黄昏が終わり、宵闇が世界を優しく包み込む。
病院内も消灯され、息遣い一つすらも静寂を破る無粋さを醸し出していた。
そんな廊下に、車輪の音を響かせて動く影があった。
その瞳に、悲壮とも取れる覚悟の色を映して。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第十九話  暁に受け継ぐもの



静寂に包まれた病室内で、連音はうっすらと瞼を開いた。
カーテンの隙間から月光が差し込むだけの暗い世界。
口に当てられた酸素マスクが、少し煩わしく思えた。

不思議な感じだった。

血の暴走のままに、はやてを襲ったというのに。
それなのに心が痛まなかった。

いや、それにすら気が付いていないだけかもしれない。

それは連音にはどちらでも良い事だった。
元より、はやてと再び会う気など無かったのだから。
これで、今度こそ彼女が自分に近付く事など無いだろう。

連音は酸素マスクを外し、体を起こす。
身動ぎする度に激痛が走り、体が悲鳴を上げる。

体を起こす。たったそれだけの行為に、連音は僅かばかり戻った体力を全て奪われた。
「ッ…!ハァ……ハァ………」
荒げる息を強引に整えて、連音はベッドから降りる。
「うぐっ…!」
足が床に着いた途端、膝から崩れ落ちる。
手を突いて倒れるのは防ぐが、その衝撃に全身が痺れる。

動ける体ではない事は解っている。
だが、これ以上ここにいる訳にはいかなかった。

その身に為すべき事がある以上、行かなければならない。

小物を入れる引き出しから琥光を取り出し、連音は這いずるようにしてドアまで向かった。
何とか辿り着き、それを支えに立ち上がる。
「ぐ…うぅ……!」
ドアに体重を掛けて、開け放つ。
非常灯以外には星明りしか明かりのない廊下を、壁に寄り掛かりながら歩いていく。

幸いにして見回り中なのか、ナースステーションには人影は無かった。
そのまま、どうにかエレベーター前に到着して呼び出しボタンを押した。

本来ならばその脇にある階段を使うべきなのだが、この状態で一階に向かうのは体力が持たない。
誰か来た時にも隠れる事もできない。

見つかる可能性はほとんど同じ。ならば体力を使わない方法を選ぶ。
エレベーターが来るまでの間、若干だが、息を整える。
連音自身、この状態が異常だとすぐに解った。
胸の怪我はともかく、他の怪我も体力の回復も、まるで普通の人間の回復力ほどしかない。
いつもならば、ものの十分程で完治している筈だ。
だが今、その傷は三度開いている。
取り替えられた病院着を血に染めながら、この体の異変の原因を考える。

(もしかして、これも……生き返った事の弊害なのか……?)


それは祖父、宗玄に告げられた。

死者蘇生の秘術、それを以って蘇った者は今までいない。
それゆえに、どのような弊害がその身に起きるとも限らない、と。


そう考えると何処か納得がいった。
魂と魄のバランスが崩れたその影響が、こういった形でも現れているのかもしれない。
「これも……俺の罰なのかな……?」
その存在が、母を奪い、無関係な命を多く奪い去った。

連音がこの世で尤も許せない存在。
その者に与えられた、罰。

死をもって償えというのなら、それでいい。
だが、まだ――今は駄目だ。
エレベーターが到着し、闇を切り裂く光をもたらした。
「まだ……まだだ……」

この戦いが終わるまで。アリシアとの約束を果たすまで。

「俺は……まだ…!」
歯を食い縛り、連音はエレベーターに乗り込んだ。



チン、と軽い音を響かせて再びドアが開かれ、連音はエレベーターから、やはり這いずるように降りる。

幸いにして、こちらの廊下にも人影は無い。
しかし、正面から出ては守衛に見つかってしまう。
どうしたものかと考えて、一つ思い出した。


以前にはやてを運んできた時、この病院を真上から見た。
そして、ここの中庭から裏口に回れそうだったのだ。

正面外来口の反対側。
施錠を外し、連音はそこから外へと出た。

中庭に出ると、夜独特の冷たい風が頬を撫でた。
息を吸い込めば、熱を持った体が少しだけ冷まされた気がした。
見上げると、満天の星空。月光は静かに世界を包み込んでいる。

見慣れた筈の星空は、一際美しく連音の瞳に映った。

死期が近付くと、見る物が美しくなると聞いたことがある。
もしかすると、これがそうなのかもしれない。

(せめて、この戦いが終わるまではもって欲しいけど……)
これ以上の生を望まない。
唯一、この身に残った約束と使命を果たす。
それなのに満足に動けない、この体が恨めしかった。


