高次元空間内に浮かぶ、時の庭園。
辿り着いたのは始まりの悲劇。その語り部は幼き少女。
そして、連音の運命がここで決まる。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第十五話   裁く者、裁かれる者




時の庭園より転移したフェイトとアルフは、アジトとしているマンションの屋上にいた。
太陽はとっくに真上を過ぎていた。
時間が惜しい。
フェイトはすぐにでもジュエルシードの捜索に入ろうとするが、一歩踏み出しただけで体がふらつく。

「フェイト!?」
慌てて支えるアルフに「大丈夫」と言って、立ち上がる。
「無理しないで。少しでも休まないと…!」
「これぐらい、どうって事ないよ……大丈夫」
「でも、あの白いのはともかくさ…、あの覆面の方はヤバイよ。
よくて互角…スピードなら向こうの方が上だろう?
あいつを相手にするのにこんなフラフラじゃ……今度こそやられるよ!?」
「………」
アルフの言葉に今度こそフェイトは返す言葉が無かった。
今の状態で戦って、勝ち目が無い事は自分自身が良く分かっていたからだ。
それに加えて、なのはも凄い速さで成長している。

この先、フェイトにとって厳しい戦いになることは必至だった。

「……分かったよ、アルフ。ちょっとだけ休むね。夕方から捜索しよう……」
「あぁ…!」
アルフはフェイトが少しとは言え、自分の言葉を聞いてくれた事に素直に喜んだ。
尻尾をパタパタとさせながら、フェイトを抱えて屋上を後にした。

その途中、フェイトの手が無意識に頬に触れる。
そこは昨日、連音に打たれた場所だった。

同時にフラッシュバックする、連音の声。

今まで何度も怒られた事はあった。
プレシアには鞭で打たれ、魔法の先生だったリニスは優しかったが、怒るととても怖かった。

そのどちらとも違う、連音の怒り。

一体何故彼が怒ったのか、フェイトには分からなかった。

ただ――

(まだ…熱い……)

――そこは未だに熱を帯びている気がした。




時の庭園。
そこにあるプレシア・テスタロッサの研究室。
連音はアリシアの言葉に、ただ唖然としていた。

「終わらせる…?どういう意味だ?」
その意味が連音には分からなかった。
目の前にあるカプセルには保存液に浸されたアリシアの体がある。
既に命を終えたそれをどうしろというのか。

『これを…私の体を壊して欲しいの。
私には分かる。これがある限り、お母さんを止める事はできない。
私の声も届かない……だから』

「だから壊せ、と。さっき俺に任せると言わなかったか?」
『確かに言ったわ。でも、諦めたりした訳じゃないもの。
お母さんを止められるなら、止めたいから。
私の想いを……ちゃんと伝えたいの……。それでも駄目なら………』
その時こそ諦める。アリシアの目はそう言っていた。
だが、そうする気はきっと無いだろう。

絶対に止めて見せるという強い意志を湛えていたから。

「――琥光」
連音は腕輪状態の琥光を忍者刀に変える。
『――ありがとう、ツラネ。……ゴメンね、嫌な事させちゃうね…』
アリシアは連音に礼を言いながら顔を曇らせた。
今更、自分の言った意味を分かったのだろう。

連音は横に首を振った。
「気にするな。俺はこういう側の人間だ……それに」

連音は琥光を構える。

「壊すのは体じゃない。この入れ物だけだ」
『え…!?』
「つまりはお前の体が無くなればいいんだろう?だったら壊す必要は無い。
入れ物だけを壊し、丁重に弔う。……それで充分だろう?」
『………ありがとう、ツラネ』

涙を浮かべ微笑むアリシア。
連音は気恥ずかしさに顔をそむけた。
覆面で分からないが、その下は僅かに赤らんでいる。

「…じゃあ……行くぞ…!」
『うん…』
刃を正眼に構え、大きくスタンスを取る。
魔力光が琥光を輝かせる。


「――ッ!」
振り返ると同時に一閃する。瞬間、閃光が弾けた。
大気中に微かに紫電が走る。
『――何!?そんな…いつの間に!?』
「魔力スフィア……!?しかもこの数は…!」
アリシアは突然の事に驚愕し、連音はギリ、と歯を食いしばった。

連音とアリシアを囲む様に、一見して三十以上ものスフィアが浮遊していた。
その全てが帯電し、小さくスパークを起こしている。

(攻撃するんじゃなく、これ自体が……?くそ、ミスった…!)

