覚えているのは、空より降り注ぐ無数の爆弾。
爆撃という攻撃だったという事は、知識にはあった。
だが自分がそれに巻き込まれて、仲間を失うなんて考えていなかった。
空間制御は確かに強力だったが、細かい使い方を知らない彼女は仲間を守る方法として使えない。
巻き込めば空間の隙間に潰され、彼らを潰してしまうだけだ。
だから、誰も助けられなかった。
瓦礫を踏む音と共に、誰かがルシフへと歩いてくる。
ルシフは気だるい動作で振り返った。
「ルシフ、お前は助かっていたか」
「■■■■■様、はい……」
「では進むぞ」
「し、しかし……」
「お前以外、生き残りはいない」
嘘だ、それが分かった。
任務通信用に用意されていた通信回路にはまだ生存している仲間の反応がある。
大怪我をおっているが、急げば助けられるはずだ。
なのに――
彼は無造作に、地面に転がっている腕を踏みつけて歩き出した。
血塗れだけど、まだ指先が動いているそれを――
「まだ、逃げるのですか」
「そうだ――連中は私たちを利用するだけ利用し、捨てた―― 私がココで死ぬわけには行かない。
私の技術を売り込む国家はどこにでもある―― また最初から組み立てればいい―― 私の、軍隊を」
「だから、みんなをみすてるの」
「代わりはいくらでもいる」
ルシフは彼のその言葉を聞いて、やっと決意する事が出来た。
長かった、異能者の傭兵として売り込まれ、命令のまま何十、何百人と殺してきた。
それでも決意はできなくて、ここまで来てしまった。
情けない、子供心ながらルシフはそう感じていた。
彼はまだ栄光にすがっていた、自分が最高の司令官だとまだ彼は信じている。
自分の危険思想に気づかれ、軍に追われ、爆撃を受けて、ルシフと彼以外、死んでしまった。
ルシフがもっと早く決意していれば―― ここまで来なくてすんだはずなのに。
「いつも、そうだ―― そういって、私はなんにんもみすててきた」
「……ルシフ、どうした」
「もう、終わりにしましょう」
「――ルシ……」
あなたを、殺せば――
これで、終わる―― あとは追っ手としてやって来るだろう聖十字軍に投降すればいい。
お膳立てはすんでいる、あとは――
「サヨウナラ、お父さん」
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縁の指輪
五の指輪 六刻目 最強の意味・最弱の価値
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「ウォオオオオ!」
獅子の獣人が獣の咆哮と同じ、いやそれ以上の気迫を込めた咆哮と共に、戦斧が振り下ろした。
『悪魔』は狼獣人の一撃を防いだようにそれを受け流そうとするが、その一撃とこの一撃は全くの別物だ。
受け流そうとしたが、圧倒的な速度と破壊力を持つ一撃はその防御ごと『悪魔』の頭部を切り裂く。
「つぅ―― 倒せない事は無いが……」
彼の隣で斧槍を振るう虎の獣人である彼女は呟いた。
彼ら、獅子や虎などといった獣人はその特性として高い戦闘力と闘争心を持っている。
その特性ゆえに彼らは『悪魔』による“生物として当然の恐怖”にも耐え、戦えていた。
しかし、『悪魔』はそれを除いても強敵だ。
彼らでも一瞬でも油断し、連携を崩せば喰われる――
だが、それ以前に、彼らの体には激戦による疲労が重くのしかかってきていた。
このままでは遠からず『悪魔』に対処できなくなる。
「どうするレオス隊長」
「十分敵はおびき寄せた、ここは爆破する」
「了解!」
この都市の一部には爆薬が隠されており、いざというときに自爆できるようになっている箇所が幾つかある。
