ミッドチルダ。アルトセイムの空に、時の庭園が飛んでいく。
それを見上げる一人の女性。
その体が淡い輝きに包まれ、雪景色に解けていく。
彼女は奇跡を祈った。
祈ったのは、幼き少女の幸福。
残酷な運命を知らず、母の為に戦おうとする。
愛弟子にして、自分の娘も同然の彼女を、果て無き孤独から救ってくれる誰かを。
そして、彼女は奇跡を願った。
願ったのは悲しき主の心が解放される事。
失った苦しみ、絶望、罪の意識の果てに忘れてしまった『本当の願い』。
それを理解し、思い出させてくれる。そんな奇跡を起こせる誰かを。
もしも神がいるのなら、どうか聞いて欲しい。
この、偽りの命しか持たない自分の願いを、どうか叶えて欲しい。
辛い運命の果てに、更なる悲しみしかないと知っていても、何もできない自分の代わりに。
どうか、“大切な家族”に祝福を。
どうか、“愛する人達”に幸福を。
彼女が知る事はない。その想いが、奇跡が果たされる事を。
優しい少女の心が。同じ罪を背負う少年が。
その、奇跡を起こす事を。
全ては―――今より未来の話。
「フェイト……アルフ…………プレシア…………」
愛する者達の名を呟いて、彼女は虚空へと還った。
アルトセイムの空に、時の庭園は消えていった。
魔法少女リリカルなのは シャドウダンサー
第二十四話 約束の時
腐ったベニヤ板を橋代わりに断崖に掛けて、その上を歩く。
そんな例えがピッタリな危うさを、連音は感じていた。
刻印。
己が全てと引き換えてでも貫くべき信念。それを為すための力。
神速が、御神を御神足らしめるのならば、刻印こそが竜魔のそれに当たる。
その翼は竜の如く。その力は悪魔の如く。
魔力が流れる度、生身を鑢で削られるような激痛が走る。
それでも、連音は刻印を使う。
その身に、為さねばならない誓いがあるから。
「破ぁああああああああッ!!」
裂帛の気合と共に、連音が駆ける。
プレシアが慌ててバリアを張るが、その上から容赦なく斬撃を叩き込んだ。
今の連音とプレシアには魔力差は殆ど無く、急ごしらえのそれを、あっさりと打ち砕く。
連音が更に琥光を振るう。
しかし、プレシアの姿が一瞬で消えた。
ブリッツアクション。
動きの早回しによる高速移動で間合いを離し、同時に魔法を発動させる。
「フォトン・パイクっ!!」
プレシアの眼前に城壁の如く、無数の魔力の槍が出現した。
「――ファイアッ!!」
散弾銃のように、一斉に連音目掛けて襲い掛かる。
回避は不可能。その隙間もない。
連音は左手に苦無を持つ。
「五行剣、金剛双刃!!」
琥光と苦無の刀身を擦り合わせる。すると二つの刃が白く変わった。
「おぉおおおおおおおおおッッ!!!」
迷う事無く、連音はフォトン・パイクに真正面から挑んだ。
高速の連撃が強襲する刃の、尽くを撃ち落ちしていった。
叩き落された魔法が周りの岩や床を削り、破壊する。
巻き上がる粉塵と爆煙に、あっという間に連音の姿が飲み込まれる。
悪化する視界の中、それでも連音は迫る攻撃を逃さず、落とし続ける。br>
(クソ、切りが無い……!)