かすかに鈍る感覚に琥光を握る手が震え、心の中で舌打ちする。

スフィアはゆっくりと浮遊し、二人を包囲していた。
「これは……プレシアか!?」
連音の問いにアリシアは首を横に振った。
『多分違う。ここの動力炉から魔力を取って形成された、一種の防衛装置だと思う……。
お母さんがいたら、私が気が付かない訳がないもの』
「だが、防衛装置が起動したって事は……気付かれたな」
潜入が気付かれた今、完全に捕捉される前にこの場を脱出しなければならない。

連音は琥光を持ち替え、親指で刃を擦り上げる。白刃が煌く。
「中央突破、行くぞ!遅れるなよアリシア!!」
『……うん!』

連音が動くと同時にスフィアが一斉に襲い掛かる。
飛び交うスフィアの僅かな隙間を駆け抜け、一気に正面を塞ぐスフィアを破壊する。
床を踏み切り、一気に最高速に乗る。
「ハァアアアッ!!」
研究室を埋め尽くす光球の群れが光り、電撃が走る。
“瞬刹”
電撃は連音のいた場所に落ちた。が、同時に攻撃を行ったスフィアが爆発する。
スタッと着地する連音。

『すごい…。あっという間に五つも……』
「ぼさっとするな!」
その早業に感心するアリシアに連音の怒号が届く。
ビクッと肩を震わせ、アリシアが走り出した。

『よく考えたら私が逃げる理由ってないんじゃ!?』
「ちょっとは付き合え!どこかに隠れられる場所は!?」
通路にも浮遊するスフィアを破壊しながら、連音とアリシアが走る。
尤もアリシアは連音の隣で浮いたまま、手を引かれているのだが。

『脱出しないの!?』
「このチャンスを逃す訳には行かない!それに――っ!」
手裏剣が飛び、先のスフィアを撃ち落していく。
『それに?』
「次など俺には無い…!」
体の奥に鉛が生まれたかのようなダルさを感じる。
先日の様にいきなりではないし、まだ戦う事に支障は無い程度だ。
だが、次はどうか。もう一度持ち直せる保証など無いのだ。

それに、この侵入が失敗に終われば、プレシアが強行策を打つ可能性もある。

(どうあってもこれで終わらせる…!)

スフィアの群れが更に接近する。
更にその奥、エントランスへの扉の前に巨大な影が出現した。
通路の天井に着かん程の大きさの、機械仕掛けの騎士。
その手にはやはり巨大な斧が握られている。

「チッ、塞がれたか!!」
連音は舌打ちする。
「アリシア、手を離す。そのまま走れ!」
『うん!』
連音はアリシアから手を離し、両手に棒手裏剣を掴む。
“瞬刹”
琥光の声と共に爆音が響き、連音の姿が消える。
スフィアの向こうに現れると同時に、後方のスフィアが一気に爆散した。
両手の手裏剣は既に無い。

「――っ!」
巨大な影はその手にした馬鹿でかい斧を振り上げ、躊躇無く振り下ろす。
『ツラネッ!』
「フン、そんな鈍い攻撃が――」
“瞬刹”
重量に任せた、大気ごと両断する一撃が床を砕き、轟音を響かせる。
が、連音の姿はすでにその上空にあった。
「当たるかっ!!」
琥光の刃を中指で擦り上げると刀身が真紅に染まった。
「五行剣、朱炎刃!!」
振り抜かれた紅蓮の刃が鋼の体躯を切り裂く。
一撃、二撃、三撃、四撃。
赤い閃光が走る度、騎士は斬り裂かれ、ついに崩れ落ちた。
その頭を踏みつけ、エントランスに跳び込む。

