闇の中、その戦いは行われていた。
跳躍。
老人は老いを感じさせないどころか、普通の人間のそれを超越したジャンプを行った。
その勢いを生かし、黒い男へと切りかかって行く。
手には蒼く輝く日本刀を持ち、その姿は神話に出てくる魔神を思わせる。
黒い男はその刀による一撃を紙一重で避け、両手に持った拳銃を老人に向けた。
装弾数六の二丁拳銃、それを全弾発射。
老人は計十二発の弾丸を滑るように横に避けた。
そして神速の刀さばきで反撃をしかける。
それを黒い男は後ろに下がってかわす。
弾切れになった拳銃を捨てて、黒い男はサブマシンガンを二丁引き抜いた。
老人はそのサブマシンガンを見て歩みを止める。
「何処から持ってきたかは知らんが………
わし相手では足りんな、せめて対戦車ミサイルぐらいは持って来い」
サブマシンガンが火を吹く前に、老人はその銃身を切り落した。
その動きを見て黒い男は驚愕する。
「――――!?」
「その一瞬が命取りじゃ」
老人の刀が、黒い男を上下に両断した。
次の瞬間、黒い男は溶けるように消え去る。
老人はそれも疑問とも思わず、深呼吸をしてから叫んだ。
「いるのだろう、シェイク・エリス!」
「相変わらずお強いお強い………
全く、どうすればその年齢でその戦闘力を維持できるのでしょう?」
何も無かった空間から、暗い闇を纏いその女は出現する。
教会第三聖典、『聖鈴』シェイク・エリス。
手には緑色のベルを持っている。
教会製作、聖鐘『ティンカーベル』。
翡翠色のグリーンオリハルコン、そして白銀と銀により作られた祈りの鐘。
白銀と銀に彩られた、翡翠色のオリハルコン。
白銀と銀の装飾は、美しく輝く。
それは、教会最悪と名高い第三聖典『シェイク・エリス』の愛鐘。
「女狐に言うと思ったか、それともわしと戦う気か?」
「いえいえ、秋雨家最強、秋雨刀冶様。
私ごときでは相手になりません、私が苦戦した魂喰いすら瞬殺とは…
いやはや、恐れ入ります」
ベルを鳴らしながら、エリスは刀冶の方へ歩いてくる。
そして刀冶の数歩前で彼女は立ち止まった。
突然、刀冶は刀を目に見えないほどの速度で振るう。
刀身は、見えない何かを切り裂いていた。
「あら、無駄… ですか?」
「童でももっとマシな攻撃ができるわい。
それとも、これがお主の精一杯か?」
「いえいえ、今回は戦闘目的じゃありませんわ。
アナタが私に敵意を持ってるから、鐘が鳴ったのです。
まずは、剣を収めてください。
と、いっても鞘に刀を収めたところで、アナタなら一瞬で私など『両断』できるでしょうね」
妙に楽しそうな口調でエリスは言う。
対する刀冶は無表情のまま、刀を鞘に収めた。
しかしその手は、刀の柄にかけられている。
「分かってくれましたか?」
「お前が最低の屑という事がよく分かった」
「………話を聞かないつもりですか?
あ〜あ、せっっかく彼女の事を教えに来たのに――」
その瞬間、エリスの首元に刀冶の刀が押し付けられていた。
エリスはゆっくり視線を、刀冶へと向ける。
その顔からは、自分の死しか感じれなかった。
「アイツは… 何処だ」
「日本国内に入ってきたのを、うちの第四聖典が確認しています」
「そうか………」
「こちらも聞きたい事があります」
「………何」
エリスは楽しげに微笑んで言う。
「貴方の息子、『退魔士』秋雨伍龍の事。
そして、貴方の立てたという計画の事、この二つを教えて下さい」
刀冶はゆっくり、顔を怒りで染めていく。
そして殺意を乗せていった。
その殺意だけでエリスは震える。
エリスはその殺意と匹敵する物を頭の中で上げてみた。
アノウの剣気、中風の眼光。
二人ともエリスが知るなかでは、最強の人間である。
どれも、それを向けられれば死にそうなほどの存在感を持つ。
次元が違う。
本気でエリスはそう思った。
「そうだな、どうせいつか分かる事じゃ……
教えてやろう、わしの犯した最大の過ちの事を…」
しかしその気配に反して、刀冶は疲れ切った声で言った。
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縁の指輪
二の指輪 一刻目 蒼と緑の世界
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「しかしですね…」
「……………いいじゃん、別にな、命」
「雄途、潰すわよ」
「…薫ちゃん助けて!」
「………や」
「そんなぁ」
「覚悟しなさい!」
「彰人さん助けてプリーズ!」
「自業自得」
「もう逃げ道はないわよ」
「うわぁああああ!」
「夕菜は見ちゃいけない」
「え、何で天月?」
「何でも」
「命絢さまお助けをぉおおお」
「雪雄どうおもう?」
「うるさいと思うけど?」
「そうだよね…」
「珍しいな………」
バスの中ほどの席に座った錬は、思わずそう呟いた。
ただでさえ田舎行きなので人が少ないバス、しかも今日は平日なので人はさらに少ない。
はずなのだが、なぜか中学生が8人、後ろの席を占拠している。
なぜかバスの中なのに大きな帽子を被った少女や、奇妙な眼帯をした少年。