そんな事を考えていると後ろから声が掛けられた。
「連音君…?」
「っ!?はやて……!?どうして…?」
振り返ればそこに、いる筈のない少女がいた。
この時間に起きている筈の無い。起きていて、出歩いていたとしても、何故?
分からずに連音はただ立ち尽くしていた。

そうしている間に、はやてはゆっくりとこちらに近付いてくる。

「っ!」
足が勝手に後ろに下がる。
はやては真っ直ぐに連音を見据え、向かってくる。

「そんな体でどこに行く気なん?」
「………」
連音は答えない。しかし、はやてもその歩みを止めようとはしなかった。
「もしかして、またいなくなるつもりやったん?」
「………」
やはり答えない。しかし、それがはやての言葉を肯定していた。
はやてはついに連音の前に辿り着いた。
見上げる視線は力強く、しかしどこか悲しげで。

連音はその視線から逃げるように目を背ける。
「どうして……お前は…俺の前に立つ……?何で……立てる…?」
分からない。
殺されそうになったのに。
酷い目に合わされたのに。

なのに、どうして。

どうしてその瞳は、恐れていない。


「連音君……吸血鬼やったんやね?」
「っ!?どうしてそれを…!?」
「月村さんに聞いたんよ。『夜の一族』いう吸血鬼の血を引いとるって。わたし、全然知らんかった……。
だって、普通に昼間も歩いてたし……」
「………何で」
「ん……?」
「それを知って、どうして!?また、襲われるかもしれないのに!?」
人とは違う存在。常人からすれば異形の存在。
それを知って尚、どうして?

すずかのように、夜の一族の血を引く事に負い目を感じている訳ではない。
ただ自分という存在が今、無差別に誰かを傷つける、命を奪う状態にある。
なのに、こうしてはやてがまたやって来た事に理解が出来ない。

しかし、はやてはそんな事かと言わんばかりに笑う。
「そんなん当たり前や。だって、連音君は大切な友達やから……」
「俺は…!実際にお前を……殺そうとしたんだぞ………?それでもっ!」
「それでも、や」
全てを知って、しかしそれでも連音を信じる。
はやてはそう言った。

「………ええよ」
「…っ!?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
しかしそうしている内にはやては、自分の上着に手を掛けていた。
そのまま、躊躇い無くそれを脱ぎ去ってしまう。

下には淡いピンク色の肌着だけで、夜風にその細い首筋は隠す事もなく晒されていた。

「わたしの血……吸ってもええよ…?」

はやての言葉に、連音の心臓がドクン、と強く鳴り響く。
ザワザワと首を擡げる衝動を堪えながら、連音は地面を擦るように下がる。
この衝動は危険だった。

しかし、はやては下がった分、更に進んでくる。
「どうしてだ……?お前は…怖くないのかっ!?」
「……怖くない、言うたら嘘やな。噛まれたら痛そうやし…」
そう言ってはやては笑う。
「だったら…!」
「でもな、連音君がいなくなる方が……もっと怖い………」
少し困った風に、はやては目を閉じた。
「せやからこれは自分の為。自分が怖いから、連音君に生きていて欲しい。……それやとあかん?」
「…………はやては…強いな……本当に……」
本当に強く、優しく、心から尊敬する。

だから、連音は静かに首を振った。
これ以上、自分に関わって欲しくない。

連音の瞳からは、何時の間にか熱い物が零れていた。
「俺は…俺には何も守れない……。
母さんを殺して……何の罪も無い人達を殺して……。
誰も救えない…たった一つの約束さえ守れない……。
そんな奴に生きている意味があると思うか……?」
「連音君……」
はやての悲しそうな声が聞こえるが、その顔を見ないよう夜空を見上げる。

あれだけ綺麗に見えていた星空だったのに、今は歪んで見えない。

少しだけ、車椅子の車輪が音を鳴らし、そして、何かがそっと連音の手に触れた。
驚いて視線を下げれば、そこに自分の手を両手で包み込むようにしているはやてがいた。


酷く冷たい手だ。はやてはそう思った。

この手で、今までどれだけの辛い出来事を越えてきたのだろう。
その瞳は、今までどれ程の悲しみを見てきたのだろう。

そして、その心はどれだけの痛みを抱えているのだろう。

(あぁ……そうか……そういう事なんやな……)

