近くに立つと端が彼方まで続いているかのように思える館の玄関の前にあかねは立っていた。 拾った猫を預かってもらう為に何度か訪れた事のある館は、月村家、すずかの実家であった。 インターホンに手を伸ばし、呼び鈴を鳴らす。 そわそわした様子のあかねが待つ事数十秒、見上げるほどに大きな目の前のドアが蝶番を鳴らしながらゆっくりと開いた。 内側から開けられたドアから顔を覗かせたのは、紺色の制服の上にエプロンを着込み頭にホワイトブリムを据えたメイドであった。 呼び鈴を鳴らした主があかねだとわかり、満面の笑みで迎えられる。 「いらっしゃいませ、あかね君」 「お久しぶりです、ファリンさん。僕が最後ですか?」 「いいえ、アリサちゃんはすでにすずかお嬢様とお茶をしていられますけど、なのはちゃんと恭也さんはまだお見えになってません」 「恭也さんも来られるんですか?」 「立ち話もなんですから、その辺りはご案内がてらお話します」 長い廊下を歩いている間に聞かされたのは、なのはの兄である恭也とすずかの姉である忍が恋仲だと言うことであった。 知り合いから友達に、友達から恋人に、そして夫婦となる。 当たり前のことではあるが、話を聞かされたあかねはなんだか気恥ずかしいような、むずがゆい気持ちになっていた。 母や士郎に、なのはとの事を言われた時は特に何を感じるわけでもなかったはずだ。 まだまだそう言った気持ちが未発達なあかねであるが、実際に知り合いの具体例を聞かされ心のどこかが少し刺激されたせいかもしれない。 「まだ少しあかね君にははやかったかな?」 からかい口調のファリンは、そうじゃなければ女の子のお茶会にのこのこ一人でくるわけがないとあかねを見てくすくす笑っていた。 笑われていることに気付いたあかねが、珍しく赤くなり拗ねたように視線をそむけたりしている間に目的の部屋へとたどり着いた。 「さあ、こちらです」 ファリンが開けてくれたドアから入り込んだそこは、一面ガラス張りの温室のような部屋であった。 暖かな部屋のそこかしこに猫がまどろんでいた。 日向ぼっこをする者、じゃれあう者と様々でそのうちの何匹かはあかねを見つけて駆け寄ってくる。 その全てはあかねがすずかに預けた猫たちであり、その中で一番小さな猫を拾い上げる。 「預けっぱなしで申し訳ないです。アイン」 にぃっと子猫が鳴き、改めて抱きかかえると部屋の中央に用意されたテーブルへと歩み寄る。 そこで待っていたのは毎日学校で顔を合わせているすずかとアリサ、そしてすずかの姉である忍であった。 「おはようございます、すずかさん、忍さん。それとバニングスさん」 「また休日から喧嘩売ってくれるわね」 「だめだよ、アリサちゃんもあかねさんも。今日の目的を思い出して」 早速一触即発な二人の様子を見て、今日だけはとすずかが止めに入った。 何時もは基本的に放置なのだが、今日はお茶会をする理由が理由である。 あかねもアリサもそれはわかりきっているため、すぐに了承して大人しく椅子に座りなおした。 「解ってるわよ。それとアンタ、たまにはうちに預けっぱなしの犬もちゃんと見にきなさいよ」 「けれど僕から言い出したら、嫌な顔をするでしょう? そちらから言い出してくれるのを待ってました」 あっそうとそっぽを向いたアリサが、お茶に手を伸ばし一度喉を潤す。 「すずかに聞いていた通り、仲が良いのね。アリサちゃんもあかね君も」 突然の忍の感想により、アリサがお茶を噴出しかけ、あかねが本当にやめてくださいと顔で訴えかけていた。 もちろん何を吹き込んでいるんだと、二人の視線ですずかに釘を刺しておくことを忘れない。 そんなやり取りの後で、先ほどあかねが入ってきたドアがガチャリと音を立てた。 皆で振り返るとファリンとはまた違うメイドに案内されたなのはと恭也の姿があった。 嬉しそうに名を呼びながらすずかが立ち上がる。 「なのはちゃん、恭也さん」 「すずかちゃん」 応えるように名を呼んだなのはの肩の上で、ユーノがキュッと声を挙げていた。 何時までも自分達に順番が回ってこず、待ちきれなかったように忍が立ち上がり恭也へと歩み寄っていく。 「恭也、いらっしゃい」 「ああ」 とても短いやり取りであったが、しばし互いに見詰め合ったまま動かなかった。 そんな様子を見ていると話しに聞いた以上にむずむずし、何度も座りなおしている所でふいにアリサと目が合った。 にやっと嫌な笑みを浮かべ笑われてしまい、なんだか弱みを握られた気がしてならなかった。 「お茶をご用意いたしましょう。何がよろしいですか?」 