突如表れた黒い魔法少女。彼女との戦いになのはは敗れた。
ジュエルシードは連音が確保し、少女は去った。
だが、再び戦う事になる可能性になのはは自分の心に迷う。
少女もまた、戦わなければならない現実に悲しむ。
そして連音は、少女の瞳に忘れ忘れられない出来事を思い出させられていた。
魔法少女リリカルなのは シャドウダンサー
第七話 再会は湯煙の地で(前編)
それは忍の一言によって始まった。
「今度の連休、皆で出かけるからね」
あまりに唐突、かつ主語が無いため意味も分からない。困惑している連音にすずかがこっそりと耳打ちする。
「実はなのはちゃんの……」
すずかが説明するには、高町家が今度の連休に海鳴市の外れにある海鳴温泉に小旅行をするらしく、
それになのはの友人であるすずかとアリサ、恭也の恋人である忍が誘われたらしい。
で、せっかくならばと忍は普段の労いも兼ねてノエルやファリンも伴ってそれに参加する事にしたらしいのだ。
既にその意は先方に伝えてあるようで、快く了承して貰ったとの事。
「ふ〜ん…」
連音はあまり興味が無いという風だった。
実際、この連休はジュエルシード探しに集中できる良い機会で、町中を捜索する為のスケジュールを立てていた。
なので、事情を知る忍や、何となく察しているようなノエルはともかく、何も知らないすずかやファリンがいなくなるのはむしろ好都合といえた。
「まぁ、せっかくの機会だしゆっくりしてくれば良いよ。数日ぐらい一人でなんとでも出来るし」
そう言ってノエルの入れてくれた紅茶をすする連音。鼻腔をくすぐる心地良い香りに思わず嘆息する。
月村家で世話になり始めてから、この一時は連音の最大の楽しみになっていた。
「何を言ってるの?連音も行くのよ、一緒に」
「………はい?」
一瞬、訳が分からないといった顔をした連音だったが、すぐに忍の言葉の意味を理解した。
「ちょっと待った!何で俺まで行く事になってるんだ!?」
「ちゃんと話を聞いてた?言ったでしょ、『皆で出かける』って」
忍は呆れ顔でやれやれと頭を振った。
それは確かに聞いたが、当然そういう事を言っているのではない。
「何で俺がその『皆で』に入ってるのか、と聞いてるんだ!!」
「当たり前でしょ?子供を一人で屋敷に残して何かあったらどうするの?
それに、居候とはいえ家族を置き去りにはできないでしょう?」
珍しく正論を言われ、連音は言い返すことができなかった。
確かにすずかやファリンにとって連音は月村の遠縁の子。なのは達にしてみればごく普通の男の子である。
それを一人残すという事は余りにも不自然だった。
面識がなければまだどうにかできただろうが、既に出会ってしまっているのでどうしようもない。
せっかく立てた連休の予定はキャンセルになってしまった。
(まぁいいか。海鳴市の外れまでは探していなかったし…向こうを捜索しよう)
念密に立てた計画が駄目になり、連音は何とか思考を良い方に持っていこうとするが、ついつい溜め息を吐いてしまった。
すずかの目の前で。
「もしかして…一緒に行くの嫌かな……?」
悲しそうな顔ですずかが連音を見つめていた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいるもので連音は大慌てだ。
「うぐっ…!?」
「ちょっと、妹を泣かせるなんて酷い男ねぇ…」
「いや待て、俺が悪いの!?」
その問いにコクコクと頷く、忍にノエルにファリン。
ここには敵しかいなかった。
「はぁ…別に嫌な訳じゃないから泣くなよ……」
「泣いてないもん…」
「泣いてるじゃねえか!?」
「泣いてないもん…!」
そのやり取りを見ながら、忍はくすくすと笑うのであった。
とりあえずは小旅行に関しては決定という事で落ち着き、
すずかも連音の必死のアピールにようやく納得してくれたらしく、やっと泣き止んでくれた。