既に百以上を落としているが、終わりが見えない。
一発の威力が低い代わりに、構成される数が半端ではない。
完全に足が止められた。
しかし、一発でも逃せばその全てを食らうことになる。
バリアを抜かれるとは思えないが、ダメージはやはり蓄積する。
「なら――っ!!」
連音は琥光を大きく振るい、金剛飛刃を放つ。
迫る壁に風穴を空ける。しかし、周りの槍がそれを再び埋めようと動く。
「これで――ッ!!」
連音が苦無を投擲する。白光が紫光を撃ち抜いて行く。
ワイヤーを引き、手元に戻すと同時に突進する。
「どうだ――ッ!!!」
金剛盾を展開し、風穴に叩きつける。
更にパイクを押し砕き、シールドを解除。
“瞬刹”
一気に突破する。
そして、苦無を投げつける。
あの攻撃を突破されると予想していたのか、プレシアは冷静なまま、連音の攻撃を弾き返した。
再び、ブリッツアクションで追撃を躱す。
「逃がすか―――ッ!?」
連音はすぐにプレシアを追い掛けようとしたが、その足が貼り付けられた様に動かなかった。
ガクンと前のめりになってしまう。
見れば、連音の足に紫のリングによって拘束されていた。
そして、その一瞬の間にパイクが一斉に降り注いだ。
「ぐぅううううううっっ!!!」
バリアを張り、直撃を防ぐ。
強化された障壁はヒビ一つ入らない。しかし、衝撃は伝わるし、維持する魔力は大きくなる。
やがて、その攻撃の嵐が収まる。
「クッ……!」
どうにか耐え切ったが、連音が痛みに呻く。
負担が思った以上に大きい。
「強化された魔力が揺らいできたわね………」
「――ッ!?」
粉塵の向こうにプレシアの姿。宙に浮かび、連音を見下ろしていた。
「では、これは―――防げるかしら?」
「な…ッ!?」
既にプレシアの追撃は完成していた。
円を描くようにして連音を包囲する、七つの魔力スフィア。
直感する。さっきのパイクとは威力が違う。
バリアでは防ぎ切れない。
「フォトンバレット・サークルシフト……!!」
一声によって一斉射撃が始まった。
魔力弾の嵐が先程以上に爆煙と粉塵を撒き散らし、破片と余波を撒き散らす。
大火力による殲滅。プレシアの大魔導師たる所以。その真骨頂。
確かに、彼女の実戦経験は少ない。
しかし、次元魔法も使う彼女の本来のスタイルは『広域殲滅型』である。
中心点に近付く程に爆圧が高まっていくこのサークルシフトも、本来はもっと多くの敵を囲み、潰す為のものだ。
それを至近距離で喰らった連音に待つのは最早、敗北のみであった。
「あぁ……!!」
フェイトが絶望の声を上げる。
思わず飛び出しそうになるが、アルフが慌てて押さえる。
「ダメだよフェイト!!行ったらフェイトまで巻き込まれるッ!!」
「でも……あの子がッ!!」
「今、君が行っても何も出来ない!!治まるまで待てッ!!!!」
クロノはバリアフィールドを張りながら叫んだ。br>
戦いが始まってから、アルフと共にずっと張り続けているバリアに破片が降り注ぎ、轟音が地を揺らし続ける。
その余波を防ぐことは出来る。しかし、見ている事しか出来なかった。
やがて、魔弾の嵐が終息する。
庭園を破壊しないよう、非殺傷設定になっていたのだろう。
しかし、それでもその破壊力は桁外れだった。
周囲にあった、岩が跡形もなく消し飛んでいた。
非殺傷といっても怪我をする事もあるし、下手をすれば死ぬ事だって有り得る。
プレシアにとって、庭園を壊さない為の非殺傷。
連音がどうなろうと知った事ではない筈だ。
クロノが厳しい顔をする。
AAA+の自分がどれだけ戦えるのか、と。
魔力は強いだけじゃない。適切な判断と、状況による応用力。
それが重要なのだ。
だがもしも、敵がそれらを上回る相手なら。
それは、自分では決して勝てないと言っている事にならないだろうか。
それでも執務官として戦う。戦わなければならない。
辛い事、悲しい事を止める為に。
こんな筈じゃない、そんな思いを少しでも止められるように。
クロノがS2Uを構えようとした時、気が付いた。
プレシアの視線が外れていない事に。
連音のいた場所から、動いていないのだ。
「まさか―――!!」
クロノが叫んだ瞬間。
「「――――ッ!!」」
アルフとフェイトは息を呑んだ。
