彼が彼女にあったのは、蒼い満月の夜だった。

 錬が寝静まった頃、夜月は目を覚ます。

 そして庭を一回りして眠りに付くのがいつもの日課。

 しかしその日はいつものと違うものが一つあった。

  庭石に一人の少女が座っていた。

 黒い単衣を着込んだ少女は、庭石でブランコに座っているように足を揺らしている。

 一瞬その子を彼女と見間違えたが。彼はすぐに少女が誰か分かった。




 「君が死織だね」

 「そういう貴方が夜月? 会うのは初めてね」

 「会ってはいるさ、ただし錬の方だけど」

 「ふふ………」




  夜月も死織の横に座った。

 風に踊る木々や虫の声が歌となって二人の耳へと届く。

 そんな神秘的な雰囲気の中、死織は立ち上がった。




 「私たちはいつか消える存在よ、そしてそれを自覚して享受している、これはおかしい事なのかしら?
  彼女にそう聞かれちゃったけど… 私が答えたら怒られちゃった」

 「自覚している異常者はいないと思うし、そもそも俺たちの存在理由はそれだけだ。
  単にそれが許せなかったんだろう」

 「そして我が主達はそんな事を言う私達を悲しんでいる」

 「消えるわけではなく、元の一人に戻るだけなんだけどな」




  作られた存在である二人は己の消滅を恐れない。

 そもそも存在しないはずの二人にとって元の一人にもどる事こそが正しいのだ。

 ゆえに彼らには普通の人間の道徳など意味が無いのである。




 「錬はまだ貴方に気づいていないの?」

 「気づかせない、君こそ彼女と仲良くしすぎだ。
  別れる時に悲しませる事になるよ」

 「彼女はそれを自覚して私と会っているわ」

 「なんと強い女だ」

 「私もそう思う」




  己の主も自分を知ればそう決意するだろうと、夜月は確信した。

 死織の主のようにまだ自分を知覚できずにいるが、気づくのは時間の問題。

 そしてその時、はたして自分は死織のように決意できるのか………

  そんな事を考えながら、月を見ていた。

 月はどこまでも平等に闇を照らしている………








 










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                縁の指輪 
    三の指輪 五刻目 夜月乱舞


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  エギテレィスは背筋を這い上がる悪寒に身を任せ、横へと跳んだ。

