、科学的根拠もなく、その少女は実験の被験者となったのだ。どのような少女だったかは分からない。だが、なのは達を知る者たちにとっては遣る瀬無さだけがあった。
被験体となり、永遠の命を与えられて、その少女は幸せだったのだろうか。
彼女の心など知る由も無いが、リュウトはただ独り生き残る辛さを知らないわけではない。だからこそ、今のこの道を選んだ。
そして、力を得ると共に、決断を下さねばならない義務と責任を負った。
それが自分に出来る事だと信じ続けた青年に、時の流れは一つの壁を用意していたのだった。
シグレと名を与えられて既に七年。彼女は主と共に歩んできた。
そして、名を与えられて数年後、彼女は自らの願いを聞き届けた主により、自らの戦友となるデバイスをその手に掴んだ。ただ二つの魔法しか使えない自分に憤っていたシグレに、その戦友は幾つもの役目を与えてくれた。
主が組み上げたそのデバイスの名は<月光>
あの夜、全てを失った幼子を照らした光の名。
そのデバイスを持った時、使い魔は自らを主の歩む道を照らす光とすると誓った。主が求めた役目と共に。
月光に組み込まれている魔法は多くない。それぞれの魔法を容量が許す限り限界まで増幅するためだ。
唯一にして必殺の攻撃魔法<エクスヴァンガード>とそれに付随する防御突破魔法<バリアリダクション>。パワー、スピード、反応速度その他を一時的に上昇させる強化魔法<エクスブースト>。そして、様々な対象に対して複合的な探査を行える探査魔法。それらが、月光に組み込まれた主要魔法だった。
その他には、殆ど容量を必要としない低レベルの治癒魔法と転移魔法などがあるだけだ。
そして、今彼女が行使しているのが、複合探査魔法<エクスプローラー・ハイ>だった。
本来は或るロストロギアの管制人格もしくはコアプログラムを見つけるために組み上げられた探査魔法だが、その機能はマンティコアが相手でも十分に役目を果たしていた。
同時に複数の探査魔法をかけ、マンティコア内の被験者と大元となったコアを探し出す。
その為に武装隊員を含め、探査魔法の能力が高い術者が幾人もマンティコアに向けてその意識を集中させていた。
その他の魔導師たちはその探査を妨害されないようにマンティコアを牽制する役目を負って、マンティコアに散発的な、しかし効果的な攻撃を加えている。
そんな中、シグレは自身の隣で探査魔法を展開している守護騎士の一人に目を向けた。湖の騎士と呼ばれ、騎士達の参謀としてその存在を確立している女性を。
主にデバイスを与えられた当時なら、彼女が自分の横に立つなどと思いもしないことだった。敵として出会い、戦い、どちらかが滅んでいたはずだ。
―――それが、今ではこうして並び立っている。
そう考えた瞬間に、シグレは自身の中に狂おしいまでの憤りが込み上げてくるのを感じた。
シグレ自身は守護騎士たちになんら悪意を持っていない。いや、ここに居る守護騎士たちには悪意を持つ必要など無い、そのはずだった。
―――だが、この身を焦がすような怒りはなんだ?
その答えはすでに彼女の中にあった。
主が八神はやてを守った時から感じていた漠然とした怒り、それは自分自身と闇の書に向けられた怒りだった。
八神はやては闇の書によって家族を得た。リュウト・ミナセは闇の書によって家族を喪った。
そして、自分は闇の書によって最愛の主と出会う事が出来たのだ。だが同時に、それこそが彼女を苦しめた事実だった。
自分は主の家族の屍の上に存在しているのではないか、そう思ったことなど数知れない。
だが、八神家で幸せそうに笑う守護騎士たちを見て、それとは別の怒りが生まれた。
自分が持つには分不相応な感情だと思ってはいる。しかし、それでも彼らの幸せが主の涙の上に存在しているように思えて仕方がなかった。
だが、主はそれを表に出したことはない。だからこそ、彼女もその感情を封じ込めている。
現在結ばれている精神リンクは極々表層的なものでしかない。そして、主は表層に殆ど感情を表さない。つまり、彼女は主の心の内が分からないのだった。
自らこそが主に一番近い存在だと自負しているが、それでも主との距離は遥か遠い。
ただひたすらに先を見続けている主には、自分など必要ないのかもしれない。
「ッ!?」
シグレは自分の思考に僅かな痛みを感じた。
主と自分の関係は、八神はやてと守護騎士のような関係ではない。
フェイト・テスタロッサとアルフのような関係でもない。
ただ、主のことが理解しきれない。すべてを知りたいというほど自分は傲慢ではない。だが、守護騎士やアルフ、或いはリーゼ達ほど主人の事を知っている自信も無い。
自分が生まれた時には既に主は戦っていた。ならば、その戦いの始まりとはどこにあるのか。
シグレはそれが知りたかった。それだけを知りたかった。
この身は主のために。この心は主のために。この刃は主のために。
