海鳴温泉での一件から数日後。
なのはは表向きは普通の日々を過ごしている風ではあったが、気が付けばぼんやりと考え事をしていた。
黒衣の少女、フェイト・テスタロッサの事。
出会えば、またぶつかり合ってしまうであろう事。
そして、魔法を捨てて、日常に帰れと言った連音(なのはは正体を知らない)の言葉。
洗面所で顔を洗いながら、やはり同じ事を考えてしまう。
「だけど……」
魔法少女リリカルなのは シャドウダンサー
第九話 強さと心(前編)
住宅街の中にある公園に連音はいた。勿論ジュエルシードを捜索する為だ。
「琥光、この辺りに反応は?」
“反応皆無”
「そっか……やっぱり広域探査をやる必要があるかな……?」
自身の正体を隠すために魔力そのものを封印しているが、これ程までに見つからない事にやはり焦りを感じていた。
だが、広域探査は体力や魔力を大きく使う上、連音はこの術を得意としていなかった。
しかし何度も出遅れている以上、そんな事を言っていられなかった。
「封印解放、術式展開……」
周囲に人影の無い事を確認して、連音は力を解放する。足元に術方陣が展開し、光が溢れ出す。
「―我求めるは災禍の魔石 天啓 竜の双眸に依りて 求むるものへの路を示したまえ―」
光は天に昇り、弾ける様に飛び散る。
次には連音の頭の中にドンドンとイメージが送り込まれてくる。
ゴミ捨て場、ビルの一角、下水道、住宅地の道端……。
町のざわめきと共に送られてくるイメージの中にジュエルシードはやはりなかった。
「―――ふう」
連音は諦めて術を解除した。元々広域探査と言っても半径1km程をカバーするので精一杯だ。
解除した途端、ズシリと来る疲労感。術との相性の悪さも敬遠してきた理由だった。
一度使っただけでこんな調子では見つけてもその時にまともに動けない可能性が高かった。
「今日のところは引き上げるか…」
見ればもう日は大分傾いている。子供の出歩く時間は終わりだ。後は夜、世界が寝静まるまで待つ他ない。
連音が家路への一歩を踏み出した時、その足がピタリと止まった。
入り口からこちらを見る者の姿があったからだ。公園に他の人はいない。彼女が連音を見ているは間違いなかった。
じっと、こちらを見続けるその瞳。それは連音の知る人物のものだった。
「八神……はやて……」
無意識に零した呟きを、はやての耳は聞き逃さなかった。
張り付いたような表情だったのが驚きに染まり、徐々に崩れていく。
「連音…君…!?良かった……また会えた……!」
はやては電動の車椅子を動かし、公園の敷地に入ってくる。連音はそこから動けないまま、それを見ていた。
「――きゃっ!?」
足元に転がる空き缶が車輪をすくい、はやては車椅子から投げ出されそうになる。「危ない!」
連音は一瞬ではやての元に近付き、その体を抱きとめた。
「大丈夫か、はやて?」
「――うん、ありがと……っ!?」
と、はやては自分が連音にしがみ付いているのに気が付いた。慌てて離れる。
連音も思いっ切り抱き締めているのに気が付いて、やはり離れた。
何とも言えない空気が辺りに漂う。
最初にその空気を破ったのははやてだった。
「あ…あれからどうしてたんや……?」
「…まぁ、色々と……」
まるで付き合いたての初心なカップルのように、お互いに顔を逸らしたまま、そっけない受け答え。
「……あかんわ…。会えたら色々言いたい事あったのに……いっぱいあったのに何にも浮かばん……」
はやての声は気が付けば涙声になっていた。
「ちょっと待て!何で泣くんだよ!?」
「だって…あれっきり何処に行ったかも分からんし……。何で何も言わんと消えたりしたん!?」
「お前だって言っただろう?病院で別れる時に、「さよなら」って。文句を言われる筋合いはないぞ!?」
「そういう事を言ってるんやない!消えるにしても連絡先を教えるとかちゃんとするべき事があるやろ!?」
「関わる気満々じゃないか!?」
「あんな別れ方で納得できる訳ないやろ!?」
「なら、どうしたら納得できるんだ!?」
「ちゃんと断ってから帰れ、言うとるんや!」
どういう訳かあーだこーだの言い合いになり、何時の間にやら顔を突き合わせて口ゲンカに発展してしまった。
もうさっきまでの雰囲気は微塵も存在していなかった。
「はーはー…」
「ぜーぜー…」
日も沈んで、公園の外灯が明かりを灯す頃、ようやく口ゲンカは終わりを迎えた。
公園を冷たい風が吹きぬけた。
「……帰るから送ってくれる…?」
「……仕方ねぇな…」
はやての車椅子を押しながら連音は気になった事を尋ねた。
「そういえばどうして俺の事が分かったんだ?あの時は顔を隠してただろ?」
「んと…何というか…前と同じ感じが公園からしてて……で、行ってみたら連音君が居って。
顔は知らんから人違いかもと思ったんやけど、連音君がわたしの名前口にしたから…あぁ、間違いない、て」
「つまり俺の自爆という事か……」
ガックリとうな垂れて自分の迂闊さを改めて呪う。
(だが、前と同じ感じ…?魔道を感じ取ったという事か?だったら彼女は既に覚醒しているのか?)