 それは正解で、一瞬後に夜月の剣がさきほどまでいた場所を薙ぐ。

  このままだと死ぬ、殺される――― そんな思考がエギテレィスを乱す。

 もはや迷う事など出来なかった。




 「出ろ―――!」




  もはやとっておくなどできるはずも無い。

 エギテレィスは切り札だった傑作を全て展開した。

  鬼の両腕を持つケンタウロス、四本の腕と虎の頭を持つ巨人、獅子の頭部と鬼の両腕を持つ人型。

 最後に現れようとした、リザードマンとワイバーンのキメラは出てくる前に影ごと夜月に殺された。

 召喚の門である影の力は消されたが、それでも3体が展開に成功している。

  そんな普通の人間なら恐怖で脅えそうな異形たちを前に、夜月は笑みを隠せずにいた。

 いまさらこんなもので自分を倒せると思っているエギテレィスが可笑しくてたまらないのだ。

  夜月が駆け抜けると、かならず何かが斬られる。

 ケンタウロスは手に持った槍で振り下ろされる剣を防ごうとしたが、それが分かっていたかのように剣先はそれを避けて腹を斬る。

 そして夜月は振り返って、四つの斧を振り下ろそうとしていた巨人を薙いだ。

 最後に獅子の攻撃を後ろに飛んで避ける

  その余りにも素早く的確な戦いは舞いを連想させた。

 夜月が舞うたびに真紅が夜を染めていく、それは悲惨で冷酷で優美で神秘的な舞。

 錬とは違い一撃で致命傷を与える事はできないが、的確に相手の攻撃できない死角へともぐりこんで反撃を許さない。

 キメラは次々に痛手を受けつつも夜月に一撃を加えようとするのだが、彼を捉える事ができないのだ。

 そして攻撃により生まれた隙に5本の赤の刀身がキメラ達の部品の結合を消していく。

  巨人は右腕と左腕が一本ずつ落とされ、ケンタウロスは前足を失い地面を這いながら移動している。

 獅子は左腕を肩から剥離されていた。

  そんな満身創痍のキメラ達に比べて、夜月は返り血すら浴びていない。

 ゆえに彼は血塗れの巨人よりも、傷まみれの兵器よりも恐ろしい存在としてそこに居た。

 まるで夜の月のように、当たり前の死として彼は存在する。




 「おいもうキメラは品切れか、期待はずれにも程があるぞ」

 「――――ッ!?」




  擦れた声でエギテレィスは呻く。

 アイツらへの切り札として作っていた傑作達は夜月に対して余りにも遅く鈍く、そして致命的に戦闘経験に欠けていた。

 夜月の位置を視認でしか確かめられず、それゆえにたやすく死角に回りこまれる。

 歴戦の戦士なら視認という手段以外にも相手を認識する事が可能。

 だがキメラ達は優れた感覚を持ちながら、それを生かすことができない。

 傑作を温存して使わなかった事がここで裏目に出た。




 「………だが、お前は錬のような理不尽な破壊力は持っていないようだな」

 「当然、あんなものを真似できるものか」




  夜月は一度もキメラを破壊していない。

 錬の『破壊の瞳』のような破壊力は『神無の瞳』では再現できないのだ。

 あくまでキメラを夜月が倒すには、キメラの結合に使われている力を消して分解していくのしかないのである。

  エギテレィスに自身の弱点である攻撃力の低さを指摘されて夜月は不機嫌そうな顔になった。

 しかしそれは夜月の舞には何一つ影響を与える事は無い。

 そのまま舞って、傑作のキメラ達を分解できるだけ細かく分解した。




 「怨怨怨怨怨怨!」

 「―――!?」




  夜月がキメラを見ている隙をついて、死に逝くキメラ達を踏み潰しながらエギテレィスが駆けた。

 その右腕は硬く握られて握りこぶしを作っている。

 単純な話だ、夜月は人外の力を切る力。

 だが物質を消す事はできない、そう――― たとえば肉体。

 吸血鬼の力は消せても、腕力を消す事はできない。

  迎え撃とうとしたが、間に合わないと考えて夜月は後ろに跳んだ。

 エギテレィスの正拳は夜月が居た場所を通り越してコンクリートの壁を粉砕する。

 当たれば夜月がコンクリートのような末路を迎えていただろう。




 「……… 当たったら不味いな、コレは」




  夜月はすこしだけ戦慄を覚えて呟く。

 錬もそうであったが肉体的な強度はあくまで人間のそれでしかない。

 吸血鬼の綾美ですら気絶させたエギテレィスの腕力、その前では一瞬で肉の塊にされてしまうだろう。

  確かに夜月の力においてもっとも厄介な血の力は失っている。

 だがエギレティスの基礎的な能力は、それだけでも厄介だった。




 「―――肉塊になれ、秋雨ぇえええええ!」

 「だから、五月蝿いと、言っている!」




  エギテレィスが獣じみた咆哮を上げ、駆け出した。

 夜月も丙子椒林剣の剣先を地面に着けて走り出す。

  エギテレィスのハイキックが夜月の顔面を狙って繰り出される。

 その一撃をすこし後ろに頭をそらせて紙一重で回避。

 だがそのままそのハイキックはかかと落としに移行する。

 それを赤い刀身を生み出して三本を砕かせながら盾にして威力を殺ぎ、残りの二本で横にそらした。

  夜月は神速の動きでエギテレィスの背後にまわりこみ、剣を振るう。

 その一撃に対しエギテレィスは左腕を盾にした。

 夜月の剣は威力が足りず、腕の半ばほどで止まってしまう。




 (ダメだ、錬なら―――)




  ―――この一撃で決まっていた。

 錬ならば腕ごとエギテレィスを上下に分割できただろう。

 しかし普通の人間の腕力ではそこまでの力は出せない。

  すぐに剣を引き、夜月は離れようとする。

 だがそれよりも早くエギテレィスの回し蹴りが繰り出された。

 これは刀身を5本とも盾にし、辛うじて避ける。




 「―――くははははは、闘えている……… 闘えているじゃないか、私が、秋雨と。
  くは、くはは、あはははははははは……… そうだ、私がたかが人間の子なんぞに負けるはずが無い、無いのだ!
  そうだ、救世主が唯の怪物ごときに負けるはずが、無い!」

