雫と共に神社へと帰ってきたとき、すでにカルの姿は無かった。

 最低限の治療を自分で行なった月美はそれを聞いて顔をしかめている。




 「あんな何処の誰か分からない人間を泊めるから…!」

 「別に彼がいなくともあいつらは来るわ、むしろ居てくれたおかげで死人は出なかった」

 「助け出す一瞬だけだが、雫の手伝いをしているところは見たんだがな」

 「アレは私が手伝っていたのよ」




  ふいにそんな会話をしていて、信吾はふいに違和感に囚われる。

 何かが変で、歪んでいた。

 口に出していえるほどの確信も何も無かったが、だからこそ歪んでいると感じる。

 それが何か分からない、見つかればなんで気づかないと自分を叱ってしまいそうなほど明らかなのに、わからない。




 「あれはなんだったのかしら?」

 「世界者、だと… 思う」




  信吾は自分でも自信が無いと分かる声でそう答える。

 その前に世界者とあったおかげで世界者が存在する事を知っていても断言できない。

 あんなバケモノがそうそういるはずがないのに。




 「…アレ、が…」

 「………………で、どうするのです」





  まるで凍ろうとする空気を、熱く熱した剣で引き裂くように月美が静寂へ進む雰囲気を引き裂いた。

 普段の彼女らしくない冷たい口調。

 そこでやっと信吾は何が変なのか気づいた、月美が“月美らしく”無い。

  感情を押しつぶして押さえ込んだような口調は変わっていない。

 だがどうしてもその奥には冷たい何かがが見え隠れしている。

 だからこそ、その言葉は強い力を持っていた。

 そう、信吾と雫を絶句させるほどに。




 「もう一度襲われたら、守りきれますか」

 「まず無理、攻撃が効かない」




  月美からの問いに雫はそう答える。

 カルと共に戦って感じていた事だが、雫の攻撃は文字通り効いていなかった。

 確かに一撃を喰らって体制を崩したりした事はある。

 だがそれが有効な一撃だったと聞かれれば、違うとしかいえない。

 攻撃は当たっていた、だがその攻撃が破壊を行なう事が無い。

  胴体を一撃で真っ二つにする攻撃を受けても、相手は“吹き飛んだ”。

 斬撃で吹き飛ぶなど、ありえない。

 雫の斬撃なら吹き飛ぶ以前に真っ二つだ。




 「でも信吾の攻撃は有効のようですが」

 「……… この剣の力か?」




  禍々しいほど、赤い刀身。

 世界者の赤い女が封神剣と呼んだ、魔王の作った剣。

 特殊な力があるといわれれば否とはいえない。

 しかし決して使いやすい刀ではなく、ましてや何らかの力は感じなかった。

 極普通に、異様な外見を持つだけの刀でしかない。




 「カルも普通に攻撃して、有効なダメージを与えていた」

 「―――まるで、才能を持っている人でしか勝てないみたいですね」




  その言葉に、悪意がある。

 心配になった雫が月美を見る、彼女は微笑んでいた。

 微笑んだまま、あの言葉を言った。




 「つ、きみ?」

 「……… すみません、疲れているようなので休ませて貰います」




  そう言い放ち、返事を待たず彼女は信吾達に背中を向けて歩き出した。

 足踏みは早く一刻も早く此処から離れたいという意思が丸見えだ。

 部屋からでて消えていく背中を雫はにらみつけていた。



 「信吾はここにいてください」



  雫も立ち上がって歩き出した。

 信吾が何か言おうとしたが、止めるより早く雫はいなくなってしまった。

 嫌な予感は、もう心臓を爆発させそうなほど膨らんでいる………











  女は急いでいた、たとえ自分の身が傷ついても省みなかった。

 知ったときにももう手遅れといっていいほど遅れていた。

 それでも走っている。

  もう失いたくないと思っているからだ。

 自分はどうなってもいいが、彼らがそうなるのだけは許せなかった。

 目指す先はとある神社。

 白き指輪による作られた異界の中心、異界ではない場所。

  荒神信吾の義母たる女、荒神昼夜は走る。

 もう二度目は、許せないから………








 










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                縁の指輪 
    負の壱の指輪 五刻目 そして聖域の終わりは始まる




