―――夜月、ねぇ夜月 ………今、貴方はどうしてるのかしら?

―――私はいつものように、愚か者よ。

  空白の少女は月を見上げてそう心の中で言う。

  ―――貴方はアイツと戦い続けているのよね、だってそれしか無いんだもの。

―――本当の自分の影でしかない貴方は、彼を守るためだけにいるんだもの。




 「………虚しい」




  夜の月は何処までも静か。

 彼も名前の通り、決して揺らぐ事の無い意思を持っていた。

  自分にもそれがあったらどれだけよかったか、そんな事を考えてみる。

  ―――でもきっと、あの強さは先が無いからこそだったんだよね。

―――貴方には未来なんて無かったもの、だからこそあの強い意志を持っていた。

―――私も、貴女と同じ存在を見捨てたのだから。




 「―――あの竜。 使えるかもしれない」




  あの竜を錬にぶつけ、錬のもう一つの魔眼を覚醒させる。

 それは『アイツら』の立てた世界終焉のシナリオの思うとおりだが、それは『アイツら』にとっても諸刃の刃。

  奴らも恐れたあの力なら、あの忌々しい無垢なるを滅ぼせる。

 それだけでは無く、あの怪物たちも―――




 「名無しも、昼夜も、私も、みんな同じ。 狂った舞台で踊る道化。
  でも、その道化が舞台を破壊できないとはかぎらない」




  ―――主役は五人。

 錬はその一人、いつか“全てを破壊する破壊神の役割”。

  だが、そんなくだらない三文芝居など私が殺しつくしてやる。




 「そう、夜月。 死織、みんな……… ごめんなさい」




  ―――憎むなら、私を憎んでほしい。

―――この臆病者で何も出来ない愚かな女を………










 










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                縁の指輪 
    三の指輪 三刻目 お稲荷様と錬のお話


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 「えっと………アスラル。 貴女がつれて来たフカフカな可愛い動物は一体なに?」