そこには通路のようにスフィアも、先程のような機械の騎士もいなかった。
『ここは安全なのかな…?』
「いや……むしろここが静かなのはおかしい。
ここは時の庭園のど真ん中の筈だ。そこに何の警備システムが無い訳が無い」
嫌な予感がした。
まるで罠に掛かった動物のような拭えない不安感。

『――ウッ!?』
「アリシア?どうし…グッ!?」
突如としてアリシアが苦しみ出す。そして続いて連音の胸に痛みが走った。
「何だ、これは…?この感覚は…!?」
『……お母さんだ……お母さんが…来た……!』
「何…!?」
苦しみながらアリシアが言う。
連音はふらつきながらも周囲を警戒する。
「…………上かっ!?」

連音が上を向いた瞬間、上方の闇の向こうから紫電が降り注いだ。
「金行、金剛盾!!」
“防御展開”
とっさにシールドを展開するが、幾本もの雷光はお構い無く襲い掛かる。
「ぐぅううう!!」
その一撃一撃がフェイトの魔法とは比べ物にならない威力で、シールドがきしむ。
(相剋…し切れない…っ!)


『キャァア!!』
落雷は容赦なくアリシアにも襲い掛かった。直撃はしなかったが、衝撃が弾き飛ばす。
床に倒れ、意識を失うアリシア。
「アリシア!?琥光っ!!」
“瞬刹”
シールドを解除し、同時に瞬刹を発動させる。
雷光の間を縫い、一気にアリシアを抱えて柱の影に滑り込む。

「しっかりしろ、アリシア!」
『うぅ…あ……』
幾ら霊体でも、自然現象に属する力はそれにすら作用する。
それが例え魔法で起こされたものであっても、やはりダメージは避けられない。
アリシアは苦しそうに呻き声を上げるのみで、その目は開かれない。

連音はアリシアをそのまま柱の影に寝かせ、いつの間にか止んだ雷光に気が付いた。
見上げれば、まるで天上から降臨するかのように、緩やかに降りてくる人影。

その手に禍々しき杖を持つ、狂気の魔女。
「セキュリティが動いたと思えば…随分と大きい鼠が入り込んだものね……」
魔女――プレシア・テスタロッサは降り立つと、連音を見て侮蔑の笑みを浮かべた。

「プレシア・テスタロッサ……」
琥光を握り締め、ゆっくりとアリシアのいる柱から距離を取って行く。
「その姿……フェイトの報告にあった、ミッド式と違う魔法を使う邪魔者ね……」
プレシアの目が連音の姿から琥光に移る。その瞳がギラリと光る。
「アームドデバイス……ベルカの騎士……なるほど、教会辺りの犬かしら?
あそこは色々と変なのを飼っていそうだものね……。
どちらにしてもあの”出来損ない”では、騎士の相手は手に余る訳ね……」
「――ッ!」
出来損ない。その言葉が連音の怒りに触れた。

浮かんだのは痛みに耐えながらも必死で期待に応えようとするフェイトの姿。
響いたのは妹を救えない無力な自分を呪うアリシアの声。

無意識に、歯を砕かんばかりに食い縛っていた。

「……騎士だの教会だの、そんなものは知らん。だがな…」
「……?」
「あいつの事を……フェイトの事を物の様に言うな!」
殺気と敵意を込めた視線がプレシアに向かう。だが、プレシアはそれを受けても顔色一つ変えない。
それどころか更に侮蔑の笑みを浮かべる。
「何?何を怒っているのかしら?あれをどう呼ぼうと鼠ごときには関係ないでしょうに。
それとも安い哀れみ?だとしたら滑稽ね、真実を知らないというのは」
クックック…と湧き上がる笑いをプレシアは堪える。
「……プロジェクトF・A・T・Eだろう?」
「……何?」
連音の言葉に今度こそプレシアの表情が変わる。
「人造生命……死者復活の研究……その結果……お前が生み出した……」
一息大きく吸い込んで、連音は言葉を続けた。
「アリシア・テスタロッサのクローンだろ?」