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  あの時、言われて思い出したのは森から溢れる怪異だった。

 人の精神を破壊するあの忌々しい森、そこより来るもの。

 何のためにこの神社が建てられたのか、知った時はあきれたものだ。

 結局のところ、神社自体に意味など無いのだから。




 「くす… そんなものに縛られていたなんて、馬鹿よね私」




  月美は微笑みながら、通路を歩く。

 今まで足を踏み入れた事の無かった本殿、不思議な事に一度も近づいた事すらない。

 当然だ、強力な暗示を与える結界が張られている。

 近づく意味が無いと近づくものに思わせ、遠ざける結界。

 それがあるゆえに近づく事すらなかった。

  だが今の月美にはそんなもの意味を成さない。

 意識をしっかり保ち、つねに結界へ反発する。

 それだけで、十分だった。




 「こんな事で簡単に無意味となる結界、ふざけるな」




  こんなものにいいようにされていたと思うと、もはや怒りを超えて自分が馬鹿みたいに思えてくる。

 それはもはや月美であって月美では無い。

 いままで月美の抱えてきた全ての悪意、憎悪、そういった負の意思をむき出しにした存在。

 鬼女というにふさわしい存在だった。

  そしてついにその本殿の前に着く。

 入るために戸に手をかけて引くが、びくともしない。

 腕力の問題ではなく何らかの力によって本殿の入り口は閉じられている。




 「…ちッ」

 「そこは、私の血が鍵になっているのよ」




  そう、雫の声が聞こえた。

 驚きもせず覚えもせず罪悪感も思えず、月美は振り向く。

 当たり前だがそこには冷たい表情をした天馬の戦巫女、雫がいた。




 「どうしました雫様?」

 「御託はいい、そこから離れなさい」




  雫の目は優しい色を宿していない。

 彼女は月美の態度に違和感を感じて、信吾を残し月美を追いかけたのだ。

 そして本殿の結界へ侵入者を見たのである。

  月美は雫の冷たい言葉を聞き、にやりと微笑む。

 月見らしくない笑みに雫はすこしだけ驚くがすぐに思考を戦闘用に直す。

 そしてまるで亀裂のような笑みを止めて、月美は言った。




 「馬鹿を言ってんじゃないわよ、人形女」

 「“月美じゃないな”、なにもの?」

 「これから、それを知るのよ。
  ちょうどよかった、鍵はあって、来てくれているなんて、なんて嬉しいのかしら?」




  雫には月美が何を考えているか分からなかった。

 しかし何をしようとしているのかは予想がつく。

  月美が駆け出した、手には短剣。

 雫は畏れもしない、兵器だからではなく月美にそんな自分を害する事ができる実力が無いと知っているからだ。

 しかし土壇場になって雫は考えを変え、後ろへ跳んでいた。

 月美の一撃は、間違いなくそのままなら雫の首を切断していた。




 「………馬鹿な」

 「はは、まさか雫様…… 私が殺せないとでもお思いか?
  なら不愉快だわ、今の私は何だって出来る…!」

 「つきみ………――――!」




  その時、やっと雫にも分かった。

 もはや月美は自分では絶対に手を伸ばしても届かない何処かへ行ってしまったことを。

 何を間違えたのか分からない、兵器としての自分では分からない。

 だからその時、雫は雫へ戻っていた。




 「なんで、なの?」

 「運命とか幸福とか不幸とか…
  そんなふうに自分以外が決める自分の未来が気に喰わない、今までそれで苦しんできた。
  だから、ちょっと… 世界を変えてみようと思ったのよ」




  さらなる踏み込みで、月美は雫へ迫る。

 雫は刀を取り出して月美の一撃を防いだ、見事なまでにその一撃は殺せる場所を狙っている。

 何の迷いも無く。




 「世界が変われば私が変わるのか、私が変われば世界が変わるのか………
  今までの私は何時だって自分の知らない場所で自分の運命を決められていた。
  だから、変わってやる………
  自分の生き方は自分が決める、そのために、まずは“今まで”を、この檻を、神社を……… 殺すのよ」