 「預かった、というよりも預けさせられたといった方が正しい動物の狐」

 「狐って事は見れば分かるけど………」




  朝早く帰ってきたアスラルの抱きかかえていた狐を見て錬は戸惑いを隠せなかった。

 綾美がその狐を見て目を輝かせて、その狐を興味津々と見ている。

  そして指でつんつんとその狐を突いた。

 それに「キューン」と鳴く狐に微笑みを浮かべて何度も突く。

 狐はそれに対して前足で攻撃をしかける。

 攻撃を軽くかわして、綾美は狐へと悪戯を開始した。

  そんな綾美を呆れたといわんばかりの目で見てから、錬はゆっくりと口を開く。




 「妙にあの狐、怪我してたし、何よりも普通の動物じゃないでしょう?」

 「妖狐よ、5つ尾ってことはけっこう上位のね。 幻術は魔眼を開けば無力化できるから覚えておきなさい」

 「………ほんとに妖狐だったとは」

 「うっすらとは気づいてたみたいね」




  しかしアスラルは何故か目線をそらす。

 錬もどうして目線をそらしたか知っているため、ため息を突いた。

  強い妖狐というイメージと綾美に遊ばれている狐がかみ合わない。

 むしろそんなイメージを受けたせいで今の狐が憐れに見えてならない錬とアスラルだった。




 「どうする、綾美を止めよっか?」

 「別にいいんじゃない? あ今、かまれたわ」

 「ええ、でも反撃といわんばかりにどっからか猫じゃらしをもってきましたね」

 「でもあれって狐に意味あるのかしら、謎だわ」

 「今もう一回かまれました」

 「学習能力無いわね」




  痛みに悲鳴を上げて床を転がりまわる綾美を冷たい目で見てから、錬は狐を見た。

 この家に来た時はぼろぼろであったが、もう傷は治りかけている。

 それこそがこの狐が単なる動物では無い事を物語っていた。




 「………ねぇ、君はなんていう名前なの?」

 ――――――



  無言で狐はカチカチとフローリングの床を鳴らしながら歩き、ひょいと机の上に乗った。

 そしてそこに置かれていたメモ帳に小さな、小さな狐火を出してそれでメモ帳に文字を焼く。

 “ひめつばき”とメモ帳には書かれている。



 「ひめつばきって言う名前なの?」

 ―――――



  肯定するかのように、顔を上下に振る。

 もっと確実に意思を伝えるためには人化すればいいはずなのだが、それをしないという事はまだ回復しきっていないのだろう。

  錬はこの狐をこんな目にあわせた奴を、殺す事を決意する。

  アスラルは錬のそんな表情を見て、エギテレィスが犯人といわないでよかったと思っていた。

 もし言っていれば今頃、制止を振り切って奴を殺しに言っている事だろう。

  錬は親がいないのが原因なのか、他人の悪意とかいったものに過敏に反応しているとアスラルは感じている。

 彼が綾美を助けたのも、おそらくはそれが理由の一つ。

  故に、彼はいつ暴走するか分かったものでは無い。




 「錬、貴方は―――」

 「どうしたの、アスラル?」

 「いいえ、独り言よ」




  不思議がる錬を誤魔化してから、アスラルは自分に割り当てられた部屋へ行く。

 錬はそんなアスラルを変だなと思いつつも、ひめつばきの食事を作りに台所へと向かった。

  その姿と、戦闘時の猛獣のような姿のギャップにアスラルは恐怖を感じた。











 「さて、アイツはどうしている事やら」



  ネェムレスは戦六の本部ビルの屋上で青空を見上げてから言った。

  実は彼はあまり姫椿を心配していない。

 彼女が自分より生き残る事では凄腕だという事をしっているからである。

 少なくとも自分では勝てないと諦める戦いでも、彼女なら突破口を探し出すだろう。

  そんな確信があるので、彼女が行方不明になったと聞かされても心配は無かった。

  姫椿の事だから、後先考えず力を使って人化ができなくなるほど消耗でもしたのだろう。

 そうなれば自分自身で何とか安全な場所に逃げ込んでいるはずだ。

  捜索系の能力を持たないネェムレスでは、全力で隠れている姫椿を探し出すのは不可能だろう。

 だから彼はこの場所で連絡が来るのを待っていた。

  もしくは……・…




 「おはようございます」




  ―――もしくは、誰かからの接触を。

  話しかけてきたのは、蒼い髪の少女だった。

 その髪はポニーテールにしており、スカートをはいている。

 ミスマッチなのは、そのスカートの上に皮ベルトで止められた二つの刀だ。

  それにもっとも異質なのは、その少女からは命の気配を感じれない事である。

 ネェムレスにとって、この気配はよく知っているモノだ。

  つまり、死んでいながら生きている存在の気配。




 「ネェムレスさん、ですね」

 「ああ、そうだが」

 「姫椿さんは無事です、今はアスラルの保護下にいます」

 「それなら安心だな」




  アスラルといえば、聖十字の最強クラスの異能者だ。

 彼女に守られているのなら、悪意ある存在は手を出せまい。

 ネェムレスは心の中で安堵した。

  ネェムレスの心の内を知っているかのように、少女は口を開いた。




 「今の貴方はアイツらに注目されているので、話しかけるのが精一杯です。
  時期が来たら教えますので、どうか心配なされぬよう」




  それだけ言って少女は屋上から飛び降りた。

 思わずネェムレスは下を覗きこむが、少女はなんとそのまま着地していた。

  何の小細工もなく、10階あるこのビルの屋上から飛び降りて怪我一つ無い。

 ネェムレスですら不可能な事を、あの少女は軽々とやってみせたのだ。

  少女は下からネェムレスに手を振った。

 まるで“これぐらいできるようになってください”と言わんばかりに。



 「おいおい、頑丈すぎだろ………」



  思わずネェムレスは呟いた。











  錬が学校へ行くには、途中にある公園を抜けてから行くのが一番の近道である。

 この公園ではクロードと始めてあった公園で、錬には嫌な場所なのだが回り道をするとかなり時間を喰ってしまう場所だ。

 無論これは帰り道でも言えることで、今日も錬はこの公園を通り自宅へと帰ろうとしていた。

  しかしどうしてもこの公園には、会いたくない奴と会うというジンクスがあるらしい。

  錬は足を止めて、自動販売機でジュースを買っている男を見た。

 その男は、鈍い闇色の髪をしている――― 言うまでも無くエギテレィス・ハートレス。

  錬が戦った吸血鬼が、今此処にいた。




 「ふむ……… 少年、また会ったな」

 「―――殺し合うか」




  鞄の中に隠し持っていたナイフを出して錬は言った。

 だがそれをエギテレィスは手を上げて降参のポーズをとる。

  思わず錬は敵意を抜かれてしまった。




 「戦う気は無い、私は君の正体を知らなければいけないと知っただけだ」

 「何―――」

 「少年、“君は何でその瞳を持っておりながら、人外の者と一緒いて正気を保てる”?」

 「―――――……… どういう意味だ」

 「その瞳、『破壊の瞳』は最強級の退魔士に発生する特異な瞳。
  ゆえにその瞳はありとあらゆる魔を否定する、いや……… 否定しか出来ない瞳だ。
  ―――――現に少年、君もそれに操られた事があるはず」