彼らはその、もっとも危険な場所で戦い続けていたのだ。
理由はその爆弾そのものにある。
結論とて、戦況は圧倒的に聖十字軍が不利だった。
カルやルシフを初めとする聖十字軍でも最大の戦闘力を持つ彼らがいればすこしは違うだろう。
だが彼らはいまだ到着しておらず、戦える味方はあまりに少ない。
いくら彼らでも真正面からぶつかれば潰される。
圧倒的な戦力差、それを覆す方法が必要だった。
そのための作戦が、自分達を囮にして多くの敵をおびき寄せて爆破するという乱暴にして危険極まりない作戦なのだ。
『悪魔』はその戦闘力や技能に比べて明らかに知能が低い。
すでにこの作戦は数回繰り返されているが、『悪魔』は無策に突っ込んでくるばかり。
だがそれでも、全体的に見れば不利は覆らない…… 数というのはそれだけでも十分な暴力だ。
このままでは―― 全滅への時間を延ばす事しかできない。
「……爆破します」
大爆発が30体ほどの悪魔を消し飛ばした。
しかし聖十字の隊員たちの顔色に喜びは無い、ここは彼らの住んでいる都市―― 苦楽を刻んできた場所なのだ。
買い物を楽しんだデパートやコンビニ、バス亭や駅が炎の中に消えていく。
その業火と同じく、『悪魔』に対する憎悪と怒りが彼の胸に燃えていた。
「……次のポイントだ」
「――くそッ! あそこは俺のよく行く模型店があるんだぞ」
「……ここは俺の常連のラーメン屋があった」
「――ッ! ……すみません隊長」
「いい、俺も同じ気分だ」
常人の走る速度の倍以上の速さで彼ら6人の部隊は都市を駆ける。
普段なら車が絶える事の無い車道の真ん中を進むのは、走りやすいがやはり不愉快な事だった。
しかし、決して彼らは諦めない。
ここまでやった以上、絶対に諦めるわけにはいかにと全員が決意し――
……だが、やはりここで来る。
すでに楽しみながら、奴は仲間を狩っていた。
「イィ――ハハハハハハ! みなさん、かなりイィ感じですね?
でもぉ、ここでゲームバランスの修正でぇぇぇす。ギィヒヒヒヒヒヒ」
アンテノーラ、彼女は言葉どおり、こちらがすこしでも有利になりそうなときに現われ、その逆転のチャンスを潰していた。
すでに彼女にいくつかの部隊が壊滅させられており、彼らは彼女の脅威を、身をもって知っていた。
抵抗は無駄、出会ってしまえばたとえ損害を出そうとも逃げるしかない。
「……総員、離脱!」
『了解!』
「……エェェェ、逃げるのぉぉおおお…… ――ま、追いかけて殺す楽しみがあるけどネェェエ、ギャピピピピ!」
一瞬の躊躇もなく、彼らは散開しそれぞれ逃走を開始した。
散開したといっても足の遅い異能者を獣人がかばいながらの連携の取れた逃走の仕方だ―― ただの敗走とは違う。
そして…… アンテノーラは動いた。
目指すのは獅子の隊長と虎の女、別に狙われる特別な理由など無い、有ったとしてもそれを知るのはアンテノーラ自身のみ。
ただ彼女の顔には―― 不愉快そうな怒りの表情が浮かんでいた、だがそれもすぐに残虐な笑みに消え去っていく。
「隊長!」
「……行け」
悲壮感を込めて叫ぶ彼女に、彼は一言だけ言って背中を向けた。
つまり、アンテノーラと向かい合う。
彼は戦斧を構えた―― 言うまでもない、戦うつもりだ、絶対に勝てない相手に。
それはつまり、死を覚悟したという事である。
「冗談じゃ――」
「ウォオオオオオオオオオオオオオオ!」
振り向いて共に戦おうとした彼女を、彼が投げ飛ばした。
彼女はそれに驚愕しつつも、何とか着地に成功する。
だが距離は大幅に離れてしまった―― もう、助けに行くのは絶望的だ。
彼女の視覚、その狭い世界の中で血の赤が生まれる。