 「すこし、頭に来た―――」




  苛立つ笑い声を聞き、夜月の動きが変わった。

 今までの静かな動作とは一転、激しく攻撃的な動きとなる。

 ―――エギテレィスが気づいたとき、夜月が目の前に居た。




 「ひ―――――」

 「疾!」




  エギテレィスがとっさに掲げた左腕、それに赤い刀身が突き刺さる。

 そして赤い5本の刀身が次々と同じ場所にぶつかり、左腕を斬り落とした。

 エギテレィスは反応するよりも早く、本当の剣先が彼の左肩から胸までを切り裂く。

  心臓を斬られ、血液が飛び散る。

 だがその血に込められた力は心臓に剣先が届いた瞬間に消えていた。




 「―――餓ッ!!!」

 「再生の暇など、与えるものか!」




  エギテレィスが“吼える”前に1本の赤い刀身が彼の喉に突き刺さった。

 喉が裂かれた状態では、意味の言葉を紡ぐ事など出来るはずが無い。

 竜魔法は発動するまえに、そのための声を潰された。

 怒りに燃える目で夜月を睨み、右腕を振るう。

  一撃は今度はゆっくりな前の動きへと戻り、エギテレィスの一撃を回避した。

 激と静の動きの差にエギレティスは翻弄される。

 激烈な動きで攻撃したと思えば、反撃を流れるようなゆっくりな動きで回避。

 そしてその高速と低速の攻防の果て、追随できなくなったエギテレィスの右腕が何回もの斬撃に耐えれなくなり斬り落された。

  防ぐのを諦めてエギテレィスは跳び、落ちていた自分の左腕を回収。

 傷口をあわせ、左腕を吸血鬼の再生能力で復元する。

 そのころには喉も大体復元され、竜魔法もだいぶ出力が落ちたが使用可能になった。

  逆に言えば今までの攻防はごく短い再生時間よりも短い攻防。

 そんな極々短時間の内にエギテレィスは追い詰められていた。




 「…は…… ひ…… くッ……!」

 「すこし無理しすぎたな、体にガタが着始めたやがった」




  擦れた悲鳴を上げるエギレティスを前に、夜月も苦しそうな顔をしていた。

 人間の体は夜月の滅茶苦茶な動きに耐えられるようにできていない。

 無理な動きは夜月の体をも深く傷つけているのだ。




 「それに… そろそろ出られ限界が近いか…」




  夜月の視界も錬のように汚毒の緑に染まり始めていた。

 その理由を知っているがゆえに夜月は静かな怒りを心の底で燃やす。

 あのちんけな存在を思い浮かべて、心の中で言う。




 (はは… 俺が出ているの知って汚染を急いでいるか。 やはり小心者で礼儀知らずな奴だ)