錬から見れば奇妙な集団である。
しかし、問題はそこでは無かった。
(全員重火器、もしくは刃物を持っている。 その上、コッチが警戒しているのを知っている)
最近、こんなのばっかりだ。
錬は思わずため息をついた。
綾美を助けた時から、いままでに無いほど苦労するようになっている。
今までは鬼だけが相手だったが、すこし前には吸血鬼をはじめ教会第五聖典とも戦った。
きっと今までとは、何か歯車が変わったのだろう。
今までの、歪ながら平穏な日々は終わったのだ。
あの衝動は何なのか、あの夢は何なのか、そして自分は何者なのか。
間違いなく、錬の知らない錬を知っている祖父。
彼に会い聞き出すこと以外、錬にはいい案が浮かばなかった。
彼が話してくれるかは分からない。
しかしそれ以外にはあてすら無いのだ。
錬は手下げ鞄の中から、鞘突きナイフを取り出した。
いざとなれば、力ずくでも聞き出す。
眼光を鋭くする。
そして次の思考に移った。
今度は家の事である。
決して今日は休日では無い
それゆえに学校が有る日には出歩くと言う事が出来なかった。
しかし、それは今までの話である。
『錬』はもう一人いるのだ。
「さてと………ちゃんとやってくれてるかなぁ、あいつは」
錬はもう一人の『錬』の事を考えた。
「おはよう錬」
「あ、え、あ… お、おはよう!」
「…………?」
席についていた『錬』に、荒神優は普段の調子であいさつをした。
錬は戸惑いながらあいさつを返す。
その反応はとても錬には見え無い、むしろ他人のようである。
当然だ、この『錬』は本物の錬では無い。
レイが死んで手にした力で、綾美が外見と声質を変えて変装した『錬』なのだ。
中身が綾美のため、『錬』と同じ能力は無いし錬と同じ思考を持っていない。
そのせいで、錬と呼ばれて反応できなかったのだ。
もし錬から優という親友の話を聞いていなければ、ばれていたかもしれない。
「どうしたんだ?」
「なんでもないよ」
心配そうな優に、ぼそりと『錬』は言葉を返した。
錬から教えてもらった対処法にそって答える。
優は『錬』に違和感を覚えたが、口には出さなかった。
それに対し、綾美は内心ほっとしながらも嬉しく思う。
錬にはこんな友人がいるのだと。
綾美はそう思い、思わず微笑んだ。
「何か楽しい事でもあった?」
そのとき、教室の扉が開いた。
すこし明かりがともった綾美の心の中に、その声は冷気を帯びて吹き込んでくる。
入ってきたのは、薄い青の髪と同色の瞳を持った少女。
一瞬、綾美はその少女に目を奪われた。
美人と言えばそうだ、同性の綾美から見てもそれは断言できる。
だがそれ以上に綾美は、その少女に氷より冷たい冷気と闇のような恐怖を覚えた。
「弓さんおはよう」
「おはよう、優君」
綾美はその少女を見つめた。
視線を感じたのか、弓も『錬』を見る。
その瞳は、錬では無い事を見抜いているようだ。
真風弓……… 錬は彼女の事を危険人物といっていた。
その上、普通の人間では無いと断言までしている。
そして、綾美は理解していた。
………コイツは自分の天敵だと。
「おはようございます……… 真風弓さん」
「おはよう秋雨錬君」
互いに、名前のアクセントを強調して言う。
綾美は緊張が混ざった乾いた声で。
弓は笑みが混ざった楽しげな声で。
「今日は、怪我してないね」
「そういえばそうだな、もしかしてそれが嬉しくて笑ったのか?」
優が自分の席に座りながら言った。
綾美はおもわず心の中で、舌打ちをする。
真風弓、彼女は錬が言った以上の人物だった。
外見変化装甲『錬』バージョン1.0―――と綾美が名づけた能力―――の正体を見抜き、笑顔で会話してくる。
外見だけではなく音質、声色まで変更しているため、人間には見抜けない。
はずなのだった、弓に出会うまでは。
弓は微笑んでから歩み去った。
『錬』の姿をした綾美は、席の上に小さくたたまれたメモ用紙を見つめる。
真風弓、彼女が優に気づかれないように置いた紙。
それを誰も見ていない事を確認して開いた。
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もう少し、錬君の真似をするなら徹底しないとバレるわ。
『指輪』を忘れているわね。
小さいことでも徹底しなさい、これは忠告ではなく警告。
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(警告を、どうもありがとう)
綾美は席の下に手を動かし、誰も見ていないことを確認して指輪の外見を構成した。
外見変化装甲『錬』バージョン1.1完成。
しかしいくら外見を完璧にしても、内面までは完璧にできない。
最初に思っていたよりも、錬に成りすますのは大変な作業だ。
それにため息を突いてから、綾美は錬の事を考えてみた。
どうせ、錬の方もろくな目に会わないだろう。
それを確信できて、嬉しくなった。
藍子は死んだ、完膚なきまでに滅ぼされた。
………誤魔化せるとでも思ったのだろうか?
