戦技教導演習
空はどこまでも晴れ渡る藍の色。海原を泳ぐ細長い群雲は緩やかで眠りを誘う魔の世界とも感じさせる。
それを見上げる一人の青年は現実逃避をしながらも荒々しい呼吸をどうにか整えようと必死であった。
単なる一市民では無いと如実に表わす白黒のバリアジャケット。手にしている杖型のインテリジェントデバイスのメインクリスタルが点滅をして魔力の限界を物語っている。
(本当に俺達と同じ人間なのかよ、奴等は!?)
愚痴を吐く事すら許されない現状に心の中だけで毒を吐き、間近の窓の鱗に反射する光量に目を細める。
自身の現時点は最早確認する余裕すら無く、何処のビル群の狭間に身を隠しているのだ。
爆音が周囲に轟く。反射的に緊張を走らせたが音が遠くからの残響音であることが分かるとあからさまに安堵の息を吐いた。
『こちらサイファー9! 誰か援護に来てくれ!?』
『駄目だ! こっちも手一杯なんだ、他に誰かいないのか――ああ、くそっ! 14がやられた!!』
『11、左から回り込まれるぞ!! シューターで牽制しろ!!』
『サイファー5! 三人に包囲されてるぞ、振り切れ!!』
『駄目だ畜生!! 向こうのシューターが信じられん程に速くて正確だ……!?』
『5、応答しろ!? サイファー5!!――くそったれっ! 連携が崩れてる。どうにかして立て直さなければ…!!』
次々と聞こえてくる仲間達の通信を耳にしながらやっと落ち着いた心肺の調子に見切りをつけ、再び空へと飛翔する。
阿修羅の如き戦陣も猛威へと身を投じる事は自殺行為に他ならないが、死ぬ事は無い。そう、これはあくまでも演習なのだから。
戦技教導隊による各航空部隊への戦技教導。部隊の名が示す通り、高い技術と魔力資質を秘めた本局のエリート達による実技指導を目的とされて運用されている部隊。
基本的に前線に立つのは稀であるが、一般の管理局魔導師には手に余る事件・災害においては最前線に身を投じ、華々しい戦果を上げると言われている。
しかしそれは誇張された噂話だと高を括るのも無理からぬ話ではある。大抵の辺境や一般部署に配属されている職員には高嶺の花、アイドルや芸能人の領域での選り好みの話の種でしかない。
そういう自身も航空隊という部隊に所属をしているが、はっきり言って平均的な魔力資質に技量しか持ち合わせていない。
周囲には凄まじいまでに成長して階級を上げていく者や活躍をしていく者がいないこともないが、結局は他人事。
況してや現状を打開するというよりも今やっとそうした人々の凄さを身に染みて実感しているところなのだから。
『こちらサイファー17。戦線復帰する!!』
17。それが自分の部隊の位置付け。部隊の平の最低付近の位だ。
高速でビルの合間を抜け、上空で飛び交う魔力弾の雨の中に一撃を叩き込む。
味方を翻弄する相手を撃ち抜くために撃ったのではなく、単に向こうの意識に増援が一人いると認識させるだけの行為である。
案の定、教導隊の一人がこちらに直進をしてきている。だが戦線に進入したばかりなので少しだけ距離があるので次撃の間合いはぎりぎりだ。
「シュート!!」
何一つ珍しくも無い誘導魔力弾を三発放った。これがデバイスとの連携で繰り出せる限界の弾数。
二つは迫っていた教導官の回避行動している先へと誘導し、もう一つはそのまま戦線に突き進ませる。
教導官を無視して戦線へとまっしぐら。もとより一人でどうにか出来るはずもないのだから相手をするなど微塵も考えていなかった。
【Break!】
無機質なデバイスの声と共に自身と教導官の中間点に回り込ませた二発の誘導弾を自爆させた。
ダメージなど考えずに目暗ましを優先させ、目の前の誘導弾のみに意識を集中させる。
『17! 12の援護の回れ! 奴が今にも落とされそうだ!!』
『了解!!』
否応なくその指示に従い、魔力波動の識別により即座に12と言われた味方を見つけて誘導弾を加速させる。
基本射撃魔法による連射で翻弄される12を狙う教導官の死角から進入させる。気が付こうが気がつかぬが構わない。要は隙を作るのが現状第一。
「!?」
しかし横から高速で通り抜けた光の筋がこちらの誘導弾と接触。二種類の閃光を放って対象に命中する事なく爆散してしまった。