  嘲るような笑みを浮かべて、エギテレィスは錬を指差した。

  そう、彼の言うとおり錬は何度も衝動に支配されている。

 綾美も時も、死織の時も、アレフの時も、いつもやっている鬼の時も、何度も自分のものではない衝動に支配されてた。

  それが錬の瞳の本質であると、エギテレィスは言っているのだ。




 「図星のようだな、なら何かの封印を受けているのか。
  そのクラスの神眼を封印できるとなると『K』が作ったという拘束宝具か、月の指輪か」

 「―――キサマに言う理由は見つからないな」

 「ではいつの日には自分の手で、アスラルを殺したまえ」

 「――――――!?!?」




  話の中の人外が綾美だと思っていた錬はその言葉に絶句した。

 それに自分がアスラルと殺すと言われていることも、錬の驚きを強めている。

  しかしそれ以上に、錬には一瞬でもそんな事が“ありえる”と思った自分が恐ろしかった。

  つまり自分はアスラルを殺してもいいと思っているのか、と。




 「どうだ、興味がわいてきただろう?」

 「………なんで俺が彼女を殺さなければならない」

 「本当に“絶対に殺さない”と言い切れるのかな?」

 「――――――………」

 「ほう、やはり言い切れないようだな」




  笑みを浮かべて、エギテレィスは錬に一歩近づく。

 錬は後ろ一歩、威圧感を感じているかのように後退する。

  それは威圧感のせいではなく、錬自身がエギテレィスの言葉に動揺しているせいだ。




 「教えろ、破壊の瞳が何か」

 「そうか、では来たまえ」



  エギテレィスはそう言って身を翻し、歩き始めた。

 錬も鞄を背負ってその後を追う。

  その様子を、アスラルに姫椿を預けた少年が遠くから見つめていた。











  時計の音だけが虚しく鳴り響く。

 そして七時を示す鐘がなった時、アスラルと綾美はそれが異常である事を確信した。

  なぜなら錬はクラブなどに入っておらず、そしてその性格から5時ごろには帰宅してくるのだ。



 「アスラル」

 「分かっているわ、念のためが役に立った」




  そう言ってアスラルは無線機を取り出した。

 実は今朝、アスラルは密かに錬の鞄の中に発信機を入れておいたのである。

 鞄の縫い目を取って、生地の内側に入れておいたので気づかれる事は無い。

  実はこれには綾美も一枚かんでおり、作業が終わるまで錬を足止めした。

 錬の一人で突っ走るという悪い癖を知っている二人がやっておいた安全策。

  そしてこれが早くも役に立った。



 「あの狐は置いていきますか」

 「心配はいりません」




  綾美がその声に驚き振り返ると、そこには狐色の長い髪をした少女がいた。

 その少女はなぜか、狐の耳と尻尾をはやしている。




 「まだ完全じゃないから耳とか尻尾、髪の色などを隠せない。
  昔話でも狐の正体がばれる時に尻尾を出してしまうのは、これが一番隠しにくい部分だから」

 「………もしかして“ひめつばき”」

 「そうですよ、綾美さん……… よくも散々、遊んでくれましたね―――」




  ひめつばきは笑顔だ。

 だがそのせいで隠しようの無い怒りが見て取れる。

  綾美はおもわず凍りついた笑みを浮かべた。




 「それに名前はお姫様の姫に花の椿です」

 「姫椿ね、それで貴女はどうしたいのかしら?」

 「手伝いますよ、借りがありますから」




  そう言って姫椿は手を虚空にかざした。

 その手に虚空より現れた槍が握られる。




 「そう、じゃあ行くわよ綾美、姫椿。 案外遠くないわ。
  場所はこの町の、例の黒竜事件の廃墟ね」




  ―――黒竜事件。

 それは今から35年前に起きた事件である。

  当時の戦闘六課の司令と、黒の魔王そしてヴィエルジュが鉄という異世界の魔法使いが戦った。