なのはと恭也をつれてきたメイド長のノエルが尋ねると、恭也がお任せを頼んだ為なのはも、まだお茶を貰っていないあかねもお任せする事にした。 その大きな理由はお茶に詳しいわけでもないと言う消極的な理由からであった。 お茶を頼んですぐに恭也は忍の手によって自室へと連れられていった。 ファリンもまたノエルに手伝いをこわれて、一礼してから部屋を去っていった。 残されたなのはは、椅子を占領していた猫を抱えて降ろしてから、すとんと座り込んだ。 「おはよう、なのは」 「うん、おはようアリサちゃん。あかね君」 「おはようございます」 改めて挨拶を交し合うと、何故かアリサがあかねへと意味ありげな視線を送ってから一つ話題を提供してきた。 「相変わらずすずかのお姉ちゃんとなのはのお兄ちゃんはラブラブだよね」 その話題を持ってくるかと戦慄したあかねであったが、話題を変更する事は不可能であった。 何故なら本当に嬉しそうにすずかがはにかんだからだ。 ここで話題を無理に変えようものなら、折角笑ったすずかの笑顔が曇りかねない。 つまりあかねはこの話題が生み出すむずがゆさを甘んじて受けるほかはない。 すずかだけには甘いあかねの性格をついた、アリサの見事な作戦であった。 「うん。お姉ちゃん、恭也さんと知り合ってからずっと幸せそうだよ」 「うちのお兄ちゃんは……どうかな。でも以前に比べてなんだか優しくなったかな」 「へえ」 会話に加われない、と言うか加わりたくないあかねは膝の上にのせていたアインと所在なさげに遊んでいた。 恋愛話から、せめて恭也と忍の話題から離れないかなと思っていると、なのはの鞄からユーノが出てくるのに気付いた。 どうやらなのはの肩にいたのではなく、鞄から顔を出していただけだったようだ。 男同士話し相手になってくれと、登ってくるように足を差し出す。 すると何を勘違いしたのか、膝の上に座っていたアインが足を伝って床へと降りてしまった。 そして獲物を狙うように身を屈め、ユーノへとにじり寄っていく。 『あかね、もしかして僕……狙われてる?』 『フェレットって、イタチ科でネズミ科ではなかったような気がしましたけれど』 『でもこの目は……』 だらだらと汗を流しながらユーノが後ずさる。 すぐにユーノかアインを拾い上げてやればよかったのだが、恋愛話からの逃避を優先しあかねは見守るだけであった。 勝手にがんばれユーノさんと応援まで送り、すでに話題が変わろうとしていた事に気付いていない。 「そう言えば、今日は誘ってくれてありがとね」 「ううん、こっちこそ来てくれてありがとう」 「今日は元気そうね」 「え?」 確認するようにアリサに顔を覗き込まれ、なのはは驚きの声をあげていた。 指摘されるまで自分が最近元気がなかったことに気付いていなかったのだ。 「なのはちゃん、最近少し元気がなかったから。もしなにか心配事があるなら話してくれないかなってアリサちゃんとあかねさん相談してたら、あかねさんがとりあえず今は一緒に普段通り遊ぶだけでいいんじゃないかって」 「まあ、ちょっと無責任にその遊ぶって所を私たちまかせにしようとしたから、今日はコイツもさそったんだけどね」 「そうだったんだ」 それはなのはの抱える問題が容易に人に話せない事を考慮したあかねならではの助言であった。 決して話せない事を親友に聞かれ答えられなかったら、きっとなのはは親友に話せないということをまた悩んでしまうであろう。 すずかやアリサも、親友に相談すらしてもらえない自分たちを気にやんでしまうかもしれない。 もっともあかね自身もなのはが何をどう悩んでいるかまでは把握できては居なかったが。 「すずかちゃん、アリサちゃん。あかね君も……へ?」 一人一人へと潤んだ瞳を見せたなのはであったが、あかねへと視線をよこした所で固まってしまった。 あかねが視線を向ける足元では、ユーノが一匹の子猫によって追い詰められようとしていたからだ。 それを見つめるだけであかねは止めようとする素振りを見せず、そう言えばと思い出してみれば会話に全く加わっていなかったことに気付いた。 「ユーノ君」 思わずなのはがユーノへと手を伸ばし、同時になのはの声がユーノとアインの間の緊張感を破壊していた。 アインが一気にユーノへと跳びかかり、ユーノが一目散に逃げ出した。 悲鳴をあげてユーノが逃げ回り、ふわふわと揺れる尻尾めがけてさらにアインが加速する。 もしかするとユーノそのものが気になっていたのではなく、そのふわふわの尻尾が気になっていただけかもしれない。 「アイン、だめだよ」 すずかの必死の声を聞いて、ようやくまずいことを見逃していたとあかねが動き出した。 「ユーノさん、こっち。