冬の早朝、まだ日が昇って間もない時間帯に、フェイトはバルディッシュを模した鉄の棒を片手にマンションの屋上にいた。 騎士を名乗るシグナムに敗北したことから、自分で自分を鍛え直す為に基本に返ることにしたのだ。 そのフェイトの前に立つのは、あかねにユニゾンして金色のバリアジャケットに身を包み込んだアリシアであった。 姉妹で向かい合い、互いに隙を見つけあい、飛び出す一瞬を待っていた。 先に動いたのはフェイトであった。 魔法による補助無しに、常人を遥かに上回る身体能力にてアリシアとの距離を一瞬にして詰め、鉄の棒を薙ぐ様に振り絞った。 「ラウンドシールド!」 展開された魔法による防御に、ただの鉄の棒は無力に等しかった。 余りにもあっさりと受け止められるが、フェイトの攻撃はそれに留まらなかった。 鉄の棒と魔力の盾がぶつかっていたのは刹那の間、次の瞬間にはその場にフェイトの姿はなかった。 電光石火、そう呼ぶに等しい体捌きにてその姿はすでにアリシアの背後にあった。 袈裟懸けに振りぬかれようとしていた鉄の棒は、振り切られる前にアリシアの頬の直ぐ目の前にて止められた。 「勝負あり」 改めてアルフが言うまでもなく、決定的な勝敗の分かれ目であった。 妙な癖とでも言うべきか、アリシアは攻撃を止めるたびにそこで満足して動きが止まってしまう。 だがフェイトは勝負が付くまで決して足は止めず、動き続ける。 単に経験の差だけではないのか、鉄の棒を降ろしたフェイトは妹に負けると言う屈辱に頬を膨らませるアリシアへと呟いた。 「アリシア、戦闘は点でとらえちゃいけない。戦闘の開始から終了までは一本の線で、全ての行動に意味があって結果が導かれる」 「ぶう、フェイトの言ってること難しいんだもん。要は全部の攻撃を防げば良いんだもん」 「それが出来ないから、フェイトがアドバイスしてるんだろ。訓練して欲しいって言ってきたのはアリシアなんだから、ちゃんと聞きなよ」 子犬姿のアルフにまで諭され、ますますアリシアは頬を膨らませて拗ねてしまう。 ただでさえ姉としてのプライドをかなぐり捨てて戦闘の師事を申し出たのに、結果は散々で拗ねたくもなるものである。 それを我慢していられるのはひとえにあかねや、自分の方が力は劣っていたとしても妹のフェイトを守りたいと言う思い一つであった。 「それじゃあ、後一回だけ。今度こそ全部防いで一撃入れるから」 「一撃って、あのへっぽこナイフ? あかねは攻撃魔法が使えなかったけど、アリシアも同じぐらい攻撃魔法が下手くそなんだよね」 「もう、アルフはいっつも横でぶつぶつうるさい。邪魔するなら向こうに行っててよ」 「嫌だよ。アタシはあくまでフェイトの使い魔だよ。だからアリシアの言葉は聞かなくても良いんだよね」 「フェイト〜」 子犬に口で負けて、涙目で助けを求めてくる姉にフェイトは苦笑するしかなかった。 これではプレシアやアルフの言う通り、姉と妹の立場が完全に逆転してしまっている。 「アルフ、アリシアをいじめちゃ駄目だよ。アリシアもこれぐらいで泣かないの」 「お姉ちゃんだもん、泣いてない。ただアルフが悪いの」 「はいはい、アタシが悪うございました」 あまり悪いと思っていない謝罪の後で、アルフは少し離れた場所で体を丸め日向ぼっこを始めた。 姿は可愛らしいのだが、余りにも口達者なアルフへとアリシアは恨めしげな視線を惜しみなく注いでいた。 ちらりと片目をあけてアリシアを確認した後に、欠伸をしたのは恐らくわざとなのであろう。 何か言いたいがそれ以上の言葉となって返ってきそうで、アリシアはアルフを睨むのを諦め改めてフェイトへと向き直った。 だがフェイトはというと、持っていた鉄の棒を下げてあることを気にしていた。 「アリシア、そろそろ時間大丈夫?」 その問いかけは二つの意味を含んでいた。 一つは言葉の通り、あかねが普段目覚めるであろう時間を指しており、アリシアはそれまでに帰宅して体を返さなければならない。 そしてもう一つは以前にプレシアから危惧されていた、ユニゾンによるあかねへとかかる負荷であった。 「あと一回だけだから。お願い、フェイト。