  心中でアイツを嘲りながら夜月は剣を構えなおす。

 そろそろ時間切れが近いと悟り、夜月は次の一撃に備える。

 存在汚染が再開した以上、もはや一刻の猶予も無い。

 ………次の一撃で仕留めなければこっちが終わる。

  錬の能力にアクセス――― 紅の魔術を選択、発動。

 肉体系への強化は最低限、神経系の強化を最優先。

  夜月は一時的に錬の能力を預かった。

 錬で無い以上、完全には使えないが擬似的に使う事は可能である。

 少ない紅の魔力を全て神経系にまわす事で、やっと夜月は錬と同規模の反応速度を得る事ができる。

  それにトドメを刺す方法はもう決まっている。




 「行くぜ!」




  返事など待たず、夜月は駆けた。

 速度こそ上がっていないが今の彼には空気の味すら分かるほど神経が強化されている。

 そしてその神経は今、エギテレィスの行動を先読みするためだけに使用されているのだ。

  今、エギレティスが動き出す。

 その筋肉の動きから彼が突撃すると見せかけて逃げるというのが手に取るように分かった。

 もちろんわざわざそれを許すワケが無い。

  加速をかけても間に合わないと一瞬にも満たない速度で思考し彼は―――

 なんと丙子椒林剣を投げつけたのだ。

 それに驚いてエギレティスは体制を崩しながらもそれを回避した。

 だがすぐに体制を立て直して後ろに跳ねようとする。

 それは読みが余りにも浅い行動だ。

  なぜなら―――




 「来い、丙子椒林剣!」




  よく考えれば分かるはずだ、どうやって丙子椒林剣は夜月の前に現れたのか。

 夜月の命令に従い丙子椒林剣は主の下へ帰還しようと飛ぶ。

 そして今、夜月と丙子椒林剣の間にはエギテレィスがいた。

  飛んだ剣はエギテレィスの腹を背中から貫通する。

 そしてそのまま夜月の元へと帰還した。

 夜月は駆け寄り、上半身だけとなったエギテレィスの首根っこを掴む。

  その時、エギテレィスは己の無事を確信した。

 夜月の腕力と威力では自分を倒せない、それはいままでの戦いで実感している。

 だから大丈夫だと思っていた――― そう、彼が夜月だったのなら。


  ―――後は頼んだ。




 「―――頼まれたよ、夜月」




  その時やっとエギテレィスは彼の瞳を見た。

 その瞳はまるで湖のように澄んだ、蒼い瞳。

 ―――夜月では、無い。




 「終わりだな、エギテレィス!」

 「秋雨錬!」




  錬の蒼い瞳にはしっかりと視えていた、エギレティスという存在が持つ壊れた世界と現実の接点が。

 血の力を失い、もはや竜魔法を吼える余裕も無い、つまりエギテレィスを守る壁はもう無い。

 視界はかつて無いほど汚毒にまみれ、魂がガタガタとその苦痛に震える。

 だが丙子椒林剣を握る手には一切の震えは無かった。

  夜月は無理な動きをしたせいで、もう錬の体はボロボロだ。

 もはや意思で支えるにも限界が来ている――― つまりこの一撃が最後の一撃。

 ゆえに外すわけにはいかない、それこそが錬の体を支えていた。




 「今ならよく視えるよ… お前の終わりが」

 「あ、馬鹿、な… 救世主が…、こんな、所で終わる、わけが……」




  恐怖と戦慄に引きつった顔で、呆然とエギテレィスは呟く。

 その呟きに錬はとても楽しそうで、それ以上に残酷な笑みで宣言した。




 「つまり救世主じゃなかったってだけだろう、この薄汚い小悪党が」

 「あ――― あぁぁああああああああああああああああああああ!?」




  錬の一撃はエギレティスの破滅を一寸の狂いもなく貫いた。

 もはや再生も復元もできず、エギテレィスは木っ端微塵に吹き飛んだ。

  それを見届けてから、限界を超えた錬の意識も急速に闇へと沈む………











 「もう終わったあとか……」




  ネェムレスがたどり着いて見つけたのは地面に倒れ付す少年と、エギレティスの右腕と下半身だけだった。

 ゆっくりと灰となっていくその右腕を無造作に持ち上げて、ネェムレスはそれを地面へと落とす。

 そしてブーツで踏み潰し、完全に破壊した。

  そして下半身を破壊しようとした時、ネェムレスよりも早く何者かの攻撃がそれを爆砕させてしまう。

 ネェムレスはこんな力を持つ存在を数人ほど知っていたが、誰が行なったのかは考えずとも分かる話である。

 ゆっくりと彼は振り返る、そこには姫椿に支えられてこちらへと歩いてくるアスラルの姿があった。




 「あなたが片付けてくれたのかしら、名無しさん」

 「―――俺が来た時には、もう終わってたさ」




  そう呟き、彼は倒れている錬を指差した。




 「たぶんこの少年がやったと思う」

 「錬が………」




  ただでさえエギレティスに勝てなかった上に、瀕死の重症を受けていた錬がどうすれば奴を倒せるのか。

 そんな疑問がアスラルの脳裏に浮かんだがネェムレスが違うという以上、錬しかありえない。

 ふと秘椿を自分に預けた、あの謎の少年がやったのではないかとアスラルは考える。

 しかし彼の様子を思い浮かべて、目立つ事を避けていると思ったので違うと思った。

 やはり錬以外にはありえない。

  そこまで考えてやっと錬が重症という事に思い当たった。




 「れ、錬の怪我は!?」

 「怪我? こいつは怪我をしていたのか」




  ネェムレスから見れば、錬は筋肉などが無理な行使で痛んでいる以外に目立った傷が無い。

