最初は、とても小さい物だった。

 小さい小さい黒色の染み、それが最初に理解した物。

 赤ん坊でも呼吸の仕方は知っている、だがこの染みの意味は生まれる前から知っていた。

 これは『死』と『生』の世界の境界面なのだ。

 そしてこの境界面を変える事こそが、自分の意味であり存在価値である事も理解していた。

 だが、同時にその意義に染まれば自分が自分で無くなる事も知っている。

 思わず、心の中で叫ぶ。




 (助けて―――)




  助けを求めれるのは、彼しか居なかった。

 しかし彼も自分と同じ物を、いやそれより酷い物を心の中で抱えている。

 「よく狂わないでいられるな」と、おじいさまも言っていた。

  おじいさまはわたしたちに一つの事を教えてくれている。

 いつか、わたしたちが死ぬかもしれない時、それを覆す手段を。









  おじいさまはそれを「祓う」といっていた。

 だから私は「払う」ことを学んだ。

 だから彼は「祓う」ことを学んだ。

 だから「はらう」ことを理解した。










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                縁の指輪 
    二の指輪 三刻目 死を祓う――――


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  眠っていた錬は夢の中、ある事を思い出していた。

 それは「祓う」というコトの記憶であり、「はらう」という記憶でもある。

 それは自分の根源の一部であり、同時に反対に位置する能力。

 壊す事と消す事に長けた自分が唯一持つ、癒しの力。

 それは死を祓い、滅を払う。

 ただ、それだけの事。



























 「血が止まらない……… ダメ、応急処置で延命は出来ても助ける事はできない―――」




  秋姫を襲った死織の小太刀の一撃、その傷口は小さい。

 しかし傷口からあふれ出す血はかなりの量で、秋姫の生命力がどんどん失われていくのは確かだった。

 必死にエリスはティンカーベルの内臓術式『治癒』をかけるが、一向によくならない。

 治癒により傷口は確かに治癒してはいる、だがそれと同じだけ何かに蝕まれているのだ。

 それこそが死織のいう蝕む死なのだろう、アレフではどうにもならない分野である。

 エリスしかこの場で治癒の力を持つ者は居ず、助けを呼ぶためにこの場を離れる事も死織がいる限り不可能だろう。

 その時、心が凍りそうな咆哮が響いた。




 「―――――――――――!」




  この世の生き物が出すとは思えない、魔物の咆哮。

 それは死織と戦う、アレフの出した雄叫びだった。

 紅の最終到着点『異形の王』にて、魔物と見間違えそうな姿に変化したアレフ。

 その蛇の尾が死織に叩き込まれた。




 「――――――っァ!」




  吐血しながらも、死織はその尾を黒い小太刀で斬り飛ばした。

 だがすぐにその尾をアレフは拾い、その質量を使って尾を作り直す。

 死織の傷も人間とは到底思えない速度で再生しているが、それでもアレフの再生力は桁が違った。

 死織が何本もの小太刀を作り、アレフに向かって投擲するがその全てが鷹と蝙蝠の翼で叩き落される。

 そして一瞬の隙を突いてアレフが死織に近づき、獅子の鬣を靡かせながら二本のドラゴンの腕で殴りかかって行く。

 舌打ちをしながら、死織は二本の腕と尾による乱打を捌いていく。

 死織は難なくそれの乱打を防いでいる様に見えたが、その顔は苦痛に歪んでいる。

 それに彼女の持つ黒い小太刀はアレフの一撃ごとにひび割れていき、そして最後の尾の打撃で粉砕されてしまう。




 「終わりだな、死織」




  勝ち誇った口調でアレフが勝利を宣言する。

 そのドラゴンの物に変化した右腕が、死織を破壊せんと振り落とされた。




 「まだ勝利宣言には早い―――」




  死織に打撃が当たる直前、アレフの腕が唐突に吹き飛んだ。

 いつのまにか死織の右手には破壊されたはずの黒い小太刀が握られており、その小太刀を使い来る死を払ったのである。

 さらに半瞬の間に、死織の左手には四本の小太刀が握られていた。




 「むしろこっちが勝利宣言するべきじゃ無い?」

 「――――やはりか」

 (やはり、ちゃんとした解除詠唱をしないと『異形の王』は不完全か)




