(発動――“世界を切り裂く剣”)




  その名を心中で唱えた時、その瞬間、世界は止まった。

 停止した世界を言葉で言い表すのは難しい、なぜなら光すら停止した中では世界は無色。

 自らの息すら肺から出ず、そして吸う事も叶わない。

 ただ自分の脳内で構築された世界を、最初に予定したモノどおりに実行するのみ。

  進んだら振り返る事も出来ず、今更帰ることもできず。

 ただ決められた通りに行なって、結果を待つのみ。

 それはある意味、この世界そのものの構図だった。




 「が――ァ!?」




  次の瞬間、決着がついていた。

 自分の予定通りの結果に、カルは心中で興奮のあまり絶叫していた。

 手の中にある確かな肉を断ち切った感覚が、とても心地いい。




 (やった、やったぞ、やったんだ―― ははは、あはっはっはっはっは!)




  変な薬を使ったような興奮に、カルは震える。

 この力を使った直後はいつもこうなるのだ。

 よく徹夜を何度も続けると、逆に興奮して眠れなくなるというが―― まさしくそれだ。

 能力による消耗があまりにも深刻なせいで、それを耐えるために脳が興奮物質を異常なほど分泌している。

 それは命に関わるほどのもので、だからカルは死の快楽ともいえるそれを楽しんだ。

 消耗の方ばかり自覚したら、それだけで死にかねない。




 「何を―― した!?」

 「お前が負けたという事だろ、トロメア」

 「はは……またも、見えなかっ たという事だな、奇妙な力 だ……」




  左肩から入り、右のわき腹に抜けた斬撃。

 それはトロメアを深々と抉り、ほとんど真っ二つといってもいいほどにしていた。

 彼の姿はまるで壊れたテレビ画面のようにノイズじみたものが混じり、ゆっくりと体が透明化していく。

 彼の背後の光景が見えるようになり、トロメアは膝をついた。




 「ま さか、我 が ま   た倒 されると は思っ てなか った……
  だが 楽し めたぞカル また 殺  し   あ     お      う」




  そしてトロメアは消滅した。

 本体を倒せなかった以上、せいぜいしばらく出撃できなくする程度のダメージだろう。

 とんでもなく都合のいい連中、いってみれば彼らはネットゲームのPCのようなものだ。

 PCが倒されたところで、プレイヤー自身が死ぬわけではない。

 もう一度ログインしてプレイを再開すればいいだけだ。

 まさに、世界者達そのものである。




 「けッ、二度と会いたくないっつの」




  珍しく汚い言葉を吐くカル。

 トロメアを倒せたのはよかったが、彼の相手にかなり長い時間を使ってしまった。

 おそらく事態はかなり進行しているだろう。

 ほぼ間違いなく、悪い方向へ……




 「間に合えばいいんだが……」




  しかし、そういいつつも彼は最悪の事態は想定していなかった。

 その最悪の事態とは支部であるホテルが占拠され、その奥にある“アレ”に介入される事だ。

 しかし、あの場所には幸いな事に地竜が二人おり、世界の裏の騎士も二名いる。

 彼らの守りを突破するのは、世界者だとしても、容易なことではない。




 「しかし状況はどうなっているんだろうか……?」






















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                縁の指輪 
    五の指輪 九刻目 とりあえずの幕引き


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  体が、軽い。

 空気を切り裂いて、地を飛ぶ感覚。

 あまりにも 楽 し く て 愉 快 だ。




 「どうしたァ! 防戦一方じゃないかァ、えぇ!?