今、連音は、本当は誰かに助けて欲しいのだ。
でも、それを自分が許さないのだ。許す事ができないのだ。

それほどに頑なな想いの裏に何があるのか、はやてには分からない。

でも、分からなくても良い。
それでも、やることは同じなのだから。

そっと、その手を自分の胸に押し当てる。
「なっ…!」
突然の行動に驚く連音。手を慌てて引こうとするが、まるで張り付いたように動かない。

「感じる……?この音…、わたしの心臓の音…。命の音や……」
「あぁ……」
指に、掌に響く命の鼓動。小さくても、しかしハッキリと。
「さっき言うとったな、『自分は何も守れない』て……。
せやけど、それは間違いや。ここに、連音君が守ってくれたものがあるやろ?」
「…っ!違う!あれは……!!」
あの時、連音ははやての命と使命を天秤に掛けた。
そしてジュエルシードが再び動いたから連音ははやてを助けただけだ。
そう言おうとしたが、それは留められた。

「――今やってそうや」
ただ、伝えたかった。
ただ、それだけを込めて。ひたすらにそれだけを。
一度で届かないなら何度でも。はやては伝え続ける。

「病室でも、今も、わたしを自分から守ろうとしてくれてる……。
連音君は………何も守れんのとちゃうよ。ただ…守ったもんが何なのか分からんだけや」
「違う!!俺は……俺じゃダメなんだっ!!『辰守連音』には何も……できない」
「できん事無い!私を守ってくれたんは誰でもない!!『辰守連音』やっ!!
………せやから」
はやての瞳からも涙が零れる。

「せやから………もう自分を嫌うんは止めて……」
零れた涙が、手に滴る。

「それでも守れんて言うなら……これから守れば良いだけや。
連音君は『世界を守る忍者』なんやから、な?」





「………できるのか?」
呟きよりも小さく、連音は零す。
「――できるよ」
ハッキリとはやては答える。
「母さんを殺した……俺でも?」
吐き出すように。
「――できる」
受け止めるように。
「……大勢を犠牲にしておいて?」
「………それでも、や」

はやてはゆっくりと連音の首に腕を回した。
そして、その顔を自分の首に。
「わたしは一緒に行けんから……」
連音はゆっくりとその首に。
「せめて、この血だけは……持って行って」
牙を突きたてた。





月光を遮る竹林の奥に、駆け抜ける三つの影があった。
一つは身の丈を超える光の鎌を持ち、マントを翻し、
その後ろをオレンジ色の毛並みをした狼に似た生物が走る。

そして、その更に後方から竹を蹴り、自在に飛び回る魔獣があった。
体毛とその姿から猿に酷似しながら、その大きさはマウンテンゴリラを二周り以上も上回っていた。

「ちっ!せっかく幸先良くジュエルシードを見つけたってのに…!」
狼に似た生物――アルフが舌打ちする。
管理局が本格的に介入を始めた今、これから先は更に慎重に為らざるを得ない。
しかし、局よりも先にジュエルシードの発動を察知し、駆けつけると現地生物がそれと融合していた。

普通ならその程度いつもの事な訳だが、今回はかなり分が悪い。

それが高い知能を持っており、この竹林の地形を徹底的に利用してくる事だ。
バインドを仕掛けるにしても、攻撃を仕掛けるにしてもこの竹林が邪魔だった。
釜を持った少女――フェイトもアルフと同様だった。
彼女はスピードで翻弄し、一気呵成に攻めるスタイルをとっている。
しかし、この地形は彼女の持ち味を殺している。
脱出しようと何度も上空に行こうとするが、その都度、魔獣がその行く手を阻む。
その鋭い爪で竹を切り、武器として投げつける。
ダメージはないが足を止められ、地面に叩き落された。

「どうする、フェイト!?」
「っ……!」
これ以上、時間を掛ける事はできない。
管理局が来る前に決着しなけなければ。

フェイトは覚悟を決めて足を止める。
「アルフ、フォローお願い!ここで決める!!」
大きくスタンスをとり、フェイトはバルディッシュを構える。
「どうするんだい!?」
「アルフは合図でこのポイントにチェーン・バインドを。後はわたしが…!」
「分かった…!」

フェイトは林の闇を睨む。
先程までの戦いのざわめきが嘘のように静まり返る。
野生の勘と言うものか、フェイトが何かをしようとしている事を察知したようだ。
しかし、野生である以上、それより先に頭は進まない。
それこそがフェイトの勝機であった。

