子供の頃、戯れに蝶の羽を千切ってみた事がある。

 自分が飛べないのに、自分よりはるかに小さな虫が飛べる事が不愉快だったからだ。

 思ったとおり、羽を千切った蝶は地面に落ちた。

 惨めに地面を必死になって這いずる姿に、子供でありながら他者を踏みにじる快楽に震えた。

 

 

 

 『■―― だめじゃない蝶を苛めちゃ』

 

 

 

  優しい少女の声、それに彼は不快感を覚える。

 せっかくの楽しみに水を差されたと思ったからだ。

 だが顔にその邪な思いを出さず、歳相応の声で答える。

 

 

 

 「だって羽、綺麗だったんだよ」

 

 

 

  普通の子供のように振舞う、そうすればこの愚かな女は簡単に信じる。

 子供の悪意ある行動は無邪気から来るもの―― そう信じきっているからだ。

 だれが思おうか―― ■はすでに大人と同じ、ある意味ではそれよりも汚らわしい悪意を孕んでいると。

 今、善意を持って話しかけている自分が、心中では愚鈍と笑われている事を。

  そのことを思い、思わずこの愚か者を彼は思わず許してみた。

 不愉快な行動が多いが―― ここまで愚かなら帳消しにしてもいい。

 

 

 

 『でも、蝶が可愛そうでしょう?』

 「はい…… ごめんなさい」

 『うん、よろしい』

 

 

 

  ごめんなさいといっただけで、女は怒りを納めた。

 便利な言葉だなと思いつつ、簡単に騙される彼女に、今度は憐れさすら覚える。

  ■が悪意の化身だというなら、彼女はその真逆にいるといえた。

 彼が汚毒の黒なら、彼女は清浄な白。

 ある意味、宝だ―― ここまで綺麗な白はそうそう存在しない。

 

 

 

 『そろそろ暗くなり始めるわ―― 帰りましょう』

 「わかった」

 

 

 

  今の自分達はまだ黄昏時に外へ出ることは許されない。

 まだ十分明るいが、その明るいうちに家に帰らないといけないのだ。

 そうしなければ自分達は――

  なんて、惨めな存在なのかと、彼は自分を笑う。

 夜と昼の境目に存在を許されない自分達―― 極端な光と闇を持つ故に、その境目に呪われた者。

 同時に光と闇に愛された神子であり、もっとも許されざる罪人でもある。

 

 

 

 (あはは、いいんだか悪いんだか…… 好きでこんな体で生まれたんじゃあるまいに)

 

 

 

  帰り道を歩きながら夢想する―― この生活がいつまで続けられるのだろうと。

 いつか自分達は光か闇か、そのどちらかに片寄るだろう。

 その結果がどうなるかは分からない、しかし今みたいな楽園じみた人生は終わるはずだ。

 永遠なんて無いと、幼子でも彼は知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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縁 ■輪 

    ■の 輪 ■ 目 罰を受けよ

 

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 ――存在確立の復元を

 ――急げ! このままでは

 ――呼吸が、だれか呼吸器を

 ―――血が足りなんだ! 近くの病院からもってこい!

 ―――やだ、死なないでよ!

 ―――死にたくない! 死にたくないよぉぉぉぉ!

 ――…! …!

 ――なんとか、復元できたが

 ――何を、とりもどせなかったんだ!?

 ―――痛い痛い痛い……

 ―――俺の腕、どこだよ! どこいったんだよ!

  悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴

  怒号怒号怒号怒号怒号怒号怒号怒号怒号

 怒号怒号怒号悲鳴悲鳴怒号悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴……

 

 

 ――■! ■!

