―――その時、その少年と少女は生まれた。

 互いに互いを分け合い、つがいでなければ空を翔べない鳥となる。

 しかし、少年と少女は幸せだった。

 たとえ世界がこの上ない絶望で満たされていても、二人ならそれを超えられると。

 少女は永遠に約束された、その深き幸せの牢獄に泣く。

 少年は永劫に契約された、その淡き喜びの無限に嘆く。

 だがそれは、決して悲しみでは無い。

  それはたとえ、何者であっても消す事も、変える事もできない――――




  その女性は、その二人の赤子を抱いた。

 一人は男の子、もう一人は女の子。

 だが、その二人が誰か、赤子を抱いた瞬間、理解した。

 思わず、涙が溢れ出す。

 ―――二人はこうしなければ、幸せになれなかったのか?

 ここにあるのは、とても赤子を祝福する物ではなかった。

 折れた弓と、焦げた何本もの矢。

 血塗れ、磨り減り、朽ち果てた、地面に突き立つ壊れた聖剣。

 その二つのみが、彼と彼女の生きた証だった。

 否、まだ二人いる。

 大きな、泣き声が響いた。

 それは、とても純粋な生誕の歓喜。

 何度も生き物の誕生を見、その慟哭を知る女性ですら幸せな気持ちにする、この上なく純粋な歓喜。

 この二人の赤子、この二人がいる。

 赤子は互いの腕を握り、笑う。

 女性は今にも崩れ落ちそうな体で、赤子を抱いて歩き出した。

 この二人がいるかぎり、まだ倒れるわけが無い。

 苦痛に顔をゆがめながら、獣道をすすみながら、女性は祈る。

 せめて、せめて―――




   ――――この二人に幸福を

   ――――二人の先に、希望の路を









-------------------------------------------------------------

                縁の指輪 
    二の指輪 四刻目 綾美とアスラル


-------------------------------------------------------------











  初めて飲んだコーヒーは、とても苦かった。

 綾美はアスラルと向かいの席に座って、自分が入れたコーヒーを口に含む。

 向かいのアスラルは、その綾美が苦いと感じたコーヒーを美味そうに飲み干した。




 「貴女の保護……… というよりも守護を命令したのは、聖十字軍の副指令なの」




  副指令の出した命令は、綾美という吸血鬼を守る事であった。

 ただし、その内容はとてつもなく正確である。

 まるで未来が見えているかのように、彼女がいつどこに現れるか、誰が彼女を狙っているのかまで言い述べる。

 この町に来て、レイという彼女を狙う吸血鬼が滅ぼされ、クロードが現れ、アノウが現れ、秋雨錬という少年がクロードを滅ぼす。

 そして、今日、この日に紗美と真紀に命を狙われる事さえも、まるで見ていたかのように言った。

 だから今、アスラルは無事に綾美と会えたのだ。




 「どうして、私を守るのです?」

 「………それは貴女が私たちと同じだから」

 「どういう事?」

 「貴女も異能者……… らしいのです、副指令が言うところだと」




  正直のところ、アスラルにもその辺は謎であった。

 なにせ異能というのは本人も自覚できない事があるほど、目覚める前と後で大きな変化が無いことが多い。

 視力を失ったアスラルや、翼を持った『黒翼のルシフ』なら兎も角、『戦獣フェンリ』に外見的は変化は皆無。

 しかも会った事の無い綾美という少女が、異能者と分かる事がアスラルには謎であった。




 「その副指令って、何者なんですか?」

 「奇妙、怪奇、謎、正体不明の怪しい事この上ない好青年」

 「………でも、信頼しているのでしょう?」

 「当然。 怪しいけどいい人だから」




  アスラルは自分の眼帯を指差して言い始める。




 「昔は包帯でぐるぐる巻きにしてたんだけど、彼が眼帯をくれてね。
  まあ、毎度毎度包帯をつけるよりもはるかに楽なんだけど………
  センスがいいとは、到底言わないわ」