だが、このままでは主は一人で何処かに行ってしまう。シグレはそう考え恐怖する。
この命は主のためにある。なのに、主の命を自らのためにと思ってしまう浅ましい自分が居る。愚かな自分が居る。
どうすればいいか分からないまま、彼女は主命に意識を集中した。
そうする事で先ほどまでの思考を忘れようとしているのだ。
この戦いも主を守るためと思えば自分はすべてを賭けることが出来る。
守護騎士たちの事も今は忘れてしまおう。主は何も言わないが、それは自分を信じているからだ。主が何も言わずとも、自分は主のことを一番よく分かっているのだ。
そう思い、彼女はマンティコアへとその意識を向けた。
彼女の想いは、未だ主には届いていない。
全力ともいえる探査作業によりマンティコア内部の情報が明らかになったとき、その場は凍り付いていた。
判明した事はユーノからの情報を確かめるだけではなく、新たな可能性も生み出した。
それは、実験体たる少女を救出可能であるというものだった。
だが、それには大きな危険を伴う救出手段しか存在しない為に、部隊内でも救出に慎重な意見が多く出たのだ。
救出方法は高出力砲撃魔法によるコアの破壊。
実験体とコアが存在しているのは、マンティコアの左胸部。人間の心臓がある場所だった。
そこに実験体とコアはそれほど離れずに存在している。
実験体無くして存在できないマンティコアは、自身の弱点である二つを集め、最大の防御体勢を取っていた。
それを突破してコアのみを破壊する。それが唯一の救出手段。
そして、それを行うことが出来る魔導師は現状においてただ一人、高町なのはだけだった。
「やります…! やらせてください! お願いします!!」
その事実を知った彼女の決断は早かった。
真剣な瞳を先輩魔導師に向け、その決意を言葉に滲ませていた。
その瞳の先に居る青年は、少女とその傍らに立つ後輩魔導師たちを見つめる。
フェイトもはやても、なのはを信じているだろう。
フェイトの魔法では、コアに到達する前に魔力を吸収されてしまう。
はやての魔法では、補助を行うリインフォースが存在しない以上、命中精度の面でなのはに及ばない。B2Uに搭載された人工知能では、それほど高度な砲撃魔法を補助しきる事が出来ないからだ。
探査結果から試算された突破に必要な出力は、なのはのスターライトブレイカーexクラスであると判明していた。
命中精度と正面出力、そして救出成功への意思。この場でもっとも適任であるのは、高町なのは以外に考えられなかった。
教導隊にはなのはを越えるような魔導師もいるが、スターライトブレイカーを越える魔法を放てる魔導師を戦線から引き抜く事は出来ない。そんなことをすれば、急造である結界が保てなくなる可能性が高いのだ。
だが、なのはが危険であるという事も変わらない。
最後の手段たるスターライトブレイカーを放ってしまえば、彼女は無防備になってしまう。万が一目標を外すような事になれば、なのはの命は途轍もない危険に晒されることになるだろう。
それが彼女に分からないはずはない。
しかし、少女の目に恐れはあっても躊躇いはなかった。
恐怖を超えて成し遂げたい願い。
それは幾星霜の時を越えて今に現れた、過去の罪によって囚われている少女を救う事。
フェイトもはやても、自らと似た境遇の少女を救いたいのだろう。
生きるべき時を生きられず、死ぬべき時に死ぬ事が出来なかった少女。
それを彼女たちは救いたいのだ。
局員たちもまた、なのはたちの想いに共感する面があったのだろう。リュウトに向けられる視線の中には、様々な感情が込められている。
クロノは兄弟子に問い掛けるような視線を向けていた。その顔にはリュウトの判断を支持するとの意思がある。弟弟子は兄弟子の中ですでに答えが出ている事に気付いていた。
多くの視線の先で、この場において最終判断を下す事が出来る青年は頷いた。
「――分かった。これより、要救助者の救出を主目標とし、マンティコアの撃滅作戦を行う」
「あ、ありがとうございます!」
なのはの表情に明るさが宿る。それはそこに居る殆どの者がそうだった。
リュウトはなのはに向けてただ一言付け加える。
「この作戦に失敗の可能性はあってはならない。その旨、理解しているな?」
「はい!」
リュウトの問い掛けに答えたなのはの目には、決意があった。
多くの重圧もあるだろう。だが、少女たちは未来に生きるべき者たちだ。ここで止まる事はない。リュウトはそう思っていた。
そして、自分も後悔するために力を求めたのではない。
少女たちは彼自身の心に在りし日の想いを甦らせた。
「作戦は簡単だ。主攻たるなのは君がマンティコアから600mの地点で射撃体勢を取る。彼女の護衛に一個分隊を配置するが、それ以外の者は射撃精度をより高めるために、マンティコアの動きを拘束魔法で止める」