アンテノーラの髪が、彼が戦斧を持つ右腕を斬り飛ばす。
そしてアンテノーラの髪が広がり、彼を包み込み―― 次の瞬間には彼は破片も残さず爆砕していた。
また―― 死んだ。
「……隊長―― さようなら」
言うつもりなどなかったのに勝手に口が開いて、その言葉を呟いた。
自分の体が意思に反して闘争を開始する。
隊長の死を無駄にしないために、そういう理屈はよく分かる。
しかし―― 本当は泣きたかった、好意を抱いていた、隊長に、彼が死んだ、だから、泣きたかった。
でも…… 泣いて、立ち止まった、殺されたら、隊長の、死が無駄になる。
だから……――
「死んでたまるか……死んでたまるか……死んでたまるか……死んでたまるか……死んでたまるか……――」
たとえ喋る事で酸素を消費しても、彼女はそう呟き続ける。
そうしなければ、彼女は今にでも座り込んでしまいそうだったからだ。
「にぃぃぃが、さなぁぁぁい…… ギャ――ハハハハハハ!」
彼女の想いなど知らず―― いやむしろ知っているからこそ、アンテノーラは楽しげに笑った。
わざとゆっくりと歩いて彼女を追う、走るよりその方が恐怖を煽ると知っているからだ。
どうせ相手が走っていても、アンテノーラからは逃れなれない。
――あの虎の絶望する顔を見て笑ってやろう。
そう考えて、アンテノーラはにやにやと微笑んだ。
それは残酷で凄惨な嗜虐の笑みだった。
ホテル――聖十字軍の支部へと続く車道をルシフとアスラルは進んでいる。
ルシフの異能による移動は本人にとっては無害でも、巻き込まれる他者には有害だ。
だから数回の転移の後、アスラルの体調や距離を考慮して残った距離を走る事にしたのである。
無論、時間はかかるが到着時に戦えなくなっているよりはマシだ。
「状況は最悪かしら」
「……ルシフ、言いたい事は分かっているわね」
「ええ、長い付き合いだもの。
私が『悪魔』を掃討するわ、アスラルは支部を――“門”を守りなさい」
彼女達もこれまでに何度か『悪魔』と遭遇しているが、無傷で突破している。
伊達に聖十字軍の中でも最強と呼ばれる彼女達ではない、『悪魔』以上に危険な相手など戦ってきた中に山ほどいた。
それらに比べれば速い、怪力などといった要素だけの怪物など的と大して変わらない。
無論、それを自慢する彼女達ではない、それほどの力量を持っているのは聖十字軍では自分だけだ―― そして、たかが数人で戦場は変わらない。
なんとしても仲間達と合流し、崩壊した防衛線を組み立て直して、体制を整える必要がある。
そしてその後の反撃こそ彼女達の活躍する時なのだ。
その事を知っておりながら、あえて彼女達は散開した。
アスラルはそのまま道を走り、ルシフは彼女に背を向けて駆け出した。
反撃へ移るには彼女達が必要だ―― だがこのままでは反撃の前に全滅する。
なら反撃の戦力を減らしても、反撃をするための時間を稼ぐしかない。
そしてこの状況でそれを行なえるのは高い移動力と破壊能力を持つルシフしかいなかった。
瞬間、ルシフの姿が消え去った。
一度の空間転移、だが距離を稼ぐためのものではなく確認するための転移だ。
彼女は視界内にあった高層ビルの屋上に転移していた。
ただ闇雲に敵を探して狩るのでは時間が足りない。
一度戦況を確認し、的確に敵戦力を削らなければならない。
目の前の空間を歪めて、擬似的な双眼鏡を作り出す。
頭の中に描いた地図に敵の戦力分布を紅いマーカーで書き込んでいく。
一通り描いたところで、彼女はそれに気がついた。
「……戦力配置が上手……?」
一言で言えばそうなる、『悪魔』の知能は低いはずなのに的確な部隊展開をしていた。
