「そっか、ルシフ… やっぱりだったんだ… あぁあ… よく出来ているね」
「そうなるわ、そう――― 本当に、よく出来ているわ」
連れである地竜の少女を外へ待たせ、聖十字軍総司令・朝露薫由里と聖十字軍異能者・ルシフ=ヒアノーラは話し合う。
二人の間にはまるで銃弾行き交う戦場にいるがごとき緊張感があり、そこが戦場ではない事がむしろ不思議な状況だった。
その理由は二人の正体のせいかもしれない。
一人は世界の裏を二分する片方、聖十字軍を支配する地竜。
一人は聖十字軍最強の異能者というとんでもない組み合わせだ。
この二人だけで一国の軍と互角以上に戦えるだろう、それほどの超存在達なのである。
少なくとも人間の常識で推し量るなど不可能な存在たちだ。
「思えばそういう存在が居る可能性がいてもおかしくないよね………
プラモデルの完成品だって、きちんと箱に収めて保管しなければ壊れてしまうし」
「最悪最悪最悪、どこまで狂ってるのかしら! …こんなおぞましい事」
「恐怖は万能の免罪符、何事においても、何時においても―――
希望が最高の力というなら、恐怖はボクらとキミらの最悪の力さ」
二人は知っていた、人間にてもっとも危険な感情は恐怖である事を。
怒りはその原因が消えるか離れれば消え去る、悲しみは拭う事が出来る。
しかし恐怖は沈殿する、恐怖の対象は乗り越える事が出来ないからこそ恐怖となるのだ。
だからこそ恐怖を消し去る事に人は躊躇を覚えない。
いや、恐怖こそが人類を進化させてきたのだ。
夜の闇が怖いから明かりを生み出した、死が怖いから医学は発展した。
そうだ… 人は恐怖で変わる生き物だ、いい意味でも――― 悪い意味でも。
そして今回はそれが悪い意味で出た、ただそれだけだ。
当事者がどれほど苦悩しようとも、これだけは覆しようが無い。
「私はさて、どうしたらいいのかしら?」
「しばらくは待機、けっこう最近忙しい思いさせたし、しばらく休息だよ。
それにね……… 例の錬君と彼女が、ここに来るから」
「そういえば今日の予定だったわよねぇ、全く… ほんと、よく出来た状況」
「気に喰わないなら舞台を作った舞台監督を殺して欲しいよ、ボクは」
「それは―――」
彼女の言葉に、ルシフは暗い笑みを浮かべた。
暗闇で見れば悪魔に見えるような、悪魔のような笑み。
だがルシファー(悪魔王)の笑みとしてみればこの上なくふさわしい。
むしろその表情が彼女の本来の顔ではないかと思うほど、怖気がくるほど美しかった。
「―――騎士達の役目でしょう、世界の裏で語られる事無い戦争を生きる彼らの役目」
「そうだね、それが彼らの選んだ道なんだから」
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縁の指輪
五の指輪 三刻目 生贄血統
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まるで全身が腐ったような脱力感だけが、錬の今、感じている全てだった。
今、彼の隣には綾美がいる。
手を伸ばせば触れられるほど、近い距離。
だが今の錬にとって、彼女は地球と太陽よりも離れている存在に思えた。
ただ、彼の思考を統べているものは、罪悪感と後悔。
もっと前に話していればこんな目に会わなくてよかったのではないか。
もっと前に話していれば彼女がここまで苦しむ事は無かったのではないか。
いくらでも沸いてくる錬を蝕む感情。
しかし全てはもう遅い、とっくに最悪の展開は始まってしまっていた。
「綾美………」
「どうしたの錬?」
いっそのこと、叫んで吼えて罵ってくれればどれだけ楽か。
その瞬間、見てしまった綾美の表情で思った事はそれだった。
涙を我慢して、必死になって笑顔を作っていた。
そんな彼女に何を言えというのか。
「なんでも、無い」
「そう………」
『まったく、何時ばれたのかしら?』
『おそらくは俺たちが車に向かう時だろうな、あのときからこんな感じになっていた』
