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                縁の指輪 
    一の指輪 二刻目 鬼と刀、そして織姫


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死織………そうか、それも貴様は忘れてしまったのか?
それとも………忘れたかった、か?
アハッハハッハッハッハッハッハ…………… お前は忘れなれない。
俺が忘れさせるものか。
俺は、―――だ。





5月18日 午後6時14分 秋雨家自宅


「とま、れ………とま、れ……………なん。で………とまら、ない!?」
暗い闇が支配する部屋の床、その上の血塗れになった布団。その上に錬は倒れていた。
その布団をそめる血は錬のものである。かれは、いまだ血が止まらない。
このままでは、致死量に達するだろう。
「いや、いや、なんで、わた、しに、かかわ、ると、なん、で、みん、な、しん、で、しまう、の!」
しかし彼女は気づいていない。自分の口から犬歯が出ていることに。
そう、大量の血液に刺激され、彼女の『本性』が出かけているのだ。
そしてやっと出血が止まった。
だが、いささか遅い。
すでに命を失うには、十分な量が流れてしまっている。相当危険な状態だ。
輸血をしなければ、いけない。
しかし、今からでは病院も遅い。救急車を呼んでも来るころには死んでしまう。
なら、どうする。どうすればいい?
綾美には最初からこの選択肢しかなかったのだ。
それを思うと、綾美は涙を流した。これをしてしまえば、彼が苦しむだろう。
それに、そんな目にあうなら死んだほうがいいかもしれない。
自分にある犬歯を指で触れてから、数秒自問して………決めた。
「……………ごめんなさい」
綾美は口を下品なほどに開く。二つの犬歯が彼女の正体を明かしている。
そして、錬の首元に噛み付いた。
助ける唯一の方法、それは錬に自分の命を流し込む。それだけである。
しかし問題は………これは人間を吸血鬼にしてしまうことなのだ。
だが、彼女はその行為に錬を吸血鬼にしてしまうという背徳感と共に、喜びを感じてしまっている。
これは、とても危険な事だ。
なぜなら、錬は目をすでにさましており、ナイフを握って彼女を見ているのである。




殺すべきだ。
そうだろう。コイツは吸血鬼だ。
それに、ごめんなさいとか言っておきながら血を吸って喜んでいるじゃないか?
さぁ、ナイフを振れ。
この程度でお前が死ぬわけが無い。
お前は俺で、俺はお前だ。お前のことは俺が一番よく分かる。
さぁ、コロセ。

―――イヤだ。





ガシ。
綾美は突然肩をつかまれ、ビクリと体を振るわせた。
まるで、悪戯をしている所を見つかった子供のように。
掴んだ手は錬のモノであった。
すでに指を動かす力も無いはずなのに、力強く肩を掴んでいる。
「………大丈夫だ。俺は………死なない」
その声に驚き、錬の顔を見る。
蒼い瞳が闇の中で輝いていた。人外の、瞳。
「錬……………」
「出血だけだ。 この程度なら、死なない。 吸血鬼にも、ならない。 ……………だから、逃げろ」
錬はそういいながら………ナイフを繰り出した。
フォ!
綾美は何とか避けたが、ナイフはいとも簡単にテーブルを吹き飛ばした。
スラリと背筋を使わず錬は立ち上がる。その蒼い瞳と相まって、ヒト以外に見えていた。
「……………キミを、殺したがっている。 だから早く、逃げろ」
ナイフを持った手を、地面に垂直に伸ばす。
ナイフが月光を反射して、闇の中に輝く。
「れ、錬!?」
「だから…………逃げ、逃げろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
ドォン!
とんでもない加速。錬のナイフが、綾美に迫った。




















天奨竜太、皇鬼は自分の欠けた保険の一つに、満足がいかなかった。
保険としては最高なはずだ。
しかし『教会』に自分が顔を見せるとは、今まで思ってすらいなかった。
それに、貸しを作ってしまう。
しかし、効果は抜群。ある意味、毒に猛毒を投入するようなものだが………
「もう一つぐらい、ほしいな。 保険は」
用意は多すぎて余っても、したうち一つで事足りる。
だから、たくさん用意する。それが竜太の思考だ。
しかし、何が保険として代行できる?
そう『連槍のクロード』の暴走を抑制するための保険として。
「もう、クロードは死んだ。 アイツが来たんだ。確実に。けど………効くのに時間がかかる。その隙間を、どう埋める?」
そして、歩き出していた。



