慌てて振り返れば目の前に広がる複数の明確な魔力光を放つ魔力弾が4つ。
咄嗟の魔法陣による防御シールドで一発を防ぐがその魔力爆発に耐え切れずに砕け散り、低下していた魔力が反動で大きくさらに減退。
二発・三発目は何故か脇を通り抜けていくが、そうは問屋が卸さない。簡単な引き算で出る残りの一発は何も出来ずに直撃して見事に吹き飛ばされていく。
「――!!!?」
非殺傷設定であるので物理的な損傷は受けないが魔力ダメージや爆風や魔力風による衝撃は無くしようがない。
あまりの強烈なインパクトに叫び声も上がらず、バリアジャケットも今の一撃で殆どが粉砕されてしまう程の威力。
そして爆風によって強制的に視点が動かされ、残りの二発の行方を偶然にも目にしてしまう。
こちらの編成を整え直した集団に向けての牽制。だがその精度は先ほどの自身が行ったあてずっぽうなものではなく、集団の要である者を正確に突いて混乱させている。
演習開始からそうであった。こちらが動こうとすれば先を読まれ、交戦の際にも一人一人の高い能力と技術に敵わずにいた。
エミュレーターによる疑似的な市街地戦を想定していたために隠れる場所の多さに長期戦を余儀なくされるも劣勢を挽回する術は得られなかった。
隊長はどうにか戦線を維持する事に成功しているが、一時も気を抜く事を許されず消耗の度合いは自分よりも遥かに大きいだろう。
呆れるほどの見事な直撃により自身の意思と無関係に地上へと真っ逆様に落ちていく。このまま行けば良くて重傷、最悪の場合に死すらあり得そうだが、デバイスの緊急回避プログラムの発動でその心配は無い。
未だに手より離れていないデバイスの柄を握りしめ、どうにか浮遊を成功させ、繁華街を想定した建造物の一角の屋根に緩やかに着地。
見上げるとやはり翻弄される仲間達の姿が嫌でも目に入る。むしろ今の方が先ほどよりも酷いのは決して気のせいでは無かった。
自身を撃墜したアイツがいるからだ。あの桃色の魔力弾を放った少女というには大人な女が介入してからだ。
いや、むしろ彼女の強さそのものが教導官の中でもずば抜けていた。保有魔力・射撃技術・機動性、どれを取っても抜きん出た実力保持者である。
「まだ、いける…」
演習であるが故にバリアジャケットの再展開をせずに演習続行は認められないのでなけなしの魔力を絞って破損個所を修復。
完全とはいかないまでも最低限であるインナーの黒地の服だけは展開し直せた。
再び飛翔しようにも先ほどの二の舞でしかなく、低空から道路沿いに隠れて接近を試みて真下からの奇襲しかない。
『…こちらサイファー17。向こうのエースの直下に移動中』
『――よし、奴の目を引きつけておく。なんとしても一矢撃ち込め!!』
仲間が残り僅かな総力を上げて教導隊の目を引きつけたお陰で迎撃の様子も無く彼女の直下にまで移動し切った。
意識を切り替える間も惜しみ、最後の燃焼とばかりに急上昇。複数の展開するバインドを避けるべく回避行動の最中の相手に向かってデバイスの矛先を向け、今放てる最大出力のバスターを叩き込む!
「なっ!?」
射撃体勢を取り、魔力が収束して放とうとした瞬間に自身の周囲に展開する桃色の魔法陣。
そこから出現する楔が体を拘束し、気力で纏めた魔力がバインドの効果で拡散してしまった。
驚愕に混乱する頭上で淡い色合いながらも輝かしく展開する魔法人の光にはっと見上げる。
【Shooting Mode, Set up.】
同じインテリジェントデバイスでありながら射撃形態へとデバイスの形を変える様子に驚くも、その矛先が此方に突きつけたが故に笑いが込み上げてくる。
先ほどもシューターであの威力。威力よりも牽制に近い筈の攻撃手段であって射撃や砲撃では無い。漸く今、射撃魔法が放たれようとしている。
「ディバイン…」
聞こえてくる彼女の声は少女のあどけなさを感じさせるも、男の自分からしてもとても力強かった。
そして射撃体勢を整えて収束する魔力量に嫌でも目が行く。自分と比較するのがおこがましいまでの馬鹿デカイ魔力量。
釜に貯め込まれる水が彼女の収束する魔力であるならば、注ぐ勢いで釜の外に飛び散る水滴が自分の魔力にしかすぎない程の圧倒的な質量!