精神的な疲労にガックリと肩を落とし、連音は自分の立場の弱さを認識させられるのであった。
そして、あっという間に出発の日。幸い、晴天にも恵まれて絶好の旅行日和だ。
忍の運転する車に乗って高町家に向かう、その車中。
辰守連音は人生最大級の危機に面していた。
月村家は忍、すずか、ノエル、ファリン、そして連音の計五人。
運転席に忍、助手席にいるのはすずか。
残るのは当然ノエル以下三人。当然、後部座席に座ることになる。
「クソ…助手席がよかったのに……」
ブツブツと文句を言いながら連音が車に乗り込む。続いて私服姿のファリン。
そして連音らが入ってきたドアと反対側が開いて、やはり私服姿のノエルが乗ってきた。
「申し訳ありません、少しだけそちらに…」
「え、はい」
少しだけ詰めてノエルが乗り込むスペースを作る。
ノエルも乗り込み、少し狭い後部座席。そこではたと気が付く。
両隣にいるのはノエルとファリンだという事実に。
連音は忍によって植えられたトラウマの影響で、年上の女性に対して強い苦手意識を持っている。
その事を知っている忍がこのシチュエーションに対してとったアクションは
「忍姉、ちょっと待った。ファリンさんと場所変わるか―」
「それじゃ出ぱ〜つ!」
「待てぇーーーーっ!!」
即、アクセルを踏むことだった。
急発進する車。全員が背もたれに押し付けられる。
「お姉ちゃん、運転ちょっと乱暴じゃ…きゃぁ!」
「喋ると舌噛んじゃうわよ〜!」
すずかの意見をかき消すように何度もコーナーに鋭い角度で入り、まるで何とかDのようにドリフトまで決めてみせる。
車内に響く悲鳴。だが、忍はノリノリでハンドルをコントロールする。
屋敷から延びるこの道を通る車は当然他にはなく、また忍の暴走を止められる人物も不幸にも車中にいなかった。
コーナー出口で逆ハンドルを切り、車体を立て直すと一気にアクセルを踏み込んだ。
「ちっ、立ち上がりが悪かったわね」
「そういう問題じゃないよ〜っ!」
シートベルトを掴み、必死で耐えるすずか。だが一人で座っているすずかはその程度ですんでいたから良かった。
後部座席ではもっとすごい事になっていた。主に一人が、だが。
「うぁあああ!?」
「きゃぁあ!!」
ばふっ!
体を支えられずバランスを崩し、連音の体が隣のファリンに倒れこむ。
とっさに伸ばした腕に微かに柔らかな感触を感じ、慌てて離れる。
「うわ、ごめんファリンさん!忍姉ぇ、いい加減に」
「ほい逆」
今度は反対にハンドルを切る。勿論ドリフトだ。
既にバランスを崩している連音はG逆らう事ができず、今度は反対側のノエルに顔から突っ込んだ。
とっさにノエルは連音を抱きとめた。片手でしっかりと胸元に押さえ込み、その体を固定する。
空いた片手でしっかりと上部の手すりに掴まり、忍の運転に対抗している。
やがて林道を抜け、ようやく一般道に出ると流石に忍も普通に走り、車中の一同は安堵の吐息と共にぐったりとしていた。
ただ一人、月村忍のみは一般道に出た事に対して軽い舌打ちをしたものの、
大凡の成果が上がっている事に気が付き、満足気に目的地へと車を走らせた。
ちなみに、その大凡の成果は高町家を目前にしても尚、ぐったりとしたままだった。
漆喰で塗り固めたかのような壁と立派な和風の外門。その前で月村家一行を待っているのは男性二人、女性二人。女の子一人とキャリーケースの中にフェレット一匹。
その家の家主、高町家の面々である。
「お、やっと来たか」
恭也が道の向こうに見慣れた車を見つけて零す。
実際に遅刻した訳ではなく、ただこの一家が外に出るのが早かっただけである。
「すいません、お待たせしましたか?」
「いや、こっちが早く出ただけだから気にする事はないよ。それに、まだ一人来ていないしね」
忍が待たせた事を謝ると恭也に似た顔立ちの男性が笑いながら答えた。
恭也よりも少し背の高い、筋肉質な体躯。一見してやはり只者ではない雰囲気を漂わせている。