 「……………」

 「しかもこれ手作りよ、手作り。
  あげく、趣味は裁縫に料理、下手な女より女らしい。
  そのくせ格闘も異能戦闘でも誰にも負けないでたらめ男。
  何人もの女性隊員から告白を受けながらも「もう心に決めた女性がいるから」でお断り。
  教会や魔王達にもかなり深いつながりを持っているわ」




  アスラルは思い出しながら言ってみて、副指令は何一つも自分の事など明かしていないと気づいた。

 いつどこで生まれて、どのような人生を送ってきたのか、皆目検討もつかない。

 その謎に反して、本人があまりにもいい人なので忘れがちだが、彼は何者なのだろう。

 それを知っているのは、彼の娘の『戦獣フェンリ』だけだろうが、彼女が語る事は無い。




 「とりあえず貴女が自分の身を守れるようになるまで護衛するそうです」

 「つまり、異能能力を使いこなせるようになるまで、ですか?」

 「はい、でも安心してください。 こう見えても私は聖十字の一人。
  頑張って指導させていただきます!」




  すこし楽しそうに言うアスラルを見て、綾美は心の中でため息を突いた。

 そして錬に、どのようにこの事態の説明をすればいいか、それを考え始める。

 すぐにそのまま話せばいいと決めてから、疑問に思っていた事を喋った。




 「でも、本当に異能が必要。
  一応、私は吸血鬼だし、その能力だけじゃ駄目なの?」

 「何を言っているのですか、それだけでは勝てない相手がいる事ぐらい、とっくにご存知でしょう」

 「あの、クロードのような………」

 「もしくは、それ以上のです」




  アスラルはクロードが、教会の階位の中では大して強くない事を知っていた。

 クロードなら教会日本支部の中風=ロゼット=フィリアムやアスラルぐらいの力を持っていれば、たやすく倒せる。

 だが、その程度ではない存在が、この世界にはいるのだ。

 死織はもちろん、公爵級吸血鬼に帝級吸血鬼、竜達。

 すくなくともクロードでは勝てない相手がこれ以上存在する。

 そして綾美は副指令が言うにはこの先にとてつもない試練が待ち受けているらしい。

 だから、それを超えられるだけの力を持たせる必要があった。




 「本当は、私はこの命令を拒絶する許可を得ています。
  けど、それは使いません」

 「どうして、ですか?」

 「副指令が気にかけているのも理由だけど、それ以上に貴女が心配なのよ。
  もし生きる理由が無くなったら、すぐそこで生きる事を諦めそうで、とても心配」




  ―――そうなのかもしれない。

 綾美は彼女の言葉に、無意識の内にうなづいていた。

 彼女のいうとおり、もし何かする事が無くなれば簡単に生きる事を諦めるだろう。

 そもそも、生きているという実感が綾美には希薄だった。

 もしかしたら吸血鬼になるというのは、生命の実感を失う事に他ならないのかもしれない。

 だからいくらでも他人に残酷になり、自らの欲を満たす事を優先するのだろう。

 だが綾美にはその残虐性も、欲望もほぼ皆無だった。

 それは確かに、衝動に任せて凶暴になる事はある。

 しかし、自分からそのような行為をする事は無い。

 だから、他の吸血鬼より生への執着が薄いのだ。




 「生きたいと思ってはいます。 ただ、生きて何をしたのかが分からない」

 「それは自分で見つけるしかないわ。
  私には音楽鑑賞とか、まあいろいろな『生きたい理由』が存在するけど、それは自分だけの物だから。
  他人にもその『理由』を押し付ける事はできない―――
  否、押し付ける事そのものが不可能」