その場にいるすべての者が、青年提督の言葉に全神経を集中していた。
作戦概容の説明に集まったのは各方面の部隊から数名ずつと、なのは達を含めた主力部隊の約半数。戦線を離脱していないその他の人員は、すべてマンティコアに対して牽制のための攻撃を続けていた。
管理局側はすでに全戦力の三割を超える損耗を出し、結界の強度も低下してきている。
教導隊が居なければ戦線はとうに崩壊し、マンティコアは次元世界へと解き放たれていただろう。航空戦技教導隊はその名に恥じない活躍をしていると言って良かった。だが、何事にも限界はある。
精強無比を誇る教導隊ですら、既に十数名が後送されて戻ってきていない。
教導隊本隊からの伝令としてやってきたリュウトの教導隊時代の先輩は、『自分たちのことは気にせずに思いっきり使ってくれ』という伝言を携えて来た。伝令本人も自分たちの為にも遠慮する必要はない、と傷だらけのバリアジャケットを着て笑みを浮かべていた。
その伝令にただ一言了承の意を伝え、作戦のために結界の維持を最優先事項とするように命令を下したリュウトに、先輩魔導師はそれでこそ将たる人間だと告げ、教え子が難問の正解を導き出したことに喜ぶ教師のように、心底嬉しそうな表情でその場を離れていった。
そして、ついに犠牲者が出はじめたという報告もリュウトの耳には入っている。
その中にはリュウトと面識のある人物も居た。だが、それを聞いてもリュウトが動揺する事は許されないのだ。
心の奥底に様々な感情を隠し毅然と立ち続ける事こそが、リュウトが出来る彼らに対する弔いだった。
彼らが命を賭けたように、リュウト自身も命を賭けてこの作戦を成功へと導く。
「質問は無いな? それでは、総員配置につけ!」
臨時の作戦会議の最後に告げたリュウトのその言葉で、彼の周囲から魔導師達が飛び去っていく。
彼らが離れていくのを将としての瞳で見詰めていたリュウトは、そこで自分を見つめる視線に気付いた。それはマンティコアに対する最終攻撃を行うなのはと、彼女の護衛に就くフェイトだった。
彼女たちにかける言葉をリュウトは確かに持っていた。だが彼はそれを口にする事は無く、ただ頷く事で彼女たちの背中を押す。自分が師事した魔導師たちならもっと他に出来る事があったのかもしれないが、リュウトにはそれしか出来なかった。無言で送り出すことしか出来ない自分に腹が立ったが、それもまた心の奥底に封じられる。
しかし、なのはとフェイトはリュウトに頷き返すと、全力で発射地点へと向かっていった。リュウトが見たその表情には確かに確固たる決意があった。
リュウトが迷いと共に進んだ道を、彼女たちは友と共に進んでいく。それに気付いたリュウトは、改めて少女たちに感嘆の情を覚えた。
ただ並び立つだけではなく、共に戦える友がいるという事実は彼女たちの未来を明るいものにするだろう。リュウトは、それが純粋に嬉しかった。
各部隊の魔導師たちが飛び去り、その場に残っているのはリュウトの部隊の魔導師たちだけになっていた。
その場から離れていく魔導師たちの背を見送りながら、リュウトは自分自身が歩いている道が死から遠ざかる事はないだろうと再確認する。
それでも、その道から遠ざかるという選択肢をリュウトは持っていない。
自分で決めた道だからこそ、前だけを見て進む事が出来る。
「提督。全部隊配置に着きました」
部隊の副官である若い士官がリュウトに報告する。
士官の声は僅かに震えていたが、リュウトはそのことに気付かない振りをした。部下の気持ちはよく分かる。
嘗ては自分も恐怖でガチガチに緊張していた事があった。それに気付かない筈も無いだろういつも厳しい上官が、その時はただ黙って見守っていてくれた事をリュウトは随分後になって気付いた。その時の上官ほど経験も多くなければ懐が深いわけでもないが、自分が目指すべき上官像である事は間違いないだろう。
師の真似をするわけではないが、この恐怖は自分で乗り越えなければならないものだとリュウトは考えていた。それでも一つの恐怖を乗り越えれば、また新たな恐怖に立ち向かわねばならない。それは生きている限りずっと続くもの。過程は誰に助けられてもいい、支えられてもいい、でも最後は自分の力で越えなければならない壁。
命が消える可能性がある場所で生き続けるためには、己の壁と恐怖の壁を越え続けなければならない。だが、越えても必ず生き残れるわけではない。生き残る可能性が上がるだけなのだ。
リュウトはふと、そんなことを考えている自分に気付いた。
全くらしくない。戦場での思考は最低限、その最低限の中で最大限の思考をすべしと叩き込まれたではないか。
リュウトは軽く頭を振ると、報告をしてきた士官に告げた。
「信号弾を。これより、最終作戦を行う」
その言葉で部隊の一人の魔導師が呪文詠唱を開始する。