私、強くなりたいの」 アリシアの返答は、質問の意味を理解しているのか非常に疑問に思える答えであった。 だが注意するよりも先に、フェイトは仕方がないと甘い判断を下してしまっていた。 アリシアのお願いは、なんだか断れない。 まるで妹を甘やかすお姉ちゃんのように、ただただ無条件に頷くことしか出来なかった。 「本当に、あと一回だけだからね」 「うん、ありがとう。だからフェイト大好き」 アリシアの真っ直ぐな言葉と笑顔は、どうにも不意を付きすぎていた。 こみ上げる照れ笑いを隠す為にフェイトは俯いたまま、なかなか顔を上げることが出来なかった。 「フェイト、どうしたの?」 「な、なんでもない。アリシア、今日にでもバルディッシュが戻ってくる予定だから。明日からは実質的な魔法の勉強、始めるね」 自分からそう呟く辺り、本当にアリシアには甘いと言わざるを得なかった。 週明けから行われるようになったフェイトとアリシアの早朝訓練。 もちろんあかね自身はユニゾン中に意識はないため知りはしないのだが、明らかに何かが起こっていることには気付き始めていた。 アリシアの配慮が足りなかったと言えばそうなのだが、魔法を使用すればそれに見合った体力を消費する。 ぐっすり眠った後のはずなのに疲労が抜けきっていなければ、何かおかしいと誰でも気付く。 さらにあかねは度重なる記憶の欠落から自身の正常さを疑っており、決定的な行動を起こして確証を得ていた。 午前中の授業を終えた今、手のひらの中でいじくっている携帯電話である。 今日は何時も七時に目覚ましが鳴る所を、一時間早く六時にセットしておいた。 「僕は止めた覚えがない」 もちろんそれは無意識にとめた可能性というものも存在するが、朝食時の母親の台詞がそれを否定していた。 母親は一時間も早く鳴った目覚ましに対し、ちゃんと時間を合わせなさいと些細なお叱りの言葉を発したのだ。 普通に考えて、もしも自分がそんな事をすれば母親は間違いなくその場で自分を叩き起こすはずだ。 ならば何故そうせずに、わざわざ朝食時を待って叱ったのか。 知っているからだ、母親もまた記憶の欠落に関して何か重要なことを知っており、なおかつ自分に隠している。 握り締めた手の中で携帯が軋んだ悲鳴を上げ始めた。 「あかね君、お昼ご飯食べに行こう。外は寒いから無理だけど、日当たりの良いどこか別の場所出って。あかね君?」 「なのは」 なのははお弁当箱を目の前に掲げ、教室の入り口で待っているフェイトたちを指差していた。 三人とも自分のお弁当箱を手に、なのはとあかねを待っていた。 普段と変わらぬ、お昼のお誘いである。 あかねは苛立ちや不安を自分の中にしまいこみ、普段と同じように誘いを受ける為に鞄に手を伸ばした。 記憶の欠落に関してはあくまで自分の問題、そう思っていたはずであった。 「ふふ」 「どうしたんですか、突然笑い出して」 「前に願った通りだなって。あかね君と私は学校に通って、そこにフェイトちゃんもいて」 何を言っているのか不可解ななのはの言葉に眉をひそめ、次のなのはの言葉にあかねの中で何かが弾け飛んだ。 「あとはあかね君の記憶が戻れば、全部元通りだね」 切欠は切欠にすぎず、なのはが悪かったわけではなかった。 悪意などあるはずもなく、ただそうなったら良いなという希望を口にしただけで悪いはずがない。 だがあかねは止められなかった、これまでにずっと心にしまいこみ続けていた苛立ち、不安、鬱屈したそれらが一気に心の外に流れ出す。 今の自分では駄目なのか、以前の自分と今の自分は完全なる自分ではないかもしれないのに、今の自分はいらないのか。 お弁当箱を取り出そうとした手は鞄に入らず、その取っ手を握り持ち上げていた。 あかねの行動が理解できず、きょとんとしているなのはの瞳、それが大きく開かれる程にあかねは持ち上げた鞄を思い切り机に叩き付けていた。 お昼を心待ちにしていたであろう教室に満ちていた賑やかなざわめきが、瞬時に凍りつく。 「あ、あかね君?」 「もう、たくさんです。なのはがいらないと言うのであれば、僕もいりませんよ」 少なくともなのは自身が明言したわけではないが、あかねの中で事実が捻じ曲げられてしまっていた。 