連音は一つ試してみる事にした。口を閉じ、心に言葉を浮かべる。
“オイ、頭突き女”
「ちょっ、誰が頭突き女やねん!」
はやてはえらい剣幕で振り返ってきた。
その反応には疑う余地もなかった。
「俺は何も喋ってないぞ」
「嘘や!人の事頭突き女って言うたやないか!」
“喋ってないって”
もう一度、心に浮かべた言葉を送る。
その事にはやての目が大きく見開かれた。
「っ!?何、今の…頭の中で声が!!?連音君、これって…?」
軽いパニックを起こすはやてに、連音は唇を動かさないままに答えた。
“思念通話…口に発さずに頭に浮かべた言葉を相手に送る術だ”
「はぁ〜、忍者ってそんな事もできるんやね〜…」
「こいつは誰でも受け取れる訳じゃない。同じ力を持つ者にしか受け取る事はできないんだ」
「同じ力…?それって、わたしにも力がある、いう事?」
一呼吸置く為に連音は無言で頷く。
「いや〜、参ったなぁ〜!これはあれか、美少女忍者誕生の瞬間か!?やっぱり時代は忍者なんかな?
夜を駆け抜ける麗しの忍、その先に待つのは切ない戦いの世界!!……何や、そのリアクションは!?」
目をキラキラさせて一人盛り上がるはやてを尻目に、連音は地面に突っ伏していた。
「……お前、よくそんな風に………まぁいいや。でも残念ながらお前にあるのは忍の才じゃない」
「へ…?」
「あるのは魔道の才だ」
「魔道…?」
「この世界にはほとんど存在しない力。俺の術もその魔道に連なるものの一つだ。
普通、才があっても切掛けがない限りは目覚める事はないんだが…ジュエルシードか、それとも俺が切掛けになったのか……」
「それって、目覚めたらあかんの?」
「別にそうじゃないけど、普通に生きるのに必要なものじゃないし……。大体、魔道は異世界のものだからな?」
「異世界…?」
「そう、異世界……。ここから果てしなく遠い世界の、な」
「連音君はこの世界の人やないの?」
「いや、俺はこの世界の出身だから。ご先祖様の話だよ……」
連音は空を見上げる。美しい月が空に輝いて、二人を照らしていた。
暗い夜道に二人以外の人影はなく、闇の中に連音の声は溶けていく。
「ご先祖様はかつてこことは違う世界で暮らしていたらしい……。
だがある時、その世界から追いやられて長い放浪の旅に出る事になったんだと……。
終わりの見えない旅路の果て、この世界に辿り着いて……。
竜魔衆は自分達を受け入れてくれた世界に恩を返す為に結成されたんだ……。
口伝に曰く、『我らの血、幾千の昼と夜を重ねて尚、この世界を護る剣と為らん』と」
「連音君…?」
「俺達の存在はその為にある。だからはやてはその力を間違っても使おうとかするなよ?」
「あ……うん。分かった……」
はやてとしてはせっかく目覚めたものだから少しは興味を引かれていたのだが、
連音の目が怖いぐらいに真っ直ぐで、分かった、と答える事しかできなかった。
だが、その目と連音の言葉に妙な寂しさを感じた。
自分という存在を自ら否定している、そんな風に聞こえたからだ。
自分は足が不自由で。全く健康な連音もまた、同じように不自由なのかもしれない。
そんな事をはやてが考えた時、視界の端に映るものがあった。
「あ、ここや」
いつの間にか目の前には周りと比べても立派な一戸建てがあった。
そこの表札には『八神』と書かれてあった。
「……ここに一人で住んでるのか?」
「せや。流石に広すぎると自分でも思うけど…両親が残してくれた物やから」
はやては明かりの消えた家を見上げながら呟いた。
人の気配の一切しない家はとても冷たく、まるで心すらも凍えるようだった。
はやては外門を抜けてドアを開ける。開かれたドアの向こうはやはり暗く、一瞬、異様の世界にも映った。
はやては車椅子を進めてその中に入っていく。玄関の電気を点け、廊下、そしてリビングへと進んでいく。
