Corporate warrior chapter.1 -permanent part timer- story.2


 昨今の平和な世の中、小銭を盗んでも立派に犯罪となる。

小銭一枚分の価値しかない書物でも盗めば万引きであり、窃盗の一種として厳しく罰せられる。

万引きとは世俗的通称でしかないが、刑法第235条の窃盗罪の成立する犯罪行為である。

占有移転が完了した時点で窃盗既遂罪、レジの外に出た時点でほぼ確実に既遂は成立する。

特に最近は大人のみならず、子供が営業時間中の商店・小売店の陳列された商品を店側の目を盗んで窃取するケースが増えている。


――本日ここに、無職に嘆くニートが一名仲間入りした。


「俺は本当に知らないのに、あの店員め! 御客様より己の腐った目を信用するのか、くそったれ!」


 朝早く意気揚々と向かった面接はその場で不合格、午後の買い物では店員に万引き補導。

残りの時間は追求と反論のぶつかり合いに消費、天は晴れやかな朝陽から悲しみの黄昏に沈んだ。

疲労と絶望の夜をさ迷い歩き、理不尽な一日を呪いながら俺は帰宅した。


薄汚れた畳に、古臭い本を叩きつけて。


「10倍価格で警察だけは勘弁してやる、だとぉ・・・・・・人様に罪を着せといて、何だあの言い草!
100円均一でも売れない本を、何で無職の俺が1000円も出して買わないといけないんだ!!」


