思えば、どうしてこのような外道に堕ちたのか、それすらも今となっては不確か、幽かにしか思い出せない。

 

 “彼”は無数の意識を取り込んできた代償としての、混沌じみた思考の海から自分の意識を浮上させる。

 

 そしてもっとも簡単に自分を定義できるものを思い出す。

 

 簡単に自分を定義する方法、それは名前を名乗ることの他ならない。

 

 

 

 

 「俺は…ゼロ、いや…… そうだ、ゼロだ、ゼロでいい………」

 

 

 

 

  かつて、■■■■■■■■と呼ばれていた魔術士はそう自分にいい聞かせた。

 

 自己定義のための名前が本来の名前で無いのは、何の間違いか。

 

 しかし彼自身にとって、その名前こそがもっとも自分を強く認識できる名前だった。

 

 もはや普通の人間とは思考の形が違うのだ。

 

 すなわちそれは、彼が人を止めているという意味……

 

 

 

 

 「あれ、寝ていたのかな?」

 

 「………ジュデッカか」

 

 

 

 

  ふいにかけられた言葉に、まとまりきらない思考の中、なんとかゼロの考えで言葉を返す。

 

 しかし彼はふいにその行為が無意味だと思った。

 

 そもそもあいては人間ではない、なんで人間的思考で言葉を返す必要がある。

 

 今までの思考は、余りにも馬鹿馬鹿しく無意味な行為であった。

 

  振り向いた先に彼は、白と黒の二色で自己を定義する怪異を見る。

 

 コキュートス04ジュデッカ、コキュートス"地獄"の名前を冠する最後の柱。

 

 これほど人間の形をしておりながら、人間から離れた存在はそうそういないだろう。

 

 人間をより悪意的に歪めた様な、文字通り邪悪を体現した存在。

 

 

 

 

 「気をつけてな、今の君は急激な存在拡大の影響でガタガタ、意識を保ってないといつ型崩れするか分からないぜい」

 

 「……………知っている」

 

 「ならいいんだけどさ」

 

 

 

 

  そういいつつ、持っていたガムをジュデッカは口に入れた。

 

 ゼロはガムかと思ったが、見間違えでなければ赤い色をしていた――― 血の赤だ。

 

 噛んでいる音もどちらかといえば、ガムというより肉を噛んでいるような音だ。

 

 そして決定的だったのは――― 見間違えでなければ『指』だった。

 

 

 

 

 「やっぱ“取りたて”が新鮮で美味しいな」

 

 「ゲテモノ好きめ」

 

 

 

 

  その発言に彼の食べているものの確信を深めた。

 

 だがゼロはそれを追求しない、もし追及しても彼は肯定するだけだ。

 

 そして自分はそんなものを食べるほど落ちぶれては居ない、ゼロはそう思考する。

 

 

 

 

 「そういえばさ、今度の実験… 聞いてるかね」

 

 「“薬”の完成品… たしか鬼の発展形では限界があるので、別の種族にしたらしいな」

 

 「あん、まあ頭は空っぽ…… 悪く言えば馬鹿だけど、生命力と身体能力は高いから役には立つんじゃないかな」

 

 

 

 

  ジュデッカはいつの間にか持っていた書類を見ながら言う。

 

 無造作に見ているので近くにいるゼロにも内容が見て取れた。

 

 内容は一言で言えば狂気としか表現できない。

 

 狂気すら通り越してもはや怪異の領域に入っている。

 

  かつて彼らがばら撒いていた“薬”、それはある程度の効果はあったが彼らの望んでいたものには届かなかった。

 

 それにかわり新しく用意したものがその書類には書かれている。

 

 見るものが見ればその内容に含まれた高純度の狂気に悲鳴をあげるような、呪わしい内容だった。

 

 

 

 

 「でさ、面白い事があるんだ」

 

 「何だ?」

 

 

 

 

  ニヤニヤと笑いながら見てくるジュデッカに、その忌々しい笑みに吐き気を覚えながらゼロは問い返す。

 

 ジュデッカは楽しそうに、この上なく楽しそうに言う。

 