しかし、綾美は知っている。
錬が粉砕した服の破片、そこから藍子の気配が滲み出していたのだから。
………妹なのが、不思議な妹だった。
むしろ綾美との関係は弟のようなもの、だから綾美は『弟』と彼女を思っている。
絶対、性別を間違えて生まれてきたのに違いない。
あの時、家族がレイに襲われた時、藍子は死んだも同然だった。
即座に能力が目覚め、綾美は逃げられたが藍子はそうもいかない。
自分が逃げ回っている時も、何度も藍子と戦った事がある。
しかし、いつか彼女を助けれると思っていた。
だがもう彼女は、『弟』でも妹でも有った藍子は死んだのだ。
(もう『彼女』はいない。 藍子は、もう、いない………)
心の中で痛みを覚える。
早くその痛みが風化する事を綾美は祈った。
その痛みは、あまりにも苦しい痛みだったから………
「ついたぁ………」
錬はバスから飛び降り、周りを見渡した。
視界に移ったのは、綺麗な田舎。
まさに風光明媚、海に面した小さい町と、その背後に立つ緑の山。
そこは、蒼と緑の世界だった。
家から時間にして6時間。
列車を3時間、バスを3時間。
その長い旅路を思い出し、思わず錬はため息を突いた。
しかしこの景色を見て旅の疲れは癒されていた。
「…小学校の2年の時だから…7年ぶりだな」
思わず微笑みながら錬は言う。
そのまま錬はバス停のベンチに座り、背中を伸ばした。
錬は空気を吸うたびに嬉くなる。
この大気の下で、錬は生きていたのだ。
だがその顔はすぐに緊張に染まった。
「刀冶おじちゃんは無事かな…」
アノウが言ったことが本当なら祖父は中風=ロゼット=フィリアム、シェイク・エリスと言う二人に会っている。
両方、教会の関係者。
祖父とは一体どんな関係なのは知らないが楽しいお茶会のような物では無いだろう。
最悪、血の雨が降っているかもしれない。
いくら祖父でも、聖典が相手では簡単にはいくまい。
考えられる最悪のパターンを思い浮かべ、錬は身震いする。
すぐに錬は荷物を背負い、駆け出した。
「聞こえた夕菜?」
「うん、やっぱり刀冶さんの親戚みたい」
「厄介だなぁ」
錬の後、バスから降りた少年少女達は呟いた。
今、彼らを見れば誰もが絶句するだろう。
間違いなく真剣が入っているとしか思えない袋。
腰につけた本物のコルトバイソン357マグナム。
どれも子供が持つべき、いやそれ以前に日本にあってはならない武器の数々だ。
銃刀法違反に間違いなく触れている。
「夕菜、耳しまえ、これからは私が探索する」
「大丈夫だよ天月」
「見られたらどうすんだ?」
「う………」
夕菜は被っていた帽子を、より深くかぶり直す。
それを見てから、天月は彼女の持っていた荷物を持った。
それに夕菜は驚く。
「――あ」
「持ってあげるわ、重いでしょ?」
「う、うん、ありがとう」
「どういたしまして」
微笑みながら天月は歩き出した。
夕菜はスキップしながら彼を追いかけ始める。
それを見て彰人が笑みを浮かべて雪雄に言う。
「仲がいいねぇ、妬けると思わねぇ雪雄?」
「あとで夕菜に言ってみな、雄途。 引っかかれても知らないがな」
「つれないねぇ」
雪雄は自分の武器である刀を収めた袋を担ぎ、黙々と歩き出す。
少しの間、雄途はいやそうな顔をするがゆっくり歩き出した。
それを合図に他の少年少女は歩き出す。
彼らは全てある組織の一員、その組織の名前は戦闘六課。
日本の誇る退魔組織である。
今回の目的はただ一つ、秋雨刀冶との接触。
町に入り、錬はジュースの自動販売機に手を伸ばした。
そして絶句する。
普段暮らしている町のジュースとは全く別の、かなり古い種類しか並んで折らず、挙句に自販の取り出し口に蜘蛛の巣が張っていた。
思わず不安になりジュースを買った後、賞味期限を調べるが幸いかなり先である。
ただでさえ130円と高めなのだ、賞味期限まで切れていたら目に歯も当てられない。
オレンジジュースを買い、ベンチに腰を下ろした。
錬の実家はこの町でもかなり大きい家だ。
祖父や両親の仕事は知らなかったが、銀行に振り込まれる金額から言って普通の仕事では無いだろう。
教会、聖十字、そういった存在がかかわる裏の仕事である事は間違い無い。
錬はその事をジュースを飲みながら考える。
ジュースは甘ったるかったが、それでも喉は潤せた。
錬は空の缶をごみ捨てに投げ入れ、ベンチから立ち上がる。
130円という値段から考えると、ぽったくられたと言う気がしてない。
バックにしまっておいた帽子を被って錬は歩き出した。
実家への道行きを思い出しながら錬は歩く。
覚えている風景と、現在の風景は大して変わっておらず迷いはしない。
すぐにその『屋敷』が見えてきた。
そして思わず、錬はその門の前で立ち止まってしまう。
その屋敷の表札には『秋雨刀冶』と書かれていた。
「はは………記憶にすこしは残ってたけど……本当にでかい屋敷だなぁ」
思わず乾いた笑みを錬は浮かべる。
その屋敷は軽く見ても錬の家の四倍以上の大きさがあった。
子供の頃、屋敷の中で迷った事を覚えていたがこの広さでは当然だろう。
錬がチャイムを探すが、こんな屋敷に有るはずが無い。