「おい忍。何でお前以外は皆、死相が出てるんだ?」
恭也が車からフラフラな足取りで出てきた面々を見て、忍に冷たい視線を送る。
「いや〜、ちょっと運転乱暴だったかしら?」
「お嬢様、もうドリフトは結構です……」
「わたし、向こうに乗るよぉ〜…」
「はぅぅう〜〜〜……」
三者三様。その言葉を聞いて恭也のゲンコツが飛んだのは言うまでもない。
そんな中で連音は一人、別の意味でフラフラだった。
忍のそれを遥かに上回るノエルの破壊力は連音を完全にノックアウトしていた。
未だ上った血が引かないまま、おぼつかない足取りで外へ出る。冷たい風が頬をなでて、少しだけ気分が楽になった気がした。
「大丈夫、連君?顔が真っ赤だよ??」
なのははフラフラな連音を心配して駆け寄る。
「大丈夫…。少し頭を冷やせば治るから……」
連音はそう言って道の端っこに腰を下ろす。と、顔に影が差した。
見上げれば恭也と同じ黒髪を三つ編みにして、眼鏡を掛けた女性がすぐ前に立っていた。
「君が連音君?」
「そうですけど…あなたは?」
その問いに答えたのは女性ではなくなのはだった。
「わたしのお姉ちゃんの高町美由希さんだよ」
「よろしくね、連音君。でも本当に忍さんそっくりな顔ねぇ?」
「さらりと恐ろしい事を言わないでくれません?」
一瞬、誰かが睨んだような気がしたが、連音はそっちの方を向かず、道の向こうに目をやった。
すると、駆けて来る人影があった。金髪を振り乱して走るのはアリサだった。
「ごめーん、遅れたーっ!」
どうやら全員が揃っている事で自分が遅刻をしたと思っているらしく、大慌てだ。
ともあれ、全員が到着した事で無事出発となった。
恭也に似た男性――なのはの父親、高町士郎の運転する車はミニバンタイプで、なのは達お子様組と、なのはの母――高町桃子、そして美由希が乗り、
恭也はノエルとファリンのたっての希望により忍の車に乗る事になった。
「これで安心して乗れますぅ〜!」
とはファリンの談。
連音もノエルらと乗る事を拒み、士郎の運転する車に同乗していた。席はなのはらがいる最後部席ではなく、
美由希の隣に、ユーノの入ったバスケットを抱えて座っていた。
後ろではなのは達が楽しく談笑している。それを聞きながらようやく冷めた頭で色々と考える。
(高町士郎さんか…。恭也さんもそうだったけど立ち振る舞いが只者じゃないな…。どっかうちの頭領に似ている気がするし…)
視線は隣の美由希にも向く。美由希は何か考え事でもしているのか、ずっと外を見たままだ。
(この人も只者じゃないな。恭也さん程じゃないけどこの人も……。
………何か高町家って、辰守家に似てるなぁ……)
「――ところで」
「――っ!?」
いきなり前から声を掛けられて連音は驚いてしまった。
見ると、ミラー越しに士郎と目が合った。
「な、何でしょう…?」
できるだけ動揺を出さないように気を付けて答える。
「キミ…辰守連音君、だったね?」
「はい…そうですが……?」
「もしかして君のお爺さん……宗次郎って名前かい?」
「――っ!!」
宗次郎、それは頭領辰守宗玄の表用の仮名だ。だが、幾ら表用とはいえ一般人に知られているものではない。
「――そうですが、それがどうかしましたか?」
できるだけ平静を保とうとするが、逆に不自然なほどに冷たい声。
その一声だけで車内が一転、静まり返る。
だが、士郎はその雰囲気の中でも同じ調子で返した。
「いや何、宗次郎さんには昔世話になった事があってね……それで、もしかしたらと思ったんだ。すまないね、気を悪くしたなら謝ろう」
「いえ、あまり祖父の名を外で聞く事がなかったものですから……驚いてしまって…」
「そうか……。それより、なのはから聞いたけど色々大変だったらしいね?」
「え…?」
「学校、土砂崩れで潰れちゃったんだろう?」
「あ〜…まぁ…でも、大丈夫ですよ?