 「……… そうですか」

 「――― でも、貴女にはもうあるはず。 だってもう、その『理由』を守っているのですもの」

 「…………?」

 「また、明日来ます。 それまでに、『理由』を理解してください」




  アスラルは席から立ち上がり、眼帯を隠すための帽子を被った。

 そして部屋から出て行こうとする。

 思わず、綾美はその背中に尋ねた。




 「待ってください! 『理由』を守っているってどういう事ですか!?」

 「ヒントは三つ。
  貴女の今までの人生。 今の状況。 そして貴女の心よ」




  それだけ言い、アスラルは去っていった。

 その歩みは目が見えないとは思えないほど軽快である。

 アスラルの姿が見えなくなると綾美は椅子に座り込む。




 「私の――― 心?」




  答えが見つからない問題を出され、綾美は呆然とつぶやいた。



























 「死を祓う、だと?」




  アレフは刀冶の言った事に驚愕していた。

 もし、言っている事が正しいのであれば、それは。




 「それは、死織のやった事を同じでは無いか!?」

 「いいや、それよりはるかに精度は低い」




  それを聞いて、錬は思わず死織へと恐怖を覚える。

 こんな魂が腐り、心が破壊されそうな恐ろしい行為を軽々と行っていたのか?

 錬は思わず『それ』を思い出し、心が恐怖に震えた。




 「結論から言おう、戦六も教会も、聖十字の誰でも、死織には勝てない。
  勝てるのはこの世界で唯一人、死織と全く同等の力を持つ錬以外にありえないのだ」

 「だから死織は錬のそばに現れるというわけか?
  ………情報提供者の言ったとおりだな」

 「情報、提供者?」

 「ああ、大体1週間前ぐらいだったんだが、ある紅の魔術士を俺は探していた。
  それで突然、名無しの手紙が送られてきたんだ。
  中身はその魔術士が日本にいるという事と、死織という少女がその魔術士と関係があるという情報。
  一応、知り合いに確認を取って、死織という奴のことを調べてもらって、秋雨家が死織と関係があると知った。
  それでここに来たんだ、まあ、知り合いが知り合いだったんで戦六に警戒させてしまったがな」

 「その名無しの情報者に心当たりはありませんか?」

 「残念だが、手紙には徹底的に隠蔽がされていて何一つも分からなかった。
  とりあえず知り合いに確認はとったが、誰も分からないそうだ」

 「魔王が情けないな」

 「紅はこういった事に弱い、覚えていて損は無いぞ」




  アレフと彰人の会話を聞いて、錬はあの男を思い出していた。

 そう、5月20日、死織の追撃を行っていた錬を妨害したゼロという男の事を。

 間違いなく、あの男は死織に協力していた。




 「もしかしてその魔術士というのは、左の頬から右目にまで伸びた傷がありますか?」

 「何ッ、ナッシュに会ったのか!?」

 「いえ、あの男はゼロと名乗っていましたが………」

 「ゼロ………? はは、そうか、今はそう名乗っているか」




  アレフは思わず、笑い始めた。

 その屈託の無い楽しそうな笑い声に、戦六のメンバーは驚いた。

 どう考えても、その男に似合わない楽しそうな笑い声。

 アレフはある程度笑ってから急に真面目な顔になった。




 「だとしたらしばらく日本にいる事になりそうだな。
  全く、一応アーシアに挨拶でもしておくか」

 「ちゃんと滞在届けは出してね」

 「それは分かっている、そもそも俺が届けを出さないからややっこしくなったわけだ。 すまんな」

 「いいですよ、出してもらえさえすれば問題はありませんし。
  けど、エリスさんはなんで日本に来たんですか。
  届けとか、出してませんよね?」




  その夕菜の探りの言葉に、エリスは目を細める。

 いっそのこと、刀冶から聞いた計画の事を話してやろうかと思ったが、それは早いと考えた。

 だから、計画を除いた事の発端を言う。




 「私の息子からの手紙で、大体、アレフと同じような内容よ。
  死織には日本支部が大変な目にあってるし、一応非番だから調べるのもいいかしらと思ったの」

 「息子さんは何を?」

 「そうね……… 騎士をやってるわ」




  そのアレフとエリスの言葉を聞いて、顔色を変えている者達がいた。

 そう、戦六のメンバー達である。

 雪雄はゆっくりと、語った。




 「実は戦闘六課も、名無しの手紙で死織と秋雨家の関係を知らされたんです。
  一体誰からかは分かりませんでしたが、司令は誰からか知っているようでした」

 「雪雄、言っていいのか?」

 「可笑しいだろう」

 「――――え?」

 「こんな計ったかのようなタイミングで、教会、戦六、魔王、そして死織に唯一対抗できる秋雨錬が同じ場所へそろった。
  どう考えても、誰かが何か細工や干渉をしているとしか思えない」