 

/*

  無数の、声が聞こえた。

 まるで声の雪崩、意味のある言葉は同じく意味のある言葉に飲まれてその意味を喪失する。

 必死の言葉は無力、同じく必死の言葉は同じように存在して互いが混在する事は出来ない。

 ミルクとコーヒーは混ざってしまう、同じ器に入れて個々を保つ事は出来ない。

 器は室内、少し広く見て器は建物、少し広く見て器は地域、少し広く見て器は県、少し広く見て器は国。

 世界は混沌している、どこにも境目はなくその境目を強引に作り上げていく、それが他人を傷つける。

 ヤマアラシだかハリネズミだかのジレンマ、そして互いは距離を保つ事がいい事を知る。

 触れれば傷つき、離れればむなしく、世界は煮える。

 人は独りではないのに一人でなければいけなくなる、世界は混沌。

 一人だけでも自身の心で引き千切れる、光と闇、正義と悪、罪と罰、幸せと苦しみ、希望と絶望。

 真逆ゆえに互いが居なければ消えてしまうのに一つとなれば同じく消えてしまう概念。

*/

 

  そして自分にある意味は罪     汝は罪人。

 罪を受けよ、境目を抜けた事への罰を受けよ。

 己の罪は真逆でありながら存在する事   お前は罪人。

  だから呪われた 死死 だから苦しむ 死死死 だから消えていく、だから

 いやだ 死ね いやだ 死ね死んで償え、贖罪が無量数あっても無価値、死んで償え。

 お前がいるから全てが悪い、お前が世界を狂わせる、だから死ね。

 生きる価値の無い存在はいる、おまえだおまえだおまえだおまえだおまえだ

 

 

 ――■! 錬!

 

 

お前がいるから全てが悪い、お前が世界を狂わせる、だから死ね。

 生きる価値の無い存在はいる、おまえだおまえだおまえだおまえだおまえだ。

 死を持って償え世界の全ての争いに、キサマのせいだ。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 世界は法、法は絶対、秩序を乱すものは断罪せよ。

 有価値なモノが腕を折られたら無価値なモノの首をへし折れ、有価値なモノが指を切られたら無価値なモノの首を切り落せ。

 お前は無価値で世界は有価値、だから無価値なモノのみが死で償え。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 キサマが罪人だ、罪人は処刑せよ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せないならお前が自害せよ、死ね死ね死ね。

 この憎しみ、この憎悪、千万無量数の言葉でも言い表せれまい。

 だから―― 償え、死を持って。

 

 

 ――錬! 目を覚ましてよ!!!

 

 

 死ね だれの 死ね 声 死ね なんだろう 死ね

 死ね 五月蝿い 死ね 黙れ 死ね 彼女の 死ね 声が 死ね 聞こえないだろう!

 死ね あ 死ね や 死ね み 死ね あや 死ね あやみ 死ね 綾美!

  黙れ 死ねと言っている! 黙れ 何で死なない! 黙れ! 何でしなない 黙れ黙れ黙れ!

 何でしなな 五月蝿い! 何でしな 黙れって、言ってんだ! 何で 消えろ邪魔だ!  消えろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  俺は、彼女に―― 言わ な  い   と い      け   な   い   こと   が……

 

 

 

 

 

 

 

 

  あるんだ。

 

 

 

 

 

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縁の指輪 

    五の指輪 十刻目 『錬』崩壊 器より零れ落ちたモノ

 

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  世界が腐って見えた、何もかもが酸素と結合してどろどろに溶けている――

 まるで何年も放置して腐って液状化した野菜のような汚らわしい姿。

 でも、それが寝起きの幻である事はすぐに分かったのに、その穢れの醜さは簡単に拭えなかった。

 まるで脳裏に焼き付けたみたいに、こびりついて消えない。

  だが実際に見えたのは汚れが全く無い、飾り気も無い白い天井―― 周囲を見て、そこが病室だと分かった。

 しかし明らかに想定されている人数以上の人物が押し込められており、今も彼らは何らかの傷の手当てを受けている。

 むしろ戦場などの野戦病院のほうがイメージとしては近いだろう。

 聞こえてくる苦痛の声や怒号、悲鳴もそれを思わせる。

  錬はぼやけた思考の中、誰かを探そうとしていた。

 まだ具体的な名前が思い出せないが、とても大事な人だ。

 思い出せない事に自分を罵りながらも、錬は探そうとする。

 しかし探すまでもなく、その人は自分の手を、優しく握っていた。

  ――すぐとなりに、綾美はいた。

 

