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はやてとなのはが意識を取り戻した場所は、鳴海市から遠く離れた沖合いの海上であった。 すぐそばには夜天の魔導書である女性と本体の魔導書、そして足元の海の上では冬の荒々しい波間の中に淀んだ闇が広がっていた。 その大きさは目測だけでは計り切れないほど大きく、今もなお広がり続けていた。 闇が広がるにつれ空間全体が地震のような震動を発し始め、今足元にある闇が、夜天の魔導書の防衛プログラムだと理解できた。 「はやて！」 「なのは！」 呼び声に振り返ってみれば、突然の転移に追いつくように飛んでくる守護騎士たちやフェイトたちの姿があった。 はやてもなのはもこちらだと知らせるように手を挙げて知らせると、金色の閃光が駆け抜けてはやてへと抱きついていた。 「太陽のお兄ちゃん、お兄ちゃん！」 「おに、え。なんやのこの子、ちっちゃいフェイトちゃん？」 「アリシアちゃん、落ち着いて。ゴールデンサンならここにいるから」 「Golden sun must not cry」 なのはとゴールデンサンになだめられても、だってと呟くだけで抱きつくのを止めない。 だが自分が真っ先に抱き付こうとしていたヴィータが、先を越されて黙っているはずもない。 人差し指と親指で円を作り、アリシアの背中をつまみあげて引き離していた。 「てめえ、キンキラ。はやてに抱きついてんじゃねえよ」 「放してよ、馬鹿うさぎ。あの子にじゃないもん、太陽のお兄ちゃんに抱きついてたんだもん」 「はやては男じゃねえ！」 「だから太陽のお兄ちゃんだもん！」 「だあ、お前とは全く会話が噛みあわねえ！」 喧嘩をする両者をシグナムとフェイトが引き離し、ヴィータには拳骨が、アリシアには人差し指での叱咤がくわえられた。 だがその痛みだけでは、そりの合わない相手へと向けられる視線がより険悪となっただけのようであった。 犬の様に唸りながら、保護者の視線を気にしつつ威嚇を続けていた。 「もう、アリシアたら。なのは、大丈夫だった？ 二人が消えた後、あの子も防御魔法はそのままで動きを止めちゃって」 「夜天の魔導書さんの中で、あかね君に会ってきただけだから大丈夫だよ」 もう心配は要らないとなのはが微笑むと、皆が今はぴくりとも動かない夜天の魔導書を見上げた。 「主はやて、お怪我はありませんか？ それに彼女は」 「怪我なんてしとらへん。それに今あの子は、夜天の魔導書の暴走原因である防衛プログラムの切り離しに忙しいだけや」 「それじゃあ、あかね君は戻ってくるんですか？」 「もう大丈夫や」 ヴィータの肩を両手で取り押さえているシグナムに答え、シャマルにも心配は不要だとはやては答えた。 すると直前まで喧嘩をしていたヴィータもアリシアもほっとした表情を見せ、全く同じ表情を見せた相手の心情に気付いてそっぽを向き合った。 そんな場合でもないのだが、なんとも微笑ましい姿に苦笑が漏れそうになるが、クロノの言葉で引き締められた。 「ジュエルシードの封印による闇の書の活動停止と言う狙いは外れたが、現状は悪くもない。下を見てくれ」 クロノに言われるままに海上を見つめてみれば、闇の拡大こそ停止していたものの、今度はその闇が大きく膨張し始めていた。 海中までどうなっているかは視認できなかったが、海上の闇は半球体の状態へと膨張し、その周りには蛇か触手のようなものが多数うねりを上げていた。 生理的嫌悪を感じたシャマルやなのはなどは、出来れば直視しないように一言注意を入れて欲しかったと目をそらしていた。 「眼下の黒い淀み、闇の書の防衛プログラムが後数分で暴走を開始する。僕らはそれを、何らかの方法で止めないといけない。停止のプランは現在二つある」 そう言ったクロノは、一枚のカード待機状態のデュランダルを皆に見せて続けた。 「一つ、極めて強力な氷結魔法で停止させる。二つ、軌道上に待機している艦船アースラの魔導砲アルカンシェルで消滅させる。これ以外に何か良い手はないか？ 元闇の書の主と、守護騎士の皆に聞きたい」 「私が主やった期間は短いし、覚醒する前にあかね君がすり替わってもたから、夜天の魔導書についてはあまり。