 そして彼の期待通り、ジュデッカの言葉はゼロ自身を狂喜に導いた。

 

 

 

 

 「そこに、秋雨錬もいるらしいよ」

 

 「―――――!」

 

 

 

 

 

  秋雨錬。

 

 

  それはゼロに、絶対的な脅威として、そして永遠を手に入れるに絶対に乗り越えなければならない存在として刻まれている名前だった。

 

 破壊、ゼロの永遠を支える命を滅ぼしつくす破壊神の腕を振るう者。

 

 死を支配する死織と同じく、ゼロを滅ぼせる存在。

 

 だが―――

 

 

 

 

 「ちょうどいい、あいさつをしておかないとな」

 

 「あはははは、殺すなよ?」

 

 「遊びだ、その程度で死ぬなら捨てればいい」

 

 

 

 

  ゼロはそう言い放ち、腹の中からあふれ出す衝動のまま笑い始めた。

 

 まるで、悪魔のように。

 

 だがなぜか、その笑い声に憐れさを覚えるのは…… 気のせいなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                縁の指輪 

    五の指輪 四刻目 邂逅する者達

 

 

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  最初見たとき、何の冗談かと思った。

 

 錬は思わずそこを見たとき、ありえないそれに眩暈すら覚えた。

 

 綾美はただ、そこを見て――― 絶句していた。

 

  屋敷、だった、そう――― 錬の家を思わせる屋敷、いや、瓜二つではなく、全く同じだった。

 

 ただ、表札だけが違う、そしてそこには“月川”と書かれている。

 

 錬はただ一つ、思い出して、確認する。

 

 彼女の名前、“月河”綾美。

 

 

 

 

 「これ、は………」

 

 「分かったか、さすがだな。

  ここは本当の月河家、もしくは月川の本家と言うべきだな」

 

 

 

 

  何とか搾り出した、そうとしか表現の仕様が無い小さな声。

 

 その綾美の言葉に冷たくカルは呟く。

 

 だからこそ、彼の言葉は綾美に強く突き刺さった。

 

 否定しようとしても、できるわけがない。

 

 

 

 

 「だが、今は誰も居ない」

 

 「………どうして」

 

 「殺されたからさ、一人残さず」

 

 

 

 

  あっさりと、まるで今日の天気を述べるような口調でカルが言い放つ。

 

 その余りにも酷く、戦慄すべき事に綾美は当然、そして錬も絶句する。

 

 彼らのその表情を見ても、彼の口調は変わらない、変わらない口調のまま続きを言い放つ。

 

 

 

 

 「じゃなけりゃ誰も“唯の人間”の屋敷に注意など向けなかっただろう」

 

 「唯の人間?」

 

 「別に異能者でも魔法使いでも魔術士でもない、唯の人間。

  だがここで起きた惨殺事件は余りにも異質で、即座に“こっち側”の事件と知れ、報道規制。

  比較的近い位置にいた俺たちが調べる事になったってわけだ」

 

 

 

 

  そして彼はすこし歩き、表札を指差した。

 

 月川、つきかわという綾美が自らの名前にもつ音と同じ音を持つ名前。

 

 綾美はそれを見て、顔をしかめながらもカルへ問いかける。

 

 

 

 

 「具体的には、どう殺されたんですか」

 

 「何十匹の猛獣に喰い散らかされたようなもんさ。

  真っ先に入った警官が吐くぐらい素敵な状態だったよ」

 

 

 

 

  おぞましい事を言いながら、カルは屋敷へと入っていった。

 

 錬は何の躊躇無く着いていく、アルラルとルシフも同じくだ。

 

 だが綾美のみは、長い葛藤の後に彼らへとついていく。

 

  彼女自身、覚悟はできていると思ったが、そうでも無かったようだ。

 

 ここにきたら後悔のような感情が沸いてくる。

 

 さきほどのカルの言葉もそれに拍車をかけていた。

 

 だが、その後悔も何とか耐え抜いたからこそ、綾美は歩き出したのだ。

 

  そして、中に入って真っ先に目に入ったのは、綺麗だが生き物の気配が無い廊下。

 