聖十字軍の陽動作戦などに突入しつつも、決して戦力の無駄遣いとしているとは思えない――
もし、ルシフ自身が『悪魔』を指揮するなら間違いなく同じ選択をしているはずだ、数の暴力を生かすこの戦術を。
「……誰かが、指揮をしている……」
単純に考えればトロメアだ、間違いなく世界者の攻撃である以上、指揮をしているのは彼らコキュートス以外ありえない。
だが彼の性格を考えれば逆にありえなくなる、彼は強者と戦うのを最上の生きがいとしている。
それゆえにこのような小細工をするとは到底思えない。
むしろ考えられるのはジュデッカだ。
圧倒的なカリスナと人心掌握能力を誇り、何も知らない一般人を兵隊に仕立て上げ、一晩にして軍隊を作り出す怪物。
味方の被害を数字で割り切り、100人死んでも101人殺せれば勝利と宣言する。
必要とあれば味方に爆弾を背負わせて敵陣に突撃させる事もある。
冷酷にして残酷無比な司令官、それが彼だ。
間違いなく彼の指揮だ―― ルシフはそう直感した。
不愉快な事だが、ルシフは彼の指揮を見間違える事など無い。
癖やその性質は何一つ、変わってなどいないのだから。
「私の能力じゃ、指揮に専念しているジュデッカの捕捉は無理ね……」
軍隊において指揮系統の破壊は致命的だ、ジュデッカもそれを知っており指揮の時には全く姿を見せない。
索敵に優れた異能者や鳥の獣人でも可能かどうか…… だが、彼女はジュデッカの“隠れながらの指揮”が持つ弱点を知っていた。
実はこの方法、ジュデッカは戦場にいる世界者を接点に戦況の把握をしているのだ。
つまり、戦場にいる世界者を倒せば彼は指揮の続行ができなくなる。
現に、前回の戦いではカルがトロメアを退却、指揮を崩壊させて勝利した。
今回もそれを行なうしかない。
アンテノーラの捕捉は簡単だ、彼女の事だ、殺戮を楽しんでいるだろう。
あの女の下品極まりない笑い声を思い出すだけで不愉快になる。
「……見つけた」
予想通り、アンテノーラの発見にはさほど苦労しなかった。
血の赤を探せば、簡単に見つかる―― あの女の長い髪のように、あの女の軌跡には血が満ちている。
そしてそれに比例して怨嗟と嘆きと絶望と悲しみで溢れている。
やはり、今回も―― 悲劇と血があった。
追いかけられているのは一人の虎人。
追いかけている赤い女は笑いながら、時々ものを―― 道に植えられた木や放置された車、人の死体を投げて彼女を攻撃する。
ふらふらになりつつも必死に避ける彼女をけらけらと笑いながら、歩いて追いかける。
―― 一目見ただけで、ルシフの中は沸騰した。
だから、みんなをみすてるの。
――代わりはいくらでもいる。
いつも、そうだ―― そういって、私はなんにんもみすててきた。
――……ルシフ、どうした。
もう、終わりにしましょう。
――ルシ……
あなたを、殺せば――
「跳躍ゥゥゥゥウウオオオオオオオオオ!!!」
一瞬、浮かんで消えたイメージ、それを抑える事など出来なかった。
アンテノーラのいる位置は自分の一度に転移できる限界距離を超えている。
跳躍に成功したとしても、ここまでも無理をしたことでまともな戦闘力を維持しているかも分からない。
だがここで彼女を見捨てれば、ルシフの全てが終わる―― あの時から何も変わっていない証拠となる。
だから…… 彼女は虚空を飛んだ。
異常を知り、合流した錬と綾美そして祐騎は、偶然か必然か、聖十字軍の支部であるホテルへ向かってルシフたちのように道路の真ん中を走っていた。
もはやこの都市には『悪魔』が溢れ、安全な場所など何処にも無い―― 唯一、安全と思われる場所は聖十字軍の支部。