「れ、錬!?」
「だから…………逃げ、逃げろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
ドォン!
とんでもない加速。錬のナイフが、綾美に迫った。
それを綾美は人間離れした動きで後ろに跳ねる。
ほんのさっきまでいた場所は、ナイフの一閃で切り裂かれた。
「体調が平気なら止められた! でも、今は駄目なんだ! 逃げろぉおおおおおお!!!」
叫んで、さらに追撃していく。
彼の意識とは別に、体が綾美を殺そうとしている。異常な状態だが、錬のあの動きを見ていれば納得できるだろう。
アレはどう見ても、考えても人間のモノではない。
アレも、化物の一種だ。吸血鬼のような、モノ。それなら自分の言う事を聞かない可能性はある。
「……………」
綾美だって、今、そうなっているのだから。
指の爪が硬質化し、変形してかぎ爪となる。犬歯が伸びて、瞳が紅く染まっていた。
そう、綾美の方が先立ったのだ。
錬の血液を飲んだことにより、綾美の吸血鬼としての部分が目覚めた。
それに錬のナにかが反応したのだ。
「教えろ。 ………あの吸血鬼は、貴様の『親』か」
錬自身も、綾美の吸血鬼が強まった故に、その中のナにかが強まっている。
口調すら、声質すら変わり、疑問を問う。
それに、女の声が答えた。
「そう。 吸血鬼としての、ね。 まぁ、怖かったから逃げてたけどね、
 吸血鬼として、人間としての両親を殺された恨みを込めて、あの吸血鬼に隷属するのが嫌だったのよ」
「はぁ、そう。 ならよかったね。 俺が殺してやる、そうすれば、隷属なんてしないですむだろう?」
錬はそう言って、もう一度はねる。
今度は綾美は壁を突き破って中庭へと躍り出た。雨水のみが溜まった池に下半身を沈めながら、その穴から出てきた錬に振り向いた。
錬はふらつく上半身を無理に支えながら首だけ動かして綾美をにらむ。
それに知らず知らずのうちに綾美は笑い返していた。
血に塗れていなくとも、分かる。殺戮者の笑みを。
「さあ。かかって来い。殺してやるよ。完璧に」
「そう、なら、殺し返してあげるわよ。完全に」
ナイフを錬は玩具のように指で遊びながら、ギャリと瓦礫を足でどかしジャンプのスペースを作った。
笑みを浮かべてナイフを振るう。
「なぁ。 コレじゃぁ殺人オタクだな」
ドォン!
トンでもない速度の加速。
錬はそのまま、池へ突入していく。水に着水しながらナイフを振って綾美に襲い掛かった。
バシャバシャバシャ! キャン!
綾美のかぎ爪と錬のナイフがぶつかり合い、金きり音を立てる。
錬がいつの間にか持っていた―――たぶん、さっき穴から出る前にどこかからか持ってきた―――左腕のナイフを振った。
それを綾美は左腕のかぎ爪でふさいだが、いとも簡単にかぎ爪は斬り飛ばされる。
「何で!?」
「フッ………ハ!」
錬のナイフが綾美の腹部へと突き出される。
それを綾美は後ろへと飛び、屋敷の塀を乗り越え道路へと飛び出した。
錬はその塀も池のふちにある岩を足場に飛び越える事ができた。
そのまま人通りが皆無の道路へと二人は戦場を変える。しかし、これでも狭い。この程度の広さの道路でこの二人が戦うと、間違いなく周りを破壊するだろう。
錬はまだいい。武器はナイフだ。これで大量破壊などできない。
しかし、綾美………吸血鬼の意思に支配されている彼女にはできる。
しかもここは街中。血を持つ人間はどこにでもいる。『教会』の人間なら知っていることだが、吸血鬼をいかに滅すかは回復させない事に依存する。
そう、たとえ力量で勝っていても総量で負ければ駄目なのだ。
そのため短期決戦。そして戦場を移動させない。移動された場合、その移動先に人が居ないとは限らないからだ。
もし、血液を補給されればまた一からやり直しとなる。それを繰り返せば『教会』の『階位』といってもあやうくなる。
ましてや錬は肉体的能力ならともかく、技量や経験は素人程度だ。
もしここに人がいれば、もう勝てない可能性が高かった。幸運だったのである。
「…………………どこだ」
そう、しかし錬はあの短い時間のあいだに綾美を見失ってしまったのだ。
吸血鬼の能力の一つ、『霧化』で。
これは本来男爵級以上の支配吸血鬼のみが使える能力で、自分の体の一部の分子配列を緩めて気化させる事が出来る。
しかもたとえ気化したあとでもすぐに自分の意思で結合を直すことができる。
おもに回避行動として使われる力だ。
しかし、これが支配吸血鬼に血を吸われ成った、従者吸血鬼が使える力ではない。
それが使えると成ると、彼女が支配吸血鬼から逃げれた理由も察しがつく。
とんでもない、才能の持ち主だったのだ。多分伯爵なみの能力をもっているはずだ。
なんと、皮肉。本来ならヒトとして生きているはずの彼女が、吸血鬼としての最高に近い才能をもっているなど………
真後ろ。
気配を感じ振り返った錬を、後ろから『霧化』を解いた綾美が殴り飛ばした。
「……………ソコか」
シュ!
ナイフが、飛んだ。
しかしその時にはもういない。また『霧化』したのである。
―――大変に、不愉快である。
「…………コロセナイ?」
ナにか、とてつもなく、フユカイだ。
フユカイだ不愉快だふゆかいダ不愉快ダフユカイだ不愉快だ………
「…………………馬鹿が」
ドス。
錬は用意もせず、ナイフを逆手に持ち後ろへその刃先を突き出した。
それは実体化した綾美の腹部に突き刺さる。
「後ろからだけなんだよ。 ワンパターン女」
そのまま錬はナイフを動かし、その傷口を広げた。
錬は血が吹かない事を残念に思っている。血が吹けば、楽しいのに。
「……………ガッ!?」
「たいした血を吸わないで、ここまで出来たことはすごいと思う。が。しかし、無駄だ。お前は何もできない。さぁ。このまま、シね」
錬はトドメを刺そうとして………

別の気配を感じた。

「何処か、で」
そう、どこかで感じたような気配。
そして目の前にいる女吸血鬼なんかより、はるかに強く強烈な気配である。
「鬼、なのか」
鬼の気配に、とても似ている。しかし根元が違う。鬼と似て、実は全く違う存在。
そして、圧倒的なまでの強さと気配。
「………鬼……ガミ?」
そう思うほどの圧力。威圧感。
錬がそちらをむくと、紅い剣を振りかぶり一人の鬼がいた。



キャン!
竜太の振りかぶって下ろした血の剣は、小さな大量生産のナイフで弾かれた。
蒼く輝く魔性の目を持つ男は、そのまま反対手のナイフで竜太へと遅いかかってくる。
それは残った血液パックで造ったもう一本の血の刀で防ぐ。
竜太にとって最初はただの殺人事件だとおもっていた。
ちょうど錬が綾美をナイフで突き刺した瞬間に居合わせたからだ。
しかしそのあとで加害者に見えた錬の瞳を見て、その考えも消し飛ぶことになる。
なぜならその蒼い瞳は、自分も知っているから。
(『破壊の瞳』………なんで、もう、なくなったと思っていたのに………)
そう思っている間にも、男は蒼い瞳を爛々と輝かせナイフをひらめかせる。
たかがジャックナイフで殺されることは無いが、問題はたかがジャックナイフでない事。
使い手が使い手なのだから。
しかし、彼はろくに瞳の力を使えていない。だから、まだ大丈夫だ。
(彼との戦いでの勝敗は11戦中3勝8敗。しかし、勝てるな)
血の刀の切っ先を地面すれすれまで下げて、振り上げる。
単純だが、鬼の腕力が成せる奇襲である。普通の人間には『振り上げる』と言う動作の力で斬る事はできない。
カキィィィン!
錬の右手のナイフが血の刀で吹き飛ばされた。
錬が(何!?)と思う間に残った血の剣が左手のナイフも弾き飛ばす。
そして竜太の拳が、錬に叩き込まれた。
