「鼠の分際であの子の名前を口にしないでっっ!!」

カッと目を見開き、狂気を隠す事無く吐き出す。
ビリビリと肌に突き刺さる、圧倒的な殺意。

だが、連音はそれに真っ向から受けて立つ。
「今すぐにジュエルシードから手を退け。あれがどういうものか、貴様は知っている筈だ……。
あんなもので、アリシアは生き返らせる事は出来ないと…!」
「……その言い方、あれがどういう物か気が付いている様ね……」
不気味に笑うプレシア。

余りにも似た境遇。余りに似た、望んだもの。
その笑みに、連音の中で最悪の予想が確信に変わろうとしていた。

雪菜が死んだ時、連音は様々な事を調べた。
調べたのは死者を――母を生き返らせる方法。
何が何でも。そう思い、必死に調べた中にそれはあった。
それは一つの御伽噺。事実である可能性は限りなく低い、その程度の信憑性。


曰く、魔法の極地。その眠る地。
曰く、時間をも越える力の存在する地。
曰く、死者すら復活する神の地。


そこは遥かな昔、虚数空間の彼方に消えたという。
しかし、膨大なる生贄を捧げ、その門を開くものはそこに至る事ができるという。

「ジュエルシードは、高純度の次元干渉型のエネルギー結晶だ。やはり開く気か……。

伝説の都、アルハザードの門を……!!」

「…ッ!?」
連音の発したアルハザードという言葉に、プレシアの顔が驚愕に変わる。

「やはり……あそこに眠る秘術を狙っているのか……!
分かっているのか!?あそこに至る道を開くその意味を…!」

連音の調べた竜魔の資料の中に記されていた、門を開く術。
それには【世界を隔てる壁と共に零の闇を砕く時、門は開かれる】とあった。

「あれの力で次元断層を引き起こせば、どれだけの世界が犠牲になると思う!!」
次元断層。次元災害の中でも最悪とされるもので、これが起きれば幾つもの世界が崩壊させられることになる。
もしこの場所で起こされたなら、連音の世界を含め、両手では足りないほどの世界が犠牲になるだろう。
それも真実かどうかも分からない、そんな莫迦らしい御伽噺の為に、だ。

気持ちは分かる。母親として、死んだ娘を生き返らせたいという想い。
それによって、連音は生き返ったのだから。
ただ、違うのはそれを失敗した事と、成功の犠牲として母が死した事だ。
何より、その結果の自分はその犠牲を否応無く、背負う事になる。

「……そんな事、知った事ではないわ」
「っ…何だと…?」
「あの子を…アリシアを失った時から…」
プレシアは手にした杖を振り上げる。

「こんな世界に価値など無いのよ!!」

怒号と共に振り下ろされた杖の先端から紫電が走る。
「クッ!?」
“瞬刹”
プレシアの攻撃を躱し、大きく間合いを離すと同時に、アリシアからも一気に離れる。
そして雷撃が壁と床を蹂躙し、粉塵を巻き上げた。
パラパラと破片が降り注ぐ中、連音はプレシアを睨む。

分かっていた事だ。言葉などプレシアに意味は無いと。
言葉で止める事などできない。ならば後は自分の務めを今こそ果たす時。

プレシア・テスタロッサ――その滅殺を。

杖を再び振り上げるプレシア。その全身を黒い霧が渦巻いて行く。
「ここを嗅ぎ付けられた以上、急がなければならないわね……。
とりあえず……あなたは死になさいっ!!」
全てを貫く雷光が再び降り注いだ。
「チッ!!」
全力で駆け、それらを辛くも躱して行く連音。
しかし、雷というものの性質が連音を追い詰めていく。
「ウッ!」
僅かに触れる。それだけで動きが鈍る。
「グァッ!」
次は更に大きくかすめる。

落雷の性質。それは速く動く物に引かれる事だ。
速く動けば、それだけその方に引き寄せられていく。

更に、プレシアを前にした事で陰気の影響が徐々に強くなっていた。
(クソ、躱し切れなくなる…!?)