仕方なく門を叩くが、返事は返ってこない。
これだけ広い屋敷では、奥に居れば玄関でいくら叫ぼうが聞こえないだろう。
錬がどうしようか迷っていると、門の横に備えられた扉が内側から開けられた。
そしてそこから、一人の老人が顔を出す。
髪の毛は白髪一つ混じっておらず、その瞳は鷹のようだった。
錬は彼が日本刀を隠し持っている事を知っている。
なぜなら………
「来ると思ってぞ、錬」
「久しぶり、おじいちゃん」
秋雨刀冶本人だったからだ。
錬に戦いの技術を叩き込んだ、男。
「馬鹿息子が、学校はどうした」
「欠席にはならないよ、ちゃんとしてきたから」
「ならよいが…」
「聞きに来た」
錬は目を細めた言った。
隠し持っていたナイフを刀冶の喉に突きつける。
それを見て、刀冶は笑う。
「アナタは俺の何を知っている?」
「………やっと聞きにきよったか、馬鹿者が」
いつの間にか、錬の左胸に刀冶の刀の剣先が突きつけられていた。
錬ですら知覚できない、無音にして超高速の抜刀術。
錬はぎこちなく微笑みながら、冷や汗を流した。
絶対、この男には勝てない、と。
「まだまだ甘いのぉ」
「………勝てないなぁ」
ナイフを喉に突きつけられていると言うのに、楽しそうに刀冶は微笑んだ。
錬はこのような状態で、心から楽しそうに笑う祖父に呆れる。
度胸があるというより、恐怖心が無いとしか思えない。
そう思い、錬はナイフをしまった。
「さて、中に入れ。
話せる所までなら話してやろう」
一瞬、刀冶の顔は、魔を狩る鬼神のそれになる。
錬はその威圧感と存在感に、言葉を失った。
「さぁって、見えるかい天月?」
「彰人、今は話しかけないでくれ。
認識範囲を拡大するための設定は難しいんだ」
町をはさんで、海の反対側にある山。
その中腹ほどに天月と彰人、夕菜そして命絢はいた。
天月は地面に座り、その横に彰人は座り込む。
横で夕菜は寝袋に入り、寝ている。
そして綾は自分のコルトバイソンを分解整備していた。
「俺が知覚支援しようか?」
「お前の脳神経への負担が心配だ。
いざという時に動けないってなったら私が困る」
「いいじゃん? 今回は戦闘目的じゃ無いし」
「うまい事話が進めばな、既にイレギュラーが『二人』しかも片方が魔王。
これだけでも最悪の事態を想定する必要ができた」
「心配しすぎだなぁ」
「最年長のお前が言うか? それに、失敗は許されない。
もし戦闘に入れば、勝ち目は皆無」
「そうなったら、逃げる?」
綾はコルトバイソンを組み立てなおすと、そう呟いた。
彼女のコルトバイソンは改造され、装弾数が一発増えている。
一発の差が何だ、と思われる事が多いが、彼女の能力とあわせれば、その差は大きい。
「どうやってだ?」
「私が死ぬ覚悟をすればいいだけ」
「………させない」
綾が呟いた瞬間、彰人が血の気も引く冷たい声で言った。
その声に秘められた、圧倒的な冷たい感情に、天月は絶句する。
彰人の顔は、妙に冷静だった。
「その時は、お前を殺そうとする存在を、全て殺しつくしてやる。
だから、綾。 お前はそんな事を言うな」
「…………うん」
綾は、もうしわけなさそうにつぶやいた。
彰人の、切り札にして最悪の怪物。
その身に宿した神性は、彼に年を取ることを許さない。
そして、もし彰人の心の支えである綾が死ねばそれは暴走するだろう。
「嗚呼、だが最悪の場合、私が彰人、お前を止める」
天月がポツリとつぶやいた。
不可能だろう。
だが、彼女はその小さい声に覚悟をにじませていた。
もしその時になれば間違いなく、彰人の前に立ちはだかる。
彼は、その時に、間違いなく最強、最大の壁となるのだ。
鋼の意思が、そうさせる。
「頼むぞ」
「ああ」
鋼の意思を内に秘め、盲目の監視者は目を動かす。
世界は彼にとってはデータでしかない。
線で記された物質、それにぎっしり内包された物質の構成要素。
光すらデータで彼は知覚する。
そのデータの世界から、天月は彰人を消し去った。
(……………そのときは、止める。 たとえ、外道と罵られても!)
町に、ピントが合った。
「さて。聞きたいことを言え」
刀冶は好物の抹茶を飲み、一息ついてから言った。
錬も差し出された抹茶を飲むが、あまりの苦さに絶句する。
その絶句した瞬間に、刀冶は言う。
瞬間、錬が反応した。
「大体が『しおり』のことじゃろう」
「――――――!」
錬は一瞬で、体を戦闘形態に移行させる。
心臓が爆発するように、全身に血液を送っていく。
神経も張り詰め、瞬間でナイフを引き抜き切りかかる準備を整えた。
その錬の状態を理解していたが、刀冶は抹茶をもう一度飲む。
「落ち着け、それではただの獣じゃろうが」
「――――……」
今度も一瞬で錬の体調は元に戻る。
心拍が安定し、神経も通常に回復していく。
錬は一息ついてから、言った。
「アイツは、何だ。 なんで俺は奴を知っている。 何でアイツは俺を知っている?」
「―――奴が本当の意味でも殺人人だからじゃな。
ヒトじゃよ、人を殺すことに特化した、怪物の一匹。殺人人。
どこまで言っても、人はヒト。それと同じく、人のまま怪物となった、人じゃ。
錬、お前もすこしは考えたことがあろう?