元々生徒なんて片手で足りるぐらいだったし、それに課題を山ほど出されてますから……ハハハ…」
土砂崩れで学校が潰れて休校になり、復旧の目処がつくまでの間、見聞を広める事を兼ねて海鳴市へ。
それが連音がこの町に着た理由となっていた。
事実を知っているのは忍とノエルだけで、他の面々にはそういう説明をしていたのだが、
連音自身がその設定を微妙に忘れていたせいで、返事も微妙な感じだ。
どうにか誤魔化そうと視線を彷徨わせていると、バスケットの中にいた筈のユーノが
いつの間にか美由希の肩の上に乗っかって、後ろにいるなのはの方を見ていた。
なのはの表情はどこか暗かった。
恐らく例の黒い少女の事が原因だろうと、連音は思った。
とはいえ自分にできる事も、する義理もない以上、黙って視線を外すしかなかった。
いつの間にか車は舗装された道路から外れて両脇を深緑が挟む中を進み、やがてその向こうに見えてきた建物があった。
目的地の『旅館 山の宿』である。
車から降りたすずかとアリサは脇にある池に駆け寄り、中を覗き込んだ。
池には立派な鯉が悠々と泳いでおり、二人はそれを見て感嘆の声を上げている。
なのはも少し離れた所で大きく背伸びしている。
それにつられて連音も大きく伸びをする。
「ほら〜、自分の荷物持っていきなさ〜い!」
「へ〜い」
忍に呼ばれ、自分の荷物を運ぶべく月村の車に向かった。
早速、温泉に入ろうと連音が脱衣所に入ると、そこには恭也がいた。
丁度服を脱ごうとしているところだった。
「あれ、恭也さんだけですか?士郎さんは…?」
「父さんならさっき母さんと一緒に散策に行ったよ。いつまで経っても新婚気分が抜けないもので困ったものさ…」
「はぁ…」
話しながら服を脱いでいく恭也と連音。
露になった恭也の体は大きくはないが無駄の無い、引き締まった筋肉に覆われていた。
体の動きを制限しない、それでいて機能を最大で発揮できる、力と速さの両立。
正に武術家の体躯だった。
「どうした?人の体をジーッと見て…」
「いえ、凄い体だなぁ〜って思って……」
「そうかい?君こそ随分と小学生離れした体だと思うけどな…」
恭也は連音の体を見ながら言った。
顔立ちの幼さと違い、連音の体は確かに同年代の男子とは比べ物になら無い程に鍛え上げられたものだった。
だが連音にとっては見慣れた当たり前のものに過ぎず、
他に比較する同年代の男子も同じようなものだったので、そう言われる事が不思議でしょうがなかった。
「そうですか?そんな事はないと思いますけど……」
場所を浴場に移して、話が続く。だだっ広い浴場には他に誰も居らず、気を遣わずにすんだ。
「俺は剣術だけど、連音君もやっぱり何かやってるのかい?」
「えっと…祖父の影響で武術を……一応…」
「ほう?どんな武術なんだい?」
「え〜っと……」
連音は返答に詰まった。何故なら下手な?を吐いて、もしそれが士郎に伝われば一発で看破される恐れがあったからだ。
車中での話や態度から、士郎が裏の世界を少なからず知っている人間であると考えた。
ならば連音が海鳴に来た理由が嘘であると気付かれているかもしれない。
そして、士郎から恭也へ、そしてなのはに伝わってしまう可能性も無いとは言い難い。
証拠も無い憶測だが、最悪のケースは常に想定されるべき事と教え込まれていたのでその最悪を回避する答えを、平静を装いながら連音は必死に考えた。
「辰守流古式格闘術っていって、昔いた……何とか衆っていう忍者の技を基にした武術らしいです。
物心付いた頃にはもうやってましたので…改めて聞かれると……」
結果、少しの真実を織り交ぜた上で?を吐いた。
実際に辰守流は表の名で存在しているし、物心付いた頃には忍の修行をしていたからこれも嘘ではない。