「バスター!!」
桃色の砲撃は真っ直ぐ全身を襲い、全身を貫く魔力の輝きを浴びてその光量の凄まじさに場違いにも感嘆してしまった。
自分の魔力ではあり得ない輝き。収束出来る魔力量が大きい程にその輝きは映え、暴力的な破壊力の中に美しさが存在するのは嘘ではないらしい。
消え行く意識の中で、噂が嘘ではない事を身を持って実感した瞬間。射撃を終えたデバイスの噴出する蒸気の煙だけがこちらのデバイスとの共通動作に妙な冷静さを生み出させた。
時空管理局本局武装隊 航空戦技教導隊第5班所属
戦技教導官 高町なのは二等空尉とそのデバイス『レイジングハート・エクセリオン』。
『航空戦技教導隊のエースオブエース』
確かにこれは彼女にこそあるべき相応しい称号であった。
目を覚ました時にはとっくに演習は終了しており、病院のベッドで一夜を明かしたのだと医師から伝えられた。
特に肉体的にもリンカーコアにも悪影響は無かった。単なる過労らしい。
(まあ、だろうなぁ。魔力攻撃の直撃を二回もまともにくらっていればそうなるか…)
思い出すだけで怖気が走り、演習であると分かっていても死を覚悟した程である。
念のためとの事でもう一日だけ入院して経過を見ることで昨日と同じ青い空をベッドに横になって見上げていた。
丁度その時であろう。うとうとし始めた時に様子を見に来た隊長が入室してきたのは。
「随分と調子は良さそうだな。ほれっ」
敬礼をしようとしたが「病人は休んでろ」と諭された後の他愛のない会話の最後にそう言って一枚の書類を差し出して来た。
それを手にして訝しげに中身の確認した時、酷く驚いてしまった。何故ならばその書類は昇級試験の申請書であったからだ。
現在の自分の階級は一等空士。それが三等空尉への昇格試験など夢にも思っていなかったことだ。
『士』から『尉』への昇格はそれすなわち一部隊の隊員から部下を預かれる存在になるという事である。
任務ではその重責を担う重要な地位への切符が目の前に。そして最も驚かせたのが、その推薦者があの『高町なのは』であったからだ!
最後には彼女に撃墜されて病院送りにされたほどの情けなさに呆れられこそすれど推薦される要因が自分には皆無なはずなのだ。
「あのエースはそんだけお前を評価してたってことよ。部隊の面々も羨ましがっても不満を持った奴はいないぞ?」
彼女があの後、直ぐに此方の経歴を洗い、推薦できる材料を用意したらしい。
驚くことにあのエースは臨機応変な対応をしたと高く評価し、さらに強くなる為の下準備として昇級試験の推薦を買って出たとの事。
他にも欠点と改善点を鋭く指摘した書類が部隊員全員分を教導隊演習経過報告書に作っているという凄技を現在成していると聞いて最早呆れてしまう。
「まあ、どうすうかはじっくり考えてお前が決めればいいさ」
隊長が退室した後、窓の外の空を見上げて物思いに耽る。
自分の将来すらも左右する場所にいる彼女の凄さは単に戦闘だけではないのだと、エースという称号が彼女のこれほど相応しいのだと思った。
単なる一魔導師である自分が彼女のようなエースに一歩でも近づけるのがこれほど名誉なことはない。
思ったが吉日。書類に添えてあるペンを取り、これからさらに忙しくなる人生に立ち向かうべく筆を進める。
何処までいけるか正直何一つ明確なビジョンは思い浮かばないが、彼女の期待に応えられるようやってみるつもりだ。
三等空尉昇級試験 申請
受験者:時空管理局本局武装隊 航空哨戒警備隊第24班所属 サイファー隊 ○○○○○ 一等空士
推薦者:時空管理局本局武装隊 航空戦技教導隊第5班所属 戦技教導官 高町なのは 二等空尉
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