 「う――ァ!?」




  目の前にいる、今まで自分を苦しめてきた男の憐れな姿。

 それを見ていると心の奥がスッとして、とても愉快な気分になれる。

 そしてもっと楽しみたいという残酷な思いが溢れてくるのだ。

 吸血鬼伝説に出てくる彼らが、どうして加虐趣味である事が多いのか―― それを自らの心を持って思い知る。

  振るう右手の剣が、何もかもを破壊する。

 無用心を装って地面を叩き、その隙を狙ってきたゼロを左手で襲う。

 今までと違い、必殺の手は二つある。

  吸血鬼としての破壊は、今までと桁違いの力を持っていた。

 人間の身では完全に再現できなかった脳内の破壊、それを今の体は忠実に再現してくれている。

 今まで100%で行なえなかったものが100%を超えて行なえる。

 これだけでも今までとは比べ物にならない力だ。

  それだけではない、現在は破壊の力とは逆に左手へ収束した神無の力は、触れたあらゆる怪異を消滅させる。

 だがそれは現象を消す事であり、物質として安定したものは消せないので錬自身を消す事は出来ない。

 本来なら触れて敵を倒す事の出来ない力、だが全身を肉体ならざるものに変えたゼロにはまさに必死の腕だ。

  どちらもクリーンヒットすれば一撃必殺。

 対してゼロの攻撃は威力こそ十分だが、当たらない―― どれも大雑把で、何より今の錬に対してあまりにも遅い。

 鬼の腕による奇襲?

 破壊の担い手?

 それが何だ、どれも貧弱極まりない、そんなのに殺されかけていたというコトは今では笑い話だ。

  今の錬は、今までが飼い犬だとしたら、まさに狼だろう。

 そう、血に溺れた、吸血鬼という名の獣―― なら、獣らしく、獲物を食いちぎるのみ。

 この殺意を叩き込んで、破壊しつくす――!




 「ヤャ――! あっはっは…… ハラワタぶちまけろォオオオオオ!

 「舐めるな餓鬼がァァァァァア!」





  ゼロの擦れた、悲鳴にも似た咆哮。

 それと共に乱れ撃ちされた破壊の担い手は、悲しくなるほどに精度に欠けていた。

 子供でも距離さえ十分にあれば避けられる、無論、錬相手ではお話にもならない。

 錬はその攻撃の隙間に体をもぐりこませる。

 そしてそのままゼロへと突撃した。

  自分でも馬鹿馬鹿しいと思えるほどゆったりとした動作で剣を振り上げる。

 そして思いっきり力を込めて、限界ギリギリまでゼロの破壊を視認する。

 今までとは違い苦痛が無いが、視界は緑に濁っていく。

 むしろ痛みが無い分、どこまで自分が危険なのか分からないという問題があった。




 (ヤャ――! あっはっは…… ハラワタぶちまけろォオオオオオ!




  振り下ろす一撃は、ゼロへと直撃した。

 とっさにゼロが体をそらしたせいで破壊を完全再現こそ出来なかったが、それはゼロの胴体をほぼ真っ二つにする。

 文字通り、薄皮一枚で繋がった命―― そんなもの、庭の雑草を引き抜くより簡単に潰せる。

  これで終わりだ、そう確信して錬は剣を振り上げた。

 トドメで頭から真っ二つにする、それでゼロを完全に破壊できる。

 その体を、錬は肉片一つ残さないように、確実に消すように―― 全力で殺そうと決心した。




 「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!」




  瞬間、ゼロはまるで子供のような悲鳴をあげていた。

 またご自慢の永遠とやらを破壊されそうになって錯乱したらしい。

 だが今の錬はそれをわかっても、耳障りな雑音としか思えなかった。

 そしてその雑音を消すために作業を続ける、殺せばもう喋らないだろう。




 「シ―― はは、死ね!