連音が心の中で舌打ちした時、突如として雷撃が止んだ。
「っ…?」
見ればプレシアは杖を床に突き立てていた。
「中々やるわね……でも、これはどうかしら?」
プレシアの足元に魔法陣が展開し、同時に強大な魔力が光り輝く。
それだけで、次に来る攻撃は更に威力が高いと分かる。
だが、連音の心に焦りはもう無かった。
一見、完全に躱している様に見えていたが、
実際は雷撃を続けられていたら、確実に喰らっていただろう。
しかしその判断は微妙なところだ。それこそ、”実戦経験”が物を言う範囲だ。

つまり、それを見切れないプレシアは、強大な魔力を持っているが実戦経験は少ないとなる。
(それなら、手の打ち様は幾らでもある…!)
連音は刃を構える。
「五行相剋…金を以て木に剋つ。其れ、森羅万象の理なり……」
連音の足元にも術方陣が展開し、白い光の帯が連音を包み込んでいった。
「竜魔忍法、金剛鎧布!!」
光の帯が切り裂かれ、その中から連音の姿が現れる。
が、その忍装束は藍色から純白に変わっていた。かすかに淡い光も湛えている。

「バリアジャケットを変色させた…?一体何のつもりかしら?」
バリアジャケットは魔導師の魔力によって構成されるもので、
魔導師によっては、その状況に合わせて形状を変えるのも珍しくはない。

だが、色だけを変える者はいない。少なくともプレシアは知らない。

それに、連音の魔法陣はベルカ式と呼ばれるものとはかなり違った。

だが、何をしようとそれごと叩き潰すまで。
そう、プレシアは決断した。

実際、プレシアの魔力は連音の魔力のずっと上を行っている。
圧倒的魔力差の前に、小手先の技など意味を成さない。そう言い切れた。

「フォトン・バレット……カルテット・シフト……!」
プレシアの周りに、環状の魔法陣を持った紫色のスフィアが四つ、出現した。
「さぁ、絶望しなさい……!」
杖を連音に突きつけると同時に、スフィアが無数の光弾を放つ。
それはまるで、魔力弾のスコールだった。
迫る、電気を纏った弾丸の嵐。だが、連音は琥光を逆手に構え、逃げるどころかそれ目掛けて突っ込んだ。
「おぉおおおおおおおお!!!」
両手をクロスし、防御を固め、嵐に飛び込む。

瞬間、空間を爆煙が覆い尽くした。
終わらない爆発の連鎖が鼓膜に容赦なく突き刺さり、プレシアの顔が歪む。
「……ッ!?」
その時、爆煙を突き破って何かが飛翔する。
プレシアは驚きながらもとっさに防御するが、バリアの上から尚もそれは刃を突き立てた。
「うぉおおおおおお!!」
「クッ…!?」
不完全なバリアが刃によって切り裂かれる。

そして白刃が閃き、鮮血が舞った。

「グゥ……!」
プレシアの口から苦痛の声が零れる。
その腕から滴る赤い雫が、床に転々と後を作っていく。

怒りと憎しみの篭った視線が向けられるのは、眼前に立つ一人の子供。
純白の衣がプレシアの鮮血で赤いマーブルに染まっていた。

バリアを破壊し、躊躇無く襲い掛かってきた刃を、ギリギリでプレシアは躱していた。
しかし、その腕には大きく切創が生まれている。

(バカな…何故!?あれだけの攻撃を受けて、ダメージがほとんど無いなんて…!)
連音の装束は装甲部を含め、所々焦げてはいるが、ダメージに至っていない事は見てとれた。

(それに…幾ら急ごしらえのバリアだったとしても、相手の魔力はAAか、良くてAA+程度…。
私のバリアをこうも簡単に破壊できる訳が……)
バリアブレイクという魔法もあるが、それを使った形跡は無かった。だから、分からない。
だが、それが現実。それを受け入れられない程、プレシアは愚かではない。