  アレフは心の中で、ちゃんとした詠唱をしなかった事を悔やんだ。

 そして、黒い小太刀が至近距離でアレフへと投擲される。

 一本は弾かれ、二本は掠り、一本がアレフの左足に深く突き刺さった。

 大量の紅い血液が飛び散るその中で、死織は小太刀を構え直す。

 無表情にアレフへと死織は問いかける。




 「何回くらい斬り殺せばアナタは消滅する?」

 「さぁ、それは俺を生み出したこの世界そのものに聞いてくれ。
  残念ながら、俺は知らん」

 「それは残念」




  死織は次々と小太刀を取り出し、それを投擲して行く。

 アレフは最初の内はその投擲を回避するが、足の傷のせいで少しずつ手傷を負っていった。

 右腕に、右の蝙蝠の羽に、左の鷹の翼に、何本もの小太刀が突き刺さっていく。

 その小太刀の雨の中、アレフは突然、一切の動きを止めた。




 「もう、諦めた?」




  死織の言葉を合図にしたかのように、異形の姿のアレフが石化していく。

 そしてその背中の部分が砕けて、そこから普段のアレフがヴァンデッタを構えて飛び出した。

 空中にいる間に死織に向かって、ヴァンデッタを弾切れになるまで撃つ。

 しかし、その弾丸達は一つ残さず来る死を払うで切り払われた。




 「まさか使い捨てのボディとは思っていなかったわ」

 「不完全な『異形の王』をすこしでも使えるようにするための取って置きだ。
  なに、おまえには効かない事ぐらい分かっていた」

 「ならどうしてやったの?」

 「時間稼ぎ」

 「―――――――!?」




  その時、死織は飛び跳ねた。

 数秒前に死織がいた場所は空間を、五枚の刀身が切り刻む。

 刀身は地面に突き刺さり、本物の一つを残して四つの刀身は消滅する。

 そして剣を振るった男は、その鷹を思わせる瞳で死織をにらみつけた。




 「秋雨刀冶―――!?」

 「久しぶりだな、死織」




  右手に長大な蒼色に淡く輝く剣を持ち、左手に自動式拳銃を持つ刀冶。

 その姿はすでに錬の知る祖父では無く、退魔師としての秋雨刀冶がそこにいた。




 「丙子椒林剣に自動式拳銃『ディシプリン』、相変わらず骨董品を使ってるわね」

 「貴様の禍々しい小太刀よりははるかにマシだ」




  刀冶が禍々しいと言う小太刀を、死織は玩具のようにクルクルと指で回転させる。

 その小太刀を右手に持ち死織は笑みを浮かべた。

 それを合図にして、刀冶の自動式拳銃『ディシプリン』が二回発砲される。

 厳しいを意味する拳銃の弾丸は、極普通の口径を持つ弾丸だった。

 けっして『ヴァンデッタ』などの非常識極まりない大口径の弾丸では無い。

 だがその弾丸は銀の紋章を掘り込まれ、ある種の撹乱能力を持っている。

 それは死織にも有効な力だった。




 「―――――――ッツ!?」




  迫る二発の撹乱の力を持つ弾丸。

 それを払う事が出来ず、死織は仕方なく避ける。

 彼女に、刀冶が剣を構え襲い掛かっていく。

 青く輝く4本の刀身が生まれ、その全てが死織を斬りかからんと死織へと迫る。

 死織は左手にも小太刀を持って、二刀流で迎え撃つ。

 四の斬撃をニの斬撃が防いだ。

 刀冶の左腕が予備動作の存在しない奇妙な動きで、自動式拳銃を死織の顔面へと向ける。

 それと同じくして死織は虚空から新しい小太刀を取り出し、その柄を口に銜えた。

 自動式拳銃から放たれた弾丸は、死織の口に銜えた小太刀で斬り払われる。

 それを見て、刀冶は老人とはとうてい思えない動きで後退した。




 「これすら払うとは――――」

 「一度見れば理解できるようになる、それが私だ」

 「キサマが盗み出した力だろうが」

 「ああ―――― それも、そうだわね………」

 「 理解したか、『無垢なる』?」

 「――――――― 死ね」

 「死織、お前こそ、死ね」




  自動拳銃のモードをフルオート射撃に変更し、刀冶は死織に銃口を向ける。