光の翼は力強く羽ばたき、爆煙を吹き飛ばす。その中心にいるのは覆面の少年。
膝を折り、身を屈めた姿で、連音は未だ健在だった。
しかし、どうして無事だったのか、クロノ達には分からなかった。
知るのは二人。本人と、空から見下ろす魔女のみ。
「驚いたわね……その翼、シールドの役割も担っていたのね……。しかも、サークルシフトに耐え切るぐらいに強力な……」
上にいたプレシアには翼が連音を包み、攻撃を防いでいたのが見えていた。
「竜魔の翼は…何者にも折る事はできない……!」
ふらつきながらも連音は立ち上がる。そしてそのまま刺突の構えを取った。
ギリギリと弓を引き絞るように、全身を捻り込む。
「今度はこちらの番だ……ッ!」
その言葉に、反射的にプレシアがシールドを張った。
それごと弾き飛ばされたりはしたものの、しっかりと構成したシールドを突破された訳ではない。
琥光が白光に閃く。
“瞬刹”
その一声の刹那、光が弾け、プレシアの肩が切り裂かれた。
一瞬、訳が分からなかったが、飛び散る鮮血にプレシアが事実を認識する。
シールドが打ち砕かれ、その身に傷を負ったのだ。
それを理解した瞬間、焼けた鉄棒を押し付けられた様な衝撃が、神経を蹂躙した。
「ウ…ゥグァア…ァアアアアアアアアアッッ!?!?」
プレシアが激痛に絶叫する。
何が起きたのか理解できず混乱する。
何をされた?
攻撃を受けた?
一瞬だけ見えた光、それが?
「ぐぅ……ぁぁあ……!」
油背を滴らせ、呻き続けるプレシア。
連音の血で力を得たといっても、物理的ダメージに耐性が出来た訳ではない。
彼女自身はやはり、肉体的ダメージに弱いままである。
それでも血の力がその傷を塞いでいく。
しかしその瞳に、刺突を構える連音が映った瞬間、閃光。再び切り裂かれた。
「――ァアアアアアアアアッッ!!!」
脇腹を切られ、その衝撃で地に落とされる。
受身を取る事もできず、ただ絶叫し、プレシアは床に叩きつけられた。
「五行剣……金剛……瞬矢………!!」
ぜいぜいと肩で息をし、ふらつきながら連音がその名を名乗った。
瞬矢。
瞬刹の生み出す超加速。その全てを込めた、飛ぶ斬撃。
全身をカタパルトにして放つその一撃は、瞬きの間を飛ぶ矢の如く敵を穿つ。
その威力は竜魔奥義を除けば最強の一角。
しかし、それ故に使いこなす事は難しく、特に瞬刹から放つタイミングは正に瞬きの間しかない。
外れれば飛ばず、隙を晒す事になる。
久遠との修行でついに会得した、必殺の一撃であった。
「ぐぅ……!」
今度はプレシアの上げたものではなかった。
ボタボタと連音の体から血が滴り落ちていく。
(クソ……刻印状態で瞬矢を使うとここまでダメージが……!?)
刻印の負荷が予想以上に大きく、心の中で舌打ちする。
刻印は理論上、術者の意思のままにどれだけでも力を上昇させる事ができる。
しかし時間制限、最大出力等、様々な肉体的限界が、やはり存在した。
夜の一族の血を持つ連音とはいえ、未成熟な体では限界はすぐ近い。
むしろその血を持っているからこそ、これだけのダメージで済んでいるとも言えた。
(そろそろ………決めるか……)
プレシアが苦痛に顔を歪めたまま、立ち上がった。
傷は塞がるが、ダメージがすぐに消える事はない。
瞬矢なら、プレシアを射殺せる。
だが、それでは意味が無い。
約束したのだ。必ず想いを届かせてみせると。
彼女の妹を、代わって守ると。
使命よりも己の思いのままに。
(もしかしたら…最初からこうなる事を、姫様は分かっていらしたのだろうか……?)
そして気が付く。
自分に与えられた、本当の使命を。
思わず笑みが零れる。
何という事だろう。全て、同じだったのだ。
古来、心の中にこそ鬼が在るといわれた。
そして、鬼を切る刃は同じく、心より生まれると。
心の闇を切るのは、同じ心の光だと。
忍。
それは正しく心の刃。
心の上に、刃を振るう者。
「プレシア……その程度か!?その程度の力で、執念で、世界を滅ぼし、己の願いを叶えようなどとしたのか!?」
「――ッ!?何ですって……!?」
連音の辛辣なる言葉が、プレシアを容赦無く抉っていく。
「お前に俺は殺せない。そして、お前の願いは叶わない!!