だが敵の目的がそこだとしたらそこも絶対的に安全とはいえない、しかしこの状況下ではそこへ向かうしか手は残されていなかった。
「……綾美、大丈夫か」
「ええ、私は―― 祐騎は?」
「我は平気だ、『糸』に敵は触れていない―― 何ならすこし休むか?」
「……いや、走ろう。 休んでいる持間が勿体無い」
誤魔化された、それが今の会話の中、錬が思った事だった。
錬が心配したのは綾美の疲労ではなく、彼女の放つ雰囲気だ。
鬼気迫る、そういった言葉が似合いそうなほど張り詰めた空気。
数回ほど、錬はこの空気を感じた事がある―― 何か、覚悟を決めたものの雰囲気だ。
一体、錬がいない間に何が話され、綾美がどんな覚悟をどのようにしたのか。
神ならざる身である錬には予想すらつかない。
ただ分かる事は自分に関係する事という事だ。
なぜなら彼女が錬を見るときだけ、その緊迫感は消えるのだから。
錬は綾美のその姿に、昔、見た事がある母親猫を思い出した。
普段は温厚な猫だったのに、子供に手を出そうとしたらすごい剣幕で怒る。
今の綾美も何となくそれに似ており―― まるで錬を守り、彼の外界を警戒しているように思えた。
それに錬は恥ずかしさよりも、何か怖気を感じていた。
何か、彼女が自分を犠牲にしてしまいそうな、自分の犠牲を当然と思っているような気がしたからだ。
「な――」
「しかし、思ったよりも敵との遭遇が少なくて助かっておる」
「……、確かに…… けど俺たちはこれから激戦地のど真ん中に入って行くんだ」
「油断はするな―― 言われずとも」
そして、祐騎は錬が不安に耐えられず口を開こうとすると、それを防ぐように話しかけてくる。
彼のその行動は、錬が綾美へその覚悟が何かを聞く事を禁止しているように思えた。
現にその通りなのだろう、彼は自分の“腕”で糸を張り巡らし、周囲を警戒しているが―― 間違いなくそれよりもはるかに錬を注目していた。
錬の行動一つ一つを観察しているように。
「……綾――」
「敵が接近してきている、数は一人だ」
敵が来るタイミングがまるで計っているようだった、しかしいくらなんでも彼が、敵がいると嘘をつくことは無いだろう。
錬達は立ち止まり、それぞれ構えた。
錬は言葉を紡ぎ、その手に丙子椒林剣を呼び出す。
綾美はその爪を伸ばし、瞳を紅く輝かせる。
祐騎はその六対の腕を広げ、鉄線を構えた。
それぞれの戦闘態勢、彼らは下手な戦士よりも戦い慣れしている―― その姿にはある種の美しさすらあった。
彼らが適度な緊張感をみなぎらせ、敵の出現と同時に打って出られるようにしている中、“敵”は近づいてきた。
錬達はそれを感じ取り、緊張の色合いを変えていた。
『悪魔』とはすでに何度か遭遇している、上位の獣人でも苦戦する相手だが錬の『破壊』や吸血鬼の綾美、そして世界の裏の騎士である祐騎の敵ではない。
だからこそ、今、迫ってくる敵と『悪魔』の絶対的な差を感じ取る事が出来た。
『悪魔』が猫なら、こちらは虎だ―― それほどの差が、あった。
「シッ――」
打って出たのは、祐騎が先だった。
圧倒的な動体視力を持ち、何度も彼の技を見てきた錬でも見失う事があるほど、彼の鉄線による一撃は速い。
敵を縛り、身動きを封じる事があれば、豆腐を斬るように全身を切断し、首を一瞬で跳ね飛ばす。
ただ鉄線のみで出来るとは到底思えないほどの絶技の数々。
すでに錬の前で彼は何体もの『悪魔』を殺しつくしていた。
だから錬も彼の一撃が決定打になると思っていた―― だが。
――ギギギギギ……
一瞬、何の音か、分からなかった。
だが苦悶の表情を浮かべる祐騎を、そしてその手を見て、何が起こっているのか悟った。
敵が鉄線を掴み、引っ張り合いになっているのだ。