後部座席の会話を聞いて、二人の話し合いは始まった。
ただし錬達に聞こえないように、アスラルとカルは言葉を出さず互いの唇の動きで相手の発言を確認している。
別に訓練などを受けた事は無いが、長い付き合いだ、それだけで十分相手に伝わる。
『どうします?』
『こういうのはきっかけがあればなんとかなるんだが…
向こうに着いたらとにかく理由を作ってあの二人だけにするぞ』
『逆効果にならないかしら?』
『少なくともあの状態で進まないよりはマシだ、それに――― 今回の目的にとって、むしろこれは序の口だろう?』
そこまで言って、カルは後ろを横目で見る。
互いに互いを意識しているせいで、何も言い出せずにいる。
確かに何かきっかけでもなければ何も起きない――― そして気づいたときは手遅れになっているだろう。
『アスラルは向こうに着いたらルシフを探してくれ、こういうデリケートな話題にアイツは邪魔者だ』
『ルシフに任せたら和解するものもできなくなりますからね』
二人は共にまさに悪魔の化身といってもいいほどの女を思い出し、思わずため息を突いた。
彼女の交渉能力はもはや最悪の領域を通り越している、彼女に交渉などさせては冷静な犯人も逆上して人質を皆殺しにしかねない。
とくに今のような危険な状況は完膚なきまでに悪い方向に進まされるだろう。
そういう女、なのだ。
『具体的にはどうします?』
『まずアスラルはルシフを探すといって一人で行動、俺は用意をしてくるという。
ホールに待たせるのもなんだからと言って二階のカフェへ、周囲は彼女に閉鎖してもらう』
『…権力の乱用』
『使える時には使わないとな』
罪悪感の欠片も無い顔色。
思わずアスラルは彼を睨むが、それで罪悪感を感じるような人物ではない事ぐらいとっくに知っていた。
聖十字軍という巨大組織の副指令、それにとってこのような小さな事で罪の意識を感じないほど、もっと残酷な決断や行為を行なっているのだから。
『カフェにいる隊員はどうします?』
『俺が穏便にやっておく』
『了解』
彼の“穏便”が自分の思っているようなものか、多少不安になりつつもアスラルはそれを通した。
下手に何か言うとろくな目に会いそうに無いからだ。
しかし彼の悪戯坊主を思わせる笑みを見ていると、信頼など微塵も浮かんでこなかった。
「それじゃあ高速を降りるぞ、もうすぐ着く」
今までとは違い、錬達に聞こえるようにカルは言い放つ。
アスラルはそれですこしは彼らの様子が変わるのではないかと淡い期待を抱いたが、無駄だった。
そもそも彼の言った言葉を聞いているかも分からない。
うつむいたまま、錬も綾美も顔を上げていなかった。
(…………… 本当に、頼みますよ)
アスラルは心中で呟いた。
少なくとも彼女には、負い目があった。
本当の目的を話さず、彼らを連れてきた――― しかも間違いなく悲劇の待つ舞台に。
アスラルも仕方ないとは知っていた、だがそれでも耐えられるものではない。
自分の歯が、唇を噛んで血を流すのを、抑える事が出来なかった。
「着いたぞ、ここだ」
錬は駐車した車から降りて、カルの指差した施設を見た。
聖十字軍の施設と聞いて、何処かの資料で見た軍の基地みたいなものを想像していた錬には全く予想外の場所である。
なにせ、どこからどうみてもホテルなのだ。
「外見はホテルだが、宿泊しているのは全員聖十字軍の関係者… ここなら人の出入りが多くても不審じゃないだろ?」
そういいながらカルは歩き出した。
確かに、普通のホテルにしては駐車場に止められた車が少ない。
よく考えれば聖十字軍のほとんどは獣人や異能者といった存在だ。
車で移動する事が困難、もしくは車より速いのなら車を使う事は無いだろう。
そう思って錬は納得した。
ホテルに入り、フロントの前まで来たところで、カルが後ろを振り返って言い出した。
フロントの中は一時間に一回掃除しているのではないかと思うほど、汚れが無い。
床にも汚れやホコリなど無く、うつむいている錬には自分の顔が見えるほどだった。