 

 

 「錬、錬―― よかった……」

 「あや……み、そっか…… 助かったんだ」

 

 

 

  泣きそうな顔をしている彼女の、その頭を無意識の内に撫でていた。

 何故だか自分のために泣いてくれる彼女のことが、世界でもっとも愛しい存在に思えるから。

 だから彼女を守るためになら何でもできるなんて思うのは、異常なのだろうか。

 多分、それは――

 

  お前が罪人だ。

 

  ギチリと胸に食い込んでくる、あの声が消えない。

 でもそれでもいいと思えた、この暖かさを守れるのなら…… 守れるなら――

 

 

 

 「心配、させちゃったな」

 「全くだよ、とても心配したんだよ」

 

 

 

  無理に取り繕って明るい口調で喋る綾美。

 それは第三者からではなくとも、目の前にいる錬から見ても悲壮感に溢れている。

 悲しく、むなしい笑みだった。

  だが、それは相手を安心させたいと思うからこその、必死の微笑だ。

 誰も笑えない、笑う権利など無いそういう微笑み……

 

 

 

 「どうやら目が覚めたようだな」

 

 

 

  そんな彼らに誰かが声をかけた。

 声だけでも意外と誰か分かるモノだな、と錬は何となく思う。

 振り向かずとも見ずとも、相手がカルである事は分かった。

 だが念のためという事で、重い体をなんとか動かして錬は声の方を向く。

 視線の先にいたのは別に何の問題もなく、カル本人だった。

 

 

 

 「錬、何とか助かったみたいだな」

 「ええ、まあ大変でしたけど、何とか」

 「何が大変だ、お前は真剣にヤバイ状態だったんだぞ」

 「――?」

 

 

 

  彼が何を言っているのか、最初は分からなかった。

 そして今更ながら動き出した頭が、今までの事を思い出していく。

 ゆっくりと、アスラルの車でこの場所に着いてから、その後の事を思い出していく。

 完全とは言いがたいが、何とか思い出していき―― やっとの事で、ゼロとの戦いを思い出した。

 そして、その後に自分に起きた怪異の事も。

 

 

 

 「そっか…… 戦いの後、体が言うコトを聞かなくなって……」

 「ああ、その事なんだが――」

 

 

 

  そこまで口を開いたところで何かに気づいたらしく、カルは錬の後ろを見て手を振るった。

 突然何を、と錬は言いそうになったが、誰かを呼んでいるのだとすぐに分かった。

 なぜなら彼が口を開き、誰かの名前を呼んだからである。

 その姿は子供が知り合いを見つけて呼んでいるようで、少し錬は苦笑を漏らした。

 

 

 

 「こっちだ、こっち、祐騎! 錬はこっちにいるぞ」

 「カル! 怪我人が多いのだ、少しは大人しくせよ!」

 

 

 

  変な口調だった、声は少年とはいかないが若く、青年に入った頃ぐらいだろう。

 しかし老人じみた言葉の数々が、声の若さと混じりあい変な口調として完成していた。

  錬はその独特の口調に興味を覚え、カルの手を振るう方向を見る。

 その先では、軽快な動きで混雑する人並みの中を抜け潜る少年が居た。

 だが、その動きよりも、錬はその姿に、その外見に―― 驚愕していた。

 

  ――お前がいるから全てが悪い。

 

  吐き気が、する。

 何で、その姿をしているのかと、悲鳴をあげたくなる。

 

 

 

 「ふむ、何とか助かったようだな、全く…… 悪運が強い男のようだな、秋雨」

 「……え……?」

 

 

 

  だが目の前で喋る『彼』の声に、錬は今まで感じていた罪悪感よりも違和感が強まった。

 彼は男だ、当然だろう―― なのに、自分の知っているその姿は、吸血鬼と化して目の前で死んだ少女のものだ。

 何で、そしてなんで自分を知っているような声で話す――?