俺がこの世にいる限り、アリシアは絶対に戻らないッッ!!」
「―――っっ!!」
目に見えて分かる露骨な挑発。
プレシアのアリシアに対する執着。それを逆手にとって、連音は彼女の怒りを煽る。
「―――だったら殺すだけよ……」
果たして目論見通り、プレシアの怒りに火が点いた。
吹き上がるのは、怒気に塗れた陰なる烈風。
その瞳は真紅よりも尚深い、深紅へと変容し、憎き敵を見据えていた。
しかし、まだ足りない。
もっと、その身に渦巻く怨念を吐き出させる。
「ほぉ……戦う理由を死人任せにしているお前に、俺が殺せると?」
「殺せるわよ……」
更に陰気が強まっていく。
「無理だな……お前には出来ない。娘の死を、アリシアを背負う事を放棄したお前にはな!」
「っ!?私が……アリシアを……放棄した……!?」
「あぁ、そうだ。その証拠に………お前は思い出せないだろう?」
「何を――!」
「――アリシアの笑顔を、だ」
「―――ッ!?」
プレシアの体が揺らいだ。
小刻みに体が震えだす。
「思い出せるの冷たくなったアリシアの姿だけだ。何度も、何度も、夢に見ただろう?」
「…りなさい………」
「そして、その苦しみからお前は逃げた。だから、本当の願いすら見失った」
「…まりなさい……!」
揺らめき始める陰気。
もう一押しで、全てを吐き出す。
「アルハザード…其処にすらお前の望むものは無い。いつだってすぐ側に在ったものを、それに気が付けないとは……哀れを超えて滑稽だな」
「ダマレェエエエエエエエエエエッッ!!!!」
魔女の激昂が大気を揺らす。
魂すらも揺るがすそれを前に、連音は悠然と立ちはだかっていた。
間欠泉のように吹き上がる、陰気の塊。暗黒の風が世界を埋め尽くしていく。
その邪気にフェイトらが身を震わせる。
根源たる場所に抱く恐怖が、意思を無視して体を竦ませた。
「殺す……その肉塊の一片すラモコノ世界カラ消シ飛バス!!私ノ最大ノ魔法ヲモッテ……!!」
細剣を杖に戻し、天に掲げる。
巨大な魔法陣が足元に展開し、迸る雷が天空に巨大な魔力球を生み出した。
それは徐々に圧縮され、やがて米粒程までの大きさになった。
しかし、感じる魔力は今までとは比べ物にならない程に禍々しく、圧倒的だった。
「天上の断罪――打ち据えて、全てのものを破壊せり――」
更に強大な力が注がれていく。
「地を穿ち――焼き尽くせしは咎人の命――」
空気すらも取り込むように、更なる力が収束していく。
「さらば放て――裁きの雷となって!!!」
鍵の言葉をプレシアが発した瞬間、圧縮されていた魔力がその反発で一気に巨大化する。
生まれたのは紫を超えた、闇色の太陽。
「これで終わりよ―――消え去りなさい、永遠に!!」
杖を叩きつけるように振り下ろす。
「サンダー・レイジ――D・C・S!!!」
それが連音に向かって、ついに放たれた。
(来た……!これが……最後の勝負ッ!!)