 4畳半1間の狭苦しい部屋の中でで、男一匹虚しく負け犬の遠吠えを上げる。

風呂ナシ・トイレ共同・湿度高めの昭和建造、男性限定のボロアパートが俺の一人暮らしの限界だった。

今時の大学生より遥かに劣る腐った部屋だが、収入のない俺には此処がギリギリなのだ。

労働は国民の義務、資本主義のこの国では働かない人間に価値はない。

怒鳴り声一つ上げるにも隣人の顔色を気にしなければいけない生活にまで、今の俺は落魄れている。

皺が寄ったスーツを100円ショップで買ったハンガーに吊るし、俺は床に寝そべる本を手にする。


本当に自分が無罪ならば――最後まで戦うべきだった。


被害物品の大きさや形状、行為者の意思等により左右されるが、通常万引きを犯せば警察を呼ばれる。

書店勤めの店員は本を売って給料を貰っている。

漫画本でさえ仕入れるのに費用が生じ、売却する事で初めて儲けが生じる。万引きが発生すれば、その分彼らが損をする。

咥えて本を盗んだらその代金だけでなく、彼らの拘束時間や警備のお金もかかるのだ。

店員の給料の源となる本を盗むという事は、彼らの財布からお金を盗むのと同じ――その為、万引き防止システムが構築されている。

彼らにとっても死活問題、いい加減な判断で御客様を罪には問えない。

だからこそ相手も必死になる、大事な店を巣食う者達から本を守る為に戦う。

そんな彼らの死に物狂いに似た熱意に、俺の真実が敗北した。


俺は戦えなかった、必死になれなかった、警察を恐れた――自分を、信じられなかった。


無実の罪を着せた犯人が出した情けに縋ってしまった。

己の心の弱さの証が無念に染まる赤き本、敗北者の書物。

――自分の会社には必要ない、面接官の社長が俺を嘲笑っていた。


「盗んでない、俺は何も盗んでないのに・・・・・・」


 人生の落伍者として笑われた、犯罪者として扱われた。

社長の嘲笑が俺の心を無情に引き裂き、店員の罵詈雑言が傷を抉る。

だらしない自分の人生を変えようと外へ向かった俺に、世界が塩を撒いて追い払った。


人々は、社会は、世の中は――世界は、俺を必要としていない。


「――俺はただ、真面目に生きたいだけなのに――」


 成人をとうに過ぎた25歳の男が、世間に否定されて薄汚い部屋で惨めに泣いた。

頬を湿らせるだけの涙に尊さはなく、ただみっともなく本の表紙を濡らすだけ――

強大な悪に倒されても立ち上がる正義の味方には程遠く、その辺の大人に一蹴されただけでアパートの部屋に縮こまっている。

そんな自分がただ情けなくて・・・・・・価値のない涙は簡単に枯れて、悲しみも静まった。

本気になれない大人、まさにその通り。

ニートの見せ掛けのやる気など、本物の社会人には鼻で笑われるだけのものでしかないのだ。

情けなかった。

俺は大人相手に主張する事も、理不尽な罪を着せられて怒る事も――本気で泣く事も、出来ない。

何も出来ない男、働く気力もない駄目人間。

ニートという与えられた称号に甘えて、自分の部屋で死ぬまで寝ていればいい。

生きようとする感情もない人間には、それが相応しい。


「・・・・・・もう、疲れた・・・・・・寝よう・・・・・・」


 履歴書に交通費、万引き証拠の赤い本――不要にお金を費やして、晩御飯の為のお金すらもったいない。

室内に洗濯機も置けない部屋に年中敷かれた布団に転がって、俺は毛布に包まる。

社会の喧騒のない静かな部屋だけが、俺の安らぎの場所――照明を落とせば、冷たい世界も闇に閉ざされる。

眩い光が強者の証であるならば、静かな闇は弱者の象徴。

気だるい無力感すら優しい眠気となって、俺は絶望のまどろみに浸った。

仮に、このまま死んでも悔いはない。

たかが一日味わっただけの挫折で折れる人生なんて、何の価値もないのだ。


ああ。

このまま。



世界が滅んでくれればいいのに――










――日記を書く。










零れ落ちた涙の最後の一滴が、暗闇に満ちた世界で仄かに光る。

無気力の泥沼に引き篭もっていた俺の、最後の悪あがき。

最悪の一日でたった一つだけ見つけ出した光明が、悪夢に堕ちようとする俺の心に小さく光を差し込んだ。


・・・・・・のろのろと起き上がる。


照明をつける元気なんて微塵もなく、半ば眠りについていた意識に引き摺られてボケッと座り込む。

生きる力のない身体に気力は満たされない。

起死回生の手段――逆転の刃ではなく、所詮ただの思い付き。ありきたりな手段だった。

それでも筆を取る気になったのは・・・・・・俺がまだ、生きているからだろうか?

明日世界が滅んでも悔いがないように。

真っ暗な部屋を布団を被ったままの男が這い回る。所詮引き篭もりのニート、格好の悪さなんて知った事ではなかった。

眠気の残る重い瞼を擦って、俺は安普請の平机に向かう。


履歴書を書いたボールペンに、万引き容疑で買わされた古本――皮肉に見立てたチョイス。


真っ暗な部屋の中でゴリゴリ陰気な音を立てて、不吉な赤い本に無気力な男の一日を不幸に描いた。

楽しくも何ともない、価値のない人生。半分を過ぎて、先が見えつつある諦観の未来――

暗くて自分の字もよく見えなかったが、俺は魘されるように書き殴った。















 ニートは仕事に行っていないので、早起きする必要に迫られる事はない。

自ずと睡眠時間が長くなりがちで、脳が許容できる時間を遥かにオーバーしてしまう。

目覚めは昼過ぎ、原因不明の頭痛にふらつきながら俺は起き上がった。

寝癖のついた髪をボリボリ掻いて、煙草を――ちっ、再就職に向けてやめたんだったっけ。

舌打ちしながら、俺は掛け布団を投げやりに放り出す。

昨晩から何も口にしていないが、胃は重く生きる糧を口にする元気が生まれない。

俺はこうして怠惰に過ごして腐っていくんだろう――窓の外は、嫌味なほど晴れ渡っていても。

外の平和で明るい世界に、何の感動も生まれない。そこに住む人達が、自分には冷たいのだから。

俺は気だるげに伸びをして――机の上に広げられた本に、目が止まった。


(・・・・・・? あっ、そうか。確か昨日の夜中、とち狂って日記を書いたんだっけ?)


 所詮就寝前の思い付き、何を書いたのか自分でも覚えていない。

昨日は本当につまらない一日だった、きっと恨み言や愚痴で埋まっているだろう。

俺は広げられた本を手に取って、ぱらぱらと捲る――



"世界とは生産と破壊の間を揺れ動いている。

破壊がなければ新たな生産は行われない。
生産が行われなければ、世界は死滅する。

世界のシステムとは、単純なこの二つの力の均衡で保たれている"



 ――何だ、この文章・・・・・・?

完全に眠りから覚めた俺は食い入るように、赤い日記帳に書かれた文を見つめる。

流麗とは御世辞にも言えない汚い文字、真っ暗な部屋で俺が書いた――のだろうか?



"世界は貴方に、何も与えない。貴方は世界に、何も望まない。
そんな貴方を、私は望む。私が、貴方に与える。

未来を生み出す希望を。現実を壊す絶望を――

世界に否定された私だけが、無力な貴方を救える"




 地の底で足掻いた手が、細い蜘蛛の糸を手繰り寄せる。

決して、手の届かない人の元へ――海を越え、時を越え、世界を越えて。


たった一冊の本から、記された男の人生に読み手が加わる。















to be continues・・・・・・







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