 何か大事な事を忘れている、それは何だ、思い出せ錬……

 必死に錬はそれを思い出そうとして―― 思わず、口を開いて疑問を述べてしまった。

 

 

 

 「お前…… 誰だ?」

 「れ……ん? 何を言っているの、彼は私の弟の祐騎じゃない」

 「その通りだ、何を呆けている。 脳みそが氷付けにでもなったか?」

 「……そういう事か……」

 

 

 

  錬の何気も無い言葉に、彼らは真逆の反応を示した。

 何を言っていると困り顔の二人と、何かに納得している一人。

 そしてその中でただ一人、錬が問いかけた事の、正しい意味が分かるカルが口を開いた。

 

 

 

 「いいか、錬…… お前は一度、存在崩壊を起こしたんだ」

 「存在崩壊?」

 「……分かりやすくいえば、お前は“壊れたんだよ”」

 

 

 

  その言葉に、顔を青くしたのは錬ではなく綾美だった。

 あまりにも唐突無い言葉に、むしろ錬は実感が湧かったのである。

 だけど綾美は今までの錬を見ていた、だからこそカルの言葉の意味が分かったのだ。

  意味の無い言葉を―― いや、言葉にもならない何かを叫びながら、錬は自分を壊そうとしていた。

 何度も何度も腕をコンクリートの壁に叩きつけ、頭を同じように叩きつける。

 血が流れてもそれを止めない、何とか鎮静剤を撃つ事によってやっと止める事ができたのだ。

 その姿が、壊れていないと誰が言える―― 間違いなく、その瞬間、錬は狂っていた。

 

 

 

 「何をお前がやったかは聞かない。

  だがそれによりおまえ自身が自分を見失ったことで―― 錬という存在が崩壊した」

 「……だから、祐騎の事を忘れたの?」

 

 

 

  綾美が、カルの言葉に呆然としている錬の代わりに答えた。

 ただ、知らない他人の事を聞いた、それが何で自分の問題に―― 新しく背負う事になる苦しみに変わるのか。

 それを受け止めたくなかったからの、醜い逃避。

 だが錬のそれを感じつつも、綾美は、だからこそ聞いた。

  逃げていては駄目だ、立ち向かうしか乗り越える手段は無い。

 何度も何度も、今迄で思い知ってきた事だ。

 それを説明されずとも、綾美の行動が錬に教えてくれる。

 だから今度こそ、カルの言葉にしっかりと耳を貸す事が出来た。

 

 

 

 「……ああ、そして今回はここまでで崩壊はすんだが……」

 

 

 

  カルの言葉は、異世界の魔法の言葉のようだった。

 だがその言葉一つ一つがとてつもなく重要な事であると、この場にいる誰も感じていた。

 難解な言葉だからこそ、なにか重要な意味を秘めている。

 むしろそういった言葉でしか言い表せない、難しい問題であると知れた。

 

 

 

 「次は、今度同じ頃をしたら―― もっと多くを失う、確実に、だ」

 

 

 

  そのとき、錬はやっと理解した。

 自分が行なった吸血鬼化、それがそもそもの原因だったのだ。

 吸血鬼になった事で、錬は人間としての自分を殺してしまったである。

 死んだ人間が人間である事を維持できるはずも無い。

 だから錬は吸血鬼化することで、人間としての自分を失っていく。

 その先に待っているものは、考えるまでも無い。

 

   ――お前がいるから全てが悪い。

 

  吐き気が、した。

 自分自身を、自分で殺すという事。

 自殺とは違う自壊の感覚に、壊す事に慣れているからこそ、それに吐き気を覚える。

 

 

 

 「大丈夫だ、もうお前は安定している。 いきなり死ぬとか、そういう事はない」

 「でもまた同じ事をすれば――」

 「言うまでもなく、同じ事が起きる。

  何回、“秋雨錬”という存在が“自壊”に耐えられるか…… それは俺にもわからない」

 

 

 