 「ふざけないでよ!
  自分だけ不幸で世界の全てを背負って理解した気になって、貴女だけが不幸だと思わないで!
  そんなこと何処にだって転がっている、私だって信吾だって自分にはどうにも出来ない事があった!
  自分だけ、不幸だと思うないでッ!」

 「………そうだね」




  その時、月美の短剣に込められていた力が抜けて、彼女は微笑んでいた。

 なんの悪意も無い、心からの純粋な笑み。

 思わず雫の手から力が抜けた、月美は大丈夫だと思いたかったから、都合よくそれを美化した。

 だから、次の一言の意味が、すぐに分からなかった。




 「でも所詮、他人の理屈でしょう?」




  綾美の左腕が振るわれる、それは蛇のように横から雫の後頭部を打ち据えていた。

 脳に強い衝撃を受けて一瞬、意識が跳びかける。

 次の一撃に反応できたのは奇跡だった。

 前に倒れかけた雫の顔面目掛けて行なわれる膝蹴り。

 強引にワザと体勢を崩し、雫は横へ倒れこむ。

 そして転がって跳ね起き、月美から離れた。




 「自分の理屈や世界観が、私にもあると思うな―――
  私にはそんなふうに覚悟する時間も余裕すら無かったんだ!」




  雫は天馬の本家にて此処へ来る事を知り、それでも覚悟を済ませる時間があった。

 信吾にも自分の過去を見直し、先を考える余裕があった。

 だが親から赤ん坊の時に捨てられ、この神社にて育った月美には何も無かった。

 最初から決められ、覚悟とか諦める時間も何も無い。

 雫たちとは、根本が違っていた。




 「今は、雫様、貴女の偽善すら……… 憎いのよ!」




  月美の攻撃はどれも容赦が無い。

 当たればどれも命を脅かす必殺の攻撃、だからこそ雫は攻撃が簡単に読めた。

 反撃など簡単に出来た、すぐに思考を戦闘用に変えればいい。

 それだけで月美など一瞬で、殺せる。




 「………なんで、こんな事に…」




  だが、それが雫には出来なかった。

 こんなふうに全てが破綻するなど思っていなかった。

 急ぎすぎたせいか、遅すぎたのかは分からない。

 ただ自分が何かとんでもない間違いを犯し、それに気づいていなかった。

 それがこんな結果を招いたと、分かっていた。

  後悔や色々な感情が混ざり合った絶望に雫の目が眩む。

 その一瞬の隙に月美が繰り出した短剣が雫の刀を持つ右腕を深く切り裂いていた。

 血があふれ出し握力を失い、刀を取り落とす。




 「………馬鹿みたい、ここで止めてくれれば、止まったのに」




  月美がそう呆然と呟く。

 雫はその一言で、本当に絶望を味わっていた。

 自分は本当に最後のチャンスを、自分で捨ててしまったのだと分かったのだ。

  血塗れの短剣を持ったまま、月美は雫へ背中を向ける。

 戸にその短剣を突き立てる、結界が音を立てて崩れた。




 「……………さようなら」




  振り向いた月美が泣いているように見えたのは、雫の見間違いだったのか。

 それを確認するよりも早く月美は本殿の中へ入っていく。

  本殿の中には全く何も無かった、ただ一つを除いて………

 部屋の真ん中に置かれた台、その上に置かれている白い指輪。

 この神社が作られた本当の意味、あの忌々しい森の時間を停止させ続けている停止結界の中枢。




 「………さぁ、私の“無垢なる”… 出てきなさい」




  月美はその指輪を、台ごと蹴り飛ばした。

 停止結界の中枢が陣より外れた事により結界が崩れていく。

 その崩れ逝く音を聞きながら、月美は自分の心の中に存在していた牢獄が開放される音を、確かに聞いていた。




 「――――あはははははははははははははははははははははははははははははは!」