念話などの通信手段が阻害されている結界内での連絡手段として、リュウトは確実性の高い発光信号を使うことにした。すべての訓練学校の座学で学ぶ基礎知識ではあっても、実際には殆ど使われない発光信号だったが、この場では最も効果的な連絡手段となっていた。
その発光信号は結界内のすべての部隊に最終作戦の発動を告げ、この場を最も熾烈な戦場にするだろう。それでも、リュウトは負けることは考えない。
リュウトの学んだ戦いの知識は、勝ち負けだけではない別の価値観を彼に植え付けた。その場で退く事になろうとも、負けではない。己が負けを認め、負けても尚得るものがある戦いでこそ勝負は存在する、存在を許される。
だが、この戦いは負けというものは存在してはならない。
敗北は、滅びを意味するのだから。
そして、青年に滅びを甘受する意思は一片たりとも存在していない。ならば、彼の心に敗北は存在を許されない。
「さあ、我らの力を過去の亡霊に示すぞ。――信号弾、放て!」
リュウトの声に合わせ、結界により昼とも夜ともいえない明るさになった空に閃光が煌めいた。
それはすべての部隊に、最後の戦いの始まりを告げる光だった。
その閃光を目にした各部隊はそれぞれの目標を達成するべく行動を開始する。
ある部隊はマンティコアの至近距離まで接近して自分たちの存在を脅威と認識させ、その上でマンティコアの動きを出来るだけ限定するべく、最後に残った魔力で攻撃を繰り出す。
そうする事によってなのはがより精確な砲撃を行えるようにするのが、彼らに課せられた役目だった。
その部隊にはクロノとシグナム、そしてシグレとヴィータをはじめとした攻撃力と機動力を重視した主戦力が配置され、間断ない攻撃でこちらの意図をマンティコアに気付かせないという役目も果たしていた。
その後方でクロノたちの部隊を援護する形ではやてやザフィーラ、シャマルを含む支援攻撃部隊が展開し、クロノたちに対して繰り出される攻撃や魔法生物たちを防ぐ役目を負っていた。支援部隊の存在により後背を気にする必要が大きく減ったクロノたちは、より自身の任務に集中できる。さらに、彼らは観測部隊としてなのはの砲撃をより精確にする役目もある。常時探査を行い、攻撃目標の正確な位置をなのはに伝えるというのが観測部隊としての役目だった。
そして更に後方。そこにマンティコアの心臓部を撃ち抜くべくなのはが配置され、彼女の周囲には、精密砲撃を行うために攻撃に対して無防備になるなのはを守るためフェイトとアルフを中心とした護衛二個分隊14名が配置されていた。彼らがマンティコアとの戦いに直接参加するような事になれば、作戦は殆ど失敗ということになる。それ故、彼らの相手は周囲に出現した魔法生物達だった。
最後に動き始めたのはリュウトが率いる司令部小隊だった。小隊といってもその人数は少なく、部隊としての戦闘能力は各部隊と比較して一番低い。その理由は彼らの役目は他の部隊を統制・援護するのが主目的で、戦闘は出来るだけ避けるべしと厳命されていたからだ。だがその代わりに通信関係の技能が高い局員が多く配置され、ほとんど通信手段の無い結界内において期待できる最も高い情報処理能力と統制能力を持っていた。
「頑張ろうね。レイジングハート」
<All right, my master.>
呟くように紡がれたなのはの言葉に答えるレイジングハート。彼らの居る地点からはクロノやはやて達が自分たちの道を開くべく奮闘しているのが見えた。
彼らの為にも自分たちは過去に囚われた少女を救い出さなければならない。
そう決意を新たにして、なのははレイジングハートに魔力を流し込み始める。
その魔力を受け、レイジングハートはエクセリオンモードへとその姿を変えた。
それと同時に観測部隊からマンティコアに関する情報が送られてくる。
「観測情報受信…。――目標確認。いくよ! レイジングハート!!」
<All'right!>
マンティコアに向けて射撃体勢を取るなのはとレイジングハート。超高難易度の長距離精密砲撃を成功させるには、限界まで精神を集中させて目標を捉えなければならない。
観測情報を元に照準を補正していくなのはの目には、狙撃目標となるコアとマンティコアの体内に囚われたまま時を越えた少女の影が映っていた。
本来なら別の人生があったはずの少女は、こうして遥か未来に一人で取り残されている。それはなのはには想像もつかないほど辛い事だろう。掛け替えのない家族が居たのかもしれない。大切な友達が居たのかもしれない。ひょっとしたら好きな人も居たのかもしれない。
だが、少女はこうしてこの時代に流れ着いた。
災厄と断ぜられ、滅ぼされるべき運命に追いやられた。
だから、なのはは彼女を助けたいと思った。
友達になれるかもしれない。大切な誰かを見つける手伝いが出来るかもしれない。
きっと、フェイトやはやても彼女の友達になってくれる。
だから……
――絶対、助けるからね!