  振り下ろした剣は、その破壊の力を発揮し、肉片一つ残さず消し飛ばした―― ゼロの下半身だけを。

 ……上半身が無い、錬は不愉快な気分である事を隠す事無く周囲を見渡す。

 そして空を見上げた時、それを見つけた。




 「はは、器用だな




  錬は思わず、彼の行なった回避に笑う。

 あろうことかゼロは、胴体がほとんど切れ掛かっていた事を利用して、自分をちぎって逃げ出したのだ。

 上半身だけの彼は翼を広げ、逃げていった。

  錬はそれを見て狂ったように笑い出していた。

 どこで自分が笑い出したのか、それすら分からないほど自然に笑っていた。

 でも楽しいのだから仕方が無い、なにせ必死に逃げるゼロの顔が余りにも滑稽だったからである。

 でも、でも―― それでも――




 「あはは、ははは――はははははははははは、あーははははははははははは、ふふふ……ふッはは、あははははははははははははは――





  ――その笑いは異常だった。

  世界が陽炎のように霞んで見えた。

 それが自分自身の目の異常によるものと分かるのに、とても時間がかかる。

 風邪を引いたときみたいに、頭がうまく動かない。

 そもそも―― なんで、こんなふうに自分が笑っているのだろう。

 分からない分からない分からない。

 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない。

 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない……

  いつの間にか、錬の瞳は普通の黒色に戻っていた。

 吸血鬼化がいつのまにか終わっていたのだ、今の錬にはそれすらも分からない。

 ただ壊れた音楽機器のように、笑い声を垂れ流すだけだ。

 そしてただ、寒気に体を震わせて―― 地面へと倒れこむ。

  それでも、笑い声だけは止まらない。

 そして何か、壊れていく感覚と確信があり―― 錬は何か取り返しのつかない事をしてしまったと、今更理解していた。











  ルシフは額から血を流しつつも、アンテノーラを睨む。

 対してアンテノーラは普段の笑みをなくし、冷たい目でルシフを見つめている。

 互いに上っ面の顔を出す余裕など無い。

  ルシフの攻撃により、その場には無数の獣の死体が転がっていた。

 どれもこれも異形の怪異、だがどれも悲惨な破壊を為されている。

  彼女達、二人の絶対的存在達の死闘に、優劣は無かった。

 互いの戦闘力が余りにも高く、もはや小細工などといったものが意味を成さない。

 致命的な隙を片方が犯し、もう片方がそこへ致命打を叩き込む。

 それは疲労によるものか神の悪戯によるものかは関係ない、ただそれがおきるまで未来永劫戦い続けるような、そんな様子を思わせた。

  ルシフは掌の皮膚が裂け、剣を取り落としそうになるのを必死になって耐えていた。

 元々、ルシフの戦い方は剣を使うものではない。

 対世界者戦のために剣を持ってきたものの、彼女の戦い方は絶対的な間合いの制御にこそある。

 転移を駆使し、常に優位な位置を取る。

 だがルシフは今、その絶対的優位をほぼ失っていた。




 「くひ――ハハハハハハ! いいじゃん、あは、あはは……」




  異様なほどギラギラ輝く目でルシフを見ながら、アンテノーラは本をめくる。

 彼女の呼ぶ魔物には限りがなく、どれもが厄介な能力を持っていた。

 ルシフの間合いにあわせて彼女も呼び出す魔物を変える。

 その変更はすばらしく早い上に的確な判断、どれほど彼女がその本を使い慣れているか知れた。

  血塗れで握力が落ち始めている中、このままではルシフが消耗してすりつぶされるのは確実。

 それをルシフ本人が一番よく知っていた、だから。




 (決め手にかける、な…… これを使うのは、もっと後の予定だったけど、仕方ないわよね)




