グシャ………

 肉が潰され血が噴出し、そこに肉塊ができる。

 あまりにも残酷な壊し方だった… 手に持った金属バットで一撃、腕を骨ごと粉砕。

 しかしそれでも、彼女の憎悪という名の業火は鎮火しない。

  これでは――― まだ足りない。

 次は、左手。




  ―――ドッ! グシャ……




  彼女には、一人の親友がいた。

 いい子ではあるが父が母へ暴力を振るっているのを見て育ったせいか、男性に対しての嫌悪感を持っていた。

 そんな彼女が唯一、心を許した男は彼女の弟だった。

 彼女は弟と親友と、三人いつも一緒にいた。

 けどそれは一瞬で文字通り、砕け散る。

 親友の――― 自殺という形で。




  あと、『二本』。

 もはやガタガタ震えて、死刑を待つだけの彼らを彼女は人とも思っていない。

 いや『アレ』はもはや人間ではない、蟲にも劣る――― 塵だ。

  塵は―――塵箱へ捨てないと、いけない。

 次は、右足をすり潰す。




  ―――ドッ! グシャ……




  死んだ理由を彼女は、悲しみのあまり調べる事も出来なかった。

 だが弟は一人でその理由を探して、見つけてしまう。

 それは父親が原因だった、母が離婚して離れたはずの父親――― 借金で首の回らなくなった『ソレ』は暴力を使って、もう一度家を支配した。

  そして『ソレ』は手っ取り早く金を手に入れるたけに娘を―――

 余りにも身内にするには外道過ぎる方法で、『ソレ』は大金を手に入れた。

 彼女はそして、自殺した。

  それを知った弟はあろう事か、家にあった金属バットを―――野球の練習で大事に使っていたそれを―――もって飛び出していった。

 そう、『ソレ』を殺すために、だ。

 ―――あっけなく返り討ちにあって、弟も死体になって家に帰ってきた。

  弟も死んでから、日記で初めて――― 真相を知った。

 知った時にはすでに『ソレ』は警察に捕まっていて、尚且つ裁判が終わっており、刑務所へ入る事が決まっていた。

 もし刑務所に入っても、『ソレ』は長くとも数十年で出てくる。

 何食わぬ顔で、地獄に落ちるべき『ソレ』が。

  そんな事、許せるはずが、無かった。

 だから『私』は弟の形見の金属バットを持って、駆け出していた。




 「や、止めてくれ、痛いいたい痛いッ―――!」

 「よかったぁ… もっと――― 苦しめ、外道」




  心地よい、最高に心地よい――― 自慰とかそんなモノを超越した、蹂躙という名の快楽。

 肉が潰れ、血飛沫が飛び、悲鳴という最高の歌が聞こえる。

 最高だ、なんで今までのこんなに楽しい事をやらなかったのだろう?

  罪を犯せば警察に捕まる、人としてやってはいけないこと、いや何より―――日常から外れた行為だから。

 だからこそ人は人を殺さない、汝の隣人を愛する事ができる。

 でも―――コレは人間じゃ、無い。




  ―――ドッ! グシャ…… 




  次は右手、そして下半身、頭は最後。

 できるだけ上手くやらないと、そろそろコレは電池切れをしてしまう。

 そうなったらおしまいだ、これ以上苦痛を与えられなくなる。

 そろそろ遊びもほどほどにしないと。




  ―――ドッ! グシャ…… 




 「ねぇ、最後に言う事、ある?」




  一応、最後の最後だけ、人間らしく『殺して』やろう。

 思わず自分が女神になったみたいに感じるほどの寛大な行為だった。

 それに『ソレ』は悲鳴と呻き声をあげるだけ。




 「ああそうか……… そうだったね…」




  『ソレ』が―――塵が喋るわけが無いか。




 「案外と、つまらないものね、ここまでくると」




  ―――ドッ! グシャ…… ベチャ




  そして私は始めて人を殺した。

 途中までの高揚感は何処に言ったのか、ただつまらないだけ。

 人の尊厳を破壊して蹂躙して自分がその存在を滅びという行為で支配する。

 だからこそ楽しい、だからこそただ単にうめき声を上げるだけの存在など、殺してもつまらない。




 「でも、綺麗な――― 血の赤」




  それが、***の初めて人を殺した、記憶。











 