プレシアは二つの魔法を起動させる。
一つは物理防御に特化したバリア魔法。
もう一つはスフィアの更なる発動だった。

大きさが半分になったが、四つが八つに増え、プレシアと連音を阻むように浮遊しだす。

四つのスフィアが魔法陣を生み出し、連音に目掛けて再び攻撃を開始する。
しかし、連音は横に跳んであっさりと躱して見せる。
そのまま大きく回り込むようにして、プレシアに迫った。

プレシアはスフィアをコントロールし、その障害となるように移動させる。
同時に、スフィア間にスパークが走り、それが鞭の様に連音目掛けて襲い掛かった。しかし、連音はそれに一切目もくれず、プレシア目掛けて加速する。

“瞬刹”
大きく一歩を踏み出し、瞬刹を発動させる。
次の瞬間、電撃が打ち払われ、プレシアを守っていたバリアが派手にフラッシュを起こしていた。
「――ッ!!」
気が付いた時には、もう眼前にはバリアに阻まれた琥光の刀身があった。

(あの電撃を喰らって無傷……!?それにこの速さ…!!)
驚きに顔を歪めるプレシア。だが、それはもう一つの事を確信し、再び歪んだ。

(貫けない……!)
瞬刹による踏み込みからの刺突。間違いなく連音の技の中での最速。
そして、単純な威力ならトップクラスの筈だ。
刃先はバリアを僅かに歪めはするが、それ以上は通らなかった。
「チッ!」
連音はそこを支点にジャンプし、一気にプレシアの後ろに回りこむ。
そして、振り向くと同時に横薙ぎに打ち込む。
マフラーが舞い踊る様に翻った。
「ハァッ!!」
裂帛の気合と共に繰り出した一撃。だが、やはりプレシアのバリアがそれを阻む。
「無駄よ…!」
「…ッ!」
スパークの向こうでプレシアが嘲笑う。
「その刃が届く事はもう無いわ…!」
はっとした連音が上方を見やると、四つのスフィアが浮かび、中心に一際強い雷球を形成していた。

「――さようなら」
プレシアのバリアがいきなり肥大化し、連音を強引に吹き飛ばした。
「うぁっ!」
壁際まで押し戻された連音目掛けて、巨大な雷球が視界を覆う壁のように迫った。

「金剛盾、二枚だ!!」
“了解 金剛盾 二重展開”
雷球との間に阻むように二重のシールドが展開され、雷球と激突した。
ズシン、という重厚な音を響かせ、シールドが歪曲する。

「グッ……!!」
スパークが迸り、ズルズルとシールドごと押し込まれていく。
それを目掛けてプレシアの手が動く。
「――バリアブレイク」
プレシアの指先から放たれた光弾が、あっさりとシールドを撃ち貫いた。
「しまっ――」

刹那、連音を雷球が飲み込み、壁を粉砕し、彼方へと吹き飛ばした。

そして爆発。粉塵と爆煙が嵐となって吹き荒れる。
その恐ろしい威力に庭園が大きく揺れた。

もうもうと上がる粉塵の中、プレシアの顔には一切の油断もなく構えていた。
物理破壊指定の魔力攻撃。喰らって生きているとは思わない。
だが、大魔導師としての自分が警告を発していた。
「――っ!」
突如、プレシアのバリアがスパークした。
何かが粉塵を貫き、直後、目前に鋭角なものが食い込んでいたのだ。

やがてそれは力を失い、高い音を立てて床に落ちた。
表情を変えぬまま、しかしプレシアの頬を一筋の汗が伝う。
もしも油断してバリアを解いていたら、確実にそれは自分を貫いていたからだ。
そして、それは同時に今尚上がる白煙の向こうにいる存在を知らせていた。
(やはり、あのバリアジャケットは対電気属性に特化している……厄介ね…)
プレシアの使う魔法は、自身の資質に基づいて雷が多い。
それが最も効率の良い魔法習得法だからだ。

無論、それら属性に対抗する魔法も存在はするが、高レベルでの電気防御の使い手はそうはいない。
だから、それ程問題にはならない筈なのだ。本来ならば。
(確実に仕留めるには、純魔力砲撃しかないわね………)