  そう思い、ルシフは長引きすぎたこの戦いを終わらせるための賭けに出た。

 ルシフが横の空間を叩き割る、そしてそこから先ほど出した黒い剣そっくりの、青い剣を取り出した。

 そしてそれを無造作に投げ捨てる―― 瞬間。




 「ツァ――!?」




  アンテノーラの肩は、突然現われた青い剣に切り裂かれていた。

  ルシフの投げた剣が空間を渡り、勢いをそのままにアンテノーラの眼前に出現したのだ。

 彼女はそれを超人的な反射神経で回避したが、避けきれず肩に受けたのである。

  アンテノーラは手を剣へと伸ばした、ルシフの手を離れた青い剣を奪うために。

 だが指先が触れる瞬間、剣はまたも虚空を渡り、ルシフの手に戻っていた。




 「技名を叫びたいんだけど、まだ無いからな―― とりあえず、死んでおけ」




  ルシフはそう呟き、二つの剣を手放した。

 それらは虚空を渡り、アンテノーラの真横に出現する。

 またも超人的反応で避けようとするが、両腕が浅く斬られる。

  アンテノーラが応戦しようと本を開こうとし、その手に剣が突き刺さった。

 世界者殺しが可能な武器は見事に手を切断し、その本を手ごと吹き飛ばす。




 「ッ!? 厄介な攻撃じゃネェか!」




  アンテノーラが吼えながら手を再構築する、ノイズが走ったと思った瞬間、その手は元の形を取り戻していた。

 無論その手に持っていた本も同じく、ただし目的のページが開かれた状態で、だ。

  書かれているのは腐った果実を思わせる澱んだ色の白虎。

 書かれた名前はルシフの知らない国、もしくは時代の言葉で、なんと書いてあるのかは分からない。

 ただ、このルシフの新たな技に対抗できる存在である事は言うまでも無い。

  空間転移により、死角より襲い掛かる斬撃。

 しかも距離障害物無視という凶悪極まりない攻撃である。

 ルシフの切り札の一つであるが、普通に切りかかるより威力は落ち、負荷も大きく一体多数の時には全く役に立たない。

 新たな魔物を呼ばれれば、負ける―― そうルシフは思い、攻撃の手を緩めない。

 だがその猛攻の中、それでもアンテノーラは本を開いた。




 「出な『腐海の―― ……!?」




  名を詠唱しようとしたアンテノーラ、その動きが不意に止まる。

 後ろから伸びた手、それに彼女の首が絞められたのだ。

 あまりにも容赦の無い力の入れ方、首を絞めて気絶させるのではなくへし折って殺害する意思がその手には見て取れた。

 そして必死の表情でその手を外そうとするアンテノーラをあざ笑うように、その手の持ち主は口を開いた。




 「ルシフ、時間稼ぎありがとう」

 「……私で倒すつもりだったのに……ねぇ、カル」




  背後より現われたカル・イグニーニスは、そのままアンテノーラの首をへし折った。

 その程度の痛手、世界者にとっては大した事ではない。

 だが一瞬、詠唱が止まってしまう。

 それは、この二人相手では、あまりにも致命的な隙だった。

  一瞬にして引き抜かれたカルの剣が、アンテノーラの頭に突き刺さる。

 ルシフの剣が頭上より突き刺さり、胸に突き刺さり、肉を引き裂き―― 同時に、二人は剣を引き抜いた。

 無論、剣先を回して、肉を抉り取って―― 確実に息の根を止めるように。

 確かな手ごたえ、アンテノーラの本体までは届かなくとも、この体を確実に破壊した。

  アンテノーラは肉塊となりつつ地面に叩きつけられた。

 その手から本は消え去り、彼女の姿が薄くなっていく。

 比喩ではない、文字通り彼女の姿が透明化しているのだ。




 「いい様だな、アンテノーラ」

 「……これで指揮系統の破壊は成功、反撃開始だな」




  仲間に連絡を取って確認せずとも分かった、歴戦の戦士のみが感じ取れる戦場の空気、それが見る見るうちに変わっていく。

 悪魔たちの困惑と混乱、そして反撃を開始した仲間達の怒号。

 反撃というものの空気に戦場が支配されていく。