「さて、俺はとりあえず司令を呼びに行ってくる」
「いえ、こっちが出向き―――」
「呼んだのは俺たちだ、客に礼儀を尽くすのは当然だろ?」
綾美が言いかけた言葉をカルは――― なぜか慌てて ―――否定した。
そしてすこし早足で歩き出す。
「アスラル、彼らを二階のカフェに連れてってやってくれ!」
「はい、副指令も“急いで”くださいね」
カルの足は早く、アスラルと会話しているわずかのうちにホテルの階段まで進み、とんでもない速さで駆け上っていった。
どうしてそこまで急ぐ必要があるのかは分からなかったが、錬は聞く気が起きない。
ただでさえ憂鬱で、何かを喋る事や思考する事すら疲れるのだ。
ほとんど移動も何もかも、無意識の動作でやっているようなものだった。
「さて、それじゃあさっそく行きましょうか。
先に言っておくけど、カフェのメニューで何としてもコーヒーだけは避けて、不味いから」
そういいつつ、アスラルは歩き出す。
とはいっても、すぐ近くにあるエレベーターまで進むだけだ。
ものの数秒でエレベーターの前に着き、そのスイッチを押す。
エレベーターはどうやら降りてくる途中だったようで、押してからすこしの時間で一階まで降りてきた。
そしてゆっくりとエレベーターが開き………
「あ、アスラルじゃない?」
「る――― ルシフ!?」
その中に居た人物を吐き出した。
漆黒の服を着た、金の輝きを持つ瞳と髪を持つ女性。
彼女はアスラルを見つけた瞬間、顔を輝かせた。
対してアスラルはルシフを見た瞬間、驚愕していた。
「迎えに着たのにちょっとタイミングが――― て、何!?」
「ごめん錬、綾美! ちょっと予定が出来たから先に行って!
カフェは二階で降りて真っ直ぐ行けば着くから!」
瞬間、アスラルはその身体能力の低さを思わせない電撃的な行動に出ていた。
一気にルシフと呼ばれた女性に跳びかかり、その口を左手で塞ぎ、右手で腹に回してして抱きかかえ―――
とんでもない速さで駆け出した。
「―――!?」
「ごめんなさい!」
あっという間の出来事だった。
たったそれだけの間に、その場には錬と綾美だけが残された。
ホテルに入って、まだ二分も立っていない。
あまりにも不自然な事象だった。
だが今の錬はそんな事を気にしなかった、思いつきもしなかった。
ただ言われたとおり、エレベーターの中に入り二階へのボタンを押した。
となりに綾美が居る――― どうすればいい。
ただ何を言えばいいか、どうすればいいか、その永遠に空回りする問いを自らに行なっているだけだ。
いや、もう結論は出ているのだ、ただそれを行なう勇気が無いだけだ。
選択肢が無い、だから無駄と知ってはいても何か無いかと探していた。
無意味な問いを、その瞬間まで。
「どういうコトよアスラル!?」
「今は非常事態なのよルシフ」
「……… その理由はさっきの子かしらねぇ?」
「ニヤニヤしながら聞かないで、わかってるんでしょうが」
「表情とか雰囲気みれば、分からないわけ無いじゃないのアスラるん?」
「―――ッ!」
二階と三階の間にある階段の踊り場、そこで漆黒の女ルシフとアスラルが話し合っていた。
あのあと、アスラルは彼女をここまで引っ張ってくる事に成功したが、それが精一杯だった。
そもそもアスラルとは違い、ルシフの能力を封じる有効な手は無い。
ココまで来たところで彼女は自らの“翼”を広げてアスラルの拘束から逃れたのだ。
「OK・事情を聞きましょうか……… 面白そうだし」
「そっちが本音でしょうが、けど言っておくわ――― あの子達に害になるなら、許さない」
「わかってる、そこまで愚かじゃない」
そしてゆっくりとアスラルは口を開き、話し始めた。
内容は簡単で彼らが誰か、何が起きたのかという最低限の情報だけだ。
少なくともエギレティスの情報を教えてくれた時にルシフは綾美の事をお嬢と呼んでる。
ある程度の知識と情報を持っているのが前提としての話、だがルシフはそれで納得してくれた。