「じゃあ、俺は帰るからな。戸締りはちゃんとしろよ?」
連音は玄関からリビングのはやてに声を掛ける。
「ちょっと待って!連音君!!」
ドアノブに手を掛けた所ではやてが大慌てで出てきた。
「上がって行かへんの?お茶くらい出すよ?」
まるで連音を引き止めようとするみたいにはやては言った。
その瞳は不安と寂しさに彩られている。
だが、連音は首を横に振る。
「生憎だが、こっちも色々とあるからな。遠慮する」
「……そっか…そうやね、連音君は世界を護る忍者さんなんやし…しゃあないか」やはり寂しそうにはやては零した。無理やりにでも自分を納得させようとしているのがすぐに分かった。
そんなはやてを見ていて、連音は気が付けば口を開いていた。
「――そういえば、ずっとジュエルシードの捜索ばっかりで、海鳴の町を全然見て回ってないなぁ」
「え…?」
「明日辺りは海鳴を見て回るだけってのも良いかも知れないなぁ。それなら、誰か町の事を知ってる人間がいてくれると助かるんだけどなぁ〜?」
初めは連音が何を言おうとしているか分からなかったはやてだが、その意味が分かると顔をほころばせた。
「明日ならわたし午前中に検査があるだけやから案内するよ!丁度雑貨とか買わんといけんかったからそれも一緒にって事で。どうや?」
「そうか。じゃあ明日の昼ぐらいに今日の公園で。いいか?」
「…うん!」
はやては本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて答えた。それを見て連音の顔も思わず熱くなった。
「そ、それじゃあな」
赤くなった顔を見られる前に連音は踵を返して玄関を出る。火照った顔に夜の冷たい空気は心地良かった。
「連音君!」
さっさとここを離れようとした矢先、玄関から顔を覗かせたはやてに声を掛けられた。
「な、何だよ…?」
「えっと……また、明日な?」
そう言って手を振るはやて。その顔は心なしか赤く、そして本当に嬉しそうだった。
連音は一瞥して、そのまま住宅の屋根に飛び移った。あっという間にその姿は夜の中に消えていった。
「もう…!ちょっとは後ろ髪引かれるとかないんかな?せやけど明日か…」
はやては何気なく顔に手をやった。分かってはいたがやはり熱い。
もしも両親が生きていたなら、きっとからかわれていたに違いない。そんな事を不意に考えてしまう。
そして、少しだけ寂しさがぶり返してきた。
「おやすみな、連音君………」
住宅街には珍しく、夜空には星がよく見えた。
「あー!クソッ!!何であんな事言っちまったんだ、俺は!?」
連音は住宅の屋根を飛びながら先程までの事を後悔していた。
どうにもはやてに関しては甘い所が出てきてしまうらしく、それがどうしてなのか分からないから尚更イライラが募っていく。
つい余計な事を話してしまったし、連音にのんびりとしている余裕などない。
それなのにはやての顔を見た途端、気が付けばあんな事を言っている自分がいた。
「何で…クソッ!!」
はやての嬉しそうな顔が浮かぶ度、心にチクリと痛みが走る。
―あなたの心のままに―
頭に響く言葉。ここに来る前に永久によって伝えられた朱鷺姫の言葉だ。
もしも迷う時は自分の心のままに。そう言われた。
連音は足を止めた。
「心のままに……。姫様は何であんな事を俺に……?」
竜魔の忍として初めての務めを与えられ、未だに成果を上げられない自分。
ジュエルシードこそ確保しているが、それは他も同じ。
使命以上に大事な事などありはしない。あってはならない。
正義を為す。それが竜魔衆の名を以って戦うという事。その意味。
目を閉じて、心に強く言い聞かせる。
「もう、これ以上余計な事を考えるな。はやての事も明日で断ち切れ……!」
次に浮かんだのはフェイト・テスタロッサの事。
美しい金髪と、紅玉の瞳を持つ魔女。