 『ガ ィ――ハ  ハハ ハハ ハ! やれ  やれ、お姉 ち ゃん負けち  ゃった  ねぇ?』




  壊れたスピーカーでしか出せないような、雑音が混じった声が聞こえた。

 もううんざりだ、そう顔に出しながらルシフは地面にぶちまけられたアンテノーラの残骸を見る。

 辛うじて原形をとどめている顔の下半分、口が裂けてそこから声が吐き出される。

 こんな状態になっていても、何処までも耳障りな声だった。




 「まだ消えていないのか」

 『む ふ―― あ、で  もこれ で今回 の 出現は 終わり だ   よ ぉぉぉ ん』




  口調は無駄に明るい、自分の敗北など全く気にしていないようだ。

 その余りにも明るい口調に、カルとルシフは目を細める。

 口調の裏の悪意に、いち早く気づいたからだ。

  自分の敗北、その屈辱を誤魔化すために、彼らの絶望する様を見るために。

 アンテノーラは今にも止まりそうな口を強引に動かして、それを語った。





 『はは、い  い事教 え て あげ よ うか、ル シ フ―― 今回の私たち の 目的はネぇ―― “秋雨錬”だよ』
 
 「な――『さぁ、今頃どうなって、い・る・の・か・な? ギャ――ハハハハハハ!』」




  一瞬、この状況と個人の名前が結びつかなかった。

 この甚大な被害を出した襲撃の目的が聖十字軍への攻撃なら話は分かる。

 だがらこそ―― その目的がただ一人の人間という事が信じられなかった。

 しかし、すぐに分かる、アイツはこういうコトを好むのだ。

 話を無駄に大げさにしたがる、そしてそれを楽しむ…… 最悪の人種。




 「アイツか、ジュデッカ……あの糞野郎!」

 「ルシフ、落ち着くんだ!」




  忌々しい名前を叫ぶ。

 ルシフはその後、知っている限りの侮辱の言葉を叫んだ。

 そんな事をしている時間など無い、それを知っていてもルシフは衝動が抑えきれない。

 もしこの場にジュデッカがいれば、その首を掴んで顔面を何度も殴っていたはずだ。

  怒りに我を忘れたルシフをカルがなだめる。

 いや、その勢いはむしろ怒鳴るといったほうが正しい。

 勢いがなければ今のルシフをとめることなど出来ないだろう。

 それほど、ルシフは我を見失っていた。

  強く噛みしめた唇から血が流れる、痛みで怒りを何とか堪えてルシフは転移の準備を整えた。

 急いで秋雨錬を探さなければならない。

 もう手遅れかも知れないが、だからと言って何もしないわけにはいかないのだ。

 何らかの敵と交戦しているなら、手伝う。

 カルとルシフの二人組みで勝てない相手など、そうそういない。




 「飛べ!」




  目的地はビルの屋上、そこから周囲を見渡して錬を探す。

 普通に町を探し回るより、よほど速い。

 十分に理性を取り戻したからできる発想だ、錯乱していたら無作為に転移して徒労を重ねていただろう。

 その様子で彼女が冷静であると知り、カルは安堵の息を吐いた。

  カルはルシフのように異能を使わず、裸眼で下界を見渡した。

 ルシフも人智を超えた視力を持っているが、彼ほどではない。

 現に彼はすぐに錬の姿を見つける事に成功していた。

 だが、予想していた物とは全く違う光景に、めまいを覚える。


  まず、見えたのは、血の真紅。

 血に塗れているのは、見覚えのある少年だった。

 鬼気じみた邪悪な愉悦とともに、敵を追い詰めている。


  思わず、彼が誰であるか分からず・自分の目を疑って、少しだけ現実から目を離す。

 だがそんなこと無駄と知っている彼は、即座に現実へ帰還した。




 「ルシフ、見つけたが様子がおかしい……」

 「私も見た、アレは―― 鬼だ」




  ルシフの考えも、カルと同じ物だった。

 あの血に飢えたかのような赤、隠し切れない残虐性。

 それは欲望に溺れ、堕ちた吸血鬼の姿―― 名の通りの、鬼。

 圧倒的だった、その力は下手すればカルですら殺されるかもしれない。