(もし、これがあの子だったら……きっと見抜かれた上に策を返されるだろうな……)
ふと、覆面の少年の事が浮かぶ。
本当に妙な子だ。
敵として現れながら、自分を助けたり、いきなりぶたれたり。
あの白い子もそうだが、それ以上に妙だ。

どうして現れないのだろう。
何故、気になってしまうのだろう。
現れない方が良いに決まっているのに。

「…っ!」
フェイトは頭を振った。今は目前の相手だ。
「行くよ、バルディッシュ!」
“Arc Saver,Over Charge”
バルディッシュがそれを宣言すると、光の鎌が更に巨大になる。
ズシリとした重さにフェイトの顔が少しだけ歪む。
「アークセイバー…、オーバースラッシュ!」
振りかぶり、袈裟懸けに全力で振り下ろす。発射された光刃は地面と竹を薙ぎ払いながら闇目掛けて飛翔する。

「っ!来るっ!」
フェイトは闇の向こうから飛び出す影に気が付き、空に目を向ける。
月を背負い、魔獣が高く跳び上がっていた。
その手には岩といっても良い様な大きさの石をしっかりと握っている。
ジャンプの頂点に達し、魔獣はその身をヨーヨーの如く回転させる。
回転の勢いをつけて、あの石を投擲するつもりなのだ。

「フェイトッ…!」
アルフが叫ぶ。幾らシールドで防げるといっても衝撃は並みではない。
下手をすればシールドごと押し潰されるだろう。
だが、フェイトはシールドどころかその瞳を閉じ、アークセイバーを撃った方向に意識を集中させている。

「――コントロール……!」
フェイトが空に目掛けて左手を振り上げる。すると、闇の向こうでバキバキッ!という音が響いた。
「ッ!?」
魔獣はその気配に逸早く反応する。
「あれは――!?」
月光を背負う魔獣の更に上に二つ目の月が現れた。
回転し、弧を描いて舞う、斬撃の三日月。
しかしそのスピードは遅く、魔獣は手にした石をそれ目掛けて投げ放った。

“Twin Edge”

ぶつかる直前、刃が二つに分かれる。一つはさらに大きく、一つは急降下する様に軌道を変える。
その速さは倍以上に変化していた。

『グッ!?』
魔獣が驚きの声を上げる。
「フォトンランサー、セット!」
真下ではフェイトが射撃体勢をとっていた。
三方を囲み、一気に落とす。

「撃ち抜け…、ファイアッ!!」

フォトンランサーとアークセイバーが同時に直撃する。
爆音が響き、煙に包まれる魔獣。
だがまだだ。フェイトはすぐに構える。
“Sealing Form”
封印形態にバルディッシュを変化させ、アルフに叫ぶ。
「アルフッ!!」
「オッケー!チェーン・バインドッ!!」
四方から爆煙目掛けて鎖が襲い掛かる。
そしてすぐ何かを捕まえた感触がアルフに届いた。
「よし、捕まえた!!」

その声を受け、フェイトがその言葉を叫ぶ。
「――サンダー・レイジッ!!」


竹林の魔獣を轟雷が打ち据えた。


全てが終わった竹林に、静寂が帰る。
落ちるのは青い宝石――ジュエルシードと、その素体となった一匹の猿。

「回収完了……だね」
フェイトはジュエルシードを回収し、「ふう」と息を吐いた。
「それにしたって、あんな魔法何時組み上げたんだい?あんな大技、あた者知らないよ?」
「う、うん……ちょっとね…さ、さぁ早く行こう。管理局が来る前に…!」
「…?あぁ……そだね」
フェイトが変に急かすのに首を傾げながら、しかし間違っていないのでそれに従う。

フェイトがこの魔法を組んだのは、温泉での戦いの後だった。
もっと威力の高い、砲撃以外の魔法をと考えて組んだは良いが、凄く使い勝手が悪いことに気が付いた。
オーバーチャージに使う魔力はサイズフォーム三発分に相当し、更に、直接攻撃に全く向かない。
増量された魔力刃が、スピードが身上のフェイトの戦い方を真っ向から潰していたのだ。
なので、射出以外に使い道が無いのだ。
放った後はコントロールができるし分裂もさせられるが、その性能も高くはない。
今回は上手く使えたが、博打にも程がある。
全く以ってフェイトらしさの無い魔法であった。