錬が聞いた音は、鉄線の中継点として使っている電柱等が削られている音なのだ。
無理な力を加えているせいで、攻撃しているはずの祐騎の手に血が滲んできた。
そしてゆっくりした動きだが、鉄線は引っ張られていた―― 敵のほうに。
……完全に力負けをしている。
「錬――!」
「分かった」
錬を呼ぶと同時に、祐騎は自ら鉄線を放棄した。
血の雫が飛び散り、それを染める中―― 錬は駆け出す。
鉄線がちぎれた先、敵がいると思われる場所へ突貫。
敵の詳細を探るより早く、一撃を放つ。
鋭い―― 稲妻のごとき、斬撃―― 音は無く、ただ破壊が生まれるだけの―― ……はずだった。
破壊しきれない―― 一撃を与えた時、錬はそう確信した。
敵の腕は――人間の腕に見えた――は、錬の破壊と同等の速度で再生している。
その速度はさすがに錬の破壊よりは遅いが、反撃を許すには十二分な隙だった。
敵が自由な方の腕で振るう拳を、錬は剣の腹で受けた。
業物をも超越する神話級の宝剣はそのとんでもない威力の一撃を見事に防いだ、が衝撃ばかりはどうしようもない。
軽々と、蹴ったサッカーボールのように錬は吹き飛ばされた。
「疾――!!!」
「……やはり、速いな―― 秋雨、錬!」
聞いた事がある、男の声。
その重苦しい言葉に錬は顔を上げて、敵を見た。
そして気づいた、彼は―― 見た事がある敵。
「久しぶりだね」
「おかげさまでな」
皮肉を交えた会話の間に、錬は立ち上がった。
そして頭の中で、彼の事を思い出す。
ゼロ、永遠を手に入れるとほざいていた敵。
おそらく死織と協力関係にあると思われる、実力はさほど高くないはず、だった。
(誰だ、コイツ……)
目の前にいる彼は、錬が知っている彼と絶対的な違いがあった。
それは力だ―― こうしている間にも、緊張で剣を持つ掌に汗が滲むのを感じる事が出来る。
圧倒的だ、唯でさえ崩壊寸前の錬が相手できるとは思えないほど、絶望な力の差。
昔と、立場が逆転していた。
「……ずいぶん、強くなったみたいだな」
「――話で気を反らせようとしても無駄だぞ」
「チッ!」
錬は話しかけていた理由も、あっさりと見破られた。
会話に気を取られているうちに首を切断するため、鉄線を張っていた祐騎は舌打ちと共に鉄線を放棄する。
知っているはずの錬ですら分からないほど巧妙に隠されていたのだが、無駄だった。
綾美は何とか踏みとどまっているようだが、実際のところ、ここにいる三人は皆、自分が絞首台に立たされている気分である。
逃げるしかない、それが共通の考えだった。
だが、どう逃げろというのだ。
逃げるというのは生き延びるという意味において有効な戦術ではある。
だがそれは相手との実力がある程度以上開いていない場合の話だ。
ここまで絶対的な差があれば、逃げても追いつかれ、狩られるだけ。
だから、錬はとても小さな声で祐騎へと話しかけた。
(――……どうする祐騎)
(何とかして隙を作るしかあるまい)
(……俺が囮になる)
(錬、馬鹿なこと言わないで)
(馬鹿じゃないさ)
割り込んできた綾美に、錬はできるだけ冷静かつ優しい声で返す事を勤めた。
本当なら声は振るえ、恐怖をむき出しにしたいのに。
トロメアの時は大丈夫だったのに、そういう悔しさが滲み出しそうなのに。
綾美を―― 逃がすために。
(奴の狙いは俺だ、皆でばらばらに逃げても俺を追ってくる…… なら俺が囮になるしかない)
(……生き残れるか)
(……難しいな)
(だったら……)
(だから綾美、急いであのホテルまで行って助けを呼んできてくれ――
もしかしたらカルやアスラルが帰ってきているかもしれない)