 済む人も無く、掃除こそされていても死んでいく事を、誰かが住んでいた頃の暖かさを失っていく。

 

 その果てに生まれた、綺麗な死の気配だった。

 

 静止した、世界。

 

 あの神社とは違う方向で死へと進む、廃墟。

 

 

 

 

 「…………っ」

 

 「掃除などは済ましてある、逆に言えば殺害の時の様子は残していない――― 俺がすくに始末を命じた」

 

 「証拠とかも始末したのか?」

 

 「あのままではあまりにも残酷だからな」

 

 

 

 

  綾美の耳に、錬とカルの会話が届く。

 

 たが今、綾美にとってそれは音の羅列に過ぎなかった。

 

 耳に入っても、脳が認識しない。

 

 

 

 

 「………何故こんな殺され方をされなければいけなかったのか。

  月川という家の歴史を紐解いてみて、やっとその答えの一端に辿りついた」

 

 「……… 教えて、ください」

 

 「近親婚だ、上手く偽装こそされていたが、どれもが兄と妹、そういった関係との結婚だったんだよ」

 

 「――――!?

 

 

 

 

  とっさに、無意識のうちに問い返してしまった綾美はその答えに絶句した。

 

 まともに考えなくとも禁忌に触れている行為、狂気に半歩踏み出しているどころか全身が沈んでいるような異常。

 

 そして、もしかして、そういう呪わしい想像をして――― 口を開く。

 

 否定して欲しいから言った言葉は、綾美の想像していた形で潰された。

 

 

 

 

 「私も、なんですか」

 

 「ああ、君の父と母の関係は――― 姉と弟だ」

 

 「………ふざけた話」

 

 

 

 

  ふいに自分の腕を引き裂いて、血を全て捨てたくなる。

 

 もし本当に全ての血を入れ替え、全く別の血に変えられるのなら、すぐに変えたい。

 

 錬もこのような気持ちだったのかもしれない、と綾美はぼんやりと思い浮かべた。

 

 

 

 

 「だが、今までなんでこの一族がそのような異様な事をしているのか、それが分からなかった」

 

 「今まで? 今はどうなんですか」

 

 「………ルシフが地竜の里で調べてきた、あそこは外界から遮断されている分、情報の劣化が少なかった。

  だから、大昔の――― 三つの家系に連なる月川の正体が残されていたんだ」

 

 「三つの家系、まさか…」

 

 

 

 

  カルの発言に口を挟んだのは綾美ではなく、錬だった。

 

 三つの家系、それは錬にとっては聞き逃す事の出来ない単語だった。

 

 神作りの三家系、そのうちの一つ、秋雨に連なるものとして。

 

 逃げる事の出来ない、呪われた宿命―――

 

 

 

 

 「さすがに分かったらしいな、そうだよ。

  月川は秋雨の“保存用の血統”、完成した神殺しを次の世代に生かし続けるため、極限まで純粋化させた人間血統だ」

 

 

 

 

  ―――それでも否定して欲しかった。

 

 だが現実は逃げる事など無く、ただ錬と綾美に事実を叩きつける。

 

 しかし、カルの予想に反して彼らは取り乱す事など無かった。

 

 

 

 

 「薄々、何かを感じてはいたんだ――― 唯の気まぐれで、倒れていた綾美を助けたなんておかしいと思っていた」

 

 「本来なら錬と父と綾美の母が結婚する予定だったそうだ。

  秋雨伍龍という神殺しの血を次の世代に受け継がせるために―――」

 

 「………仕組まれていた出会いだとしても、俺はこの出会いを不幸とは思いませんよ」

 

 

 

 

  カルの砕けた笑み、錬は自分の決意を示した言葉でそんな風に反応されるとは思っておらず、思わず目を見張った。

 

 普通なら馬鹿にされたと思いそうだが、彼の笑い声にそんな悪意は存在しない。

 

 ただ楽しそうな、子供のような明るい笑い声だった。

 

 

 

 

 「すまんすまん、どうもお前さんのそっくりを知ってて、ついつい重ねちまった」

 