組んだ時は「これであの子に勝てる!」とかなりの自信があったのだが。

「……………ダメだな、感覚で魔法を組んじゃ……」
フェイト、七回目の反省であった。






薫風の吹きぬける草原はどこまでも広がる。
蒼天は果てしなく、彼方まで包み込んでいた。

「……ここは?」
どうして自分がこんな所にいるのか分からず、辺りを見回す。
と、後方から子供の声が聞こえてきた。

「ぃいいいいやっほおおおおおおいっっ!!」
緩やかに下り坂になっている草原を猛スピードで走る少年。
そしてその後を追い、歳若い少女が走る。
あっという間に連音の脇を抜けて、尚も加速していく。

「お待ち下さい、束音様ぁあああアアアア〜〜〜〜〜〜っ!?」
少女も連音の脇を駆け抜けて行くが、途中で足がもつれ、盛大にすっ転んだ。
ごろごろと転がり、すべり、そして消えていった。

「………兄さんに…椛?でも…じゃあここは…」
束音と呼ばれた少年の消えた方を見やりながら、呟く。

まさかと思いながら、連音は草原を進んでいく。
命の息吹に満ちた世界。鼻腔をくすぐる草の香りと、吹き抜ける穏やかな春風。

その向こうに人影が見えた。
草原に寝そべる五歳ぐらいの男の子と、その隣に座る忍に似た顔立ちの、紫色の髪をした女性――辰守雪菜。

遠目からだって見間違える筈がない。
その姿をずっと、追いかけていたのだから。

連音は二人に近付いていった。

目と鼻の先まで近付いても二人はこちらに気が付かない。
やはり、と連音は思った。

「これは……夢……なんだな。母さんと兄さんと、最後に行ったあの草原……」
どうして自分はこんな夢を見ているのだろうか。
はやてと中庭で話して、そして気が付けばここにいた。

「眠ったのか……?何で…?」
訳が分からなかった。
しかし、分かった所で夢の中ではどうしようもない。

だから、せめて。
「今だけは……」
母の姿を見ていたい。


「連音…?」
「っ!?」
いきなり名前を呼ばれ、ドキッとした。しかし、すぐに自分ではないと分かり、胸を撫で下ろす。

寝そべっていた少年がひょいと跳ね起きる。
「なーに、おかあさん?」
「連音は、将来は何になりたい?」
「もちろん、おかあさんみたいに強くて、カッコいい……」
ビシッ!と天に指差して宣言する。

「世界一のくノ一になるっ!!!」

余りに途方も無い幼い連音の夢に母は吹き出し、連音は膝を着いて本気で凹んでいた。

その夢は色々と挑戦しすぎだった。主に遺伝子辺りに。

母としてこれはどうにかせねばと、雪菜はコホンと咳払い一つし、息子に向き合った。
「良い事、連音?男の子はくノ一にはなれないのよ?」
「えぇええええええっ!!?」
本気で驚き、絶望的に叫ぶ幼い連音。
(本気だったのね……この子は……)
(本気だったんだよなぁ……この時…)
雪菜は息子の本気っぷりに頭を痛め、連音も自分の莫迦さ加減に頭を痛めた。

「……ま、まぁ、くノ一がどうというのは置いといて……母さんの様にどうしてなりたいの?」
「だって、おかあさんはいっぱいの人を守ってるんでしょ?僕もおかあさんみたいに強くなって、みんなを守るんだ!」

連音は幼い自分の言葉に苦笑した。

なんて愚かな夢だ。
それがどれだけ莫迦らしいか、もうすぐ思い知らされるというのに。
当時の自分は、何時か母の守りたいものを自分が代わって守るのだと、本気で思っていた。

それが、失って初めて分かった。
母がどれだけ偉大であったのか。
どれほどこの『世界』を守ってきたのかを。

時が過ぎ、それを思い知らされて。
それでも進んできたのは、自分にはそれだけの理由があったからだ。

でも、やはり駄目だった。所詮、自分は辰守連音でしかなかった。

「どうして……母さんは俺を助けたりしたんだ?母さんが生きていれば多くの人を守れたのに……」
竜魔の天才。一騎当千の戦士。

そして、伝説の暗殺者――アイス・ブルー。

幾つもの通り名を持ち、生きてさえいればどれだけの悲劇を食い止めてきただろう。



「私はそんなに偉くはないわ……買い被らないで」
「え――!?」

何時の間にか雪菜は自分の前に立っていた。
その美しい氷蒼の瞳に息子を映して。

おかしい。これは夢の筈だ。それなのに、どうして?
いや、むしろ夢だからなのか?
連音は突然の出来事に混乱し、頭が上手く働かなかった。

「何で……これは夢、なんでしょ?」
「そうよ、これはただの夢……。でも、夢は死後の世界に最も近い世界よ。
これがただの夢なのか、それともそうじゃないのか、それはあなたが決めればいい事。
あなたが、これからの行く道をどう選んでいくのか。それと同じように…」