自分は人間ではない、『何か』では無いかと」
「はい」
「だが所詮は人のままじゃ。
アイツも人のまま。 まるで鏡写しのように、『しおり』と錬、お主はよく似ておる。
ただ単に、反応する存在が違うだけでしかない。
だからお主は。 殺鬼人、人の敵を殺す人だ」
「死織は何処にいますか?」
「この日本のどこか。 だが奴はお前を殺そうとする。
お前の前にいつか必ず現れるじゃろう」
刀冶は語りながら茶菓子を棚から取り出した。
大量のせんべいが小さい箱に敷き詰められている。
そこから無理やり大きなせんべいを抜き取り、刀冶は噛み付いた。
その年齢とは反比例する、強靭な顎と歯が容赦なくせんべいを砕いていく。
「あいかわらず硬いのが好きですね」
「やわらかい食べ物はすかん」
それを聞いて、錬はぜんぜん祖父に変わりが無い事を実感した。
しかし、戦闘力はさらに増しているはずだ。
それと比例するかのように、彼のマイペースっぷりは悪化している。
すると当然、刀冶は何か聞いたかのように玄関の方へと顔を向けた。
「客人がきたの?」
「ああ、あまり歓迎はしたくないがのう」
学校での生活は、スリルに満ち溢れていた。
普通なら味わえない、変装している故に綾美だけが味わう恐怖。
ばれるかもしれない、そういう恐怖だ。
それと戦いながらも綾美は学校生活を楽しむ。
勉強は内容も分からず嫌だったが、それは自分が学校へ行っていないせいである。
だからこそ、学校は楽しかった。
しかし、その学校にも『闇』は有る。
先生の一人が、人間ではなかった。
岡山巌という先生は、鬼である。
どうやら錬もそれを知っていたらしく、彼の授業を避けていた。
それは巌の授業に参加しているのを優が見たとき、驚いたほどである。
それにクラスメイトにも人外が数人。
弓を始め、紗美と真紀の二人。
錬がよく暴走しなかったと関心する。
暴走して吸血鬼化していた綾美に攻撃を仕掛けた時の、人外の生物への圧倒的な攻撃衝動。
それがこの教室にいるだけであふれ出すのだ。
錬の暴走は不確定要素が多いと綾美は考える。
人外に例外なく反応するが、その衝動はそれぞれ質が違う。
暴走していた綾美には攻撃をしかけたのに、普段の綾美には攻撃しない。
耐えれるか、攻撃するか、衝動そのものを感じないか。
紗美と真紀は耐えられる、巌は攻撃したくなる、綾美には衝動そのものを感じない。
この違いは、何なのだろう?
(考えれるのは、錬自身への殺意)
綾美は放課後の教室で、この事を考えている。
邪魔な他人がいないため、考え事に集中できた。
暴走していた綾美は明確に殺意が有るとはいえないものの、錬へと吸血行為を行おうとした。
しかしそれでは、巌との接触を避ける理由にはならない。
巌は先生だ。
いくらなんでも錬へ対し、殺意を抱くわけが無い。
それにより、殺意による判別とは言いがたい。
(………それ以外の、たとえば人外の力や血の強さ?)
暴走している状態の綾美は、確かに吸血鬼の力が増していた。
巌も、その力の質は分からなかったが絶大な力を保有している。
しかしここでも問題。
紗美も真紀も見た限りではかなりの力を保有している。
吸血鬼化した綾美や巌ほどでは無いが、普段の綾美は確実に超えていはずだ。
それに、学校内には目覚めてはいないもののかなりの人外の力を内包する人もいた。
先祖のだれかに、人以外がいたのだろう。
綾美ほどの感知能力があればその気配は離れたところからも感知できる。
錬なら間違いなく、それを感じ取れるはずだ。
もし純粋な力や血の濃さで暴走するなら、もう学校内で錬が攻撃をしかけているだろう。
時々、走り去る事や逃げる事はあるらしいが、攻撃などはしていないと錬から聞いている。
つまりこれもありえない。
(―――無秩序? ランダム?)
それはもっとありえないだろう。
結論として言ってしまえば、分からないとしか言えない。
それに、考える時間ももうなさそうだ。
「どうしたの紗美さん?」
「………化け物の始末をしにきたのよ、錬の姿をした、何かを」
「―――『私』の事かしら?」
もはやごまかす事は不可能。
グローブをはめた紗美は、『錬』の姿をした綾美に明確な殺意を向けている。
教室の出入り口で待機している真紀も同様だ。
綾美は力を消耗し続ける『錬』の外見を解除した。
「女か…」
「見ての通り、で、私何か始末されるような事したかしら?」
「錬は、どこだ」
「食べたわ」
「――――! キサ…」
「嘘、そんな分けないじゃない。命の恩人よ、今日は用事があってこられないから、代理」
綾美は自分の言った事をあっさりと否定し、持ってきた錬の鞄から病院に忍び込み手に入れた輸血パックを取り出した。
その中身を一気に飲み干し、外を見た。
すでに夕方、太陽はその大部分を隠している。
吸血鬼としての能力を開放できる時間になっていた。
「夜は、私の世界よ」
「関係ない、焼き尽くして消し炭にしてやる…ッ!」
火炎を纏った紗美の拳が、綾美へと向かっていく。
それを綾美は、闇から作り出した獣で受け止めた。