-------------------------------------------------------------

                縁の指輪 
    四の指輪 五刻目 秋雨の血統



-------------------------------------------------------------











 「私でも完璧に知っているとは言い切れないわ、なにせ正式に歴史という物が作られるより昔の話だもの。
  ほとんど他人から聞いた話を継ぎ接ぎしただけで重要な部分が欠けているわ」

 「それでも、かまわない」




  錬は昼夜の言葉へ即座に言い返す。

 溺れる者は藁をも掴むとも言うが、今がまさにそれだ。

 思えば錬は自分自身の事すらほとんど知らない。

  父と母を嫌悪していた、が、彼らが何をしているのか知らない。

 自分の大事な記憶も穴だらけで信頼が置けない。

 だからこそ知らないといけないのだ、『自分』が何なのか。




 「始まりは『―――』が現れた事だった」

 「ちょっと待ってくれ、聞こえない、何が現れたんだ!?」




  綾美がふと気づき言う。




 「欠けているのですね」

 「何が現れたのか、それが欠けているの。 他にも沢山欠けているけど、これが最も致命的な部分よね」

 「続きを…」

 「ええ… 『何か』に当時存在した退魔士や術者、異能者や拳者とか…
 世界中のありとあらゆる力を持つ者が立ち向かった」

 「どう、なったの?」




  綾美の問い、それに昼夜は顔を横に振って答えた。

 小さな声で「わからない」と、残念そうに言う。

 実際のところ残念ではなく、自身が長い時間をかけても見つけられなかった事を悔やんでいるようだ。

 なにせこの話にとってそれこそが重要部分、それが無いと有るのでは全く違う。




 「『何か』は世界を滅ぼさなかった所から見ると、勝ったんでしょう。
  その『何か』の破片より生まれた神魔を除いてね、そしてこれからが『秋雨』に関連する部分」




  無意識の内に、錬は唾を飲み込んでいた。

 ついに自分が知りたかった事を、やっと知るのだ、当然と言える。




 「人間達は恐怖した、またあの『何か』が現れたら世界がどうなるのかを。
  ゆえに、それへの対抗策を手に入れようとした」

 「まさか………」

 「それが荒神、秋雨、天魔、三つの『作られし神』よ。
  荒神は人と魔で交合する事で力を求め―――
  秋雨は人の根源に近づく事で力を求め―――
  天魔は外道の法を用いる事で力を求め―――
  三つ、どれも違うけど、目的は同じ――― 向こう側より来る神にも等しい力を持つ『何か』を殺せる存在を作り出す事」