「――チッ、完全に不意を突いた筈だったのに……」
“敵 尚健在 戦闘継続”
「金剛鎧布、使っといて正解だったな……」
連音はそう言いながら目元に伝う血を拭う。
装束の所々は焼け焦げ、腕を守る装甲も爆圧よって歪んでいた。
顔や手などの薄い部分に至っては火傷を負っている。
覆面もボロボロになってしまったので引き剥がす。

“未熟 金剛鎧布未完成”
「……だな。三代瑠璃丸様なら完全に防いでいた筈だし……」

金剛鎧布の術は、三代瑠璃丸が都を襲う雷獣と戦う為に創り上げた、対雷撃防御の術だ。
雷獣の雷の威力はプレシアの使った魔法の比ではなく、それを喰らって尚、無傷であったと伝えられていた。

術の精度の甘さは自身の未熟ゆえ。だが、そんな事を言っても仕方ない。
今は目前にいる脅威に、如何にして立ち向かうかだ。

肉体的ダメージはまだしも、魔力は大きく削り取られた。
その上、陰気の影響も徐々にだが大きくなりつつある。
そして何より、いつ魂魄のバランスが崩れるか分からない。

そして、魔力では向こうが上。逆立ちしても届きはしないだろう。

(そう…魔力だけは……だったら)
連音は琥光を握り直す。指先までしっかりと力を込める事ができる。
母の血が連音に力を与え、伝う血も既に止まっている。

「見せてやる…、竜魔の戦いというものを!!」
連音は軽くステップを踏み、そして駆け出す。
段々と加速し、粉塵を一気に突き抜ける。
「五行、青風飛刃!!」
刀身を青く染めた琥光を振るうと、烈風が巻き起こった。

「クッ…!?」
突如、襲い掛かった突風が粉塵をかき乱し、プレシアの視界を覆い隠す。
その後ろに浮かぶ影。瞬間、スパークが起きる。
「ッ!後ろっ!?」
プレシアが振り向くと同時にスフィアが攻撃を放つ。
だが、その時には影は消え去った後だった。

粉塵を隠れ蓑に再び攻撃。そしてプレシアの反撃の前に消える。
それを何度も繰り替えされ、プレシアの顔に苛立ちが浮かぶ。
「おのれ、小賢しいマネを……!!」
プレシアが苛立つが、対して連音は酷く冷静だった。

「琥光、どうだ?」
“攻撃反応 上部スフィア四ヨリ感知 残数四未ダ不動 目標ノ周囲ニ展開”
「つまり、攻撃と防御を分けている訳か……」
となれば話は簡単だ。スフィアを破壊すれば攻撃を届かせる事ができる。
問題はそれを確実に決める手だ。
スフィアを破壊し、プレシアの最後の防御フィールドを越え、確実に仕留める。

一つだけ、思いついた手段がある。
だが、自分にそれを使う資格があるのか。

“武装変装 準備完了”
「っ!琥光!?」
“我ラ竜魔ニ 敗北無シ”
竜魔の戦い、それは守る為の戦いだ。その戦いに負ける事は許されない。
その為に、あらゆる手を以って挑む。
ならば使えと、琥光は言っている。
逡巡する事など無いのだと。
「――そうだな。俺は奴を……プレシアをここで滅する!琥光、武具着装!!」
連音は琥光を収め、両手を大きく広げた。
琥光から光が飛び、連音の両手を包み込んでいく。

そんな中、視界を蔽っていた粉塵が静まっていく。

薄靄の中、互いの姿がついに映った瞬間、同時に動く。
プレシアが雷光を放ち、連音は一気に駆け出していた。
降り注ぐ紫電の鞭を掻い潜り、一気に踏み込む。
“瞬刹”
瞬刹で一気にプレシアの上を跳び越え、過ぎざまにスフィアを切り裂いていく。
一瞬で四つ。攻撃スフィアを破壊する。
「なっ!?」
驚愕するプレシア。だが、連音は着地と同時に身を翻し、軽業師のように跳び上がった。
バリアを張っていたスフィアも、あっさりと破壊してみせる。
予想通り、プレシアを守っていた強固なバリアが砕け散った。
「――ッ!!」
ゾクリとしたものを背中に感じ、プレシアは飛行魔法で一気に飛び上がる。
間合いさえ離せば攻撃は届かない。
あの速さは脅威だし、雷の効かないバリアジャケットも恐るべきものだ。