能力による『使い魔』の創生、巨大な黒い毛皮の犬である。
しかしその正体は、力が高密度になり物質化した擬似生命体。
知能は無く、出された命令に従うだけ。
「時間を稼ぎなさい!」
それだけつぶやき、窓へと駆け出す。
真紀がくないを投擲するが、それが命中する前に開いた窓から空へと飛び出していった。
綾見はすぐに翼を構築し、浮力を生み出す。
翼を振るい、まずは校舎の屋上へと行く。
闇が世界を覆い始めていた。
自分の底からあふれ出来る力に綾美は震える。
―――これなら、あいつらなんて皆殺しにできる。
衝動が、訴える。
報復しろ、抹殺しろ、滅ぼせ。
綾美はその声を無視した。
今の自分なら、そんな事しなくてもいい。
この暗闇の世界こそが、自分の世界なのだから。
「ふぅ……… ―――!」
一気に走り、屋上の端から飛び降りる。
そのまま勢いを利用して、綾美は空へと飛び立った。
夕焼けをバックにし、その少年は門の前に立っている。
「戦闘六課の、天馬雪雄と申します」
第一声はそれだった。
普通の中学生に見える、少年。
しかしその手に持った刀から、圧倒的な『力』があふれ出している。
間違いなく、普通の刀では無い。
錬はナイフを隠しもち、刀冶は刀の柄に手を載せる。
雪雄という少年は間違いなく、刀冶に用があるだろう。
そう、刀冶の知る『何か』を手に入れるために。
だがそれ異常に錬には大きな問題があった。
とにかく目の前に居る、雪雄に殺意を覚えるのだ。
「戦六? 聞くが黒雨は元気か」
「いいえ、黒雨前司令は行方不明です。
今回は死織について聞きに参りました」
礼儀正しく雪雄は言う。
しかしその言葉に、錬は絶句した。
その内容は錬が刀冶に聞きたかった事そのままなのだ。
錬は刀冶に目を向ける。
―――刀冶は氷のような冷たい視線を、雪雄に送っていた。
「帰れ」
刀冶は抑制なく言う。
それこそ、今すぐにでも刀を抜きそうだった。
対する雪雄は、笑顔。
錬が恐怖心が壊れていないかと心配になってしまうほど、楽しそうな笑顔。
「…そうですか、ではまたの機会に」
「永遠にこないと思うがな」
抜刀。
神速に達する刀冶の『いあいぬき』。
それを、同じく神速の『いあいぬき』で雪雄は防いだ。
刀冶は目に見えて動揺した。
錬もそれに驚く。
少なくとも、並大抵の動体視力ではその軌道を見ることすらできない。
錬はぎりぎり太刀筋を見切ってはいたが、防げるかどうかは疑問に思う。
しかし、この雪雄という少年は、それをいともあっさり防いだのだ。
錬は驚愕したが、殺意は消えなった。
「――――!?」
「『またの機会』は来ますよ、絶対に、永遠に刀冶はそれを隠すことは出来ない。
そう、司令から聞いています」
「黙れ童、あれの事はいずれ話すが、お前ら戦闘六課には情報の破片すらやらん」
「では一つだけ、死織は、誰が倒すのですか?」
雪雄は乾いた声でつぶやいた。
それに対して当時は何も語らない。
無言、それが刀冶の答えだった。
それ以上は何も言わず、雪雄は立ち去る。
錬は、ぎりぎりのところで収まった殺意に安堵した。
そして、強烈無比な鬼気を感じ刀冶の方を向いた。
その鬼気の元は刀冶である。
彼の顔は、まるで鬼のような怒りに染められていた。
「錬、あいつらには気をつけろ」
声に感情は感じられない。
その声の無感情さに、錬は寒気を覚えた。
自分の知らない祖父が、そこにいる。
そう錬は思った。
「戦闘六課、日本の退魔組織だ」
それだけいい、刀冶は家の中に入っていった。
錬は雪雄の立ち去った方向を見る。
その時、何か違和感を感じた。
(――――?)
自分の知るこの町の中に、居てはならない者がいる。
そんな気がしたのだ。
一瞬勘違いかと思ったが、その違和感は消えない。
どんどん、その違和感は不快感に変わり、最後には殺意に変わる。
その違和感に、殺意を覚える。
錬は、その違和感に集中して、その原因を探す。
(…………――――!)
にぃ…。
錬はそういう擬音がつきそうな笑みを浮かべた。
―――見つけた。
「錬ッ!」
刀冶が叫びながら、錬の前に塀を飛び越え現れる。
塀や門の向こう側からでも、錬の異常に気づいたのだろう。
既に刀を抜刀している。
「―――じゃま…… するな」
「………とまれ、斬るぞ」
「できる、なら ―――な……っ!」
錬が、消えた。
刀冶は知覚する暇もなく、手に持った刀を破壊される。
刀の刀身が、粉々になった。
「――――何じゃと!?」
決して刀冶の刀は安物では無い、名こそ無いが立派な業物だ。
それがただの市販のナイフで粉々に粉砕される。
ありえない事だった。
「………」
一瞬で錬は、刀冶の後方5メートルの位置に立っている。
そこまで駆け抜けながら、刀冶の刀を粉砕したのだ。
刀冶すら知覚できない速度で………
「くそ………」
後ろで刀冶が悔しそうな声を出すのを、他人事のように錬は感じた。
「ここまで反応が対応進化して―――」
「非常識………」
薫の感想はそれだった。
前の方では、秋姫と雄途が全力で攻撃を仕掛けている。