胸元で輝くペンダントを力いっぱい握り締め、元フェイトのリボンであった紐を千切れるほどに引っ張り上げる。 「駄目、あかね君。ゴールデンサンを外しちゃ、駄目ッ!!」 その名を聞いて浮かんだ躊躇いは、引きちぎろうとしていたリボンを首を通して外す程度にしか変えられなかった。 むしろ自分が知らないはずのペンダントの名を知っていたなのはに対し、苛立ちそのものは増大していた。 外したペンダント、ゴールデンサンをフェイトのリボンがついたまま、なのはへと付き返す。 「このリボンはもう、僕には必要ありません。申し訳ありませんが、あの約束と共に高町さんにお返しします。ペンダントの方は、好きにしてください」 言いたいことだけ言うと、なのはが何かを言う前にあかねは机に叩きつけた鞄を持って走り出していた。 ゴールデンサンを手に呆然としているなのはを、振り切るように置き去りにしていく。 まだお昼だとか、午後の授業が残っているとかは全く頭になく、今はただ少しでも教室から、なのはのそばから離れておきたかった。 だが教室を出るためのドアの前には、まだアリサやすずか、そしてフェイトがいた。 「ちょっと待ちなさいよ。突然怒鳴って、走り出して。説明ぐらいしなさいよ。見なさいよ、なのはが泣いてるじゃない」 「それがどうかしましたか? バニングスさんには関係のないことです」 「関係ない、それになんで今さらバニングスって。アンタ、それ本気で言ってる?」 「僕が冗談下手なのは皆が知っての通りです。だから何時だって本気です」 何時もとは違う売り言葉に買い言葉、アリサもまたついカッとなって手を振り上げる。 「アリサちゃん、喧嘩は駄目。あかねさんも悪いけど、まだ駄目」 「喧嘩してでも止めなきゃ、問い詰めなきゃいけないこともあるでしょ。今はその時なのよ」 すずかがアリサに抱きつくようにして、フェイトがあかねの前に飛び出すことで一時衝突は避けられたが、先延ばしにされたに過ぎない。 泣いているなのはへと駆け寄りたい気持ちをグッと我慢して、フェイトはあかねへと話しかけた。 「話して、話してくれなきゃ解らない。一人で抱え込んでも、解決しない。友達と一緒に解決すれば良い。教えてくれたのは、あかねだよ」 「だったら、こう言えばよかったんですか? 僕に失くした記憶を取り戻させようとするのを止めてくださいって。以前の僕ではなく、どうして今の僕じゃ駄目なのかって。今の僕はいらないんですかって!」 「そんな、そんなこと……誰も思ってない」 「だったら僕に、以前の僕を求めないでください。友達にそう思われてる僕の気持ちを、少しは考えてくださいよ」 フェイトの言葉もあかねには届かず、怒鳴り声ではなく嘆願するような声であかねは呟いていた。 だからこそ、記憶の欠落に関してあかねがどれ程思い悩んでいたかを、フェイトたちに教える結果となっていた。 あかねの苦悩を耳にしたなのはは涙を堪え、アリサもようやく振り上げた手のひらを下ろし始める。 特にフェイトはあかねの悩みが以前の自分と良く似ていると思い、あかねの気持ちが痛いほどに解った。 記憶の中でだけ微笑むプレシアと目の前で鞭を振るうプレシア、どうして自分に微笑んでくれないのか、揺れに揺れたそう遠くない過去。 一言二言言葉を交わした程度では決して届くことはないと、理解できてしまっていた。 だがその深い理解が逆に、決定的な亀裂を造る切欠を生む結果となったとしても仕方のないことであった。 「あかね、私たちは今のあかねがいらないなんて思ってない。今も以前も同じ。両方のあかねが大切で大好きだよ。でも今はこの言葉が届かないとしても、ゴールデンサンだけは持っていて。あの子、甘えん坊だから」 「何を言っているんですか、意味が解りません。それにいりませんよ、あんな石ころ」 ある意味で、あかねが机に鞄を叩きつけた時以上の音が鳴り響いていた。 振りぬかれたフェイトの手の平、赤くはれ上がり頬を手で押さえているあかね。 「ご、ごめんなさい。あの、私」 「いえ、これで踏ん切りがつきました。高町さん、バニングスさん、すずかさん、フェイトさん。今までありがとうございました、さよなら」 赤みを帯びた頬へと触れるのを止めると、あかねは深く頭を下げてから逃げるように走っていった。 