 「それで笑うのかよ」

 

 「俺にとっては愉快なことなんだよ、まさかここまでそっくりとはな」

 

 

 

 

  何とか笑いの衝動を堪え、カルは言う。

 

 ふと、彼の表情に愁いの色を見て、錬は彼が進んできた歴史の影を垣間見たような気がした。

 

 自分が今、おかれている状況よりも、深い影を、見たような気がした。

 

 

 

 

 「さてさて、それじゃあ俺たちは行くぞ」

 

 「………綾美と一緒に居る」

 

 「そうしてくれ、帰り道はわかってるな?」

 

 「道順は覚えているし、あまり遠くないから帰れるよ」

 

 「そうか、いくぞアスラル、ルシフ」

 

 

 

 

  不意にカルが放った発言を、すこしの間考えて錬はその意図を理解した。

 

 綾美にとってこの事実は重く苦しいものだ、なら心許せる人物と一緒にして他人が離れた方がいい。

 

 そういう気遣いだったのだろう、彼らは名残や未練の欠片も見せず立ち去っていった。

 

 

 

 

 「どうする、綾美?」

 

 「………見て、回ろう。 もしかしたら私もここにいたかもしれないから」

 

 

 

 

  錬が神社に残した足跡のように、もしかしたら綾美が残した何かがあるかもしれない。

 

 それが見つからない方がいいのか見つかった方がいいのかは分からない。

 

 ただ、何かしていないと綾美が何処かへ行ってしまいそうな気がして、錬は綾美の手を取って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  鳥の獣人は視力が高い、それゆえに彼らは昔より裏の世界では偵察の任務を帯びる事が多かった。

 

 かつて聖十字軍が罪人部隊であった頃から変わっていない、数少ない例外の一つ。

 

 錬達がいるこの都市にも、聖十字の支部がある以上、警備網が張られているのは当然である。

 

 そしてここ、とあるビルの屋上では一人の鳥人がその驚異的な視力を持って怪異を補足していた。

 

 

 

 

 「なんだ、アレは………」

 

 

 

 

  様々な戦いを潜り抜けてきた彼でも、その姿に畏怖を覚えるほど、それは異常な光景だった。

 

 単なる大型トラックだ、普通に道路を走っている極々普通の。

 

 ただし、それが50を超えて、数珠繋ぎに走っていれば怪異としか言えない。

 

 しかも…

 

 

 

 

 「サスペンションが沈みすぎだ、全部改造してある………」

 

 

 

 

  どの車両もそのサスペンションが深く沈み込み、その重量が本来の仕様とはかけ離れている事がわかる。

 

 そしてどのガラスも特殊な素材が使われているのか中を、運転席を見る事が出来ない。

 

 それよりなにより、第六感とも言うべき感覚がそれらが危険な存在である事を全力で咆哮していた。

 

 

 

 

 「狙撃で先頭車両のタイヤを撃ち貫く、それで―――」

 

 

 

 

  普通の車両なら止まる、だが普通で無ければ――― その時は通信機を用いて報告するだけだ。

 

  彼は幾度か、同等の手段で聖十字軍に敵意を持つ組織の動きを止めてきた。

 

 今回もその一例になるだけだ、そう簡単に考えていた。

 

 そして常に持ち運んでいるトランクから、愛用の狙撃ライフルを取り出す。

 

  使用するのは着弾と同時に飛散し粉塵と化し、銃撃の痕跡を残さない特殊弾頭。

 

 民間の車両を誤射してもこの都市に対する聖十字の力で、事故で済ますことが出来る弾丸だ、もし民間ならとんでもない迷惑をかける事になるが、仕方ない。

 

 大事なのは、支部の安全だ。

 

 

 

 

 「まあ、そうだったら不幸と思って諦めてくれ」

 

 

 

 

  ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、彼はライフルのスコープを覗き込んだ。

 

 たとえ鳥人の視力といえど、高精度の狙撃を要する場合はそれらの装置の補助を必要とする。

 

 そして彼は、さらに驚愕する事となった。

 

 まるでたちの悪い病気にかかったかのように、震える声を絞り出す。

 

 

 

 

 「馬、鹿………な… ―――正気かッ!?