 そして死に瀕した鉄が呼び出してしまったのが最悪にして汚毒の竜――― 邪竜。

 現れた邪竜は暴れ、この町の一区画を破壊しつくした。

  邪竜こそヴィエルジュの犠牲により撃破されたが、この事件はあまりに目立ちすぎた。

 そのせいか邪竜が何か汚染を残したのかは知らないが、その区画が活気を取り戻す事は無かった。

 そしてこの町は巨大な廃墟を持つ事となったのである。




 「あそこ、ですか―――」

 「行きたくない気持ちは分かるわ、けどあんな所だからこそこんな事が起きるのよ」

 「―――本当にあの場所には、何か呪いがかかっているのかもしれません」




  耳隠しの帽子を被ってから、姫椿は槍を布で覆う。

 アスラルがもう一度、発信機の座標を確かめた後、三人は駆け出した。











  その時ネェムレスは自分のいるビルの屋上が、世界と切り離されるのを感じていた。

 自己世界形成能力を持つ帝級吸血鬼が来たのかと思ったが、それは違うと思う。

 なぜならその世界にはすでに一人の少女がいたからだ。

  言うまでも無く空港であった、あの漆黒の少女だった。

 おそらくあの空港でも、この漆黒の少女はこのように世界をずらしてネェムレスと二人だけになったのだろう。




 「あなたの従者の子、今アスラルと綾美という子と共にエギテレィスのところへ向かっている」

 「………アスラルと姫椿なら二人だけで十二分だ」

 「―――本当にそう思っているの? エギテレィスが本当に弱いとでも思っているの」

 「違うのか?」




  気づいた瞬間、ネェムレスの目の前に漆黒の少女は居た。

 ネェムレスは思わず絶句する、まるで映画のフィルムのコマが飛んでいるかのように動作がつながっていなかったのである。

  そして驚いているネェムレスの耳に口を近づけて漆黒の少女は呟いた。




 「あいつの正体は――――よ」

 「な、何――― 馬鹿なッ!? あの種族が吸血鬼化するなど―――」

 「だからこその鬼子、生まれた時から呪われた存在」

 「それじゃあ………」

 「本気になられたら、アスラルでも倒される」




  またコマ落ちしたような動きで漆黒の少女は離れ、指で方向を示した。

 その方向は今、錬とエギテレィスがいる場所であり、そしてアスラル達が向かっている場所である。




 「すまない」

 「いいえ、これで糸はつながったから」




  ネェムレスは漆黒の少女が何を言っているのか分からなかったが、それよりも優先するべき事を実行した。

  すなわち、全速でエギテレィスを滅ぼす。

  ビルの屋上からとなりの屋上へ飛び降りたネェムレスを見送ってから、少女は世界のズレを修正した。

 そしてゆっくりネェムレスが降りたビルとは逆の位置にあるビルの屋上を向いた。

  大きなヘッドギアを被り、棺桶じみた木箱を背負った少女が、漆黒の少女を見つめている。

 漆黒の少女はすこし微笑んで、その木箱を背負った少女へ語りかけた。




 「ネェムレスはエギテレィスのところへ向かったけど、追いかけないでいいの教会の子」

 「アンタは何者よ。 空間をずらすなんて、紫しかできないはず――― なのに魔力反応が無い!」

 「気にしないで、すぐにいなくなるから」




  木箱からスレッジハンマーを取り出して、少女は構える。

 だが気づいたときには、漆黒の少女の姿は影も形もなくなっていた。

  それに少女は呆然とするが、すぐに自分のやるべき事を思い出していた。

 ネェムレスの姿は見えなかったが、どっちの方向へ行ったかは覚えている。

  木箱にスレッジハンマーを収納し、それを背負う。

 そしてビルから飛び降りていった。











  廃ビルの一階で、錬とエギテレィスは向かい合っていた。

 錬はナイフを右手で遊び、エギテレィスは最初から隠す事無くキメラの血を腕に纏っている。