「ハァ、とんだミスね、そういうのは一瞬でも油断すると破綻するのよ」
「もうとっくに思い知った後よ」
「なら次回は大丈夫でしょ」
「次回なんてあって欲しくないわ」
心底そう思う、そんなアスラルの表情を見てルシフは悪魔のような笑みを浮かべた。
それはどうしてかとアスラルが疑問に思ったとき、彼女は自分の指を上に上げた。
つられて上を見上げた時、そこには朝露薫由里とカル・イグニーニスがいた。
「ここにいたのかアスラル、ルシフ」
「面白そうな事を聞きましたので参加していい?」
「言っても聞かないくせに」
カルの問いにとんでもない事を言うルシフ。
返すのはカルではなく、その性格から出す事事態が珍しい薫由里の冷たい声だった。
だがそんなものでルシフが反省や止まるわけが無い、そんなまともな人格ならここまで苦労などしない。
まともではないから苦労をするはめになるのだから。
「それじゃあまずは邪魔者の排除からね」
着いた時、いきなり紅茶が差し出された。
カフェに入って注文もせず、座った直後だったので思わず錬と綾美は停止する。
その二人の視線に恐れをなしたのか、心配になるほど震えながら、犬のような耳を持つ獣人のウエイトレスは言う。
「あ、アスラル様より、り… 出すように、い、いわれてまして…て……」
たったそれだけの台詞をいうのに精神力を使い切ったのか、かなり声が震えていた。
そしてまるで喧嘩に負けた犬のように――― 犬の獣人なのでそれでいいのか ―――脱兎の如く立ち去っていく。
何かに脅されているような雰囲気だった。
だが今の錬達では気づけなかったが、異変はそれだけではなかった。
椅子に座っていたはずの猫の獣人や、紅い目を持つ異能者など、様々な隊員達が一瞬で次々に消えていく。
だがそれを見ている彼らに不安や恐怖は無かった、残念な事に――― ここに彼女が居る以上、よくあることなのだ。
しかも中には一杯の飲み物と軽食を持って、自ら席を立つ者たちも居た。
大体、何がおきているのかは予想がついたからだ。
ウエイトレスやウエーター達も防災訓練を受けているような感じでその場から離れていく。
異変に錬達は気づく事無く、いつの間にかカフェの中に二人だけにされていた。
お膳立ては見事に終わっていた。
そしてそんな異変の中で―――
「綾美………」
「どうしたの錬?」
長い時間の後、もう一度あの問いが放たれた。
今度は彼らが意識する他人は居ない、アスラルすらいない。
本当の意味で彼らは真っ直ぐ向き合うしかなかった。
自分達の、傷跡に。
「………いつから、だ?」
「予感は、あの山を降りてきた日から、だよ」
もはや狂い掛けている錬の思考を裏切って錬の口はその言葉を吐いた。
錬だってわかっていた、逃げる事は出来ない、ぶつかるしかないと。
だが、それは今の錬には余りにかも過酷な試練だった。
返ってきた言葉は、最初から知っていたと同じ意味だ。
そして予感さえしていればすぐに気づいただろう、血の匂いに。
「………黙っていられたのは、悲しかった」
「………ごめん」
「―――でも………」
ふいに、綾美の表情が変わった。
泣きながらも、笑っていた。
「すこしだけ、嬉しいんだよ… だって錬は私の事を思って隠してくれていたんでしょう?」
強がりや虚勢だと思ったが、それは違うと錬は思った。
それは悲しげな感情を秘めながらも優しい声。
けっして嘘で出せる声ではない。
ふと、錬の全身を包んでいた腐敗の脱力が消えた。
肉体的なものではなく精神的な苦痛を与える何かが和らいだ、そんな感じだった。
「それでも、隠してたんだ」
「……………怖かったの?」
「うん、何か、壊れてしまうような気がして」
なんだか、最近は弱音ばかり言っている気がする。
錬は自分の出した言葉を聞いて、思わずそう思考した。
でもきっと、自分は………
「本当は、きっと――― 弱音を言いたかったんだ、一人で悩んでいるのは、苦しかった」
「錬………」
「あはは。 駄目なんだよ――― ずっと一人でいたから、一人なら耐えられた。