その心の声は、囚われた少女の未来に光を与える一つの術だった。
確かに、少女が生きるべき時代は今ではないかもしれない。だが、この時代にも少女の生を望む人間が確かに存在していた。そして、人間はどんな望みも叶えることが出来る可能性を持った生き物だ。
望む心は力を生み出す。
未来を創る力のひとつは、心から生まれる。
だが、マンティコアもまた、未来を望む人間が生み出した存在だった。
――キャアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!!
その咆哮を魔導師たちが聞いたとき、既に変化は起こっていた。
マンティコアに向かって周囲の魔力が収束を始め、魔法生物の出現が止まったのだ。
その変化に気付いた魔導師達が警戒を強めると、マンティコアは彼らの想像を超える行動に出た。
「なッ!?」
最も近い位置でマンティコアと戦闘を行っていたクロノが見たものは、マンティコアの表皮が泡立つという光景だった。
彼と彼の周囲に居る局員がその光景に驚いている間にも、マンティコアの変化はさらに進む。そして、彼らの目の前でマンティコアが破裂した。
否。破裂したように見えた。
マンティコアの突然の行動に魔導師たちの動きが止まる。
だが、彼らが驚愕する間も無くマンティコアは彼らに牙を剥いた。
「――!? 総員回避ぃ!!」
風を切る音と共に魔導師たちを串刺しにせんと向かってきたのはマンティコアの表皮と同じ色をした触手だった。
それに気付いたクロノが魔導師たちに回避を命じる。
その命令よりも早く回避運動を始めた者も多かったが、触手の数は増えるばかりで減る気配を見せない。それによって管理局側の戦線は急速に乱れ始める。
触手は彼らだけではなく周囲すべてに向かって伸び、支援部隊もまた触手を回避するべく行動を開始せざるを得なかった。
それと同時にマンティコアは再びその身を変化させる。触手を伸ばしながらも体表の一部を陥没させ、そこにエネルギーを集束させ始めた。
すぐにその意図に気付いたのはクロノとシグナムだが、彼らが注意を促す前にマンティコアはそのエネルギーを解き放った。
――キャアアアアアアァァァァァァァッ!
「くそッ!! 散開だ! 周囲の部隊にも回避するように……っ!?」
クロノの言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
彼にも触手とエネルギー弾が指向され、彼はそれらに対する回避行動で手一杯になってしまったのだ。
それを一因として、周囲の部隊は大混乱に陥った。
結界を維持するために配置されていた部隊までは触手は届かなかったが、エネルギー弾はそうではない。
それどころか結界そのものにも次々と着弾し、その構成を破壊していった。
結界部隊は結界の維持と回避に忙殺され、その所為で周囲に残っていた魔法生物たちに蹂躙されていく。
結界自体はギリギリのラインで維持されていたが、このままではいつ崩壊するか分からないという状況だった。
半径数qという巨大な結界を維持することが不可能な状況でありながら結界が維持されているのは、ひとえに戦技教導隊により部隊統制が行われていたからだ。
彼らはエネルギー弾を防御魔法で防ぎ、回避しながらも結界の展開をやめなかった。彼らには教導隊としての矜持と共に、この場を守り抜くという信念があったのだ。
「回避!」
リュウトは小隊に回避命令を出すと、自身もエネルギー弾と触手を回避する。
回避そのものはそれほど難しい事ではなかったが、彼の内心は麻の様に乱れていた。
――これでは作戦そのものが崩壊してしまう!
そう考え、なのは達がいるはずの地点を見たリュウトの目には、彼に抑えきれないほどの驚愕を与える光景があった。
「バカな!? 何故なのは君は回避行動を取らない!?」
そこには桜色の魔方陣を浮き上がらせたまま動きを止めたなのはの姿があった。
なのはが回避行動を取らなかった理由はひとつだった。
彼女はマンティコアの動きが止まった今こそ、最大のチャンスであると考えたのだ。
それは間違っていない。マンティコア本体の動きは先ほどから止まり、攻撃目標もまた固定されている。
だが、それは大きな危険を伴う賭けだった。
「なのは! これ以上は支えきれない!!」
「ああもう! 次から次へと…!」
フェイトの悲鳴とアルフの声は確かになのはに届いていた。だが、ここで攻撃を行わなければ彼女が攻撃を行うチャンスは二度と訪れない可能性が高かった。
『ごめん、フェイトちゃん! でも……!』
近距離故に可能な念話で、フェイトになのはの言葉が届いた。
その声は焦りに染まっていたが、その中には決して譲れない何かがあった。
フェイトにもその何かは理解できた。
その譲れない何かによって、自分は救われたのだから。
『――分かった。何とか支えてみる』
それは間違いなくフェイトの本心だった。
自分だってあの子を救いたいのだ。これくらいの逆境なんて、自分を助けてくれたなのはは越えて来たに違いない。
なのはに向かって飛来する触手を斬り裂き、フェイトはその言葉をなのはに伝えた。
『私も頑張るから、あの子を…!』
『分かった! ありがとう、フェイトちゃん!』
その言葉を聞いたフェイトには、迷いは無かった。
視界を埋め尽くさんばかりに迫る触手やエネルギー弾など、ここですべて斬り捨てる。
そう決意して、彼女はバルディッシュを握り締める。
「フェイト・テスタロッサ。閃光の戦斧バルディッシュ。いきます!!」
その宣言と共に、フェイトは迫る脅威に向かって飛び出した。
すでにリュウトはなのは達の状況をある程度察していた。
彼女たちの判断は間違っているわけではない。選択肢の一つとしては正解だろう。
だが、相手が悪すぎる。
(このままではいずれ突破される。なのは君の攻撃が早いか、突破が早いか…)
訓練と資料で見たスターライトブレイカーexの威力なら、あの攻撃を突破しても十分な威力を残してマンティコアに到達するだろう。
しかし、精密砲撃であるために発射まではある程度の時間を要する。
これは時間との戦いだった。
(私は何のために…!)