その瞳の先に見えたのは過去の自分。いや、もしかしたなら今の自分なのかもしれない。
「考えるな、あいつは敵だ……」
どうしてあんな事を言ったのか。
どうしてあんな事を聞いたのか。
使命を果たす事と関係無い事の筈なのに。気が付けば口にしていた。
戦えば戦うほど、彼女の事を知りたいと思っていた。
悲しみと寂しさを携えて、真っ直ぐな刃を振り下ろす彼女の事を。
恐らくは本来は争う事自体を好まない性格なのだろう。そのくせ、戦いの中で彼女は少しだけ微笑んだ。
妙な一面のある不思議な少女。
連音はまるで呪詛のように言葉を吐き出す。
「事情など関係ない……ヤツを捕らえ、裏にいる者を引きずり出すだけだ…」
そして高町なのはの事。
偶然から目覚めた力で危ない戦いをする少女。
彼女もどこかフェイトに対して思う事があるのか、必死に何かを知ろうとしていた。その思いを理解はできる。だが、その為に戦えなくなるのなら意味などない。
「そうさ…俺は戦う……戦える。どれ程傷つこうと、相手が何であろうと、竜魔衆の名の下に……」
そうやって一つ一つを思い浮かべては心に言い聞かせる。
何度も何度も。そうやって繰り返して心からそれらを追い出す。
守るべきものを守る為に。
その後、連音が月村家に戻ったのは空が白んだ頃の事だった。
それもただ着替えに戻っただけだ。
今の自分の顔を誰にも見られたくなかった連音は窓から入り、着替えを済ます。
と、充電器に差し込んだままの携帯電話が目に入った。
なんとなく開けば、十件以上のメールの着信。そして電話の着信。
全てがすずかからのものだった。
また、連音の胸がチクリと痛んだ。
全てを削除し、携帯電話をポケットに押し込んで連音は再び窓から外へ出た。
何所をどう移動したのだろう、気が付けば鉄塔の上に立っていた。
視線の先には朝日が見え、その眩しさに顔をしかめる。
きっと今の自分は酷い顔をしているに違いない。
そんな事を考えながら今日という日を思う。
(今日で、はやてと会う事はもうない……それでいいんだ……)
元より偶然で出会って、それだけの事。
連音も事件が終わればこの町を去る。繋がりを断ち切るなら薄い内の方が良い。
この町に来るまでは任務以外の事に心を割かれるなど想像もつかなかった。
もしかしたらこの町の空気がそうさせたのかもしれない。
そんな町だからこそ、そこに暮らす人達のために、災いを絶つ一本の剣となる。
その為の一日。そう心に誓う。
昨日までの迷いは消えた訳ではない。でも、それを凍らせて務めを果たす。
全てはこの世界のために。自分でそう決めたのだから。
そして、連音は公園に向かった。
約束した時間には余りにも早く、連音は水道で顔を洗い、適当なベンチに腰掛ける。
ぼんやりとしていると不意に眠気が差してきた。
結局、一晩起きていた訳だからそれもしょうがない事だ。
それに昨日の昼から何も食べていないものだから、腹の虫もここぞとばかりに大合唱する。
「………なんだかなぁ〜」
公園の時計を見ればまだ六時半を回ったほど。
流石にこの時間に小学生がコンビニに行くのは不自然で、どうしたものかと思っていると公園の入り口に自販機を見つけた。
茶腹も一時という言葉もある。空腹を紛らわす為にジュースでも買おうと自販機の前に立った。
硬貨を投入し、しばし考える。
一つ、妙に気になる物があったからだ。緑色のラベルの貼られたミニペットボトル。
「何だ、このホット抹茶オ・レって…?」
以前、連音は興味本位でほうじ茶オ・レという物を飲んだ事があった。
周りにはかなり不評だったが、連音は気に入って良く飲んでいた。しかし、二月としない内に姿を消してしまった。
連音にはその理由が未だに分からなかった。
話を戻して。
抹茶オ・レ自体はよく聞くが、それのホットとなるとどうなのだろうか。
連音の好奇心は今にもそこのボタンを押そうとしていた。
連音の指がそこに触れようとした時。