学校を飛び出した後、一体全体何処へ向けて何を目指して走っているのか、あかね自身にもそれは解っていなかった。 唯一つ解っていることと言えば、あの時の言葉、踏ん切りが付いたというのが全くの嘘であると言うことである。 今すぐに教室に戻り、謝ってしまえばまだ間に合うと心が囁きかけてくる。 自分はまだ、今すぐに教室に戻って何時ものようになのはたちとお昼を食べて、午後の授業を受け、放課後に遊びたいと思っている。 だがそれはもう出来ない、自分ははっきりと口にしたからだ。 一緒にいられない決定的な言葉を、自分となのはたちを繋ぎとめていたものを断ち切ってしまっていた。 だから今すぐに戻ったとしても決して元には戻れない、戻れないことを知っている。 何も考えられなくなるまで、倒れこむまで走り続けるしかないと、それ以外何も出来ないと思っていたあかねを呼ぶ声が聞こえた。 「あかね君?」 それは教室でのやり取りを考えればとても小さな、呟きにも等しい声であったが、不思議とあかねの耳は聞き漏らさずその足を止めていた。 声を発した少女をやや通り過ぎてはいたが、振り返ったそこには、はやてと車椅子を押しているシャマルがいた。 「そんなに走って大丈夫なんですか? お体のこと、無理はいけないですよ」 「あ、いえ。僕は正確には体を悪くして病院へ行っていたわけでは、ないんです」 シャマルだけはシグナムから以前に倒れていたことを聞いていたのか、心配そうに伺われてしまった。 慌てて否定したあかねであったが、問いかけに答えてしまった以上すぐにこの場を立ち去るのも難しくなってしまう。 何時もならこの予期せぬ出会いを心から歓迎して受け入れられていたであろうが、あかねは今の自分を見られたくはなかった。 どんな顔をしているのか、下手をすると何を言い出すかわからない。 「その制服、学校のものですよね。授業はどうされたんですか?」 「授業は、その。病院へ」 呟いてからしまったと思っても、もう遅かった。 「そっか、あかね君も病院やったんやね。一緒に行こか。な、シャマル」 「そうですね。この時間にお一人で出歩かれるのも、補導されかねませんし」 ここで断れば、病院へという嘘がばれ、ならば何故嘘をついたのか問い詰められかねない。 あかねには素直に頷くしか選択肢は残されておらず、なけなしの元気を振り絞りなんでもない振りをしてついて行くしかなかった。 取り留めのない談笑を交えながら三人で病院へで向かうと、程なくして大きな海鳴総合病院が見えてくる。 だがその病院を目の前にしてようやくあかねは、用事もないのに病院で受付を行うのは不謹慎ではと思い至っていた。 それに例え受け付けを行ったとしても、診察後に払える十分なお金をあかねは持っていなかった。 慌ててどうするべきか考えるも、そう簡単に良い考えが浮かぶはずもなかった。 入り口の自動ドアを潜ってからようやく忘れ物をしたと誤魔化す手を思いついたが、はやてがあかねの手をとる方が早かった。 「シャマル、受付けお願いな。どうせ時間かかるやろうし、私らは屋上にでも行っとるわ」 「はい、わかりました。はやてちゃん」 「あの、僕は」 「ほな行こか、あかね君。ここの屋上、結構ええ眺めやよ」 車椅子上から手を引っ張るという、少々強引とも言える誘いに抗えずあかねはエレベーターに乗せられてしまった。 はやての強引な誘いも気になるが、思いつきとしか思えないその行いにシャマルが何も言わなかったのがなおさら気にかかっていた。 まさか何か気付かれていたのかと、気を引き締め隠そうとするうちにエレベーターが屋上へとたどり着いた。 未だはやてに手を引かれながら、エレベーターと階段のある小部屋から屋上の扉を開けて外へ出る。 目の前に広がるのは、一望できる海鳴の街。 はやての言う通り良い眺めだとは思ったが、これ以上の光景をあかねは以前に何処かで見ていた気がした。 「ん〜、やっぱ高いところは気持ちええな。そう思わんへんか?」 「思います」 何処かで見たはずの光景より下とは言えど、気持ちの良いのに変わりはなく素直に頷いた。 