魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
プロローグ
なぜ………こうなってしまったんだろう。
それはまだ6歳の少年にはつらい現実。
その日、少年は家族と共に小さな旅行をしていた。日頃忙しい彼の両親が、久々の休暇を家族のために使おうと配慮した結果だった。
崖の上の山道を走り、夜の街が一望できる丘で、その小旅行の幕は閉じるはずだった。
そう、そのはずだった。
どうして・・・・・・こんなことになってしまったのだろう
彼の乗る乗用車の運転席には父親がいた。
どうやら何か明るい話をしているようで、とてもおかしそうに笑っている。
その隣、助手席でもまた彼の母親が笑っていた。
夫婦揃って忙しい身でありながら、夫婦仲はきわめて良かった。かつて駆け落ちで結婚したというから、その恋愛の記憶がそうさせているのだろうか。
そして少年の隣には、2つ歳の離れた妹がいる。まだ4歳で、久しぶりの家族旅行が嬉しいらしくとても元気にはしゃいでいた。
そしてその笑みは無垢だった。純粋な心を持っていた。
なんで……どうして………?!
車内には暖かな、穏やかな空気が漂っていた。
しかし、父親が言っていた丘が見えてきたその時、幼子の運命が大きく変わった。
空が割れる。
本来ならあってはならない現象。しかし、それは現実に起こってしまった。
そして、その次の瞬間には空の裂け目から一筋の閃光が飛び出した。
その光は真下に、落ちる。
そう、真下にいた車に……降り注いだ。
「……とぉ…さん………かあ…さ……ん……?」
その閃光は純粋な魔力の光。
何かを破壊しようとする破滅の光。
それを受けた車は一瞬の間のあと爆発し、火だるまになって崖の下に落ちていく。
「………あす……かぁ……?」
崖の下に落下した車は大きな木に衝突して止まった。
運が良いと言えるだろう。少年は落下の途中で放り出された。右肩の骨を骨折し、おそらく右足も折れているだろう。他にも打撲や擦過傷がいくつもみられたが、少年には体の痛みよりも別のことに気をとられていた。
「ぁ………ぁ……」
少年の目の前で炎は大きく燃え上がっている。
上下逆さまになって木に引っ掛かった車は、少年に後部を向けていた。
そして、運転席の窓からは、自分の父親の腕が外に向けて伸びているのが見え、その腕の所々から血が出ている。
「ぅ……ぁ………ぁ……」
自分の母親の顔がこっちを見ている。
目を見開き、「恐怖」がその表情を支配していた。
そしてその顔は、何かがおかしかった。
車は上下逆だ。母親が助手席に乗っていたのなら、もしシートの上部から顔だけを出しているのなら、顎は下になるはずだ。なのに今の母の顔の顎は上にある。
そして、その顔は正確には助手席ではなく、運転席の側にあった。だが、母親の腕は間違いなく助手席側の窓から見えている。
つまりあの顔は、あの頭は、もう胴体とは繋がっていないのだろう。
さらに少年は自分の右手を見た。
つい先ほどまで自分の隣には妹が、明日香がいた。直前まで手を繋いでいたのだ。
だが今は、いない。
しかし手は握っている。
そう、その妹の手には腕があってもそこにあるべき胴体は無かった。肩の辺りから千切れたのか、まだ血が噴き出ていた。さらに何か白いモノも、まるで突起のように肩の断面から生えている。
少年が呆然としていると、彼の頭上で鳴る筈の無い雷鳴が轟き、少年は天を仰いだ。
そこには本があった。かなり近くにあるのか、少年にははっきりとその姿が見えた。雷が夜空を照らし、一層よく見える。
「…あ…あぁぁぁぁ……」
頭上にある本はまるで辞書のように分厚かった。表紙には金色の十字架が施されており、まるでその本を拘束するかのように鎖が巻かれている。
「おい! こっちだ!」
遠くから大人の声が聞こえた気がして、一瞬その声のする方向に目を向ける。
そして再び本の方に目を戻すと、すでにそこにあの本は無かった。
「君! 大丈夫か!」
いつの間にか、自分の隣に大人がいるのに気が付いた。
彼がその大人の方に顔を向けると、その大人は丈の長い白い服を着て、手には長い棒状のものが握られている。
「救護班、こっちだ! 急いできてくれ! 第二小隊は消火に当たれ!」
おそらくこの人物は周りの大人たちの責任者なのだろう。周りの大人たちに手早く指示を出す。
だが、その大人は何かに気が付くといきなり立ち上がり、少年の後ろに立っていた人物に敬礼する。
「大丈夫かい?」
少年は後ろを振り向き、声を掛けてきた大人を見る。その瞳はすでに生気を失っていた。まるで人形の目である。
少年が目を向ける先には、顎髭を生やした老人が立っていた。
彼の手と炎上している車を一瞥すると、老人は少年の前でしゃがみ込む。
そして彼の右肩と右足を見ると、誰かに向かって声を上げた。
「リーゼ。この子の手当てを」
その声に応えて、老人の後ろから二人の少女が走って来るのが見えた。
その二人の少女は少年の様子を見て、一瞬だけ動きを止めた。
しかし、その停滞は刹那で終わり、彼に手のひらを向ける。するとその手は光りだし少年の周りにその光の壁を作った。
その光は暖かかった。
だからこそ、少年は少しずつ思考を回復させていく。そして少年の生気の無い瞳から、涙がこぼれた。
その涙は止まることなく少年の顔を流れる。ひたすらに流れる。
「父様。この子は………」
少年の傍にいた少女の一人が老人の方を向く。少年は未だに妹の腕を持っていた。
いや、手を握っている、という表現の方が正しいのだろう。
彼は、未だに妹を守っているのだ。
「あ………あ…あ……あ」
少しずつ意識がハッキリしてきたのか、少年の唇がわずかに動く。
そして少年の瞳にも又、僅かずつ生気が宿っていく。
だがその瞳には何も映っていない。ただ暗いだけだった。
「あ…あ………あ………うあああぁ…ああ……うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
少年は吼えた。
今の悲しみを、苦しさを搾り出すかのように。
今まで理解出来なかった事を、一気に理解したために。
周りの大人達が自分の方を見ていた。
家族の乗っていた車の消火に当たっていた人たちは、火の消えた車の車内を見て、口に手を当て呻いている。
彼らもこのような事態も経験しているだろう、しかしそれでも慣れることは出来ない。
近くで声を上げて泣いている少年の叫びが、よりその気持ちを大きくした。
「ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
その少年の瞳には、もう何も映っていなかった。ただ闇が広がっているだけ。
そして、少年の叫びを聞いていたかのように隠れていた月が顔を出し、世界を照らし出した。
全ての事後処理が完了し、少年は大人達の所属する組織<時空管理局>に保護された。
彼の縁者は家族だけで、彼を引き取って育ててくれるような親戚も知り合いも居なかったからだ。
そして少年はそこで、ただただ強くなろうとしていた。自分の家族を奪ったモノに復讐するために。
ロストロギア<闇の書>に………そしてこの世界に闇の書を招いた者に……復讐するために。
そしてなにより、守るべきものを守るために。
少年はあの日、家族と涙を失った。