すがすがしい昼。
しかしの所、かなり全身が痛い。
「筋肉が痛い」
「そりゃそうですよ。いいなり全身の筋肉を限界まで酷使したんですから」
部屋の隅に座っている竜太はそう呟いた。
あのあと、竜太は錬にトドメを刺そうをした時に綾美が目を覚まし竜太に事情を説明したのだ。
そして綾美と竜太は錬を家まで運び、いまこうしている。
綾美は部屋の一つを光を入らないようにして寝ているらしい。
前までと違うのは、この竜太と言う人物が共にいると言う事だ。
らしいというのは、錬は足の筋が切れているらしく立てないせいである。
「でもすごい回復速度です。午前中には回復するのではないでしょうか?」
「………やっぱり…」
「………? どうしました」
「いえ………」
「綾美を助けるには、どうしたらいいのです?」
「………主人吸血鬼。レイ・ゼフィランスでしたっけ? そいつを殺して彼女を解放することです。
 どんなに力があっても、ルールはやぶれませんから」
つまり、そういうことなのだ。
綾美に力があり直接従うことは無いといってもその影響だけは拭えきれない。
たとえ世界最強のK1チャンプでも、K1のルールを上回ることはできないのだ。
つまり、綾美を助けるには彼女を縛っている『衝動』の元である主人吸血鬼を殺して消し去るしかない。
「けど、勝てるの?」
「勝て。 彼女を助けたいだろう。なら、勝つしかあるまい」
「そう、だよね」
ナイフはまだ何十本もある。すぐに体も治る、まだ負けたわけではない。
そして、切り札も。
「ああ、そうだ。竜太さん。 実は取ってきてもらいたいものがあるんだけど…」

竜太は道場に入り、先にそれに目を見張る羽目になった。
台にしっかりと、手入れが行き届いて置かれている鞘入りの刀が置いてある。
ただの一般人の家に、刀があることに驚いたのだ。
それを持ち、錬に渡した。
錬はそれをゆっくりと引き抜く。
紅い刀身の刀を。
「鬼殺し!?」
「『鈴鳴』………息子を放って世界をさまよっているくそ野郎の刀だよ」
錬は忌々しく呟きながらベットから動かず刀を振るった。
刀身の紅はかなり薄い。ロクに浄化されず使われ続かれているのだろう。
竜太から見れば、かなり最悪だ。
こんな状態の鬼殺しで何をしようとするのか?
「誰の?」
「親父。 糞見たいなゴミ」
そうとう嫌っているな。これは。
竜太にしてみれば、親が生きているのは幸福なのだろうが。彼にとっては悩みにすぎないようだ。
しかし彼の怒りを刀身が吸っているように刀身が紅く染まっていく。
そしてベットから立ち上がった。
「!? れ………」
「もう、大丈夫だ」
錬はそういいながら、刀を鞘に収めた。
そしてそのまま歩き出す。
「どこへ」
「道場。 おじいちゃんの、道場」


ザッ!
シャ! シュ!
ザリ。
広い道場。
そこは錬にとって、数少ない『家族』というモノを、そういう暖かさを感じられる場所であった。
昔、祖父に教えてもらった剣術。刀術。ナイフでの戦闘方。
思えば、なぜそんなモノを教えてもらったのだろう。
特にナイフの方は自分の能力を考慮に入れた独特のものだ。
刀も、剣も、そういう配慮がなされている。特有の。戦法。
手に持った刀を風を斬るように振るいながら、左手のナイフを盾のように扱う。
攻防一体の剣術。
流れるようであるかのように見えて、実際はかなり強引な剣術だ。
防御はナイフで受け止めるのである。そう、力を反らすのではなく、そのまま力で受け止める。
普通の人間では使えきれない剣術だ。
そして、祖父もこの剣術を扱える。そして力だけで自分に勝った男。
「ふぅ。 スゥハ!」
斬!
立てられた三つの藁人形の内、一体を右肩から左脇を切り裂いた。
そして振り返り後ろに居る藁人形を上半身と下半身に分ける。
トドメに返し刃で最後の藁人形を『殺した』。
太刀筋は完全に入っておらず、強引にぶった切ったと言うほうが正しい斬り方だ。
いや、叩き潰した。というほうが正しいのか?
料理で言えば包丁でなく棍棒で刺身を切ろうとするかのようだ。
余りにも乱暴な方法。
「すごいね」
「ただの、乱暴だよ。ろくでもない。ね」
そう、これは術なんかではない。ただの暴力の発展型だ。
暴力というモノを直接的にしたような。
それだけの、暴力。
「それでも、だよ」
「………………………」
(何が。それでも、だよ)
怒りと言わんばかりに残った藁人形の破片を刀で切り刻む。
舞う藁が大変不愉快だ。
ナイフを地面に落とし、刀を納める。
そして、刀を納める『カシン』という音で、あれを思い出した。
「しおりって、誰だろう」
「シオリ!?」
「しって、る?」
錬はなぜか、疲れ果てた人間。そう、生きるのに疲れ果てた人間の表情。
「それに、この瞳は、自分は、何なんだろう」
「キミは、キミだ」
「そう、かな」
シャリン。
剣が、唸った。
「………すこし、外出してくる」