迫り来るエネルギー弾をルシュフェルで叩き落し、彼は自分に対する怒りを心に表した。
自分はまた何も出来ずに終わるのか。
あの夜のように、あの時自分に力があればと後悔するのか。
家族の墓前に立つ勇気を持てず、使い魔に迷惑をかける自分に憤ったからこそ、より大きな力を求めたのではなかったのか。
彼の心には様々な感情が渦巻いた。
怒り。悲しみ。後悔。そして、虚無。
喪い、初めて後悔する自分に怒り、力を求めたのではなかったか。
だが、彼の心などマンティコアにとっては無と同義だった。
「!?」
彼の目に映ったのは、なのは達に向かって伸びる夥しい数の触手。
なのはを脅威と認識し、排除するべくマンティコアが繰り出してきたものだった。
――防ぎきれるか?
リュウトは瞬時に幾つものパターンを計算し、その結果に愕然とする。
――不可能。
あれは単なる触手ではない。すべてのエネルギーを吸収するマンティコアが放っているものだ。
現に防御魔法はその魔力を吸収されて、通常の数割の能力しか発揮できていない。
護衛部隊に配置されているのは防御魔法に優れた魔導師たちだが、彼らも自分たちの身を守る片手間であれを防ぎきるなど不可能だろう。
フェイトやアルフの防御魔法ではあれを防ぎきる事は出来ない。ましてや捌ききるなど現実的とすらいえない。
――ならば、どうする?
リュウトの脳裏に、誰かの声が響いた。
「決まっているだろう! 私は、私はその為に生きてきた!!」
その叫びに司令部小隊の副官が驚いたように振り返る。
その副官に向かって、リュウトは叫ぶように命令を下した。
「三尉! この場の指揮を任せる!」
「は…?」
副官の疑問とも了解とも言えない声を、リュウトは聞いていなかった。
上官の言葉に僅かな時間意識を飛ばし、判断能力を取り戻した副官の目に映ったのは、空に解け消える寸前の魔法陣だけだったのだから。
フェイトの目にそれが映ったとき、彼女はそれが防ぎきれないものだとすぐに分かった。
自分に、いや、なのはに向かって殺到する槍。
防御魔法に適正の少ない自分がいくら頑張ったところであれを防ぎきるなど不可能だ。
だが、彼女に逃げるという選択肢は無い。
自分の後ろでは親友が頑張っているのだ。ここを抜かせるわけにはいかない。
「いくよ…! バルディッシュ!」
<Yes,sir! Defenser plus.>
怒涛の勢いで彼女に迫る触手。それに向けて防御魔法を展開するフェイトの目には、強い意思があった。
そして…
――接触
「くうう…!!」
「フェイト!」
その時のフェイトには、アルフの声が遠く聞こえた。
防御魔法に接触した触手は、途轍もない轟音と共にフェイトを圧倒した。
かつて闇の書のスターライトブレイカーを防いだ時よりも遥かに強大なプレッシャーがフェイトに襲い掛かる。
「ううう…」
光を撒き散らしながら防御壁にぶつかる槍は、その防御魔法の魔力を吸収する。
それによって防御魔法はフェイトの予想以上の速度で崩壊を始め、彼女は自分がそれほど長い間この防御魔法を維持できないことを悟った。
だが、自分ではそれを理解できても対処する事は難しい。
自分は防御魔法に関してなのはに劣る。その事がこれほど悔しいのは初めてだった。
――このままでは親友も、あの少女も守れない。
その意思に答えるように、その思念は彼女の心に飛び込んできた。
――守れる。
その思念は意思というには曖昧で、だが、同時に強い意志を感じさせるものだった。
誰かが自分に向けて送った意思ではないのかもしれない。
だが、フェイトはその意思に自分と同じ心を感じた。
――守る。
再びその意思がフェイトに届いたとき、彼女の傍らによく知る気配が現れた。
「フェイト君はなのは君の所へ! ここは私が何とかしてみます!」
<Dimension Shield.>
ラファエルの合成音声と共に前方に展開されたリュウトの漆黒の盾は、フェイトの黄金の盾が崩壊する直前に攻撃を受け止めた。