 そう思わせるほど、それは―― バケモノ染みていた。

  そして闘いは一方的な展開のまま、片方の逃亡によって決着した。

 カル達が見ていた時間は一分にも満たない、だがその間にみしたその悪鬼染みた血の赤はいまだカル達の目に焼きついていた。

 だから、彼らはそれに一瞬見惚れてしまった、その邪悪な美しさに。

 だから、錬のさらなる異常に反応が遅れてしまった。

  遠くからでも、声がなくともわかる、明らかな哄笑。

 そして糸が切れた操り人形のように、倒れ伏せる彼。

 それでも、哄笑は止まらない―― まるで笑いを止める方法を見失ったかのように。

 笑い声が、止められない。




 「ルシフッ――!」

 「わかってる!」



  一刻の猶予も無い、それが一瞬で分かった。

 それは彼らの知る混血児の中で、もっとも危険な症状と全く同じだったからだ。

 今まで錬を襲っていた血の殺し合いなど、この前には児戯程度。

 その症状の名を――

























  存在崩壊

  人と人外の間に生まれた混血児に、何らかの外的要因で発生する。

 発病時に何らかの異常行動を行なうのが特徴。

 この現象が発生した場合、少しして存在確立変動による症状が起きる。

 確認された事例として、全身塩化の後に死亡、精神崩壊の後に自殺、全身石化の後に死亡が報告されている。









次回 縁の指輪
五の指輪 十刻目 『錬』崩壊 器より零れ落ちたモノ




































  危ない危ない、何とか無事に回収できたわ。

 本体が無事と入っても、せっかくの経験を生かせなくなるのは問題よ。

 でもまあ、間に合ってよかったわ。

 おかえりなさい、私の愛しい子供たち。



#------ ■■テ■■ラの破片 ------#





 「■が死にました」




  それを聞いた時、■■■・■・■■■は世界が腐り堕ちる感覚を、確かに感じていた。

 世界の境界線・時間が溶けた飴のようにぐちゃぐちゃになる。

 全身の血が猛毒に変わったかのように、体に苦痛が走る。




 「嘘、だ」

 「いえ、これは確かな報告で――」

 「そうか、お前、敵のスパイだな。
  そうだ、そうやって私を錯乱させるつもりなんだ―― 死ねェェェエ! 裏切り者がッア!」




  持っていた本、その角で薄汚い裏切り者の顔面を叩きのめす。

 一撃で壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられ、その男は即死した。

 周囲で見ていた者達が反応できないほどの、異常な展開……




 「薄汚い連中だ、こんな醜い手段をとるとは―― はは、ア――ハハハハハハ!
  さすが神に歯向かう異教徒どもだ、おなじ人間と思ってはいけないな」




  本を無駄に開いたり、閉じたり―― 無駄な行為をしながら彼女は笑う。

 それが全く無駄な行為・現実逃避であるというというコトなど、とっくに知っている。

 だからこそ、彼女は逃げたのだった。





#------ ■ロメ■の破片 ------#




  思えば、何時からだろう、こんな飢えを感じていたのは。

 今までは考えもしなかった、自分の欲望が満たされないなど。

 喉が渇けば水を飲む、肉が喰いたければ食いちぎる。

 血が欲しければ敵を殺し、虐殺がしたければ村を襲った。

 だがその中で、満たされないものがあった。




 「戦いが、欲しい」




  対等な敵との戦い、それに餓えていた。

 絶対的な存在、■である自分に誰が逆らうだろうか。

 つまり、自分はある意味、台風に近い。

 来ると知っていても対策など無い、抵抗だけ無駄という諦め。

 それが、この上なく喉を乾かせる。




 「誰か、この飢えを満たしてくれ」

 「なら、戦いをあげましょうか?」



  振り向いた先に■い■女が――