「ノ、NOoooooooooooooooooooo!!!」
その外国人は悲鳴を上げた。
手には彼にとっては難解すぎる地図が握られている。ちなみに手製のようで裏に『白見自作』とマジックで描かれていたりする。
「………ド、どウうシテこんナ物をリカイできるのデスカ〜!? 日本ジンはワッカリマセーン」
ちなみに彼の日本語は発音などがでたらめだ。典型的な『日本語慣れ』していない外国人である。
それもしかたない事なのだろう。実は彼が日本に来るのは今回が初めてで、必死に一週間で日本語を会得したのだ。
これだけ喋れれば十分だろう。
ちなみに、地図が複雑怪奇なのは『白見』ことロキが自らの全力を絞り道の横道、細道、山道、畑道………
全ての、普通の地図なら省略されるはずの小さな道まで書ききってあるのだ。
ここまで細かい必要は、無い。完全に嫌がらせである。
男はとにかく、怪しかった。
荷物もそうだが、気配も。そう、猟をするよな狩人の気配。
決して街中では見たくないタイプである。
かれは悩みながら公園へ入っていった。
そして自動販売機でジュースを買い、一気に飲んだ。
いきなりむせる。
驚いて見てみればそれは炭酸飲料であることに気づいた。
自動販売機を見てみると、ほとんど全てが炭酸飲料で占められている。
それを見て男は
(日本、オソルべきデスネ………)
と間違った認識をして、一人でうんうんうなづいた。
(マサに秘境。クレイジーデス。まさかニジョウのナカに罠が仕掛けられているとハ! 吸血鬼もビックリですネ!
 さすが人間。密かに吸血鬼ヨウの罠を仕掛けているとハ、スバラシイ! ハレルヤ! これなら吸血鬼もサッサとタオセソウデス!)
言うまでも無いが勘違いをしている。
そしてそれに火をつけられたかのようにもう一度地図を覗き込んだ。
―――数秒停止。
「ノ、NOoooooooooooooooooooo!!!」
「うるさい!」
ゴォン!
地図の難解っぷりをもう一度見てしまい、悶絶した男に誰かがペットボトルを投げつけた。
中身がたっぷり入った炭酸飲料だ。
それが遠心力をたっぷり乗せて男の頭部へ叩き込まれのである。
かなり痛かったらしく、男は少しの間地面でのた打ち回り、とたんに立ち上がって後ろにあるベンチへと歩いていった。
「ナ、ナニをスルンデス!!!」
「ペットボトルを投げた。これでOK」
「OKジャありまセーン!」
ベンチに座った少年は、彼の面白ろ可笑しいセイフの数々に笑いながら残ったもう一本のペットボトルを開ける。
それは炭酸では無かった。ただのオレンジジュース。
それがどうだというはけでは無いが、男が自動販売機を見ると、そのオレンジジュースは唯一の非炭酸飲料であった。
つまりここで買ったのだろう。
「あはははは。面白い人だな」
「私はオモシロクありマセーン!」
「俺は面白い」
少年はそう言って笑うのを再会した。
それを見て男は不機嫌そうにいう。
「ひどいデス」
「ん………外人?」
「ナンデスカ?」
少年はペットボトルの中身をすこし飲んでから、男を指差し呟き声のような声で言った。
「貴方、どこの国の人?」
「アア。そういうコトデスか。 ワタシ、バチカンから来ました」
「………怪しい」
「酷いデスヨ」
「む………」
少年はそれだけ聞くと考え事に入ってしまった。
それが気になった男が放しかけようとすると、少年は顔を上げて言ってくる。
「吸血鬼って、どうやって殺すの」
「ハァ!?」
いきなりの質問。
それは男にとってはは大変に驚くことであった。なぜならこの男こそ、吸血鬼殲滅のプロ『教会』の最強に数えられる第五階位を持つ、連槍のクロード。
その人だからだ。
担いだ荷物の中には、神槍グングニールが入っている。
つまりのところ、少年が聞いた人物は最高の先生であったわけだ。
しかしクロードは言葉に詰まるしかない。
普通なら銀の弾丸や聖水、白木の杭あたりだが。それ以外にもたくさんそんざいするのだ。
クロード………『教会』の階位が持つ『オリハルコン』製の武器。
『聖十字』の『聖獣』の『異能』能力。鬼殺し。ミスリル製の武器。
しかし後者たちの方は名前程度は歴史やオカルト本に出ているが、実物は欠片も残さず『日常』の世界には出されていなかった。
つまり、口に出すことはできない。
「いきなり、ナンデス?」
「いや。『本家』なら知ってると思って」
どっちの、本家だ。
クロードは内心、あせった。
宗教の中心であるバチカンの、信者の『本家』のコトか。
それとも……………
『吸血鬼』を倒すコトの、『教会』の『本家』というコトなのか………
しかたない。当たり障りの無い所で言っておくか。
「やはり銀デスよ。 愚かな吸血鬼ドモは銀が苦手です」
「そう、やっぱり銀か………銀。銀。家にスプーンとフォークがあるけど………」
(怪しい、デスね)
そう思いながらも、クロードは立ち去っていった。



青い空、薄く青にそまっている雲。
この世界に、真っ白な雲などあるのだろうか?
錬が公園のベンチに座って、思ってみた感傷であった。
まだ世界が赤にそまるには早い。
そんな、時間。
錬はそこで考え続けていた。
『銀』が効くという事は知っている。
前に『バチカン』のヒトから聞いたからだ。
しかしの所、錬が所有している銀など銀食器がせいぜいである。
いくらなんでも、スプーンやフォークで戦うことはできない。しても下手をしたら自分の腕に突き刺しかねない。
つまり、却下。まあ、当然である。
鬼殺しも竜太、皇鬼の表情から期待はできない。
ナイフは家に数十本。………しかしナイフで勝てるのか?
「勝てない。 ナイフで戦っていても、人間という限界があるかぎりジリ貧だ。消耗して動けないところを叩かれる」
実際に暴走していた綾美との戦いで全力を出した結果。足の筋肉が切れるという事態が起きた。
これが戦闘中に起きれば、勝ちは無くなる。
あげればあげるほど絶望的。嫌に錬はなりそうだった。
………こんな状態の自分を。
そして前を見ないままベンチから立ち上がり歩き出して。
誰かとぶつかった。
「うぁあ!?」
しかしぶつかったという事は双方に運動エネルギーがいきわたったというコトである。
つまり双方が体勢を崩すはずであった。しかしぶつかった相手の方は微動たりともしていない。
見てみると、異色だった。気配に、最低でも街中には会わない男であった。
漆黒のコートを、この時期にに着て、長い腰までの銀色の髪を持った長身の男。
………一瞬錬は言葉に詰まった。
まずはコート。この時期には本当に合わない。それなりに暖かい5月に黒の、しかもコートでは熱いというより蒸し暑いはずだ。
しかし、彼は汗一つかいていない。
そして、その髪の毛。どう考えても人間の色素では生まれるはずが無い色である。
しかし茶髪に染めたような違和感が無く、本当に白銀が髪になったかのような色であった。
その姿はどちらかと言うと白みかかった銀の髪と漆黒のコートがお互いをより鮮明にし、このまま大鎌でも持てば死神としてやっていけそうだ。
錬はぶつかった衝撃で後ろに転びながらも、転んで視界がずれる短い時間の間にその男を見た。
ホンの短い間なのに、なぜか鮮明に記憶に刻印される。
それを不思議に思いながらも、錬は急いで立ち上がった。
「すまんな。みていなかった」
「いいえ。こちらもです」
男はその刃物のような好戦的な顔とくらべ、それでも荒っぽい口調で謝ってきた。
それに錬は発作的に言い返す。
実際のところ、下手に暴力を振るったり激怒したりしたら無視して帰る事もできるだろうが、こう親切に言われると逆に逃げれなくなるのだ。
親切のされて嬉しい奴はいつが、怒られて嬉しい奴はいない。と、錬は考えている。
「ええと、お名前は………」
錬は名前を聞いた。とっさにだ。もしかしたら、彼を殺したいのかもしれない。狂っていると自覚しているゆえの反応。
それをしってか知らずか男は名乗った。
「竜伊だ」
「錬です」
錬はその男、竜伊と言った男を観察して、分かった。
―――こいつは、自分では勝てない次元にいる存在だというコトを。
「………トコロで、ナイフから手を放してから会話してほしい」
「……………どうして、気づいた?」
「………感だ」
嘘だ。絶対に。そう錬は感じた。
この男は、どこかで知っているような気がする。正確には近いものを。
「………貴方は、人ではありませんね」
「鬼。だがな。できそこないだ」
「……そう」
できそこない。どこがだ。
はっきり言って、そのら辺の鬼が集団で襲いかかっても返り討ちにこの男はするだろう。
それができそこない。冗談にもほどがある。
「……………吸血鬼を殺す方法を、くれ」
「少年よ。いきなり本題からはいるのはよしたほうがいい。泥沼になる。
 まずは理由から、そして本題だ」
それに錬は目を細める。正論であるからだ。
だから、話す事にした。信頼できそうだから。