勝てばきっと、全てを終わらせられる。
負ければ、全てが終わる。
連音は琥光を正眼に構える。魔力刃が一気に出現する。
「見せてやる……!人の人たる強さってヤツをッ!!うおおおおおぉぁああああああっっ!!!」
咆哮し、琥光を真っ向から振り下ろした。
ぶつかり合う二つの力。その瞬間、異変が起きた。
プレシアの口元が邪悪に歪んだ。
「―――くっ!?」
ズブリ、と琥光がめり込んでいく。そのまま引き擦り込まれる様に連音の体が徐々に飲み込まれていった。
「まさか、こいつは――!?」
「そう、次元魔法よ。対象を飲み込み、粉砕する……これを使えるのは私のみ……。
Dimensional・Cage・Shift。その名の如く、それは雷光渦巻く次元の檻。
さて、何分耐えられるかしら……?」
「くぉおおおおおお……っっ!!!」
抵抗をする間も無く、連音はその中に飲み込まれていった。
その中は平衡感覚すら失いかける、深い闇に満ちていた。
周りに揺らめく雷雲が、やがて紫電を生み出し始める。
閃光が走り、背後から雷撃が打ち据える。
「ぐぁっっ!!」
空間に残る残光が、連鎖的に次々と雷電を生み出していく。
ゴロゴロという恐ろしい音が、徐々に大きくなっていった。
刹那、四方からの雷撃。とっさに翼をシールドに防ぐ。
更に、八方から。
十六方から、三十六方から、七十二方から。
雷光が雷光を呼ぶ地獄の連鎖。
「ぐぁああああああっっ!!!」
希望すらも呑み込む絶望の雷撃が、連音を追い込んでいった。
しかし、その中でも連音は諦めてはいなかった。
これは、連音の望んだ状態とも言えたからだ。
このピンチを逆転できれば、一気に決められる。
紅い魔力光が、闇を照らし始めた。
「……いくぞ……!五行―――相生……!!」
轟音を響かせながら、次元の檻は浮かんでいた。
その半端ではない魔力量に誰もが絶望した。
特にフェイトは母と連音の戦いの中で、心を痛めていた。
殺意のままに、魔法を振るうプレシア。
自身を傷付けながらも、立ち向かう連音。
フェイトが立ち上がる。
連音が死んだとは思いたくない。でも、あれだけの魔力に呑み込まれては。
彼は言った。戦う理由を他人に履かせたりはしないと。
なら自分はどうだろう。
想いを伝えて、そして止めると彼に言った。
それなのに今、何をしている?
彼があれ程になってまで戦って、それに任せていたんじゃないのか?
待機状態になっていたバルディッシュが起動した。
それを見て、プレシアの冷酷な瞳が動く。
「何をする気なの……?フェイト…」
「貴方を………止めます。わたしの全てを懸けて……!」
「止める?私を?あなたが?フッ……笑えない冗談だわ」
プレシアの言う通りであった。
今のフェイトでは、逆立ちしても太刀打ちできない程の相手。
しかし、フェイトは揺るがない。
「出来るか出来ないかじゃない……やるんです、それだけの理由が、わたしにはあるから……!」
「……随分と、あの鼠に感化されたようね………」
プレシアの瞳がスッと細まった。
「君は下がれ」
フェイトの前にクロノが立った。
S2Uを構え、いつでも攻撃できる体勢だ。
光明は見えた。
いくら大魔導師とはいえ、あれだけの魔力を使った後では、流石に限界が見えた筈だ。
連音が生んだチャンスを殺す事はできない。
なのはも駆動炉の封印を完了し、急いでそこに向かっていた。
「連君、フェイトちゃん……!!」
「急ごう、なのは!!」
その変化に、最初に気が付いたのはアルフだった。
フェイと共に戦おうとその背について、そしてチラリとそれに視線を送ったのだ。
「――――ッ!?」
ゾクリ、と冷たいものが背中に走った。
D・C・Sを構成する外郭に亀裂が走っていたのだ。
其処からチラリと昇るのは、小さな火。
そして気が付く。
闇色の太陽の内側が、赤く鳴動している事を。
それはほとんど反射だった。
アルフは、フェイトとクロノの襟を掴んで一気に飛び退いたのだ。
「っ!アルフッ!?」
「おい、何を!?」
「ヤバイ、ヤバイんだよっ!!」
何が?そう問おうとした時、彼も気が付いた。
D・C・Sの異変を。
それにプレシアも気が付き、飛び退く。
まるで、それが切掛けだったかのように一気に亀裂が大きくなった。
縦に真っ二つにせんと走る亀裂。
其処から上がる紅い光。何事か、誰も分からなかった。
全員がバリアを全力で張ると同時に、それが砕け散った。
閃光、そして爆発。
一瞬で室内を紅蓮の炎が包み込んだ。
「ぐぅううううううううっっ!!?」
その圧力に三人がかりで耐えるが、それを抜けて熱がクロノ達を襲う。
逆巻く煉獄の海に浮かぶのは、紅蓮の炎に包まれた連音だった。
プレシアは目前の光景に驚愕していた。
「何……何なのこれは……!こんな……私の魔法を逆利用した……!?こんなデタラメな事、出来る筈がないッ!!」
炎をバリアで防ぎながら、プレシアは後退っていく。
信じられなかった。
炎から感じるのは明らかにプレシア自身の魔力。それに自分の魔力を織り交ぜて炎を構成した。
空間に残った魔力を再利用するという技術は、高度ながらちゃんと存在する。
つまり、『使い終わった魔力』であるなら驚きこそすれ、それだけである。
問題なのは、魔法そのものを変換した事。
雷をそのまま炎に変える技術。そんなものはミッドには存在しない。少なくともプレシアは知らなかった。
「フフ……ハハハ………!!でも、そんなバカみたいな魔力をどうやってコントロールする気なの!?