  そこに、“月美の無垢なる”が、生まれる。

 決して何か異形の怪物が現れるわけではない、ただ月美はその時点で月美では無くなった。

 月美だった“月美”は、天高く届けといわんばかりに、哄笑していた………











  それはまず、黒い霧して現れた。

 虫一匹いない森へ、何処からかカラスが迷い込んでくる。

 霧はそのカラスを一瞬にして飲み込んだ。

 そして同じく一瞬でカラスは骨だけとなり地面に落ちた。

  カラスから奪った質量を使い、霧が物質化していく。

 それは小さい暗黒だった、そして霧がそこからもあふれ出す。

 加速的な勢いで増えた霧は固まり、ゆっくりと形を成していく。

 鬼としての姿を成した霧が咆哮する。

  小さな小さな世界の異変。

 だがそれは縮図だが、世界終焉の再現だった。

 時が止まった事により封印されていた災厄が、目覚める………











  その笑い声を聞いた時、思い出したのはなぜか月美の姿だった。

 声は確かに月美だった、だが彼女とは似ても似つかないほど邪悪な哄笑。

 此処にいたって信吾は自分が抱いていた予感が、コレであると分かった。

  声がする方向へゆっくりと歩き出す。

 駆け出したい気持ちで一杯なのに、走れない。

 少しでも絶望を遠ざけたいと無意識に思っているせいで足がいう事を利かない。

 それでも、すぐにその場所にたどり着いた。




 「信吾………」

 「雫―――」

 「ごめんなさい…、私は月美を助けられなかった」



  手から血を流し、床に座り込んでいる雫の姿。

 まるで触れただけで壊れそうなほど、その姿は儚く見えた。




 「月美………」

 「……………どうしたの、信吾さん」




  笑顔で、彼女は本殿から出てきた。

 笑顔である、笑顔なのだ……… なのになぜこんなにも不安になるのだろう。

 いやもはやそれは不安ではなく、確信。

  信吾は刀をゆっくりと抜いた。

 月美は何の警戒もせず、堂々とした姿で信吾へと歩いてくる。




 「ねぇ信吾殿、いいえ信吾さん………
  貴方はいままで、不幸だと思ったことはありますか?」

 「ああ、もううんざりするほどあったさ」

 「はい、私もです」




  壊れた雫のように、月美はクスッと笑う。

 何も彼女は隠していなかった、ただ純粋に微笑んでいた。

 純粋、それを極めたゆえにその笑みは邪悪。

 相手に後悔や嘆きしか与えない、笑みだった。




 「でももうそれも終わりですよ、私はもうそんなものどうでもいい。
  欲しいものは手に入れます… 買えないなら買えばいいし、売ってなければ奪えばいい。
  もう、他人に気を使わないってだけで、すごく快適なものなんですね」

 「………お前は、月美か?」

 「私は“月美の無垢なる”…
  “全てを省みないゆえに無垢なるモノ”、だからもっともこの世界で無垢なる存在」




  けがれがなく純真なこと、それが無垢ということ。

 だがこれほどに歪んでいて芯が通っていて、邪悪な純粋が存在するなど信じたくなかった。

 だがありとあらゆる世界の存在を退けていれば決して汚れる事など無い。

 自分こそが世界でもっとも邪悪なゆえに純粋で無垢なのだから。




 「それでよかったのか?」

 「絶対によくなかったとおもう、でも最初からこっちが正しかったんだから仕方ないよね」

 「………何故だ」

 「振り向いてくれなかったでしょう?
  きっとあの時、振り向いて少しでも私に心配していると教えてくれていれば………
  でももうどうでもいい、どいてください。
  私は、そこの女を……… 雫を、壊したい」