屋上と空を隔てるフェンスへと歩み寄り、今一度海鳴の街を眺めていく。 海と山、近代の町が混在した不思議な街、こんな街に自分は住んでいたんだなと何か感慨深く、心が落ち着いていく気がした。 だがその光景の中に聖祥大付属小学校を見つけてまで、落ち着いた気持ちを継続させることはできなかった。 目の前のフェンスを掴み、胸の痛みを表す様に力を込めギシリと悲鳴をあげさせる。 込められた力に耐えられず今度は指先が痛み出したが、あかねは自分を止められなかった。 「なにかあったん?」 はやての問いかけに、ようやくフェンスを掴む手が緩んだが、放すことは出来なかった。 そのまま直ぐ横にいるはやてへと視線を投じるが、はやては真っ直ぐに海鳴の街を眺めたままこちらを見てはいなかった。 「いえ、なにもありませんでした」 「そっか。私とあかね君、知り合ってからずっと自分の病気のこと何一つ言わへんかった。病気のことなんて関係ない、自分は自分や。そう思っててもやっぱり少し気にしとる。なのに相手には気にして欲しくない」 今度こそあかねへと振り返ったはやては、驚きに目を開くあかねの反応から同じ理由だったかと確信していた。 はやてにとっては、ほぼ初めてとも言える同世代の友達があかねである。 病院という特別な場所から離れられないはやてが、その特別な場所で出会ったあかねという存在。 だからこそ普通の人に思うよりもずっと病気については触れて欲しくなく、関係なく付き合って欲しかった。 「シグナムさんにも一度、言われました。僕とはやてさんは似ているって。辛くても苦しくても、悟られないように笑うところが」 「似とるんやったら、私が色々隠しとるのばれとるんやろうな。今のあかね君、笑ってるつもりやろうけど全然笑えとらへん。私も辛いの隠して笑う時、そんな顔なんやろうな」 そのまま会話が止まり、屋上に吹く風の音だけが耳に届くようになる。 はやては決して催促はせず、だが戻ろうかとも言ず、あかねが話してくれるのを待っていた。 「僕には記憶が、半年前以前の二ヶ月間の記憶が全くないんです」 はやてがどんな反応を見せるかは決して見ずに、あかねは海鳴市の街並みのみ瞳に収めながら呟き始めた。 「その記憶を思い出す約束をしました。とても大切な約束だったんです。なのに少しも思い出すことが出来ず、約束を守れませんでした。それだけじゃなくて、大切な友達まで傷つけて僕を殴らさせてしまいました」 フェイトに手を挙げさせてしまったことを思い出し、あかねはやっと気が付いた。 自分が反故にしてしまった約束は、なのはとの約束だけではなったのだ。 なのはよりも先に、フェイトとは約束をしていた。 それはアリシアという少女のことをお願いと言われ、確かに自分は頷くことで約束していた。 アリシアと言う少女が誰で、ゴールデンサンという名のあのペンダントがアリシアと言う少女とどういった関係があるかわからない。 だがあのペンダントを手放すことは約束の破棄に繋がるのだろう。 フェンスの網からついに力の抜けた指先がはずれ、膝が崩れると同時にフェンスの上を指先が走る。 なのはとの約束は反故にし、フェイトとの約束は存在自体を忘れてしまっていた。 自分は何処までいい加減で、情けない男なのだろうか。 「最低です。僕は最初から、友達でいる資格すらなかったんです」 はやての前だからと最後の一線を我慢しようと試みるが、口元から嗚咽が漏れる。 涙が止まらず、頬を伝う冷たさがなおさらに自分の惨めさを教えてくれているようであった。 「自分のことを最低なんて言ったらあかん。あかね君はええ子や、私が保障したる」 崩れ落ちた状態で、そんな言葉と共にはやての手のひらが頭の上に添えられる。 「最低な子やったら、約束なんていくらでも破られる。破ったって気にもせえへん。あかね君は違う。約束を大切だって言えて、破ったことを心底後悔しとる。そんな子が最低やったら、世界中の子が最低になってしまう」 もう嗚咽すら我慢できず、あかねは感情の赴くままに声をあげ、はやての膝に縋りつくようにして泣き叫んだ。
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