シャマルは？」 「提案ではないんですが、最初のは難しいと思います。主のない防衛プログラムは魔力の塊みたいなものですから」 「凍結させても、コアがある限り再生機能は止まらん」 「アルカンシェルも絶対駄目、こんな所でアルカンシェル撃ったらはやてとあかねの家までぶっ飛んじゃうじゃんか」 守護騎士たちの反対意見を半ば予想していたように、クロノは眉根をひそめていた。 どちらのプランにも欠点があることは解っていたのだ。 覚醒した闇の書を主ごと凍結するのは、そのどちらもが命の有無に関わらず物質であればこそ可能なのだ。 これが物質ではない魔力の塊となると、それを凍結させるのは不可能である。 そしてアルカンシェルはヴィータの言った通りの理由で、今のままでは使用できないこともわかっていた。 「そんなに凄いの？」 「発動地点を中心に、百数十キロ範囲の空間を歪曲させながら反応消滅を起こさせる魔導砲と言うと、だいたい解る？」 自分の保有する知識を当然のものとして説明するのはユーノの悪い癖であるが、百数十キロと言う距離にはなのはたちにもはっきりとした脅威を感じさせた。 「あの、私もそれ反対」 「同じく、絶対反対」 「僕も艦長も使いたくないよ。でも、アレの暴走が本格的に始まったら、被害はそれよりさらに大きくなる」 「暴走が始まると、触れたものを侵食して無限に広がっていくから」 このまま何も思い浮かばなければ、コレまで繰り返されてきたように被害を無視してアルカンシェルで吹き飛ばすしかない。 それでは何も変わらないと若干の焦りを浮かべるクロノに、フェイトの手の中にいたアリシアが呟いた。 「それって、あれを吹き飛ばしながら周りには被害が出なければ良いんだよね？」 「ああ、それが出来れば一番なんだが。そんなことは、無理……」 アリシアが呟いたのは夢物語。 すぐにそう断じそうになったクロノであったが、頭の隅に引っかかるものを感じて言葉を止めていた。 フェイトが抱えるアリシア・テスタロッサ・ゴールデンサン、そしてはやての手にある初代ゴールデンサンへと振り返る。 パズルのピースをはめ込むように、最後にあかねの体を使用している夜天の魔導書へと視線を向けた。 「僕のサンライトサウザンドは、攻撃の魔法を消し飛ばす。防衛と言う名前がついてはいても、あれはほぼ攻撃性のプログラム。消し飛ばすことは不可能ではない。ですよね、クロノさん？」 「まだ少し足りないが、おおむねそう言うことだ。遅いぞ、あかね」 「申しわけないです。防衛プログラムを完全に切り離すまでは、主導権の交代は危険だと言われてしまったもので」 もうすでにそこに夜天の魔導書の女性の姿はなく、代わりに何時もの金色のオーバーコートを羽織ったあかねがいた。 ただしフィンガーレスグローブのデバイスではなく、その手にあるのは夜天の魔導書であった。 「あかね君、おかえり！」 「ただいま、アリシア。皆にも心配をおかけしました」 飛びついてきたアリシアを受け止めたあかねは、フェイトやユーノ、ヴィータたちへも一度頭を下げた。 本来ならば、一度ぐらいでは下げたりない。 敗北したことに必要以上に打ちのめされ、傍観者になりきることも出来ず、夜天の魔導書と共に消えようとした。 心配されないはずがない、心に大きな傷を負わせかねなかったと深々と下げた。 「本来なら一発殴ってやる所だが、連れ戻した主に免じて許してやろう」 「あたしは後で思い切り殴るからな。アイゼンの一撃を何度も止めやがって、そっちの方が傷ついたぞ」 「ヴィータちゃんの言葉は照れ隠しと言うことで、お帰りなさいあかね君」 「成すべきことがあって戻ったならば、我から言うべきことはなにもない」 ヴィータなら本気で殴りかねないとは思いながらも、苦笑いをしか出来なかった。 「あかね、お帰り。私ちゃんと止めたよ。やり方を間違えたあかねを」 「ちょっと懐かしい台詞ですね」 「まったく、言い出した君が間違えてどうするんだ。しかも君の方が、よっぽどフェイトより酷かったよ」 「返す言葉もないです」 しばらくの間はここに居る誰にも頭が上がりそうにないと、あかねは小さくなりそうな体をなんとか踏みとどまらせていた。 