(カルか…… 彼なら確かに勝てるだろう)
(錬……)
(俺たちが生き残る手段はそれしかない、ここは時間を稼いで強力な援軍を待つ―― 分かったな、綾美)
確かに、綾美は錬の言葉にうなずいた。
納得しているという顔ではない、嫌々ながらという顔だ。
だが、今はそれでいい。
「うぉおおおおおおおお!!!」
錬は剣を振るう――ただし、敵へとではない。
その切っ先は地面へと食い込み、爆発した。
即席の煙幕、その中、錬はもう一度ゼロへと突貫する。
――見えたのは、笑顔に満ちた笑顔。
錬が突貫するのにあわせて、ゼロがカウンターを放ってきたと気づいたのは、自分がビルの壁面へと叩きつけられた時だった。
「ニィ――ハハハハハハ! あれ、どうしたのかな、子猫ちゃん。
そんなに愉快に踊って? 何か楽しいことでもあったかなぁ?」
どんなに走っていても、声は消えない。
虎人は自分がもはや歩いている時と変わらない、むしろそれよりも遅い速度しか出せない事に気づいていない。
アンテノーラの笑い声と殺意という威圧に、もはやその精神的疲労が限界を迎えているのだ。
実のところ、追いかけられ始めてまだ十分も立っていない。
しかし極度の緊張の中で感じる時間は通常とは全くの別物だ。
何十時間走っているのか、そういう疑問が浮かぶほど虎人は追い詰められていた。
「う―― 返事がないなんてつまらないよぉ。 んじゃ、もう殺すか」
「ヒッ
!?」「うふ――ハハハハハハ! いいねぇ、もっと、もっと泣き叫んで命乞いしてぇぇぇぇぇ♪」
そういいつつも、アンテノーラの動きは変わる。
歩きをやめ、足に力を込めていく。
笑みが三日月のように深くなり、跳んだ。
今までのゆっくりとした動きとは段違いだ、それは獲物を狙う鷹を思わせる。
一撃で、終わる。
アンテノーラの無造作な跳び蹴りが、虎人を吹き飛ばした。
十二分に手加減した蹴りだったが、疲労の限界に達していた虎人には防げなかった。
吹き飛んで、壁に激突し、紅い血をぶちまける寸前で。
ルシフが現われ、彼女を助けた。
あまりにも鮮やかな出現だった、まるでアニメのヒーローのようにご都合主義な出現だった。
だが、そんな感情をその場にいる二人は思い浮かべなかった。
彼女の凛々しく決意に満ちた顔は、英雄にふさわしい顔。
間違いなくこの場において、彼女が中心――主人公――であることは見間違えるはずも無い。
圧倒的な存在感、聖十字軍にて最強の名を持つ異能者。
悪魔王の名を持つ―― 黒翼の女王。
「アンテノーラ、キサマ―― 何をしていた」
「うふふふふ。 見てわかんないのかナァ、弱い者イジメだよ」
「……弱いことが罪か」
「そうだよ、弱いから悪いんだよ―― 弱肉強食って知らない?」
「人と獣の違いを知っているか」
「知らないよ」
「……強い事が絶対ではないという事だ」
そのとき、虎人が消え去った。
アンテノーラとの戦闘に巻き込む前に、ルシフが異能を用いて逃がしたのだ。
「それじゃ最強の名前が泣くよぉ?」
「……最強の名前に価値は無い―― その力をどう使うか、だ」
「――じゃあ悪魔王、テメェはどう使うんだよ」
「言うまでもない」
ルシフが真横の空間に拳を叩きつけた。
そしてその中に手を突っ込み、中から黒い色をした剣を取り出す。
蒼の魔王アーシアの作った封神剣の一本、黒い剣。
この世界で世界者を殺す権利を持つ数少ない武器だ。
「守る、だ」
「弱者を? とんだ正義の味方だなぁ」
「そうだ、私は――」
ルシフは剣を構える。
異界の光が輝き、ルシフを守るように展開する。
そして、足に力を込めて――
「正義の味方に、なるんだ」
次回 縁の指輪
五の指輪 七刻目 彼が目覚める