僕の足から」 立ち上がったあかねが一先ず二匹を引き離そうと足を差し出したは良いが、二匹の距離が近すぎた。 二匹ともがあかねの足を伝い、ジャンプ台のように駆け上ってしまう。 「ちょっと待ってくだ、ぐわ!」 足から体へ、果てには顔まで上りつめられたあかねがバランスを崩した。 最後に頭を蹴り上げたユーノとアインは跳んだ。 なのはとすずかが口を開けたまま二匹の空中歩行を見守る中、二匹はそのまま一直線にアリサが居た場所まで突っ込んでいった。 ユーノもアインも体が小さいとは言え、その突進はあかねというジャンプ台を経て結構な威力となっていた。 「へ、うわっ!」 二匹を胸で受け止めることとなったアリサは、そのまま椅子ごとひっくり返ってしまう。 それでもまだユーノとアインは止まらず、四苦八苦してなのはとすずかがそれぞれを捕まえる事に成功した。 「お待たせ、しま……した? ど、どうしたんですか、これは」 お茶を持って戻ってきたファリンが、悲鳴のような声をあげていた。 部屋の中であかねとアリサが倒れており、なのはとすずかが息を切らせてユーノとアインを逃がすまいと抱えていれば混乱もするだろう。 それに加えいつも綺麗に掃除してあるとは言え、二匹の動物が暴れまわった室内はお菓子とお茶を持って踏み込むには戸惑われる空間と化していた。 暢気にお茶を飲んでいられる状況でない温室を後にし、館の前にテーブルを出してお茶をする事になった。 ただしテーブルの上に置かれたクッキーもお茶も、テーブルの一部地域に置かれていなかった。 四人いる中であかねの周りにだけである。 そのあかねはと言うと、アリサに殴られた頭をさすりながら少しばかり反省していたりする。 危うくアリサに怪我をさせる所であり、お茶会そのものも台無しにしかけだのだから仕方が無いとは思えた。 この際お茶もクッキーもないのは気にしない。 「あかね君、私のクッキー食べる? お茶もすぐファリンに用意させるから」 「甘い、甘いわよすずか。甘やかしたら付け上がるわ」 みかねたすずかが自分の分をまわしてくれたが、アリサの手がクッキーの盛られた小皿を取り上げてしまう。 アリサが怒るのもわかるが、元々はアリサがわざと恋愛話をふったせいではないかとあかねは反省を少し棚上げし恨めしそうにする。 それに気付きながらもアリサはふんっと顔を背けながら、取り上げた小皿をすずかの前に戻した。 このままでは結局お茶会が、なのはを慰めようと用意した場が台無しになってしまうとすずかがうろたえる。 そこへさらに爆弾を落としたのは、なのはであった。 「それじゃあ、こうしよう。あかね君がこれからはアリサちゃんをちゃんと名前で呼ぶって事で、仲直り」 「ええ!」 「それは、と言うか名前に拘りますね、なのは」 「あれ?」 良い提案だと思っていたなのはは、アリサまでもが嫌そうな声を挙げたことに首を傾げる。 あかねはともかく、アリサがあかねを苦手としていたのは頑なに苗字を呼ぶところにあったと思っていたからだ。 「そりゃあ、最初は名前で呼ばないことだったけど、もっと根本的なところでだめなの。そう、馬が合わないって奴よって言いたい所だけれど、今回はそれで我慢しておいてあげるわ」 「今回も僕の意見は完全無視の方向なんでしょうね。仕方ありませんが。先ほどは申し訳ありませんでした、アリサ」 「私ももういいわよ、あかね。思い出してみれば、私もまともに名前呼んでなかったわね」 お互いちょっと照れくさそうにそっぽを向いたままの謝罪であったが、一先ずの仲直りであった。 特にほっとしたすずかは、すぐにファリンにあかねの分のお茶も頼んでいた。 今度こそあかねの前にもお茶とクッキーが用意され、本当にお茶会の仕切りなおしとなった。 テーブルの付近の雰囲気が和らいだのが猫達にもわかったのか、わらわらと何処からともなく集まってくる。 それらの猫を眺めてからアリサが呟いた。 「しかし、あいかわらずすずかの家は猫天国だね」 アリサが表したように子猫から老猫まで、ありとあらゆる猫を見ることが出来た。 「子猫たち可愛いよね」 「うん、里親が決まってる子もいるから。お別れもしなきゃならないけど」 「もしかして僕が拾ってきた子もですか?」 「今はまだ決まっていない子もいるけど、一番子猫のアインは再来週には貰われていく予定なの」 それはきちんとした里親が決まるのは嬉しいが、すずかの家にいないとなると気安く会いに行く事は出来なくなることだろう。 少しの寂しさを胸に、今日は精一杯遊んでやろうとアインを探すがまわりの猫達の中にアインの姿はなかった。 