だがその瞬間からリュウトの展開した防御魔法も魔力を吸収され始める。
「早く! 私もそう長くは…!」
リュウトの顔には夥しい汗が浮かんでいた。空間転移と同時に高レベル防御魔法を展開するのは、この青年の能力をもっても厳しいものだったのだ。
いくらフェイトやなのはよりも経験と実力があるとはいっても、リュウトがここで支えきれる時間にも限度がある。その証拠に彼の展開した防御魔法はすでに崩壊を始めていた。
「もって数十秒、いえ、更に短いかもしれません。フェイト君はなのは君と共に立ち、最後の盾になって下さい!」
「でも…」
ようやく防御魔法を突破された衝撃から立ち直ったフェイトが、リュウトに向かって逡巡の色を見せる。
そんな中でも、アルフはフェイトを守るために周囲の触手とエネルギー弾を捌いていた。だが、彼女の顔にも焦りの色がある。
その視線はリュウトに向かっているが、彼女がその視線に何を込めているのかは、リュウトには分からなかった。
「最悪の場合、なのは君をこの場から退避させる必要があるかもしれません。その為にも早く!」
その言葉に、フェイトはリュウトが自分に少女を助けて欲しいと伝えている事に気付いた。
なのはが助けたいと思うのと変わらない。リュウトもまた少女を助けたいと願っていた。
「――わかりました。アルフ、行こう!」
「分かった!」
リュウトの切なる願いを無駄にするわけにはいかない。
そう考え、フェイトはリュウトの言葉どおりにその場から離れる。
少女を助けたいと願っているのは、自分たちだけではないのだ。
ならば、リュウトを信じて自分の出来る事をするのが、リュウト自身のためになる。
(なのは…!)
フェイトは親友に心の中で呼びかける。
(助けよう。あの子を!)
フェイトが離脱するのを視界の片隅に確認しながら、リュウトは自分に出来る策を確認する。
双剣の魔導師との二つ名を奉ぜられた自分だからこそ出来る手段を持って、この場を守る。
「双剣の魔導師リュウト・ミナセの意地。見せて差し上げよう!」
その声と共に、リュウトが展開した盾が破られた。
だが、その瞬間に彼はもう一つの剣で盾を創り上げる。
「ルシュフェル!」
<Dimension Shield.>
――轟音
再び展開された盾によって、赤い槍衾はその場に釘付けにされる。
触手が再び魔力吸収を始めると、リュウトは更に魔力を練り上げた。
そして、十秒も経たない内に再び盾が崩壊する。
だが、盾が崩壊すると同時に新たな盾が現れる。
「ラファエル!」
<Dimension Shield.>
じりじりと後退しながらもリュウトは盾を顕現させ続ける。
防御魔法の並列展開という荒業によってその場を維持するというのが、彼に出来る唯一の手段だった。
崩壊しては創り、創っては崩れ去る。
その繰り返しでリュウトの脳裏に激痛が走っても、彼は盾を創り続けた。
脳裏に響くデバイスからの警告を無視し、ただひたすらに盾を創る。
魔力が削られても、彼には止まる理由が無い。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
だが、その間隔はどんどん短くなり、ついには展開から崩壊まで一秒足らずという状況になっていた。脳が連続魔導式構築に対応しきれなくなり始め、盾そのものの強度が下がっているのだ。
その状況でも、リュウトとは次々と盾を生み出す。
既にその瞳からは明確な意思が消え去り、本能に近い感覚で魔法を使い続けていた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
しかし、彼は後退し続けていた。
時間こそ掛かっているが、触手は間違いなくなのはに向かって進む。
リュウトがその事に気付いたのは、自分の視界の隅を何本かの触手が通過したときだった。
――まさか!