「こらぁああああ!!」
いきなり背後から怒鳴り声が響いた。
驚いて振り返ると、ランニングの途中なのだろうか、額に汗を浮かべたジャージ姿の中性的顔立ちの人物が立っていた。
髪は見事なまでのショートカットで、いまいち性別の判断が難しかった。
女っぽい男といっても通じそうだし、その逆でも通じそうだ。
とりあえず年の頃はファリンと同じぐらいだろうか。
「キミ、こんな時間に何をしてるんだ?」
声を聞いてようやく後者である事が分かった。
それはさておいて。連音はもう一度時刻を確認した。今度は自分の携帯電話でだ。
やはり時間は六時半を回ったぐらいだ。
登校時間という訳でもない。なのに何故自分は見ず知らずの人に怒鳴られなければならないのだろうか。
そんな事を思ってる内にその人物はずんずんと連音に近付いて来た。
あっという間に目の前に立つ。
「キミ、この辺の子?」
「は…?」
「こんな朝からそんなの飲むなんて、育ち盛りの子供はそんなんじゃダメだ!!」
その言葉にこの人が何を言おうとしているのか理解できた。
朝っぱらから自販機でジュースを飲もうとしている事に物言いをつけたのだ。
「毎日ちゃんと朝御飯食べてる?そういうのばっか飲んでると大きくなれないよ!?」
「………」
とりあえず連音は無視してホット抹茶オ・レのボタンをポチッと押した。
ガタン、と音がしてペットボトルが出てきた。
「こら、人の話を聞け!」
それを取ろうとしたら襟首をつかまれた。
「――っ!」
連音はその手を邪魔くさそうに払いのける。その行動は予想外だったのか、彼女は一瞬呆気にとられたが、すぐに我に返る。
「ちょっと!そういう態度はよくないよ」
「……面倒くさいな」
「な…!?」
まともに相手にする事も馬鹿らしく、連音は踵を返して一気に走り出した。
「何でこうも……クソ、最悪な始まりだ」
吐き捨てるように愚痴る。
とりあえず適当な所で時間を潰そうと連音が考えていると――。
「待ぁあああてぇえええええええええ!!!」
「なっ!?」
その声に振り返ればさっきの少女が全力で追いかけてきていた。
その差をグングンと縮めていく。
「追いついたぁ!!」
「しつこいな、何なんだよ一体!!」
「君が逃げるからだ!!」
「人が何飲もうと勝手だろう!?」
「勝手じゃない!!キミには朝御飯の偉大さをきっちりと教えてやるっ!」
「そんなものはいらない!さっさと帰れ!」
「そうはいかない!!」
そうやって言い合っている間にも差はドンドンと縮まっていた。
「中々速いけど、小学生に負ける訳には行かないんだな、これが!」
「……アホらし」
「何だとぉ!」
連音は目の前の電柱に向かってジャンプする。そのまま電柱を蹴ってバク宙を決め、少女の背後に回りこむ。
「そんじゃ――っ!?」
連音が体を上げた瞬間、目の前に靴底が迫っていた。少女が反射的に背後に蹴りを放ったのだ。
しまったという顔を少女はしたが、それでも足は止まらない。
が、その顔はすぐに驚愕の色に変わった。
「うわぁ!!」
蹴りの軌道から連音の姿が一瞬で消える。そして次の瞬間には世界は逆さになっていた。
蹴り足を腕で跳ね上げて、そのまま軸足を払う。
辰守流閂落としという技だ。
少女は頭からコンクリートに叩きつけられ――。
「つぁ!」
少女は右手一本で体を支え、そのまま着地する。と同時に拳を構える。
連音も構える。左手を後ろに隠し、右拳を突き出す独特の構え。
「中々やってくれるじゃない…!面白い!!」
どうにも今ので火が点いたらしく、少女の目つきが変わった。
「ふっ!」
一瞬の踏み込みから繰り出される正拳突き。それを連音はあっさりと躱す。
それに構わず少女は更に拳を繰り出してくる。
息をも吐かせぬ連撃。だが連音はそれらを全て完全に見切っていた。
(嘘…まるで師匠みたいな動き…!?こんな子供が!?)