 何発もの弾丸が休む事無く発射されていく。

 その弾丸を斬り払い、死織は刀冶に向かって駆け出した。

 だが、その死織に追随する影がある。

 それに死織が気づいた時、死織はとっさに後ろに下がった。

 その影はナイフを構え、死織へと突き出す。

 死織は死を払うが、それを軽々と突破し――― 秋雨錬は死織の腕にナイフを突き立てた。




 「―――――――ぁぁ!?」

 「俺の事を忘れていたのは、ミスだったな死織」




  エリスのリンクで無理やり睡眠状態にされた錬は、覚醒したと同時に死織へと襲い掛かった。

 手に持つナイフは死織の来る死を払うを超え、彼女の腕に突き刺さる。

 そして錬はナイフを引き抜き、死織の『破滅』へ突き出した。

 だがその致命の一撃は、死織の左手に持った小太刀で払われる。

 死織は錬に小太刀を突き刺そうとするが、刀冶とアレフが拳銃を発砲してそれを防ぐ。

 二人はそのまま死織へ狙いを定めるが、その銃撃を最後に弾丸を使い切ってしまった。

 思わずアレフは舌打ちをする、横で笑む刀冶には気づかずに。




 「――― 死織!」

 「―――― 錬!」




  錬が叫びながら死織へとナイフを振るった。

 死織も叫びながらそのナイフを小太刀で受け止める。

 同時に虚空より生み出した新しい小太刀を左手に持ち、それを錬へ突き出した。

 それを錬は『払った』。




 「―――――『払う』!?」

 「見えるんだよ、自分へと襲い掛かる『滅び』が、まるで線のように」




  それは死織の行う、来る死を払うと同様の能力だった。

 来る滅びを払うとでも言うべき能力、それは『死』を払う死織のモノとは違い、生命を終わらせる『滅び』を払う。

 表す言葉こそ違うが、それは死織と同じ能力である。




 「まさか ――――刀冶、謀ったな!?」

 「―――――そう思うならそう思えばいい」




  死織は錬から離れ、刀冶をにらみつけた。

 刀冶はディシプリンを再装填して死織へと銃口を向ける。

 死織は周りを見渡し、自分の不利を理解した。

 錬一人でも苦戦すると言うのに、刀冶とアレフが拳銃を向けエリスもティンカーベルを鳴らそうとしている。

 鈴にも鐘にも外見がベルに似た音を生み出す、そのオリハルコンの武器は正体とは正反対の優美で美しい楽器に見えた。

  死織は、この場での決着を諦めた。

 小太刀を地面に放り捨て、死織は深く息を吸う。

 瞬間、周囲のマナが死織へと集中した。

 死織は魔力とマナを融合させ、大量の高濃度の『力』を作成する。




 「―――――刺し貫け」




  死織の一言と共に、『力』は空間を捻じ曲げ死織の前に黒い立体型領域が出現する。

 その領域に死織は小太刀を投擲し、錬はナイフを構え攻撃に備えた。

 領域に突き刺さった小太刀は粉々になったが、領域も小太刀と運命を共にする。

 そして姿を現した、領域の中に内包されていたモノ達に錬達は絶句した。

 ―――― 黒い領域の中には、百近い黒い小太刀がこちらに剣先を向けて浮いている。

 そして、小太刀は死織の投擲並みの速度で錬達へと降り注いだ。




 「エリス防げるか!?」

 「無理よ――― この子を守っていては不可能」

 「錬! 切り払うぞ、アレフ援護を頼む!」

 「応(おう)ッ!」




  錬や刀冶、アレフならこの小太刀の雨を防げるだろう。

 しかし意識が無い秋姫や彼女を治癒し続けているエリス、雄途、薫達はこの小太刀の雨を防げない。

 とっさに錬と刀冶は小太刀を切り払い始めた。

 二人の剣撃が閃光のように走り、小太刀を破壊する。

 一回の斬撃で数本の小太刀を切り裂き、二人が撃ちもらした小太刀はアレフの爪と<<スレイプニール>>が迎撃した。

 まるで剣舞のように錬は舞い、ナイフを振るう。

 そして錬達が小太刀を迎撃し終えた時には、すでに死織の姿は影も形も見当たらなかった。