  それは頼みごとのようだったが、実際は違った。

 ただ言っただけで意味など無い、どうせ他人の考えなどどうでもいいのだから。

 だからこそ、“無垢なる”。




 「駄目だ、そんなんじゃお前が救われない」

 「救いなんていらない、地獄に落ちるなら私の欲しいもの全てを持っていくから」

 「持っていってもそれがお前を―――」

 「順番が逆でもいいんだよ、信吾だってこっち側なんだから………
  別に雫を壊すより先に、信吾を巻き添えにするのだって」




  月美が走る、手には何処から出したのか分からないが酷く歪んだ形状をした剣を握っている。

 それは離れてみればまるで人の腕の白骨を思わせる。

  赤と白が激突した。

 火花が散って一瞬だけ世界を明るく照らす。

 その中で信吾と月美は互いを見た。




 「ねぇ信吾、こんな世界にいるのは苦痛でしょう、一緒に行きませんか?」




  まるで蜜のように甘い甘い言葉、魅了の力でもありそうな声。

 それに信吾は強い意思を込めた言葉で言う。




 「それでは駄目なんだ、苦しいことから逃げれば確かに楽だよ。
  だけどな、それで幸福に浸っていれば本当の幸せが分からなくなるぞ」

 「………?
  信吾、それじゃあ… 幸せって、何?」




  悲しげに月美はいうのだ、本当にそれがわからないといわんばかりに。

 だがそう思ったとき、信吾は別の考えに行き当たった。

 本当に、幸せとは何か分からないのかという事に。




 「一度だって何かを愛しいと思ったことが無いの、何か大事だと思ったことも無いの。
  教えてよ、幸せって、幸福って、何?」

 「そうか………」




  信吾も雫も分かっていなかったが、もっとも根本的な所は月美自身が分かっていなかったのだ。

 彼女には幸せが欠落している、信吾には義母たる昼夜との日々が、雫には月美と暮らした日々が、幸福と思えた日々があった。

 そして月美はそれが無かった、幸福と思える日々が無い。

 幸福を知らない、だから全てを悲観的に思う。

 それこそがもっとも最初に理解しなければいけない部分だったのだ。




 「でもね、私だってもしかしたら幸福といえるかもしれないものを知ってるんだよ。
  信吾と一緒に居たときは、とても心地よかった。
  これが愛とかは分からないけど、だから……… 私は信吾がほしい」