そこに至って、彼は自分がなのは達のすぐ傍まで押し込まれたことに気付いた。
自分の支えている触手とは別のものが、彼女たちに向かっていくのが見えた。
「……!!」
「……!」
フェイトとアルフが防御魔法を展開するのが見える。
それと同時に、視界に桜色の魔力が満ちた。
なのははひたすらに集中し続けていた。
スターライトブレイカーという砲撃魔法で精密射撃を行う。
それは、スターライトブレイカー級の出力が無ければマンティコアの体内にあるコアまで到達できないという理由からだった。
だが、コアと実験体の少女までの距離は数m。
僅かでも外せばコアを無力化できないどころか、少女の命を奪うことになる。
だからこそ、なのはは限界まで集中し射撃の精度を高めた。
そして、ついにすべての要素が射撃成功を示すに至ったのだ。
自分の周りで戦っている人たちのためにも、彼女はすべてを賭けてその魔法を放つ。
「お願い! あの子を助けて!」
<Load cartridge.>
多くの願いを込めて…
「スターライト…」
その光は放たれる。
「ブレイカー!!」
<Starlight Breaker.>
レイジングハートの先端に収束する光。
それが放たれようとした瞬間、災厄の槍は到達した。
<Caution. It is a menace approach from direct top direction.>(警告。直上方向より脅威接近)
「え…?」
レイジングハートの警告と共に、なのはの頭上から鮮血色の槍が突入して来た。
<Round shield.>
閃光が放たれるのと同時。
その槍は少女の杖の意思によって頭上に展開された防壁によって逸らされた。だが、少女の放った魔法もまた、僅かに射線から外れた。
リュウトの目には、確かに桜色の光がマンティコアに向かっていくのが見えた。
青年はその瞬間、確かに成功を確信した。
しかし、彼の脳裏に描かれた射線から僅かにずれた光を見て、彼は光を放ったはずの少女に意識を向けた。
向けてしまった。
彼の目に映ったのは、力なく空中に投げ出された少女の姿。
その少女から意識の気配は感じられない。
そして、彼は少女を掠めるように天より突き刺さった槍を見つける。
青年は、その瞬間にすべてを悟った。
――釘付けにされたのは、自分たちの方だった。
前方に強大な脅威を出現させて相手を釘付けにし、後背より奇襲をかける。
そんな基本的な戦術に嵌ったのは自分たちの方だったのだ。
だが、青年はもう一つ間違いを犯した。
――前方の脅威は、本命でもあった。
青年の意識が逸れた瞬間、盾は崩壊した。
その衝撃に吹き飛ばされ、リュウトの身は空に投げ出される。
そして、その槍衾が二人の少女に向かうのを見た。
その瞬間、彼の脳裏にアカの記憶が浮かぶ。
――天に伸び、家族の命を燃やし尽くすアカ。
(再び、あの記憶が再現されるというのか?)
――手に持ったものから流れ出すアカ。
(私は、再び喪うというのか?)
――掌に伝わる温もりが、どんどん消えていく。
(私は…)
――記憶が、優しい記憶が刃になる事を知った。
(僕は…)
――思い出が痛い事を知った夜。
(父さん…)
――暗き闇に涙を奪われた夜。
(母さん…)
――今の自分が始まった夜。
(明日香…)
――再び繰り返す。
(繰り返す…?)
――叫び、涙し、自身の無力を嘆く。
(そんな事…)
――力を求め、再び嘆くのか?
(私は…)
――再び、喪う事を…
(認める訳には…)
「いかない!!」
その叫びと共に、青年は漆黒の疾風になった。
「なのは!」
フェイトの叫びと共にアルフは作戦が失敗した事を理解した。
それと同時に彼らの上官が抑えていたはずの方向から、巨大な壁が迫っている事に気付いた。
「フェイト!」
主である少女に向かって叫ぶが、彼女は親友を抱きとめて支えるのに精一杯で迫る脅威に気付いていない。
「チッ!!」
アルフが空を蹴って主に向かうと、槍衾が少女達に突き刺さるのが早いという事実がアルフを襲った。
――間に合わない!
アルフが全力で飛んでも槍のほうが早い。
それこそ瞬間移動でもしない限り、主の盾になる事も出来ない。
「フェイト!!」
――早く、早く、早く!
どれ程気が急いても間に合わない。
ただ、自分が見る主の最期が近付くだけ。
「フェイトッ!!」
アルフが伸ばした手の先で、漆黒と鮮血が虚空に舞った。
第九話につづく
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
ええい、長いわ!!
そして、英語の成績はすごく悪いのだよ、私は。(偉そうに言うな
こんなに長くする予定は無かったのに、えらい量に膨れ上がったこの話に私は頭を抱えています。
しかも、この後には第九話が待っているではないか。
いっそなのはさんに止めを刺してもらいたかった…。でも、そうすると伏線がとんでもない数回収不能になる上に物語が進まないかもしれないしなぁ。
リュウト君は微妙に負けてるし。勝てる相手ではないという事は分かっていたけれども、なのはさん達と共に戦うにつれてリュウト君が脆くなっていってるというこの事実。
過去を経て無理矢理作り上げた自分に当たるなのは達の暖かい感情が、リュウト君の心に多大な影響を与えているのですよ。
PT事件以降変わっていってるというのは、なのはとフェイトとの出会いが原因ではあります。
これから変わるリュウト君の話が、この物語の根幹になります。
皆様には是非とも彼の変わる姿を見ていただきたいです。
さて、真面目に語ったところで今回のあとがきを幕としましょう。
皆様、次回のお話で会いましょう。
囚われの少女が見る夢。
それはいつかの記憶。
時を越えて出会った青年と少女。
記憶を糧に得た力、青年が求めた力は何かを救うことが出来るのか。
すべてを失って得た力、少女が求めた力は本当にその力なのか。
闇を討つ為に作り上げた力。
未来が欲しくて掴んだ力。
確かに二人は、求めて力を得た。
次回、魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第二章
第九話 〈終演〉
あの時の願いは、今の自分に続いている。