 「逃げたか……… まあ当然じゃな」

 「しかし即席の業としては大技だったな」

 「―――アレは秋雨の業だ」

 「………… そういうコトか―――」




  アレフは疲れた表情を顔に浮かべながら、拳銃をホルダーに収めた。

 錬は度重なる使用で変形してしまったナイフを投げ捨て、地面へと座り込む。

 最後の小太刀を切り払うのに神経を使いすぎた。

 しかし、まだ問題は残っている。




 「刀冶、死織の攻撃による負傷はどうすれば無力化できる?」

 「奴の『死』はある種のウィルスだ、特異な能力でなければどうしょうもない」

 「たとえば――― 死織が言った『死を払う』か」

 「もしくは、『滅びを払う』だ――――」




  エリスは顔を苦痛にゆがめ、秋姫へ行い続けていた治癒を停止させた。

 とたんに彼女は地面に倒れこみ、荒い息をつく。

 力を使い果たし『治癒』を止めざるを終えなかったのだ。

 もしそのまま続けていれば間違いなくエリスの神経と魔力回路は致命的な損壊を起こしていた。

 治癒の力がなくなったために秋姫の傷は広がると皆思う。

 だが彼女の怪我は全く変化しない、まるでこれこそが正しいと言わんばかりに。

 一瞬、錬達はあっけに取られた、だがすぐに場慣れしたアレフが指示を出す。




 「血が必要だ――― 戦六にそういう能力者はいないか?」

 「命なら――― 命の深緑の魔術なら血を製造できる」




  深緑の魔法は蒼と逆の性質を持ち、有機物を支配する魔法である。

 既存の物を変える事を主にする蒼と違い、深緑は新たに作り出す事に長けていた。

 深緑の魔法ならすこし齧っただけでも血ぐらいなら作り出す事が可能である。

 ただし作るだけである、ほとんどの場合、深緑が作り出す物は精度が低い。

 A型の血液を造ろうとして、B型を作ってしまう術者は少なく無い。




 「アレフさん、命ちゃんは、天才です」




  薫はすこし心配そうな顔をしたアレフへと言った。

 その言葉に秘められた命への信頼を感じ取り、アレフは命という存在への不安を捨てる。

 しかしこのままでは秋姫の命は長く無い。

 早急に秋姫を手術可能な場所へ移し、命に治療してもらうしかない。

 すぐに雄途が専用の無線機で他の戦六のメンバーに事態を説明し始めた。

 錬は彼の必死な姿を横目で見ながら、愛用の指輪をはめた。

 気が狂いそうなほどクリアだった感覚がそれを合図に通常の状態に回復していく。

 同時に強烈な眩暈と身が引き裂かれそうな激痛が錬に襲い掛かってきた。

 『元に戻りたくない』とその痛みの中、思う。


 ――――何か嫌な奴の声が、聞こえたような気がした。


 思わず錬は悲鳴をあげそうになったが、悲鳴をあげる前に眩暈と痛みは消え去る。

 そんな錬の様子を見て、刀冶は不安そうに目を細めた。




 「錬、どうした?」

 「なんでもない、ただ眩暈がすこししただけだ」

 「あれだけ大暴れすれば当然じゃ」

 「そう、なのかな?」




  少なくとも『元に戻りたくない』と今までは思わなかったはずだ。

 思わず寒気が走って、錬は身を震わせた。

 錬は知らず知らずの内に『黒月の指輪』を撫でる。

 自分の正気をこの世界に繋ぎ止めている指輪を一瞬、疑ってしまったのだ。

 小さい頃、姉のように感じていた昼夜がくれた世界でたった一つの指輪。

 それを一瞬と言えど疑ってしまった事を錬は死ぬほど後悔した。




 「刀冶さん、すみませんがここらへんで手術できるような所はありませんか?」

 「わしの家に結界が張られた部屋がある、そこなら大丈夫じゃろう。
  集合場所はわしの家を使うといい」

 「………すみません」

 「何、一度黒雨に借りを作ってしまっておっての。 丁度ここいらで返しておきたかっただけじゃ。
  アレフ、何をぼさぼさしておる。 この中で一番力持ちのお前が、この子を運ばんでどうするのだ?」