嘘はそれが何なのかを知らない事。これならもし不審がられてもごまかしも効く。
嘘のリアリティーを高めるには真実を織り交ぜる事が重要なのだ。
だが、ここで別の問題が浮かび上がった。
「ほほう…忍術を基にした格闘術か……」
恭也の目つきがある種異様なものに変わった。例えるなら獲物を見つけた野生動物のような目だ。
「あの…恭也さん……?」
「連音君」
「…はい?」
「家には道場があるんだが」
「はぁ……」
「どうだろう、帰ったら一本手合わせしてみないかい?」
「…………は?」
連音は謹んでお断りした。そうしないとえらい事になりそうだと、本能がビンビンと警告を発したからだ。
体を洗い、さっぱりと汗を流して湯船の中へ。少し熱い気もするがそこは日本男児。
体中に行き渡る痺れに耐え、やがて治まるのを待つ。
「ところで」
「手合わせならしませんよ」
「いや、そうじゃなくて……心配されないのかい?」
「…何がですか?」
「だって一人でこっちに来ているんだろう?ご両親は心配しないのかい?」
普通、幼い子供が親類の家にいるとはいえ、知らない町に一人で行って親が心配でない筈が無い。
だから恭也の疑問は尤もなものだった。
「大丈夫ですよ、それなら」
「大丈夫って…」
「もう、どっちもこの世にいませんから」
「――っ!?」
恭也はその答えに驚愕した。
両親がいないという事もそうだが、それ以上に驚いたのは、末の妹と同い年の子供が両親の死を受け入れている事実だった。
何をどうすればそういう風になるのか、連音は淡々と続ける。
「父は生まれる前に、母は四年前に亡くなりました。だから心配する両親はいないんです」
「……すまない」
恭也は深く頭を下げた。
「え?何で謝るんですか!?別に祖父だっているし、兄もいるから一人って訳じゃ…」
「知らなかったとはいえ、君に嫌な事を思い出させた。だから謝る。すまない…」
再び深く頭を下げる恭也。その姿に連音が今度は驚かされた。
幾らここに二人しかいないとしても、普通なら頭を下げる事は恥ずかしいものだ。
まして、それが妹と同い年の子供であるならば尚更である。
だが、恭也は自分に非が在るならば、例え相手が子供であっても頭を下げる。
それが当然の事だと疑ってもいない。
真面目で器用に立ち回れない。そして見た目などに一切囚われず相手を対等として見ることができる。
それが高町恭也という人間なのだと連音は知った。そして知って理解した。
つい、笑いがこみ上げる。
くすくすと笑う連音にきょとんとする恭也。
「何だ?何か可笑しい事、言ったか?」
「いえ、そうじゃなくて……忍姉が恭也さんの事、好きになった理由が分かった気がして……」
「???」
「先、上がりますね?」
連音は頭に?マークを飛ばしている恭也を置いて浴場を後にした。
ロビーに備えられたソファーに座り、自動販売機で買ったジュースを飲みながらくつろいでいると。
「――ん?」
浴場の方に歩いていく女性の後ろ姿が目に入った。
ここの宿泊客なのだろうが、連音は彼女に妙な感覚を憶えた。
その姿が通路の向こうに消えた瞬間には、立ち上がって後を追っていた。
浴場に続く板張りの通路、その真ん中辺りに先程の女性となのは達が何やら話している。
が、アリサがなのはと女性の間に割って入っている辺り、穏やかな雰囲気ではないと分かった。
「ゴメンゴメン、人違いだったかなぁ?知ってる子に良く似てたからさぁ〜」
「あ…何だ、そうだったんですか……」
女性のいきなりの言葉に、アリサもなのはも何と答えて良いか分からず、アリサは唖然としたまま、なのはも苦笑いを浮かべている。
女性はそんな事を気にしてもいないのか、ユーノの頭をなで繰り回す。