けど、一人じゃなくなって、心を許せる人ができたら――― 耐えられなくなったんだ」
「………耐えなくていいよ、私は錬に助けられたんだよ。
辛いなら、悲しいなら、弱音や愚痴ぐらい、聞くよ――― 私が錬にしてもらったんだから」
綾美が言った言葉は、錬の求めていたものだったのかもしれない。
あの時、綾美を助けたのはもしかしたら求めていたからかもしれない。
きっと――― 一人は寂しいのだから。
「因果応報だよ、悪い事をしたら酷い目に会う… なら、いい事したらいいことが起きる」
「そういう使い方を聞くのは初めてだよ」
因果応報という言葉を嫌な言葉としか捕らえていなかった錬は思わずそう呟いていた。
今までひそかに、今の苦しみは壊す事しか出来なかった事への罰だと思っていた。
だが、錬は壊しているだけではない確かに――― 綾美を救っている。
破壊だけが、錬の全てでは無い、決して。
「ありがとう、綾美」
「ありがとう、錬」
もっと早く話しても良かったのだ、少なくとも錬の苦しみを共に背負ってくれるのはアスラルだけではない。
綾美は錬が始めて、助ける事が出来た大事な人なのだから。
「フフフフフフ、いい感じね」
「ルシフ、よだれが出てるわよ」
「静かにしろ、気づかれたらどうする」
「言い訳は出来ないと思うな、ボク」
そんな彼らを暖かい(一部例外有り)眼差しで見ている四人が居た。
言うまでもない、言った言葉順に呼べばルシフ、アスラル、カル、薫由里の四人である。
彼らの後ろにはルシフの異能で強制転移させられた隊員や自分の意思でここまできた隊員が何人も居た。
ルシフに無理やり転移させられたので意見しようとした数人はカルの当て身で気絶させられていた。
「あ、あの司令、何をやっているのでしょうか?」
「邪魔しないで、今面白いところなんだから」
話しかけてきた隊員の発言を自身の言葉で潰し、薫由里は見学を再会した。
普段から彼ら最高幹部たちの奇行に振り回される事の多い彼らだからこそ、素早く何がおきているかを確認しないと酷い目にあうことを知っている。
少なくともルシフ一人でも厄介なのに、今回はそれ+3だ。
アスラルは常識人とはいえ、この面子とセットではどうなるか分かったものではない。
結論として、とっとと逃げ出した方が幸福だ。
そう思ったのか、意見した隊員も含め、忍び足でその場を離れていく。
「あーあ、せっかくなんだからキスとかしないかなぁ」
「全く、いつもどうしてお前はそういう方向を期待する?」
「えぇぇ……… カルがキスしてくれたらやめる」
「さて、そろそろ行こうか」
薫由里の言葉を無視して、カルは被っていた魔道具である布を剥ぎ取った。
周囲の光景を移し、光学的な透明化を行なうそれを取る。
同時に隠れていたアスラル達も同等の布を脱ぎ捨てた。
錬達のいるカフェからはかなり離れた場所なのだが、念のためにつけていた装備だ。
なお、意味は無く気分を盛り上げるための飾りである。
「じゃあ彼らのところへ行くぞ、薫由里」
「分かったわ、ボクも行きたいんだけど… 今回は我慢するよ」
「よしよし、いい子だ」
「子ども扱いは止めて」
そんな会話をしつつ彼らは歩き出した。
錬の問題が済んだ以上、次の問題に進まなければならない。
今の状況では、まるで消えかかっている火に燃料を与えるようなものなのだが、時間の余裕など無い。
「それじゃあ薫由里はここで待っていてくれ、ルシフは?」
「行かせてもらうわ、こんなに楽しそうなもの見逃せないわよ」
「はぁ… 相変わらずか… それじゃあルシフとアスラルもだ」
心底嫌そうな声でカルは言った。
彼もルシフを持て余している人物の一人で、どうも彼女を苦手としていた。
どちらかといえば真面目な彼には、不真面目を信条とする彼女はどう対処すればいいのか分からないのだ。
「彼らには悪いが、地獄を見なければそこからの生還などできないからな」
まるで実際に経験したような口調で、カルは言った。