  出来損ないの人造神、『信吾』が聞いたアンテノーラの言葉。

 たしかにその通りだ、神を生み出す過程でも失敗作だった刃にはこれほど似合う言葉は無い。

 作られた神を殺す神――― 神は人では殺せない、ゆえに神に殺させる。

 殺す神がいないなら、こちらで用意すればいい。

 狂っているがゆえに単純な、答え。




 「そして錬、貴方の父『秋雨伍龍』こそが神殺しを行なえる秋雨の完成体『三人目』にして完全体――― 神殺しよ」

 「…え」




  突然、よく知る名前が出てきて錬は呆けたような声を出した。











  りゆと美闇、そして錬の実父である『神殺し』秋雨伍龍、彼らは距離を置いて向かい合っている。

 威圧感こそなくなったものの美闇は冷や汗をとめる事が出来ずにいた。

 だがなんとかそれに耐えて口を開く、口の中が乾き唾液が粘ついていて不快だった。




 「聞きたいのは一つです、15年前、貴方の妻『秋雨朱理姫』が行なった500名の吸血鬼の殺害についてです」

 「息子に言わなかった事はありがたいな」




  今日の天気でも言うように気楽な口調で伍龍は言う。

 思わず美闇は止めえとけと思いつつも不快を隠す事ができない。




 「よく言う… 教会と聖十字にこの件を息子に漏らした場合――― 教会と聖十字を滅ぼすと手紙を出しといて」

 「無視すればいいだろ」

 「秋雨の神殺しとあの秋雨朱理姫を相手にできるとでも?」

 「はは、それはすまん」




  離してみれば気さくな人物であった。

 よく強力な力を持っている者特有の、威圧的な態度を何度も見て来た美闇としては彼の態度はかなり好感が持てる。

 だがこういう人物こそもっとも注意しなければいけないのだ。

 自分の力を、暴力を理性で御して使いこなす――― そういう存在こそが危険なのである。




 「ああ、そうだな… 朱理ぃ、お客さんだぞ」

 「あら… ワタシにだったの?」




  麦藁帽子を被った彼女は、気づかぬうちに美闇の真横にいた。

 気配を隠すとかそういった次元の話ではない。

 いつの間に近づいたのかも分からない、それはそうだ――― ここは彼女の世界なのだから。




 「はい、貴女が行なった500名の吸血鬼の殺害について聞きたいのですが」

 「私の子を殺そうとした、だから殺しただけよ」




  即答する、何の躊躇も誇るところもない、あっけなく感情の破片なく当たり前と言わないばかりに。

 当然である、何せ彼女こそ―――











  錬の思考が止まっても、昼夜の言葉は止まらない。

 止めないといけない問いたださないといけないと思うが、錬の口は動かない。

 綾美すらも驚愕のせいで言葉を紡げずにいた。




 「神殺しとして秋雨伍龍が実戦に参加したのは、教会と聖十字が共同で行なった帝級吸血鬼ビースト・ハウリング攻略戦。
  そこで彼はその作戦に切り札として参加していた女とあった。
  彼女はその絶大な能力によって最悪、派遣戦力が全滅した場合の『リセット』を行なうためにその場にいたの」