  話し合いではなく、この二人は殺しあうためにここにいるとしか思えない。




 「さて、で聞きたい話は何だったか少年」

 「―――俺の瞳について、もう忘れたのか」

 「ああそうだった、そうだった―――
  私の知る限り、その神眼を持ち人間でいられたのはただ一人――― 秋雨伍龍だけだ」

 「何でお前が親父の名前を知っている!?」

 「親父、だと―――!? はは―――そういう事か、お前が秋雨錬だったのか―――!」



  喜色を隠さず、エギテレィスは気が違ったかのような笑い声をあげた。

 その濃厚な狂気に、錬は――― 衝動を抑える事ができない。

  錬は指輪をつけたままなのに、自分の視界が緑で犯された。


  ―――あはははははははは、もうこのオモチャも限界みたいだな。

―――伍龍め、朱理め、昼夜の死に底無いめ……… ざまぁ見ろ!

―――あとはアイツだけだ、それで俺はこの世界に生まれる事ができる。

―――アァハッハッハッハッハッハッハッハハハハ!

―――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


  ナイフを構えなおし、錬は冷たくエギテレィスをにらんだ。

  エギテレィスは錬の変化に気づき、笑うのを止める。

 だが、その狂気が消える事は無かった。




 「あの伍龍と朱理の息子か――― それなら人間でない事もうなづける。
  なぁ――― 秋雨錬、いや……… 正真正銘のバケモノ君?」

 「―――殺ャ」



  錬は言葉を返さない、かわりに飢えた肉食獣のように襲い掛かっていった。

 それは殺意と、爪のように見えるナイフのせいで本当に獣のように見える。

  エギテレィスの血が踊った。

 錬の攻撃を、壁のように変形して防ぐ。

  錬の攻撃はその壁を紙のように破壊するのだが、すぐにその血は液化して元に戻る。

 その復元速度を、錬の破壊が追い抜くことが出来ない。




 「『第五方程式』、確かに一撃を防ぐ事は出来ないが――― 壁の再生速度が破壊速度を上回れば問題は無い。
  破壊の瞳――― その神眼のもっとも有効な封じ方だよバケモノ君」

 「―――――」




  攻撃が無駄と分かると、錬は後ろに下がって間合いを取った。

 それを追うかのように血が伸び、形が剣へと変わる。

 そしてその血の剣は錬へと斬りかかって行く。

  無数の血の剣による斬撃、それをナイフでは防げないと判断したのか錬はさらに後退する。

 血という液体を使っている以上、その範囲は有限。

 離れれば離れるほど、攻撃に使える血の量は減る。

  だが―――



 「どうした、逃げているだけでは勝てないぞ」




  見せ付けるように、ゆっくりとエギテレィスは歩む。

 錬が離れる分、自分が近づけばいい――― それだけだ。




 「どうした、血を破壊すればいいだけだろう――― できればな」




  錬の破壊では、血を破壊する事はできない。

 血という液体、水を刃物で斬る事はできないのだから。

 斬る事が出来ない以上、破壊する事は不可能。

  だが錬は無意味に後退していたワケではない。

 下がった先には、大きな柱があった。




 「ムッ―――!」




  エギテレィスがそれに気づき行動に起こすよりも早く、錬はナイフを振るって柱を破壊した。

 自らを支える物を失い、天井の一部が崩れてくる。

 それらは地面に落ちると砕け散り、濃厚な砂埃を上げた。




 (この煙にまぎれて奇襲、まぁそれしかないだろう)




  血は所詮、エギテレィスの意思に従って動いているにすぎない。

 《サーペント》のような自律行動では無いので、エギテレィスが反応しなければ攻撃は素通しだ。

  ゆえに、今の錬にエギテレィスが倒せるとしたら――― それは奇襲による一撃必殺しかありえない。




 (だが、甘いぞ少年、甘すぎて――― 呆れる事もできない)