 それは当たっており、血のニードルで貫通されたはずの右胸の傷はもうふさがっていた。

 アスラルはそれを見て、副指令の言った能力を思い出す。

  “死を祓う”と彼が呼んだ、確定した死そのものを払いのける力。

 間違いなく錬が自らそれを行い、死を払いのけてエギレティスを倒した。

  何か奇妙な違和感があったが、そうアスラルは結論付けた。

 今の今まで錬は錬でなくなっていたなど… アスラルに分かるはずも無い。




 「エギテレィスを追って来て見て、わけのわからない女に、挙句エギレティスはとっくに倒されていた。
  全くワケが分からないんだが…」

 「私にだって分からないわよ、謎の男から貴方の従者を預かったり、こっちが何が何なのか聞きたい気分よ」

 「こっちの知っている事までなら話せるが」

 「私も知ってる事までなら話してあげる」




  アスラルはそんなことを言いながらも、倒れている錬を起こした。

 姫椿は周りを見渡して綾美を見つけ、彼女を起こした後ネェムレスまで駆け寄っていく。

 そしてゆっくりと綾美は瞼を開いて、何よりも早く錬を見つけた。

  いう事を聞かない体に無理を聞かせて、錬の横まで歩いていく。

 しかしそこで限界が来て、彼女は錬の横に座り込んだ。

  その様子を見てアスラルはネェムレスに言った。




 「まずは錬達を家に送ってから、それから話をするわ」

 「ああ、こっちも姫椿の礼がある。 少年少女二人ぐらい担いで見せるさ」











  そんな彼らの様子を、ビルの屋上から棺桶じみた木箱を背負った少女が見ていた。

 その高い聴覚は彼らの会話を離れた距離であるのにも関わらず、一言すら漏らさず聞き取っている。

 エギレティスが滅ぼされたというのは意外ではなかったが、それを行なったのがネェムレスでもアスラルでも無いというのは驚愕の事実だ。

  機械じみた冷たい声で、錬という名前を呟く。

 少女には錬という名に聞き覚えがあった、それも何か重要な事で。

 それを必死に思い出し、数秒かけてやっとその名前が記憶とヒットする。

  秋雨錬――― あの死織の同じ名字を持つ、秋雨家の跡継ぎ。

 それを思考して彼の事を思い出して、思わず月を見上げた。

  そしてそこでありえない者を見た。

 となりの、このビルよりも背の高いビルの屋上。

 そこに巨大な薄紅色の剣を持つ、一束だけ腰まで伸びた髪。

 どこも変わっていない―――




 「なんで…」

 「…ん、そんなに驚く事かオイ。 前にも言ったろうが、それじゃもてないぜ?」

 「なんで生きている! 如月真隊長、貴方はあの時! ………死織に殺されたはず!」




  教会日本支部第六分隊、隊長『如月真』。

 彼の昔持っていた肩書き――― その肩書きを咆哮し、副隊長だった少女は真を睨んだ。




 「エリシア=フォールド、お前も相変わらず思い込みが激しいよなァ………
  死体を見つけたワケじゃあるまいし、それにそもそも俺は死織と戦ってないんだぜ」

 「………、なら何でいなくなった! 貴方がいなくなった事で、何人の人間が苦しんだと思っている! 私も含めてだ!」

 「それでもやらなければいけない事ができた、そう―――
  戦争や殺戮の象徴たる“大きな剣”を持つこの俺が、教会の異端児が始めて自分の意思で決めた事だ」




  真の持つ巨大な剣、教会の中でも使用者は忌み嫌われる“ヨハネ黙示録第6章第二の封印”、その新話を元に作られた大剣。

 それを使えるがゆえに、彼の教会の中で忌み嫌われた。

 エリシアは彼が言われていた数多くの陰口を思い出し、顔を憎悪でゆがめる。

 心無い者達の侮蔑の言葉、それにより傷ついていたのにそれを無視していた男。

  別に対抗する力が無いわけではない、ただ単にやる気が無かっただけだった。

 そんな彼が、初めて自分の意思で他を捨ててまでやろうとした事。

 捨てられた少女は、初めて彼の顔をまっすぐ見ていた。




 「アンタは何をする気!」

 「俺は――― 俺は“世界の裏の騎士”!
  この世界を貪る邪を打ち払う、誰も知ること無い歴史の裏に埋もれる騎士だ!」




  咆哮を合図にしたかのように、彼の後ろに一人の少女が現れた。

 ネェムレスへと姫椿の事を話した、あのスカートを穿いた蒼い髪の少女。

 少女は呆れきった顔をして真を見ていた。




 「ぎりぎりセーフ。 宣言するなら先に言う」

 「すまない正歌、ついな」




  正歌と呼ばれた少女が跳び、夜の闇に溶けて消えた。

 その姿を見送った後に、真は真正面からエリシアを見つめる。

 あまりにも真っ直ぐで熱い意思を込めたその瞳に、彼女は一つだけ思ったことを訂正した。

  変わった、間違いなく、何事もやる気を持たなかったあの怠惰に支配された男とはもはや別人。

 彼も跳び夜の闇の中に溶ける。

  その姿を見送ってから、彼女は報告を偽造する事を心に決めた。

 少なくとも真と錬という少年の記録は消しておこう、エギレティスはネェムレスとアスラルが倒した事にしよう。

 それが変わった彼への、心からのプレゼントだった。




 「今回だけ、アンタが変わった事が嬉しいから見逃してやる。
  けど次は捕まえて教会に連れ帰ってやるから、覚悟しておきなさい」




  エリシアも跳び、その場を離れていった。








次回 縁の指輪 
四の指輪 一刻目 真なる月と黒の魔王



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