 

 

 

 

  先頭のトラック、そしてその助手席、そのドアが走っている中、あろう事か全開となっていた。

 

 そして体を外へ出し、右手と片足だけで自分を支えている人間がいた。

 

 狂っている、正気で行なえるような行為ではない、だがそれを行なっている女は楽しげにケタケタと笑っている。

 

  赤い女だ。

 

 赤く長い髪、異常なほど長い髪は高速で走るトラックにいるせいで後ろへと流されている。

 

 普段ならその髪のせいで顔はまともに見れないだろうが、今は髪が後ろに流されているため、見る事が出来た。

 

 ケタケタ笑い、首を直角に曲げ、血のような目がギラギラと狂気の色を滲ませて輝いている。

 

 全身、真紅の女。

 

 

 

 

 「―――――ツァァアアアァァアァァ!?!?!?

 

 

 

 

  その女を直視した瞬間、彼は狂ったかのように絶叫した。

 

 迷う事無く、一瞬の躊躇も無く、ライフルの銃口を女の頭部へ向ける。

 

 理屈など無い、ただ本能が、生物を構成する根源たる何かがその女を殺さなければいけないと叫んだ。

 

 そして引き金を引く、弾丸は彼自身が信じられないほどの精度で放たれ、女の頭部へo単位の誤差もなく直撃コースを進む。

 

 当たる、確実に…… 本来なら証拠隠滅のための飛散効果は、これならある意味爆弾に近い効果を発揮する。

 

 まるで真夏のスイカ割りのように、はじけ飛ぶ女の頭部を幻視して鳥人は狂喜した。

 

 だが……

 

 

 

 

 「な、に……」

 

 

 

 

  弾丸が、止められていた。

 

 髪が、彼女の長髪がまるで触手のように動き、弾丸を受け止めていた。

 

 それも飛散しないように、人間で言えば親指と人差し指ではさむように。

 

  迷う暇など、もはや無かった。

 

 

 

 

 「こちらA−09エリア! 異常事態発せ――― 」

 

 

 

 

  それが、彼の最後の言葉となった。

 

 狙撃体制、地面にうつぶせになった状態の彼の頭を何者かが上から踏みつけたのだ。

 

 いや、正確に言うのなら踏み砕いたというべきだろう。

 

 その頭部は彼自身が幻視した光景のように撒き散らされていた。

 

 

 

 

 「アンテノーラ、遊びすぎだ」

 

 『あれぇ、トロメアちゃんは楽しくなかった、ざーんねん、見なかった?

  その鳥人の狙撃失敗の時のほ・う・け・が・お、あまりにも無様で最高だったぜぇええい、リ――――ハハハハハハ!!!』

 

 「下衆な女め」

 

 

 

 

  死人、もしくは邪悪な獅子を思わせる男がそこにいた。

 

 泥や土で汚れたファー付き黒いロングコート、金色の髪―――獅子の鬣、死人の茶色に近い皮膚の色。

 

 言うまでも無い、世界者『トロメア』―――だ。

 

 

 

 

 『ぎぃひひ、じゃぁあああワタシ・アンテノーラちゃんは予定通りに遊びに行ってきまぁああああす。

  お土産は真っ赤な生首でいいかなぁ、エ――――ハハハハハハ、イヒィィィィ―――――ハハ!』

 

 「いらん、我が欲しいものは自身で手に入れる」

 

 『ぇぇえええ? ま・いっか、そんじゃあお互い死なないようにね、イヒヒヒヒヒヒヒ』

 

 

 

 

  おぞましい声が消え去り、その場は静寂に閉ざされる。

 

 トロメアも己の目的を果たすために、その場から去る。

 

 残されたのは物言わぬ死体一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よく、黙ってられたなルシフ」

 

 「そうね、自分でも驚いてるわ――― まあ、私も似たようなものだったしね」

 

 

 

 

  綾美を屋敷に連れて行った後から、終始、黙っていたルシフは、車が動き出したところで初めて口を開いた。

 