まるで地震が歩いてくるような気配がした。
そんな異様な気配を感じて錬と綾美は互いの顔を見つめあうことを止めた。
今まで気にならなかったが、よくよく考えればとんでもなく恥ずかしい状況。
思わず二人はそれに気づいたとき、顔を紅くした。
「初々しいよね、ボクもカレとそんなふうになってみたいな」
「恥ずかしい発言を堂々と言わないでくれ」
「義母さん…」
「あきらめなさいよアスラル、あの女の性格と口調は修正不可能よ」
「貴方の不真面目もよ」
そしてやってきたのは、カルとアスラル、エレベーターであった女、そして見た事の無い女性の計四人。
始めてあった女性は身長が高く、その金髪と金色の瞳により宝石のような美しさがあった。
だが髪の毛は腰まで伸ばしているものの荒く切られており、先ほどの会話で感じた子供じみた言葉や雰囲気でその美しさを台無しにしていた。
「やぁ」
「あ… 始めまして」
まるで親しい友人に会ったかのような軽い口調で話しかけてきた女に戸惑いながらも錬は言葉を返した。
綾美もそのあまりにも明るい――― 悪く言えば馴れ馴れしい ―――その口調にすこし引いている。
「ボクが聖十字軍総司令、朝露薫由里だよ。 錬クン、綾美チャン、これからよろしくね」
『―――ッ!?』
「そこまで驚く事ないじゃないか」
「オマエなぁ、自分の口調とか――― いいや、言っても無駄だし」
思わず距離をとったからこそ、彼女の発言に錬と綾美は絶句した。
錬と綾美はアスラルからのイメージと現実の余りにも酷い違いに思わずアスラルを見た。
二人とも心中で言う言葉は同じだ―― 「嘘だといってよ」。
切実な思いが込められた視線を向けられ、アスラルは目をそむける。
別に義母を嫌っているワケではないが、こればかりは否定のしようが無いのだ。
実際に彼女の実力や手腕を知っているアスラルでもこの口調と雰囲気で心底不安になるのは確かなのだから。
「安心してくれ、口調や性格面は信頼できないが実力は信頼できる」
「それ、フォローのつもりカナ?」
「そうしか言いようがないしな」
カルはあっさりと切り捨てると、どこからか車の鍵を取り出した。
さきほどまで乗っていた車とは、また別の鍵だ。
「積もる話は後だ、早速だが呼んだ理由を見せないといけない」
「あれ、総司令が呼んだんじゃ…」
「そりゃ口実、電話じゃ盗聴されるかもしれないしな」
別に嘲るわけでも誇るわけでもなく事務的と言えそうな淡々とした声だった。
今まで聞いてきたカルの口調とはかけ離れた冷たい声。
だがそれはまるで―――
「用件はさっさとすましておくのが主義でな」
感情を殺すために、無理に淡々とした口調をしているように思えた。
彼は車の鍵をくるくると指で回し、歩き出す。
その後を黒い女性が追いかけて歩きだした。
そしてアスラルも歩き出そうとして、綾美に話しかけられ足を止める。
「アスラル、何処へ行くの?」
「………覚悟しておきなさい、全ては貴女にも関係あったのよ」
「…私、に?」
「秋雨の生まれた理由は知っているわよね」
「はい…」
「月河にも生まれた理由があったのよ――― 生贄の血統という意味が」
「―――――!?」
アスラルの言った言葉に、綾美は絶句した。
なんでそこで自分の名字が出てくる、そういう絶句だ。
錬ですらその突然の言葉に驚愕を隠せずにはいられない。
「着いてきなさい、少なくとも――― 知らなければならない事よこれは」
アスラルの口調は固い。
覚悟の上だろう、錬達が、いや綾美が苦しみ事を覚悟の上で連れて行こうとしているのだ。
酷いとはいえない、なぜなら―――
「はい――― 連れて行ってください」
二人にはそれが絶対に知らないといけない、何が重要な事実に思えて仕方なかったのだ。
どれほど辛い事実が待っていても、進むしかない。
綾美は振り返って錬を見た。
錬はもっと早く真実を知り、苦しんできた――― ただ、次が自分の番というだけだ。
綾美はそう思い、歩き出した。
次回 縁の指輪
五の指輪 四刻目 邂逅する者達