 「ならここの後始末とかしてくれないか、小太刀とかたくさん――― 何?」




  アレフはいいかけてから気づいた。

 あれだけ大量に投擲された死織の黒い小太刀、それが一本も落ちていないのだ。

 破壊した小太刀の破片、その一部すら残っていない。

 狸に化かされたかのような気分になって、アレスは頭を掻く。




 「なぁ刀冶、どうして小太刀の残骸が残っていない?」

 「あれが小太刀ではないからじゃ」

 「―――、どうも俺の知り合いは言葉遊びが好きな奴が多いな」

 「類は友を呼ぶというものじゃよ」

 「ではあれは何なんだ?」

 「魔王なら自分で調べてみればいいのでは無いかな?」

 「くそ爺」

 「ほめ言葉じゃのう」




  絶対この男は何かを隠しているを、アレフは確信した。

 アレフの質問をわざとらしくごまかし、それ以上の追求は無視する。

 話し相手を怒らせたいとしか思えない刀冶に、アレフは見せ付けるように大きなため息をついた。



























  綾美は彼女が目の前に現れた時、来るべき時が来たと思った。




 「聖十字軍のアスラル=ディエリッタという者です」




  玄関の呼び鈴を鳴らし身動き一つせず待っていた女性は、綾美が顔を玄関から出すとそう言った。

 そしてすぐに綾美は彼女の気配に驚いた、敵意など微塵も無い純粋な好意。

 今までそんな感情を向けられていないが故に、綾美は驚いた。

 錬なら好意は好意だが、その代わりに敵意以外の感情を失う事があるという二面性を持っている。

 しかし彼女のそれはそれとは全く別の領域にあった。

  そのあまりにも無垢な好意は、警戒心を綾美の心から消し去る。

 代わりに心の中に浮かんだのは、覚悟だった。

 その覚悟が、綾美に言葉を紡がせる。




 「私を、助けた理由は……… 何ですか」

 「今すぐ聞きたいですか?」




  その言葉に、綾美は内心ホッとしていた。

 ―――どこに覚悟なんてものがある、この臆病者。

 そう自分を罵って、綾美は彼女を招き入れた。



























 「一応、手術は成功しました。 けど、参ったわ」




  戦六の魔術士、命絢は手術室となった部屋から出てまず最初にそう言った。




 「何が参ったんだ?」

 「彰人、文字通りの意味よ。 このままじゃ秋姫は死ぬ」

 「何でだよ、手術は―――」

 「成功はしたわ、破壊された内臓を復元して失った血液を再構築して、でも、でも、傷がふさがらないの。
  いくら縫合しても、血が止まらない。 まるで彼女に傷がしがみ付いているかのよう」

 「―――― 夕菜、『解体』できる?」

 「………ごめんなさい」

 「いいや、謝らなくていい」




  戦六のメンバー達に、絶望が立ちこめた。

 その雰囲気の中で無表情の男が一人居た、秋雨刀冶だ。

 彼のその様子に錬は目を細める。




 「他に方法は無いのか?」

 「………分かってるでしょう、今のメンバーで治癒の能力があるのは命とエリスさんだけ。
  その二人が全力を尽くしても不可能な事を他の誰ができるというの?」

 「―――それは治癒では不可能じゃな」




  唐突に、狂気を孕んだ冷たい声が部屋に響いた。

 戦六のメンバーは思わず各々の愛用の武器を取り出し、アレフですら手を変形させている。

 ただ錬だけが何もしていない、その狂気はよく知っているからだ。

 その声と狂気は間違いなく己の祖父、秋雨刀冶のものだった。




 「それは『祓う』でしか無力化できない呪い、意味は分かるなアレフ」

 「―――秋雨家の、退魔の業か」

 「そう、ありとあらゆる物を払いのけるのと自らにしがみ付いた魔を祓う、それが秋雨家というもの」




  それを聞いて、錬は思い出した。

 「祓う」という記憶「払う」という記憶、死を祓い滅を払う。

 そして、それのやり方も思い出していた。




 「錬、祓えるな」

 「――――知るか」




  錬はゆっくりと、酷くゆっくりと己の指から指輪を外した。

 世界が緑に汚れるのを覚悟で、意識を集中させていく。

 そして唐突に、それを認識した。

 そして同時に、錬は『それ』を見たことを後悔した。




 ――――『それ』は呪いの姿をした悪意と言う名を持つ、死、そのもの。だった。

 ――――あまりにもそれはおぞましく、忌々しく、呪わしい。

 ――――『それ』を認識した時、『それ』は錬を嘲る。


 ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


 ――――その笑みは、あまりにも気持ち悪く、心を悪意で汚染していく。

 ――――得体の知れない怖気と、奇妙な懐かしさと、耐え難いほどの憤怒が錬を襲った。


 ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


 ――――(お前ら、黙れ)