 「リセット?」

 「味方、敵問わずの全殺、それを行なう実力が彼女にあった」

 「敵―――?」




  帝級吸血鬼、それが何処まで強い存在なのか、錬は知らない。

 だがその名の恐ろしさが示すとおり絶対的な力を持っているはずだ。

 それを味方もろとも倒せる存在などいるはずが―――

  そこまで考えてその例外に気づいた。

 錬はそれに気づきたくは無かった、もしそれが会っているとしれば自分は、“人”では、無い。

 それでは自分は―――




 「分かっているでしょ、帝を殺せるのは帝のみ。
  派遣戦力は帝級吸血鬼『朱理姫』いえ――― 帝級吸血鬼『秋雨朱理姫』、錬……… 貴方の母よ」

 「ちょっと待ってください!」




  錬に代わって綾美が叫ぶ、その理不尽に対して。

 その通りなら錬は――― 人間では無い、人外だとしてもその両親が異質。




 「錬、貴方は神殺しと神に匹敵する吸血鬼との間に生まれた、間違いなく、この世界最強の半吸血鬼――ヴァンピール――」

 「何となく、人間ではないと思ってたよ」




  思わず呆れるように錬は呟く。

 聞いていた綾美の方が驚いているくらい、錬は冷静だった。

  思えば『そうかもしれない』と思う要素はあった。

 だからかもしれない、しかしそんな理性的な部分ではなく自分の事だからこそそれが事実だと受け止められた。

 けどその事実はとんでもないものだ、だから錬は冷静にその事実に対し問いかける。




 「しかしそれならなんで俺には吸血鬼としての性質が無いんだ?」

 「あら、会ってないの――― 夜月に、吸血鬼としての錬に」

 「………夜月が、俺の吸血鬼としての部分?」

 「そう、どうやっては知らないけど刀冶の糞爺は錬と夜月という『人』と『魔』を分離した」

 「何故、そんな事を」

 「あら」




  綾美は呆然として呟く、その声には脅えが含まれていた。。

 それに昼夜は残酷で残忍な、サディストのような邪な笑みを浮かべて呟く。

  錬は昼夜を見つめて目を細めた。

 綾美が脅えている、その事を非難しているのだ。




 「秋雨は人の根源に近づく事で力を求めたのよ、それに魔が混ざる事が許せなかったという考えは無いのかしら?」

 「ふざけないでください! そんな事で―――」

 「そんな事で心をもて遊べるのが人間よ」




  悲しげに彼女は言うのだ、それを経験してきたといわんばかりで。

 経験したゆえにどれほど残忍な事実でも事実として受け止めている故の悲しさであり…

 そしてそれを乗り越えたから錬達へと言うのだ、彼らも自分と同じ道を進ませないために。




 「なら死織と俺の関係は、死織も俺のように魔と人を分離させられた?」

 「しおり? もしかして梓織ちゃんの事?」




  ギシッと異質な音を立てて、時間が停止した。

 一瞬、彼女の言っている言葉がこの世のものならざる異質な言葉に聞こえたほどだ。

 女子の名前にちゃんとつけるのは分かる、がそのつける対象が異形。

 あの"死織"を、人間と同列に扱えるはずが無い。




 「しおりって…」


 「あれ、何姉の名前を忘れてるの貴方は?」


 「 ねえ さ ん?」



  世界が崩れたと思った、足元が一瞬で消えたと勘違いしそうなほどの衝撃。

 確かに秋雨の一族の誰かと思っていた―――いや、思いたかっただけだ。

 考えれば分かる話だ―――錬とほぼ同年齢、そして秋雨の人間という事で想像できてもいいはずである。

 ただ錬は、その結論から逃げていただけだ。




 「昔、散々自慢してたじゃないの―――」


 「死織が、錬の姉?」

 「…う」




  『アレ』と、あの死織という女と自分は無関係だ。

 そう思うことで自分を蝕んでいるあの汚毒の緑、それとあの死織とは無関係だと思いたかった。

 だからこそ錬は実感として感じていた、あの汚毒と死織の狂気は限りなく近い存在である事を。

  それを知っているからこそ蝕まれていく先の恐怖から逃げるためにその関係を、死織と自分の関係を切り離した。

 あの毒に冒され、進む先は死織なのだ――― あの狂気の怪物。




 「―――僕の自慢のお姉さんって―――」

 「違う」




  知っている、至っている、その事を自分の行き着く先を。

 だから否定する、認められない。




 「―――散々、耳にタコができるぐらい」

 「違う違う違う違う、違う!」




  錬の脳裏を死織の姿が過ぎった―――見た事が無いなのに"知っている"少女の姿が過ぎった―――

 死織の狂気の笑みが浮かぶ―――その少女の優しげな笑みが浮かぶ―――

 相反する二つのイメージ、歳が違うがどちらも――― 『しおり』。




 「死織が俺の姉さんなんて―――」




  その時、不意に何かが脳裏を過ぎる。

 刀冶の背中と――― 彼女と――― 自分。

 彼らはここに、この神社で………




 「そうだ、もしそうならこの神社で――― 綾美!
  一緒に探してくれ、もし思い出した記憶が正しいなら、ここの木のどれかに俺の名前と―――」

 「錬の名前と?」

 「―――姉さんの名前が刻んであるはずだ、もしそれがあるなら俺はここで………」




  ――――、一度死んで、もう一度産まれた。











 「痛い いたいいたい 痛 いい たい…………」




  今までにトロメアは一度も手傷を負った事が無かった。

 当然だ、彼は世界者―――絶対の存在、のはず、であったのだから。

 だからこそ当然あるべき生の痛みを知らない。

  黒と銀の血は人の命を模す事ができないほど深く受けた傷の証。

 フェンリの一撃はどこまでも的確にトロメアの核を打ち貫いていた。

 あの恐怖から逃れ、冷静に自分の状態を確認してみれば自分はほとんど破壊されていない。

 ただ彼の消滅を行なうのに必要な部分だけがごっそりとやられていた。




 「消え ちゃう よ――― 嫌だ、死 にたく 無 い」




  山道の、道に膝をつき四つん這いになる。

 それにより彼は自分の手を見て――見てしまって――悲鳴を上げた。

 まるで壊れたビデオの画像のように、その手は揺らいでいた―――消えかけているのだ。




 「嫌 だ  よぉ… 消す のは、楽   しい け ど ――― 自 分が 消 えるの は、嫌  だよ …」




  身勝手な言い分だが、それも虚しく虚空に溶けて行くだけだ。

 死なんて優しく慈悲溢れる終わりでは無い、死体すら消え去る消滅。

 猶予なんて物は無い、死は今すぐだ。




 「い  や だ ぁ ぁああ あああああああ あああああああ  ああああ ああああ ああああああ あ  ああああ!
  『ピーピー喚くな、五月蝿いぞレプリカ』――― あぁあ!?」




  声が聞こえた、トロメアの口が『トロメア』では無い声で彼を罵る。

 自分は狂ったのかと彼は自身を疑う、いや自分が狂うはずが無い―――そんなふうにできていない。

 なら今の言葉は何なのだ?




 「ああ あああ あ な な なな、なに が…!?
 『案外出来が悪いな、まあ手間かけてないし仕方ないか』」

  ゴシャ!