十分に謝罪をすることも、叱咤を受けるのも全てが片付けられた後だと、逆に胸を張る。 周りからはふてぶてしく映ったかもしれないが、あかねは胸を張るのを止めなかった。 「さて、そろそろ挨拶は後にしてくれ。再度作り直したプランを説明する」 クロノの言葉に誰もが表情を引き締め、身を正していた。 「闇の書の暴走した防衛プログラムを消滅させるキーマンは、あかねだ。彼のサンライトサウザンドで全てを消し去る。だがこのプランにも問題がないわけじゃない」 「サンライトサウザンドとは、私との決闘で見せたあの魔法だな。はっきり効果を確認は出来なかったが、即効性がない。あれでは防衛プログラムの再生が上回っている」 「その通りだ。あかね、防衛プログラムの本格的な活動まで残り十分だとアースラから連絡があった。十分でサンライトサウザンドのプログラムを組み替えろ。闇の書の中にあるプログラムの使用も許可する」 「夜天の書にも手伝ってもらいます。十分で変えて見せます」 一人輪を外れたあかねを、特にはやてとなのはの視線が追っていたが、クロノが咳払いをすると慌てて視線を戻していた。 「問題はもう一つある。サンライトサウザンドは攻撃魔法に絶大な威力を発揮するが、逆に人体や物質、防御魔法に全く効果がない。防衛プログラムの防御魔法は僕らで破壊し、出来れば本体を弱らせておくまでしておきたい」 「つまり皆の全力全開で防御魔法を破壊すれば良いんだね」 「そう言うことだが、アースラの解析予想では防衛プログラムの防御は魔法と物理の四階層式だそうだ。これをヴィータ、なのは、シグナム、フェイトの順で破壊。その後、僕がデュランダルで凍結させ動きを止める」 「そのあとがあかねの出番と言うわけか」 シグナムが確認するように呟き、皆の視線が空中で胡坐をかいて夜天の魔導書を開いているあかねの背中に集中する。 頭を抱えながら時おりぶつぶつと呟いているのは、夜天の魔導書と会話しているからであろう。 なんとも頼りない姿にも見えるのだが、纏ったオーバーコートのおかげで黄金色に光る背中に、期待も同様に浮かび上がる。 「心配いらへん。あかね君は守るって一度決めたら、絶対に守ってくれる。私らは私らの役目をすればええんや」 「ユーノとザフィーラは、攻撃の邪魔になるであろう触手のバリケードの拘束、または破壊」 「了解、クロノ」 「任せておけ」 頷いた二人から直ぐに視線の先を変えると、クロノは最後の指示を伝えた。 「シャマルは攻撃担当者が不意の攻撃を受けた際の回復役。八神はやては攻撃役へ増幅魔法をかけること。君が一番魔法戦に不慣れだ、不用意に前に出ないこと」 「後方支援はお任せあれ。はやてちゃんも、後ろで見守ると言うのは思いのほか辛いですが、頑張りましょう」 「下手に突っ込んで、皆に迷惑かけたらあかんもんな。手伝えんのは残念やけど」 シャマルに言われ眼下を見下ろしたはやては、気持ちが悪いと両腕を抱きしめながら正視に堪えていた。 海上にある淀みの大きさは変わらないものの、内部から生み出されている触手の数も種類も増えていたのだ。 最初は蛇のようなものだけだったが、蛸の足に見えるものや鉤爪のあるものなど節操なく増え続けている。 先ほどユーノが触れたものを吸収と言っていたが、完全に起動していない今この時も、海中の生物を取り込んでいるのかもしれない。 とても意図して生み出した様には見えず、まさに暴走と言う言葉が良く当てはまっていた。 「防衛プログラムの活動開始まで、残り五分だ。各自一定の距離を置きつつ配置につけ。あかね、そっちはどうなっている？」 「たった今、終了しました」 十分という短すぎる時間で魔法を構築しなおせと言う命令は、無茶であると言う自覚はあった。 早いに越したことはないのだが、まだ時間は三分以上残っている。 時間短縮の為に何か必要な性能を削ってやしないかと、クロノは眼差しを厳しくしながら少し離れた場所にいたあかねへと近付いた。 「もう死ぬつもりなんてありません。少し危険な魔法に仕上がってしまいましたが、何とかします」 「信じて良いんだな？」 