「そうか、それでか………で、その綾美という子は?」
「閉じこもっている。 思いつめなければいいけど」
殺しあったというところまで話してから、男から返事以外の言葉がでる。
錬も、それを心配にしていた。綾美は強気に見えて芯は普通だ。
吸血鬼であるという事で苦しんでいるのに、それで恩人を殺しかけた。
下手な人間なら自殺しかねない。普通の人間にこんな事態が起きるわけは無いが。それでも、本来なら普通の立場のはずだったのだ。
それがあの吸血鬼に狂わされた。
だから、その例もかねて戦う。
「………まず吸血鬼の最大の特技は『変形』だ。霧、狼、蝙蝠………あげれば泥沼だが無数の形態を保有している。
 特に霧になる『霧化』は危険だ。上級なら部分的に霧にして絶対的な防御が行える。
 そして『吸血』による『支配』これは『負けた』場合の最悪の事態だ。これだけは避けろ。
 吸血鬼は一種の『現象』の結果だ。血を媒介に魔法を使う魔法使いとも考えていい。
 ………それゆえに通常の攻撃は通用しない。
 突破するには魔法か、魔術か………特殊な素材の武器を使うしかない。しかし、これは手に入りにくい。
 銀などが代表だが、高価だろ? お勧めはしないな。 ………だから、コレをやる」
竜伊は息継ぎは短く言い尽くした。
早いくせに聞き取りやすく、このような口が多いのが彼の本来の姿なのかもしれない。
それは彼が鬼として、独りで長い間生きていたときの癖である『独り言』の延長線上の物であった。
独り言などで鍛えられた口の筋肉や肺が生かされている。 ………あんまり嬉しいものではない。
そして彼が取り出したのは、一本のナイフだった。
鞘は手作りの鉄製で、黒光りする黒鉄でできていた。錬はそれを彼から受け取ると、鞘から刀身を抜く。
………薄い青を纏った刃が出てきた。
形状としては、薄すぎる。無数のナイフを見てきて、実際に使っていた錬が故に理解できた。
薄さは素人目には普通であろうが、先端に行くほどすこしずつ薄くなっている。そして先端は鋭く洗練されていた。
これでは鉄に当てるだけで変形してしまい使い物にならない。その上、簡単に折れるだろう。
しかしそれは『斬る』場合だ。この形状と加工は間違いなく『突く』ために計算して作られたナイフだった。
そもそも剣は『叩き斬る』、刀は『切り裂く』、ナイフは『突く』ための武器なのだ。
それから考えれば模倣的なナイフの代表的なナイフだろう。
………それだけだ。
「………ただのナイフじゃないですか?」
「ん? お前の目ではわからないのか? ………視界を媒介にする『魔法』だと思ってたんだが………違うらしいな。
 ………普通と違うのは『素材』だ。 ミスリル。魔法金属と神話にでてくる特殊な物を使っている。
 それなら吸血鬼も殺せるはずだ。 ただし、表に出さないためにも壊されたら回収してくれ。
 どこかの誰かが拾って、一般の人に研究されるとまずい。新種の合金の出現。新しい原子の発見。そんな感じだ」
………隠されているのか。
彼の発言から錬が理解できたのは二つだった。
鬼というのは、実のところ『裏』には認識されているというコト。
そして、それは『表』に鬼などの事を『見つけ』させていないという事だ。
こんな事は小さい組織ではできない。世界全てから隠すなど………
つまり、世界規模のそういった組織があるという意味なのだ。
しらず知らずのうちに、とんでもない人に会っていたらしい。
「………がんばれ少年」
「じじくさい」