  思わず怒りに任せて、秋姫の体から『それ』をナイフで払った。




 ――――今、宿主から切り離され、朽ちて消えていく間にも、『それ』は錬を笑う。


 ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


 ――――その笑みはまるで、己の死すら面白く感じているかのごとく――――

 ――――その笑みはまるで、己を殺した錬を嘲るがごとく――――


 ――――(さっさと消えろよ)


 ――――見える『境目』を俺は開放する。

 ――――『それ』が生きている事が、この上なく許しがたい。




  錬は宙を舞う『それ』を切り刻んだ。

 完全に完膚なきまでに、これ以上ないほどに『それ』は消え去った。

 急いで『それ』から意識を放し、指輪をはめて力を封印する。

 今度ばかりは戻りたくないと思わない、戻らなければ心が腐り堕ちていた。

 そして、殺意を持った冷たい声が聞こえてくる。




 「お前、今、何をした」




  まず最初に雪雄が、刀を錬に向けて言った。

 そして次に彰人がライフルを錬へと向ける、銃口のライフリングが見えるほどその距離は近い。

 そして最後に綾が拳銃を錬に向けた。




 「綾、絢は?」

 「戦闘を行うのは私だけで十分」

 「多重人格者………?」

 「正確には人格を分割している。 私、綾は戦闘担当、命絢は治療担当」




  深緑の魔術を治療に使う絢とは違い、綾は魔術で作り出した特異な物質を通して物質を汚染する。

 綾は毒を作る天才である、その毒は綾の意識の一部を含んでおり精神にすら影響を及ぼす。

 その薬物は彼女の持つ弾丸の金属と同化し、弾丸を通して敵を破壊する。

 刀冶が酷くゆっくりと、刀を持って立ち上がった。

 その身からは抑えきれないほどの剣気が染み出し、刀身が赤く染まっているような幻視まで見えるほどである。




 「………斬るぞ」

 「その前にお前を両断してくれる―――」

 「………やめなさい」




  今にも斬り合いを始めそうな雪雄と刀冶を止めたのは、エリスだった。

 手術中、ずっとアイマスクをつけて仮眠を取っていた彼女には寝癖がついている。

 目も寝ぼけ眼でどうみても寝起きとしか思えない姿である。

 挙句、その手には枕が握られていた。




 「よく事情は分からないけど、その子がその女の子を助けたのは確かよ」




  欠伸をつきながらも、エリスは『ティンカーベル』を取り出しそれを高々と掲げる。

 そして、刀冶をにらんだあと、皆を見渡してから叫んだ。




 「今度、このような状態になったら私は許さないわよ。
  さぁ刀冶、この子が何をやったのか、説明しなさい!」

 「すこし落ち着けシェイク・エリス、『ティンカーベル』を収めろ」




  切れかけていたエリスを止めてから、刀冶は刀を鞘に収める。

 雪雄もすこしの間、残念そうな顔をしてから刀を鞘へ収め、床へと座り込んだ。

 そしてガドリング砲をバックから取り出そうとしていた夕菜も動きを止めた。

 いざとなればガドリング砲で二人を脅して止めようとしたのである。

 しかし雪雄と刀冶にそれが効く可能性は皆無に近かった。

 むしろ、反撃を受けて夕菜の身が危なかっただろう。

 空間捜索でそれを知覚していた天月は、思わず安堵の息をついた。




 「では、説明してくれないか刀冶。 秋雨錬は今『何をやった』?」

 「何、簡単な事じゃよ」




  錬は、思わず耳をふさいだ。

 ナゼだか分からないが、何か恐ろしくなったのである。

 次に刀冶が言う一言、それが何か自分に致命的な傷を負わせる致死の言葉だと直感で理解していた。

 しかし、刀冶はそんな錬の様子を見ていながらも、その言葉を言う。





 「死を祓う―――― それを行っただけ」




  錬は『それ』が、けらけらと笑っているような気がした。



















次回 縁の指輪 
二の指輪 四刻目 綾美とアスラル










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