見なさい、制御できずに自分の身を焼いているわッ!!』
強大な魔力の炎は、見境無く、全てのものに襲い掛かった。
それは発動させた連音自身も例外ではなかった。
しかも、連音がいるのはその発動地点。最も影響の強い地点だ。
連音は、必死にそれを制御しようともがく。
(クソ……!相生が出来ても、制御が出来ない……!)
久遠との特訓で、雷――木氣から強い火氣を生み出す事は簡単に出来た。
しかし、刻印状態でも制御できない程の力とは予想外だった。
(だが……これでないと………“あれ”が使えない……!!)
鼻腔に身の焼ける臭いが届く。
これだけの熱量の中でも、琥光は健在であるが、連音の手からは白い煙が上がっていた。
忍装束も燃え始めていた。
気を抜けば、一瞬で火達磨になる。そして、暴走した炎は全てを蹂躙し尽くすだろう。
(クソ!!抑え込め!!炎よ、従え……!!辰守連音の意に従え……!!)
自分の制御下に置かなければ、最後のプロセスに移れない。
何とか、力ずくで抑えようと試みるが、荒れ狂う海の如く炎は波打ち、連音の崩れる瞬間を今か今かと待ち構えている。
力を連音は強引に捻じ伏せようと意識を集中させた。
(俺に………従え……!!!!)
しかし、炎は更に反発を強め―――ついに、連音の制御を外れた。
「しまっ―――!!」
『違うわ、連音………それでは駄目』
(え……?)
炎から全ての枷を外されそうになった瞬間、声が響いた。
懐かしく、温かい、優しい声。
『相剋は消し去る力、相生は生み出す力。でも、その根源は同じ。全ては流れとなって存在しているの……』
どれだけの時が経とうとも、忘れる事など決してない。
『炎を力で従えるんじゃない。相生のまま、その流れに自らを組み込むの。
制御するんじゃない、自らが一体となる。それこそが――』
ずっと側にいる、大切な人。
『それこそが相生の極意よ、連音』
(母さん……!?)
不意に連音の右目に何かが添えられる。
『今こそ、私の力を貴方に………さぁ、見なさい、連音』
(ッ!!見える……炎の流れが……!)
添えられた物が消えると、連音の右目には荒れ狂う炎の流れが、手に取るように見えた。
上昇し、そのまま下へと流れ込み、周りの流れとぶつかり合っている。
『“流導眼”(るどうがん)―――全ての意思、力の流れを詠む力よ。さぁ、今こそ……行きなさい、連音!』
雪菜の声に連音が力強く頷いた。
(この流れを束ね、一つに統一する……!)