共に強力な異能能力を保持し、その殲滅能力で戦六の主力になっている二人だ。
二人はとある事件から一緒に戦六に入ったらしい。
それゆえか、一人より二人同時に戦う時、その真価は発揮される。
現在の戦六において、間違いなく最強のチーム。
しかし、彼らの攻撃は男の『四つ』の腕でいとも簡単に防がれている。
いや、その表現は正しくない。
正確には、二本の手と二枚の翼だ。
男は、肩から巨大な蝙蝠の翼を生やしていた。
「ッく…… 秋姫!」
「分かってるわ!」
二人の最強攻撃が発動する。
赤い剣と、黒き衝撃が、世界を二色に染め上げた。
異能能力『紅き血の姫』、『黒き髪の王』。
共に高い殲滅を誇る異能能力の、最大攻撃。
それも、簡単に無力化された。
しかも手で、いともあっさり受け止められたのだ。
「どうした? そこまで驚くなよ、全く」
男は――魔王アレフ・リキュールはこの上なく楽しそうに微笑んだ。
能力を使わずとも薫は分かる。
最初から勝ち目など、カケラも無いのだ。
世界から絶対生存を決定され、世界そのものが死ぬ物狂いで守る魔王。
しかも直接攻撃力と単純な防御能力なら最強と呼ばれる紅の魔法を司る、紅の魔王。
たがが、二人程度の異能者で勝てるはずが無い。
もし倒すとすれば、教会のアノウと聖十字のルノラの二人ぐらいの戦力は必要だ。
…無論、そんな戦力を戦六が持っているはずも無い。
しかし、戦うしかなかった。
彼の目的も、刀冶なのだから。
「雄途、三秒後に右から」
薫は雄途に言う。
声は小さいのに、その声は雄途に届いた。
きっかり三秒後に、アレフが雄途の右から銃を撃つ。
雄途は弾丸に意識を集中し、運動エネルギーを停止させる。
そしてそのまま、方向性を反対にして運動エネルギーを開放した。
弾丸は、正確に元の軌道をたどり、アレフの持つ銃の銃口に入っていく。
その銃は無論の事、暴発した。
破片がアレフを襲うが、その時には彼は皮膚を硬質化させて防御体勢に入っている。
しかし、皮膚が硬質化している間が動きが鈍ってしまう。
それは秋姫にとって絶好の好機である。
彼女の攻撃の前では、物質の強度など関係なし。
紅い刃は、障壁を貫く殺意の剣。
「疾ぃぃぃぃ!!!」
刃がアレフの掲げた右腕に突き刺さる。
そして秋姫は剣を抜こうとするが、剣は抜けなかった。
筋肉と筋肉の隙間に入り、挟まれてしまったのだ。
しかしアレフの右手は、問題なく拳を作った。
防げないと知り、アレフはダメージを最小になるように自ら攻撃を受けたのである。
一瞬の判断とは思えない、計算しつくされた行動。
秋姫は素直に剣を捨て、隠し持っていたミスリル製のナイフを引き抜いた。
力で作られた剣に比べればはるかに貧弱な武器。
だが、あのまま剣にこだわっていれば間違いなく無力化されていた。
自分が『死ぬ』光景を想像して、秋姫は震える。
「…まだ、やりたい事、全部やってない…!」
「甘いな、それとこれとは関係ない。
相手がなんと言おうが、結局終わりは終わりだ」
アレフの右腕が変形していく。
巨大な爪を持つ、鬼の腕に骨格を始め、全てが変形している。
剣が膨れ上がった筋肉に押され、地面に落ちた。
それを取りに行く勇気は……… 秋姫には無い。
控えめに言っても無謀である。
あの爪にかかれば、人間など血が入った皮袋のようなものだ。
アレフの腕を見て、雄途は黒い剣を構え……… 力を抜く。
持っていた闘気も剣気も消え失せた、しかし秋姫は知っている。
これが彼の秘儀、『無為の構え』から放たれる音速の二連撃『音速』と『影の追撃』。
物体の振動を利用し、衝撃を共鳴させ粉々にする雄途の剣技、封印技『殺』の第一の剣。
―――しかしそれでも無理だろう。
そもそも当てる事ができないかもしれない。
アレフなら、音速すら超えて行動できそうだ。
「―――、駄目」
薫がつぶやく。
このまま、全滅する。
客観的に見なくとも、アレフに勝てないのははっきりしていた。
もう、駄目だ。
しかし突然、自分の見ていた未来が変わる。
黒い影が多いつくし、何も見えなくなった。
思わず薫は絶句する。
―――こんな事、今まで一度も無かったと。
「――――はは!」
楽しそうな笑い声が響いた。
アレフはそれに反応し、背後を振り向く。
だが、それは間違った選択だった。
見るべき方向は、真上だったのだ。
すぐにその事実に気づき、真上を見る。
そこに――― 錬は居た。
「―――錬!?」
「――――、斬!」
それは稲妻のような一撃だった。
一撃でアレフの左腕が根元から吹き飛ぶ。
その攻撃を行った少年は――錬は着地の衝撃をアレフに背負わせ、無傷で着地する。
一瞬、雄途と秋姫、そして薫までも錬が人外の怪物のようにみえた。
自分達が手も足も出なかった魔王に、奇襲とはいえ多大なダメージを与えたのだ。
一瞬、それが人の形をしていてもそれ以外の何かに見えてしまう。
そして数瞬の後、それが『刀冶の親戚』と考えた少年だと気づく。
だがそれゆえに、疑問が生まれた。
あの力は何なのだろう?
あの恐怖しか浮かばない壮絶な笑みは何なのだろう?