  それはおそらく自分にも分からない事だ、自分が壊れる回数など壊れいく者にわかるはずも無い。

 だがそれは確実に訪れる結末だ、死ぬにしても人間を完全に止めてしまうとしても、使うなら破滅から逃れる事は、出来ない。

 その先に待っている物は、単純な死よりはるかに酷い末路に間違いは無いだろう。

 考えるのも恐ろしいぐらいに、滅びの感覚はあまりにも破滅的な匂いを漂わせていた。

 

 

 

 「まあ、使わなければいい話だ。 あまりに気にするな」

 

 

 

  そう言ってカルは手を振るいつつ立ち去っていく。

 ここまで言っておいてなんて薄情な人だ、と綾美は思わず言いそうになったが、カルへ駆け寄ってくる人たちを見てその認識を改めた。

 思えば彼は副指令、この状況下においては彼はやるべき事が無数にあるはず。

 それなのに錬の為にその貴重な時間を割いてくれたのだ。

 むしろ怒る方が失礼というものだろう。

 

 

 

 「我の事を忘れたのなら、屋敷であった時からの事を話すべきか?」

 「いいや…… 何があったのか、それは覚えている」

 「ふん、ならそれでいい。 姉上、それではこれで失礼いたします」

 

 

 

  祐騎もそういいながら立ち去っていった。

 錬も綾美もわかっていた、それは彼なりの優しさだという事を。

 何も言わない、慰めの言葉よりも沈黙の方が大きな救いになる事を、彼は知っていた。

  錬と綾美は彼に感謝しつつ、この後の行動を決めようと思った。

 この病室にいると、どうしてもある二色が目に入ってしまう。

 気が滅入っている中でその二色はかなりきつい色合いだ。

 

 

 

 「ちょっと、外へ出ようか」

 「そうだね、ここは―― 血の匂いが濃すぎるもの」

 

 

 

  目に入ってきた包帯の白と血の赤から逃げるかのように、錬達は歩き出した。

 この病院にいる以上、その二色からは逃れられないと思ったが、この部屋にいるよりははるかにマシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  屋上から見える空は、もう暗かった。

 満月に近い月から降り注ぐ月光のみが、屋上を照らしている。

 それは今、この土地が夜となった証拠であり、今日が終わろうとする証。

 そう、多くのものを失った長い日も、ようやく終わりを迎えようとしていた。

 時間にしてみれば24時間以下たったの数時間、だがその間に失ったものは、余りにも大きかった。

 そしてこれから失う事になるモノも。

 

 

 

 「あれ、錬クンに綾美チャン」

 「……薫由里さん」

 

 

 

  錬達が屋上に出たとき、すでにそこには先客がいた。

 その子供じみた独特の声で誰なのかすぐに分かる。

 言うまでもない、聖十字軍総司令である朝露薫由里だ。

  錬達の目に映る彼女の姿は、月光で照らされる事と人並みはずれた美貌から、まるで異国の女神のように神秘的な存在に見えた。

 それは、今にも消えそうな儚さゆえの美しさ、悲しさで彩られた美しさだった。

 

 

 

 「今日は迷惑かけちゃったみたいで、本当にごめんね」

 「……いえ、今回の件は……」

 「関係ないよ、ボク達は戦うのが仕事。 今回のような事は何時もの事だよ」

 

 

 

  その顔には、錬達が感じた悲しみの色など全く無かった。

 むしろ幸せをかみ締めているときのような幸せそうな表情。

 それが仮面なのか本当に悲しみを感じてなどいないのか。

 錬にはどちらか分からないが、彼女が自分達を心から心配してくれていたのは確かだった。

 だからこそ申し訳なく思えて、思わず謝罪の言葉を呟いてしまうのだ。

 

 

 

 「でも、この状況は――」

 「関係ない、少なくとも君たちだけのせいではない―― 油断したボクたちのせいでもあるんだ」

 

 

 

  でも、彼女はその謝罪の言葉を受け取らない。

 だから思わず、余計な一言を言ってしまう。

 それが何を引き起こすのか、考えもせず。

 

 

 

 「それでも…… すみません」

 「ッ!? いいかげんにしてッ! 本当に責任と感じてるなら、それは勘違いだよ!