完全に見切られている事実と、その動きが少女が師匠と呼ぶ人物に重なり、大きく動揺する。
その隙を連音は捉えていた。
(一般人としては充分強いけど――)
連音は伸びきった腕を掴んで引き込む。
(俺の敵じゃない)
そのまま腕を捻り体を密着させる。首を掴み、足払いと同時に一気に投げ飛ばした。「――あっ!!」
その流れに一切逆らえず、少女の体は宙を舞うしかなかった。
そこに連音は容赦なく追撃を打ち込む。繰り出された蹴りを少女は宙に浮いたまま反射的にブロックする。
「ぐっ――!!」
だが、支えのない状態でその一撃を防ぐことなどできず、そのまま道端のゴミ捨て場に吹っ飛ばされた。
盛大な音を立ててゴミが散乱する。
ゴミの山の中から足だけが出ている姿を見て少しやり過ぎたか、とも思ったがそれは杞憂だった。
「うがぁあああ!!」
ゴミ袋を跳ね除けて少女は立ち上がった。受身をキッチリと取ったらしく、怪我もしていないようだ。
その様子に連音は嘆息した。
怪我はしていないが変なスイッチが入ったらしく、さっきよりもやる気に満ち溢れていた。
何でこんな事をしているのか、甚だ疑問だった。思い返してもこうなった理由がいまいち理解できない。
「いい加減にしてくれませんか?これ以上は面倒くさいんで」
歯に衣着せぬ辛辣な一言。流石にこの一言は痛烈だった様だ。
「うぅ〜…、生意気なお子様……!」
連音の言葉に悔しさを隠す事もなく地団太を踏んでいる。
とはいえ、動きを見切られている時点で実力差は歴然だった。
「にしてもキミ、強いねぇ〜!まさか小学生に負けるとは思わなかったよ」
「はぁ…どうも……」
パンパンと肩を叩かれる。細い体のわりに強い力だ。
「で、どうしてこんな朝早くに自販機でジュースなんて買ってたのかな?」
「結局そこに戻るか……。別に関係な」
「ダメ」
「………じゃ」
「待て!」
「俺、帰るんですけど…」
「嘘だね」
「………」
「………」
どうにもやりにくい相手だ。
ぐぅう〜〜〜〜〜〜……。
気が抜けたせいか、腹の虫が再び合唱をかました。
「……プッ…ククク……アハハハハハ!!!」
「………じゃ」
「あ〜、ちょっと待って!!ゴメンゴメン!!」
盛大に笑われて連音も流石に頭に四つ角を立て、踵を返してとっとと消えようとした所を呼び止められる。
「なんです?」
「これ、あげる」
いそいそとポケットから取り出したのは某フルーツバーだった。
大豆で出来ているとかいうキャッチコピーで、コンビニや駅の売店で売られているものだ。
それを連音に投げて寄越した。微妙に生ゴミ臭いのは気のせいではないだろう。
「俺は城島晶。キミは?」
「……辰守連音」
「辰守連音……ちょい言い難いな……」
「言い難かったら連でいいけど…?」
「…………レン?」
連音の発言の何がおかしかったのか、晶はまじまじと連音の顔を見て、やがて
「レン………プッ……ククク……」
また笑い出した。自分が何で笑われているのか理解出来ない程、腹立たしいものは無い。
晶は連音にジト目で見られている事に気が付いて慌てて繕った。
「あ、ゴメン。本っ当にゴメン。別に君の事を笑ったんじゃないから。カメ――いや、俺の知り合いに同じあだ名なのがいるからさ、つい、ね」
だからといって笑われる筋合いはない訳で。
(そんなに笑われるような人なのか、レンて人は……?)