だが、向こうの攻撃は通った訳ではない。
それに属性特化の防御に弱点が無い訳ではない。

プレシアが砲撃魔法をチャージしようとした瞬間、真下から影が一直線に飛び上がって来た。
「クッ!しつこいわね!!」
プレシアが今までより更に強大なシールドを展開する。
が、連音は真正面からそれに刃を叩きつけた。

今度も弾く。そう思っていた。だが――

パキィィィィン

「なっ、グァッ!?」
刃はシールドを突き破り、プレシアの右肩の肉を抉り取る。
「――落ちろ」
連音はそのまま上に回りこみ、プレシアを地面に蹴り落とした。
プレシアの耳に肋骨の折れる音が届く。

ぶつかる直前、どうにか飛行魔法で静止する事ができたが、そのまますぐに崩れ落ちた。
「――ガハァ!…ハァ…ハァ……!!」
肩が焼けるように痛み、折られた肋骨が、気の狂いそうな苦痛を与える。

目の前がグルグルと歪み、こみ上げる吐き気に嗚咽する。

苦しむプレシアの耳に連音の基地した音が聞こえた。
顔を上げるプレシアの眼前に連音は立ち、見下ろしている。
先程は分からなかったが、連音の手が異様な物に変わっているのに初めて気が付いた。

「な……何なの…それはぁ!?」
怒りと苦痛と混乱した叫びに連音は付いた血糊を振り落として答える。
「竜魔一級霊具、【獣爪刃】……結界破壊に特化した……俺の奥の手だ」

連音の全ての指に覆うようにして、倍の長さはありそうな刃の付いた装甲がある。
そして、手全体をやはり刃の付いた金属が包んでいる。

その名の通り、それは正に禍々しき魔獣の爪であった。


かつて、それを暗殺用に使っていた忍がいた。
体術を得意とするその忍が、確実に標的を殺す為に。

アイスブルーの通り名で呼ばれた、一人の暗殺者。

竜魔衆本家、辰守雪菜の使っていた武装だ。


できる事なら母の刃をこれ以上血に染める事は避けたかった。
だが、これもまた一つの運命なのだろう。


連音は刃を振り上げた。
後はこれを振り下ろすだけ。

それで全てが終わる。

もしも、母を殺されたと知れば、フェイトはどう思うだろうか。
こんな母親でも、殺した者を憎むだろうか。

敵を討とうとするだろうか。
それならばそれで良い。甘んじて受けよう。
どうせ一度死んだ身。死者は決して幸福にはなれないのだから。

それで憎しみから解放されるなら、意味があったと思える。


連音の手に力が入る。

「世を滅ぼさんとせし者、プレシア・テスタロッサ……ここに滅せよ!!」
「……ッ!!」




『ダメェエエエエエエエエ!!』


「――ッ!!?」
それは突然の叫びだった。
意識を取り戻したアリシアが見たものは、血を流し苦しむプレシア。
そして、今にもその刃を振り下ろそうとしている連音の姿だった。

その余りにも唐突な光景に彼女は反射的に叫んでいた。


(体が…動かない……!?)
アリシアの言葉――言霊が連音の体を縛り付けた。


そして、次の瞬間。

『――――ッ!!』

アリシアは息を呑んだ。
連音が胸に感じたのは強い圧迫感。そして異物が侵入し、背中を破る感触。

「ッ……!!」
真紅の雨が連音の口から吐き出され、プレシアに降り注ぐ。
それでもプレシアは更に腕に力を入れて押し込む。

連音の胸に。

自分の杖を。

更に。更にと。



『キャァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』




時の庭園に誰にも届かない慟哭が響いた。











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