「はやてとなのは、本当はどちらが好きなのか答えも出さないまま死ねませんよ」 冗談交じりに言ってしまってから顔を赤くし固まったあかねは、蚊の鳴く様な声で忘れてくださいと呟いていた。 好きと言う気持ちは本物だが、慣れない冗談に織り込むべきではなかったと頭を抱え悶える。 「感謝しろ、聞かなかったことにしてやる。その代わり、もう二度と裏切るな」 「はい。夜天の書、ユニゾンを」 「Unison in」 夜天の魔導書があかねの呼びかけに応え、あかねの体に官制意識である女性の姿を重ねられていった。 黄金色のコートの上からさらに黄金色の翼が生え、あかねの髪の色が黒から銀色へと変わっていく。 姿形の変化としてはそれぐらいのものであるが、あかねの魔力量を押し上げ、膨大とも言える量へと変化させていた。 一方フェイトの方もアリシアとのユニゾンを行い、黒のバリアジャケットの上から金色のマントを羽織りクロノへと頷いていた。 全員が活動を開始しようとする防衛プログラムを見下ろし、各々のデバイスを握り締めた。 「提督、見えていますか？」 クロノの呟きは、今はアースラにてリーゼ姉妹と共に軟禁されているグレアムへ向けての言葉であった。 『ああ、よく見えるよ』 返って来た言葉は随分と落ち着いていて、成り行きを見守るような声であった。 本来ならば捜査を混乱させた相手に、事件の結末を知らせる義務はない。 だがグレアムとリーゼ姉妹には、事件の全てを夜天の魔導書の顛末を見せるべきだと、クロノとリンディが許可を出していた。 「闇の書は呪われた魔導書でした。その呪いは幾つもの人生を喰らい、それに関わった多くの人の人生を狂わせてきました。僕の母さんも、他の多くの被害者遺族も。こんなはずじゃない人生を進まなくちゃいけなくなった。それはきっと貴方もリーゼたちも。失くしてしまった過去は変えることはできない」 「Start up」 待機状態であるカード型のデュランダルがクロノの手を放れ回転し、杖の状態へと起動する。 提督が願いを託したデュランダルを手にし、クロノは見ていてくださいと叫んだ。 「だから今を戦って、未来を変えます」 淀みが鳴動する音に加え、軋み殻が割れていくような音が響き始めていた。 まるで防衛プログラムが闇の溜まった淀みを破って、生まれ出てこようとしているかの様にも聞こえた。 防衛プログラムの活動まで本当に、僅かの時間しかない。 あかねは手の平に抱えた夜天の魔導書を手に、静かに瞳を閉じてクロノの言葉を頭の中で繰り返した。 きっとこの先、自分たちがいくら夜天の魔導書を本来の名前で呼ぼうと、闇の書だと声高に叫ぶ人が出てくるだろう。 闇の書によってこんなはずじゃなかった人生を歩む人ほど、憎しみや恨みを持って。 自己満足だとしてもそんな人たちから夜天の魔導書を守りたい、本来の偉大な魔法を記し残すと言う使命を全うさせてやりたい。 その為にも、闇の書と呼ばれた切欠を、原因を断ち切る。 まずはそこからだと、あかねは開いた瞼の中にある瞳で淀みを見据えた。 「おいおい、あいつユニゾン以前に魔力が上がってねえか？ 絶対まだ、ジュエルなんとか持ってるぞ」 「ヴィータちゃん、あかね君はもともとそう言う魔導師なんだよ。誰かを守りたいと思えば思うほど、魔力が上がっていく。最近はちょっと空回りが多かったけど」 「それで攻撃魔法が使えないのは惜しいな。出来ればそんな興味深い逸材には再度手合わせ願いたかったが」 「こらこらシグナム。これから力を合わせるって時に、そんな物騒なこと言ったらあかんで。全部終わった後からや」 ユーノなどはおいおいと突っ込みたそうな顔でシグナムとはやてをみていたが、一大決戦を前にした軽いコミュニケーションである。 若干シグナムは本気かもしれないが、気を緩めている者は誰もいなかった。 そして海面上に半球体として顔を出している淀みの周りから、海を突き破り闇の柱が幾つも空へと上り始めた。 「始まる」 クロノの一言が示すのは、防衛プログラムの活動をおいて他にはなかった。
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