「―――?何、炎が……!?」
先程まではあれ程凶暴であった紅蓮の波は、徐々に静まっていった。
と言うよりも、一つに収束していっていた。
プレシアの瞳に、恐ろしい光景が飛び込んできた。
「あ……あぁ…………!!」
それはフェイト達もすぐに気が付いた。そして全員がそれを信じられないといった眼差しで見上げていた。
炎の海は、其処に立つ一人の少年の下に収束していた。
その身を焼いていた炎は、今や連音を害悪から守る衣と変じていた。
「制御……しているのか?この魔力量を……!?」
搾り出すようにクロノが声を出した。
「でも、こんな……」
常識外れとか、そんなレベルではない。
異能。異端。
そう呼ばれる力。
連音の右目が、夜天の星を治める北極星の如き輝きを放つ。
それこそが母より受け継いだ力――アイスブルーの二つ名の証『流導眼』の輝きだった。
連音は琥光を掲げた。
そして、言葉を紡いでいく。
今こそ、約束を果たす時。
「南天の守護者――紅蓮なる翼の王よ――」
一つ一つの言葉に、炎が再び波打ち始める。
「聖なる炎を纏いし――死と再生の象徴よ――」
炎は渦巻き、連音を包み込んでいく。
「我、今ここに願わん――偉大なる汝の名を借りて――」
炎の色が徐々に、赤から緋色に変わっていく。
「我が炎、汝が力の一欠片と成らん事を!!」
連音の翼が巨大な炎を吹き上げ、燃え上がる。
その身を包む煉獄も、その姿を変えつつあった。
プレシアの瞳に映るのは紅蓮なる大鳳。それは今まさに羽ばたかんとしていた。
足が動かない。手が上がらない。
人智すら超えた存在が、今、目の前に降臨していた。
「いくぞ、これで最後だ……!!」
連音はプレシアを見据え、琥光を一気に振り下ろした。
「竜魔五行奥義乃壱――――朱雀ッ!!おぉおおおおおおおおっっっ!!!」
琥光を真っ向から振り下ろす。その速さとは関係なく、朱雀はゆっくりとその身を飛翔させた。
雄大に、壮大に。段々とその速さが増していく。
朱雀が一羽ばたきする度に、全員が身を竦めてしまう。
「クッ――!!」
プレシアが朱雀に向けて雷撃を放つ。しかし朱雀を止めるどころか、その勢いを抑える事すらできない。
「あぁ…あぁあああ……………っっ!!!!」
眼前に迫る朱雀。
その紅玉の瞳に映った、恐怖に染まりきった自身の顔。
それがプレシアの見た最後の光景だった。
時の庭園を激震が襲った。
その余りの力に、リンディの立つ場所に亀裂が走り、彼女はバランスを崩してしまう。
同時に、掛けていたディストーションシールドが解除されてしまった。
「エイミィ、何が起きたの!?この揺れは!?」
『分かりません!!でも、物凄い魔力反応が感知されてま……何、あれ……!?』
「―――ッ!?」
高次元の海に紅い光線が輝いていた。
それは庭園の周りを周回し、そしてリンディの真上を通過していく。
「―――フェニックス……?」
『綺麗……』
リンディとエイミィ、そしてその姿を見た全ての者が、朱雀の美しさに見惚れていた。
『―――――――――――――』
朱雀が高次の海に高らかに歌う。
響き渡る、七色の歌声。
死する命に安らぎを。
生きる命に勇ましさを。
『――――――――――――』
朱雀は歌う。
消える命の儚さを。
生きる命の尊さを。
火の粉の羽が庭園に降り注ぎ、朱雀はその中を舞い踊る。
幻想的な光景に、誰も言葉を発する事ができなかった。
そして、朱雀は高次元空間に解けるように消えて行った。
全てを白煙が覆い尽くしていた。
サウナの様な熱気が空気を掻き乱し、熱風を吹き起こす。
魂を抜かれたかのように立ち尽くすフェイト。
あれだけの魔力であったにも拘らず、多くの物は燃え切る事無く残っていた。
クロノとアルフも周囲を見回すが、白煙で何も見えない。
「アースラ、状況は…!?」
『先程の魔法の影響か、庭園内、サーチできません……!』
「クッ……!」
何がどうなったのか、一切分からない。
プレシアはどうなったのか、連音は無事なのか、何一つ。
残照魔力の量が多すぎて魔力を感じる事もできない。
とにかく、白煙が収まるのと、サーチの復活を待つしかなかった。
段々と、白煙が収まっていく。