いつの間にか、草原に幼い自分の姿は消えていた。

雪菜はゆっくりと連音に向かって歩き出し、そしてその両手を伸ばす。
「母さん…?」
その手が連音を包み込むように抱きしめた。
温かで柔らかく、良い匂いのする、母の胸の中に。

違う、これは夢だ。自分勝手に思って自分を救おうとしているだけだ。
身勝手で浅ましく醜い、唾棄すべき想いだ。

その筈なのに、これが只の夢ではない事を心が受け入れている。


「連音は……ずっと、私が死んだ事を自分のせいだと思っているのでしょう?でもそれは違うわ。
私の死は既に定められていた事だったのよ……姫様の“刻見”によってね」
「なっ、何を…!?」
雪菜の言葉に驚き、母の顔を見上げる。
その顔は心痛に満ちたものだった。

「私に伝えられたのは、『私は掛け替えのない者の為に命を失う』というものだった。
最初はあの人…空也さんの事だと思っていたけど、あの人は私より先に逝ってしまった……」
「………」
「残ったのはお父様とあなた達だけ。そして、もう一つの刻見が私に告げられたわ。
それが……産まれたばかりの『あなたの死』だった……」
「っ!?俺の……死………?」
雪菜は静かに頷いた。

「あなたの死を予言され、私は確信した。私の死はあなたを守る為だと。
だから、私はそれまで以上に戦った。
予言が外れる事は絶対に無い。でも、それを遅れさせる事はできるかもしれない。
あなたと、少しでも長く一緒にいる為に。
でも、それは叶わなかった……。あなたは兇によって命を絶たれ、そして私はあなたを蘇らせる為に……命を与えた」

沈黙。風だけが音を立てて吹き抜ける。

「ごめんね……辛い思い、いっぱいさせてしまって……」
「――っ!」
「私はただ…あなたに生きていて欲しかった……生きて、幸せになって欲しかった……それだけだったの…。
それなのに……私はあなたに重荷しか残せなかった……」
雪菜の瞳から伝う涙。抱きしめる手が力を増していく。
「違う……!!俺がもっと強かったら……『母さんみたいに強かったら』皆…、皆を守れたんだ!!
俺が……弱かったから…だから皆殺されて……!」
母の胸の中で、連音の想いが噴き出した。
ずっと、言いたかった。
でも、その人はもういなくて。
だから、代わりにならなければならなかったのだ。

「ごめんなさい……!弱くて……ごめんなさい……!
母さんも守れなくてっ……皆を守れなくてっっ……ごめんなさい……!!
うぅ…あ……ぁああああああああああああっっ!!」

溢れる想いを抑えきれず、泣きじゃくる連音を強く抱きしめて、雪菜もまた大粒の涙を零した。

「あなたは何も悪くない……!ごめんね……連音………!
あなたを守ってあげられなくて……ごめんなさい……」


草原の風は暖かく、二人を包むように優しく吹き抜けた。







どれだけそうしていただろう。
ようやく落ち着きを取り戻したが、その目は真っ赤になっていた。
「うぅ〜、目が痛い……」
ごしごしと瞼を擦る連音を見て、雪菜はクスリと笑う。
「そんな顔じゃ、はやてちゃんに笑われちゃうわね?」
「なっ、何ではやてが出て来るんだっ!?」
「ん?じゃあ、アリシアちゃんにかしら?」
「ちょ、待った!」
「それとも、フェイトちゃん??」
「こら!」
「あ。久遠ちゃんかしら?連音、妖に好かれやすいものね〜?」

スパーーーーーーーンッ!!