 普段の、冗談を好む彼女らしくない、暗い目をしている。

 

 憎しみや悲しみといった負の感情を強引に抑えたゆえの、暗い目だった。

 

 

 

 

 「そうだったな、連れてくるべきじゃなかった」

 

 「……いいわよ、自分の戦う意味を再確認できたから」

 

 「そうか」

 

 

 

 

  赤信号になったため、車を止める。

 

 信号が変わる極短い時間も、どちらかといえば暗い雰囲気の中では長い時間に思えた。

 

 どうもこの雰囲気になれることが出来ない、カルはそう思いつつアスラルへと話しかける。

 

 なんとなく気になっている事だった、自分が元凶なのは知っているが、それでも聞きたいことはある。

 

 

 

 

 「アスラル、すこし、乱暴だったかな?」

 

 「確かに乱暴といえば乱暴、けど…… 仕方ないわ、それに」

 

 「ん……?」

 

 「彼らなら、超えられると思ってる」

 

 「そうか、長い付き合いのお前が言うんだ、そうなんだろうな」

 

 

 

 

  アスラルの本人は自覚していないが、彼らを信頼している故の安堵をその表情の中に見て、カルは心配する事を止めた。

 

 そもそも彼の心配など、自身の罪悪感から来る偽善に他ならない。

 

 それに気づいて、思わず彼は苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

 「さて、それじゃあこのまま帰るぞ――― 最後の用件は、帰ってきてからにしよう」

 

 「本当なら、その用件だけだったのですけどね」

 

 「まあそうそう予定通りに行く事は無いからな、むしろ予定通りに行く方が怖いさ――― 何かに踊らされているみたいでな」

 

 「……しかし、何で“今回はそっちの姿”なんですか」

 

 「昔…… 彼らには普段の姿は見られているんでな」

 

 

 

 

  まるで悪戯がばれた子供のような声を出して、カルは言う。

 

 そして、怪異は始まった。

 

  カルの髪が急速に伸び、銀の反射を帯びる。

 

 髪だけではない、身長、体格、全てが、異様な速度で変化していく。

 

 まるで植物の成長を見るための早回し映像のように、カルは変化していき―――

 

 

 

 

 「こっちで会うと、いろいろ不便なんだよ」

 

 

 

 

  世界の裏の騎士団、団長、カル・イグニーニスに変わっていた。

 

 やはりかつて、錬と綾美の前世の時より、その姿に変わりは無い。

 

 驚愕すべき彼のその変化に驚く事無く、ただアスラルが不機嫌そうな顔になる。

 

 そして恨めしそうな声で小さく呟いた。

 

 

 

 

 「最初に会った時、その姿のせいで気づけなかったのよ」

 

 「はは、すまないな。 どうも連中関係できな臭い話が多いから、撹乱も兼ねてな」

 

 「それなら暗黒騎士(カオス・ナイト)に任せなさいよ、そういう小細工はあのクソ餓鬼の特技でしょうが」

 

 「ルシフ、まだ群雲の事嫌ってるのか?」

 

 「当然よ、あの外道と仲良くなるぐらいならアイツのところに帰るほうがマシ!」

 

 「そこまできたか」

 

 

 

 

  ルシフの出したアイツというのは、かの紫の魔王の事だ。

 

 彼の元で育ったのに…… いや、むしろそのせいか、彼女は異様なほど彼の事を嫌っている。

 

 彼女が彼よりもマシというとなると、なぜそこまで嫌われたのかを疑問に思うほどだ。

 

 

 

 

 「本当ならルシフの言うとおり群雲に頼むつもりだったんだが、まあ恩人には会っておきたかったんだ」

 

 「……どういう意味ですか?」

 

 「ああ、気にするな。 余り意味の無い話―――」

 

 

 

 

  彼の言葉が凍りつく、その突然の出来事にアスラル達は反射的に彼の見ていた方向を見ていた。

 

 そして目に入ってきたのは、茶色――― 死人にも似た茶色が目に焼きついて―――

 

  目に入ってきたその色の意味を理解すると同時に、ルシフは自らの“翼”を広げていた。

 