5月20日 午後8時30分


夜。
錬が家に帰ってきたときにはすでに竜太は居なくなっていた。
それはどうでもよかったが、問題は居間に出てきていた綾美とあってからだ。
今、錬は向かいの席に座って顔をあわせているが、どちらからも話しかけない。
………気まずいという状況である。
それもそうだろう。両方とも自分の意思を離れた暴走状態だったとはいえ、殺しあってしまった仲だ。
これでなれなれしく会話できたら、どんな神経をしているのか疑ってしまう。
つまり、二人は会話をできるような精神状態では無かった。
そんな中二日が過ぎようとしていた時、綾美から話しかけてきて今の状態になっているのであった。
そして今、ちくたくちくたく、と小さい筈の時計の音が暗い、明かりがついていない部屋の中を支配している。
「ねぇ」
「………大丈夫だ」
「……………」
「お前は………お前だ。最低でも、今は」
「……………そう」
「そう、だ」
錬はそう言って、椅子から立ち上がった。
もらってから、貰ったことを忘れていた、ミスリル製ナイフを取り出して闇の中輝かせる。
青い光が、部屋の中に走った。
ダカン。
何かが倒れる音がした。
錬が条件反射でその方向を向くと、綾美が椅子から転げ落ちている。
錬は駆け寄ろうとするが、それを綾美自身が止めた。
あまりにも悲痛に満ちた金属をこすり合わせたかのような叫び声。
「こ、来ないで!!」
「どうしたんだ!? オイ!」
「な、なにか、なにか分からないけど……………怖いの!」
「何!?」
綾美の口調にも、状態にも行動にも演技の気配は全く無い。つまり純粋に恐れているのだ。ナニを!?
自分を? 錬は一瞬思ったが、それならそもそもこんな会話だってできないはずだ。
なら、なんだ!?
数日までと違うもの。それは、一つしかない。正確には変わったものはたくさん会った。だが、致命的に恐れそうな物は一つしかない。
『それ』を投げ捨てて綾美に走った。
今度は綾美は恐れない。
綾美を起こしてから、綾美と共に、『それ』をみた。
………竜伊にもらったナイフを。
「………まさか……… 綾美。 怖いのは………アレなのか?」
錬は確信していたが、あえて疑問詞で聞いた。
綾美はできるだけナイフを見ないようにしながらも呟く。
「う、うん………」
「ミスリル製ナイフ………本当に、効くらしいな」
なぜ綾美が理由が分からないのに恐れたのか分かった。
このナイフは、いや素材そのものが吸血鬼にとって『恐怖』そのものなのだろう。
つまり、このナイフは効く。
「………………」
寒気が、した。