が、女性の言葉になのはとユーノの表情が一変する。
『今の所は、挨拶だけね?』
「「――っ!?」」
『忠告しとくよ…?子供は良い子にしてお家で遊んでなさいね。おいたが過ぎると…ガブッ!と行くよ!?』
女性の表情は今迄と変わり、敵意に満ちたものに変わっていた。
その迫力になのはの背中に冷たいものが過ぎる。
「どうかしたのか?」
突如掛けられた声に全員が驚き、その方を向く。いつの間にそこにいたのか、女性の真後ろに連音が立っていたのだ。
「連音君…!」
すずかが安堵の声を上げる。
「アンタいつからそこにいたのよ!?」
「いつからって…今さっきだけど……。誰だ、この人?」
そう言って連音は女性の顔を見上げる。その表情は未だ張り付いたように固まったままだ。
「知んないわよ!人違いとか言ってるけど……」
「へぇ…。誰と間違えたんです?」
その言葉に女性はハッと我に返った。
「いや、何…言ったって分かんないだろう?さ〜て、もうひとっ風呂行ってこよ〜っと!」
女性はなのはの脇を抜けて、女湯に向かって歩いていった。
「何あれ!昼間っから酔っ払ってんじゃないの!!?」
「さぁ?別に良いだろ、そんぐらいなら…」
「良かないわよ、全然!全く!!これっぽちも!!!」
アリサが未だにブーブーと文句を言っているが、なのはとユーノはもう見えなくなったその背中を未だに追っていた。
「まるで、山犬みたいだったな…?」
連音の言葉になのはが振り返った。
「山犬…?」
「あぁ…何か、そんな感じがした……。何もされてないか、高町?」
「え…?あ、うん、一応…」
「なら良い」
連音は再びロビーへと戻っていった。
その少し後、先程の女性が一人宣言通り温泉を堪能していた。他に客は居らず完全な独占だった。
湯船の縁に腰を掛け、少しのぼせた体を覚ましている。
『あー、もしもしフェイト?こちらアルフ』
旅館から少し離れた森の中、バルディッシュを抱えた少女が幹に腰かけたまま、目を閉じて佇んでいた。
頭の中に声が響く。
『あー、もしもしフェイト?こちらアルフ』
『うん…』
『ちょっと見てきたよ、例の白い子』
その言葉に少女の目が開かれた。
『…そう。どうだった?』
『ん〜…まぁ、どおってことないねぇ?フェイトの敵じゃないよ』
『そう…。こっちも少し進展。次のジュエルシードの位置が大分特定できてきた。今夜には捕獲できると思うよ?』
『んん〜!ナイスだよ、フェイトォ!さっすがアタシのご主人様!』
『ありがとう、アルフ。夜にまた落ち合おう?』
『は〜い…あ、そうだ!』
『ん?どうかしたの??』
『いやね、妙なのが一人いたのさ』
「妙なの?」
思わず声を出してしまう。
『あぁ…。アタシが声を掛けられるまで後ろにいるのに全く気が付かなかったのさ…完全に気配消してやがったよ』
『もしかして、あの覆面の子かな…?』
『いや、どうかねぇ?魔道は感じなかったけど…?』
『封じてるのかも……顔を隠すぐらいだし、正体がバレないようにそれぐらいしてる可能性もある…』
『…急いだ方が良いかねぇ?』
『出来るだけ急いでみる。特定できたら連絡入れるね?』
『了解!』
頭に聞こえた声は消え、少女――フェイトは立ち上がる。
見下ろす先には多くの緑。それが彼女の中にあるある風景を思い出させた。
もっと幼い頃を過ごした、ひたすらに魔道を学び続けた場所。
美しい湖と、暖かな風のそよぐ場所。
「ジュエルシード……今度こそ渡さない……!」
フェイトはバルディッシュを強く握り締め、空に舞う。
その姿はあっという間に森の中へと消えていった。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、