屋内で暴れた為に一緒に連れてきたはずだが、いつの間にか辺りから居なくなってしまっていた。 「あれ、アイン?」 呼んでみたが駆け寄ってくることもなく、あかねが立ち上がる。 「そう言えば、いつの間にか見なくなってたわね。子猫だからか、落ち着きのない子ね」 「あかねさん、アインならすぐに戻ってくると思いますよ」 「そうだとは思うけど、少し探してきます」 「私たちも手伝うよ」 あかねに続きなのはも立ち上がろうとしたが、あかねが手で制した。 あくまでアインと一緒に遊んでやりたいと思うのはあかねの個人的なことであるし、今日の主役はあくまでなのはである。 「大丈夫です。貰われていくのが再来週なら、来週もありますし。少し探して見つからなければ戻ってきますから」 あかねはクッキーを二枚ほど口に放り込んで、お茶で流し込んでから駆け出した。 すずかの家の正面の庭は芝生と小さな植木だけであるが、それ以外は森といってしまっても良いような空間が広がっていた。 一体何処へ行ったのやらとアインを探して、あかねはその森へと足を踏み入れていった。 さすがに天然の森とは違い、落ちた枝や葉で地面が埋め尽くされていることはなく、適度に枝が伐採されていることで十分に太陽の光も届いていた。 とは言うもののさすがに小さなアインを見つけるのは難しいようであった。 同じような景色の森をアインの名を呼びながらぐるぐると探し回り、疲れて立ち止まるそのときだった。 「ジュエルシード?」 感じなれた力の奔流をその身で感じたのは。 『なのは、ユーノさん!』 『こっちでも感じたよ、あかね君』 『なんとか方法を考えてこちらも抜け出すから、あかねは無理しないで。なのはが着くまで待ってて』 念話でユーノに注意を促されたが、アインの事が妙に気に掛かっていた。 自然と動き出した足に任せてあかねは再び森の中を走り出していた。 収まるどころか膨れ上がる胸騒ぎにゴールデンサンを手に取った。 「ゴールデンサン、セットアップ!」 「Stand by ready. Set up」 森の中を照らし出す光があふれ変身が完了すると同時に、さらに大きくなったジュエルシードの力を感じた。 「発動した? 急がないと」 「Amplify leg」 脚力を増幅させさらに駆けたあかねは、周りの雰囲気が一変するのを感じた。 風が止み、音が消え、周りの色彩全てが薄暗く塗りなおされていく、ユーノの結界魔法である。 それと同時にすぐ手前の藪の向こうから眩い光が一面を照らすように膨れ上がるのを見た。 急いでそこへと飛び込んでいくと、驚くべきと言うか、あきれる光景が目に入ってきた。 「少し見ないうちにすっかり大きくなりましたね、アイン」 木々よりもさらに背が高くなったアインが、空へと向けて一鳴きしていたのだ。 大きくなる前とその姿にはなんら変わりがなく、本当にただ大きくなっただけのように感じた。 その証拠にフンフンと鼻をならしたアインは、あかねに気付いて甘えようと鼻先を擦り付けようとしてきた。 純粋な子猫だったせいか、凶暴性は見られず本当に甘えようとしただけらしい。 だがあかねから見れば巨大な壁が向こうから突き進んできたようなものである。 「どんな悪い冗談ですか!」 思わず防御魔法を使おうとしてしまった自分を叱咤して、走り出す。 防御魔法は相手側にもそれなりの衝撃を与えてしまう為に戸惑ってしまったのだ。 それが良かったのか、悪かったのか。 勝手にあかねが遊んでくれているのだと思ったアインが、あかねを追いかけて走り始めた。 巨大なアインとあかねでは歩幅が根本的に違うのだが、あかねは増幅魔法のおかげで何とかアインの速度に渡り合えていた。 「なのは、急いで。ああ、でもアインを攻撃しちゃいけませんからね!」 珍しく混乱するように叫んだあかねの真横から、アインの猫パンチがとんで来た。 大きく跳んでかわし、時にしゃがみこんでなのはの助けを待っていた。 そのなのははと言うと、少しばかり前に追いかけっこの現場近くまでたどり着いていた。 「あ……あ……あれは?」 「た、たぶんあの猫の大きくなりたいって思いが正しく叶えられたんじゃないかな?」 「そ、そっか。でも体は大きくなっても、心は大人になれなかったみたいだね」 あかねと巨大化したアインとの追いかけっこを発見したなのはとユーノも、しばし思考が停止してしまっていたのである。 直ぐ近くでは必死の形相であかねがアインから逃げ回っていたのだが、すぐに助けに行こうとはせずしばらく呆然としていた。
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