5月20日 午後10時50分


あの会話の後、錬は気分が悪かった。
何もかもが自分の手で進んでいない。最初の綾美では自分の意思だった。しかし吸血鬼、竜伊………共に自分にやれるだけ影響していなくなっていく。
まるでエスカレーターで流されながら加工されていく商品のようだ。
それだけでも嫌な気分になってくれるのに、それとは別のモノも存在する。
吸血鬼が言った。『シオリ』という単語、いや名前。
栞、詩織……………そのまま漢字にすればこうなるだろう。
しかし、違うような気がする。それがただの名前なら、あんな発作が起きるわけが無い。自分の、この忌々しい瞳となにか関係があるはずだ。
思えば、この瞳はいつからあったのだろう?
記憶にあるうちでは、最初からあった。なら、成長するにあたって消えていってしまう幼児の頃なのだろうか?
………それも、違う気がする。いつから、なんだろう。
刀を使い素振りでの訓練をしながら、その名前を呟く。
「しおり………シオリ…………………し………死織」
死織………
突然、そんな漢字を当てはめた。自分らしくも無いが、なぜかその漢字がぴったりはまっている感じがした。
そしてそれに感化されたかのように、空を見上げた。
瞬間。錬は混乱した。
月が、蒼い。 蒼? 馬鹿な!?
そうである。月が蒼に染まるわけが無い。そもそも………今日は上弦………欠けている月のはずなのだ。
なのに、なぜ満月になっている!?
「錬!?」
綾美が叫んだ。
錬の訓練を笑顔で見ていた彼女も、彼の異常に気づいたらしい。
すぐに錬の肩を掴んで振り向かせる。
しかし、錬は綾美を見ていなかった。呆然と、そらを見ている。
「錬! 錬!」
「……蒼い、満月が、蒼い………」
「何言っているの!?」
綾美が月を見た。月は白く、そして上弦である。錬の言っている事は、矛盾していた。
「あらあら、久しぶりに顔をあわせてみれば、まだ『分かって』無いの。 つまらないわね」
誰かの声がした。
呆然としている錬とは別に、綾美が声の方を向く。そこには、女がいた。
長いつややかな黒髪、すこし細めの黒い瞳、日本的な美人というべきだろうか? しかし、服装が今とは非常にかけ離れている。
黒い単衣だった。昔の着物が服装であったときに、女性の下着のような立場にあった服だ。ただでさえ着物を来ている人は少ないのに、単衣だけは皆無であろう。
単衣だけだと、ふとした仕草で露骨なまでに体の線が見えてしまう。
しかし、何処と無く艶やかな気配を破壊しつくしていたのは、その手にもたれた漆黒の小太刀であった。
何故か暗闇の中なのに、同じ黒のはずなのにその小太刀は視認できた。それに黒だけではない。紅い、血のような赤も存在するような気がする。
それに、その雰囲気も、まるで世界の支配者になったかのような圧倒的なまでの自信があふれ出していた。
常人では、無い。
「しかも吸血鬼が一緒。 まったく、吸血鬼を殺すのは飽きたんだから別の生き物が出てほしいわよ。ところで、貴方、何?」
「だ、誰なんですか!?」
「貴方、錬の何?」
綾美が一方的に言ってくる女に対して叫んだ。その怒りの言葉には誰もが一瞬だといえど謝罪の言葉が浮かぶはずだろう。
しかし全くその気配は無い。隠している可能性もあるが、そうではなさそうだ。最初から気になんかしていない。
「だから何なんです!!!」
「恋人? 友人? 親友? それとも別の何か?」
とんでも無い言い草だ。いきなり初対面の存在に言うような言葉ではない。
それでもなれなれしく、いや、親友に聞くような喋り方ある。少なくとも向こうはそう思っているらしい。
迷惑な話だ。
「あなたは!?」
「まあ、いいわ。 死んで花でも咲かしなさい」
ジャ!
そう言って黒い少女は小太刀を振りかぶり、自分が立っていた壁から飛び降りた。
枯れた池のふちに埋まった岩の上に、音も無く着地する。軽い、羽毛のような行動である。
しかし、その肝心の羽毛は黒い。黒さが8、血の色2の毒々しい赤黒い気配を持つその少女自身はその神業的行動に顔色一つ変えていない。
さも当然のように。
「さぁって………まずは駆け足…………… 狙うのは、頚動脈」
「―――!?」
頚動脈。首にある人体急所の一つ。知識さえあればシャーペンでもここを突き刺すことにより人間を殺傷できる。
その人体のもっとも危険な動脈を『狙う』宣言して、綾美は首を左手でかばった。
直後、黒い少女の姿が掻き消える。
ザク!
綾美はその音の後、腕が半ばまで深く、鋭く刃物で切り裂かれた自分の左手を見て驚愕した。
後ろの方に、黒い少女は移動していた。そう、超高速で移動して綾美の腕を―――正確にはその下の首を狙ったのだろうが―――切り裂いた。
そしてそのまま駆け抜けたのだ。
原理的には簡単極まりない。しかしそれを実行するのは人間では不可能だ。
なら―――
「今、アナタはわたしを『鬼』か『怪物』だとでも思っている。 残念。わたしは人間よ。
 少なくとも、血を吸って生きる『怪物』よりはね」
「―――アンタ………!!!」
「あら。 図星?」
黒い少女はわざと綾美自身が嫌う『自分が吸血鬼』という傷跡を抉って、クスと笑った。
そしてその後の綾美の反応を見てさらに笑みを深くして言う。
綾美にとってはこの上なく、屈辱的だ。
「死になさい!」
「あら殺す? そして自分が化物だとでも宣言するの? え」
ざり。
黒い少女は今度は片足を深く沈め、もう片足を後ろに伸ばす。まるでマラソンのスタートのように。
それが何かは、綾美にはさっぱり分からなかった。ただ、彼女が放つ血と死の気配がより濃厚になる。
「次は―――走る。 両断するわ。左腕を」
ジャリ。
ダ!!!
バシュ! ドン。
その瞬間、綾美は止まった。
空を舞う自分の左手。内臓の赤と骨の白を断面に見せながらくるくると空を舞っている。それを霧状になった血が飾っていた。
残虐にして血生臭い光景。しかし、鮮烈なまでに赤が目に残る美しい光景である。第三者から見れば、だが。
自分の腕が吹き飛んで、当人が美しいなんどと考える暇が有るわけが無い。
その光景を見て。岩まで戻った黒い少女は、あまりにも残虐で嗜虐的なのに可愛いと表現してしまいそうな艶のある笑みを浮かべていた。
顔と単衣と素肌と………表面上を血の赤と朱、紅で染め上げ血の気も無くなる様な姿をさらしている。
しかし、彼女はまるで性行為で絶頂を味わっているかのように、顔を朱に染めていた。
死が、そして血を体に感じる事が快楽なのだろう。殺人狂でも、ここまで酷く醜くは有るまい。
綾美は反応がえらく鈍くなっている思考の中、それだけの事を観察して腕をキャッチした。
急いで傷口と傷口をくっつけて再生を待つ。
「いいわねぇ。 何度も斬れて、壊せて、殺せて。 あぁあ………本当に、いい」
「危ない人!」
腕が張り付いたのを確認してからそれをあわせていた右腕を離し、こぶしを握った。
きけんだと、認識した。
そう、綾美はやっと認識できたのだ。目の前に居るこの女は危険だと。
「そうね。 みんなそう認識するわ。わたしを、けど。どうなのかしら? 危険ではない人間なんて、何処に居るの?
 みんなみんなみんな………いつ爆発するか分からない爆弾なのよ。 いつでもどこでも、弾けるきっかけをほしがっている。かもしれない。
 わたしは、そうよ」
危険な口調で、ベクトルの言葉をつむいでいる。
それはまるで破壊的な思想の狂信者のそれであった。
そして、錬も。
「そっか。そっかそっかそっかそっかそっか………お前か」
軽いくせに、かなりの力がこもった腕が綾美をむりやり移動させた。
その前に、蒼い瞳の錬が進んだ。
「お前が、今の」
「なんだ………奴は、夜月は出てきてないのね。 よかった」
錬自身は刀をガチャリと引き抜きながら、ギチリと笑みを浮かべる。
その凄惨な表情に綾美は数歩引く。
「そうよね。自己紹介するわ」
黒い少女は自分の小太刀を腰に納め、そらの上弦の月を見上げてから、言う。
「私はしおり。 死織凛」
しおり………?
その名前を聞き、綾美は錬を見る。
錬は目を細め、くちびるを結び死織を見ながらぎちぎちと歯の根を鳴らしていた。
いつ暴走しても可笑しくは無い。いやもうとっくに『キレている』のだろう。唯単に暴れださないだけだ。
綾美はそれを見てから、できるだけ音を立てずにすり足で交代する。
それに反発して、錬は前に出た。
「名前は聞いてない。 お前は俺の何なんだ? お前の名前を聞いていると、心が針が刺さったみたいにちりちりする。
 とてもとてもとても不愉快だ。だから、壊させろ」
「自覚してないのね。 無意味な事よ」
葉子はくるくると小太刀を指で回しながら、その顔の前にかかっていた黒髪を手で後ろに流した。
この夜に流れる風にその長い黒髪を遊ばせながら、あどけない笑みを浮かべて薫は言う。
「アナタは、私に、絶対。負ける」
「試せ!」
ザン!
錬が砂を蹴り走り出した。
一気に岩、凛の所まで駆ける。その間に凛は後ろに飛んで塀の上にたった。錬は岩を足場に一気に塀にまで登る。
ギィイイン!
錬の刀と凛の小太刀が拮抗した。
それに凛はすこし顔を驚かせ錬に顔を向けて言う。
「いい刀じゃない。 名前は?」
「『鈴鳴』……… 鬼を殺すための、刀だ!」
「そう。でも、無駄」
左袖からも小太刀を取り出し、凛は錬に振るった。
錬は刀の柄でそれを弾く。そして、隙ができる。
そしてその隙に凛は塀から飛び降り、駆け出した。
「に、逃げるなぁぁぁっぁあああああああ!!!」
だぁ!
錬も塀を飛び降り、走り始める。
「錬!」
綾美は叫んだが、錬には聞こえてなかった。