 アスラルも眼帯を解除しようとするが、間に合わない。

 

 その存在は人間大の大きさの中に、人智を超えた暴力を秘めるバケモノなのだから。

 

 もはや車から飛び出す時間も無い―――

 

 

 

 

 「ルシフ―――!」

 

 「空間断絶・接続――― 展開!!!」

 

 

 

 

  ―――だが、カルは車のドアに手を触れることもしなかった。

 

 焦燥に駆られた声でカルが彼女の名前を叫ぶ。

 

 ルシフが自らの異能の効力と効果を、名を叫んで起動させる。

 

 次の瞬間、彼らの乗っていた車は、強烈な一撃を受けて爆砕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「まるで、神社の時みたいだよね」

 

 「……よく、俺も昔やったよ、家の柱に自分の身長を鉛筆で書き込むんだ。 よく、姉さんとやってた」

 

 「ワタシは妹と弟と、三人で」

 

 

 

 

  そんな会話をしながら、彼らは屋敷を支える柱の一つに目を向けていた。

 

 会話の通り、そこには鉛筆で書き込まれた身長を示す横線が、今もなお色あせる事無く残っている。

 

 子供が書いたと一目で分かる、めちゃくちゃなひらがなで、「あやみ」と線の横に書かれている。

 

 それが指し示す意味より、この場所の本来の意味に似合わない穏やかな行為に思わず錬と綾美は微笑を浮かべてしまっていた。

 

 

 

 

 「全く、困っちゃったね、また悩み事が増えちゃった」

 

 「まあ一つ一つ解決すべきだといいたいけど、だから何、って感じかな」

 

 「確かに、もう終わった話よね… もう、誰も生き残ってなんかいない、私も、人じゃない」

 

 「……ある意味、幸運だったのかもな」

 

 「ええ、本当に…… 変な話だけどね」

 

 

 

 

  そして綾美はその柱を背にした。

 

 もう、この場所にいる用は無い――― もう、ここは死んだ場所なのだ。

 

 何の意味も残っていない、朽ちていく廃墟と何も変わらない。

 

  だがその感情も、実のところはこの場所への嫌悪感から生まれた逃避だったのかもしれない。

 

 だからこそ、綾美が見逃したものに錬は気づいた。

 

 

 

 

 「……1、2、3……4?」

 

 「どうしたの?」

 

 

 

  錬は何となく、それを数えて首をかしげた。

 

 彼の不思議そうな声を聞いた綾美も、もう一度柱を見る。

 

 錬が指差すものを、見る。

 

 

 

 

 「線だよ、身長を示す線…… 一つの時期に四本ある、よく見ると、重なってる」

 

 「私の…… 藍子の…… 卓の…… 藍子の所に、二本?」

 

 「……偶然かな?」

 

 「違うよ、他の時期も藍子のところだけ二本、重なってる」

 

 「どういう意味、だ」

 

 

 

  何となく、気づいたそれは大した事ではないはずだった。

 

 しかし綾美はそれに違和感を覚えていた。

 

 錬もそんな彼女に付き合って、その違和感に向き合う。

 

 そうだからなのか、それとも、彼の隠密能力が高いからか…… 声をかけられるまで彼の存在に気づく事が出来なかった。

 

 

 

 

 「それは我の書いた分だ、二卵性とはいえ双子のせいか、そのころは身長に差が全くなかった」

 

 

 

  錬達の後ろ、あまり離れていない場所から声がかけられた。

 

 錬と綾美はふいに現われた気配に驚愕するが、なぜか戦う気は起きない。

 

 それは彼の声に敵意が全く無いからかもしれない、だがそれ以上に、男の声をいう差はあるが――― その声質は綾美と酷似していた。

 

 

 

 

 「お久しぶりです、姉上」

 

 

 

 

  二人たちが振り向いた時、今度こそ、彼らは驚愕に固まった。

 

 そこにいたのは……… 死んだはずの月河藍子だったからだ。

 

 

 

 

 「藍……子……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回 縁の指輪

五の指輪 五刻目 人外戦場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。