 「 あ ………」




  またも、自分の口が別の声を出し自分を侮辱する。

 だが今のトロメアにはそんな事関係が無い… 自分の手が自分自身の心臓につき立てられたゆえに。

 ゆっくりと残酷なほどゆっくりと、見せ付けるように自分の腕は彼の核―――『賢者の石(ルール・コア)』を引き抜いた。

  核を失ったトロメアは自分が砕けていくのを止められなかった。

 自分を支えていた足が、地面の存在価値に押し負けて存在を失い崩れていく。

 まるでヤスリで削られているように、どんどん足が減る…

 いや幻覚だ、そうトロメアは自分に言い聞かす…そうだ、世界者が死ぬなんてありえない。

 もし、死ぬとしたら――― 世界者じゃないことになる。




 「僕は―――    だ」




  叫んだはずだった、自分の名前を――― なのだが。




 (あれ、僕の名前って何だっけ―――て、言うか…『僕』って何だ?)




  それが『その』トロメアの最後だった。

 たしかに幻覚は幻覚だった、彼の体に異常は何一つ無い。

 しかし、幻覚は現実でもあった。

 トロメアは糸を失った操り人形のごとく、地面へ倒れこんだ。

 削られて消えていたのは、彼の精神だったのである。

  ころんと…、球の形をした賢者の石が地面に落ちて転がる。

 ころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころと…

 転がって転がって転がって、こつんと止まった。

 人の足にぶつかって、止まった。




 「ご苦労様、我の可愛い人形(ガラクタ)」




  それは二足歩行をする獅子に見えた。

 大きなファーが付いた黒いロングコートは、上半身だけボタンで止めてあり足の付近は泥や土で汚れていた。

 2メートル近い巨躯は筋肉質でその太く強靭な四肢は獣のそれだ―――そう、肉食獣の爪だ。

 金色の髪は全く手入れをしておらず、獣のそれを思わせる―――獅子の鬣だ。

 小麦色の肌―――というより死人の茶色に近い皮膚の色が彼を人外だと見たものに悟らせる。

 二足歩行をする異形の獅子、まさに彼はそう表現するのが一番あっていた。

  金の輝き―――ただし澱んだ色―――を誇る瞳で男は己の足元を見る。

 そして膝をついて賢者の石を拾い上げた。




 「やっぱり材料はこだわって選ぶべきだな、性能が悪すぎる。
  やれやれ… たかが百年程度人里離れただけで錬金術の腕が此処まで下がるとは、全く予想外」




  邪悪なる獅子は賢者の石を掌で包む、それはこぶし大の大きさよりその掌で圧縮され、ビー球のような大きさまで小さくなった。

 コートのポケットを開くと… その中には無数の賢者の石が詰まっている。

 どれもこれも『トロメア』だったものと同じ物。




 「フェンリ=アレクシア… 原色異能『蒼』、まさか本当にそんな存在が生まれるとは… とことん、世界は異常だな」



  『トロメア』が持っていた記憶を手に入れ、男は『トロメア』を破壊した女を知る。

 そしてもう一つの記憶を除き見て――― 微笑んだ。

 狩人が獲物を見つけて微笑むような、肉食獣が仕留めた草食獣の死体を見て微笑むような、獣の笑み。

 残酷な笑みとしかいえない、亀裂のような笑みを浮かべた。




 「予定通りだ、これで指輪は錬に届く事は無い」




  『トロメア』は見事に使命を果たしていた、それは蛟弘平の中途半端な妨害である。

 そうあの妨害は囮なのだ―――自分の行く先に秋雨錬がいると信じさせるため、障害物を置く事でそれを盲目的に信じさせた。

 間違っていないからこそ妨害があるという真理、妨害されるのは正しいからという真理。

  錬の家に着いて、気づいた時にはもう遅い―――




 「『トロメア』オーダー、秋雨錬を追い詰めて力を使わせろ――― 今度こそ我らの望む破壊神を生み出すために」




  ビー球になっている賢者の石を放り投げる、それは空中で自らを練成し―――もう一度『トロメア』を構築した。

 また記憶を失った真っ白な状態、それに男は必要最低限のデータを強制入力する。

  入力が終わった瞬間、『トロメア』は跳んだ。

 自分に入力された命令に従い、それを果たすために―――




 「踊ろうぜ人間共……… この腐れ爛れた舞台―――この世―――で、死ぬまで、狂い踊れ」











 「あった、な… 姉さん」




  錬は地面に膝をついて、目の前にある文字を見つめた。

 彼の後ろには綾美と昼夜がいて、綾美は錬を心配そうに見ている。

 もう認めてしまうしかないのだ、錬が『死織』になるという恐怖を。