  聖十字軍が世界で最大級の組織である以上、こんな襲撃は毎日とは行かないけどよくあるし、そのたびに死人も怪我人も出る!

  それを私たちは覚悟しているの、それを哀れみとか責任感とかで、自分のせいとか言うのは止めて欲しいって言ってるの!」

 

 

  轟と、まるで爆発するかのような声だった。

 笑顔を向けたまま、怒りの声を出す彼女に威圧され、錬と綾美は思わず後ろに下がっていた。

 思わず無意識のうちに戦いの体制を整えようとして…… ギリギリのところで踏みとどまる。

 それほど彼女の声には圧倒的な威圧感があった。

 本当の竜が放つ怒りの声だ、それが生き物に与えるのは純粋な恐怖。

 絶対的な力を持つ存在は、ただ怒りに体を振るわせるだけで他者を恐れさせるのだ。

  錬と綾美が自分の声で恐怖した姿を見て、薫由里は自分が何をしたのか思い知った。

 たとえ人間の姿をしていようと、竜なのだ。

 怒って暴れたりしたときの被害は、人間とは比べ物にならない。

 だからこそ、竜は怒ってはならないというのに……

  しかし、彼女が怒ったのも仕方ないといえた。

 彼女は自覚していないが、今回の件は彼女に大きなストレスを与えていた。

 それが錬達に感じた些細な怒りがきっかけで爆発したのである。

 だがそれはまさに一瞬の憎悪だった、激しい燃焼だったからこそ、一瞬で怒りは鎮火する。

 そして、自分が何をしたのか思い知る事になるのだ。

 

 

 

 「……あッ、ごめんなさい。 つい……」

 「いえ、こちらこそ……」

 

 

 

  だがその怒りにさらされた事で、やっと錬達は彼女の言いたい事を分かった。

 つまり錬達は責任を感じる必要など無い、それを言いたかっただけなのだ。

 それを錬達が何度言っても理解しないのが悪かった。

 温厚な人でも自分の好意を足蹴にされれば怒って当然だろう。

 

 

 

 「……それに、みんなは―― 無駄死になんかじゃない」

 

 

 

  何が仮面だ、そう錬は思った。

 あまりにも悲しみが深いから、逆に表に出せなかったのだと。

 薄っすらと頬を流れる涙の輝きは、月光の中でも消す事は出来ない。

 そう、例え暗くとも、相手から自分の感情を完全に隠す事など、出来るはずが無いのだ。

 当然、乱れた心では尚更だ。

 

 

 

 「……だから、自分のせいだと思わないで―― 聖十字にいる人なら、そう思われる方が辛いよ」

 

 

 

  今度こそ、心からの笑顔。

 しかしその頬を伝っている涙の後が消えるわけではない。

 だが、優しさが滲み出すような笑顔だった。

 だからこそ、その微笑があまりに美しいからこそ、錬と綾美はふと沸いてくる疑問がある。

 

 

 

 「……前から、聞きたかった事があります」

 「うん、言って見なさい綾美ちゃん」

 

 

 

  錬が疑問を口に出す前に、綾美が喋った。

 彼女が問う前に、すでに錬は彼女が何を言いたいのかが分かった。

 なぜならそれは、ずっと錬と綾美が思っていた疑問だからだ。

 似ている部分が多い錬と綾美で無くとも、その疑問は確実にあるはずだから。

 

 

 

 「何で、こんなに私たちを助けてくれるのですか?」

 「ああ、そんな事か―― 理由は簡単だよ」

 

 

 

  ふと、その言葉を言った時に彼女の顔に陰りが見えたのは気のせいだったのだろか。

 しかし月光で照らされる中、錬達には薄っすらとした笑みを浮かべた美貌しか見えなかった。

 

 

 

 「だって、聖十字軍は罪人の集まりなんだもの」

 

 

 

  まるで今日の天気を言うみたいに、気軽な口調で―― 彼女はとんでもない事を口走った。

 

 

 

 

 

 

 

次回 縁の指輪

五の指輪 エピローグ その日、悪魔が森を出た

 

 

 

 

 

 

 




作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。