ちょっと自分のあだ名について考え直すべきかも知れない。そんな事を考える。
「事情は良く知らないけど、朝はちゃんと食べなきゃダメだぞ?そんな酷い顔して…子供は元気が一番なんだから!じゃあね!」
そう言い残して晶は走って行ってしまった。
連音は足元に転がっていた小さな鏡を拾う。恐らくさっきゴミ捨て場から転がってきた物だろう。
「本当……酷い顔だな………」
薄汚れた鏡に映るのはそれよりも汚い顔をした自分。
こんな顔をした子供がいれば、この町の住人なら声を掛けてしまうだろう。
連音は渡されたフルーツバーを見る。サンザシと書いてあるがそれがどんなものか想像が出来ない。写真の限りではリンゴにも似ているが。
とりあえずせっかくくれた物だし、と連音は封を切って一口。
「………意外としっとりしてる……」
ほのかに甘酸っぱい味わいが口の中に広がる。時折強くなるが、それはサンザシの果肉を噛んだからだ。
あっという間に平らげて、そして左手を振る。その手の中に一瞬で先程買ったホット抹茶オ・レが出現した。
まるで手品である。
蓋を開けると鼻に届く甘ったるい香り。連音の期待は否が応にも高まる。
連音はそれを一切の迷いなく口を付けて一気に傾けた。
筆舌にし難い程の甘さが舌の上を流れ、喉を下っていく。
ミニサイズのペットボトルはすぐに空となった。
「――ふう」
連音は息を吐き出した。その息すらもやはり甘ったるい。
「もうちょっと抹茶が強い方が美味いな……いまいち」
蓋をし直してゴミ捨て場に放り込む。『ペットボトル』と書かれた箱にダイレクトで入った。
「さて、どうしようかな……」
晶との一戦で今まで考えていたものがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
一晩悩んだ末の結論なのに、こんな事で抜けるとは、どうにもアホらしくなってしまう。
連音はすぐに公園に戻る気にはなれず、かといって何か当てがあるでもなく、完全に時間を持て余していた。
住宅街には人の気配が増え始めていた。いつまでもここにいる訳にも行かなかった。
と、連音の頭に過ぎった人物がいた。
旅行から帰ってすぐ、連音が本家に連絡を取り、調べてもらった人物だ。
約束の時までまだ時間はある。連音はその人物の元に向かってみる事にした。
立派な門構えの家の前。連音は時間をかけてそこまでやって来た。
いつもの調子で行けば数分と経たずにここまで来れたのだが、時間的にも人目につきやすいし、
それ以上にここには見知った顔がいる。それと顔を合わせたくはなかった。
時刻は七時半を回る頃。すずかの登校時刻を鑑みるにすでにここには彼女はいない筈だ。
勝手口を通り、敷地内に入る。少し緊張の面持ちで玄関前に立ち、呼び鈴を押した。
「は〜い、どなたですか〜?」
少しの間を置いて、家の中から女性の柔らかな声とパタパタという足音が聞こえてきた。
玄関の引き戸が開かれるとその向こう側にロングヘアーの女性が立っていた。
連音の顔を見るなり少し驚いた表情を浮かべる。
「おはようございます……」
「あら、確か…なのはのお友達の……」
「辰守連音です。あの……士郎さんはいらっしゃいますか?」
「こんなに朝早くから一体どうしたんだい?」
リビングに通された連音は薦められるままに椅子に腰を下ろした。
そして対面には目的の人物、高町士郎とその隣に桃子が座る。
目の前に出された湯飲みに一口付けて、チラリと桃子を見やった。
その目線で何かを感じたのだろう、士郎が口を開こうとした時、桃子は立ち上がった。
「先に行って開店の準備、してきますね?」
「――あぁ、すまないな」
桃子は笑って「ごゆっくり」と言ってリビングを後にした。
桃子が出て行って少し経った後、士郎が口を開いた。
「それで、桃子に聞かれたくない話なんだろう?」
「と言うより、士郎さんが困ると思いましたから……」
「………どういう事かな?」
士郎の目つきが変わる。今までの暖かさから一転、鋭い眼光へと変貌した。
心の奥底すら見透かされそうなその視線を、連音は真っ向から受け止める。
「――永全不動八門が一つ、御神不破流。その使い手、不破士郎といえばかなりの有名人ですから」
「――君達ほどじゃないと思うけどね。伝説の竜魔衆、その本家の辰守連音君…?」
「……やっぱり、気付いてたんですね」
「最初はまさかとも思ったけどね。最後に辰守家に行ったのは本当に昔の事だったし……」
「……」
士郎の目が再び暖かさを取り戻す。いや、少しの寂しさと悲しさの混じったものだ。