 「考えすぎじゃないか、司令だって手紙の差出人を信頼していたし………」

 「しかし、それでもこの事態は変だ。
  まだエリスや、アレフ、戦六だけならわかる、しかし錬や死織までここにいるのが可笑しい。
  錬、お前は何故此処にきた?」




  雪雄は錬に話しかける。

 錬は綾美の事は隠して、大体の事を話すことにする。




 「かなり前、一度死織と戦ったんだ。
  その時は突然、何も分からなくなってただ死織を倒せないといけないと思った。
  奇妙なまでの攻撃的な衝動と、前から持っている能力。
  俺のこの能力が、死織と何か関係があると思って、能力の事を知っていた祖父に話を聞きに来たんだ」

 「つまり誰かに呼ばれて此処にきたわけではない、というコトだな」

 「そうだけど、それが何か?」




  その言葉に、雪雄は顔色を変える。

 いや、顔色を変えたのは戦六の全員だった。




 「手紙にはこうも書いてあった。
  刀冶の孫、秋雨錬が刀冶の家へ帰って来ている、と」




  その言葉は、その場の全員を驚かせた。

 つまりここにいるエリスと刀冶を除いたみんなは、何者かによってここに集められたのだ。




 「それに何の意味がある?」

 「簡単さ、もう結果は出ている。 ある種の警告だろう。
  聖十字は死織に関して不干渉だが、教会などは別。
  死織は錬以外には倒せないと、それぞれの組織へ教えるためにこの茶番は組み立てられたんだ。
  秋雨錬が、死織と戦った時から、な」

 「まさか、死織本人が?」

 「それは無い、と思うがな」




  雪雄は死織が警告する理由を考えてみるが、それが一つしか思いつかなかった。

 つまり、錬との戦いの邪魔をさせないために、だ。

 しかし本当にそれが理由となるのだろうか、あの殺人鬼にそのような人間じみた感情があるのか。



 「刀冶、死織はそんな行動をとる存在なのか?」

 「ありえんな、殺せる対象が増えれば増えるほど、奴は喜ぶだろう」

 「だとしたら、死織の出した確立は無いな」

 「しかし、そんな事を考えている暇は無いのではないかな?
  もはや戦六では再度の死織との戦闘は不可能、ここはまだ戦えるアレフ、ワシ、錬、エリスを残して撤退するべきじゃ」

 「………確かに、な。 しかたない、俺、雪雄の独断で撤退を開始する。
  みんな ――――異論は、無いな?」




  雪雄は他の戦闘六課のメンバーを見て確認をとった。

 だれも異議を出さない、みんな死織と戦って生きる事ができる自信がなかったのだ。

 今回は運良く、秋姫は助かったが今度もそううまくいくとは限らない。

 むしろ、今度こそ誰か死ぬだろう。

 それは戦闘六課の誰も望んでいなかった。




 「と、いうコトです。 戦闘六課はこれより撤退を開始します。
  すみませんが、後の事は頼みます」

 「ああ、すまないが刀冶、エリス。
  彼らをある程度送っていってくれないか? すこし、錬と話したいことがある」




  アレフはそう言い、立ち上がった。

 その言葉には、何か深い決意を思わせるものがあり、誰も反論できない。




 「ああ、では行ってくる」




  刀冶が言い、刀冶と戦闘六課のメンバーが部屋から出て行った。

 だがエリスだけが部屋の出る時に立ち止まり、不安そうにアレフを見つめる。

 もしかしたら、この後にアレフが行おうとしている事を知っているのかもしれない

 エリスはすこしアレフを見つめてから、立ち去る。

 そしてその後姿が見えなくなってから、アレフは自分の鞄から小さな箱を取り出した。

 その箱には札で封印がなされており、その封印をアレフが強引に引き千切って中身を取り出す。

 中身は小さな注射器と、血色の液体が入った容器である。

 それは間違いなく何らかの薬品であった。

 そしてアレフは重々しい口調で語り始める。




 「いいか、錬。 お前はある程度の魔術適正がある。
  お前が無意識に行っている肉体強化、あれば間違いなく紅の領域だ」

 「―――つまり、俺は」

 「そう、紅の魔術士になれるだろうな。
  だがそれをコントロールする回路が壊れている。
  自分の意識で閉鎖、開放を行えない回路ははっきり言って役立たずだ。
  ―――――だから、この薬物でむりやり回路を再構築する」