  もし月美がそれを愛と理解できていれば、告白だっただろう。

 だからそれは単なる欲求だった、おなかが減ったからご飯を食べたいと同じ位の問題だ。

 ゆえに月美はそれを果たすために動く。

  もし状況が違い、月美が正気なら返すモノも変わった筈だ。

 その中には月美が望むものもあるだろう、だがだから。

 今の狂った目の前にいる怪物に、その望んだ答えを返すわけにはいかなかった。

  今までの月美ではありえないほど速い動きで、信吾へ白き歪んだ剣を振るう。

 赤い刀身がそれを阻む、赤と白が削りあう。




 「それは、お前の意思か」

 「そうだよ、“無垢なる”は決して本人に無い物を得ることは無いのだから」

 「……そうか、でも俺はお前の物にはなれない」

 「なら、奪うだけ」




  それが幸福と愛を求める思いを歪められた女と、かつて秋雨刃と呼ばれた男との決戦の合図だった。

 今までに無い速度で赤と白が激突しあう、火花が踊る、斬撃は歌う。

  ありえないことに信吾の神速の攻撃を月美は全て防いでいた。

 それだけではなく隙を突いて反撃までしてくる。

 今までの月美ではありえない腕前、言うまでも無く月美についた“無垢なる”と呼ばれる存在のせいだ。

 “本人に無い物を得ることは無い”… 逆に言えば本人にあるものは全て得れるという事。

 この月美の腕前も、彼女が剣を学び訓練を重ねていけばこれほどの腕前になれたのだろう。

 つまり無垢なるとは、他人の可能性を奪うもの………




 「―――斬神(ざしん)!」

 「―――――――――!」




  上から振り下ろされる斬撃、たとえ鎧を着込んでいようがそれごと真っ二つにする必殺の一撃。

 稲妻のようなその一撃を月美は下から振り上げる白き歪んだ剣により相殺される。

 月美の剣は激突に耐えられず粉々に砕けちった、だが虚空より新しい剣が滲み出し、それを執る。

  月美が剣を信吾の頭を狙って横へ振るう。

 斬撃を刀身で受け止め、腹筋を狙う月美の拳を柄の底で叩き落す。

 それもフェイント、本命はさきほど砕けた剣の破片。




 「―――来い!」

 「く――ッ!」




  信吾の後ろに落ちていた破片が猛烈な勢いで飛び、彼を後ろから殴りつけた。


  月美の剣が、振るわれる。

 体は後ろからの攻撃により前へ押されている。

 回避はできない、そんな余裕は無い。

 無論、反撃も防御も不可能。


  それを行なえたのは偶然、いや忌まわしい事に秋雨の血に込められた戦の記憶のおかげだろう。

 信吾は剣を投げ捨て月美へとぶつけたのだ。

 一瞬だけ怯んだ隙に後ろに下がろうとする、しかしそれでも間に合わず浅く左肩から右の腹まで切られた。




 「く………」

 「あれ、どうしました。
  私ごときに遅れをとるなんて、らしくもない」




  油断などしていなかった、最初の攻防で月美の実力は分かっていた。

 だが今の月美は信吾の予想よりはるかに強い。

  月美が軽く指をかんで血を流す。

 それは普通の赤色をしていたが、なぜか毒々しく見えた。




 「痛くはないと思います、向こう側の血はこちら側を侵食しますから、すぐに…」




  月美がいい終わるより早く、それはゆっくりと立ち上がった。

 ただ刀を抜き、涙の跡を隠さず、天馬雫が歩いてくる。




 「死に底無いが」

 「そうね、その上もう人生最大の博打で失敗して絶望中。
  けどそれもここまで、もう貴方が月美の真似をしているのが、許せなくなった」

 「許せない―――?
  それを決めるのは私で人形女、貴女ではない。
  殺すのは私で、殺されるのは貴女ですよ巫女神様?」




  まるで世界の真理を語るように自信に溢れた、悪く言えば傲慢な宣言。

 そんな彼女を見て雫の浮かべたものは、哀れみだった。




 「その思いは貴女の物ではないわ、いい加減、夢からさめなさい。
  貴女は貴女よ、他の何かになってはいけない」

 「居る事事態が、罪悪の癖に……… 何を言う、天馬の―――いえ、天魔の家系の戦巫女が」

 「………だから、こそじゃない」




  そう、だからこそだった。

 戦巫女となって、天馬の家系により薬品で自分を失った。

 だからこそ彼女は知るのだ、“自分”がどれほど大事なものであるかという事を。




 「月美、貴女は月美として信吾に言わなければいけないのよ。
  貴女は月美として私に怒りをぶつけないといけないのよ。
  言った事に対する返事に恐怖して、無垢なるなんかに逃げ込んで………代わりにそれに言わせるな。
  私は、貴女から、貴女の口で、貴女の意思で、私を憎んでいるといって欲しかった!」

 「私は―――!?」

 「もう、どこまでが自分の思いで、どこまでが無垢なるで歪んだ思いなのか分からないでしょう。
  どうしてそう自分が思っていたのかも、どこまでが無垢なるの思考なのか分からないでしょう。
  ………貴女は自分の意思で、本当の地獄に飛び込んだのよ!」




  絶望した女は、だからこそ今までに無いほど感情をさらけ出していた。

 その瞳はただ月美を見ていた、あまりに真っ直ぐな瞳に月美の思いを利用した存在は脅える。

 大気がゆっくりと凍り付いていく、それは結界の破壊によってあふれ出した黒い霧がもたらした冷気だ。

 今、まさにこの狂った聖域の終わりが始まったのである。

  雫の心は今までに無いほど澄んでいた。

 吹っ切れたというべきだろう、もう隠し事などしなくともいい。

 だからこそ、雫は自分の罪を語る。




 「月美、ごめんなさい」




  雫が、微笑んで言う。

 頬を涙が伝って見えたのは気のせいではない、彼女は微笑みを浮かべながら、その心は泣いていた。

 自分の不甲斐なさに、この末路に、この運命に、この状況に、なにより月美に対して泣いている。

 もしかしたら最初に、この言葉を言っていればこんなくだらない結末などを招かないでもよかったはずだ。

 今更ながら、それを雫は感じていた………




 「本当は貴女はこの神社に引き取られるはずではなかったの。
  けどあの時、私は一人で怖かった。
  …だから、貴女を引き取ったの、一人は、悲しいから」

 「………!」




  月美にはそれに怒りをぶつける事が出来なかった。

 彼女が感じていた孤独や恐怖は、自分が感じていたものなのだから。

 地獄の聖域にて、嘆きの井戸の底にいて空を見上げていたのは、月美だけでは無かったのだ。

 それよりもっと昔に、もっと深く、雫は………




 「さぁ、これで本当にお終いよ、このすれ違いだけの茶番もね」









次回 縁の指輪 
負の壱の指輪 六刻目 青空の下で―かなわない願いと ―








作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。