 「そうだ… あの日、ここに俺と梓織姉さんは刀冶おじいちゃんに連れてこられた。
  初めて秋雨の実家から遠出したんで、見たもの全てが新鮮だったのを覚えてる………」




  顔を伏せて、感情を感じさせない声で錬は語る。

 思い出した記憶の欠片、それに秘められた―――語るのも不愉快な、醜い真実を。




 「そして、俺たちはこの神社に入った……… そしておじいちゃんがここで待ってろと言って、何処かへ行った」




  綾美と昼夜はその後ろで何も言わず聞いている。

 聞き逃すわけにはいかないのだ、錬がその事をどれだけの苦しみの中で語っているのか、分かるから。




 「そして姉さんと俺は、ここに悪戯で名前を掘り込んだ――― 姉さんが持っていたナイフで。
  思えば、それがどういう意味かすぐに分かったよ、おじいちゃんが刀を持って現れたときに」

 「刀!?」

 「姉さんは、これから起きる事に抵抗するためナイフを持ってきていたんだ。
  でもそれは無駄だったよ、簡単にナイフは吹き飛んで――― 姉さんと俺は『両断』された」

 「両断、刀冶の絶技ね… なるほど、そういう事だったの」

 「ああ………」

 「まさに両断ね… 錬と梓織の中の人と魔を両断して分かつなんて」

 「そう、それで―――俺と『錬』と…梓織と『しおり』が生まれたんだ」




  刀冶が何故、そんな事をしたのか分からない。

 秋雨として魔の血が許せなかったのか、それとも別の理由があるのか―――

 だがここで行なったのには意味がある。




 「ここで行なった理由は、ここが外界から切り離され、停止した清浄な異界だから」

 「清浄? だってここは―――」

 「確かに、“貴方達三人”の時はね… でも、あの後に雫があの結界を逆転させてこの世界を時間停止した封印世界に変えたのよ。
  刀冶もできるかぎり安全に両断をできる場所を探したのでしょうね、そして見つけたのがここだった」




  両断という力技で人の持つ概念を分離するのだ、普通の場所で行なえば何が起きるか分かった物ではない。

 幽霊というものはあるがそれは強すぎる人の思念が空間にしがみ付いているものだ。

 その性質上、世界の何処にでもいる、人が居る限り……… せいぜい違うのは込める感情の色と、濃度程度。

  両断により概念的崩壊を起こしている間、それには弱体化する。

 簡単にそれに支配され、崩壊する事になるだろう―――

 だからこそ、神殿や神棚のように神聖な『幽霊(フィールド・ハート)』が住まう場所でなければいけないのだ。




 「その後、この件に関わる記憶の大部分を失って……おそらくおじいちゃんが狙って記憶を奪ったんだろうね。
  おかげで俺達は普段の生活に戻った、新たな一番近い場所にいる友人を除いて。
  ………そして、俺達は自分の半身に名をつけた。
  俺は満月の夜に彼に気づいたから、『夜月』と、梓織は彼女が死に関係する力を持っているとして自分の名前の漢字を一つ変えて『死織』と」

 「それならなんで死織は、錬のお姉さんを乗っ取ったんですか」

 「それは―――」




  そのとき、甲高い鳥の声が聞こえた。

 人の悲鳴と勘違いしそうなほど、悲壮感と危機感に溢れている。




 「覇斬(ハザン)… 敵が来ているそうよ」

 「敵――――!?」

 「世界者、分かるわね」

 「アンテノーラと同じか」

 「ッ―――!?」




  綾美がその何悲鳴をあげかける。

 彼女は見ている、聞いているからだ、あの狂気の高笑いを。

 もしあの存在と同じなら、普通の攻撃は一切意味を成さない。

 意味を為すのは、世界を超える一撃のみ。




 「まさかこの番号を使う事になるとはね、世の中、不思議な物よねぇ」




  昼夜がそういいながら、どこからか携帯電話を取り出す。

 そして手馴れた動きで電話をかける、とその電話をなんと錬へと投げつけた。

 とっさに錬はそれを受け取る。




 「何を!?」

 「私からといえば大体は分かってくれるわ、時間を稼ぐから――― 綾美ちゃん借りてくわよ」

 「え、ちょっと待って!?」




  綾美の首根っこを飼い猫にするようにつかみ、昼夜は駆け出した。

 相手はすでにハザンよりの術的に暗号化された報告で分かっている。

 トロメア・レプリカ… 賢者の石を核にした擬似世界者。




 「これはきつい戦いになるわね……… 頑張りましょうか、綾美ちゃん」








次回 縁の指輪
四の指輪 六刻目 覚醒する“血〜戦神〜”








作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。