いつの間にか手に収まっていた突っ込みスリッパが雪菜に炸裂した。

「いった〜い!母親の頭を、よりによってスリッパで!?お父様にどんな教育受けてきたの、あなたは!?」
「やかましい!!人の話しを聞かん方が悪いわっ!!そして何のラインナップだ!!」
「っ!そんな……母親に向かってそんな口の聞き方を……!!
あぁ……空也さん、連音は……すっかりグレてしまいました……」
さめざめと泣きながら、青空に向かって呟く雪菜。

連音は改めて思った。本当に忍とそっくりだと。見た目も、中身も。


「さてと、一通りやる事はやった感があるわね」
「そんな感はいらないけどね……」
コロッと変わった態度に連音は溜め息を吐いた。
この人は見た目のイメージと、とことんギャップがあるものだ、と。

「そろそろ、時間切れかしら……」
「―――え?」
雪菜は彼方を指差す。
青空だった筈の世界に赤みが差していく。

蒼穹の終わり。黄昏の時。

夜天の支配する時間。

夕焼けが世界を切り裂き、光が満ちて、その中に消えていく。

夢の、終わり。

「もう時間がないわ。だから、最後に……」
雪菜の手が連音の肩に置かれる。

「戦いなさい。あなたが守りたいものの為に。誰の為でも無い。ただ、あなたの心のままに」
「でも、俺は…!」
「口伝に曰く、『我らの血、幾千の昼と夜を重ねて尚、この世界を護る剣と為らん。されど忘るる事なかれ。この理、ただ口伝に於いてのみ伝うるその意味を』。
言葉は何時だって受け取る側に任されるもの。だからこそ、口伝の意味がある。目を閉じて……」
「うん……」
言われるままに目を閉じる。
「思い出せる?あなたが今まで出会ってきた人達の事を」
「………うん、思い出せる」
「どんな顔をしてる?」
「色々……笑ってたり、泣いてたり、怒ってたり……」
「……それがあなたの世界……あなただけの世界よ。
あなたが戦う理由。罪も痛みも背負って、それでも立ち上がる、その理由。
竜魔の使命すらその前には小さな事なの……」
「………」
「目を、開けなさい」
連音はゆっくりと瞼を開く。
もう世界は殆どが消え去っている。

雪菜は連音の顔をジッと見ながら、やがて笑った。
「大きくなったわね、本当に……。でも、ちょっと男の子の顔じゃないかしら……?」「母さんの血が入ったからだって、永久様の御墨付きだけど?」
ジト目で睨まれて雪菜の視線がツツ〜ッ、と逸れていく。
「ま、まぁ……細かい事よ?気にしちゃ駄目!」
「別に気にしては無いけど……」
コホン、と咳払いをして雪菜はもう一度、連音を見た。
その背中から光が差し、雪菜の体がその中に解けるように消えていく。

「ッ!母さんっ!!」
それに気が付き、連音が叫ぶが、雪菜はそれを知っているかのように首を振った。

「いいのよ……絶対に過去は変えられないもの。でも、それでも真に望むならば人はきっと、どんな鎖に縛られても空を飛べる。
人の人たる真の強さを、あのプレシアとかいうバカ親に教えてあげなさい――」

光はついに雪菜を完全に飲み込んでいった。
「母さんっ!!」
「大丈夫、もう思い残すことはないから。あなたにもう一度会えたんだもの。それだけで充分……。
それに、私は消える訳じゃない。ずっと、あなたの命として生きるのだから―――」
雪菜は優しい微笑みだけ残して解けて消えた。

――人はどんな悲しみにだって、決して負けないって――

響く、母の最後の言葉。

――人は決して弱くなんてないって、信じてるわ――

「母さんッッ!!」

それを刻み付けるように、連音は叫んだ。

――あ、孫を抱けないのは心残りだったわね。アハハ――

「………母さん」
何というか、色々と台無しだった。
でも、それが母らしいといえばらしいし、変に湿っぽいよりもずっと良い。

熱い。
胸が、手が、心が燃えるように。

内側から生まれるその力。
命という名の、普遍なる力。

「行ってきます、母さん………」


さあ、行こう。
もう、恐れるものなど何もない。






「う……ん?」
不意に頬に触れた、冷たい空気にはやては目を覚ました。
真っ白なシーツに包まっ体をもぞもぞと動かし、そして気が付く。

そこは海鳴大学病院の病室、そのベッドの上だった。

(どうして……?たしか、連音君に血を吸われて……そうしたら急に眠くなってきて……っ!?)