  棒立ちのエギテレィスの背後から、錬が突撃してきた。

 だが錬は何も無いところで斬られ、地面に倒れる。

 いや、何もないわけではなかった――― 血が極細のワイヤーのように張り巡らされていた。

  エギテレィスは棒立ちだったわけではなく、わざと隙を作って錬を罠に追い込んでいたのだ。

 錬が冷静な状態なら、この程度の罠なら回避できただろうが――― 今の彼の思考は獣のモノ。

 戦いの駆け引きなどできるはずが無い。




 「その瞳に操られていなければ――― もしかしたら一撃くらいは喰らっていたかもしれないな。
  よかったよかった、君がバケモノで本当に助かったよ、感謝する」

  「―――――!」




  声にならない咆哮をあげながら、錬は立ち上がった。

 それは怒りでもなく、憎悪でも無く――― 殺意の咆哮。

 この世界でもっとも純粋な、相手を滅ぼすという宣言。

  だがその咆哮に、エギテレィスは笑みを浮かべた。

 狂気がより深くなり、その汚毒をよる深める。

 それは今の錬にとって、耐え難い殺意を生むモノだ。

  錬は何の策も無く、ただ衝動のままに突撃した。

  それはエギテレィスに対して、あまりに無謀。




 「さようなら、朱を理解せし姫の息子よ」




  瞬間、背後より跳んできた血のニードルが錬の右胸を貫通した。

 体をくの字にまげて、錬は地面に倒れる。

  ゆっくりと、血が地面に広がった。




 「一応、トドメはさしておこう。 少年、怨むならその血を怨むがいい」




  狂気は消えうせ、今のエギテレィスは哀れみを浮かべていた。

 それは間違いなく錬への哀れみ。

 正確には錬の中に流れる血を哀れんでいた。

  血が巨大な処刑剣に変化する。

 その長大な血色の剣を両手で構えて、エギテレィスは錬へと振り下ろした。

  いや――― 振り下ろそうとした。

  そのとき、その巨大な処刑剣は一瞬にして消し飛んだのである。

 それはエギテレィスもよくしっている攻撃だった。




 「遅いお出ましだな、パーティーは終わったのだが? ―――アスラル」

 「それじゃ二次会といきましょう、ヴァンパイア」




  ビルの入り口の闇から、人影が剥離した。

 眼帯を纏った、腰まで届く銀の反射も持つ黒髪の女性。

  聖十字軍所属異能者、『眼光のアスラル』に他ならない。




 「私の知り合いを、よくも殺してくれた――― 消してやるヴァンパイア。
  その存在を、質量を、この世界から完全に消し去ってやるッ!」

 「“あの程度で死ぬはずが無い”のだが、知らないなら知らないでいいだろう。
  愉快だな、愉快だ。 本当に、とても愉快だな。 無知は幸福だな、アスラル」

 「―――拘束を一時的に開放、左の月を開放する」



  アスラルの呪文じみた言葉とともに、眼帯の左側のみが解かれる。

 その左目はまるで宇宙の深遠を思わせる輝きの無い黒一色であり、長く見ていれば狂気に染まりそうだ。

 月の魔眼、破壊と打破を意味するアスラルの左の瞳。

  そのアスラルが行う死の宣告を前にして、エギテレィスは笑みを浮かべた。

 それは勝利の笑みでもなく、余裕の笑みでもなく、嘲りの笑み。

  瞬間、アスラルの怒りは沸騰した。




 「綾美! 姫椿! 錬を頼むわ。 私はあいつを――― 滅す!」




  アスラルの咆哮とともにエギテレィスの前を血の壁が覆った。

 その半瞬後にその壁は魔眼によって爆砕する。

  もちろん、それはアスラルが行った攻撃だ。

 連続していくつもの壁がアスラルとエギテレィスの間に生まれる。

 それを見て獣じみた笑みとともにアスラルは叫んだ。




 「これで私の視線から逃れたつもりか!」

 「では思う存分撃ちたまえ」



  爆発の乱舞が始まった。





  ネェムレスは強力な力の行使を感じ、駆けていた足を止めた。

 その力はかなり前に仕事で聖十字軍と共に戦った時に見た事がある。

  『眼光のアスラル』の左目、月だ。




 「始まってしまったか、不味いな―――」




  あの漆黒の少女の言った事が本当なら、アスラルでは勝てない。

 あまりに相性が悪すぎる―――




 「急ぐか」




  ネェムレスはさきほどよりも速く駆け出した。

 間に合わないかもしれないと、恐怖しながらも。










次回 縁の指輪 
三の指輪 四刻目 闇と月と絶望と













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