 「危険じゃないのか?」

 「危険だ、これは洗脳などに使われる暗示用の薬物だしな、下手したら脳細胞が焼き切れる。
  だが、今の回路をこの薬物で改変する。
  何らかの言葉をトリガーにして回路を開閉するように刻み込む、まあ一種の催眠術、暗示と考えればいい」




  そう言いながら、アレフは箱の中から小さな注射器を取り出した。

 その薬には『春樹製作』とかかれたラベルが貼られており、個人の製作物という事が分かる。




 「その薬、大丈夫なんですか?」

 「安心しろ、深緑の魔王の取っておきだ。 後遺症は無いから安心しろ」

 「副作用は?」

 「そうだな、死ぬほど痛い。 止めておくか?」

 「いいえ、お願いします。 死織は魔術を使っていましたね?」

 「いや、アレは異能だな。 閉鎖空間に力を満たし物質化、さらに投げた小太刀の力をそのまま転写する。
  とんでもないレベルの異能能力だ、お前が払う事が出来ても到底、かなわない」

 「そうか……… なら、お願いします」

 「いいのか?」

 「はい」

 「………頑張って、耐えろよ」




  アレフは一度深呼吸してから、何一つ無駄の無い動作で、錬の右腕に注射した。

 そして次の瞬間、錬の世界は焼けた。

 背中が炎になったかのように熱く熱く燃え、手や足がその熱を浴び灼熱と化す。

 それは錬の魔力練成回路の熱だった。

 魔力を制御する回路は個人によりその性質が異なる。

 だが、アレフ自身の回路と錬の回路は同じ紅という、内側に向かう性質ゆえによく似ていた。

 己を魔力で変質、改変するためにありとあらゆる細胞とつながった回路。

 それは少量のマナと魔力で多量の力を生み出し、細胞そのものに力を流し込む。

 そうして、紅は己を改変、変質させるのだ。

 錬の回路は、生まれてから初めて正式な方法での力が流し込まれ、処理できなかった力が回路を圧迫しているのである。

 その熱はどんどんと回路を太く、そして精密に鍛え上げていく。




 「―――――――――!!?!?」

 「………定着するまで時間がかかる。 すこし、昔話をしようか?」




  アレフは遠い過去を見つめる。

 それはまだ小さな子供の頃、他の春樹に誘われきのこ狩りに山へ行っていた時。

 ………その山の中で、もっとも大きな木の下にその少年は寝ていた。




 「そいつは俺達が近づくと、目を覚ましてこう名乗ったんだ。
  白の魔王、ネーム・ロア・フレイツとな………
  まあ、それからいろいろあってかなり世話になったよ。
  ほとんど彼の前では、俺達は世話がかかる弟や妹達だったんだろうな。
  諦めなければ明日はあるなんて恥ずかしい事を平気でいう奴だった。
  けど、その言葉が、諦めなければ明日がある、その言葉で何度も助かった。
  ………そんな彼が死んだ、はっきり言って嘘だと思ったよ。
  アイツには凄腕の白の魔術士、ヴィエルジュが一緒にいたし、魔王が束になっても敵わなかった。
  そんなすごい奴が、死なないはずの魔王が、俺達の兄が。
  ……………死んだんだ」




  悲しそうに、アレフは言う。

 彼はそのネイが死んだ事を心の底から、否、魂から悲しんでいると痛みに苦しむ錬にも分かった。




 「アーシアはこの世界と別の世界の狭間に存在する『天との境』で彼の生死を確認すると言っていた。
  彼女もだが、俺たちも実際に信じていないんだろう。
  彼の死など、嘘であってほしかった。
  遺体は無かったが、………霧龍が死んだと、目の前で、消え去ったと、いったん、だ………」