「まだ君のお父さん、空也さんの生きていた頃だったからね。……雪菜さんは元気かい?」
「母は……もう亡くなりました」
「………そうか」
リビングに重たい空気が流れる。時計が秒を刻む音だけが嫌にうるさい。
沈黙の後、士郎が口を開いた。
「――それで、わざわざ”不破”に用というのは?」
「用…そうですね、用というよりもお願いがありまして」
「何かな…?」
士郎の問いかけに連音は大きく息を吸い込み、そして吐き出す。これから言おうとしている言葉の重さを十二分に理解しているからだ。
「自分と……手合わせして下さい」
士郎は少なからずその言葉を予感していたのか、驚きもせず連音を見つめていた。
「……残念だけどその願いは聞けないな」
「どうしてですか!?」
士郎は自分の手を見つめた。一見すると分からないが、よく見れば微かに震えている。
「昔やっていた仕事で大怪我をしてね……それ以来、もう剣を握る事はできないんだ。
日常生活には支障は無いけど……きっと”本気”でやったら君にも勝てないだろうね……」
士郎はそう言って苦笑した。その言葉はきっと真実なのだろう。連音はそう思った。
士郎が言った本気の意味。それが竜魔衆の持つ力の事だと分かったからだ。
対人戦闘最強と謳われる御神流。そして、異界の力を持つ竜魔衆。
共にいかにして敵を効率よく葬るかを突き詰めた一族。
だからこそ、士郎はそう言ったのだ。本気、と。
「そうですか……」
仕方が無い。連音は諦めて帰ろうとして立ち上がった。と、それを士郎が制した。
「……?」
「確かに俺は戦えない。だが、今の君をそのまま帰す気も無いよ」
「え…?」
その言葉の意味を連音は理解できなかった。が、構わずに士郎は続ける。
「一応、昔なじみの息子だしね……。ついて来なさい」
士郎はそう言ってリビングから出て行く。連音は訳も分からずその後をついて行った。
家から庭に出て、そして向かう先にあったものは
「――道場?」
庭の一角に設けられた道場だった。
士郎はその中に入っていく。連音も慌ててその後を追った。
入った瞬間、肌を突き刺すような気配が連音を襲った。
全身の細胞が一瞬で凍りつくような感覚。
その中にいる人物は恐るべき強さを秘めている。士郎はそんな人物と連音を会わせようとしている。
(一体誰が…?)
本当は連音にも分かっていた。そこにいる人物が誰なのか。
これだけの気迫を持つ人物で、高町家の関係者といえば数えるまでもない。
開かれたドアの先には二刀の木刀を携えた、道着に身を包んだ黒髪の剣士がいた。
「恭也、ちょっといいか?」
「…?まだ開店まで時間はあるだろう?」
剣士――高町恭也は士郎の後ろから現れた連音に怪訝そうな表情を浮かべた。
「――これはどういう事だ、父さん。何でその子がいる?」
「そう怖い顔をするな…。連音君?」
「はい」
「俺の代わりに恭也が相手になる。良いかな?」
「……はい」
「ちょっと待った。どういう事だ、これは!?」
士郎と連音の間では既に話は成立していたが、恭也は完全に置いてけぼりだった。
あわてて事情を聞こうと士郎に詰め寄る。
士郎は「まぁ落ち着け」と恭也をなだめる。
「色々あって、俺と手合わせをしたいと言ってきたんだが、生憎と現役を引退したロートルじゃ若いのには勝てないからな。
代わりに相手を頼むよ?」
その言葉に恭也は「はぁ」と、溜め息を一つ吐いた。
「………分かったよ。まぁ、俺も彼には興味があるからね」
とりあえず恭也は納得をしたようだ。その恭也の耳元で士郎が呟いた。
(良いか、手加減をする必要はないぞ)
(…!?)
(下手に手心を加えると……負けるぞ?)
(………分かった)
士郎がそこまで言う相手。元より一度は手合わせをしてみたいと思ったのだ、恭也の心には静かに火が点いていた。
「そのままだとあれだな。道着を用意しよう。ちょっと待ってってくれ」
数分後、道着に着替えた連音と恭也は道場の真ん中で対峙していた。
連音の手には小太刀サイズの木刀が一本。対する恭也は同じサイズの木刀を二本、手にしている。
「まさか、君の方から来てくれるとは思わなかったよ」
「そうですね、自分でもそう思います」
海鳴温泉でのやり取りを思い出してお互いについ笑ってしまう。
「だが、やる以上は本気だ。覚悟は良いな?」
「……はい!」
互いに構えを取る。
そして、士郎の手がゆっくりと持ち上げられた。
「それでは――」
そして。
「――始めっ!」
一気に振り下ろされた。
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