5月20日 午後11時03分


ザ!………
錬は今、山道を駆けていた。
今もはしり、自分が追いかけている死織を追ってである。死織も時々後ろを振り返り錬を見ながらも走っている。
その差はたいして無いが、しゃれにもならないタフさだ。
錬はすでに息切れをしており、ほとんど何処からか、自分の中から湧き上がる執念。『絶対壊せ』という、ただそれだけに身を任せて走っている。
なぜだか、それに身を任せていれば辛くは無かった。むしろ見失ってしまう恐怖の方が大きい。
それゆえに、こわれそうな体を動かして走っている。
しかし、このままでは追いつけそうに無かった。
(何か。 何か! 何か!!)
そう、このいたちごっこをどうにかする方法を見つけなければいけない。
このままでは無理している自分の方が先に参ってしまう。追っている方という優位な条件を生かした何かをしなければいけなかった。
走りながら服のポケットを探る。
ハンカチ、ティッシュ、ボールペン。
(くそ!)
ろくなものが無い。どれもこれもこんな状況ではゴミ屑だ。
それらを放り捨てながら、上着の内ポケットを探る。そして、その中で金属の感覚を指先に感じた。
(―――!)
それを取り出して見れば、黒鉄の鞘であった。そう、竜伊から貰ったミスリル製ナイフである。
錬はとっさにそのナイフを引き抜き、走るのを止めて構えをとった。その気配を感じて凛という名前の死織は振り向くが、遅い。致命的に遅かった。
「死ねぇぇぇぇえええええ!!!!」
投擲。
死織は回避行動を取ったが、そのナイフは左腕を引き裂いた。
「―――っ!!」
「浅い!?」
そう、ナイフは左腕を半ば切断していったが胴体や『殺せる』所には当たらなかった。
しかしその衝撃で死織は体制を崩し、駒のように回転して地面に倒れていく。
そして、地面を血でぬらしていった。
「しめた!」
錬はその隙に刀を抜き、走って行く。あの無防備な体制なら確実に殺せるからだ。
そして顔を喜悦にゆがませ、錬は切りかかろうとして………
何かに吹き飛ばされた。
「ガ!」
「甘いぞ。坊主」誰かの、声。
ザ、ザザザ、ザザザザザ………
地面に何回か腕や足をぶつけながらも、錬は受身を取って即座に立ち上がった。
そしてその妨害者を見つめる。多分、ドイツあたりの人間だろう。
左の頬から走ったかなり深めの切り傷があり、その傷は鼻の上を通過して右目を開けれなくしている。錬にとってみてもかなりの腕前の人物が行った切り傷であった。
残った左目の眼光は鋭く、獅子を連想させる。それも、飢えた野生の獅子だ。
背がかなり高く、その異質な気配に錬は身を振るわせた。
錬には何が、どうしたのか分からない。
男はゆっくり歩いて来ている。そう、歩いて来ているのだ。さっきまで距離はかなり離れていたのである。
なのに、どうして攻撃を受けたのだろう?
「何だ。お前」
「ゼロ。 永遠を手にいれようとしている男だ」
「馬鹿が」
錬はそくざにそう罵り、立ち上がる。
そしてゼロとやらは顔を憤怒にそめた。
「何!?」
「永遠? はぁ? 馬鹿か。 そんなもん、何処にも無い!」
「………死ね」
「ハハッハハハ!」
こいつ………
錬はかなり狂気にとらわれていた。
死織を逃がされた。それだけの理由でである。
自分の視界がどす黒い穢れた醜い緑に犯されていく事にも気づかず、錬は笑った。







「錬さん………」
夜。それは本来、綾美が『されてしまった』存在には自分の時間。自分が力を存分に振るえる最高の時間のはずであった。
しかし、とてつも無く不安である。
まるで見えない腕に心を締め付けられているかのようだ。
先までの戦いによってまだ、この庭には血生臭い何がが漂っている気がする。
それだけでは無い。
死織凛と言う女性の血の赤と死の黒、そして骨の白で出来たような濃厚な死が、
秋雨錬と言う男性の血色と獣の狂気、そして血の命で出来たような濃厚な破壊が、まだここには存在しているのだろう。
どちらも、吸血鬼とは次元が違う。
殺すことを極めた女。壊す事に手馴れた男。似ている気がする。
そう、その行動やその奥が似ているのだ。どちらも、しいていうなら死織とやらの言葉や行動は暴走している錬とほぼ同じである。
そして、どちらももう片方を敵視しているところも。
「もしかしたら………」
同じなのではないか?
錬と、死織とやらの力の源は。







錬は鈴鳴をふるって、ゼロと対立していた。
ゼロも錬も、まだ攻撃行動を行っていない。しかし錬にはそれが気に喰わなかった。コイツのせいで、死織を見うしなったというのに。
だから、言う。
「言っておく事があるゼロとやら」
「………」
「お前と戦うのは、実際。   物のついでだ。二度とでしゃばるな三下」
「死ね」
もう、言葉は意味をなくした。
言葉とは毒である。薬も毒の一種である。うまく使えば心を癒すだろう。それを使った歌は心を振るわせる。だが、それゆえに悪い使い方をすればこういう事がおきる。
他人と他人を、敵と敵。向ける感情を敵意と殺意に変える負の感情の最高にして最悪の発火剤として。
先に動いたのは、錬であった。
刀を突きの構えにして突撃する。
しかし、それを繰り出した瞬間。言われも無い。『嫌な気配』を感じた。
そう。しいて言うなら背中に氷水をかけられたかのように背筋が冷たくなるのだ。
その警告に従って、錬は後ろに刀を振るった。
獣が、襲ってくる。
それは黄色と黒の毛皮を持った獣。虎であった。
とっさの判断で錬はその虎の目に刀身を突き刺す。錬には何の物質で作られているのかわからない刀が、そのまま虎の頭部を貫通する。
血も何も無く、ただ黒い何かのみを噴出して、死んだ。
「………なんだ」
錬はこんな動物がいるなんて考えたことが無かった。
黒い血液、いや液体で生きている動物など。聞いたことすらない。
これでは、こんなコールタールじみた液体で生きているように見えるじゃないか。
「永遠の材料だ」
「コールタールが?」
「そう貴様には見えるか」
「それ以外の何に見える?」
「単純だよ」
そう言って、ゼロとやらは微笑んだ。
トンボのはねをもぎ取って喜んでいる子供のように。その子供のような無邪気で邪悪きわまる笑みを。
「吸いカスだ」
………罠か。
そういうコトだ。死織が逃げたのも、この罠に自分を陥れるため………
それに気づいた錬は、笑い始めた。
「あはははああはははっははっはははっははっははははっはははっははっはっははあはははっははっはっはははっははっはっははっはっはははっはっはは
 あハッは八ハハッハハハは八ハッははっははっははっははっはっはははあはははっはっはっはっはははっはっはhっはっはっははっはははっはっはは………」
狂ったかのように、錬は笑っていた。
それに、木々の陰から現れた始めた無数の獣達とゼロは引く。
ここまで濃厚な『狂気』は、たとえ狂った人間でもそうそうだせない。
圧倒的な破滅の気配、それを出しながら錬はいつの間にか下ろしていた顔を上げた。
蒼い瞳が、闇の中に輝く。
「壊してやるよ。そうさ、そうさ。壊してやる」
そう言って、空を仰ぎ、自分と死織のみに見える蒼い月を見ながら言った。





「お前を、壊してやる」









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