その奥に、小さな人影が見えた。
刃を床に突き立て、それを支えにして倒れる事を何とか耐えている。
既に、刻印の翼は消滅していた。
「良かった……一応無事だったか」
クロノは連音の姿に嘆息した。
フェイトもそれに気が付き、駆け寄ろうとする。
「来るなッ!!」
「――ッ!?」
それを制止したのは連音の声だった。フェイトはビクン、と体を震わせ、足を止めた。
「まだだ……、まだ終わっていない……!」
白煙が薄らぎ、連音の全身が見えてきた。その姿に全員が息を呑んだ。
「あぁ…あぁ……!!」
その凄惨な姿に、フェイトは口元を抑えて震えた。
忍装束はボロボロに焼けて、長いマフラーは見る影も無くなっている。
琥光も、高熱によって亀裂が走っていた。
そして何より、連音の両手は真っ黒になり、特に指先の皮膚は炭化し、ボロボロと崩れていた。
息も絶え絶えに、しかし連音は揺るがない。
その視線の先に映る人影を見据えていた。
フェイトの視線もそっちに向いた。
そこにいたのは、茫然自失の魔女。
「外した…!?」
クロノが言うが、連音は首を振った。
「いや、当たった………狙い通りだ」
口元を歪め、連音は笑った。
未だに燃え残る炎は、プレシアの脇を抜け、その後ろに進んでいた。
プレシアはゆっくりとその方向へと振り向く。
外壁に空けられた巨大な穴。その断面は熔けて固まっていた。
床も融解し、抉れていた。
呆然としたまま、プレシアは辺りを見回した。
そこにある筈だった物が無くなっているのだ。
「アリシア………?」
プレシアは呟く。しかし、何も答えることはなかった。
朱雀が狙ったのは、最初からプレシアではなかった。
その後ろ、アリシアの肉体の入ったカプセル。
朱雀によって、ジュエルシードごと破壊。もしくはそのまま、虚数空間に飲み込まれたか。
どちらにしても連音の狙い通り、アリシアの体を破壊できた。
そして、朱雀の炎は浄化の炎。邪なるものを滅ぼし、聖なるものに力を与える。
プレシアの陰気を滅し、そして聖女に再び力を。
連音はふらつきながらも立ち上がり、琥光を逆手に持つ。
もう、手には痛覚もない。
“排出”
宝石部からジュエルシードが吐き出される。
床を転がり、そして止まった。
そして、ふわりと浮かび上がり、ジュエルシードは淡い光を放ち始めた。
「っ!ジュエルシード、まだ持っていたのか!?」
クロノが叫ぶが、その声は連音には届かなかった。
何故なら、ジュエルシードを拾い上げた少女しか、目に入らなかったからだ。
『――ありがとう、ツラネ』
少女の言葉に連音は苦笑いを浮かべる。
「礼を言われる筋合いは無い……約束を、半分しか果たせなかった……。
ちゃんと、弔ってやるって言ったのに……すまない」
『ううん……そんな事ない……。ツラネはちゃんと約束を守ってくれたよ。だから、今度は私の番………』
少女はジュエルシードをその小さな手で包み込み、瞳を閉じた。
「何……?あれは……!?」
光の粒子が集い、ジュエルシードに触れる指先から“彼女”を形作っていく。
プレシアの表情が驚愕に震えだした。
その姿が明確になっていくと、それを見る全員の顔に驚きが見えた。
ライトブルーのワンピースを着た、フェイトと同じ顔立ちの幼い少女。
「君は……?」
クロノの問いに、少女は振り向く事無く答える。
「私はアリシア―――アリシア・テスタロッサです」
では、拍手レスです。
※犬吉さんへ
ガンバレ連音、未来を信じる心の強さが不可能を可能にするんだからな
応援ありがとうございます。次回でプレシアとの戦いが決着致します。
未来を信じ、自分の全てを懸けた戦い。
お話はもう少し続きますので、どうか最後まで御付き合い下さい。
※犬吉さんへ
寂しさを知っている人は別の誰かの寂しさに気付いてあげられるんだ、
連音、キミはもっと強く成れるよ。
なのはがそうだった様に、連音はプレシアの本当に気が付けました。
失ったものが大きいからこそ見失い、それを知るからこそ、見えるものもあるのだと思います。
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