「―――はは、見つけた」
ナイフを水平に構え、錬はつぶやく。
意識はハッキリしていた、ただ思考が、考え方が狂っている。
耐え切れないほどの殺意が、煮えたぎっていた。
とにかく、目の前のコートの怪物を殺したい。
その殺意が、思考を狂わせる。
錬は、純粋に目の前のコートの男に消えてほしかった。
「… 消えろ、怪物」
「俺はアレフ・リキュールだ。『怪物』では無い」
「………どっちでも、いい」
ポケットに入れておいた指輪を左腕で弄り、一息ついて錬が駆け出す。
アレフは錬のナイフに、変形した右腕で立ち向かう。
そしていともあっさり爪が斬り飛ばされる。
錬の瞳の、蒼が印象に残った。
思わずアレフは舌打ちする。
質量が足りないと認識した。
刀冶の孫に――錬に勝つには変形用の質量が足りない。
錬の追撃を転がって避けながら、斬り飛ばされた左腕を拾う。
すぐに傷口を付け合せ再生させた。
血が荒れ狂う感覚にあわせ、錬が飛翔する。
まるで鷹のような鋭利で殺傷的な攻撃。
それをバックステップでアレフはかわす。
かまわず、錬はそのまま地面を粉砕した。
コンクリートの粉塵が舞い、視界が粉塵で潰された。
アレフは翼を作り、その翼で粉塵を吹き飛ばす。
だがそこに錬はいなかった。
「アレフさん、上」
「―――!」
薫がぽつりとつぶやく。
錬はまた、人間離れした跳躍力でアレフの真上にいたのだ。
そのままアレフを飛び越し、後ろからアレフを狙う気なのだろう。
しかし空中では回避行動がとれない。
アレフは<<スレイプニール>>を取り出し、四連射。
弾丸は空中にいる錬の右足に二発、右手に二発掠った。
その衝撃で体勢を崩し、錬は地面に叩きつけられた。
受身が取れず、もろにダメージを受け錬は吐血する。
すぐに立ち上がるが、ダメージのせいか動きが鈍かった。
「――――助かった」
「それより、今は彼を止める事が大事です。 違いますか」
アレフの横に、黒い剣を持った雄途が立つ。
すこし後ろでは、秋姫が剣を構え力を集めていく。
その圧倒的な鬼気に脅える事無く、錬はゆっくりアレフへと歩き出す。
その瞳は、先ほどより強い蒼に染まっている。
『無為の構え』をしながら、雄途は神経を集中させていく。
「――――」
錬は人形のように上半身の力を抜いた。
瞬間、神速の速さでアレフへと斬りかかっていく。
その錬へ、雄途が黒い剣で攻撃を仕掛けた。
神速の斬撃、錬はそれをナイフで防ぐ。
だが、その判断は間違っていた。
防がれた雄途の一撃、だがその直後同じ軌道をたどりながら、もう一度剣が振り下ろされる。
雄途の二段斬りで、ナイフは粉砕された。
だが、全く別の方向からもう一本のナイフが雄途へと襲い掛かる。
避けれないと理解して、雄途は目をつぶる。
しかしそのナイフが突き刺さる事は無かった。
「リンク確立、『眠れ』」
そのとき、誰かの声が響いた。
鈴の音が、共鳴する。
そして錬は動きを止めた。
「鈴―――!? まさか」
「はい、私ですが?」
そして、その女は現れた。
シェイク・エリス。
「リンク強化、『眠れ』秋雨錬」
「―――!」
その鈴の音は、錬の暴走を止めようとしていた。
鈴の音がなる毎に、錬の動きが鈍っていく。
「……なんていう精神防壁… 干渉力が、ろくに効いてない…!」
いつも作っている嘲りの笑みを消し、エリスは苦痛に顔をゆがめた。
相手と音を媒介にした『リンク』を構築し、その『リンク』を通し錬へ睡眠の力が込められた魔力を叩きつける。
エリスお得意の『音』が、錬には大して効いていない。
普通なら、一瞬で眠ってしまうほどの威力があるはずなのだ。
自分への『跳ね返り』を覚悟してリンクを強化して、やっと効果が出始めていた。
しかし『跳ね返り』によって、エリスも強大な睡魔に襲われている。
いつまで持つか、分かったものではない。
失敗すれば、錬に殺される。
「お姉ちゃん」
いつのまにかエリスの近くに歩いてきた薫がつぶやいた。
エリスは思わず薫を見る。
薫は、微笑んでいた。
「お姉ちゃんは、勝つよ。安心して」
その言葉には力があった。
エリスも微笑みを返し、錬をにらむ。
そして確信した口調で、叫んだ。
「私はアナタに勝つわ」
「……ありがとう」
「――――ァ」
錬が、叫ぼうとする。
獣のように自分の殺意を敵へと宣言しようとするが、眠気がそれを妨げる。
薫がエリスの袖を掴んだ。
その感覚が、エリスに力を与える。
そして、もう一度叫んだ。
「『眠れ』!!」
糸の切れた人形のように、錬は倒れた。
エリスも同時に地面に倒れこむ。
自分に襲い掛かる眠気を頬を自分で叩いて振り払った。
薫が水筒をエリスへ渡す。
エリスはそれを受け取り、中のミネラルウォーターを口に一口含んだ。
アレフが、ゆっくりエリスへと歩いてくる。
「お前にもいい所があったとはな」
「違うわよ、利害が一致しただけ。利用しただけよ」
嘲るような笑みを、エリスは作り直す。
しかし内面、その笑みが何の意味も無い事は理解している。
本当の自分を、出しすぎた。
エリスは、楽しそうな笑みを浮かべる。
「嘘、アレフは知っているのでしょう?
刀冶の計画が何なのか、そのために、人の命を犠牲にさせないわ」
「………ならあの嘲りの笑みは何だ?」
「さぁ、何だったのかしら」
エリスは立ち上がり、薫の頭を撫でた。
薫は気持ちよさそうに微笑む。
「ありがとうお嬢ちゃん」
「でも、どうしますか彼?」
雄途が、倒れている錬を指差しながら言う。
「そうだな…まずは…」
そこでアレフは言葉を失った。
普通の人間を超えた知覚能力で何かを捕らえたらしい。
慌てた様子で振り向く。
「私に渡してくれないかしら?」
濃厚な死と恐怖の気配が漂った。
その圧倒的な悪意と敵意に、薫が悲鳴をあげる。
アレフは銃を、雄途と秋姫は剣を構えた。
その圧倒的な死の気配は、いつの間にか来た一人の少女のものだった。
そして、その少女をこの場にいる誰もが知っている。
その少女は…
「じゃないと皆殺しをしないといけないし、ね」
死織が、そこにいた。
次回 縁の指輪
二の指輪 二刻目 盲目―― 来る