  アレフは涙を流していた。

 ネイの死はそれだけ魔王達の心に深い傷を残したのだ。

 だが錬は大きな疑問が有った、何故アレフはこんな事を話すんだろう、と。

 ………そして、その答えは、彼の口から語られた。




 「俺は綾美と言う吸血鬼の保護の時、教会の手助けをしていた。
  だから、お前の家にその吸血鬼がいる事を知っている。
  そしてお前が、その子を守りたいと思っている事も………
  だから、力を渡すんだ。 俺のようには、絶対になるなよ」




  そのアレフの言葉を最後に、熱に苛まれた錬の意識は闇に沈んだ。



























  綾美は椅子に座ったまま、アスラルが言った事を考えていた。

 貴女の今までの人生、綾美の今までの人生、それは逃避と後悔の日々。

 ただ逃げ続け、助けてくれた人物を見捨てる事しかできず、ただひたすら後悔に蝕まれる。

 それはきっと、それすらも「アイツ」は楽しんでいたのだろう。

 綾美の心を傷つけ、苦しむ様すら「アイツ」にとっては楽しみだったはずである。

 正直、綾美は「アイツ」に復讐したかったと思っていた、そして藍子を助けたかった。

 しかし、結果はどちらも果たせなかった。

 「アイツ」は錬にミスリルのナイフで切り刻まれ、藍子は狂人の刃に倒れている。

 今の状況、それは――――




 「私はなんで、錬の留守番をしてるんだろう………?」




  逃げている時は、逃げている事で精一杯だった。

 だが落ち着いて考えてみれば、逃げ切って自分は何をする気だったんだろうと疑問に思う。

 そしていつの間にか、あの怪物を倒してくれた錬の家で留守番をしている。

 最後に、貴女の心。

 これこそがもっとも分からない事だった、だがそれのヒントは分かる。

 前の二つこそが、この最後にして、自分の生きるための『生きたい理由』のヒントそのものなのだから。

 それは貴女の今までの人生と今の状況との、絶対的な違い。

 そして、それは、あまりにも簡単な答えだった。

 思わず綾美はその答えの簡単さに絶句してしまう。




 「はぁ……… 私はなんで馬鹿なんだろう、こんなに簡単な事だったのに………」




  明日、アスラルが来たらこの事を話そうと綾美は思った。

 あまりにも簡単な答えだったが、それに綾美は心の底から同意できる。

 むしろ、それに気づかなかった自分がとんでもない間抜けに思えた。

 月を見上げて、綾美は欠伸をする。

 ――――今日はゆっくり眠れそうだぁ、と綾美は思った。



























  朝、輝く太陽の下。 綾美は中庭で岩に腰掛けながらアスラルを待っていた。

 すこし待った所で、そこに帽子を深々と被ったアスラルが現れる。

 彼女はゆっくりと歩き、綾美の前で止まった。

 綾美は立ち上がりながら、長い髪で瞳を隠したアスラルを向き合う。

 そして、口を開いた。




 「答えは『私は今度こそ、助けてくれた人を殺させない』です」

 「はい、正解。 簡単だったでしょう?」




  綾美はその簡単すぎる答えに思わず笑ってしまう。

 アスラルはいつの間にか泣いていた綾美の涙を拭った。




 「今まで、辛かったでしょう?」

 「―――はい。 でも心から泣いたのは、今日が初めて―――」

 「いいわ、思う存分泣きなさい」




  綾美は泣いた、そして今まで助けてくれた人たちにお礼と、さよならを言う。

 アスラルはずっと彼女と一緒にいてあげた、綾美の姿を見て思わず昔の自分を思い出す。

 だからこそ、アスラルはずっと綾美が泣き止むまでそばに居てあげた。

 綾美は今、やっと。 あの吸血鬼から真に開放されたのだ。

 だから綾美は、思う存分泣いた。















次回 縁の指輪 
二の指輪 五刻目 秋雨刀冶という人物について










作者さんへの感想、指摘等ありましたらtomo456@proof.ocn.ne.jpまでどうぞ