「よお、起きたのか?」
「――っ!?」
掛けられた声にガバッと体を起こす。

開け放たれた窓から暁の光と共に、吹き込む冷たい風がカーテンを揺する。
「連音君……?」
陽光を背負い、連音は窓辺に立っていた。
その瞳には今までのような影はなく、生気に満ちたものだとはやてにも分かった。
「怪我は…?体は大丈夫なん?」
はやての言葉に連音は答えず、病院着の紐を外すと、腰の辺りまでするりと落ちた。
下に巻かれた包帯を連音は解いていく。
「――あっ!?」

解かれた包帯の下には、まるで最初から何もなかったかのように綺麗になっていた。
怪我の痕すら、残っていなかった。
「ありがとうな。もう、大丈夫だ……」
「――ッ!」
そう言って微笑む連音の顔は、はやてが今まで見た事のないものだった。
思わず声を失い、はやては連音の顔をまじまじと見てしまった。

それに気が付き、慌てて話題を探した。

「あ、あーっと……ここは何処なん?」
「ん?俺の病室だよ。その辺に血の跡あるし」
「へ、へぇ〜、て血の跡っ!?」
「あぁ、病室出る時に倒れたりしたからな。そん時に付いたんだろう?」
「うわ〜、ほんまや。これはあれや。何かの事件現場やな」
床に滴り、乾いた血の跡によくドラマである現場シーンを思い浮かべてしまった。
連音は病院着を着直し、はやてのいるベッドに腰掛けた。
「そういえば、連音君なん?わたしをここまで運んで来てくれたんは?」
「いや、俺もさっき起きたところだ。一緒にベッドに転がされてたから知らん」
「そっか……ん?今何て言うた?」
「…?だから、一緒にベッドに転がされてたから知らん、と」
連音の言葉を確認し、はやての顔が見る見る内に赤くなる。
その意味が分からず連音は首を傾げる。
「とりあえず、起きたんなら上、ちゃんと着とけ。そこに畳んであるから」
「へ……ッ!?」
そこでようやく、はやては自分が肌着しか上に着用していない事に気が付いた。
慌ててシーツを掴んで体を隠す。
「そこまで慌てなくても良いだろうに…。自分で脱いだんだから」
「それとこれとは別や!!こっち見んと、あっち向いとって!!」
「へいへい」
言われるまま、連音は窓の外に視線を移した。

差し込む朝日にふと夢の事を思い出す。
あれは本当にただの夢だったのだろうか。

もしそうだったとしても、今、自分の心はこんなにも軽い。

まるで深い霧が朝日に散り行くように、心の中にあった何かが消えている。


決めるのは、自分。
夢を夢で終わらせる事も。
そうでなくさせるのも。

「琥光……」
連音は腕に掛けられた琥光に尋ねる。
「俺は本当に弱くて、情けない奴だけど……一緒に戦ってくれるか?」

琥光は答えない。しかし、その石が力強く光り輝いた。

「………ありがとう、琥光」





「やれやれ……世話の掛かる弟だ。あんな体で動いて…その上、あんな所で寝てるとは……風邪引くだろうが」
病院の屋上。その柵に腰掛けて、青年は呟いた。
「そう言いながら、任務そっちのけで来たのは誰かな~?」
その後ろには月村忍が立つ。
そっちを向かないまま、青年は呆れたように溜め息を吐いた。
「何を言ってるんだ?任務ならきっちり終わらせたさ」
「それ……今月いっぱい掛かりそうって言ってなかった?」
「だーかーらー、終わらせてきたんだよ、それを!」
「……このブラコン」
「うるさい」

青年は柵に足を掛けて立ち上がる。
「じゃ、俺はもう行くか。連音の事、頼んだぞ?」
「分かってる……そっちこそ気を付けてね、束音……」
「あぁ……じゃあな」


そう言い残し、束音の姿が風に消えていった。


忍は眼下に見える病室に目を向けた。
「忍ちゃんの眼力に、狂いはなかったわね~♪」

ご満悦とばかりに鼻歌を歌いながら、忍もまた屋上を後にするのだった。












では、拍手レスです。


※犬吉さんへ 自分の弱さを知った連音なら、もう誰にも負けないと思う

元から連音は強いのですが、本当に強くある為に大事な事を見失い、そして「失った痛み」に縛られていました。
それが取り払われた次回、ついに竜魔の本領発揮です。


※シャドウダンサーの感想 連音、頑張れよとしか言えません。
アリシアは最後どうなるのか気になりますね〜。

応援ありがとうございます。ここからもっと彼は頑張ります。
アリシアの最後は既に決まっているので、そこまで一気に行けると良いのですが…。
何分、筆が遅いのでw





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